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マスコミ批判に関する一考(334) 自作自演で日本を辱める朝日新聞の品性下劣な紙面の作り方

マスコミ批判に関する一考(334) 自作自演で日本を辱める朝日新聞の品性下劣な紙面の作り方
 この月曜日のマスコミ批判に関しては、ほぼ常連客になってきているのが朝日新聞である。はっきり言って、「案山子と雀の関係」になってしまうので、毎回毎回朝日新聞を書くのは、あまり気が進まない。こちらがしっかりと批判していても、全くそのことを改めないし、また、そのように描かれてもなんとも思わないのが朝日新聞である。まあ、「日本を辱める勢力」から多額の献金や広告料をもらっているのであろう。しかし、読者としては実に面白くない話なのである。
  このように、毎回のように書いていると、まさに「批判するのがふつう」であるかのようになってしまい、そのために、基本的には、何度やっても意味がなくなってしまうということになる。まさにはじめのうちはスズメが人間に間違って案山子をこわがって近寄らなくなってしまうが、そのうちに、案山子が自分たちを襲ってこないということが分かれば、案山子がスズメの休憩場所になってしまうというような「皮肉な関係」になってしまうのである。
  そのような関係ではあまり意味がないので、朝日新聞ばかりを集中して扱う気は実は、私はあまり考えていないのであるが、残念ながら、朝日新聞は「ねつ造」「自作自演」の温床であり、まあ、指摘しなければずっと続けるものであり、知られないでそのまま行っているくらいの面の皮の厚さで、あまりにもひどいので、仕方がなくそれを書かなければならない状態にあるのである。
  もちろん、ほかのメディアが問題がないわけではない。
  しかし、そもそもジャーナリズムの本来の目的や使命といわれるものはは「真実を伝えること」である。しかし、朝日新聞は「ねつ造」「自作自演」を繰り返し、その本来のマスコミの使命を完全に無視しているということになるのである。これははっきり言って許せないことなのである。
  ではなぜ、そのようなことを行うのであろうか。
  そのことを今回は見てみようとおもう。
釜山の慰安婦像に「安倍政権の対応を謝罪します」のはがき、韓国メディア報じる 差出人が「朝日新聞記者と同姓同名」とネットで話題
 韓国・釜山の日本総領事館前に設置されている慰安婦像に、安倍政権への批判や慰安婦を支持する文面の手紙やはがきが複数置かれたとする報道があり、はがきについては差出人が「朝日新聞記者と同姓同名同漢字」と、ネット上で話題になっている。
 ネット情報について、朝日新聞は「質問にお答えする立場にない」としている。
 手紙やはがきについては、韓国のノーカットニュースが18日に報じるなど、複数の韓国メディアが写真付きで伝えた。報道によると、16日に日本女性4人が置いていったという。
 手紙やはがきには、ハングルと日本語が同時に記載され、中には1枚の便箋にハングルと日本語、英語で書かれたものも。はがきには、ハングルの文面の下に、日本語で「日本人の1人として、戦争犯罪に蓋をする安倍政権の対応を謝罪します。慰安婦とされたハルモニたちに心を寄せ、共に斗います」と、差出人の名前とともに直筆で記載されている。
 この差出人について、ネット上では「朝日新聞記者と同姓同名同漢字」などと話題に。ツイッターやブログで書き込みが相次いだ。
 産経新聞の取材に対し、朝日新聞大阪本社代表室の広報担当は「ご指摘のネット情報を拝見しましたが、弊社はご質問にお答えする立場にないと考えております」とファクスで回答した。同姓同名の記者に確認したかどうかについては、電話取材に「その点については申し上げられない」としている。
(WEB編集チーム)
2017年2月22日 17時23分 産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/12707944/
 さて韓国に関して、2月まで有料メルマガで書いていた。有料メルマガを今から申し込んでいただいても、バックナンバーで読めるので、ぜひ申し込んでいただきたい。申し込みに関していえば、昨日のブログの画面から申し込み画面に飛べるので、そちらを参照していただければありがたいと思う。
  さて、その韓国の中で「事大主義」という言葉をご存知であろうか。
  世界大百科事典 第2版の解説
じだいしゅぎ【事大主義】
 小国が礼をもって大国に事(つか)えること,また転じて勢力の強いものにつき従う行動様式をさす。《孟子》梁恵王章句下に,斉の宣王が隣国と交わる道を問うたのに対し,孟子は〈大を以て小に事うる(以大事小)者は天下を保(やす)んじ,小を以て大に事うる(以小事大)者は其の国を保んず〉と答えた故事に由来している。
 朝鮮史では,李朝の対中国外交政策を事大主義と称する。1392年,高麗王朝に代わって李成桂が創建した李朝は,その前期には明,後期には清に対する〈以小事大〉の礼をもって国号と王位の承認を得て国内の統治権を強化し,定例的な朝貢使(燕行使)の派遣にともなう官貿易によって経済的利益を得,1592‐98年に豊臣秀吉の侵略をうけたときは明軍の支援を得た。
<以上抜粋>
 まさに、この「事大主義」こそ朝日新聞の現在の状況であるといえる。日本を一回の敗戦から「小国」と考え、そのまま「自分の意志を持たず、ほかの意思に従って自分の意見を簡単に変えてしまう」というあまりにもお菓子な考え方がそれである。そのために、大国の都合によって、自分が本来いるはずの日本国を辱め、そのためには「手段を択ばなくなる」という悪癖を披露しているのである。
  さて、それで、戦後長い間何とかなっていた。しかし、最近ではネット社会になり、そのような内容がすべて出てきてしまっている。民間で調査もできれば、追跡取材も真実の公表も行ってしまう。本来は、そのネット時代に合わせて、メディア側がその報道姿勢を変えてゆかなければならないのである。しかし、朝日新聞は、「発展途上国と同じような思考能力しかない」ために、また「21世紀の現在になってもいまだに報道統制を行っている中国や、ネット事おかしな事大主義でおおわれている韓国と全く同じ思考停止状態にあるために」いまだに朝日新聞自体が事大主義になってしまっており、そのために、ねつ造でも自作自演でも何でもやって日本を辱める運動をしているのである。まあ、日本人の集団とは思えない、少なくとも日本人の一般の環境にある人物たちの集団とは思えない情報環境に住んでいるかのような状況にあるのではないか。
 手紙やはがきについては、韓国のノーカットニュースが18日に報じるなど、複数の韓国メディアが写真付きで伝えた。報道によると、16日に日本女性4人が置いていったという。
 手紙やはがきには、ハングルと日本語が同時に記載され、中には1枚の便箋にハングルと日本語、英語で書かれたものも。はがきには、ハングルの文面の下に、日本語で「日本人の1人として、戦争犯罪に蓋をする安倍政権の対応を謝罪します。慰安婦とされたハルモニたちに心を寄せ、共に斗います」と、差出人の名前とともに直筆で記載されている。
 この差出人について、ネット上では「朝日新聞記者と同姓同名同漢字」などと話題に。ツイッターやブログで書き込みが相次いだ。<上記より抜粋>
  まさに、読者なども疑問に思っているのに「答える立場にない」という。つまりは、「自分たちの報道に関して責任をもって質問に答えることができない」ということなのである。そのような新聞社が存在してよいのであろうか。
  いまだに朝日新聞を読んでいる人がいれば、これらのことに関ししっかりと答えていただいたらいかがであろうか。

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マスコミ批判に関する一考(333) 「南京大虐殺」が話題になるたびに、朝日新聞この大誤報を行ったことを世に知らしめるべきではないか

