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宗教の戒律による対立で殺人事件が起きるという矛盾、インドにおけるイスラムとヒンズーの対立について

宗教の戒律による対立で殺人事件が起きるという矛盾、インドにおけるイスラムとヒンズーの対立について
 宗教のことなどは、普段は有料メルマガ「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」(http://www.mag2.com/m/0001647155.html)の方で行っているので、あまりこのブログでは書かないようにしているのであるが、まあ、ニュースになって話題になったときくらいは、書いてみようかと思う。
  なぜ、ブログでは宗教をあまり扱わないのか。基本的に、ブログのような短い内容で(とはいってもかなり私のブログは長いのであるが)宗教やそれに帰依する敬虔な信者の心境などを書くのはかなり難しいと思っているのである。もちろん、私自身が宗教の敬虔な信者ではないので、その心境などを理解することは難しい。しかし、そのような環境を社会的に分析することや、あるいはそれに反発する人々の社会的ない状況を書くことはできるのであり、その内容をいかに考えるのかということが最も重要なのではないか。
  単純に、個人の信教の自由は問題ないしどのような神を崇拝していてもそのことをとがめる必要はない。例えば、だれかを尊敬しているといっても、そのことが社会的に影響がなかったり、あるいはそのことによってほかの人に影響を与えるような行動をとらなければ、そのことに書煮てとがめだてする必要ないと思う。また、ある程度許容できる範囲内における行動の自由も問題はないのではないか。しかし、そのことが社会的に影響をされたり、あるいは異教徒への排撃につながるというような感じになった瞬間に、問題は非常に大きな問題になるのである。つまり、「戦争」「殺人」というような社会的な影響を持つことになるので、その内容をいかに考えるのか、また抑止するのかということが必要になってくる。
  では、宗教の場合は、なぜそのようになってしまうのか。単純に、ン本で言えば仏教用語で「現生利益」という言葉があるが、現在生きているこの状況での良いことを求めるという考え方があるが、一神教の一部の宗教の場合は「来世思考」つまり、現世に重きを置いていないで、来世、つまり死後の世界で自分の魂が救われるということを望む。そのために、魂が救われるために現世においての行動を規定するということになる。しかし「来世」は誰も知らないのであるからその人の思い込みなどによって構成されるということになるのである。
  そのような内容をしっかりと短い文章で書くことはかなり難しいのである。
牛肉理由に殺害相次ぐ=イスラム教徒「次は自分」-インド
 牛を神聖視するヒンズー教徒が人口の約8割を占めるインドで、牛肉の流通を担う少数派イスラム教徒が「次に殺されるのは自分かもしれない」とおびえる毎日を送っている。ヒンズー至上主義を掲げる与党インド人民党(BJP)の台頭に伴い牛肉の流通規制が進んだ。しかし、それだけでは飽き足らないヒンズー過激派が、牛肉を理由にイスラム教徒を殺害する事件が後を絶たない。
 牛肉の産地として有名な南部カルナタカ州の州都ベンガルール(バンガロール)。イスラム教徒地区にある牛肉店の男性店員(24)は「5月以降、売り上げが4割減った」と嘆いている。政府は5月、食肉処理を前提とする牛の流通を禁止する法令を出した。最高裁が「個人の自由の侵害」を理由に法令を差し止めたが、流通規制の流れは確実に強まっている。
 6月には首都ニューデリー近郊で、牛肉を運んでいた少年がヒンズー過激派に殺害される事件が発生。インド紙タイムズ・オブ・インディアによると、BJPが総選挙で勝利した2014年以降、同様の事件でイスラム教徒23人が死亡。殺人未遂も少なくない。暴力は激しさを増している。
 店員は、売り上げの減少について、ヒンズー至上主義の高まりを客が恐れた結果だと指摘した。来店した男性客と口をそろえて「BJPの政府になってから、後ろ盾を得て過激派が勢いづいた」と主張、命の危険を感じて暮らしている現状を訴えた。
 特定の宗教を国教としないインドでは、食生活や婚姻などで各宗派の権利が尊重されてきた。しかし、BJPの台頭で寛容さは失われつつある。ベンガルールの牛肉業者団体幹部は「牛を守るためのヒンズー教徒の『自警団』が存在する。殺人事件に至らなくても運搬用のトラックを乗っ取られる事件も月に6、7件は起きており、商売を妨害されている」と話す。
 さらに「イスラム教徒だけの問題ではない。ヒツジやヤギの肉は高く、貧しい人々は牛肉か鶏肉を食べてきた」と指摘する。「牛肉が流通しなくなれば鶏肉の価格も高騰し、貧しい人は肉を食べられなくなる」と影響の大きさを訴えている。
 
時事通信社(2017/08/27-14:50)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017082700297&g=int
 今日の記事はインドの記事である。インドの与党が「インド人民党(BJP)」という政党になり、そのことによって「ヒンズー教至上主義」ということになり、そのことによって様々な生活に支障があるということになっている。ちなみに、ここではイスラム教徒に対して厳しいということを言っているが、イスラム教徒は、基本的に自分たちの宗教の国家を作り、それを拡大し、そのうえテロまで起こしているのであるから。インドのヒンズー教に対して様々言うのはいかがなものかというような感覚もない。これは主教の自由と他の宗教に対する寛容性が足りないということを意味しているので会って、その寛容性の欠如は、まさに、イスラムにもキリストにもヒンズーにも共通するものである。このように考えると、日本の神道がいかに素晴らしいかがよくわかる。
  さて「インド人民党」は、ラーシュトリーヤ・スワヤンセーヴァク・サング(民族義勇団:RSS)とヴィシュヴァ・ヒンドゥー・パリシャド(世界ヒンドゥー協会:VHP)とスワデーシー運動の団体スワデーシー・ジャガラン・マンチ(SJM)というヒンズー至上主義の支持団体を抱えており、イスラム教やキリスト教をインドの価値観に合致しないとして批判する政党である。2014年の総選挙前に、ナレンドラ・モディがインド人民党選挙運動委員会会長就任。選挙ではインド国民会議を向こうに回し、インド人民党が圧勝。このことによって、インドの政権はヒンズー至上主義的な制作になっている。
  そのことは、「牛を殺すな」ということになり、豚肉を食べず牛を食べるイスラム教徒にその矛先が向いているということになるのである。当然に牛は、ヒンズーにおいては神の使いであり、そのことを理解しない日本人が、インドにおいて不利益なことになったり、あるいは、犯罪に巻き込まれるということは少なくない。インドにあっては「野良牛」なるものがあり、それが道路をふさいでしまって大渋滞になるということも少なくない。神格化するということは、まさにそのような一見おかしいと思う矛盾を包含することになってしまう。
  イスラム教徒は豚を食べられないので、牛の肉に生活を頼る。
  に「イスラム教徒だけの問題ではない。ヒツジやヤギの肉は高く、貧しい人々は牛肉か鶏肉を食べてきた」と指摘する。「牛肉が流通しなくなれば鶏肉の価格も高騰し、貧しい人は肉を食べられなくなる」<上記より抜粋>
  しかし、豚肉を食べればよいのであるが、なぜか「鶏肉」だけに限定されていることを見てみれば全く矛盾をもつけることができる。まさに宗教戦争の内容を示してきているのではないか。
  さて日本人は、このようなことに寛容ではあるが理解はできない。そのことが日本人の観光客が犯罪に巻き込まれる原因になっている。そのようなことがあってはならないので、今回はあえてブログに書いて注意を喚起したつもりである。

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