ニュース

マスコミ批判に関する一考(346) 皇室への敬意もプライバシーもモラルもなくなったマスコミの報道姿勢

マスコミ批判に関する一考(346) 皇室への敬意もプライバシーもモラルもなくなったマスコミの報道姿勢
 私のブログにも書いたが、秋篠宮眞子内親王と、ご学友の小室圭氏の御婚約に関して、まずは祝意を表したい。
  さて、これら慶事において、報道機関はさまざまな報道を行いたいと思うものであるし、また、独自の報道を行わなければならないというような使命感も存在する。当然に、q『うこの報道に関しては、加熱することになるし、また、その報道において、めでたいことであるがゆえに、多少羽目を外してしまうというようなこともあるのかという気がするが、しかし、その「羽目を外す」ことの限度というのはどの辺のところまで許されるのであろうか。
  現在のマスコミは、戦後70年を超えて、天皇陛下や皇室に関して、芸能人か犯罪者であるかのような「プライバシーを全く感じさせない」報道しかなく、あまりにも下品な法幢が多いことに問題を感じるのは、私ばかりではあるまい。もちろん、「開かれた皇室」として、皇室に関する報道を広く国民に示され、なおかつ、その内容に関して、皇室を知ってもらうということをお考えいただいているのは、天皇陛下ご自身であり、なおかつ、皇室の皆さんの考え方であることは間違いがない。しかし、「開かれた」ということと「プライバシーを考えなくてよい」ということは、全く異なることである。「開かれた皇室でよい」というのは、基本的には、戦前のそれまでになんでもタブー視されていた皇室を、なるべく国民に理解していただくということであり、アイドル的に何でも公開してよいと言うものでもなく、また、限度なくつけまわしたり、パパラッチのようなことをしてよいというものではないのである。
  なぜか、「放送禁止用語」とか「差別用語」のようなことの自主規制は厳しいくせに、マスコミは、日本国の象徴である天皇陛下や皇室に関しての報道の自主規制や、プライバシーなどに関する内容がない。つまり、皇室に関しての報道だけ、結局最もひどい報道になってしまっている。
たけし、小室圭さんとのLINE明かした番組スタッフに激怒「相手を誰だと思ってるんだ」
 20日放送のTBS系「新・情報7daysニュースキャスター」(土曜・後10時)では、秋篠宮家の長女・眞子さま(25)と婚約するとされている国際基督教大時代の同級生・小室圭さん(25)の「親友」と称する番組スタッフがVTR出演した。
 VTRでは、小室さんの親友と話す番組の女性スタッフと、中学から友人と話す女性2人が登場。女性スタッフが小室さんをニックネームの“KK”と呼ぶなど、初めって会ったときの会話やLINEのやりとりを赤裸々に告白した。さらに眞子さまとの交際秘話も明かした。
 これに対してタレントのビートたけし(70)が激怒した。「何なんだウチのスタッフは。何なんだあのしゃべり方は。バカ野郎。相手を誰だと思ってるんだ。ふざけやがって。ラーメン屋の親父じゃないんだ!」と憤った。
 VTRを見ていた一般視聴者もSNSで「小室さんとのLINEを晒すとゆー ないわー」「親友って、自称じゃないのかな?あの女性たち、眞子さまの立場をわかってるのかな…」「たけしよくぞ言ってくれた」「たけしさんが一喝してて良かった。あんな話し方はさすがに失礼だろう」など批判が相次いでいる。
 
スポーツ報知  20170520
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170520-OHT1T50241.html
 さて、この件に関して武が怒った。
  VTRでは、小室さんの親友と話す番組の女性スタッフと、中学から友人と話す女性2人が登場。女性スタッフが小室さんをニックネームの“KK”と呼ぶなど、初めって会ったときの会話やLINEのやりとりを赤裸々に告白した。さらに眞子さまとの交際秘話も明かした。
  <上記より抜粋>
  そもそも、婚約が決まった時点で「皇室の関係者の仲間入り」である。要するに、それまでの「ICUの同級生」というのとは全く異なるものであり、その内容が全く分かっていない。基本的にテレビ局というのは、不敬であるということに関して、全く感知しなくなってしまっており、その内容に関して講義をするような人もいなくなってしまっているのである。そのようなことに関して言えば、とてもとても、話になるようなものではないのである。
  そもそも「天皇さま」「皇后さま」という呼称自体が、ネット上では問題視されている。基本的には「天皇陛下」「皇后陛下」であり、また「皇太子殿下」「皇太子妃雅子妃殿下」というのが普通であろう。別にほかの国に合わせる必要はないが、しかし、世界各国どの国であっても王族・皇室に対しては「陛下」という称号を使うのが当然である。先日「三代目007」のロジャー・ムーアがなくなったが、その007の映画の中であっても、あるいは、それをコミカルにした「ミスタービーン」であっても「女王陛下万歳」であり、「女王陛下のために」であり「女王様のために」などというような訳文をすれば、日本に対して配給はなくなってしまう可能性もあるのだ。
  本来それくらいの敬意を払うのが普通であり、その呼称を「低くする」ということは、基本的には「開かれた皇室」とは何ら関係がない。
  当然に、小室氏に関しても、今は一般人であるが、しかし、眞子内親王殿下と結婚すれば、眞子内親王殿下が皇籍離脱されるとはいえ、その弟君の悠仁親王殿下が天皇陛下になる可能性がある。その人に向かって、抜粋したようなことを言うのはいかがか。もちろん、それくらい親しかったということはあるし、また、婚約する前にそのようなことがあったとしても良いと思う。それは婚約されるかどうかもわからないのであるから、さまざまなことがあるだろう。しかし、御婚約が決まる前と決まった後の話を変えなければならないのではないか。それくらいのモラルや経緯が最低限あるのが本来のマスコミであり、それができないのが今の日本のマスコミの真の姿である。
  現在のマスコミは、教師・政治家・弁護士・医師など、すべての権威に対して「権威の否定」を報道しているようである。しかし、そのことが権利教育にはなっている者の社会的な義務を行う人がいなくなり、日本がばらばらになるということにある。そのことによって日本という美しい国が破壊されようとしているのである。世の中権利だけでうまくゆくものではない。集団である以上、我慢することもあれば、理不尽に感じることもある。しかし、そのことがあって、集団が維持されているということ、そのために舌がwな開ければならないことはたくさんあるということ、そしてその従うことが義務であるということ。その義務によって守られた集団によって権利が発生しているということ、そのような根本の原理をしっかりと報道すべきではないのか。
  その最たるものが、皇室報道である。
  「何なんだウチのスタッフは。何なんだあのしゃべり方は。バカ野郎。相手を誰だと思ってるんだ。ふざけやがって。ラーメン屋の親父じゃないんだ!」と憤った。<上記より抜粋>
  たけしのこの言葉が、今のマスコミすべての報道姿勢に言えることではないのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

奉祝 秋篠宮眞子内親王殿下御婚約

奉祝 秋篠宮眞子内親王殿下御婚約
 本日は、短いかもしれませんが。
  秋篠宮眞子内親王殿下がご学友の小室圭氏とご婚約される運びとなりました。
  謹んでお祝い申し上げます。
 
  さて、この内容に関して、さまざまな報道が過熱し、失礼・不敬な内容の報道が少なくありません。そもそも「内親王殿下」としっかり記載している報道が少ないことが非常に気になります。
 「開かれた皇室」というのと、「敬意を払わなくてもよい」ということは違います。
  そのことをしっかりとわきまえて報道をしていただきたいと思います。
  同時に、普段「天皇制反対」とか言っている集団を中心に報道をしているような報道機関が、このような祝賀になると、突然報道を過熱させ、芸能人並みの報道を行うことに、非常に不快感と、二枚舌への不信感、そして、不敬を感じます。
 
  まあ、そのようなことは別にして、眞子内親王と小室氏には、つつがなくおすごしいただき、御結婚され、元気なお子さんを生んでいただけること、そのことが日本国民の多くの「希望」になることを願います。
 