マスコミ批判に関する一考(333) 「南京大虐殺」が話題になるたびに、朝日新聞この大誤報を行ったことを世に知らしめるべきではないか
 言論には自由がある。このことは憲法にも書いてあるし、また、その憲法になくても、世界的にそれらは確認されていることと思う。もちろん、中国や北朝鮮のように「共和国」とか「人民が主役」などといいながら、まったくそれらの自由を「人民」に認めない国は少なくない。旧共産主義系の国家や独裁国家において、そのような内容は少なくないのである。
  まあ、そのような国以外では、実は「言論の自由」は保証されている。しかし「自由」である以上、当然に「責任」もその中には存在する。「言論の身勝手」ではなく「言論の自由」である。そのことがわかっていない人が「自由」などということを言われても困るのである。日本のマスコミは、その辺のことが全く分かっていない。「責任」は、当然に「責任」を追わなければならない。では、その「責任の範囲」とは一体何であろうか。
  以前、マスコミのベテランの人に聞いたとき「日本の場合は、責任を取るといっても『三行責任』でいい。つまり、何か間違えていても、どこかに小さく三行くらい謝罪の言葉を書けばそれで終わる。あとは日数が過ぎればみんな忘れてしまうのだ」というのである。まさに、そのことがマスコミの現在の認識である。そのベテランの方はすでに鬼籍に入った方であるので、批判する気はない。しかし、現在のマスコミのベテランやまたは編集長、または、とりしまりやくくらすのひとびとは、「三行責任」の世代の人々に育てられた世代である。そのために、そのような「三行の謝罪広告であとは忘れてしまう」というようなことで十分に終わると思っている人が少なくない。
  当然に、中国など「報道統制」をしている国も同様であり、また、昔の日本も、結局マスコミ以外には情報の入手先がなかった。そのために、『三行だけ広告を出す』ことによって「謝罪をした」という形式を整え、そのうえで、他の情報が入らないので、新たな情報を溢れさせてしまえば、それでわすられたのである。実際に、昔のマスコミはsのようなものであろう。しかし、現在ネットの中においてはそのようなものではない。では、そのネットのことはどのように考えたらよいのであろうか。ネット時代に、対応できない場合は、当然にマスコミが「時代遅れ」の存在になるのである。
  まさにそのような状況になる。情報において「中国」と「マスコミ」だ怪我時代に取り残されているような気がしてならない。
南京事件「大虐殺」広まった一因、取材手法に疑問 「朝日新聞は検証すべきだ」OB激白
 アパホテルに「南京大虐殺」などを否定する書籍が置かれていることを中国政府が批判し、「言論弾圧」などと注目されている。歴史学者の間でも諸説が分かれる南京事件が「大虐殺」として広まった一因には、かつて朝日新聞のスター記者として知られた本多勝一氏が長期連載した『中国の旅』が果たした影響は大きいとされる。同紙で敏腕記者として活躍した、ジャーナリストの長谷川●(=熈のノを取り、巳が己)(ひろし)氏(83)は、「いまこそ、『中国の旅』の徹底検証をすべきだ」と主張している。
 本多氏は、日中国交正常化(1972年9月)前の71年6月から7月、共産党一党独裁の中国を取材して「被害者」の証言を聞き、同年8月から12月、同紙夕刊に『中国の旅』を掲載した。そこで記された残虐行為は、衝撃的だった。
 後に出版された単行本『中国の旅』(すずさわ書店)のあとがきで、本多氏は《本書は中国側での取材にもとづいて報告しています》(370ページ)と記している。確かに、南京事件の犠牲者数「約30万人」も、南京港務局内河船員の証言のくだりで突然登場する(292ページ)。
 そこには、(注2)とあり、324ページで《正確な数字はむろん知るよしもない》と書き、中国側の発表《四三万人》東京裁判の判決《一一万九〇〇〇人》という数字も記している。
 旧日本軍兵士の行為も、にわかには信じがたい内容だ。
 例えば、《日本軍の強制連行に反対した労働者が、その場で腹をたち割られ、心臓と肝臓を抜きとられた。日本兵はあとで煮て食ったという》(293ページ)とある。日本人の感覚からは考えられないものだ。
 長谷川氏が疑問視するのは、本多氏の取材手法だ。
 連載当時には、南京攻略戦に参加した旧日本軍将兵や、従軍取材した朝日記者も存命していたと思われる。同書を読む限り、裏付け取材などの形跡は見当たらない。
 どうして、これが許されたのか。
 長谷川氏は「当時の広岡知男社長は『親中国』というより『親中国共産党』という考えの人だった。そして、本多氏は朝日新聞のスター記者だった」といい、続けた。
 「朝日内部でも、『おかしい』と思った社員がいなかったわけではないと思う。ただ、それを表立って口にする雰囲気ではなかった。『本多勝一』という有名人、その背後には広岡社長がいた。こうした環境では、本多氏の先輩であろうと、ましてや後輩に至っては『変じゃないか』とは口に出せなかった。それが、長期連載された最大の理由だと思う」
 『中国の旅』については以前から、記事の信憑(しんぴょう)性や取材方法などに疑問が投げかけられたうえ、写真の誤用も問題視された。そして、数百万部の部数を持つ新聞の連載が、日本や国際社会に与えた影響は甚大だ。
 長谷川氏は、朝日新聞が慰安婦問題の大誤報を認めた(2014年8月)後、同紙の慰安婦報道について取材を重ねた。著書『崩壊 朝日新聞』(WAC)を出版し、古巣の責任を厳しく追及している。
 今回、アパホテルの騒動を受けて、朝日新聞は『中国の旅』にどう向き合うべきなのか。
 長谷川氏は「今からでも、どういう経緯で長期連載が行われたのか、原稿について、どのような吟味がなされたのか、それともなされていないのか、本多氏が中国で聞いた話の真偽も含めて、第三者の立場から追跡して、結論を読者、天下に明らかにすべきだ」「こうした検証の手続きをしないのであれば、朝日新聞は正当な報道言論機関としての地位は得られないと思う」と提案する。
 夕刊フジでは、朝日新聞社に対し、『中国の旅』について検証をする考えがあるのかどうか、書面で聞いた。
 同社広報部は「南京事件を含め、日中戦争や太平洋戦争に関する取材は今後も続けていく」と回答。OBから取材について不十分との指摘があることについては、「コメントはない」とした。
 
ZAKZAK 20170213
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170213/dms1702131130002-n1.htm
 さて、朝日新聞の「言論の自由」に対応する「責任能力」はどうなのか、ということになる。朝日新聞は、吉田調書などにおいて「誤報」「捏造」のオンパレードであった。実際に、それ以外の記事、慰安婦問題やここに書いてある南京虐殺などに関しても「誤報」であるといわれている。
  その「誤報」「捏造」に対する「責任」をどのようにとるのか。
  本来であれば、「その誤報や捏造記事を書いた人の処分」などはある程度「当然」のことであり、実際には「その記事による影響を消す」ということが必要になる。しかし、残念ながら、朝日新聞はそれらについてまったく行っていない。
  ではなぜ何もしていないのか。単純に「責任を取らなくてもよい」という感覚が染みついているからに他ならない。もっと言えば、「責任を取らなくても責任を追及されなくてよいし、また、責任問題にならない。単純に、忘れてしまっているので、みんな買ってくれる」ということであろう。
  さて、この「朝日新聞の問題」は、一つには「朝日新聞の社内体質」の問題があるが、同時に、この問題の根底には「そのような捏造記事に関してそのまま購入し購読し続ける読者がいる」ということ、つまり、「捏造を知らないのか、あるいは捏造をそのまま放置している読者」が最も大きな問題であり、「捏造気に対する責任を全く感じさせない」ということが最大の問題なのである。まさに「捏造ファンタジー新聞をありがたがって読んでいる盲目で常識のない読者」が、最大の問題であり、そのような「捏造をそのまま信じる朝日新聞を盲目的に信じる新興宗教のような状態」が最もおかしな状況なのである。
  そのようなところでるから、上記にあるように、「朝日内部でも、『おかしい』と思った社員がいなかったわけではないと思う。ただ、それを表立って口にする雰囲気ではなかった。『本多勝一』という有名人、その背後には広岡社長がいた。こうした環境では、本多氏の先輩であろうと、ましてや後輩に至っては『変じゃないか』とは口に出せなかった。それが、長期連載された最大の理由だと思う」<上記より抜粋>というようになってしまうのである。
  さて責任の取り方から言えば、「今からでも、どういう経緯で長期連載が行われたのか、原稿について、どのような吟味がなされたのか、それともなされていないのか、本多氏が中国で聞いた話の真偽も含めて、第三者の立場から追跡して、結論を読者、天下に明らかにすべきだ」「こうした検証の手続きをしないのであれば、朝日新聞は正当な報道言論機関としての地位は得られないと思う」<上記より抜粋>であり、それを行わせるように「中国が南京虐殺を言うたびに、朝日新聞に対して、抗議集会をするような捏造記事を忘れないで朝日新聞に責任を取らせる活動」をすべきではないのか。
  日本人の常識に対する感覚が試されている気がするのである。

