文化・芸術

【土曜日のエロ】 レイプ犯の性器切断というインド女性と南アジアの習慣

【土曜日のエロ】 レイプ犯の性器切断というインド女性と南アジアの習慣
 土曜日のエロである。まあ、エロというと、さまざまに言われることになるのであるが、そのエロを考える際に、前回(先週)は、「エロと婚姻」ということを考えてみた。まあ、はっきり言って「婚姻」すれば、「エロ」が正当化される。このエロの正当化を考えて、婚姻を偽装するということを中国の14歳の女性が行った三重婚で親が逮捕されるというようなことになったのである。
  まあ、基本的に「婚姻」しても「エロ」をしたいという損新庄はわからないでもない。当然に「ハーレム」という外来語があるが、日本にも大奥というようなものや妾というような言葉がある通り、男性にとって、多くの女性を侍らせるというのは、ある意味で男性の夢なのであろうと思う。イスラム教などにおいては、「四人まで妻を持ってよい」というようなところが少なくない。そのために、「妻」を多く持つころは、ある意味で権力と金銭の所長でもあると同時に、女性がさまざまな意味で、保護されているというような状況になってくる。ある意味で、「女性が保護される弱い立場」というのと、「婚姻」というのは、観念上リンクしているのであろう。
  その意味で「男女雇用機会均等法」などから始まり、男女差別が徐々に「女性の方が逆差別的に強くなってきている」というような状況の場合、徐々に婚姻の率が少なくなってきていて、そのために少子化が進行しているのではないか。そのような観点から考えると、「少子化」が進んでいる国において、共通しているのは女性の社会進出であり同時に、女性の社会的な地位の向上である。そして、そのような場合は、女性が夜に遊べる場所が多く、「健全」というか「エロくない」、というよりも「女性好みのエロさ」が味わえるナイトスポットが増えるということになる。
  この定義に合わせて考えてみれば、例えば、日本の場合、少子化が進んでいるが、同時に、女性の社会進出が進んでおり、そのことから「ホストクラブ」のような女性のスポットが増えてゆく。もちろん、ホストクラブは「女性が男性に対して金を払う場所」であるのと同時に、「エロい雰囲気による疑似恋愛はあっても、それ以上の関係は基本的には少ない」のであり「女性が買う、男性が売る売春クラブ」とは異なるのである。今のところ「女性用のソープランド」の良なところはないので、なおさら、「セックスレス」が深まり、少子化が進むのである。
  さて、では「女性が社会進出をしない社会」ではどのようになっているのであろうか。
襲撃男の性器切断=23歳女性が反撃-インド
 【ニューデリーAFP=時事】インド警察によると、南部ケララ州の州都トリバンドラムで19日夜、23歳の女子学生が自宅で自称宗教指導者の男(54)に乱暴されそうになり、男の性器をナイフで切り取って反撃した。
 男は病院に運ばれ、報道によれば緊急治療を受けた。容体は安定しているという。
 女性は両親と一緒に住んでいた。男は儀式を執り行うためにしばしば家に招かれ、泊まっていた。女性は、男から数年間にわたって繰り返し暴行を受けたと訴えている。男を信頼しきっていた両親は乱暴に気付かなかったという。
 
