文化・芸術

【土曜日のエロ】「最も美しいおっぱい」という「美おっぱいコンテスト2016」が開催されるという情報に関して

【土曜日のエロ】「最も美しいおっぱい」という「美おっぱいコンテスト2016」が開催されるという情報に関して
 毎週楽しみな、土曜日のエロである。この文章にはタブーなくエロを書こうと思っている。実際に昔は政治や経済、それに国際関係を書いていたのであり、かなり固い内容の話をしていた。実際に、そのころの人々からすれば「エロ」を書くということ自体、信じられないというような人々ばかりである。s3いかし、あの当時から政治家には「下半身スキャンダル」が目立つようになる。正直な話し、「建前の話」ばかりをしていると、いつの間にか「本音」の部分が消えてしまうということになってしまうのである。
  また、中国や韓国の事情を書いたりもしている。しかし、その中にも当然に、「ハニートラップ」など、女性にまつわる話は少なくない。そのような「本能」の部分で話がすすむので、いつのまにか「本音」が出てしまう。それが「建前」の社会に秘密にしなければならないというようなことになり、いつの間にか火事が大きくなってしまうということになる。まさに、「秘め事」が「秘め事」であるがゆえに、大きな問題になるのである。
  要するに、「固い話」をすればするほど、実は私の周辺には「エロ」ネタが増えてくるという構図になってくるのだ。
  まあ、実際はそのようなものであり、人間というのは「表と裏」どちらかに偏るとおかしくなってしまう。そのために、必ずどこかで「帳尻を合わせる」ものなのである。この状況の中において、「エロ」を語るのは、逆に「表」の部分を「深く知る」道具であったのだ。もちろん、当時は、そのような「下半身スキャンダル」を、新聞や雑誌に書いたりはしなかった。「エロネタ」は、「表を深く知る」道具であり、当然に「裏」を書いて大騒ぎを起こすほど、下衆な文章は書かなかったものである。今のマスコミは、その辺のところの見境がない。はっきり言って、質が落ちたと思う。政治家は「知られてはいけないものを知られている」と思えば、それだけ警戒する。そしてそれを長く書かなければ、「信用」が生まれるのである。その信用で「表舞台の真相」を教えてくれるようになる。残念な柄、今のマスコミにはそのような「技」がないので、結局のところ本来最も重要な「表舞台の真相」も書くことができなくなってしまうのだ。
  さて、話はガラッと変わって、というか、こんなことを欠く気はなかったのに、いつの間にか流れでこのようなことを書いてしまった。
  さて、男性は「女性」のどこに魅力を感じるのであろうか。最近、同性愛者も多くなってきたのでよくわからないが、少なくとも、少し古い人間たちは「男は外に出れば七人の敵がいる」などといわれ、その上で「外で戦う」ことに対する「癒し」を女性に求めたのではないか。その「癒し」が、政治家など、「建前の部分」が強く出さなければならない人はより強い「癒し」が必要になる。芸能人も同じで、そのために年初から芸能人や政治家の「ゲス不倫」が多く報道されているような気がする。
  まあ、その「癒し」の象徴は「丸み」である。少し付き合いにくい人のことを「とがっている」と表現するが、逆に、やさしく癒される人に関していえば「丸くなった」というような感じになる。
  そして、その女性の「癒し」そして「丸み」の、最も強調される部分は「胸」要するに「おっぱい」と「尻」つまり「ヒップ」というような感じになるのだ。実際に「性器」に関しては、実は「隠している」のであるから、そのものが男性から見て「癒し」や「セックスアピール」になることはない。単純に考えて、「外見から判断できるところ」が女性の魅力になるのは当然である。
  その上で、その「おっぱい」の美しさを競う「コンテスト」があるというのである。
“最も美しいおっぱい”に注目高まる マギー&ハイファッション誌が審査で日本一を決定
 【美おっぱいコンテスト2016/モデルプレス=6月5日】日本一の美しいおっぱいを持った女性を決定する「美おっぱいコンテスト2016」の開催が発表。特別審査員にはモデルのマギー、世界的ファッションプロデューサー・ニコラ・フォルミケッティ氏監修のハイファッション誌「FREE MAGAZINE」などが務めることも決定した。ネット上では「これは気になる」「すごい審査」と早くも注目度が高まっている。
マギー「毎晩の日課」“美容装備”姿に反響「パック中すら美しい」
◆理想の“おっぱい”に格式ある「賞」を
 同コンテストは、女性ならではの美しいおっぱいを追求し、理想の“おっぱい”に格式ある「賞」を与え、名誉と名声を授与したいという願いのもと誕生した大会。アートに、クリエイティブに、ファッショナブルに、一言では言い表せない“最も美しいおっぱい”を目指して競い合う。
◆一次の顔審査は一切なし