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毎年恒例、2016年10大ニュース「世界編」

毎年恒例、2016年10大ニュース「世界編」
 昨日は「日本編」を行った。
  恒例の「2016年の10大ニュース」である。
  昨日の最後に「日本は比較的平和であった」ということを書いたが、しかし、世界のニュースはそのようなことはない。
  要するに「世界の衝撃の波がいまだに日本に来ていない状態」ということが言える。
  日本のニュースの中では、「あっまり政治的な大きな動きがなかった」という特徴がある。
  要するに「政治的にあんてしていた」ということになる。
  そのような場合は、「天災」や「事件」が上位を占めるということになる。
  そして、心に余裕があるときは「開発」などの内容が上位に来る。
  その意味においては、北海道新幹線の開業やポケモンGOなど、日本の国民には余裕のある内容が多く上げられたのではないかという気がしてならない。
  もちろん、これで「世界中が同じように事件や天災」ばかりのニュースであるならば、世界中が秘話で安定していたということになろう。
  しかし、世界のニュースはそのようになっていなかったということが最も大きな内容ではないかと思う。
 とりあえず、ニュースを見てみよう。
《1》米大統領選でトランプ氏勝利
《2》英国民投票で「EU離脱」過半数
《3》韓国・朴大統領、友人女性の国政介入疑惑で窮地に
《4》ノーベル文学賞にボブ・ディランさん
《5》「パナマ文書」公開で各国に波紋
《6》オバマ米大統領がキューバ訪問
《7》北朝鮮が初の「水爆実験」実施発表
《8》ロシアの国主導でのドーピング認定
《9》ミャンマー新政権発足。スー・チー氏は事実上トップの国家顧問に就任
《10》キューバのカストロ前議長死去
 さて、正直な話《4》ノーベル文学賞にボブ・ディランさん、《8》ロシアの国主導でのドーピング認定、《10》キューバのカストロ前議長死去の三つ以外は、すべて「政治関連」である。
  それも、「政治の大きな変化」を表している。
  例えば1位のトランプ勝利に関しても、今までの民主党から共和党に大きく変わったということを意味し、アメリカの青磁が大きく変わることを意味している。
  また2位の、イギリスが国民投票でEU離脱を決断したことは、ヨーロッパが長年続けてきたヨーロッパ連合対という枠組みが、大きく崩れ始めたということを意味している。
  この二つによって、アメリカとヨーロッパちう二つの大きな政治システムが変わったということを意味しているのであるから、非常に大きなものであろう。
  第三位に関しても、何回かブログでは取り上げたし、これから有料メルマガで書くことになるが、イギリスの国民の多くが、韓国の政治の変化を求めているということであり、当然に、その政治の変化を受け付けなければ、暴動や革命につながるという感じがするのである。
  パナマ文書は、IS関連の資金源などに非常に大きな問題になっているし、またキューバ訪問は、長年の中米の不安定要素が無くなったということを意味している。
  東西冷戦以来の大きな枠組みが変わり、新たな世界秩序が生まれようとしているようにしか見えないような気がするのである。
  その中で必死に独自色を表しているのが北朝鮮であり、その独自色の「切り札」として核兵器を使おうとしている。
  また、ミャンマーは、今まで中国の影響下にある軍事政権から欧米の民主化勢力によって大きく変化したということになるのではないか。
  そのように考えれば「アメリカ」「イギリス(ヨーロッパ)」「東アジア」「東南アジア」ということろが、大きな変化に巻き込まれて変わりつつあるという感じになって聞いたのではないか。
  そのような観点で、11位以下を見てみよう
〈11〉フィリピン大統領にドゥテルテ氏就任
〈12〉仏でトラック突入テロ、85人死亡
〈13〉ジカ熱でWHOが緊急事態宣言
〈14〉エクアドルで大地震、死者660人超
〈15〉仲裁裁、南シナ海の中国主権認めず
〈16〉イタリア中部で大地震。死者約300人
〈17〉ボクシング元王者モハメド・アリさん死去
〈18〉タイのプミポン国王死去
〈19〉ブリュッセルで空港・地下鉄同時テロ
〈20〉米フロリダで銃乱射、49人死亡
 さて、
  このよう鵜に見てみると「テロ」を事件撮るか「政治」とみるかで大きく変わってしまうのであるが、実際「政治」とみれば、かなり多くが政治に入ることになる。
  11位のフィリピン、12位のフランスニースのテロ、15位の中国の仲裁裁判敗訴、19位のブリュッセル地下鉄テロ、そして20位のフロリダ銃乱射テロ。
  20位までの間に5つが政治関連ということになるのである。
  そして、この20位までの間に、中国の内政のことが入っていないということになる。
  中国は南シナ海における仲裁裁判所の敗訴だけが大きな問題になった。
  しかし、その国内の内容が、あまり大きく報道されていないだけであり、実際は経済の問題や国内のテロも多発している。
  年間の政治目的のデモ行進などはすでに20万件をとっくに超えてしまっていて30万件を超えいているという推定値も出てきている。
  11月には、退役軍人のデモが北京で行われるなど、軍人退役軍人もデモに参加するようになり、非常に危険な状況になっているのである。
  それでも、なぜか日本の報道機関は中国の不利益をあまり報道しないような状況になっており、そのために、北京のデモなどもあまり報道しないので、日本の新聞読者の記憶の中に入らないということになってしまっているのではないだろうか。
  このように考えると、世界は、非常に大きく動いていて、その非常に大きな動きの中において、日本だけが平和であったかのような気がしてならない。
  いや、日本はその影響を受ける寸前まで来ているのであるが、残念ながら、日本の報道機関がそれらのことをあまり報道しないので、日本人は事前に備えることができるのに、まったく備えることができない状態にあるというような状況になってしまっているのではないだろうか。
  これでは困ってしまう。
  そのために様々な情報を得なければならない。
  いわゆる「手例や新聞しか信じない人」は、このような政界の動きに全く気付くことが無くなってしまい、そのために、危険を事前に察知することができないというような感じになる。
  それでは、そもそもの「報道」は「誰のために報道をしているのか」というような感じになってしまうのではないだろうか。
  世界は非常に大きく動いている。
  その動きは「新たな秩序」に向かって動いているという気がしてならない。
  日本は、その「新たな秩序」の中心にいることができるようになればよいのではないか。
  そのように思うのである。

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毎年恒例、2016年10大ニュース「日本編」

毎年恒例、2016年10大ニュース「日本編」
 毎年恒例の10大ニュースである。
  さて今年はどんなニュースがあったであろうか。
  なお、この文章に限っては、有料・無料すべてのメールマガジンも併せて配信することにしようと思う。
  まあ、どれを読んでも同じ文章ということになるので、それはそれでちょうどよいと思うし、また、読みやすいところで読んでいただいたらよいのではないかと思う。
  有料メルマガの人だけは、先日、特別に今年あったことでも注目内容を書い。
  その内容は、私自身が注目している内容ということになり、来年の注目内容に関しても書いてみたのであるが、今回は、「一般読者」のアンケートに基づく内容ということになる。
  さて、今年も読売新聞の「2016年の10大ニュース」をそのまま引用する。今のところまだクレームは届いていないので、今年ですでに何回目になるであろうか。
  まあ、面白いのでこのまま行いたいと思う。今日は「日本のニュース」である。
  まずは順位。
《1》熊本地震、死者50人
《2》東京都知事に小池百合子氏。築地市場の豊洲移転延期、五輪施設計画見直し
《3》リオ五輪、史上最多のメダル41個
《4》天皇陛下、退位のご意向を示唆
《5》オバマ米大統領が広島訪問
《6》ノーベル生理学・医学賞に大隅氏
《7》北海道新幹線が開業
《8》相模原市の障害者施設で19人刺殺
《9》18歳選挙権施行
《10》「ポケモンGO」日本で配信開始
 さて、パッと見て、相変わらずではあるが「明るいニュース」が少ない。
  その中で明るいニュースは《6》ノーベル生理学・医学賞に大隅氏《7》北海道新幹線が開業であろう。
  まあ、ノーベル賞も日本の人がとることもあまり珍しくなくなった。
  数年前ならばノーベル賞受賞も一位であったと思うが、今となってはこれくらいの順位になってしまうというのも、日本の科学力というものの進歩が大きくなってきたのではないかという気がしてならない。
  一方「北海道新幹線」は、やはり日本の新幹線網が非常に強く大きくなったということから、非常に大きな内容になっているのではないか。
  いよいよ新幹線が北海道に渡ったという感じである。
  あとは四国であろうか。
  北海道としては非常に期待していると思うが、実際のところは、その採算や駅ができた周辺は、どのような感じになっているのであろうか。
  また、来年になって「開業一年」というような感じになるのであろう。
  もう一つ「明るいかどうかはわからない」ニュースが《10》「ポケモンGO」日本で配信開始であろう。
  者の販売などのニュースが出てくるのは非常に珍しい。
  当然に、日本中が話題になったという感じがしている。
  なお、私はやっていないので、あまり詳しくその内容はわからないのであるが、しかし、その内容に関して、社会現象的になるのである。
  まあ、単純に言って、社会現象でブームになるという感じであるのだが、しかし、同時に「ポケモンGOをやりながらの事故」というのも非常に大きな問題になったものである。
  さて、私がブログで取り上げたのは、
  《2》東京都知事に小池百合子氏。築地市場の豊洲移転延期、五輪施設計画見直し
  《3》リオ五輪、史上最多のメダル41個
  《4》天皇陛下、退位のご意向を示唆
  《5》オバマ米大統領が広島訪問
  《9》18歳選挙権施行
  であろうか。
  私個人といては「天皇陛下のニュースがトップではない」というのは、ある意味戦後日本の象徴であるのかどうか、そのことに関する国民の意識の低さではないかという気がしてならない。
  さて、今年の傾向として政治の話題が少ない。
  基本的に、政治そのものが安定していたということになろう。
  政治が安定しているということは、やはりそれなりによいことである。
  今の政治に不満がある人でも、実際に「安定している」ということに関して言えば、将来が先に見渡せるということである。
  つまり、さまざまに自分の予定を作ることができるという音になる。
  もちろん、三国志の早々のように「治世の能臣・乱世の姦雄」といわれるような人にとっては、乱世の方がいいのかもしれない。
  しかし、そのような人ばかりではない。
  よってやはり安定が良いように考える人が多い。
  しかし、安定というのは「護送船団方式」というような言葉でわかるように、「最も低いものに合わせる」か、あるいは「選民主義」というように「優秀な人物だけで残りを切り捨てる」かいずれかしかない。
  現在の内容は「選民主義」ではないので、「低値安定」ということになりかねない状態であるといえよう。
  長期間安定しすぎればそのようになってしまうものの、「すぎる」までいっていないのであるから、まだ安定の方がよいであろう。
  また、この順位を見ていて「来年に禍根を残しそうな内容」というものもない。
  しいて言えば天皇の譲位の問題であろうが、これも「政争の具にしない」ということであれば、国民的な議論になるものと思われる。
  あとはオリンピックであろうが、しかし、小池知事が頑張っても、あまり成果はなさそうな間である。
  日本の官僚組織は動き始めたら、組織という「集団管理体制」で動いてしまうために、当然に、その組織そのものをすべて壊さない限りその内容は止まりはしないのである。
  そのように考えた場合、「黒い頭のネズミ」などといって「ボスの頭をとること」を考えている小池知事では、やはり限界があるということになる。
  組織そのものを変えるだけの大きな「組織力」と「集団力」を使わなければならないのである。
  それだけの集団力を作り出せない場合、小池知事は組織力に負けてしまうことになろう。
  もちろん、その組織力の中に「都民の声」というものが存在することになるが、しかし、その「都民の声」も「声なき声」になってはいけない。
  結局のところ、「声」が「形」になり「実行力」を持たなければ、泣かんか「組織力」田中真紀子の言うところ「伏魔殿」には勝てないのではないだろうか。
  さてこのような感じで事審「10大ニュース」を見てみた。
  実際のところ、実は今年は日本はそんなに大きな動きはなかった。
  その大きな動きがなかったということは、「平和だった」ということではなく「嵐の前の静けさ」である問うことではないかと思う。
  これは、日本だけでわかるものではない。
  明日、世界の10大ニュースをお送りするので、それを読んでもらいたい。
  日本は「つかの間の平和」を味わいながら、世界では「新たな枠組み」になっているということがある。
  そのことを実感していただければ、今年のまとめになるのではないかと思うのである。