時事通信社(2017/05/20-23:09)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017052000668&g=int
 記事が短めなので、なかなか面白い。というのは、雉から様々なことを想像してしまうのである。もちろん「妄想」の域を出ないのであるが、その妄想の域を出ない状況がなかなか面白いのではないか。
  さて、まず女性が保護される存在である場合、つまりインドの場合は「カースト」ということがあるし、イスラムの場合は女性は戒律によって社会への進出、戒律が厳しいところでは、マララさんの事件でも明らかなように女性が教育を受けること自体が間違いというような状況になっている。
  そのような状況において、女性のささやかな抵抗は、実は「性器の切り取り」なのである。
  実際に、社会的な地位が存在し無い情勢において、女性は社会に対して何らかのことを訴える機能は存在し無い。基本的に「社会的な地位」がないことは、基本的には「社会に口がない」ということであるから訴えることはできないということになる。その場合、女性は「されるがまま」なのか、といえば必ずしもそうではない。基本的に、女性は「社会」ではないところでその復讐をすることができる。
  例えば、男尊女卑の考え方があった日本の江戸時代は「三行半」という制度と、同時に、「駆け込み寺」という制度があった。その制度が、まあ、日本全体でどれくらい広まっていたかということは別にしても、そのような制度が少なくとも将軍の威光によって制度化されているということはなかなか面白い。要するに、社会制度を乱すことはできないが、逆に社会制度を乱さない範囲で例外的なことを認めるということにつながるのである。
  さて、では東南アジアから南アジアに関しては、例えば「タイ」「ミャンマー」「マレーシアの一部」「スリランカ」「インド」などにおいては「相手の性器を切り取る」ということがみとめられている。現在で言えば、「傷害罪」であるが、しかし、基本的には「社会的な地位がない」ので「プライベートな空間での復讐を認める」等いうことになっている。
  タイに美容整形があるが、実は「男性性器の復元手術」の技術である。同時にそのまま情勢になってしまう人も多いので、ゲイが多いという「歴史」がある。もちろん現代につながるものではあるが、そのような「切ってしまう文化」があることが原因の一つである。
  さて、インドの話。その文化が当然にインドの中にもあり、「家庭内では女性上位」「社会では男性上位」というような状況になっている。家という感覚が存在しているから、そのようなことがある。女性の社会進出が広まると、その家とかそういう「集団単位」でのつながりが希薄になり、そのために、国家観が無くなってしまったり、あるいは、少子化に対して鈍感になってしまったりする。一方、インドの場合は「カースト」というように「階級がある」それは血筋で決まっていることから、当然に、家という集団が一つの単位となり、その家の中では女性が上位になる。そのために、家の中で性器を斬られてしまっても文句が言えない。
  そのために、そのような文化の中で、「外部の人間が家の中に入ってきて暴行をした場合」というのが今回の者であるが「女性の処罰」に関しては書かれていないのが特徴ではないか。
  男尊女卑というようなことを言われていても、文化を調べればそのようなことはいくらでもある。まあ、エロも、男尊女卑の世界では、女性が支配していたということになるのではないか。

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【GWのエロ】風増営業が減少しているという「日本人の風習や遊び」の変化

