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そろそろ真剣に少子化問題を考えなければならないのではないかと思うが移民やAIで安易な解決方法を求めてもいけないと思う

そろそろ真剣に少子化問題を考えなければならないのではないかと思うが移民やAIで安易な解決方法を求めてもいけないと思う
 衝撃的な本が出た。まあ、日本の少子化という問題は、まさにそのような状況になってきているのである。
  『未来の年表』という本がある。もちろんここは本の紹介や諸表のブログではないので、その内容に関しては記事に譲ることにして、実際のところ考えてみれば、なぜそのような感じになるかといえば「少子化」が問題である。
  ではなぜ「少子化」という現象になるのかといえば、何を言おうと「女性が子供を産まないから」ということに帰結する。このことを曲解すれば「女性差別」とか、さまざまなことを言われる原因となるのであるが、実際のところ、だんせいがこどもをうめるわけでもないので、「子供を作る」ということはそのまま「女性が子供を産まなければならない」ということに他ならない。
  まあ、その曲解のところは、「病気などで埋めない女性に気を使え」というような話から「安心して子供を産んで育てられるような環境にない」「魅力的な男性がいない」というようなものもあれば「社会的に女性の社会進出を阻むものであり、女性の権利、とりわけ社会で活躍する権利と子供を産まない権利を認めるべき」というような話が出てくる。
  結婚雑誌の「ゼクシィ」のテレビコマーシャルが、「結婚しなくても幸せになれる現代の世の中で、あえてあなたと結婚する」というようなセリフを入れ、話題になったが、実際に、「結婚しない」つまり「子供を産まない」で幸せになれるという選択肢を作った社会は、その子供を産まないという選択肢を作ったことによって社会全体が「滅びの方向」に向かう状態になっているということになるのである。
  もちろん「その責任が女性ばかりにある」というものではない。しかし、同時に「少子化の解決方法は女性が子供を産む以外にはない」という帰結は、少なくとも医学的・生物学的に当たり前のことでしかない。
  このばあい「移民」というのは、「外国人を増やす」ということであって「若い女性を増やす」ということにつながる可能性があるが、しかし、「女性だけの移民を認める」というものではないので、当然に、外国人社会ができてしまうということになる。またAIというのは、一方で「老人であっても働かなくてよい」ということになるが一方で「雇用がなくなる」ということにつながる。つまりは若者が暮らしにくい世の中になることになり、そのことは「子供を産んで育てられない社会」を作ることになってしまうのである。
  まあ、もちろん極論であることは自覚しているが、しかし、その極論の部分が本になって出てきてみると、やはりセンセーショナルであることは否めない事実なのである。
日本から百貨店・銀行・老人ホームが消える日 そんなに遠い未来の話ではありません
 日本の未来を直視する勇気がありますか――発売から即4刷が決まった話題の書 『未来の年表』は、私たちにそんな問いを投げかけてくる。見たくはない。が、直視しておかなければならない問題。今回は、2030年、「何もかもが消える」 日本を見てみよう。
 百貨店も銀行も老人ホームも地方から消えるかつて日本は、田中角栄首相が唱えた日本列島改造論によって開発ブームに沸いた。が、人口が激減する時代においては、日本列島改造論が目指したような「国土の均衡ある発展」の実現などかなわぬ夢である。
 それどころか、内閣府がまとめた報告書「地域の経済2016」によれば、2030年度には全国の80%にあたる38道府県で、域内の供給力では需要を賄い切れなくなる生産力不足に陥ると予想される。少子化に加え、若者の都会への流出が進むことで、地方での生産年齢人口が極端に減ることが主たる要因である。
 生産力不足に陥れば、所得税や法人税といった地方税収の落ち込みに直結し、地方自治体は地方交付税への依存度を高めることになるだろう。それは地域間格差がいま以上に拡大し、地方自治体の自立性までもが損なわれるということだ。内閣府の報告書は、2030年度には地方交付税の総額が現在の1.5倍に膨らむと見積もっている。
