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【土曜日のエロ】 大人のおもちゃが子供のおもちゃに??完全変形型「TENGAロボット」出現

【土曜日のエロ】 大人のおもちゃが子供のおもちゃに??完全変形型「TENGAロボット」出現
 さて、土曜日である。今週は、中国で憲法改正ができたり、あるいは、国会は相変わらず森友問題でなんだかわからない空転をしている。アメリカではティラーソン国務長官が、米朝首脳会談直前であるのに、突然更迭されるという事態。アメリカの中で、ロシアとパイプがあり、なおかつ、航行の自由の重要性を最もよく知っているティラーソン国務長官がである。そして対中国隊来た張燕強硬派のポンペオ中央情報部長官が国務長官になるのである。実に大変なことである。このティラーソン国務長官に関しては、この人が対北朝鮮の外交交渉で快活するということを推進していた人だけに、今後この人がいなくなることをしっかりと考えないとならない。まあ、徐々に大変な事態に向かっているということが明らかになっているのである。まあ、そのティラーソン国務長官に関しては、次の機会に何か考えてみよう。
  ところで、そんな世の中の動きをすべて忘れて、土曜日はエロと本能について考えてみよう。
  さて、「TENGA」というものをご存知であろうか。これは、まあ、要するに「男性用大人のおもちゃ」であり、女性の皆さんのほとんどと、あまりそのようなおもちゃが好きではない人、およびお年寄りと未成年は、基本的にあまり知らないものである。筒型で、男性が挿入して、使うものである。
  見た目は、「ちょっと変な形のコップ」といったらイメージできるであろうか。まあ、もちろんこれでお茶を飲む人はいないが、まあそのようなものだ。これをうまく使って、男性はおもちゃとして「性的な満足を得る」のである。
  このように書くといかにもエロであるが、実はこれは中国のような一人っ子政策をしている国やあるいはアフリカ・アフガニスタン・イラクなどの洗浄における「兵士」においては「大変な人気」である。しかし、珠に傷は「男性のサイズにあったものであるか」どうかである。
  まあ、いずれにせよそのようなおもちゃになる。しかし、それが「ロボットになる」というのはなかなか面白いアイデアなのである。
「TENGA」の完全変形ロボット開発へ
 動物、自動車、建物、女の子…果ては芸術モニュメントの『太陽の塔』まで、あらゆるものがロボットの玩具になってしまう“ロボット大国”の日本。さて、ではこのキュートなロボットの人形は一体?
 実はこれ、株式会社典雅が販売する男性用“セクシャルウェルネス商品”『TENGA(ディープスロートカップ)』の完全変形型ロボットなのだ。
 フィギュアメーカーのグッドスマイルカンパニーが中心となり現在開発中のもので、2月18日に開催の『ワンダーフェスティバル 2018[冬]』にて初公開された。
 すでに変形する様子も動画で公開されている。
「このような性具のロボットが大手メーカーからフィギュア化されるのは、おそらく初めてのことでしょう。『TENGA』は、2006年度のグッドデザイン賞に選出され、1次審査を通過したものの、“性具である”という理由により除外された、というエピソードを持つほどのすぐれた工業デザインの商品です。グッドスマイルカンパニーもそこを大きく評価してのフィギュア化だと思います」(トイジャーナリスト)
 TENGAはインテリアとしても使えそうなくらいのデザインで、どこに置いても全く違和感がない。
 「ただ、子供が出入りするおもちゃ屋で販売できるのか、それともアダルト関係のショップに限定されるのか、気になるところです」(同・ジャーナリスト)
 現在、発売時期や価格などは不明で、ロボットのスペックなどの詳細も明かされていない。
『TENGA』のファンに限らず、ロボット好きには発売が待ち遠しいところだろう。
2018年03月10日 16時00分 まいじつ
https://news.nifty.com/article/item/neta/12156-45708/
 そもそも「大人のおもちゃ」が「ロボットになってフィギュアになる」というのもおかしなものである。しかし、上記の記事によれば「2006年にグッとデザイン賞」をとったらしい。それが今度はロボット化されて「TENGAはインテリアとしても使えそうなくらいのデザインで、どこに置いても全く違和感がない。」<上記より抜粋>らしい。
  まあフィギュアになったからといって「大人のおもちゃ」を「子供のおもちゃ売り場」に置くわけにはいかないと思う、しかし、逆に男性の一人暮らしで、部屋に置いて奥において、そのものを少し変えておくということに関してはなかなか重要な話になるのではないか。
  つまり「一件大人のおもちゃとしてわからない」ということを気にするということになるのではないか。もちろんアダルトショップに男女カップルで入る人もいるので、そのような人は、「女性が手を取りやすい」デザインにするということは非常に大きいが一方で男性の一人暮らしで、珠に彼女が来るなどの場合、または家族が様子を見に来るときに、それをごまかすための「偽装」を持っていることは非常に大きな話なのかもしれない。
  「大人のおもちゃ」という「エロ」の道具に「おしゃれ」や「遊び」を求める時代になった。つまり、エロが市民権を得てきたということではないだろうか。
  何となく良い気がするのである。

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【土曜日のエロ】 ミスコンのファイナリストに「男性」という事態が発生したカザフスタンのチン事を考える