【GWのエロ】風増営業が減少しているという「日本人の風習や遊び」の変化
 さて、せっかくゴールデンウィークなのだから、少しいつもの政治けいっざいとは違う話題にしてみようと思う。昨年であったか、この連休の特別の連載をすべて「エロ」でまとめたら、かなり好評であったので、今回は本日と明日の二日間だけ「エロ」に特化して書いてみようと思う。
  さて、このように特別に書くときには、いつも入れるのであるが、基本的に「エロ」は好きである。基本t系に「興味」とか「いやらしい」という点で好きな部分がある。しかし、「エロ」をめぐり、人間がさまざまなことをしたり、あるいは隠したりというようなプロセスや知恵、または正当化ということに関して、非常に面白く感じるのである。
  そもそも「エロ」ということ、つまり「性的な興味」がなければ、子供は生まれないわけであり、その子供がないということは「種として滅びてしまう」ということなのである。そのために、「人間が人間として種を残すためには、基本的にエロいことをしなければならない」ということになる。一方で、人間は「誰とでもエロいことをしてよい」というものではない。つまり、動物とか種の保存ということであれば、だれとでも手当たり次第に「種を残す」ことをすればよいのであるが、人間は、基本的には「社会性のある動物」であるために「社会としての秩序」を守るために、つまりは、社会性を維持するために「理性」が働き、そのことによって「誰とでも手当たり次第」にエロいことをしてよいというようなことにはならないのである。
  さて、このような状況の中において、「男性」は、いや「女性」もかもしれないが、ある意味で、動物の部分もあって「性的な興味」や「エロいことをして種を残す」ということを考え、少なくとも「誰とでもエロいことをしたい」という欲求がある。これは、仏教の言う108の煩悩のうちの「性欲」であり、これはある意味で捨てきれない宿命のようなものであろう。一方で、社会性を維持し、ある意味で崇高な目的をした理、あるいは人間の社会の中で、何らかの徳を積もうとしている。その行為は、そのまま「権力欲」などにつながり108の煩悩のほかの欲などに直結するということになるのである。
  まあ、平たく言えば「人間の動物の部分」と「人間の理性的部分」の境目をどのように調整つけるか、ということが最大の問題であり、その内容の「調整の付け方」がさまざまでなかなか面白いのである。
風俗営業、「性」を除けば減少の一途 年寄り増えて衰退に拍車
 風俗産業が衰退している。いわゆる風俗営業法に関連した営業は、いくつかの業種を除いて、減少の一途をたどっているのだ。
 風俗営業には大きく分けて、接待飲食等営業、遊技場営業、性風俗関連特殊営業の3種類がある。
   バー・キャバレーなど5年で4000店消える
 警察庁生活安全局保安課がまとめた「2016年における風俗環境の現状と風俗関係事犯の取締り状況等について」によると、接待飲食等営業は2012年には6万8558店だったのが、2016年には6万4599店と約4000店が消えた(以下、数字はいずれも年末時点)。接待飲食等営業は、いわゆる居酒屋から始まり、バー、キャバレー、クラブ、キャバクラ、料理屋、カフェなど飲食を伴う店のほとんどが含まれる。
 飲食関係の雑誌記者は、「飲食業は、景気の影響を受けやすい業種の一つ。その上、高齢化社会になったことで、客の年齢層が上がり、外食をしなくなった。キャバクラやクラブも企業の社用による利用が減少し、まさしく斜陽業種になっている」と指摘する。
 次は遊技場営業だが、中心はパチンコ店と雀荘、ゲームセンターになる。こちらも接待飲食等営業と同様だ。パチンコ店は2012年の1万2149店から2016年には1万986店に1000店以上がなくなった。雀荘は1万1450店から9176店に2000店以上が、そしてゲームセンターは6181店から4542店と1600店超が消えた。
 ギャンブル雑誌の記者は、「雀荘はゲームの影響がある。若者は麻雀よりもゲーム。しかし、もっとも大きな要因は、かつて雀荘の中心だった層が定年に達したことではないか。パチンコは若者層がギャンブルをしないという一面もあるが、パチンコとゲームセンターには共通の傾向がある」という。
 実は、パチンコ店もゲームセンターも減少しているものの、1店の規模が大型化している。例えば、パチンコ店では1店当たりの台数が2012年378.0台から2016年には411.9台に増加している。遊戯台が501-1000台のパチンコ店は2012年には2355店(19.4%)だったのが、2016年には2585店(23.5%)に増加、1001台以上の店も190店(1.6%)から287店(2.6%)に増加している。ゲームセンターも1店舗当たりの台数は72.2台から79.7台に増加、101台以上を設置する店が占める割合は28.3%から30.6%に増加している。
 つまり、「パチンコ店もゲームセンターも、顧客の減少を中小店の淘汰で、1店が大型化することで乗り切っている」(同)というのだ。
   急激に伸びる有料アダルトサイト
 では、性風俗関連特殊営業はどうか。こちらは2012年の3万133件から2016年の3万1892件に1700件超の増加となっている。しかし、これにも大きな特徴がある。性風俗関連には、店舗型、無店舗型、映像送信型、電話異性紹介と4つのカテゴリーがあるが、増加しているのは、無店舗型、映像送信型だ。