 18歳以上(高校生不可)の女性を対象にし、一次審査は“おっぱい画像”(水着写真など)のみで審査が行われ、顔審査は一切行われない。
 東京・大阪・福岡の3都市で行われる2次審査、東京での3次審査を経て、9月末~10月初旬に行われるファイナルイベントにてグランプリが決定。なおファイナリスト&受賞者は「FREEMAGAZINE」への出演権を得ることができ、さらに上位入賞者には豪華賞品も贈られる。
 審査員はほか、一流カメラマン・ヘアメイク・スタイリスト、ランジェリーブランド「PEACH JOHN」スタッフが参加。6月4日より応募がスタート。
◆日本一の“美おっぱい”に期待高まる
 コンテスト開催が発表になると
 「美おっぱい、すごい気になる」
 「顔審査なしでおっぱいだけの審査ってすごい」
 「女子視点の綺麗なおっぱい、レベル高そうだけど興味ある」
など、早くも話題を呼んでいる。(modelpress編集部)
モデルプレス 20160606
http://mdpr.jp/news/detail/1589524
 さて、このコンテスト、まだあったわけではない。
  実際に、6月4日から募集しているという。しかし「気になる」のである。
  そもそも「美しいおっぱい」とは一体何なのか、どのようなものが「美しい」のか、ということに関していえば、かなり大きな問題がある。そもそも「人それぞれの好みと主観」があり、その「主観」が支配する中において「誰もが納得するコンテスト」を行うというのであるからなかなか大変なものであろう。
  さて、そもそも胸の形に関していえば、古来、日本の場合女性の胸の形は「お椀型」が良いとされている。まあ、説明するまでもないが、「お椀を伏せたような形」である。基本的に横から見て「三角形」ではなく「半円型」が良いとされている。ちなみに、エロく書けば、この「お椀型」がもっとも感度が良いとされているそうだ。しかし、女性の乳房の神経において、形によってそれほど差があるとは思えない。要するに、「お椀型」の方が、男性の手のひらを丸めた形に最もフィットするということになっている。そのために、「お椀型」がもっとも「感度が良い」とされており、女性の胸の名kたちの理想とされている。
  ということは「お椀型」だけではなく「大きさ」も重要ということになる。小さすぎれば手にフィットしなくなるし、大きすぎれば手のひらから余るということになる。要するに、日本の場合、女性の胸に関していえば「手で包み込む」ということを前提にした言われ方が最も強かった。
  しかし、ここまではかなりエロかったが、実際に「女性が女性を判断する」ようになってくる。古来の日本、とは当然に「江戸時代やそれ以前」ということであり、女性に関していえばブラジャーという下着は存在しない時代の価値観である。「古い」と思う人もいるかもしれないので、あえいて言うと、「小股の切れ上がったいい女」という言い方があるが、その言い方は江戸時代、特に元禄時代の女性の表現であり、現在ではどのような女性を刺すかわからないが、それでも「セクシャルアピールのある女性」という意味で、その言葉が使われることは少なくない。要するに、「意味は分からない」けれども「江戸時代の町人文化的な単語」を使うことは少なくないのである。例えば「年増女」という。今では40代であっても「アラフォー」などといっているが、元禄時代は24歳、要するに「年女二回目」を「年女を重ねた」ということで「年増女」といっていたのである。現在の熟女などとはかけ離れたかなり若い世代が「年増」といわれているのであり、今、私のようなおっさんが24歳の女性を捕まえて「年増女」などといえば、たぶん、平手打ちに三回では済まないであろう。しかし、その年増が、年齢が変わって今でも使われているのである。
  さて胸に関しても「時代」が変わって「女性が女性を判断する」時代になる。当然に、「女性の目から見た美しいおっぱい」というのが非常に大きなテーマになる。しかし、この女性から見た之「女性」というのもさまざまな種類がある。子供がいる場合、それも乳飲み子がいる場合、とキャリアウーマンで男勝りの仕事をしている場合ではまたく価値観が異なる。もちろん、夜の仕事をしている女性などは、全く違う話になるであろう。
  また大きさに関しても「女性は女性の胸をもまない」という前提で考えれば、「大きいほうが良い」というような感じになる。女性が「かわいい子」というのと男性が「かわいい」というのが根本的に異なるように、女性が見て美しいと思うおっぱいと男性が見て美しいと思うおっぱいは全く異なるのである。
  その上「おっぱい」は普通「見せる」ものではない。そこをどのように審査するのであろうか。
  まさにこの記事に関しては「興味が尽きない」のである。まあ、「コンテスト」で「結果が出たわけでもない」のに、これだけ語れるのであるから、私自身がいかに「エロ」かがよくわかる。まあ、それだけ期待しているし、またネットでも「期待が高い」ということだけは間違いがないようである。