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【土曜日のエロ】 「見せたがる」女性が急増する「自撮り」という文化

【土曜日のエロ】 「見せたがる」女性が急増する「自撮り」という文化

 毎週楽しみの土曜日のエロである。この中では、エロを追求しながら、国民性や人間性、場合によっては政治や経済などをしっかりと考えてみたいと思うのである。やはり「エロ」というのは、基本的には「人間の基本」であると思う。先日ある場所で講演をしたのであるが、基本的に「宗教」というものは「死生観」が中心になった価値観であり、その価値観の宗教から、文化や国民性が生まれてくる。しかし、なぜか「死」ばかりがクローズアップされてしまうのであるが、本来ならば「死生観」というくらいであるから「生」という部分もしっかりと考えてみなければならないはずだ。しかし、その「生」の部分、もっと言えば「生まれるための儀式」は、なぜかあまり注目しない。もちろん「生まれるための儀式」とは「エロ」である。
  そもそも「エロ」がなければ、新しい命は生まれず、命が生まれなければ「死」もない。単純に言って、人がいるから政治も経済も主教も存在するのであるが、なぜか、その根本の部分の「エロ」は、あまり注目されないのである。
  そのために、なぜか「エロ」だけが、「変なこと」のように見られてしまうのである。
  では、本当にすべての人にエロは嫌われているのであろうか。
  いや、逆に「エロ」は「すべての人が好き」なのである。かなり誤飲なもって生き方だが、この流れで行ってみよう。
  そもそも「エロ」をやるにあたっても、「女性らしい女性」「男性らしい男性」が異性に求められる。あえて普段は使わない「らしい」という単語を使う。よく「学生らしい格好をするように」などと学生にいう先生やPTAがいる。しかし、これは間違いである。はっきり言うがどのような格好をしていても、学生は学生である。要するに「学生らしい」と「本物の学生」にいうこと自体、「本物の学生を知らずに、その学生に対して、自分たち(大人)の価値観を押し付けている」」ということになり、その価値観の押し付け自体が間違いであるということになるのである。
  しかし、女性が男性に、男性が女性に、まあ中には同性愛もいるが、そのような場合に「相手方」に押し付ける価値観は、「自分の好み」であり「女性らしい女性」「男性らしい男性」というように、自分の好みに合った異性の価値観を押し付けるのである。
  さて、一方、「自分」は、どのように飾るのであろうか。
  まさに「自分」も「理想」の女性、男性になるように自分で努力をする。まあ、私のように早くからあきらめてしまっている人も少なくないようで、ラジオのアンケートで「自分の顔が好き」「自分の顔が嫌い」というのと同時に「ほっといてくれ」というような選択肢があった場合、その「ほっといてくれ」というのが最も多かったというような笑い話もあるが、しかし、まだ、私のようにあきらめていない人(年齢などに関係はない)は、当然に、自分の理想に自分が近づくということを優先するようになるのである。
  具体的にはどうなのであろうか。男性の場合は「シックスパック」というように腹筋が割れていて(私はワンパック、お腹が丸く出ているのである。もう少しするとスリーパック、いわゆる三段腹に変形する)、筋骨隆々で清潔で……というような感じで、話が出てくるのである。まあ、このようなものではなくても、例えば上品でロマンスグレーでシルクハットが似合い……とか、さまざまな「自分の理想」があり、その理想に近づくような感じになっている。
  当然に、女性に関しても同じだ。「肌」「化粧」「服装」「スタイル」さまざまなところで「美と健康」ということがテーマになっており、そのテーマに様々な話が出てくることになる。そして、そこを追求し、その追求した体を披露する。
  このように言えば、「何を言っているのか」とあるが、しかし、そのように起こる人ほど来年の春くらいになると「夏の水着のシーズンに向けて……」というような企画に食い入るように見つめたりしているのである。
  では、それで「ある程度自分の理想の体型や理想の美をつかんだ女性」というのはどうなるのであろうか。もちろん男性もあるのだが、下記の記事が女性なので、記事の後ろは、独断と偏見で女性だけを考えて話をしてみよう。

運転中のトップレス自撮りでパトカーに衝突、米女子大生を逮捕

 [オースティン(米テキサス州) 27日 ロイター] - 米テキサス州のA&M大学に通う女子学生(19)が26日、運転中に自らのトップレス姿を自撮り(セルフィー)で撮影しようとして警察車両の後部に衝突し、逮捕される出来事があった。警察が27日、明らかにした。
 運転席脇のカップホルダーには、開封したワインボトルが置かれていたという。
 逮捕した警官の調書には「赤信号で停止した際、ボーイフレンドに送ろうとトップレス姿のセルフィーを撮影しようとした、と供述」と書かれている。
 学生は飲酒運転の疑いで逮捕され、2000ドル(約21万円)を支払って保釈された。

ロイター 20161027
http://jp.reuters.com/article/OJPOE-SELFEETOPLESS-idJPKCN12S0P1

 さて、「女性」は「見せる」ということを非常に喜ぶ。もちろん、ヌードという意味ではない。自分の身体を見せるということに、非常に大きな抵抗もなく、むしろ喜んで見せている。
  このように言うと「そんなことはない」という人がいる。しかし、女性のパーティードレスなどは、まさに「極限まで見せる」ということいが前提になっているではないか。もちろん、それは「例外」という人もいるかもしれないので、あらかじめ言っておけば、そもそも「スカート」を吐く時点で足を見せるということが前提になっているのであり、ウ3あた、化粧をする時点で「みられる」ことが前提になっているのである。
  本人がそのように意識していなくても、無意識のうちに、そのような感覚を持ってしまっているというのが女性なのではないだろうか。もちろん、だからといって私が、いた男性がじろじろ見て居れば「変態」とすごい勢いで怒られるのであるが。また、欲夫婦の会話などで「髪を切った?」と聞かれると、k3位づかれたといって喜ぶというのは、実際に「見られている」ということの意識があり、その見られていて変化に気付かれることによって、喜びを感じるというような「見られることの喜び」を示しているのに過ぎない。
  このように言えば「見られたい人だけに見られたい」などというが、実際に、自分が嫌いな人だけは見ないようにするなどということは不可能であり、そのために、、全体に見られてしまうということになるのである。
  さて、その状態の中において、その女性が「より一層見られることに快感を覚えた場合」どのようになるのであろうか。
  そのことが、上記の記事である。
  上記の記事にあるのは、「運転中に自らのトップレス姿を自撮り(セルフィー)で撮影しようとして」<上記より抜粋>とある。まさに、自分の裸を見せるということに快感を持つということになる。まあ、ある意味で「自分の裸」に自信を持っているということであろう。特に「自動車の中」というのは、見られているかのようでありながら、囲われていることからプライベート空間のようになっており、少なくとも法的解釈に関しては、法学者の間でも見解が分かれるところである。
  その「半プライベート空間」において、自分の裸を自撮りするというのであるから、それはそれはなかなか困ったものである。
  逆に言えば「そこまで自信があるならば、自撮りとかでなく、もう少し公開の場所で見せてくれればよいのではないか」と思ったりもするのであるが、まあ、これ以上言うと私の変態さ加減がわかってしまうので、これ以上はやめておこう。
  さて、最近の「自撮り」ブームというのは、まさに「人間の見られたい願望」が結実したものであろう。スマホという手軽にそれが実現でき、なおかつネットという直接的には相手の声が聞こえない「仮想空間」に出すことによって、自分の「見られたい願望」を充足させるということになる。そのことは、実は世界中の不特定多数に見られているのであるが、そのことに本人が気が付かなければよいということになっているのである。ある意味で、ネット上に裸をさらすことは、ストリップ劇場のような閉鎖的な環境で裸になるよりも多くの人に裸を見せていることになるのであるが、そのことに本人が気付いていなければ良い、ということなのである。そして、自分が気付かれていないので、自分の許す「友達」の範囲内で、満足しているということになる。逆に言えば、それだけ「裸を見られることに抵抗がない」ということでしかないのである。
  まあ、もう少し、自分の欲望に正直になっていただけると、世の男性も喜ぶのではないか。そのように感じるのである。

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「我、台湾島民に捧ぐ 日台関係秘話」発売記念の出版パーティー開催