  なお、本日は、海外からも祝福が届いているという記事を紹介いたします。
  記事の後ろには、今日は何も書きませんが、糸をお汲み取りください。
 
  改めて、おめでとうございます。
「素晴らしいニュース」眞子さまに海外から祝福
 【ロンドン=森太、角谷志保美、ジュネーブ=笹沢教一】秋篠宮ご夫妻の長女眞子さま(25)が婚約される見通しとなったことについて、眞子さまが留学生活を送った英国などのゆかりの人々から祝福の声が上がった。
 「素晴らしいニュースで、みんな興奮している。幸福を祈っています」。眞子さまがボランティア活動に携わった英中部レスターにあるニュー・ウォーク美術館の女性スタッフはうれしそうに話した。
 眞子さまは2014年9月から約1年間、レスター大大学院で博物館学を学び、文学修士の学位を取得された。留学中は同美術館で休日などに開催される幼児から小学生を対象にした美術講座で、子供たちの指導を手伝っていた。
2017年05月17日 08時43分 読売新聞
https://news.nifty.com/article/world/worldall/12213-20170517-50022/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に関する一考(344) アメリカでも話題になっている「報道の役割」という議論

マスコミ批判に関する一考(344) アメリカでも話題になっている「報道の役割」という議論
 報道というのは、いったい何であろうか。
  「報道」という単語をいつものようにネットで調べてみる。まあ、いつものごとく無料のブログなので、Wikipediaで「報道」を見てみると、まず、気になるところ「この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。」というような書き込みがある。そのことを了解したうえで、まず「報道」とは何かを考えてみよう。
  <以下抜粋>
  報道(ほうどう、英: Report)とは、ニュース・出来事・事件・事故などを取材し、記事・番組・本を作成して広く公表・伝達する行為であり、言論活動のひとつである。報道を行う主体を報道機関、報道の媒体をメディアと呼ぶ。
  報道は表現の自由に基づく、報道の自由や知る権利に支えられている。反面、報道は客観報道の原則を守らなければならないとされる。
報道は報道を受け取る大衆との信頼関係の上に成り立っている。 この為、報道は事実に基づいたものである必要があり、事実を追求するための取材が不可欠である。 憶測や推測に基づく記事は、信憑性が失われる原因となり、結果として信頼関係を失うこととなる。 取材をして裏付けを取り、事実を報道することが、報道の原則である。
 一方で日本における客観報道の定義は曖昧であり、客観報道そのものに疑問を呈する意見もある。客観報道の定義は人によって千差万別で、定まった合意がないからである。記者クラブが持つ問題点と併せ日本の報道機関の偏向報道体質はよく批判され、客観報道は空想でしかないとの意見もみられる。
  <以上抜粋>
  さて、新聞などは、「社会の公器」として国民の「知る権利」を守るため、公正中立な立場で正しい報道を行なうことが求められ、テレビ・ラジオといった放送事業は放送法により規制され、総務省から限りある周波数の割当てを受ける免許事業であり、許認可がなければ報道を行うことができない。
  新聞は、テレビなど電波媒体と異なって許可もないために、背景や今後の影響についてまでも言及することができる。また、社会に渦巻く矛盾や国民の不安やわだかまりなど、社会に大きな影響を与えるような問題を、一定期間に連続して記事掲載を行なう「キャンペーン報道」を行うことができる。
  しかし、その報道は、あくまでも「公平中立」であることが求められるのである。これは、日本もアメリカも変わらない。ここに取り上げた中に「批判勢力」とか、「批判精神」などということは全く書かれていない。当然に、これ等の内容に関して、「批判しかしない」のでは報道としての立場がおかしいということになるのである。
報道の役割めぐり溝深まる=支持政党別で大きな違い-米世論調査
 【ワシントン時事】米調査機関ピュー・リサーチ・センターは12日までに、メディアが政権の監視役を担うことの是非について、米国民の間で支持政党別の意見の違いが過去最大に広がったとする世論調査結果を公表した。共和党のトランプ大統領が政権への批判的報道を「偽ニュース」などと繰り返し非難する中、メディアの役割をめぐる国内の溝が深まっていることが明らかになった。
 調査は3月13~27日、4151人を対象に行われた。「メディアの批判によって、政治指導者らは、すべきでないことをしなくなる」と考える人の割合は、民主党支持者ではオバマ政権だった2016年の74%から89%に上昇。逆に共和党支持者では77%から42%に急落した。
 同センターは「メディアが政権監視役を担うことへの賛同が、与党支持者で少なくなるのは珍しくない」と解説。ただ、今回の調査では支持政党別の差が47ポイントに拡大し、この質問を初めて設けた1985年以来最大だったブッシュ(子)政権時代の05年の28ポイントを大きく上回った。
 「メディアによる政治・社会問題の報道は偏っている」と答えた人の割合は、民主党支持者で前年の64%から53%に下がった一方、共和党支持者では84%から87%に上昇。これまでの歴代政権でも、メディアが偏向していると見なす人は共和党支持者に多かったが、その傾向がさらに強まった。
 
時事通信社(2017/05/12-14:24)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017051200707&g=int
 アメリカにおいて、「メディアが政権の監視役を担うことの是非について」の世論調査が行われている。
  さて、この中で「メディアの批判によって、政治指導者らは、すべきでないことをしなくなる」と考える人の割合は、民主党支持者ではオバマ政権だった2016年の74%から89%に上昇。逆に共和党支持者では77%から42%に急落した。<上記より抜粋>とある。
  このこと自体おかしくはないのか。そもそも「批判によって政治家の行動が正しくなる」というのは、子尿な調査によって「誤差の範囲程度」の違いはあっても、それ以上の違いが出ることはおかしい。もしも、この調査のように「数字がかなり変わる」のであれば、それは、「メディアが偏向している」ということと同時に、それを見ている側が「自分の好むニュースと好まないニュースが存在し、それによってメディアの批判を強めている」ということんある。つまり、「政権に対してメディアが何らかの立場に変更して報道している」ということであり「事実」「中立公平」ではなくなっているということになる。単純に「メディアが何らかの意思を表明しているからそれに対して賛否が出る」のであり、そもそも「メディアが意思を表明すること」そのものが、おかしいということになるのではないか。
  「メディアによる政治・社会問題の報道は偏っている」と答えた人の割合は、民主党支持者で前年の64%から53%に下がった一方、共和党支持者では84%から87%に上昇。<上記より抜粋>
  このようになっているというのは、つまり「メディアが民主党寄りの報道ばかりをしている」ということでありなおかつ「オバマ大統領の時代は民主党の人が偏っているとあまり思わないほど、オバマ政権よりの報道を行っていた」問うことにある。つまり民主党がメディアと同じリベラリズムであるという、世の中の「都市伝説的常識」が世論調査によって裏付けされた形になり、その形そのものが言えるのである。
  もちろん、アメリカがそうだからといって、日本もそうであると限ったことではない。しかし、例えばフランス大統領選挙の「ルペン」候補は「極右」なのかという疑問が生まれる。それとも「反移民・反EU」というだけではないのか、という気がしてならなない。単純に言えば、極右というマイナスイメージをつけ、結局「フランスはフランス人だけのものではない」などという「極左のマクロン」に誘導したのである。それがっ正しい行動であったのか、はかなり疑問ではないか。
  日本でも、同様に民主党政権誕生にマスコミほとんどが動き、その結果鳩山が「日本列島は日本人だけのものではない」などといって、日本国民を驚愕さえたのである。その政権は9か月で菅直人に代わり、民主党政権3年半の最悪の時代が来るのであるが、その日本の政治的空白や最悪の時期に誘引したマスコミは全くその責任を負わない「言論の身勝手」を実践しているのである。
  アメリカがもう少し変わってくれると外圧で日本も少しは変わるのか、あるいはネットが変わって、マスコミが自滅自壊を始めるのか、あるいはマスコミの中に数社、変わろうとするところが出るのかはよくわからない。しかし、そのことによって、大きく国家の繁栄が変わるということを我々有権者であり視聴者はよく知っていなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に関する一考(338)日本の毒しているのは、週刊誌とテレビであるという指摘に対して一言

