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いま国民が政治に期待するものは何かという答えの一つがあるのかもしれない

いま国民が政治に期待するものは何かという答えの一つがあるのかもしれない
 「みんなの党」という政党があったのを覚えている人がいたであろうか。民主党政権ができる前に、自民党の中がかあんり荒れていた。特に行政改革を行うということが大きな内容になっており、その内容の路線対立で非常に大きな問題になった。
  そもそも行政改革とか構造改革というのは、政治的には左翼・革新の勢力が言うことであった。しかし、小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」という言い方をして行政改革を行い、郵政民営化などを強行したのである。このことから、その後の安倍・福田・麻生内閣が「小泉純一郎的な構造改革を行う改革者」であるかのごとき視点で物事を見られてしまったのであるが、残念ながら、壊した後は作らなければならない。それでなけれは正常な発展はないのである。そのために必要なものは何かということになる。
  与党自民党が「破壊する政党」ということになってしまった場合、そうではなく「構築する保守政党」が必要になる。ある意味で「改革後の日本を作る政党」ということになる。民巣y党政権ができたとき、鳩山由紀夫も。小沢一郎も、渡辺恒三も、自民党出身であったし、小泉などとは違って構築できるのではないかという錯覚を持っていたし、菅直人などは、自社さ連立政権で大臣経験があるので、多くの国民は民主党政権を保守の政権であると思っていたようである。
  しかし、民主党はそのような政党ではなかった。みんなの党も「改革」をもとに作ったために「破壊型革新政党」になってしまった。当時、雑誌の中で「みんなの党は第二民主党である」と論文を掲載したことがあるが、まさに、小選挙区において自民党に対抗する政党というような感覚にしかならなかったということになるのである。
  さて、今回話題になったのは「みんなの党」が第三極の保守政党でありなおかつ「構築型政党であるという前提」である第三極保守政党を望んでいるという分析が出ている。もちろん、そのことは、実は誰でもわかっているのであるが、ではぐたいてきに「誰ができるのか」ということになると政治家の名前が挙がってこないのが現状なのである。
【日本の解き方】「みんなの党」は復活するのか 保守系第三極の受け皿狙う…政策重視かイメージ重視か
 渡辺喜美参院議員が統一地方選に向けて「みんなの党」として候補者を公募する意向を示している。みんなの党が復活する可能性はあるのか。どのような層の有権者の受け皿になることができるのか。
 みんなの党は、2008年8月に結党し、14年11月に解党した。これまでの国政選挙での実績を振り返ると、いずれも比例で、10年7月の参院選では、794万票(13・6%)で11議席獲得、12年12月の衆院選では525万票(8・7%)で18議席、13年7月の参院選では476万票(8・9%)で18議席と、一定の存在感があった。しかし、14年12月の衆院選直前に、党の内紛で解党した。
 政党としては、保守系第三極という位置付けだった。自公は保守系第一極、旧民主党が革新系第二極、共産その他は革新系第三極となっていた。
 経済政策については、自由主義的な小さな政府論、雇用確保のマクロ経済政策。安全保障では憲法改正賛成で、外交はリアリズム路線だ。日本維新の会と政策の中身は似ており、維新は関西圏に強く、みんなの党は首都圏に強かった。
 首都圏における保守系第三極という政治ポジションには一定の支持者がいるようだ。ちなみに、16年の都知事選で小池百合子氏は291万票をとったが、その中には保守系第三極の支持者も含まれていたはずだ。
 ただし、現状では、首都圏の保守系第三極の票を取りに行く有力な政党は見当たらない。そこに、みんなの党が挑み、受け皿になりたいのだろう。
 選挙は「政策」と「政治家の人柄・雰囲気」という2つの軸で競う。政策によって党の基礎基盤票が作られ、政治家の人柄・雰囲気は時として「風」を起こし、党勢を一気に拡大させたり減少させたりする。
 みんなの党の政策は、前とまったく同じである。今のアベノミクスの先取りのところもあり、一定の実績もあるといってもいいだろう。その点において支持者がいるのではないか。
 政治家の人柄の点では、どういう人が集まるのかわからない。今のところ渡辺氏だけが分かっているが、党を内紛で分裂させたマイナスイメージがあるのは避けられない。
 要するに、政策の良さと政治家のマイナスイメージのどちらが勝るのかが、選挙結果に反映されることになるだろう。
 7月の参院選に向けて、政治の動きは慌ただしい。旧民主党が3分裂したので、革新系では、選挙協力「互助会」ができようとしている。分裂したものの、統一候補を擁立しようとする動きが全国各地で見られる。そうした中で、有権者の選択肢が広がるのは望ましいので、みんなの党が出てくるのはいい傾向だろう。
 みんなの党が以前のように復活するかどうかは、今後どのような候補者が集まるか次第だろう。いずれにしても、ダブル選挙も噂される7月の参院選に向けて、各党において熾烈な政治サバイバルが繰り広げられるのは確実である。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)
zakzak 20190116
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/190116/soc1901160010-n1.html
 さて、高橋教授には悪いのであるが、そもそも政治家を「破壊型」と「建設型」と「持続継続型」そして「それ以外」に分けて考えなければならない。
  破壊型の政治家の後に破壊型などをいくら捕まえても何の意味もないのである。つまり、まずは「既存の制度や古くなったシステムを壊す」ということが必要である。そしてその次に「新たな時代に合った形」に作り替えて、建設しなければならない。そして不具合を調整しながら、その建設したシステムを持続してゆくということが必要。それでも制度疲労になったらまた壊すということが必要になる。
  今まで見てみればわかる通り「小泉純一郎」「小沢一郎」いずれm「破壊型」の政治家であり、なおかつ、みんなの党の渡辺喜美も「破壊型」でしかない。まあ、破壊型の中でおレベルわけが必要であると思うが、実際にそのレベルでも渡辺喜美あたりになるとレベルが低い方の部類である。
  いずれにせよ、現在期待されている「建築型の第三極保守政治家」とは程遠い存在ではないかと思う。実際に、「第三極」が必要であるとは思うが、それでも、二音はいままで「渡辺喜美のみんなの党」「橋下徹の維新の会」「小池百合子の希望の党」と、三種類の第三極政党を出したが、しかし、いずれも「破壊型」のやり方で話にしかならなくなってきている。「第三極」ということまではできても、それ以上の「自分の社会における役割」ということでは全くできていないのが、現在の政治家ではないか。
  そのような意味で「建設型の保守」がいるのか、ということが全くの疑問である。
  まあ、今のまま渡辺喜美氏に期待しても依然と同じ結果に時価ならないと思われr単純に言えば、民主党政権と同じで、なぜ自分がダメであったのか、なぜみんなの党は解党の憂き目にあったのかなど、その反省が全くできていない。結局「名前がある」というだけで、それ以外の何も来たできると事がないというのが大きな問題である。
  渡辺喜美に期待するのであれば、その「アジェンダ」などということを言わずに、しっかえいrと政策で勝負し、その政策がぶれなように、そして抵抗勢力のようにはならないように、しなければならない。今日本国民が求めているのは、「真の国士」であるはずだ。過去の、みんなの党が国士になりうるのか。そのことを考えるべきではないか、

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