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マスコミ批判に関する一考(395) 池上彰氏の「タレントキャスターはいらない」という主張に賛同しながらも「お前はどうなのだ!」

マスコミ批判に関する一考(395) 池上彰氏の「タレントキャスターはいらない」という主張に賛同しながらも「お前はどうなのだ!」
 まず先に断りを入れておくが、単純に「ニュースを語る」という資格は存在し無い。そこで、誰がどのようにニュースについて語ろうと、または感想を言おうとそのことに関しては、全く問題がない。ましてや「居酒屋政談」のようなものを取り締まる必要性などは全くないと思うし、また、その内容は私と全く意見が異なろうと、そのことは個人の自由であり、また思想信条の自由である問解釈する。また、そのような内容に関して、その政談が少なからず他の人に影響を与えるということがあっても、そのことは大きな問題ではない。もちろん、その人の声が異常に大きく、数万人に届くとなっても、それは個人の資質の問題であり、そのことに関して別段問題が生じることではない。つまり、その人の意見の影響力そのものは、それが拡大して、様々な人のところにおいて大きな影響を与えたとしても、それは、その人のパーソナリティの中の一つであると考えている。
  そのうえで、私はこの連載やほかのブログなどにおいても「テレビのコメンテーター」ということに関しては、非常に不快感を感じるということを表明している。もちろん、その意見が私と同じであれば、私は追認されたような気になって、気分がいいこともあるが、しかし、実際にそれであってもあまりよくはないと思っている。つまり「公共の電波において、公平性・中立性を無視した個人的意見を垂れ流すというのはあまりよいことではない」と思っているからである。実際に、その意見が「個人の意見」であったとしても、いや、その意見が個人的であるからこそ、当然に対立意見やたい肥意見を言い、中立性を保つ必要があるのではないか。
  実際に、本来であれば「視聴者」が、選択権を持っているのであって、その選択肢をテレビがあらかじめ減らしてしまうというのは、まったくもっておかしな話であり、そのようなことをしてはいけない。それは民主主義の中において、「国民有権者の自由意思」を阻害するものでしかなく、そのような電波の使い方は「民主主義の敵」でしかないのである。もちろん、上記にあるような声の大きな人に関しても、その点は気を付けてもらいたいが、しかし、「電波」という公共財を使っているわけではない。単純に「私信」または「自分の声」でしかないのであるから、そのことに関してはとがめようがない。そのようなことで公共財を使うということがおかしいのである。
  さて、今回の池上彰氏の意見は、その点において、共感できるものである。まずはそのことを表明する。
池上彰氏、タレントキャスターをバッサリ “芸能人がニュースを伝える”のは日本ならでは
 池上彰氏が6日、『文春オンライン』(文藝春秋社)のコーナー内で、ニュース番組に芸能人が出演していることについて苦言を呈し、物議をかもしている。
 サイトでは30代会社員から「最近はテレビのワイドショーや報道番組にジャニーズ(事務所所属のアイドル)をはじめ、たくさんの芸能人が出ている。芸能人が報道に大きく関わっていることについて、どう考えているか」という質問が寄せられる。
 これについて池上氏は、個々の番組の方針についてコメントすべき立場にないと前置きしながらも「ニュースを伝えたり、解説したり、コメントしたりする役割を芸能人が務めることには違和感を禁じ得ない」と指摘した。
 続けて池上氏は「人気タレントが画面に出ていれば視聴率が稼げるだろうという、さもしい発想が透けて見える」とバッサリ斬り捨てた。さらに「聞き手に芸能人がいる演出はありだとは思いますが、芸能人がニュースを伝えるのは国際的に見て日本ならではの奇観」とまで言い切った。
 さらに「ニュースを伝えるのは現場取材を積み重ねたジャーナリスト。関心のなかった芸能人にカンペを読み上げさせるのは不思議な光景」と、改めてキャスティングに苦言を呈した。最後は「日本のテレビ界はプロの仕事はプロに任せるというルールが確立していない。ニュースはニュースのプロが伝えるべきだと思っている」と断罪して締めた。
 池上氏の言うように、昨今は『ビビット』(TBS系)で司会を務める国分太一や、『NEWS ZERO』(日本テレビ系)の櫻井翔、『news every』(TBS系)の小山慶一郎、『めざましテレビ』(フジテレビ系)の伊野尾慧、『週刊ニュースリーダー』(テレビ朝日系)の城島茂、『サンデーLIVE!!』(同)の東山紀之など、ジャニーズ事務所のタレントがニュース番組に数多く進出している。
 さらに『スッキリ!』(日本テレビ系)の加藤浩次や『NEWS ZERO』(同)の又吉直樹など、お笑い芸人のニュース進出も進む。池上氏のように“報道畑一筋”で仕事をしてきた記者にとっては隅に追いやられている心境なのだろう。