マスコミ批判に関する一考(338)日本の毒しているのは、週刊誌とテレビであるという指摘に対して一言
 日本の毒しているのは、週刊誌とテレビである。
  このことは、改めて言われるまでもなく、多くの人々がわかっていることである。しかし、そのことがわからない世代がある。日本においてh「団塊の世代」というう人々とその周辺の人々であり、その人々は、政府に敵対すること、政府と対立することこそ、自分の存在意義であるというようなことを言う人がいる。
  さて「何かがあって対立軸として反対を形成する」という、この団塊の世代や日本の野党のような存在というのは、どのような思考回路をしているのであろうか。もちろん、例外があるということは言えるのであるが、一般的なその思考回路の内容を考えてみよう。
  基本的に、まずは「自分自身の自信がない」人々である。そのために、自分自身が存在しない。その自分自身が存在しない人々において、自分のアイデンティティを規定するためには、何か大きなものに対抗しなければならない。その対抗すする相手が大きければ大きいほど、自分の存在が大きくなるという錯覚を持っている。基本的にそもそも「アイデンティティが確立していない」人々であり、その内容は、単純に、子供の反抗期に近い。藩校吸うrことでしか事故を規定できない人々であり、なおかつその思考は視野が狭いのである。その視野が狭くアイデンティティが確立していない人の権力への反抗が、そのまま、「手段」が「目的化」することになる。まさに大学受験生の受験と同じであり、社会に出て何がしたいから、どの大学に入るのではなく、大学に入ることそのものが目的になってしまっているのである。
  さて、このプロセス、日本における「学歴の高い人」ほど陥りやすい状態になる。何しろ「権力への反抗」は、そもそも「手段」と「目的」の問題が入れ替わっており、、まさに、日本の学校においては大学受験などそれを混同させて、手段と目的をいれかえてしまうひとが少なくないからである、日本の場合は、基本的に学歴の高い人がそれなりのステータスがあるとされた、今の韓国のような世界であった。そのために、目的と手段を取り違えることに何の疑問を持たす、そのまま、自分が偉いと思っている人が多く輩出されていたのである。そのために、その内容を考える多くの人々が、そのまま「インテリ」と称していたのである。
  その人々の集合体で最後の「残渣のような人々」が、現在のマスコミである。まさに、「ジャーナリズムの本文は批判精神」などと、「物事の真実も関係なくそのようなことを言って恥ずかしくない」人々の集団なのである。
日本を毒しているのは「週刊誌とテレビ」 デヴィ夫人、籠池氏批判に反論
 タレントのデヴィ夫人が、学校法人・森友学園と籠池泰典理事長を「支持、応援します」とブログにつづった。
 籠池氏を強く支持する思いをつづりながら、籠池氏に批判的な人々を揶揄している。中でも一部マスコミには厳しい批判を展開している。
 「安倍首相の冷たい仕打ちにどんなに傷ついたことでしょう」デヴィ夫人は2017年3月18日昼過ぎ、「籠池氏の志を支持、 応援します!」のタイトルでブログを更新した。籠池氏と安倍晋三首相の関わりについて触れ、
 「人一倍、愛国心の強い 日本の未来を憂いていた籠池氏は、安倍首相を神格化し信奉しきっていました。にも関わらず、安倍首相の冷たい仕打ちに どんなに傷ついたことでしょう」として籠池氏に同情を寄せている。森友学園が開校をめざしていたが認可申請を取り下げた小学校の名前が、当初は「安倍晋三記念小学校」だったが安倍首相は拒否したことや、籠池氏が「昭恵夫人を通じて安倍首相から100万円の寄付を受けた」と述べていたが寄付自体を安倍首相側が否定したことなど、籠池氏と安倍首相の主張には噛み合わない点がある。ただ、デヴィ夫人は「でも、安倍首相は今の日本に必要であり、 籠池氏の安倍首相に対する期待は変わらないことでしょう」とも述べている。さらに、
 「なぜ日本は、こうもリンチ好きな国民となったのでしょう」と籠池氏を批判する人々に矛先を向けている。
 「笑ってしまうような 行き過ぎた教育は、改めていただくとして」その不満は、森友学園問題を連日取り上げるメディアにも向けられている。
 「日本を毒しているのは、良心に欠け、不公平な記事を傍若無人に書く週刊誌と、 執拗に朝から晩まで 一方的に獲物を追い込むがごとく報道し続けるテレビです。籠池氏本人の声を聴き、参考にしようともしないのは不条理です。世論を支配しかねない一方的報道は、 社会の為、日本の為になりません」そうして、「(籠池氏には)会ったこともありませんが」としながら
 「彼のような志を持った方が日本にいることを知り、嬉しく、直ちに100万円を寄付させていただきました」と大きな信頼を寄せている旨をつづった。デヴィ夫人は8日更新のブログでも、100万円の寄付に触れていた。一方で、具体例には触れずに
 「笑ってしまうような 行き過ぎた教育は、改めていただくとして」と釘を刺す発言もしている。その上で
 「私はこれからも 彼を応援していきます。23日の国会の証人喚問において、 籠池氏は 誰もが納得する説明、証言することでしょう」と期待を寄せている。
J-CAST ニュース 20170321
http://www.j-cast.com/2017/03/21293600.html
 今回の話は、ある意味で、デヴィ夫人という、その、団塊世代に属する日本から外国に移った女性が、日本のマスコミの異常性を発言したということであろう。
  単純に、この件における内容に限って言えば、デヴィ夫人のの特徴は、一つは世代的には団塊の世代と同じということ、つまり、多少はスマホなどネット環境にも精通しているが、我々の世代に比べてはるかにアナログ世代に近く、また、ネットの依存していないということになる。つまり「ネットがソース」というようなこともなく、同時に、その内容に関して、アナログ情報をしっかりとみているということになる。
  もう一つの特徴は「外国に長くいた」ということである。この特徴は、そのまま、前半で書いた日本の団塊世代の「手段と目的をはき違えていて何の疑問も感じない」という人々とは一線を画しているということになる。特に、インドネシアのように、少なくともデヴィ夫人が滞在していたころは発展途上国であり、なおかつ多くの支援などによって様々な発展を遂げた国においては「官僚制」や「建前の反抗」などは許されない状況であり「限られた資源を一つの目標に投入することによって発展を維持する」ということであり、その順序に関しては政府に従わざるを得ない状況であった国において、つまり、仁尾hンにおける高度経済成長以前の国家と同じような状況の国家において、日本人としてその言を打を目にした人物が、どのような感覚で現在の団塊の世代の支配するマスコミを見ているのかというのは、なかなか注目に値する。
  そのうえで、「テレビタレントである」ということが言える。つまり「マスコミを内側から見ることができる、少なくとも垣間見る」立場にあるという人である。まあ、逆にそのキャラクターでかなりおかしなこともやるし笑いもとるところはあるが、しかし、その本質的な特徴が完全に失われたわけではない。
  そのような意味位から考えれば、今回の記事はなかなか興味深い。同じことを言っていても、30代40代の我々が、ネットの中で行っているものとは、「重み」が違うのである。
  「日本を毒しているのは、良心に欠け、不公平な記事を傍若無人に書く週刊誌と、 執拗に朝から晩まで 一方的に獲物を追い込むがごとく報道し続けるテレビです。籠池氏本人の声を聴き、参考にしようともしないのは不条理です。世論を支配しかねない一方的報道は、 社会の為、日本の為になりません」<上記より抜粋>
  まさに、この部分は非常に現在のマスコミの報道の本質をついている。実際に、私も籠井家氏を擁護するつもりはないが、しかし、現在の報道は「松本サリン事件の醍醐法によるお祭り騒ぎ」を彷彿とさせるものであり、見ていて不快感しかない。そのうえ「何が悪いのか」ということを考えた場合に、実際に土地の払い下げ問題以外には何の悪さもない。安倍昭恵夫人との関係などは全く関係がないにもかかわらず、このばか騒ぎだ。
  まさに、その辺のところが全くおかしなものであり、単純に「反抗期の延長線上であって、それ以外のことは何も考えていない」というこの報道姿勢が日本を悪化させているのである。
  さてmこれで何もなかった時に、マスコミの多くはどのような責任を負うのであろうか。今から表明してほしいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に関する一考(334) 自作自演で日本を辱める朝日新聞の品性下劣な紙面の作り方