 生産力が不足すれば、住民の暮らしに不可欠なサービスも維持できなくなる。われわれは、日々の暮らしをするうえで、自宅周辺のお店に行く。だが、スーパーマーケットや美容院、金融機関にしても、ある程度の顧客数が見込める地域にしか店舗を維持できない。
 国土交通省の「国土のグランドデザイン2050」(2014年)が、三大都市圏を除いた地域において主なサービスごとに立地に必要な需要規模を、「存在確率50%」と「存在確率80%」という形で計算している。
 「存在確率50%」とは、その人口規模を下回ると、廃業や撤退するところが出てくるラインだ。逆に「存在確率80%」とされる人口規模であれば、ほぼ存在し得る。
 たとえば、食料品の小売店や郵便局、一般診療所の存在確率80%は500人だから、その人数規模の集落であればこうした事業は成り立つ。
 一方、介護老人福祉施設では4500人の人口規模なら存在確率は80%だが、500人では50%。銀行は9500人の人口規模の自治体であれば存在するが、6500人になると撤退を始める。一般病院は2万7500人規模の自治体ならほぼ存在するが、5500人になると、あったりなかったりする。
 このように「存在確率80%」を見ていくと、訪問介護事業は2万7500人、相当の知識と経験を持つ医師が常時診療し、設備もしっかりした救急告示病院は3万7500人、有料老人ホームは12万5000人、大学や映画館は17万5000人。公認会計士事務所は27万5000人だ。これらを大きく下回ると、立地が苦しくなり始める。
 経営の限界はどこかでやってくる先に取り上げた内閣府の報告書「地域の経済2016」は、これらのデータをベースに、三大都市圏を除いた自治体のうち、今後の人口減少の影響でどのようなサービスの立地が厳しくなるのかを計算している。
 具体的には、2010年時点の人口規模ならばサービスの存在確率が50%以上だった自治体のうち、2040年には存在確率が50%を割って店舗や施設の撤退が始まる自治体の割合を予測しているのだが、大きな需要規模を必要とする百貨店は38・1%の自治体で立地が難しくなる。
 大学は24・5%、有料老人ホームは23・0%で存続できなくなる可能性が出てくる。救急告示病院(18・3%)やハンバーガー店(22・7%)、公認会計士事務所(19・5%)、税理士事務所(18・3%)などは約20%の自治体で存続できなくなる可能性があると推計している。
 2040年時点での人口規模が2万人以下になるとペットショップや英会話教室が、1万人以下では救急病院や介護施設、税理士事務所などが、5000人以下になると一般病院や銀行といった日常生活の中でよく利用するサービスまでもが姿を消す。
 これに対しては、AIやICT(情報通信技術)に活路を求めればよいといった意見も多い。だが、どんなに技術が発達しようとも、人の手を使わなければできない仕事、人が携わったほうがよい仕事は残り続ける。
 機械化でコストを縮減できたとしても、機械の開発や維持にかかるコストは最低限得なければならない。消費者の絶対数が減ったのでは、やはり経営の限界はどこかでやってくる。問われているのは、人口減少や高齢化に耐え得る社会への作り替えだ。
 政府も国会議員も「国土の均衡ある発展」といった幻想を振りまくことをやめ、何十年も先を見越した対応を取るときである。
発売即4刷が決まった話題の書(amazonはこちらから)
【2030年の日本】まとめ
生産年齢人口が極端に減り、全国の都道府県の80%が生産力不足に陥る
* * *
いかがだろうか。客観的な人口データに基づいて考えると、日本の未来はかなり正確に予測できる。『未来の年表』を読めば、あなたの子供、孫の時代には大変なことが起きる現実にゾッとすると同時に、これからの日本経済を読み解くヒントも得られることだろう。
日本に襲いかかっている「静かなる有事」にどのように立ち向かうべきか――今こそ国民的議論を巻き起こすときである。
現代ビジネス 20170620
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52083