 店舗型には、ソープランド、店舗型ファッションヘルス、モーテル・ラブホテル、アダルトショップなどが含まれるが、そのすべてが減少している。一方、無店舗型には派遣型ファッションヘルスとアダルトビデオ等の通信販売があるが、派遣型ファッションヘルスは2012年の1万8119件から2016年の1万9856件に1700件超(9.6%)増加、アダルトビデオ等の通信販売は1138件から1267件に11.3%増加している。
 だが、これよりも大きい伸び率で増加しているのは、映像送信型で1879件から2536件に35.0%も増加している。映像送信型とは、インターネットの有料アダルトサイトを指すのだが、これが急速に増加しているわけだ。
 しかし、2017年初めに、無修正アダルト動画No.1を掲げる「カリビアンコム」という大手アダルトサイトが無修正の猥褻動画を配信したとして、AV製作会社の社長ら6人がわいせつ電磁的記録等送信頒布の疑いで警視庁に逮捕された。「この件は、アダルトサイト、特に無修正アダルトサイトに強い警戒感を与えた。無修正サイトは、徐々に減少していくだろう」(アダルト雑誌記者)と見られている。
 意見を聞いた記者の多くは、少子高齢化や人口減少という要因も挙げながら、「良かれ悪しかれ、風俗に元気がないということは、人間に活力がないということ。景気や賃金の問題があるのだろうが、生活がどんどん質素にこじんまりしていく傾向が強まっているような気がしてならない」と話していた。
2017年4月2日 16時0分 J-CASTニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/12882005/
 さて、ある意味で「本能」と「理性」の間の部分が「風俗営業」というものではないか。もちろん、上記の記事の中にあるように「風俗営業」といっても様々な種類がある。まずは接待用の飲食店、上記によれば、いわゆる居酒屋から始まり、バー、キャバレー、クラブ、キャバクラ、料理屋、カフェなど飲食を伴う店のほとんどが含まれる<上記より抜粋>とある。もちろん、チェーン店の居酒屋が「風俗営業なのか」といわれるとなかなか難し所ではあるがしかし、「小料理屋」などは、何となく「接待用」ということもあるし「なじみの店」というような部分もある。もちろん「バー」「キャバレー」「クラブ」「キャバクラ」というような「女性が接待をする店」というようになれば、風俗の色が強くなる。特に女性が話し相手になるような場合は、「疑似恋愛」に近くなるのかもしれない。
  一方エロとは基本的に関係のないものもある。パチンコ屋やマージャン店、いわゆる雀荘やゲームセンターなどは、女性などは基本的に関係がない。これ等は「賭博」的な部分であり、「エロ」とは関係がないのである。
  もう一つは、「完全な性風俗」である。まあ「ソープランド」をはじめとした店舗型ファッションヘルス、モーテル・ラブホテル、アダルトショップなど店舗型の「性風俗」の店ということになる。
  一方、無店舗型となると、派遣型ファッションヘルスなどがあるということになr。
  さて、この「女性系の風俗営業」「店舗型風俗営業」が減っているという。
  警察庁生活安全局保安課がまとめた「2016年における風俗環境の現状と風俗関係事犯の取締り状況等について」によると、接待飲食等営業は2012年には6万8558店だったのが、2016年には6万4599店と約4000店が消えた(以下、数字はいずれも年末時点)。<上記より抜粋>ということになる。
  まあ、「女性系」である場合は「疑似恋愛」であるので「疑似」つまり「ヴァーチャルは、店に行って多額の金を払うよりも、もっと手軽に行う」ということと、「店に行くとによって様々な人にばれる」ということを避けるために「インターネット」によるものが増えてきている。つまり、「同じ疑似」であるならば「手軽」な方を選ぶという傾向である。
  これ等は、ある意味で、「手軽」とか「簡単」というだけではなく、ある意味で「人間としてのコミュニケーション力」が減ってきてるのではないかという気がしてならない。他のことを考え併せれば、つまり、結婚の率の減少などを考えると、基本的には「種の保存という本能」でも「社会性」でもなく、第三の「脳内満足」で足りてしまうという人が増えてきたということになるのではないか。そのことは、「社会」そのものも基本的におかしくなってしまう問うことになり、またコミュニケーション力の不足は、そのまま社会や海外競争力の減退を示すことになるのである。
  「良かれ悪しかれ、風俗に元気がないということは、人間に活力がないということ。景気や賃金の問題があるのだろうが、生活がどんどん質素にこじんまりしていく傾向が強まっているような気がしてならない」<上記より抜粋>
  つまり、移動手段がまだ杜甫しかなかった原始時代に戻ったような、そのような印象があるんである。単純に「風俗営業が少なくなった」ということだけで、そのようなことを言ってはいけないのであるが、ある意味で、「女性優位」や「男性の草食化」など、男性が「能動的に動く場面」が少なくなってしまうと、その分で、徐々に社会がおかしくなってくるのではないかという気がしてならないのである。
  まあ、杞憂であってほしいと思うのは、私だけなのかもしれない。