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宇田川版日本の歴史と日本の神々の「主人公」 第5回 庶民の講談が作り出した「水戸黄門」こそ庶民の望む神の姿

宇田川版日本の歴史と日本の神々の「主人公」
第5回 庶民の講談が作り出した「水戸黄門」こそ庶民の望む神の姿
 この連載も第5回目くらいになってくると、なんとなく形が決まってくるものである。
  初めに卑弥呼を行って「日本のシャーマン」の在り方について、
  二回目に源頼朝で「武士政治」の根本は天皇の権威を利用したものであったということ。
  第3回で織田信長を通して「日本の抜本的改革者」の庶民の目
  、そして、4回目で菅原道真で、「怨霊となった場合の対処法」を考えてみた。
  さて、第5回目は。
  5回目を取り上げるのは、「水戸光圀」である。
  水戸光圀といってもあまりピンとこない歴史をあまり知らない人に関しては、あえて「水戸黄門」といえば、少し前の時代劇ファンならだれでも知っているヒーローである。
  さて、今回取り上げたいのは、「実像」としての「徳川光圀」ではなく、庶民のヒーローの「水戸黄門諸国漫遊記」の「水戸黄門」を取り上げたい。
  要するに、今回は「実在の人物が架空の人物として庶民のヒーローになる・・・・・・・・・。
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宇田川版日本の歴史と日本の神々の「主人公」  第4回 菅原道真と日本の怨霊とその怨霊が神になるまで

宇田川版日本の歴史と日本の神々の「主人公」
第4回 菅原道真と日本の怨霊とその怨霊が神になるまで
 歴史上の人物を違った見方で見て、それが日本の神々の意識にどのような影響を与えたかということを見る。
  そんな連載になってきた感じがするのでであるが、まあ、自分のペースで続けてみよう。
  ところで、日本で「神になった人」というのは誰であろうか。
  まずは、靖国神社の英霊(御霊)ということが言える。
  そして、東京で有名なのは乃木神社の乃木希典と東郷神社の東郷平八郎。
  その前になると東照宮といわれているが徳川家康が、また各地には上杉神社や武田神社などもある。
  この流れの初めはいったい何であろうか。
  日本では、いくつかのパターンで「神」になることができる。
  私自身の宗教観では、日本人はすべての魂に神というか精霊というか、要するに人間ではない神の世界の力が付着するとされている。
  神の世界の力が付着することによって、その人が社会の中における様々な力を有するとされているのである。
  そのために、まずはもともと王権などを持った精霊がある人は、そこで祀られる。
  天皇だけではなく、東照宮として徳川家康が、地域の守護ということでは武田神社や上杉神社も存在する。
  一方、一般人であっても数奇な運命を持った人が、その事件を二度と起こさないようにということで祀られる。
  靖国神社がまさにそうで、外国人が理解できないのは「戦争で戦った人を祀って平和を祈る」という感覚が、たぶん理解できないのであろう。
  そして、特殊な能力を持った人。
  東郷神社や乃木神社などは、軍ということでまさに特殊能力組といえる。
  そして最後に「怨霊」を「怨霊としないために」祀るということがある。
  日本三怨霊といわれる「崇徳天皇」「菅原道真」「平将門」がまさにその中になる。
  婚種は受験の季節でもあり、この中で菅原道真を考えてみたい。
 