 芸能人キャスターたちのコメントはテレビ局の意を受けたものも多いと視聴者が受け取ることがある。オリジナリティには欠けているとの指摘は後を絶たない。池上氏の言うように「視聴率稼ぎで人気者を起用している」と指摘されても、仕方がない状況ではある。
 池上氏のコラムを見たネットユーザーからは、「その通りだと思う」「見た目で選んでいるだけだと思う」「よくぞ言ってくれた」などと共感する声が続出した。中には「芸能人キャスターは的外れなことばかり言う」「ニュースを茶化して笑いにする出演者は要らない」とニュース番組に出演する芸能人をこき下ろす声もあった。
 一方、池上氏の指摘には反論もあった。「誰がやってもテレビ局の意を受けたコメントになるのだから顔がいい人間がやればいい」「ジャーナリストがやっても一緒」「台本を読むだけでしょ」「池上氏のように自由に発言できるジャーナリストはすぐ切られてしまう」との声もあり、賛否両論となっている。
 池上氏の言うように、本来はニュースのプロが担当すべきなのだろうが、視聴率ほしさに人気タレントを起用せざるを得ないのが報道番組の現状。視聴率至上主義を改めない限り、体質改善は難しいかもしれない。
2018年06月06日 21時00分 リアルライブ
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12184-40628/
 「聞き手に芸能人がいる演出はありだとは思いますが、芸能人がニュースを伝えるのは国際的に見て日本ならではの奇観」<中略>さらに「ニュースを伝えるのは現場取材を積み重ねたジャーナリスト。関心のなかった芸能人にカンペを読み上げさせるのは不思議な光景」と、改めてキャスティングに苦言を呈した。最後は「日本のテレビ界はプロの仕事はプロに任せるというルールが確立していない。ニュースはニュースのプロが伝えるべきだと思っている」と断罪して締めた。<上記より抜粋>
  ここに池上彰氏の言葉をン浮き出した。では、どうなのか、
  まず一つ目の鍵カッコにある通り、「視聴率稼ぎの芸能人がニュースを伝える」という風習があるのは、基本的には日本だけの奇観ということには賛同する。実際に私も数多くの国に行って、その国のニュースを見ることがあるが、実際に、そのニュース番組に、何か番組や映画の告知があって芸能人が来ていることがあり、その時に限って何らかの意見を言う場面はあるが、しかし、実際には、そのようなコメントも避けるのが海外の芸能人である。では日本ではなぜこのようなことが許されているのか。それは「宗教」「民族」「イデオロギー」に大きな違いがないということから、適当に誰が言ってもよいというような風潮があり、また、テレビ局が適当にカンペを出してそれを読むというようなことになっているからであり、そのような風潮のテレビでは、俳優であっても、いやカンペを読むのであれば芸能人の方がうまく読めるということになる。
  その意味では二つ目の鍵葛根である「カンペを読み上げさせる」ということも同様であろう。これが、日本のテレビ局の奇習であり、日本特有の話である。自分の個人の自由意見を言うことができないという謎の状態がテレビでは横行しており、出演者の芸能人の個人的な意見や思想信条の自由も全く無視されている「実験無視」が行われているのである。またその状態に、「芸能事務所に迷惑をかけるから」とか「干されるから」といって、まったく反対や抗議の声を上げない日本の芸能界もまたおかしなものである。「社畜」という言葉があるがまさに「テレビ畜」でしかない。
  さてそのうえで、池上氏の意見に大きく違うのはその次だ。つまりニュースのプロなどというのはいない。ニュースのプロは、池上氏は「ジャーナリスト」と思っているのかもしれないが、実際に刃、ジャーナリストは汽車であり、その事件に関しては取材をしているかもしれないが、しかし、それを「伝える」プロではないし、また、ジャーナリストには資格なども存在し無い。資格もないような状況で「プロフェッショナル」を語ることはおかしいのである。同時に、池上氏自身がすでに現在自分で取材をしたことをテレビで話しているものでもなく、実体としては、テレビディレクターなどの調べた内容をタレントとして話しているのに過ぎない。それだけにテレビでの発言は間違いが多く、話にならないような状況も少なくないのである。
  そのように考えれば「テレビ局の意向に左右されない報道者としての使命」を池上氏が完遂しているとも考えられないし、また、プロという制度がないことを、さも自分がプロフェッショナルであるかのように語っていることも、何となく違和感がある。その辺を「自分の立場」を考えて物事の発言をすべきではないか。
  なお、もちろん当然のことながら、私自身のこの文章も自分のことを棚に上げていることは間違いがないのである。

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