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【土曜日のエロ】「最も美しいおっぱい」という「美おっぱいコンテスト2016」が開催されるという情報に関して

【土曜日のエロ】「最も美しいおっぱい」という「美おっぱいコンテスト2016」が開催されるという情報に関して
 毎週楽しみな、土曜日のエロである。この文章にはタブーなくエロを書こうと思っている。実際に昔は政治や経済、それに国際関係を書いていたのであり、かなり固い内容の話をしていた。実際に、そのころの人々からすれば「エロ」を書くということ自体、信じられないというような人々ばかりである。s3いかし、あの当時から政治家には「下半身スキャンダル」が目立つようになる。正直な話し、「建前の話」ばかりをしていると、いつの間にか「本音」の部分が消えてしまうということになってしまうのである。
  また、中国や韓国の事情を書いたりもしている。しかし、その中にも当然に、「ハニートラップ」など、女性にまつわる話は少なくない。そのような「本能」の部分で話がすすむので、いつのまにか「本音」が出てしまう。それが「建前」の社会に秘密にしなければならないというようなことになり、いつの間にか火事が大きくなってしまうということになる。まさに、「秘め事」が「秘め事」であるがゆえに、大きな問題になるのである。
  要するに、「固い話」をすればするほど、実は私の周辺には「エロ」ネタが増えてくるという構図になってくるのだ。
  まあ、実際はそのようなものであり、人間というのは「表と裏」どちらかに偏るとおかしくなってしまう。そのために、必ずどこかで「帳尻を合わせる」ものなのである。この状況の中において、「エロ」を語るのは、逆に「表」の部分を「深く知る」道具であったのだ。もちろん、当時は、そのような「下半身スキャンダル」を、新聞や雑誌に書いたりはしなかった。「エロネタ」は、「表を深く知る」道具であり、当然に「裏」を書いて大騒ぎを起こすほど、下衆な文章は書かなかったものである。今のマスコミは、その辺のところの見境がない。はっきり言って、質が落ちたと思う。政治家は「知られてはいけないものを知られている」と思えば、それだけ警戒する。そしてそれを長く書かなければ、「信用」が生まれるのである。その信用で「表舞台の真相」を教えてくれるようになる。残念な柄、今のマスコミにはそのような「技」がないので、結局のところ本来最も重要な「表舞台の真相」も書くことができなくなってしまうのだ。
  さて、話はガラッと変わって、というか、こんなことを欠く気はなかったのに、いつの間にか流れでこのようなことを書いてしまった。
  さて、男性は「女性」のどこに魅力を感じるのであろうか。最近、同性愛者も多くなってきたのでよくわからないが、少なくとも、少し古い人間たちは「男は外に出れば七人の敵がいる」などといわれ、その上で「外で戦う」ことに対する「癒し」を女性に求めたのではないか。その「癒し」が、政治家など、「建前の部分」が強く出さなければならない人はより強い「癒し」が必要になる。芸能人も同じで、そのために年初から芸能人や政治家の「ゲス不倫」が多く報道されているような気がする。
  まあ、その「癒し」の象徴は「丸み」である。少し付き合いにくい人のことを「とがっている」と表現するが、逆に、やさしく癒される人に関していえば「丸くなった」というような感じになる。
  そして、その女性の「癒し」そして「丸み」の、最も強調される部分は「胸」要するに「おっぱい」と「尻」つまり「ヒップ」というような感じになるのだ。実際に「性器」に関しては、実は「隠している」のであるから、そのものが男性から見て「癒し」や「セックスアピール」になることはない。単純に考えて、「外見から判断できるところ」が女性の魅力になるのは当然である。
  その上で、その「おっぱい」の美しさを競う「コンテスト」があるというのである。
“最も美しいおっぱい”に注目高まる マギー&ハイファッション誌が審査で日本一を決定
 【美おっぱいコンテスト2016/モデルプレス=6月5日】日本一の美しいおっぱいを持った女性を決定する「美おっぱいコンテスト2016」の開催が発表。特別審査員にはモデルのマギー、世界的ファッションプロデューサー・ニコラ・フォルミケッティ氏監修のハイファッション誌「FREE MAGAZINE」などが務めることも決定した。ネット上では「これは気になる」「すごい審査」と早くも注目度が高まっている。
マギー「毎晩の日課」“美容装備”姿に反響「パック中すら美しい」
◆理想の“おっぱい”に格式ある「賞」を
 同コンテストは、女性ならではの美しいおっぱいを追求し、理想の“おっぱい”に格式ある「賞」を与え、名誉と名声を授与したいという願いのもと誕生した大会。アートに、クリエイティブに、ファッショナブルに、一言では言い表せない“最も美しいおっぱい”を目指して競い合う。
◆一次の顔審査は一切なし