「我、台湾島民に捧ぐ 日台関係秘話」発売記念の出版パーティー本日開催

 今日はニュースというよりは宣伝とご案内である。
  10月25日、「我、台湾島民に捧ぐ 日台関係秘話」(振学出版)が発売される。
  https://www.amazon.co.jp/%E6%88%91%E3%80%81%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%B3%B6%E6%B0%91%E3%81%AB%E6%8D%A7%E3%81%90-%E6%97%A5%E5%8F%B0%E9%96%A2%E4%BF%82%E7%A7%98%E8%A9%B1-%E5%AE%87%E7%94%B0%E5%B7%9D%E6%95%AC%E4%BB%8B/dp/4434225634/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1476833320&sr=8-1&keywords=%E5%AE%87%E7%94%B0%E5%B7%9D%E6%95%AC%E4%BB%8B
  本の内容は、
  日清戦争後、下関条約によりはじまった日本の台湾統治。苛烈をきわめた台湾での抗日乙未戦争のなか、マラリアに倒れた近衛師団長北白川宮能久親王は、「心を攻めよ」と言い残す。
この言葉を胸に、台湾の発展のため力を尽くした初代~7代総督と、それを取り巻く人々の物語。
現在の親日の背景が、ここに描かれる! 著者最新の歴史小説。
 ということである(アマゾンホームページより抜粋)
 
  さて、今日はいつものブログと異なり、宣伝であるので、基本的にはご案内だ。
  さて、このブログをに読んでいる人、実は10月20日、要するに本日、下記要領で出版パーティーを行います。お時間がある方、とくに招待状などはいらないので、ぜひご参加ください。

宇田川敬介氏 出版記念パーティーのご案内

謹啓 中秋の候 皆様におかれましてはますますご清栄のこととお喜び申し上げます。日頃は格別のお引き立てをいただき、ありがたく御礼申し上げます。
さて、このたび宇田川敬介氏が、小説『我、台湾島民に捧ぐ 日台関係秘話』(振学出版発行)を出版されました。日本の台湾統治時代、「心を攻めよ」の言葉を胸に、台湾の発展に力を尽くした初代~七代総督と、それを取り巻く人々の物語です。現在の親日の背景を伺い知ることのできる、御一読に価するものと存じます。
つきましては、宇田川氏の友人が相集いまして、出版を祝し、また同氏のさらなるご活躍を期待して、ささやかな歓談の宴を催したいと存じます。
御多忙中とは存じますが、万障お繰り合わせの上ぜひとも御臨席賜りますようお願い申し上げます。
敬具
一、日時 平成二十八年十月二十日(木)
       午後六時三十分~午後八時三十分
       (受付 午後六時開始)

一、場所 中央大学駿河台記念館一階 レストランプリオール
       東京都千代田区神田駿河台三-一一-五 
        電話(〇三-三二一九-六〇八五)

一、会費 五〇〇〇円   

主催 清野浩一 廣瀬幸子

発起人代表 菅沼光弘・佐伯浩明・東 祥三・馬越 愛

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【土曜日の暴言】色ボケ教授の老いらくの恋によって崩された司法試験制度と「法律の専門家」という摩訶不思議な身分との関係性

【土曜日の暴言】色ボケ教授の老いらくの恋によって崩された司法試験制度と「法律の専門家」という摩訶不思議な身分との関係性
 今週は暴言を吐かせていただこう。
  今週の事件の中で最も興味深いのが「司法試験問題漏洩」である。私自身、法学部出身で司法試験に挑戦した経験があるだけに、もう20年以上たっている現在になっても他人事には思えない。はっきり言って、試験問題が漏洩するということ自体が、不正であるし、ほかの受験生を馬鹿にした部分があるとは思うが、それ以上に、もっとうまくやったらどうかと考えてしまう部分もある。まあ、巧妙に行ってもばれてしまうのが犯罪なのであるが、しかし、あまりにも単純でまたどうにもならない状態であるということが言える。
  そもそも、下記の記事を入れていないが、この教授、なぜ漏洩したかに関して「恋愛感情があった」という。しかし、67歳(報道による)の教授が、20代の司法試験受験生に「老いらくの恋」をして、その結果「不正」を働くというのもあまりにもおかしなものではないかと考えていまうのである。
  行けないことではあるが、まず、個人的な興味としては、その女性は「そんなに美しい女性」なのかということが気になる。実際に「傾国の美女」といわれるような美女がいる。中国の古典から見れば項羽における愚美人や、呂布における貂蝉などは、まさにその代表格であろう。しかし、67歳の社会的に名誉もある人が、その社会的な名誉もステータスも捨てて、不正を行う位の女性というのはどんな「美女」なのか、非常に気になるところである。もちろん「美女」といっても外形ばかりではない。日本人は「美女」というと外形を重視するが、内面なども含めて「どのような女性なのか」ということが非常に気になるものである。ちなみに、インターネットなどで公開するようなことを推奨したり望んでいるのではないので、その辺ご理解ください。
  さて、この問題で大きくクローズ亜ぷされたのが「法律の専門家」といわれるものと「司法試験制度」ということである。より過激なことを記事の後ろに書くつもりなので、お楽しみに。
司法試験の問題漏えいか=明大大学院教授が受験生に
 今年の司法試験で、問題作成などを担当する「考査委員」を務めていた明治大法科大学院の教授が、試験前に教え子の受験生に問題の内容を漏らしていた疑いのあることが7日、関係者への取材で分かった。
 法務省が教授や受験生から事情を聴くなど調査を進めており、教授は漏えいを認める趣旨の説明をしているとみられる。司法試験の合格発表は8日で、同省は同日、漏えい問題についても発表する。
 関係者によると、漏えいの疑いが持たれているのは明大法科大学院の60代の男性教授。この教授が作成に関わった憲法の論文試験などの内容が、今年5月の試験前に教え子の20代女性に漏れたとされる。
 司法試験の考査委員は、問題の作成や採点、合格者の判定を担当し、学者や弁護士、司法研修所教官などの学識経験者から、試験ごとに法相が任命する。非常勤の国家公務員として守秘義務が課せられ、出題内容を示唆することなどは禁止されている。憲法や民法などの担当科目があり、今年の考査委員は約130人。
 司法試験をめぐっては2007年、考査委員だった当時慶応大法科大学院の教授が学生を対象に勉強会を開き、実際に出題された試験問題と重なる論点を説明していたことなどが判明。これを受け、法務省は問題作成に関わる考査委員は受験生らを指導しないことを義務付けた。
 この教授は国家公務員法違反(秘密漏えい)容疑で告発されたが、東京地検特捜部は08年、嫌疑不十分で不起訴処分にした。 
じじつうしん 2015年9月7日(月)23時46分配信 時事通信 ツイート
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jiji-2015090700809/1.htm
司法試験漏えいで刑事告発、東京地検特捜部が捜査
 今年の司法試験で問題を作成した明治大学法科大学院の教授が、教え子の女性に出題内容を漏らしたとして、法務省に考査委員を解任されました。東京地検特捜部が国家公務員法違反の疑いで捜査しています。
 「考査委員」を解任されたのは、明治大学法科大学院の青柳幸一教授(67)です。
 青柳教授は今年の司法試験で、論文式試験の憲法に関する問題を作成しましたが、法務省などによりますと、受験生だった教え子の20代の女性に試験前に出題内容を教え、指導していたということです。
 この女性の点数が突出して高かったことから法務省が調査を行い、教授は漏えいを認めたということです。
 法務省は青柳教授を8日付で考査委員から解任し、教え子の女性(20代)については、採点の対象から外し、今後5年間、司法試験の受験を禁止する処分を行いました。
 「誠に遺憾に感じている。徹底した原因究明、再犯防止策の構築に向けたワーキングチームの設置に加え、刑事告発も含めた厳正な対応を検討するよう指示した」(上川陽子法相)
 法務省は「情報の流出先は1名に限られ、合格者の判定に影響はなかった」としていますが、ワーキングチームを設置するとともに、青柳教授を国家公務員法違反の疑いで刑事告発しました。すでに東京地検特捜部が教授から事情を聴くなど捜査しています。(08日11:22)
2015年9月8日(火)11時56分配信 TBS ツイート
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/tbs-20150908-41421/1.htm
司法試験問題漏えい、突出した得点で発覚
 日本最難関の国家試験、司法試験で問題を作成するなどした明治大学法科大学院の教授が教え子の女性に出題内容を漏らしたことが発覚し、東京地検特捜部が捜査を進めています。
 法務省で行われた司法試験の合格発表。合格率およそ23%の狭き門です。合格発表の一方で、試験の公正さを揺るがす問題が発覚しました。
 「必死に正々堂々やっているのに、そういう先生たちに選ばれたくない」(合格者)
 2005年から司法試験の問題を作成する「考査委員」を務める明治大学法科大学院の青柳幸一教授(67)。法務省などの調査で、教え子の女性に問題を漏えいした疑いがあることが分かりました。
 青柳教授は憲法を専門としていて、今年の試験では論文式試験の問題を作成しましたが、法務省などによりますと、法科大学院の元学生で教え子の20代の女性に試験前に出題内容を伝え、個別に指導までしていたということです。この女性の試験の点数が突出していたことから法務省が調査を行い、教授と女性(20代)は漏えいを認めたということです。
(Q.検察の調査を受けた?)
 「何も聞いていないので、全く分からない」(青柳幸一教授の自宅)
 法務省は8日付けで青柳教授を考査委員から解任。教え子の女性(20代)も採点対象から外し、今後5年間、司法試験の受験を禁止としました。明治大学によりますと、青柳教授は8日未明、電話で「大学と社会を騒がせて申し訳ない」と話したということです。
 「(青柳教授は)権威はありますよ、もちろん。考査委員をやっている先生なので」(明治大学の卒業生)
 法務省は「情報の流出先は1名に限られ、合格者の判定に影響はなかった」としていますが、検証のためのワーキングチーム設置を決めました。司法試験をめぐっては、2007年にも考査委員だった慶応大学法科大学院の教授が問題の類題を学生に教えていたことが発覚しています。
 司法試験の受験生にとって、青柳教授は有名な存在だったといいます。
 「(司法試験の問題は)青柳先生の書いた文献などから出ているという話もあり、かなり受験生としては影響を受ける存在」(TAC/Wセミナー専任講師・中村充弁護士)
 法務省は、青柳教授を国家公務員法の守秘義務違反の疑いで刑事告発。東京地検特捜部は、すでに青柳教授の自宅を捜索するなど裏付けを進めています。(08日16:55)
2015年9月8日(火)18時55分配信 TBS  ツイート
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/tbs-20150908-41465/1.htm
 大サービスで記事を三つもつけてしまった。
  さて、そもそも「法律の専門家」とは一体何なのか。安保法制を「違憲だ」などといっている(私はこのブログの中で、安保法制に関し集団的自衛権を明確に否定した条文が憲法にないことをすでに主張している)3人々は全て「大学教授」であり「法律の専門家」であるとされている人である。しかし、そもそも「専門家」が「法律を運用」しているわけではないし、条文を作成しているわけでもない。はっきり言って、法律は運用されるべきものであるにもかかわらず、その法律の理論なるものを「自分たちで作り」、その理論に会わないものを違憲とか違法とか言っているのに過ぎない。要するに「~べき」といっているのであって、実際の運用屋現実社会に即した方の運用を行っているのではなく、机上の空論を吠えているのに過ぎない人々でしかないのである。
  そもそも「法律」というのは、「人間が作り出したルール」でしかない。要するに、「人間が作ったもの」は、「人間が変更することができる」し、また「ルール」は「変更」することが可能であり、単純に法律の解説や理論は「人間の作り出したものを後追いで解説している」のにすぎにのである。
  そのような人々であるから、当然にルールを変更することの簡単さもまたルールのはかなさも知っている。要するに「憲法の専門家」といわれる今回の明大大学院教授も、また安保法制を違憲と吠えている「専門家」も、いずれも「作った人の苦労も知らないで後追いで理論を作り出したエゴイスト」にすぎず、所詮、このような老いらくの恋でルールを変更してしまうような人物でしかないのである。
  今回の司法試験の不正で明らかになったのは「大学教授」や「法律の専門家」といわれる人が、いかに「いい加減な人」かということであり、司法試験制度の問題は、単純に「そのような人が審査委員に入っている状況の防止策を、法律の専門家がルールを作って抑止力を発揮できなかった」ということにつながるのではないか。要するに「実務家」は、当然に「法律の専門家」といわれる「理論だけで実務を経験していない人々」の意見に惑わされる必要は少ないのではないか。ということになる。
  もちろん、ここに書いたのは「過激な暴論」であり、全ての憲法学者などがそのようになっているのではないことは百も承知のことである。しかし、このような事件が出てきてしまい、「恣意的な審査で法律の専門家を作り出す」ということが可能であった状況から考えれば、「本当に実務を知らない机上の空論家に日本の将来や司法制度を任せられるか」という疑問が生まれるのは当然ではないか。何しろ、このようにして出てきた「司法試験合格者」が、裁判官になりわけのわからない判決を出したら、それこそ「亡国の道」に進んでしまうのである。
  さて、単純に「専門家の問題」ではなく「専門家と実務者の関係」ということで、この「老いらくの恋」のボケ教授によって、よく考える機会が生まれたのではないか。この機会に「三権分立」の一つ、「司法」についても考え、憲法改正の一助にすべきではないかと考えられるのである。