 さて、日本の法律というのは「日本社会の常識的慣習」と「日本社会の道徳観」そこに「同一程度の文化レベル」でできている。つまり、「民法」は、明治時代にその基本がd家いていて、最終的に改正がされている者の、基本的にはフランスの民法が来て、そのまま法制度として根付いたものである。
  さて、その民法が来たと金、中江兆民は「民法出でて忠孝滅ぶ」というような言葉を残しているが、実際に、「忠孝が滅ぶ」のは、現代になってであって、その時代には滅びなかった。ある意味で「忠孝が滅ばなかった」という事実は「民法を作る以前に慣習法的に存在した日本の良き生活習慣や家族制度が機能したために、法律の予定する権利義務の通りに^物事が進まなかった」という、中江兆民から考えればよい方の誤算が生じることになり、そのような状況から、忠孝は亡びなかった。その結果、軍国主義的な状況に進んだという結論は存在する。民法的なことが問題であれば、アメリカから来た進駐軍は、そこに介入して民法も改正していたに違いない。家族法といわれる部分を改正し、それ以外のところは大幅な改正をしなかった。これこそ、「民法そのものが忠孝を滅ぼす危険のある物」だったことは間違いがないのかもしれない。
  さて、このことは何を言っているんかというと、戦前の日本は「義務」によって成立していた時代であった。それは「家長の独裁」ではなく「家長であればより一層自分を律する必要がある」ということになっていたはずだ。しかし、民法が出てきて「権利」ということが重要視されれば「義務」がおざなりになり、そのうえで「義務」が徐々になくなってしまう。権利を主張し、法律を守る、つまり、当時の明治時代のないようからいえば最低限のマナー以下の内容をしていれば「法律は守っている」という、政府の雄三つ気を与えることになる。マナーや忠孝というような、法律の条文として義務として付加できない日本の美意識や恥の文化というものは、すべて「法律を守っているのにそこまでやらなければならないのか」というような言葉になり、そのまま「日本そのものの文化」をこわしてしまうことになるのである。
  以前、まだ私が政治の記者であったころ、よく小沢一郎が「法律に違反しているわけではない。何が悪いのか」というようなことを言っていた。まさに、当時の習近平副主席を天皇に強引に謁見させたことなどは「忖度事件」として名高いが、まさに、そのこと自体が「日本国民としての美意識と義務感」を完全に無視した内容になってしまう。権利と義務をうまく調整できない人が出てくれば、あのような違和感を感じることになり、なおかつ、そのようなものが影響力のある政治家になってしまえば、徐々に日本の文化が破壊されてゆく。その破壊される文化の中において「忠孝」とか「家族制」「家を守るという感覚」などのことがなくなってしまうのである。
  この結果が「少子化」ではないだろうか。究極を言えば「女性が子供を産まないこと」であるが、生まない選択というのは、そのままそのような「権利と義務のバランスを書いた社会を作った全体の責任」ではないかというようなきがしてならない。
  今やすでに手遅れの感があるが、その部分を直さなければならないのではないか。その分を直すことこそ、日本を守ることではないのか。
  ちょっと、今日のブログは理屈っぽいところがあるが、私の基本的に考えていることなので、何となく書いてみたのである。

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コメント

私は40代の男性でリストラにより無職。この年になると将来が不安で、本当は結婚して子供を授かりたく親に孫の姿を見せたいと思うのが普通ではないだろうか。失われた20年と民主党政権の後遺症は40代に重くのしかかり、糸口すら見えないのが現状ではないでしょうか。国よりも身近にある自治体が積極的にならない、困窮をだしにした詐欺が増えているというのに。
働く切掛を見出すようにすれば光はみえてくるのに

投稿: ぱよ | 2017年6月29日 (木) 19時08分

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