 18歳以上(高校生不可)の女性を対象にし、一次審査は“おっぱい画像”(水着写真など)のみで審査が行われ、顔審査は一切行われない。
 東京・大阪・福岡の3都市で行われる2次審査、東京での3次審査を経て、9月末~10月初旬に行われるファイナルイベントにてグランプリが決定。なおファイナリスト&受賞者は「FREEMAGAZINE」への出演権を得ることができ、さらに上位入賞者には豪華賞品も贈られる。
 審査員はほか、一流カメラマン・ヘアメイク・スタイリスト、ランジェリーブランド「PEACH JOHN」スタッフが参加。6月4日より応募がスタート。
◆日本一の“美おっぱい”に期待高まる
 コンテスト開催が発表になると
 「美おっぱい、すごい気になる」
 「顔審査なしでおっぱいだけの審査ってすごい」
 「女子視点の綺麗なおっぱい、レベル高そうだけど興味ある」
など、早くも話題を呼んでいる。(modelpress編集部)
モデルプレス 20160606
http://mdpr.jp/news/detail/1589524
 さて、このコンテスト、まだあったわけではない。
  実際に、6月4日から募集しているという。しかし「気になる」のである。
  そもそも「美しいおっぱい」とは一体何なのか、どのようなものが「美しい」のか、ということに関していえば、かなり大きな問題がある。そもそも「人それぞれの好みと主観」があり、その「主観」が支配する中において「誰もが納得するコンテスト」を行うというのであるからなかなか大変なものであろう。
  さて、そもそも胸の形に関していえば、古来、日本の場合女性の胸の形は「お椀型」が良いとされている。まあ、説明するまでもないが、「お椀を伏せたような形」である。基本的に横から見て「三角形」ではなく「半円型」が良いとされている。ちなみに、エロく書けば、この「お椀型」がもっとも感度が良いとされているそうだ。しかし、女性の乳房の神経において、形によってそれほど差があるとは思えない。要するに、「お椀型」の方が、男性の手のひらを丸めた形に最もフィットするということになっている。そのために、「お椀型」がもっとも「感度が良い」とされており、女性の胸の名kたちの理想とされている。
  ということは「お椀型」だけではなく「大きさ」も重要ということになる。小さすぎれば手にフィットしなくなるし、大きすぎれば手のひらから余るということになる。要するに、日本の場合、女性の胸に関していえば「手で包み込む」ということを前提にした言われ方が最も強かった。
  しかし、ここまではかなりエロかったが、実際に「女性が女性を判断する」ようになってくる。古来の日本、とは当然に「江戸時代やそれ以前」ということであり、女性に関していえばブラジャーという下着は存在しない時代の価値観である。「古い」と思う人もいるかもしれないので、あえいて言うと、「小股の切れ上がったいい女」という言い方があるが、その言い方は江戸時代、特に元禄時代の女性の表現であり、現在ではどのような女性を刺すかわからないが、それでも「セクシャルアピールのある女性」という意味で、その言葉が使われることは少なくない。要するに、「意味は分からない」けれども「江戸時代の町人文化的な単語」を使うことは少なくないのである。例えば「年増女」という。今では40代であっても「アラフォー」などといっているが、元禄時代は24歳、要するに「年女二回目」を「年女を重ねた」ということで「年増女」といっていたのである。現在の熟女などとはかけ離れたかなり若い世代が「年増」といわれているのであり、今、私のようなおっさんが24歳の女性を捕まえて「年増女」などといえば、たぶん、平手打ちに三回では済まないであろう。しかし、その年増が、年齢が変わって今でも使われているのである。
  さて胸に関しても「時代」が変わって「女性が女性を判断する」時代になる。当然に、「女性の目から見た美しいおっぱい」というのが非常に大きなテーマになる。しかし、この女性から見た之「女性」というのもさまざまな種類がある。子供がいる場合、それも乳飲み子がいる場合、とキャリアウーマンで男勝りの仕事をしている場合ではまたく価値観が異なる。もちろん、夜の仕事をしている女性などは、全く違う話になるであろう。
  また大きさに関しても「女性は女性の胸をもまない」という前提で考えれば、「大きいほうが良い」というような感じになる。女性が「かわいい子」というのと男性が「かわいい」というのが根本的に異なるように、女性が見て美しいと思うおっぱいと男性が見て美しいと思うおっぱいは全く異なるのである。
  その上「おっぱい」は普通「見せる」ものではない。そこをどのように審査するのであろうか。
  まさにこの記事に関しては「興味が尽きない」のである。まあ、「コンテスト」で「結果が出たわけでもない」のに、これだけ語れるのであるから、私自身がいかに「エロ」かがよくわかる。まあ、それだけ期待しているし、またネットでも「期待が高い」ということだけは間違いがないようである。