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岩手中2自殺事件に見る「いじめ」と「学校」と「家庭」と「教師」

岩手中2自殺事件に見る「いじめ」と「学校」と「家庭」と「教師」
 7月5日に起きた岩手県で中学二年生の男子生徒がJR東北線の矢幅駅から、侵入してきた電車に飛び込んで自殺をした事件が大きな波紋を呼んでいる。
  まず、亡くなった中学生のご冥福をお祈りする。
  さて、まず「いじめ自殺」事件で問題になるのが、「学校や教師はいじめの事実を知っていたのか」ということと、「自殺などの事件後の隠蔽工作」の二つのことではないか。要するに「予防策」と「事後の処理」の問題の二つである。「予防策」ということに関しては、そもそも、いじめる方もいじめられる方も、子供同士のことに関して親や先生に知られないようにする資格してしまう。教師や学校は、きめ細かな生活指導によって、それらの微妙なサインを見逃さないようにしなければならない。そしていじめや自殺を事前に防がなければならないというのが大きな問題になる。そしてもう一つは、事後の処理である。これは学校に限ったことではないが、基本的にこれらの事件が発生した場合に、組織は組織防衛を考え、そしてその組織において、最も責任が及ばないような状況にするのが基本的な対応であるということができる。要するに「隠蔽」「箝口令」というのがまず行われ、隠しきれなくなってきて「トカゲのしっぽ切り」というような、担当者個人の処分ということになる。
  さて、今回の岩手県中学2年生自殺事件の場合、この「すべての悪い部分」が出てきてkるというような気がしてならない。そもそも、「予防策」という面では、先生と生徒の間の交換日記があり、その中に、誰が読んでも「自殺を想起させる」書き込みがあったのであるが、残念ながら教師の返事はそれに対応するものではなかった。「ダメ教師」というような話は当然に出てくるものではないか。
  一方、事件後の学校の対応は、完全に悪い例の見本。まず当事者の教師は出てこないし、いじめがあったとは認識していない、その上、「箝口令」である。これでは自殺した生徒も浮かばれないであろうし、また、遺族もやり切れないであろう。
  さて、記事の後ろは、「なぜこのようになってしまったのか」ということに関して、これは、岩手県のことを例に挙げながら、その事件だけではなく世の中のいじめ事件に関して、さまざまな観点から検証してみ痛い。当然に「日教組」の悪さは書かれることになるが、同時に、「家庭の核家族化」や「共働きでの家庭教育」などについても触れてみたい。
「見殺しにしたも同然」「ダメ教師」 岩手中2自殺事件で学校に怒りの声多数
   岩手県矢巾(やはば)町の中学2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺したと見られる問題で、学校側への怒りの声が広がっている。
   生徒は2015年7月5日、JR東北線矢幅駅で進入してきた電車に飛び込んだ。「いじめではなく暴行」「見殺しも同然」――有名人も、ツイッターやブログで報道に反応している。
尾木ママ「学校の体をなしていない」と激怒
   最も批判が集まっている点は、学校側の対応だ。生徒は担任教師と交換していたノートでいじめの被害を繰り返し訴えていたが、教師はそれを「無視」して返答を書き続けた。また、生徒が通っていた中学校の校長もノートのやり取りについて「担任から聞いていない」と話し、 7月7日に開かれた保護者会でもいじめの有無を説明しないなど「知らぬ存ぜぬ」を決め込んでいるという。
   そんな中、報道にいち早く反応したのが「尾木ママ」こと教育評論家の尾木直樹さん(68)だ。7日から8日にかけ、当件に関するブログ記事を連続で投稿。「生徒殺人学校」「許し難い事件」「担任の見殺し自殺も同然」と学校側を厳しく批判し、岩手県教育委員会には第三者委員会を設置して徹底的に真相解明するよう注文を付けた。
   尾木さんは8日あさ放送の情報番組「モーニングバード」(テレビ朝日系)にも出演し、「学校の体をなしていない」と激怒、担任教師や校長へも「失格だ」と非難を続けた。
   ツイッターにも
「担任ってダメ教師だなあ」
「教師は役に立たない」
など怒りの声が寄せられた。
いじめじゃなくて「暴行」「恐喝」にすべき
   一方、学校側を批判する以外の語られ方も見られた。情報番組「スッキリ!!」(日本テレビ系)に出演するコラムニスト・犬山紙子さん(33)が8日、「いじめなんかじゃなくて暴行」とツイッターで指摘、人気声優の白石稔さん(36)も「『いじめ』という単語は無くして、暴行とか恐喝とか、名称を変えるべき」と主張するなど、「いじめでなく暴行と呼ぶべき」という風潮はネット上で強い。
   また、実業家の堀江貴文さん(42)は「大事なのは逃げてもカッコ悪くない雰囲気作り」と他とはやや異なる視点でつぶやいた。
2015年7月8日(水)14時5分配信 J-CASTニュース 
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/jcast-20150708-239698/1.htm
岩手中2生自殺 なぜSOSは届かなかったか
 学校はなぜ、生徒のSOSを受け止められなかったのか。
 岩手県内で、中学2年の男子生徒(13)が電車に飛び込んで死亡した。警察は自殺とみている。
 「ずっと暴力、ずっとずっとずっと悪口」「なぐられたり、けられたり、首しめられたり」。生徒が担任の教師とやりとりしていた「生活記録ノート」には、他の生徒からいじめを受けていたことを示唆する記述が残されていた。
 「もう市(死)ぬ場所はきまってるんですけどね」などと、自殺をほのめかす言葉も書かれていた。文面からは、次第に追いつめられていく状況がうかがえる。
 地元の教育委員会は、いじめを苦にした自殺の可能性があるとみて、第三者による調査委員会を設置する。事実関係を調査し、学校の対応に問題がなかったかどうか、徹底検証してもらいたい。
 生徒たちが日常の様子を書きとめる生活記録ノートは、いじめやトラブルを教師が早期に発見するためのものだ。今回、特段の注意を払うべき記述があったにもかかわらず、最悪の事態を防げなかったのは、極めて残念である。
 問題なのは、生徒が担任の教師に窮状を訴えていたことを、校長らが把握していなかった点だ。
 いじめの対応では、兆候を見つけた教師が一人で抱え込まず、他の教師と情報を共有することが大切だ。役割分担しながら、被害者や加害者と面談を重ね、適切な解決策を探る必要がある。
 そうした基本的対応が、学校全体で徹底されていなかったと言わざるを得ない。
 一昨年9月にいじめ防止対策推進法が施行された。各学校に対し、対策の基本方針の策定や、複数の教職員やスクールカウンセラーらで構成する対策組織の設置のほか、いじめに関する定期的なアンケートを義務づけている。
 この中学校も基本方針を作り、組織を常設していた。法律に基づき、必要な態勢を整えても、実際の問題解決のために機能しなければ、意味がない。定期アンケートも実施していたが、集計がまとまる前に、悲劇が起きた。
 文部科学省によると、推進法施行後の半年間で、被害者が生命を脅かされたり、不登校になったりする悪質ないじめが、全国の小中高校などで180件を超えた。
 児童・生徒の行動にきめ細かく目を配り、いじめの芽を素早くつみ取る。子供の命を守る重い責任を負っていることを、すべての教師は再認識してほしい。
 