  まずは一応伝わっているところで、、、、、、、、、、、
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宇田川版日本の歴史と日本の神々の「主人公」 第2回 源頼朝と天皇の権威とその権威に服する日本国民

宇田川版日本の歴史と日本の神々の「主人公」
第2回 源頼朝と天皇の権威とその権威に服する日本国民
 実質的に先週から始まった連載で、いまだに方向性は定まっていない。
  その内容で、まあ、日曜日だし、毎週月曜日にかなり気合を入れた有料メルマガも書いているから、なんとなく今のまま進めて、そのうち「あっ」というようなひらめきが出ればよいと思っている。
  ちなみに、将来的には、日本の神道の体系と皇室についてまとめてみたいと思うし、そのために今回の歴史の中の主人公についてさまざま見てゆきたいと思う。
  さて、今回の連載は「日本の神々の主人公」と題している。
  当然に、その神々の考え方は、日本の歴史の中においてしっかりとした内容になっているのである。
  そしてその歴史を踏まえて、文化や習慣が形成されるということになる。
  その文化が人を育て、そして新たな神々を考えるようになるのだ。
  そのように考えたら、人を見ることが神を見ることに近い。
  さて、そのように考えて、まず「人」に着目する。
  もちろん、この連載は、私の個人が行っているものだから、その順序などは私が自由に決めるのである。
  さて、その前提で物事を考えると、全会の卑弥呼について、今回は、一気に時代を飛び越えて「源頼朝」という人についてスポットライトを当ててみよう。
  なぜ源頼朝なのか。
  実は…というほどのことではない。
  1192年(建久3年)から1868年(明治元年)までの期間、日本は、途中の建武の新政を除き、日本の政治は「征夷大将軍」が行っていた。
  いわゆる700年継続する「武士の政治」である。
  その武士の政治の初代が「源頼朝」である。
  ここで問題になるのは、当時の日本人において天皇が神であるという意識がなかったのか、そして、その天皇の権威についてどのように考えていたのか、そして、・・・・・・・。
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奉祝 天長節

 本日は、戦後の言い方でいうと「天皇誕生日」

 戦前の言い方で言いますと「天長節」です。
 そもそも「節」という漢字が使われるということは、当然に一年の節目になり間s。
 もともと、天皇陛下は、日本において、「暦」を司る神であり、その現人神が誕生日を迎えるということは、当然に「暦」が一つ増えるということを意味します。明治以前は数え年の制度でしたから「天長節」と「元旦」要するに「四方拝」が同じになっていましたが、明治以降一世一元になってから、誕生日を「天長節」として祝うようになったのです。
 これは、「暦」が新しくなることによって、日本が一つ生まれ変わるということを意味しているのです。
 さて、古い人は皆知っていますし、最近の人はあまり知らない内容の中に「天長節の歌」というのがあります。
 
今日の吉(よ)き日は大君の
うまれ給いし吉き日なり
今日の吉(よ)き日は御光(みひかり)の
さし出給いし吉き日なり
光遍(あまね)き君が代を
祝え諸人(もろびと)もろともに
恵み遍き君が代を
祝え諸人(もろびと)もろともに
 天長節自体は明治6年太陽暦の採用から行われています
 これに対して、この「天長節の歌」は
 明治26年に作られた歌です。
 
 さて、この季節はクリスマスですが、やはり日本人である以上この天皇誕生日という日も非常に大切にしていただきたいと思います。
 日本の祝日に関して、やはり日本のことをもう少し考える機会にしてはいかがでしょうか。

 今日は短いですが、やはり、御所に記帳に行ってきますので、
 この辺で。


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