マスコミ批判に関する一考(334) 自作自演で日本を辱める朝日新聞の品性下劣な紙面の作り方
 この月曜日のマスコミ批判に関しては、ほぼ常連客になってきているのが朝日新聞である。はっきり言って、「案山子と雀の関係」になってしまうので、毎回毎回朝日新聞を書くのは、あまり気が進まない。こちらがしっかりと批判していても、全くそのことを改めないし、また、そのように描かれてもなんとも思わないのが朝日新聞である。まあ、「日本を辱める勢力」から多額の献金や広告料をもらっているのであろう。しかし、読者としては実に面白くない話なのである。
  このように、毎回のように書いていると、まさに「批判するのがふつう」であるかのようになってしまい、そのために、基本的には、何度やっても意味がなくなってしまうということになる。まさにはじめのうちはスズメが人間に間違って案山子をこわがって近寄らなくなってしまうが、そのうちに、案山子が自分たちを襲ってこないということが分かれば、案山子がスズメの休憩場所になってしまうというような「皮肉な関係」になってしまうのである。
  そのような関係ではあまり意味がないので、朝日新聞ばかりを集中して扱う気は実は、私はあまり考えていないのであるが、残念ながら、朝日新聞は「ねつ造」「自作自演」の温床であり、まあ、指摘しなければずっと続けるものであり、知られないでそのまま行っているくらいの面の皮の厚さで、あまりにもひどいので、仕方がなくそれを書かなければならない状態にあるのである。
  もちろん、ほかのメディアが問題がないわけではない。
  しかし、そもそもジャーナリズムの本来の目的や使命といわれるものはは「真実を伝えること」である。しかし、朝日新聞は「ねつ造」「自作自演」を繰り返し、その本来のマスコミの使命を完全に無視しているということになるのである。これははっきり言って許せないことなのである。
  ではなぜ、そのようなことを行うのであろうか。
  そのことを今回は見てみようとおもう。
釜山の慰安婦像に「安倍政権の対応を謝罪します」のはがき、韓国メディア報じる 差出人が「朝日新聞記者と同姓同名」とネットで話題
 韓国・釜山の日本総領事館前に設置されている慰安婦像に、安倍政権への批判や慰安婦を支持する文面の手紙やはがきが複数置かれたとする報道があり、はがきについては差出人が「朝日新聞記者と同姓同名同漢字」と、ネット上で話題になっている。
 ネット情報について、朝日新聞は「質問にお答えする立場にない」としている。
 手紙やはがきについては、韓国のノーカットニュースが18日に報じるなど、複数の韓国メディアが写真付きで伝えた。報道によると、16日に日本女性4人が置いていったという。
 手紙やはがきには、ハングルと日本語が同時に記載され、中には1枚の便箋にハングルと日本語、英語で書かれたものも。はがきには、ハングルの文面の下に、日本語で「日本人の1人として、戦争犯罪に蓋をする安倍政権の対応を謝罪します。慰安婦とされたハルモニたちに心を寄せ、共に斗います」と、差出人の名前とともに直筆で記載されている。
 この差出人について、ネット上では「朝日新聞記者と同姓同名同漢字」などと話題に。ツイッターやブログで書き込みが相次いだ。
 産経新聞の取材に対し、朝日新聞大阪本社代表室の広報担当は「ご指摘のネット情報を拝見しましたが、弊社はご質問にお答えする立場にないと考えております」とファクスで回答した。同姓同名の記者に確認したかどうかについては、電話取材に「その点については申し上げられない」としている。
(WEB編集チーム)
2017年2月22日 17時23分 産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/12707944/
 さて韓国に関して、2月まで有料メルマガで書いていた。有料メルマガを今から申し込んでいただいても、バックナンバーで読めるので、ぜひ申し込んでいただきたい。申し込みに関していえば、昨日のブログの画面から申し込み画面に飛べるので、そちらを参照していただければありがたいと思う。
  さて、その韓国の中で「事大主義」という言葉をご存知であろうか。
  世界大百科事典 第2版の解説
じだいしゅぎ【事大主義】
 小国が礼をもって大国に事(つか)えること,また転じて勢力の強いものにつき従う行動様式をさす。《孟子》梁恵王章句下に,斉の宣王が隣国と交わる道を問うたのに対し,孟子は〈大を以て小に事うる(以大事小)者は天下を保(やす)んじ,小を以て大に事うる(以小事大)者は其の国を保んず〉と答えた故事に由来している。
 朝鮮史では,李朝の対中国外交政策を事大主義と称する。1392年,高麗王朝に代わって李成桂が創建した李朝は,その前期には明,後期には清に対する〈以小事大〉の礼をもって国号と王位の承認を得て国内の統治権を強化し,定例的な朝貢使(燕行使)の派遣にともなう官貿易によって経済的利益を得,1592‐98年に豊臣秀吉の侵略をうけたときは明軍の支援を得た。
<以上抜粋>
 まさに、この「事大主義」こそ朝日新聞の現在の状況であるといえる。日本を一回の敗戦から「小国」と考え、そのまま「自分の意志を持たず、ほかの意思に従って自分の意見を簡単に変えてしまう」というあまりにもお菓子な考え方がそれである。そのために、大国の都合によって、自分が本来いるはずの日本国を辱め、そのためには「手段を択ばなくなる」という悪癖を披露しているのである。
  さて、それで、戦後長い間何とかなっていた。しかし、最近ではネット社会になり、そのような内容がすべて出てきてしまっている。民間で調査もできれば、追跡取材も真実の公表も行ってしまう。本来は、そのネット時代に合わせて、メディア側がその報道姿勢を変えてゆかなければならないのである。しかし、朝日新聞は、「発展途上国と同じような思考能力しかない」ために、また「21世紀の現在になってもいまだに報道統制を行っている中国や、ネット事おかしな事大主義でおおわれている韓国と全く同じ思考停止状態にあるために」いまだに朝日新聞自体が事大主義になってしまっており、そのために、ねつ造でも自作自演でも何でもやって日本を辱める運動をしているのである。まあ、日本人の集団とは思えない、少なくとも日本人の一般の環境にある人物たちの集団とは思えない情報環境に住んでいるかのような状況にあるのではないか。
 手紙やはがきについては、韓国のノーカットニュースが18日に報じるなど、複数の韓国メディアが写真付きで伝えた。報道によると、16日に日本女性4人が置いていったという。
 手紙やはがきには、ハングルと日本語が同時に記載され、中には1枚の便箋にハングルと日本語、英語で書かれたものも。はがきには、ハングルの文面の下に、日本語で「日本人の1人として、戦争犯罪に蓋をする安倍政権の対応を謝罪します。慰安婦とされたハルモニたちに心を寄せ、共に斗います」と、差出人の名前とともに直筆で記載されている。
 この差出人について、ネット上では「朝日新聞記者と同姓同名同漢字」などと話題に。ツイッターやブログで書き込みが相次いだ。<上記より抜粋>
  まさに、読者なども疑問に思っているのに「答える立場にない」という。つまりは、「自分たちの報道に関して責任をもって質問に答えることができない」ということなのである。そのような新聞社が存在してよいのであろうか。
  いまだに朝日新聞を読んでいる人がいれば、これらのことに関ししっかりと答えていただいたらいかがであろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に関する一考(333) 「南京大虐殺」が話題になるたびに、朝日新聞この大誤報を行ったことを世に知らしめるべきではないか