2015年7月12日 1時32分 読売新聞
  http://news.livedoor.com/article/detail/10337941/
 
 
 さて、そもそも「いじめ」というのはある意味で集団があればその集団の中んにおいて部bン科的に存在する現象の一つであるというように言って過言ではない。これは日本人に限ったものではなく、人間の集団において必ずといってよいほど発生する炎症であるといってよい。また、思春期や学校というところだけで起きるものでもない。例えばアメリカや韓国の軍隊においてのいじめは、かなり過酷なものであり、自殺者も少なくない。一方私がいた中国などにおいても、そのような状況は普通に存在する内容である。
  さて、いじめの発生するメカニズムを解析すれば、ある一定の集団の中において、その集団を「平等」で扱った時に、人間は、無意識のうちに自分と集団内の他の人との優劣を加えてしまう。その上で、自分の優位性を示すために、自分よりも劣った人間に対して優越な地位を誇示する行動をとる。この時に圧倒的な力の差がある場合はそんなに問題はないが、そんなに差がない時に、「集団」を作って「いじめる」ことによって、その優越的な地位を確実なものにするということができる。
  これを避ける方法はいくつかある。要するに「平等的な扱い」を行う集団であることから、本能的に「優劣」をつけようとするのであるから、一つは「階級」や「順位」をつけることである。このことによって「平等」ではなく「優劣が公のものになる」ので、そのために、陰に隠れたいじめが少なくなる。これは、戦前に日教組教育があだ少なかった時代、「ガキ大将」という存在があり、自分たちで圧倒的な上下関係が存在し、そのために、ガキ大将を中心にしたヒエラルヒが存在した。教師はガキ大将を監視することによって、簡単に集団を統制できたのである。
  もう一つは、教師や上司など、その集団の上部組織が圧倒的な力を持つことである。単純に言えば、その指導が入れば、それまでの上下関係などは関係なく、完全にその上司の言うままの力関係になる。勿論依怙贔屓などの別な問題はできるが、全ての行動において、上司の監視の目が光ることになるので、いじめという「横に並列的な組織関係におけるいじめ関係」は少なくなる。
  戦前、いじめというのがあまり問題にならなかったのは、一つには教師の威厳が大きく、一つには、生徒の成績、それは、体育や美術などにおけるものも含めて、しっかりとした序列化ができていたからに過ぎない。その上で、教育勅語などを含めた徳目の教育があり、そして道徳観念がしっかりしていた。これらの部分は、何も学校だけではなく、地域社会や大家族制の中の祖父・曾祖父などの老人が教育の一環を担ったのである。
  しかし、残念ながら現代社会では、まず核家族化が進み、また女性の社会進出のために家庭内で教育をするような状況が少なくなってしまっている。そのことは、道徳教育や徳目の教育なども全てが公などの教育機関に任せなければならないということを意味しており、同時に、その教育機関が「平等」に扱うことを中心にした「仲良し教育」を行ってしまうために、「平等社会における優劣」を行う「いじめ」の場を助長してしまうというような感じになってしまうのである。
  さて、まさにこれらのことがいじめの現状なのであるが、残念ながら日教組教育はこれらに全く対応していない。彼らの頭の中が完全に「お花畑」であるのは、「平等であれば争いが起きない」と思っているところだ。大きな争いがない代わりに、平等的な集団の中におけるいじめは横行する。そしてその対策を立てれば立てるほど、そのいじめがより巧妙化する。この巧妙化した中において、実力のない教師が「教師もお友達」というようなスタンスでいると、今回のように「死ぬ場所は決めている」という反応に対して「一緒に楽しみましょうね」となってしまうのだ。
  そして、その結果に自分で衝撃を食らう。当然に「日教組的お花畑」が幻想のものにすぎず、子供たちというより本能的に近い生き物は、そのようなお花畑があったとしても踏み荒らしてしまうからに他ならない。まさに「臭いにおいはもとから絶たなきゃダメ」なのであるが、その「平等意識」が「いじめ」の原因になっており、そして、そのことが、相手方を尊重するという当たり前の道徳心を養うことが教育できないのであるから、もとから立つどころか、「臭いにおいをより一層まき散らす」存在に日教組がなっているのである。
  要するに、核家族化に対応した道徳教育と、その平等的な教育を否定し、「人は個人によって違うので、その違いを尊重する」という教育に変えない限り、そして、細分化した人間の能力、それは強化だけでなく、生活や心理面におけるところ、あるいは社会的な規範性なども含めて、細分化した中で、何らかの序列化をしなければいじめそのものはなくならず、今回のような事件になってしまう。
  まさに日教組教育と、現在の無能な教師たちは「自己否定」すること、そして、それができない教師たちは、教育の場を去るということをしなければ、このような事件はなくならないのである。
  少々暴論であるが、このほかにも、核家族化の家庭教育などに関しても思うところがあるが、それは別な機会に行うこととする。

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このブログでは珍しく社会面の事件から「川崎中1殺害事件」における教育の闇とはなにか、加害者の教育をした教師に教育の何が失敗したかをインタビューせよ