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宇田川版日本の歴史と日本の神々の「主人公」 第5回 庶民の講談が作り出した「水戸黄門」こそ庶民の望む神の姿

宇田川版日本の歴史と日本の神々の「主人公」
第5回 庶民の講談が作り出した「水戸黄門」こそ庶民の望む神の姿
 この連載も第5回目くらいになってくると、なんとなく形が決まってくるものである。
  初めに卑弥呼を行って「日本のシャーマン」の在り方について、
  二回目に源頼朝で「武士政治」の根本は天皇の権威を利用したものであったということ。
  第3回で織田信長を通して「日本の抜本的改革者」の庶民の目
  、そして、4回目で菅原道真で、「怨霊となった場合の対処法」を考えてみた。
  さて、第5回目は。
  5回目を取り上げるのは、「水戸光圀」である。
  水戸光圀といってもあまりピンとこない歴史をあまり知らない人に関しては、あえて「水戸黄門」といえば、少し前の時代劇ファンならだれでも知っているヒーローである。
  さて、今回取り上げたいのは、「実像」としての「徳川光圀」ではなく、庶民のヒーローの「水戸黄門諸国漫遊記」の「水戸黄門」を取り上げたい。
  要するに、今回は「実在の人物が架空の人物として庶民のヒーローになる・・・・・・・・・。
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宇田川版日本の歴史と日本の神々の「主人公」  第4回 菅原道真と日本の怨霊とその怨霊が神になるまで

宇田川版日本の歴史と日本の神々の「主人公」
第4回 菅原道真と日本の怨霊とその怨霊が神になるまで
 歴史上の人物を違った見方で見て、それが日本の神々の意識にどのような影響を与えたかということを見る。
  そんな連載になってきた感じがするのでであるが、まあ、自分のペースで続けてみよう。
  ところで、日本で「神になった人」というのは誰であろうか。
  まずは、靖国神社の英霊(御霊)ということが言える。
  そして、東京で有名なのは乃木神社の乃木希典と東郷神社の東郷平八郎。
  その前になると東照宮といわれているが徳川家康が、また各地には上杉神社や武田神社などもある。
  この流れの初めはいったい何であろうか。
  日本では、いくつかのパターンで「神」になることができる。
  私自身の宗教観では、日本人はすべての魂に神というか精霊というか、要するに人間ではない神の世界の力が付着するとされている。
  神の世界の力が付着することによって、その人が社会の中における様々な力を有するとされているのである。
  そのために、まずはもともと王権などを持った精霊がある人は、そこで祀られる。
  天皇だけではなく、東照宮として徳川家康が、地域の守護ということでは武田神社や上杉神社も存在する。
  一方、一般人であっても数奇な運命を持った人が、その事件を二度と起こさないようにということで祀られる。
  靖国神社がまさにそうで、外国人が理解できないのは「戦争で戦った人を祀って平和を祈る」という感覚が、たぶん理解できないのであろう。
  そして、特殊な能力を持った人。
  東郷神社や乃木神社などは、軍ということでまさに特殊能力組といえる。
  そして最後に「怨霊」を「怨霊としないために」祀るということがある。
  日本三怨霊といわれる「崇徳天皇」「菅原道真」「平将門」がまさにその中になる。
  婚種は受験の季節でもあり、この中で菅原道真を考えてみたい。
 
