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マスコミ批判に関する一考(353) フェイクと報道しない自由によってゆがめられる民意と平和

マスコミ批判に関する一考(353) フェイクと報道しない自由によってゆがめられる民意と平和
 この「マスコミ批判」での内容にはいつも「報道の自由」「言論の自由」ということよりも「報道しない自由」や「言論の責任」ということを中心に書いている。もちろん先週のようにマスコミというよりは、テレビドラマなどの創作物に関する内容に関しても、書いていることがあるのだが、基本的には、報道における「言論の自由」と「言論の責任」が最大の問題になるのではないかと思う。
  基本的に「テレビや新聞はなぜ嫌われるのか」といえば、その報道をもとに判断しても、その判断が間違うということが少なくないということになる。単純に言えば、自民党からっ民主党政権にした時に、報道はその覆うが「自民党はダメだ」しか言わなかった。そして民主党になって見れば鳩山政権・菅政権・野田政権と、暗黒の三年半といわれるほどのあまりにもひどい政権が続くのである。当然に、「民主党政権誕生をあおった」マスコミンに対してその批判の目が向くが、マスコミは、「誰一人として、日本の衰退に関して全く責任を負わない」ということになる。それどころか、つい先日まで民主党政権をあおっていた「同じ人物が」今度は民主党政権を批判しているということになる。この「裏切り」には当然に、視聴者の多くは「呆れる」だけではなく、「報道を見放す」ということになる。
  さて、当時のことになるが、民主主義であるから、民主党政権を待望する言論があってもおかしくはない。一方、その民主主義において、当時の政権を擁護する言論があってっもおかしくはない。その民主党政権だけが「支持がある」かのような内容は、そのまま、ナチスドイツの異常なまでの高支持率と同じであり、そのような民主主義は存在し無いのである。まさに、「マスコミの報道が異常なまでのファシスト政権を作る」という事例の一つであり、そのファシスト政権そのものは「言論の無責任」「報道しない自由」によって作られるのである。
  しかし、現在のマスコミは、「ナチスドイツ」であっても「戦前の軍部日本」デモそうであるが、政治に責任転嫁し、そして、自分たちの報道の責任は全く語らないということになるのである。なぜマスコミは「ファシズムを作り出した罪や責任を問われないのであろうか」ということに、マスコミ自身が全く答えを出さない。
  民衆は、当然のことながら「無責任」な人々の「無責任な報道」に全く興味を示さないし、また、支持もしない。マスコミ離れとはそういうことなのである。
【特集】あふれるフェイク、真実はどこ? 「報道しない自由」の壁
 「フェイク(偽)ニュース」「ポスト・トゥルース(真実後)」といった言葉が叫ばれている。大方のメディアの予測に反しトランプ氏が勝利した昨年の米大統領選のころから使われ出した。日本でも、インターネットではデマや真偽不明の情報が拡散する状況が指摘され、大手紙や地上波テレビといった既存メディアの信頼性も大きく揺らいでいる。「事実(ファクト)」、「真実」はどこにあるのか。
 ▽二つの沖縄
 6月中旬、スイス・ジュネーブで開催されていた国連人権理事会で、沖縄の反米軍基地運動に関して、2人の日本人が正反対の主張を行った。
 14日、「沖縄の真実を伝える会」代表でネットニュースのキャスターを務める我那覇真子さん(27)は「沖縄では地元住民の人権と表現の自由が外から来た基地反対活動家や偏向したメディアに脅かされている」とスピーチ。翌日は「沖縄平和運動センター」の山城博治議長(64)が「日本政府は(反基地活動を行っている)市民を弾圧し暴力的に排除」していると訴えた。
 どちらが本当なのか。我那覇さんの主張は、ネットや一部の新聞が伝えたがごく少数。大半のメディアは山城議長の訴えに紙面を割いた。沖縄の基地問題に関する報道では、反対派の立場により軸足を置くというのが、既存メディアのスタンスとなっていることは否めない。
 ▽情報操作
 反基地の抗議活動が一部で過激になっている面があるのは事実だ。警察庁は、反基地運動に過激派が入り込んでいることを確認しており、公務執行妨害などで数十人の逮捕者が出ている。ネットでは、山城議長とされる人物らが「抗議」と称し沖縄防衛局職員を暴力的に扱う映像が出回っている。
 ネットが普及する以前、大手メディアが伝えたことが「真実」として流通する時代が長く続いた。しかし我那覇さんは「主流メディアは、自分たちの立場に不都合なことは報道しない」と話し、「報道しない自由」と呼ばれる問題を指摘。「でも、今は個人がリアルタイムで、生の情報を発信し対抗できる。情報操作はもう通用しない」と言い切った。
 ▽違和感
 13日には、デービッド・ケイ国連特別報告者が日本の言論と表現の自由に関して演説。同氏は、日本の報道が特定秘密保護法などの影響で萎縮している可能性に言及、沖縄の反基地デモの規制についても問題視した。
 衆院議員の長尾敬氏(自民党)=54=は有志議員数人と共に、ケイ氏が6月上旬に来日した際に一時間半近くにわたって面会、特定秘密保護法の詳細や沖縄の法執行の現状などを説明した。ケイ氏は、日本は言論・表現の自由が高いレベルで保障されていると評価していたという。しかし国連では厳しい日本批判。長尾氏は「私への発言と報告書の文章のあまりの乖離に強い違和感を覚える」と話した。