マスコミ批判に関する一考(333) 「南京大虐殺」が話題になるたびに、朝日新聞この大誤報を行ったことを世に知らしめるべきではないか
 言論には自由がある。このことは憲法にも書いてあるし、また、その憲法になくても、世界的にそれらは確認されていることと思う。もちろん、中国や北朝鮮のように「共和国」とか「人民が主役」などといいながら、まったくそれらの自由を「人民」に認めない国は少なくない。旧共産主義系の国家や独裁国家において、そのような内容は少なくないのである。
  まあ、そのような国以外では、実は「言論の自由」は保証されている。しかし「自由」である以上、当然に「責任」もその中には存在する。「言論の身勝手」ではなく「言論の自由」である。そのことがわかっていない人が「自由」などということを言われても困るのである。日本のマスコミは、その辺のことが全く分かっていない。「責任」は、当然に「責任」を追わなければならない。では、その「責任の範囲」とは一体何であろうか。
  以前、マスコミのベテランの人に聞いたとき「日本の場合は、責任を取るといっても『三行責任』でいい。つまり、何か間違えていても、どこかに小さく三行くらい謝罪の言葉を書けばそれで終わる。あとは日数が過ぎればみんな忘れてしまうのだ」というのである。まさに、そのことがマスコミの現在の認識である。そのベテランの方はすでに鬼籍に入った方であるので、批判する気はない。しかし、現在のマスコミのベテランやまたは編集長、または、とりしまりやくくらすのひとびとは、「三行責任」の世代の人々に育てられた世代である。そのために、そのような「三行の謝罪広告であとは忘れてしまう」というようなことで十分に終わると思っている人が少なくない。
  当然に、中国など「報道統制」をしている国も同様であり、また、昔の日本も、結局マスコミ以外には情報の入手先がなかった。そのために、『三行だけ広告を出す』ことによって「謝罪をした」という形式を整え、そのうえで、他の情報が入らないので、新たな情報を溢れさせてしまえば、それでわすられたのである。実際に、昔のマスコミはsのようなものであろう。しかし、現在ネットの中においてはそのようなものではない。では、そのネットのことはどのように考えたらよいのであろうか。ネット時代に、対応できない場合は、当然にマスコミが「時代遅れ」の存在になるのである。
  まさにそのような状況になる。情報において「中国」と「マスコミ」だ怪我時代に取り残されているような気がしてならない。
南京事件「大虐殺」広まった一因、取材手法に疑問 「朝日新聞は検証すべきだ」OB激白
 アパホテルに「南京大虐殺」などを否定する書籍が置かれていることを中国政府が批判し、「言論弾圧」などと注目されている。歴史学者の間でも諸説が分かれる南京事件が「大虐殺」として広まった一因には、かつて朝日新聞のスター記者として知られた本多勝一氏が長期連載した『中国の旅』が果たした影響は大きいとされる。同紙で敏腕記者として活躍した、ジャーナリストの長谷川●(=熈のノを取り、巳が己)(ひろし)氏(83)は、「いまこそ、『中国の旅』の徹底検証をすべきだ」と主張している。
 本多氏は、日中国交正常化(1972年9月)前の71年6月から7月、共産党一党独裁の中国を取材して「被害者」の証言を聞き、同年8月から12月、同紙夕刊に『中国の旅』を掲載した。そこで記された残虐行為は、衝撃的だった。
 後に出版された単行本『中国の旅』(すずさわ書店)のあとがきで、本多氏は《本書は中国側での取材にもとづいて報告しています》(370ページ)と記している。確かに、南京事件の犠牲者数「約30万人」も、南京港務局内河船員の証言のくだりで突然登場する(292ページ)。
 そこには、(注2)とあり、324ページで《正確な数字はむろん知るよしもない》と書き、中国側の発表《四三万人》東京裁判の判決《一一万九〇〇〇人》という数字も記している。
 旧日本軍兵士の行為も、にわかには信じがたい内容だ。
 例えば、《日本軍の強制連行に反対した労働者が、その場で腹をたち割られ、心臓と肝臓を抜きとられた。日本兵はあとで煮て食ったという》(293ページ)とある。日本人の感覚からは考えられないものだ。
 長谷川氏が疑問視するのは、本多氏の取材手法だ。
 連載当時には、南京攻略戦に参加した旧日本軍将兵や、従軍取材した朝日記者も存命していたと思われる。同書を読む限り、裏付け取材などの形跡は見当たらない。
 どうして、これが許されたのか。
 長谷川氏は「当時の広岡知男社長は『親中国』というより『親中国共産党』という考えの人だった。そして、本多氏は朝日新聞のスター記者だった」といい、続けた。
 「朝日内部でも、『おかしい』と思った社員がいなかったわけではないと思う。ただ、それを表立って口にする雰囲気ではなかった。『本多勝一』という有名人、その背後には広岡社長がいた。こうした環境では、本多氏の先輩であろうと、ましてや後輩に至っては『変じゃないか』とは口に出せなかった。それが、長期連載された最大の理由だと思う」
 『中国の旅』については以前から、記事の信憑(しんぴょう)性や取材方法などに疑問が投げかけられたうえ、写真の誤用も問題視された。そして、数百万部の部数を持つ新聞の連載が、日本や国際社会に与えた影響は甚大だ。
 長谷川氏は、朝日新聞が慰安婦問題の大誤報を認めた(2014年8月)後、同紙の慰安婦報道について取材を重ねた。著書『崩壊 朝日新聞』(WAC)を出版し、古巣の責任を厳しく追及している。
 今回、アパホテルの騒動を受けて、朝日新聞は『中国の旅』にどう向き合うべきなのか。
 長谷川氏は「今からでも、どういう経緯で長期連載が行われたのか、原稿について、どのような吟味がなされたのか、それともなされていないのか、本多氏が中国で聞いた話の真偽も含めて、第三者の立場から追跡して、結論を読者、天下に明らかにすべきだ」「こうした検証の手続きをしないのであれば、朝日新聞は正当な報道言論機関としての地位は得られないと思う」と提案する。
 夕刊フジでは、朝日新聞社に対し、『中国の旅』について検証をする考えがあるのかどうか、書面で聞いた。
 同社広報部は「南京事件を含め、日中戦争や太平洋戦争に関する取材は今後も続けていく」と回答。OBから取材について不十分との指摘があることについては、「コメントはない」とした。
 
ZAKZAK 20170213
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170213/dms1702131130002-n1.htm
 さて、朝日新聞の「言論の自由」に対応する「責任能力」はどうなのか、ということになる。朝日新聞は、吉田調書などにおいて「誤報」「捏造」のオンパレードであった。実際に、それ以外の記事、慰安婦問題やここに書いてある南京虐殺などに関しても「誤報」であるといわれている。
  その「誤報」「捏造」に対する「責任」をどのようにとるのか。
  本来であれば、「その誤報や捏造記事を書いた人の処分」などはある程度「当然」のことであり、実際には「その記事による影響を消す」ということが必要になる。しかし、残念ながら、朝日新聞はそれらについてまったく行っていない。
  ではなぜ何もしていないのか。単純に「責任を取らなくてもよい」という感覚が染みついているからに他ならない。もっと言えば、「責任を取らなくても責任を追及されなくてよいし、また、責任問題にならない。単純に、忘れてしまっているので、みんな買ってくれる」ということであろう。
  さて、この「朝日新聞の問題」は、一つには「朝日新聞の社内体質」の問題があるが、同時に、この問題の根底には「そのような捏造記事に関してそのまま購入し購読し続ける読者がいる」ということ、つまり、「捏造を知らないのか、あるいは捏造をそのまま放置している読者」が最も大きな問題であり、「捏造気に対する責任を全く感じさせない」ということが最大の問題なのである。まさに「捏造ファンタジー新聞をありがたがって読んでいる盲目で常識のない読者」が、最大の問題であり、そのような「捏造をそのまま信じる朝日新聞を盲目的に信じる新興宗教のような状態」が最もおかしな状況なのである。
  そのようなところでるから、上記にあるように、「朝日内部でも、『おかしい』と思った社員がいなかったわけではないと思う。ただ、それを表立って口にする雰囲気ではなかった。『本多勝一』という有名人、その背後には広岡社長がいた。こうした環境では、本多氏の先輩であろうと、ましてや後輩に至っては『変じゃないか』とは口に出せなかった。それが、長期連載された最大の理由だと思う」<上記より抜粋>というようになってしまうのである。
  さて責任の取り方から言えば、「今からでも、どういう経緯で長期連載が行われたのか、原稿について、どのような吟味がなされたのか、それともなされていないのか、本多氏が中国で聞いた話の真偽も含めて、第三者の立場から追跡して、結論を読者、天下に明らかにすべきだ」「こうした検証の手続きをしないのであれば、朝日新聞は正当な報道言論機関としての地位は得られないと思う」<上記より抜粋>であり、それを行わせるように「中国が南京虐殺を言うたびに、朝日新聞に対して、抗議集会をするような捏造記事を忘れないで朝日新聞に責任を取らせる活動」をすべきではないのか。
  日本人の常識に対する感覚が試されている気がするのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