このブログでは珍しく社会面の事件から「川崎中1殺害事件」における教育の闇とはなにか、加害者の教育をした教師に教育の何が失敗したかをインタビューせよ
 このブログでは、普段政治面やあるいは国際面に関すること、たまに経済面に関する内容を記載している。社会面に関しては、土曜日に、基本的に私のストレス発散と思われるような記事、特に下ネタなどの記事を書いていることがあるが、それ以外に基本的に社会面の記事を書いたことはあまりない。もちろん、皆無ではない。しかし、基本的に殺人事件などを扱うブログではないし、また、そのような事件の裏側を知ったところで、実際のところ、そのような事件に関して何かコメントができるわけでもない。単純に、殺人者を肯定したり擁護したりもできないし、また、被害者に失礼なことを言うこともできない。結局のところ、殺人事件や通り魔事件は、そのことを通して社会的な減少になったり、あるいは、政治暴動などにつながる恐れがあること以外は、基本的にこのブログにはあまり会わないのである。
  昨今、田母神俊夫氏の政治資金の横領事件などについて、保守の言論の方が、さまざまに書いているのを見かける。チャンネル桜などはそれの特集番組まで組んで流している。しかし、実際どうなのであろうか。事件にはさまざまな事情があり、なおかつ、さまざまな裏側がある。それを、見てきたかのようにさまざまに語ること自体、私には違和感がある。知りもしない人があたかも見てきたようにネットで情報を流す。はっきり言うが、「そこまでわかっているならば、事件になる前に止めればよい」のである。止めることもできなかった人々が、後になってさまざまに評論していること自体「言い訳」としか感じないし、見苦しい。また、そのようなものを見て評論したりコメントしたりすることも、私としては好かない。事情を知りもしないのに、適当な言論で振り回される人々こそ「B層」といわれる人々であり、結局最も簡単に扇動に動かされる「衆愚」を感じるのである。まあ、今回はこれが主題ではないので、この辺にしておく。
  さて、しかし、今回は社会事件を取り上げさせていただこう。先週話題になった川崎中1殺害事件である。ネットの噂の通り、先輩といわれる18歳17歳の少年3人が逮捕された。もちろんこのことを持って「少年法」ということに関して考える必要を感じる。このことに関しては、また別途今週中にまとめて行いたい。
  さて、この事件、より深刻な問題は、被害者の上村遼太君が昨年夏以降不良グループと付き合うようになり、そして11月以降、その不良グループから抜け出したいと思って何度も「SOS」を出していたというのである。しかし、教師、および警察(神奈川県警)は、それを表す事前の警告などに全く気付かなかったばかりか、実際には、完全に無視していたのだ。「このままでは殺されるかもしれない」というようなことをLINEに書いている。
  そのほかにも、さまざまなサインを出しているし、事前に暴行事件なども発生している。しかし、この事件を防ぐことができなかった。この件に関して、教育関係者が集まって会議をした層そうである。
【川崎中1殺害】「子供のSOSに気づき、受け止めるサイン出して」専門家ら大人の役割強調
 亡くなった上村遼太さんは、年上のグループと行動をする姿が頻繁に目撃され、事件の約1カ月前にも暴行を受けていたとされる。
 周囲の大人がSOSのサインに気づき、助けることはできなかったのか。また大人は、どう手をさしのべればいいのか。専門家に聞いた。
 「前兆を読み取るため、髪形や服装が変わるなどの被害者の変化に気付いたら、話す時間を増やし、悩みを受け止める準備があることを伝えるサインを出すことが大切」と話すのは、子供の犯罪被害防止などを支援するNPO法人「日本こどもの安全教育総合研究所」(東京)の宮田美恵子理事長。
 宮田氏は、変化の理由を直接的な表現で尋ねると反発されて逆効果になる可能性もある-とし、「家族なら夕食、友人なら一緒に遊ぶなどの時間の中で距離を縮め、困っていることを打ち明けてもらえる雰囲気をつくっていく方法もある」と話す。
 一方、相談を受けても解決が困難なほど事態が深刻な場合もあるとし、被害者を一時的に保護する施設の必要性も指摘。「声を上げられない人をあえて狙い、ゲームのように要求をエスカレートさせる人もいる。児童虐待やDV(ドメスティックバイオレンス)の被害者を保護する施設のように、子供たちが頼れる場所が身近にあってもよいのではないか」と訴える。
 上村さんは友人に、年上のグループから暴力を受けていると打ち明けていたが、臨床心理士の矢幡洋氏は「不登校状態だったためSOSが限られた親しい友人にしか伝わらなかった。周りに心配をかけさせてはいけないと、被害に遭っているという情報を広く伝えられなかったのではないか」と指摘する。
 3学期から学校に姿を見せなくなり、担任教師はこれまでに3、4回、家庭訪問しているが、矢幡氏は「学校の先生に上村さんが危険な状態に置かれていることが伝わらなかったことが問題だ」と話す。
 教師の間では「本人も苦しんでいるから、登校するよう促して刺激するのは良くない」との誤解が広まっているという。だが、矢幡氏は「不登校が始まった時期は立ち直る可能性も高く、適切な『登校刺激』をすべきだった」と強調した。
2015年2月26日 13時42分 産経新聞
  http://news.livedoor.com/article/detail/9827607/
 
 
  【川崎中1殺害】「なぜ守れなかったのか…」 教育関係者に募る悔い 市教委は検証へ
 川崎市川崎区の多摩川河川敷で殺害されているのが見つかった同区の中学1年、上村(うえむら)遼太さんは、冬休み明けから欠席するようになり、担任教諭は電話や家庭訪問などで接触を試みてきたが、本人と連絡が取れたのは事件発生の4日前だった。
 「なぜ上村さんを守れなかったのか」。川崎市教委は一連の経緯の検証を始めたが、命を救えなかった教育関係者の悔いは募る。
 「なぜこのようなことに巻き込まれたのか、どこの時点でこちらが介入できたのかを検証しながら、今後、こうしたことが起こらないようにしたい」
 23日に記者会見した川崎市教委の渡辺直美教育長は、こう語った。
 市教委によると、上村さんが中学校を休み始めたのは1月8日。「学校へは家の用事で行かない」「本人と連絡がつかない」「今は家にいない。自発的に登校するまで様子をみる」「友達といるのではないか」…。担任の女性教諭は、30回以上にわたって上村さんの自宅を訪問したり、母親の携帯電話などに連絡を入れたりしたが、母親から断片的な様子が聞けたのみで、上村さん本人には会うことはできなかった。
 ようやく接触ができたのは、事件4日前の16日だった。「そろそろテストが近いから学校に来ませんか?」と担任が誘うと、上村さんは「そろそろ学校に行こうかな」と、前向きに答えていた。
 上村さんは昨年11月に年上のグループと親しく関わるようになったが、今年に入ってからは、親しい友人らに、グループから暴力を受けていることを打ち明け、「殺されるかもしれない」「(グループを)やめると言ったら、暴力も激しくなった」とおびえていたという。
 担任に示した登校への意欲は、上村さんがかすかに発した「SOS」だったのか。
 市教委によると、事件発生まで学校側からは、上村さんへの対応について報告を受けておらず、いじめや不登校の問題解決に当たる「スクールソーシャルワーカー」(SSW)の派遣要請も受けていなかった。
 渡辺教育長は「今から思えば、もっと積極的に関われていればよかった」と悔やんだが、支援態勢づくりの絵は描けていない。
 子供の虐待問題などに取り組む「子どもの虹情報研修センター」(横浜市)の川崎二三彦研究部長は「子供は、深刻な状況を『訴える』という行為を恥ずかしいと思いやすい。微弱なサインに気付くためにも、学校などで子供が話しやすい環境をつくり、解決につなげていかねばならない」と指摘する。
 子供の犯罪被害防止などを支援するNPO法人「日本こどもの安全教育総合研究所」(東京都)の宮田美恵子理事長は、「前兆を読み取るため、髪形や服装が変わるなどの被害者の変化に気付いたら話す時間を増やし、悩みを受け止める準備があることを伝えるサインを出すことが大切」と話す。
 子供の「SOS」を逃さないためにはどうすべきなのか。教育関係者に突き付けられた課題は大きい。
2015年2月26日 20時30分 産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/9829334/
 教育関係者が、会議を行うと、「なぜSOSを受け止めることができなかったのか」ということに終始する。
  しかし、そもそも加害者の少年を作り出したのも教育者なのである。
  要するに、このような犯罪を犯す道徳を教えたのも教育者である。「なぜ加害者児童のような子供を作り出してしまったのか」ということを教育者が反省しなければならない。「弱者を守る」というだけではなく「加害者を作らない」という教育が必要ではないのか。私個人としては「道徳」という教科がなくなり、また「愛国心教育」を失ったことそのものが最も大きな原因と思う。いや、このように言うと保守・右翼そのものであるが、あえて申し上げる。「恥」の概念がないから「不良」ということが起きる確率が高くなる。戦後のアメリカ型個人主義と、共産主義的平等概念が、基本的に「社会への貢献」ということがなくなり、同時に、自分だけの価値観で物事を行ってしまう人が少なくなくなってしまうのである。
  実際にアメリカ型個人主義が悪いとは言わない。しかし、アメリカ型個人主義は、すくなくともキリスト教的道徳観と戒律があり、なおかつアメリカ合衆国に対する敬意と結束が存在する。残念ながら、日本の場合は、日教組という組織が日本国と日本国の省庁である日の丸と君が代を否定し、また「政教分離」と言って、日本を作った神社などへのお参りなども全く学校教育の中で行わない。その辺が共産主義的平等概念がアメリカ型個人主義と入り込んだ証拠である。
  そのような状況で「恥」の概念がなくなったこと、道徳心や集団に対する帰属意識がなければ「恥」などという概念がなくなってしまう。「何が悪いのか」というような感覚に士会ならず、単純に「悪い」ということの概念が全く分かっていないということになる。変な政治主張をしている暇があれば、そもそも「恥」とは何か「悪いこと」は何かをしっかりと学ばせることが必要があるのではないか。
  そもそも、今の日教組教師は「戦争反対」は言えても、「なぜ人を殺してはいけないのか」ということをしっかりと教えることができないのではないか。刑法に反しているからとか、そのようなものではなく、哲学的に、そして、宗教学的に、そして社会学的に、しっかりとした話をすることができるのか。非常に疑問である。
  東郷平八郎が大妻女子学院ができたときに、その行動に掲げる色紙に「恥を知れ」と書いて渡した。「恥を知ることが、恥ずかしいことをしなくなることである」ということである。一瞬意外に思うが、まさに、的を得ている。知らなければ恥ずかしいことをしてしまう。そして、その恥ずかしいことを知ることこそ、恥ずかしいことをしないことにつながるのである。では、その恥ずかし糸が「誰に対して恥ずかしい」のか。その集団が存在していないと、また、その道徳心を意識していないと、「恥ずかしい」ということもできない。
  今の日教組教育が、「恥」の概念を教えることができないということが、最も大きな、今回の事件の問題ではないか。テレビやマスコミは、できれば、この加害少年の教育者たちを名前と顔を出してインタビューしていただきたい。どうして、このようなモンスターを作り出したのか、教育の何が失敗したのか、失敗に学ぶべきである。

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年末の御挨拶

みなさん、今年もありがとうございます。

昨日まで、今年一年ということで、様々な話をしてきましたが、皆さんにとってはどのような一年だったでしょうか。
本来、報道されるものではなく、自分自身にとって、自分が変わるきっかけなどが最も大きなニュースになります。
さすがに今日はブログを辞めて
みなさんにご挨拶をさせていただければと思います
来年は、いつかやってみようと思っていた有料メルマガを始めますし、
また、様々な情報を皆さんにお話ししようと思っております
では、みなさん
良いお年をお迎えください。

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