 面談の中では、ケイ氏は沖縄に行ったことがないことも判明。長尾氏は「現地調査をしていないなんて。どなたかの意見をそのまま書いたということでしょう」とケイ氏の調査手法に疑問を呈した。
 ある特定勢力が、特別報告者に自分たちの意見を吹き込み、国連で発表させる。その「実績」を国内に増幅して伝え、自分たちの活動を展開する―。長尾氏は背後にこうした構図があるのではとの疑念を抱く。「ある意味、ケイ氏ら特別報告者は利用されている」。
 ▽取捨選択
 6月下旬、東京・千代田区で「ファクトチェック・イニシアティブ」発足の記者会見が開かれた。発起人で事務局を運営する日本報道検証機構の楊井人文代表(37)は「ファクトチェックをジャーナリズムの重要な役割と位置づけ推進し、誤った情報が広がるのを防ぐ」と趣旨を語った。
 ただ、我那覇さんが指摘する「報道しない自由」への対処にはなかなか踏み込めない。楊井氏は「偏った情報の取捨選択により全体像がゆがめられるケースがあることを、われわれは経験上知っている」としつつ「どこまでが(各メディアの)編集権の自由で、どこからが逸脱か。非常に難しい問題で(線引きは)慎重に検討しなければならない」と述べるにとどめた。
 ▽危険
 ケイ氏の懸念をよそにメディアの政府批判は旺盛だ。それより最近は、立場を問わずメディア各社の報道内容が一方向に傾き「事実報道」なのか「主張」なのかがあいまいになっている、との指摘がネットなどを中心に増えている。
 地元住民として反基地活動の実態を訴えたいとジュネーブを訪れた沖縄県東村の民宿経営者、依田啓示さん(43)は「きっちり半分ずつでなくてもいい。賛否両論を伝え、読者・視聴者が判断できる報道をしてほしい」と注文。「(批判に耳を傾けず自説を一方的に押しつける)トランプ氏のような指導者が出てきた責任の一端は、そうした報道をしてこなかったメディアにもある。沖縄の報道を見ていると、日本にも同じような危険があると感じる」と話した。(共同通信=松村圭)
共同通信 47NEWS  20170709
https://this.kiji.is/255951668345882107
 今回は共同通信の記事をそのまま掲載した。共同通信の中には、その内容をわかっている人がいるのかということがよくわかる。
  「きっちり半分ずつでなくてもいい。賛否両論を伝え、読者・視聴者が判断できる報道をしてほしい」と注文。「(批判に耳を傾けず自説を一方的に押しつける)トランプ氏のような指導者が出てきた責任の一端は、そうした報道をしてこなかったメディアにもある。沖縄の報道を見ていると、日本にも同じような危険があると感じる」<上記より抜粋>
  これは「反基地運動の実態を伝えたい」という人の言葉であるが、このような言葉オ共同通信が掲載したことにある意味で、「驚き」と「微かな未来」を感じる。
  実際に、「賛否両論を掲載できないマスコミ」というのは、あまりにも情けないし、また、そのような両論併記できないような「言論の不自由」をそのまま放置しておくことがどのようなことになるのかということが、最も大きなことなのであはないか。
  そのことを油調する市内ではなく、そのような「両論あるという事実」「嘘をつかない報道」こそ「自由意思による政治」ということの原点になり、そのまま「民主主義」ということになるのである。報道が語っていて、一方的な報道しかない国において民主主義が存在し無い。
  中国において劉暁波氏が亡くなった。彼が求めたのは民主化政権であるということになるが、しかし、その民主化の前提として「言論の自由」が必要なのである。その言論の自由があること、言論の自由を求めることが、中華人民共和国においてはどれほど大きな困難であり、そして、難しいことなのかということが非常によくわかる。
  これに対して、日本は「言論の自由」がある。何しろ政権に反対する言論がこれほどあふれているような国は存在し無い。しかし、同時に、「言論の自由があるにもかかわらずマスコミ自身が言論の自由を放棄し反政権の言論の不自由・言論の無責任となっている」ということが現在の日本だ。そしてそのことを指摘すれば「言論の自由を侵害する」と大騒ぎする。はっきり言って「無責任」「責任転嫁」のオンパレードで、視聴者・読者・有権者は完全に、マスコミを見限っているということをいまだにだれもわかっていないのではないか問う気になる。
  何も「政権批判をやめろ」といっているんではなく「両論を併記しなければ、ファシスト政権ができる」つまり「マスコミが平和を乱している」ということを指摘しているのである。
  これが現在のマスコミであり、そのような「偏向報道しかできない」マスコミは早く滅びてもらわないと、世界平和は訪れないのである。

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コメント

結構な割合で「マスコミ(mass communication)」と言うより「マスプロ(mass propaganda)」ですね。

投稿: うめ | 2017年7月17日 (月) 07時19分

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