毎年恒例、2016年10大ニュース「世界編」

毎年恒例、2016年10大ニュース「世界編」
 昨日は「日本編」を行った。
  恒例の「2016年の10大ニュース」である。
  昨日の最後に「日本は比較的平和であった」ということを書いたが、しかし、世界のニュースはそのようなことはない。
  要するに「世界の衝撃の波がいまだに日本に来ていない状態」ということが言える。
  日本のニュースの中では、「あっまり政治的な大きな動きがなかった」という特徴がある。
  要するに「政治的にあんてしていた」ということになる。
  そのような場合は、「天災」や「事件」が上位を占めるということになる。
  そして、心に余裕があるときは「開発」などの内容が上位に来る。
  その意味においては、北海道新幹線の開業やポケモンGOなど、日本の国民には余裕のある内容が多く上げられたのではないかという気がしてならない。
  もちろん、これで「世界中が同じように事件や天災」ばかりのニュースであるならば、世界中が秘話で安定していたということになろう。
  しかし、世界のニュースはそのようになっていなかったということが最も大きな内容ではないかと思う。
 とりあえず、ニュースを見てみよう。
《1》米大統領選でトランプ氏勝利
《2》英国民投票で「EU離脱」過半数
《3》韓国・朴大統領、友人女性の国政介入疑惑で窮地に
《4》ノーベル文学賞にボブ・ディランさん
《5》「パナマ文書」公開で各国に波紋
《6》オバマ米大統領がキューバ訪問
《7》北朝鮮が初の「水爆実験」実施発表
《8》ロシアの国主導でのドーピング認定
《9》ミャンマー新政権発足。スー・チー氏は事実上トップの国家顧問に就任
《10》キューバのカストロ前議長死去
 さて、正直な話《4》ノーベル文学賞にボブ・ディランさん、《8》ロシアの国主導でのドーピング認定、《10》キューバのカストロ前議長死去の三つ以外は、すべて「政治関連」である。
  それも、「政治の大きな変化」を表している。
  例えば1位のトランプ勝利に関しても、今までの民主党から共和党に大きく変わったということを意味し、アメリカの青磁が大きく変わることを意味している。
  また2位の、イギリスが国民投票でEU離脱を決断したことは、ヨーロッパが長年続けてきたヨーロッパ連合対という枠組みが、大きく崩れ始めたということを意味している。
  この二つによって、アメリカとヨーロッパちう二つの大きな政治システムが変わったということを意味しているのであるから、非常に大きなものであろう。
  第三位に関しても、何回かブログでは取り上げたし、これから有料メルマガで書くことになるが、イギリスの国民の多くが、韓国の政治の変化を求めているということであり、当然に、その政治の変化を受け付けなければ、暴動や革命につながるという感じがするのである。
  パナマ文書は、IS関連の資金源などに非常に大きな問題になっているし、またキューバ訪問は、長年の中米の不安定要素が無くなったということを意味している。
  東西冷戦以来の大きな枠組みが変わり、新たな世界秩序が生まれようとしているようにしか見えないような気がするのである。
  その中で必死に独自色を表しているのが北朝鮮であり、その独自色の「切り札」として核兵器を使おうとしている。
  また、ミャンマーは、今まで中国の影響下にある軍事政権から欧米の民主化勢力によって大きく変化したということになるのではないか。
  そのように考えれば「アメリカ」「イギリス(ヨーロッパ)」「東アジア」「東南アジア」ということろが、大きな変化に巻き込まれて変わりつつあるという感じになって聞いたのではないか。
  そのような観点で、11位以下を見てみよう
〈11〉フィリピン大統領にドゥテルテ氏就任
〈12〉仏でトラック突入テロ、85人死亡
〈13〉ジカ熱でWHOが緊急事態宣言
〈14〉エクアドルで大地震、死者660人超
〈15〉仲裁裁、南シナ海の中国主権認めず
〈16〉イタリア中部で大地震。死者約300人
〈17〉ボクシング元王者モハメド・アリさん死去
〈18〉タイのプミポン国王死去
〈19〉ブリュッセルで空港・地下鉄同時テロ
〈20〉米フロリダで銃乱射、49人死亡
 さて、
  このよう鵜に見てみると「テロ」を事件撮るか「政治」とみるかで大きく変わってしまうのであるが、実際「政治」とみれば、かなり多くが政治に入ることになる。
  11位のフィリピン、12位のフランスニースのテロ、15位の中国の仲裁裁判敗訴、19位のブリュッセル地下鉄テロ、そして20位のフロリダ銃乱射テロ。
  20位までの間に5つが政治関連ということになるのである。
  そして、この20位までの間に、中国の内政のことが入っていないということになる。
  中国は南シナ海における仲裁裁判所の敗訴だけが大きな問題になった。
  しかし、その国内の内容が、あまり大きく報道されていないだけであり、実際は経済の問題や国内のテロも多発している。
  年間の政治目的のデモ行進などはすでに20万件をとっくに超えてしまっていて30万件を超えいているという推定値も出てきている。
  11月には、退役軍人のデモが北京で行われるなど、軍人退役軍人もデモに参加するようになり、非常に危険な状況になっているのである。
  それでも、なぜか日本の報道機関は中国の不利益をあまり報道しないような状況になっており、そのために、北京のデモなどもあまり報道しないので、日本の新聞読者の記憶の中に入らないということになってしまっているのではないだろうか。
  このように考えると、世界は、非常に大きく動いていて、その非常に大きな動きの中において、日本だけが平和であったかのような気がしてならない。
  いや、日本はその影響を受ける寸前まで来ているのであるが、残念ながら、日本の報道機関がそれらのことをあまり報道しないので、日本人は事前に備えることができるのに、まったく備えることができない状態にあるというような状況になってしまっているのではないだろうか。
  これでは困ってしまう。
  そのために様々な情報を得なければならない。
  いわゆる「手例や新聞しか信じない人」は、このような政界の動きに全く気付くことが無くなってしまい、そのために、危険を事前に察知することができないというような感じになる。
  それでは、そもそもの「報道」は「誰のために報道をしているのか」というような感じになってしまうのではないだろうか。
  世界は非常に大きく動いている。
  その動きは「新たな秩序」に向かって動いているという気がしてならない。
  日本は、その「新たな秩序」の中心にいることができるようになればよいのではないか。
  そのように思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