【土曜日のエロ】 ミスコンのファイナリストに「男性」という事態が発生したカザフスタンのチン事を考える
 土曜日のエロの日である。まあ、なんといっても楽しみな文章である。あえてここでカミングアウトするわけであるが、この文章、当然に、金曜日に書いているわけではない。実はこの文章は他の仕事がたまっていて文章をたくさん書かなければならないのに、まったく書くことができない状態、まあ、そういうスランプが必ずあるのだが、そのスランプの時に、書くようにしている。ちなみに、この文章は水曜日に記載しているものであり、まあ、少し前ということになるのであろうか
  基本的には「エロ」の文章に、「日時限定」とか「最新のものでなければならない」というような話は全くない。そのために、いつかいてもよいわけである。まあ、あまり古すぎると話にならないので、とりあえず週に一回書いているのだが、しかし、まあ、その中であればよいかなとも思っている。
  そもそも、エロという行為も意味合いも実は時代を超えてまた地域を超えて、また、性別も人種も宗教も超えて存在する。人間の本質論だと思われる。単純に、そのエロの行為に関して言えば、それがなければ子供は生まれないということであり、全ての人間がエロをやめてしまうと人類が滅亡する。逆にエロのおぼれてしまえば、正常な社会行動ができなくなり、そのために、倫理も秩序もなくなる。その絶妙なバランスが最も重要なのである。
  さて、それが時代が進んでくると、「エロ」の対象が「異性」ではなくなることが出てくる。まあ、「二次元」ということが一つあるしまた、「動物」つまり「人間以外の生き物」や「機械」などということもある。また、「同性」というようなこともありうる。あえておこにひとまとめにしたのは、上記の定義から「エロ」が「子供が生まれる」ということにつながる行為としたのに対して、ここの段落に挙げたものは、全て「エロ」の感情的な興奮はあるものの、「子供が生まれる対象との行為」ではないということになるのである。私はそのような感情がないので良いが、個人で性的な興奮を覚えたり、あるいは、愛情の対象として存在するのはそれでよいのかもしれない。まあ、周囲がどう見るかは別なのであるが。
  さて、その行為がより一層強くなってくると「女性」の中に「男性」が混ざって違和感が無くなるということになるのである。そのような事件が実際に出てきたから驚きである。
ミスコンで危機!ファイナリストが実は男性
 カザフスタンで開催されたミスコンテスト「ミス・バーチャル・カザフスタン」で、決勝進出者のうち1人が男性だったことが判明。コンテストは混乱状態に陥った。その男性はイライ・デャジレフ(22)。コンテストにはアリーナ・アリエヴァとして出場し、4000名にのぼる出場者の中から最終選考に選ばれていた。海外メディアMETROが伝えた。
 デャジレフは「友人と僕は美しさについて話し合い、ミスコンテストに参加することを決めました。自然な美しさにおいて僕は常にチャンピオンだった」「若い女性は多くが似たように見える。同じメイクに同じスタイリングで。彼女たちはトレンドに乗っている自分たちが美しいと思っているけれど、僕はそうは思わない」とコメント。
 しかし、彼はオーガナイザーと全国のオンライン投票者に自分が男性であることを告げた。「最終選考に残って、想像以上のところまで来てしまったと思いアリーナ・アリエヴァのアイデンティティを見せることにしたんだ」。オーガナイザーはその告白を受け「衝撃を受けている」とコメントしている。
 “アリエヴァ”は最終選考から除外され、代わりにアイケリム・テミルカノヴァ(18)が選考に残った。最終選考に残っていたのは参加者4000名のうち16名だった。
2018年2月17日 19時0分 クランクイン!
http://news.livedoor.com/article/detail/14315758/
 さて、インターネットでこの「ミス・バーチャル・カザフスタン」を調べてみると、実物ではなく、インターネット上で、閲覧者が投降し、その中で美しさを競う大会であるという。まあ、インターネットであるから、実際に女装して美しいということになれば、実物が男性であるとかそういうことは見えなくなるということになる。
  このイライ・デャジレフさんは、もともともモデルであり、自分の見せ方をよく知っているし、また女性が画一的な同じような内容で美しくなっているような状況、日本では「整形美人」のような状況をあまり美しいとは思っていないというひとのようである。単純い言えば「美しさは個性である」ということであり、画一的な美しさの人々は、その票が分散するのに対して、個性的にあ美人を探し求めている人には、少なくともネット上で、票が集中しファイナリストに残ったということに他ならないのではないか。「若い女性は多くが似たように見える。同じメイクに同じスタイリングで。彼女たちはトレンドに乗っている自分たちが美しいと思っているけれど、僕はそうは思わない」<上記より抜粋>というのは、ある意味で正しいのではないか。
  同じような顔ばかり、まあ・・・・・・・どこかの国のミスコンではそのような同じ顔ばかり並んでいる写真が出てきたりするのであるが、まあ、そのような状態に対しいて、「個性がない」として、一人を見れば綺麗と思いながらも、そのような写真が並んでいると「気味が悪い」と何となく「不自然さ」を感じてしまう人は少なくないのではないか。ある意味で「マネキンの中に囲まれた感じ」というのがそれで、その意味では彼のはつげにゃ趣旨は間違えていないし、また、彼がファイナリストに残ったことによって、それが実証されたということになる。
  ある意味で、カザフスタンの(日本でも同じと思うが)マスコミが画一的でトレンディ―な人々ばかりを取り上げて「モデル」とか「芸能人」「タレント」としているのであるが、実際に求めている人々は異なるということになる。ある意味で「それが男性であっても美しく思ってしまう」ということなのかもしれない。
  美しいものを気味悪く思ってしまうというのは、まさにそのような状況なのであろう。たぶんエロは「個性」と「パーソナリティ」に対して反応するものであって、その反応の対象が「画一的」であった場合には、逆に引いてしまう。その時に「そうではない個性的で自然なもの」に魅力を感じる問うことなのかもしれない。日本の関係者もよく感が他方が良いのかもしれない。

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