  まずは一応伝わっているところで、、、、、、、、、、、
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宇田川版日本の歴史と日本の神々の「主人公」 第2回 源頼朝と天皇の権威とその権威に服する日本国民

宇田川版日本の歴史と日本の神々の「主人公」
第2回 源頼朝と天皇の権威とその権威に服する日本国民
 実質的に先週から始まった連載で、いまだに方向性は定まっていない。
  その内容で、まあ、日曜日だし、毎週月曜日にかなり気合を入れた有料メルマガも書いているから、なんとなく今のまま進めて、そのうち「あっ」というようなひらめきが出ればよいと思っている。
  ちなみに、将来的には、日本の神道の体系と皇室についてまとめてみたいと思うし、そのために今回の歴史の中の主人公についてさまざま見てゆきたいと思う。
  さて、今回の連載は「日本の神々の主人公」と題している。
  当然に、その神々の考え方は、日本の歴史の中においてしっかりとした内容になっているのである。
  そしてその歴史を踏まえて、文化や習慣が形成されるということになる。
  その文化が人を育て、そして新たな神々を考えるようになるのだ。
  そのように考えたら、人を見ることが神を見ることに近い。
  さて、そのように考えて、まず「人」に着目する。
  もちろん、この連載は、私の個人が行っているものだから、その順序などは私が自由に決めるのである。
  さて、その前提で物事を考えると、全会の卑弥呼について、今回は、一気に時代を飛び越えて「源頼朝」という人についてスポットライトを当ててみよう。
  なぜ源頼朝なのか。
  実は…というほどのことではない。
  1192年(建久3年)から1868年(明治元年)までの期間、日本は、途中の建武の新政を除き、日本の政治は「征夷大将軍」が行っていた。
  いわゆる700年継続する「武士の政治」である。
  その武士の政治の初代が「源頼朝」である。
  ここで問題になるのは、当時の日本人において天皇が神であるという意識がなかったのか、そして、その天皇の権威についてどのように考えていたのか、そして、・・・・・・・。
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奉祝 天長節

 本日は、戦後の言い方でいうと「天皇誕生日」

 戦前の言い方で言いますと「天長節」です。
 そもそも「節」という漢字が使われるということは、当然に一年の節目になり間s。
 もともと、天皇陛下は、日本において、「暦」を司る神であり、その現人神が誕生日を迎えるということは、当然に「暦」が一つ増えるということを意味します。明治以前は数え年の制度でしたから「天長節」と「元旦」要するに「四方拝」が同じになっていましたが、明治以降一世一元になってから、誕生日を「天長節」として祝うようになったのです。
 これは、「暦」が新しくなることによって、日本が一つ生まれ変わるということを意味しているのです。
 さて、古い人は皆知っていますし、最近の人はあまり知らない内容の中に「天長節の歌」というのがあります。
 
今日の吉(よ)き日は大君の
うまれ給いし吉き日なり
今日の吉(よ)き日は御光(みひかり)の
さし出給いし吉き日なり
光遍(あまね)き君が代を
祝え諸人(もろびと)もろともに
恵み遍き君が代を
祝え諸人(もろびと)もろともに
 天長節自体は明治6年太陽暦の採用から行われています
 これに対して、この「天長節の歌」は
 明治26年に作られた歌です。
 
 さて、この季節はクリスマスですが、やはり日本人である以上この天皇誕生日という日も非常に大切にしていただきたいと思います。
 日本の祝日に関して、やはり日本のことをもう少し考える機会にしてはいかがでしょうか。

 今日は短いですが、やはり、御所に記帳に行ってきますので、
 この辺で。


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