毎年恒例、2016年10大ニュース「日本編」

毎年恒例、2016年10大ニュース「日本編」
 毎年恒例の10大ニュースである。
  さて今年はどんなニュースがあったであろうか。
  なお、この文章に限っては、有料・無料すべてのメールマガジンも併せて配信することにしようと思う。
  まあ、どれを読んでも同じ文章ということになるので、それはそれでちょうどよいと思うし、また、読みやすいところで読んでいただいたらよいのではないかと思う。
  有料メルマガの人だけは、先日、特別に今年あったことでも注目内容を書い。
  その内容は、私自身が注目している内容ということになり、来年の注目内容に関しても書いてみたのであるが、今回は、「一般読者」のアンケートに基づく内容ということになる。
  さて、今年も読売新聞の「2016年の10大ニュース」をそのまま引用する。今のところまだクレームは届いていないので、今年ですでに何回目になるであろうか。
  まあ、面白いのでこのまま行いたいと思う。今日は「日本のニュース」である。
  まずは順位。
《1》熊本地震、死者50人
《2》東京都知事に小池百合子氏。築地市場の豊洲移転延期、五輪施設計画見直し
《3》リオ五輪、史上最多のメダル41個
《4》天皇陛下、退位のご意向を示唆
《5》オバマ米大統領が広島訪問
《6》ノーベル生理学・医学賞に大隅氏
《7》北海道新幹線が開業
《8》相模原市の障害者施設で19人刺殺
《9》18歳選挙権施行
《10》「ポケモンGO」日本で配信開始
 さて、パッと見て、相変わらずではあるが「明るいニュース」が少ない。
  その中で明るいニュースは《6》ノーベル生理学・医学賞に大隅氏《7》北海道新幹線が開業であろう。
  まあ、ノーベル賞も日本の人がとることもあまり珍しくなくなった。
  数年前ならばノーベル賞受賞も一位であったと思うが、今となってはこれくらいの順位になってしまうというのも、日本の科学力というものの進歩が大きくなってきたのではないかという気がしてならない。
  一方「北海道新幹線」は、やはり日本の新幹線網が非常に強く大きくなったということから、非常に大きな内容になっているのではないか。
  いよいよ新幹線が北海道に渡ったという感じである。
  あとは四国であろうか。
  北海道としては非常に期待していると思うが、実際のところは、その採算や駅ができた周辺は、どのような感じになっているのであろうか。
  また、来年になって「開業一年」というような感じになるのであろう。
  もう一つ「明るいかどうかはわからない」ニュースが《10》「ポケモンGO」日本で配信開始であろう。
  者の販売などのニュースが出てくるのは非常に珍しい。
  当然に、日本中が話題になったという感じがしている。
  なお、私はやっていないので、あまり詳しくその内容はわからないのであるが、しかし、その内容に関して、社会現象的になるのである。
  まあ、単純に言って、社会現象でブームになるという感じであるのだが、しかし、同時に「ポケモンGOをやりながらの事故」というのも非常に大きな問題になったものである。
  さて、私がブログで取り上げたのは、
  《2》東京都知事に小池百合子氏。築地市場の豊洲移転延期、五輪施設計画見直し
  《3》リオ五輪、史上最多のメダル41個
  《4》天皇陛下、退位のご意向を示唆
  《5》オバマ米大統領が広島訪問
  《9》18歳選挙権施行
  であろうか。
  私個人といては「天皇陛下のニュースがトップではない」というのは、ある意味戦後日本の象徴であるのかどうか、そのことに関する国民の意識の低さではないかという気がしてならない。
  さて、今年の傾向として政治の話題が少ない。
  基本的に、政治そのものが安定していたということになろう。
  政治が安定しているということは、やはりそれなりによいことである。
  今の政治に不満がある人でも、実際に「安定している」ということに関して言えば、将来が先に見渡せるということである。
  つまり、さまざまに自分の予定を作ることができるという音になる。
  もちろん、三国志の早々のように「治世の能臣・乱世の姦雄」といわれるような人にとっては、乱世の方がいいのかもしれない。
  しかし、そのような人ばかりではない。
  よってやはり安定が良いように考える人が多い。
  しかし、安定というのは「護送船団方式」というような言葉でわかるように、「最も低いものに合わせる」か、あるいは「選民主義」というように「優秀な人物だけで残りを切り捨てる」かいずれかしかない。
  現在の内容は「選民主義」ではないので、「低値安定」ということになりかねない状態であるといえよう。
  長期間安定しすぎればそのようになってしまうものの、「すぎる」までいっていないのであるから、まだ安定の方がよいであろう。
  また、この順位を見ていて「来年に禍根を残しそうな内容」というものもない。
  しいて言えば天皇の譲位の問題であろうが、これも「政争の具にしない」ということであれば、国民的な議論になるものと思われる。
  あとはオリンピックであろうが、しかし、小池知事が頑張っても、あまり成果はなさそうな間である。
  日本の官僚組織は動き始めたら、組織という「集団管理体制」で動いてしまうために、当然に、その組織そのものをすべて壊さない限りその内容は止まりはしないのである。
  そのように考えた場合、「黒い頭のネズミ」などといって「ボスの頭をとること」を考えている小池知事では、やはり限界があるということになる。
  組織そのものを変えるだけの大きな「組織力」と「集団力」を使わなければならないのである。
  それだけの集団力を作り出せない場合、小池知事は組織力に負けてしまうことになろう。
  もちろん、その組織力の中に「都民の声」というものが存在することになるが、しかし、その「都民の声」も「声なき声」になってはいけない。
  結局のところ、「声」が「形」になり「実行力」を持たなければ、泣かんか「組織力」田中真紀子の言うところ「伏魔殿」には勝てないのではないだろうか。
  さてこのような感じで事審「10大ニュース」を見てみた。
  実際のところ、実は今年は日本はそんなに大きな動きはなかった。
  その大きな動きがなかったということは、「平和だった」ということではなく「嵐の前の静けさ」である問うことではないかと思う。
  これは、日本だけでわかるものではない。
  明日、世界の10大ニュースをお送りするので、それを読んでもらいたい。
  日本は「つかの間の平和」を味わいながら、世界では「新たな枠組み」になっているということがある。
  そのことを実感していただければ、今年のまとめになるのではないかと思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【土曜日のエロ】 「見せたがる」女性が急増する「自撮り」という文化

【土曜日のエロ】 「見せたがる」女性が急増する「自撮り」という文化

 毎週楽しみの土曜日のエロである。この中では、エロを追求しながら、国民性や人間性、場合によっては政治や経済などをしっかりと考えてみたいと思うのである。やはり「エロ」というのは、基本的には「人間の基本」であると思う。先日ある場所で講演をしたのであるが、基本的に「宗教」というものは「死生観」が中心になった価値観であり、その価値観の宗教から、文化や国民性が生まれてくる。しかし、なぜか「死」ばかりがクローズアップされてしまうのであるが、本来ならば「死生観」というくらいであるから「生」という部分もしっかりと考えてみなければならないはずだ。しかし、その「生」の部分、もっと言えば「生まれるための儀式」は、なぜかあまり注目しない。もちろん「生まれるための儀式」とは「エロ」である。
  そもそも「エロ」がなければ、新しい命は生まれず、命が生まれなければ「死」もない。単純に言って、人がいるから政治も経済も主教も存在するのであるが、なぜか、その根本の部分の「エロ」は、あまり注目されないのである。
  そのために、なぜか「エロ」だけが、「変なこと」のように見られてしまうのである。
  では、本当にすべての人にエロは嫌われているのであろうか。
  いや、逆に「エロ」は「すべての人が好き」なのである。かなり誤飲なもって生き方だが、この流れで行ってみよう。
  そもそも「エロ」をやるにあたっても、「女性らしい女性」「男性らしい男性」が異性に求められる。あえて普段は使わない「らしい」という単語を使う。よく「学生らしい格好をするように」などと学生にいう先生やPTAがいる。しかし、これは間違いである。はっきり言うがどのような格好をしていても、学生は学生である。要するに「学生らしい」と「本物の学生」にいうこと自体、「本物の学生を知らずに、その学生に対して、自分たち(大人)の価値観を押し付けている」」ということになり、その価値観の押し付け自体が間違いであるということになるのである。
  しかし、女性が男性に、男性が女性に、まあ中には同性愛もいるが、そのような場合に「相手方」に押し付ける価値観は、「自分の好み」であり「女性らしい女性」「男性らしい男性」というように、自分の好みに合った異性の価値観を押し付けるのである。
  さて、一方、「自分」は、どのように飾るのであろうか。
  まさに「自分」も「理想」の女性、男性になるように自分で努力をする。まあ、私のように早くからあきらめてしまっている人も少なくないようで、ラジオのアンケートで「自分の顔が好き」「自分の顔が嫌い」というのと同時に「ほっといてくれ」というような選択肢があった場合、その「ほっといてくれ」というのが最も多かったというような笑い話もあるが、しかし、まだ、私のようにあきらめていない人(年齢などに関係はない)は、当然に、自分の理想に自分が近づくということを優先するようになるのである。
  具体的にはどうなのであろうか。男性の場合は「シックスパック」というように腹筋が割れていて(私はワンパック、お腹が丸く出ているのである。もう少しするとスリーパック、いわゆる三段腹に変形する)、筋骨隆々で清潔で……というような感じで、話が出てくるのである。まあ、このようなものではなくても、例えば上品でロマンスグレーでシルクハットが似合い……とか、さまざまな「自分の理想」があり、その理想に近づくような感じになっている。
  当然に、女性に関しても同じだ。「肌」「化粧」「服装」「スタイル」さまざまなところで「美と健康」ということがテーマになっており、そのテーマに様々な話が出てくることになる。そして、そこを追求し、その追求した体を披露する。
  このように言えば、「何を言っているのか」とあるが、しかし、そのように起こる人ほど来年の春くらいになると「夏の水着のシーズンに向けて……」というような企画に食い入るように見つめたりしているのである。
  では、それで「ある程度自分の理想の体型や理想の美をつかんだ女性」というのはどうなるのであろうか。もちろん男性もあるのだが、下記の記事が女性なので、記事の後ろは、独断と偏見で女性だけを考えて話をしてみよう。

運転中のトップレス自撮りでパトカーに衝突、米女子大生を逮捕

 [オースティン(米テキサス州) 27日 ロイター] - 米テキサス州のA&M大学に通う女子学生(19)が26日、運転中に自らのトップレス姿を自撮り(セルフィー)で撮影しようとして警察車両の後部に衝突し、逮捕される出来事があった。警察が27日、明らかにした。
 運転席脇のカップホルダーには、開封したワインボトルが置かれていたという。
 逮捕した警官の調書には「赤信号で停止した際、ボーイフレンドに送ろうとトップレス姿のセルフィーを撮影しようとした、と供述」と書かれている。
 学生は飲酒運転の疑いで逮捕され、2000ドル(約21万円)を支払って保釈された。

ロイター 20161027
http://jp.reuters.com/article/OJPOE-SELFEETOPLESS-idJPKCN12S0P1

 さて、「女性」は「見せる」ということを非常に喜ぶ。もちろん、ヌードという意味ではない。自分の身体を見せるということに、非常に大きな抵抗もなく、むしろ喜んで見せている。
  このように言うと「そんなことはない」という人がいる。しかし、女性のパーティードレスなどは、まさに「極限まで見せる」ということいが前提になっているではないか。もちろん、それは「例外」という人もいるかもしれないので、あらかじめ言っておけば、そもそも「スカート」を吐く時点で足を見せるということが前提になっているのであり、ウ3あた、化粧をする時点で「みられる」ことが前提になっているのである。
  本人がそのように意識していなくても、無意識のうちに、そのような感覚を持ってしまっているというのが女性なのではないだろうか。もちろん、だからといって私が、いた男性がじろじろ見て居れば「変態」とすごい勢いで怒られるのであるが。また、欲夫婦の会話などで「髪を切った?」と聞かれると、k3位づかれたといって喜ぶというのは、実際に「見られている」ということの意識があり、その見られていて変化に気付かれることによって、喜びを感じるというような「見られることの喜び」を示しているのに過ぎない。
  このように言えば「見られたい人だけに見られたい」などというが、実際に、自分が嫌いな人だけは見ないようにするなどということは不可能であり、そのために、、全体に見られてしまうということになるのである。
  さて、その状態の中において、その女性が「より一層見られることに快感を覚えた場合」どのようになるのであろうか。
  そのことが、上記の記事である。
  上記の記事にあるのは、「運転中に自らのトップレス姿を自撮り(セルフィー)で撮影しようとして」<上記より抜粋>とある。まさに、自分の裸を見せるということに快感を持つということになる。まあ、ある意味で「自分の裸」に自信を持っているということであろう。特に「自動車の中」というのは、見られているかのようでありながら、囲われていることからプライベート空間のようになっており、少なくとも法的解釈に関しては、法学者の間でも見解が分かれるところである。
  その「半プライベート空間」において、自分の裸を自撮りするというのであるから、それはそれはなかなか困ったものである。
  逆に言えば「そこまで自信があるならば、自撮りとかでなく、もう少し公開の場所で見せてくれればよいのではないか」と思ったりもするのであるが、まあ、これ以上言うと私の変態さ加減がわかってしまうので、これ以上はやめておこう。
  さて、最近の「自撮り」ブームというのは、まさに「人間の見られたい願望」が結実したものであろう。スマホという手軽にそれが実現でき、なおかつネットという直接的には相手の声が聞こえない「仮想空間」に出すことによって、自分の「見られたい願望」を充足させるということになる。そのことは、実は世界中の不特定多数に見られているのであるが、そのことに本人が気が付かなければよいということになっているのである。ある意味で、ネット上に裸をさらすことは、ストリップ劇場のような閉鎖的な環境で裸になるよりも多くの人に裸を見せていることになるのであるが、そのことに本人が気付いていなければ良い、ということなのである。そして、自分が気付かれていないので、自分の許す「友達」の範囲内で、満足しているということになる。逆に言えば、それだけ「裸を見られることに抵抗がない」ということでしかないのである。
  まあ、もう少し、自分の欲望に正直になっていただけると、世の男性も喜ぶのではないか。そのように感じるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「我、台湾島民に捧ぐ 日台関係秘話」発売記念の出版パーティー開催

「我、台湾島民に捧ぐ 日台関係秘話」発売記念の出版パーティー本日開催

 今日はニュースというよりは宣伝とご案内である。
  10月25日、「我、台湾島民に捧ぐ 日台関係秘話」(振学出版)が発売される。
  https://www.amazon.co.jp/%E6%88%91%E3%80%81%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%B3%B6%E6%B0%91%E3%81%AB%E6%8D%A7%E3%81%90-%E6%97%A5%E5%8F%B0%E9%96%A2%E4%BF%82%E7%A7%98%E8%A9%B1-%E5%AE%87%E7%94%B0%E5%B7%9D%E6%95%AC%E4%BB%8B/dp/4434225634/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1476833320&sr=8-1&keywords=%E5%AE%87%E7%94%B0%E5%B7%9D%E6%95%AC%E4%BB%8B
  本の内容は、
  日清戦争後、下関条約によりはじまった日本の台湾統治。苛烈をきわめた台湾での抗日乙未戦争のなか、マラリアに倒れた近衛師団長北白川宮能久親王は、「心を攻めよ」と言い残す。
この言葉を胸に、台湾の発展のため力を尽くした初代~7代総督と、それを取り巻く人々の物語。
現在の親日の背景が、ここに描かれる! 著者最新の歴史小説。
 ということである(アマゾンホームページより抜粋)
 
  さて、今日はいつものブログと異なり、宣伝であるので、基本的にはご案内だ。
  さて、このブログをに読んでいる人、実は10月20日、要するに本日、下記要領で出版パーティーを行います。お時間がある方、とくに招待状などはいらないので、ぜひご参加ください。

宇田川敬介氏 出版記念パーティーのご案内

謹啓 中秋の候 皆様におかれましてはますますご清栄のこととお喜び申し上げます。日頃は格別のお引き立てをいただき、ありがたく御礼申し上げます。
さて、このたび宇田川敬介氏が、小説『我、台湾島民に捧ぐ 日台関係秘話』(振学出版発行)を出版されました。日本の台湾統治時代、「心を攻めよ」の言葉を胸に、台湾の発展に力を尽くした初代~七代総督と、それを取り巻く人々の物語です。現在の親日の背景を伺い知ることのできる、御一読に価するものと存じます。
つきましては、宇田川氏の友人が相集いまして、出版を祝し、また同氏のさらなるご活躍を期待して、ささやかな歓談の宴を催したいと存じます。
御多忙中とは存じますが、万障お繰り合わせの上ぜひとも御臨席賜りますようお願い申し上げます。
敬具
一、日時 平成二十八年十月二十日(木)
       午後六時三十分~午後八時三十分
       (受付 午後六時開始)

一、場所 中央大学駿河台記念館一階 レストランプリオール
       東京都千代田区神田駿河台三-一一-五 
        電話(〇三-三二一九-六〇八五)

一、会費 五〇〇〇円   

主催 清野浩一 廣瀬幸子

発起人代表 菅沼光弘・佐伯浩明・東 祥三・馬越 愛

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