日記・コラム・つぶやき

【土曜日のエロ】 女性ファッション誌に書かれた「人妻になってから持てる」という不倫の告白の解釈論

【土曜日のエロ】 女性ファッション誌に書かれた「人妻になってから持てる」という不倫の告白の解釈論
 土曜日のエロの日になった。今週は本や元寇に追われてしまい、なかなか落ち着いた内容にならない状態である。そのために、なんとなく大きな問題があっても見過ごしていたという感じがある。まあ、正直に言って自分の個人のことがかなり忙しくて、大変であったということなのである。
  まずはNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」(2020年1月放送開始)の人気にあやかって、というか京都の亀岡市の皆さんとともに、大河ドラマを盛り上げるということで書いた「時を継ぐ者伝 光秀京へ」(振学出版)ができた。正式な発売は13日だそうだが、まあ、本屋に並びつつある状態である。この本の発売に合わせて、様々なことをしなければならず、そのために様々な調整をするなどがあって大変であったということになる。まあ、正直に言って疲れたという感じであろうか。
  一方、その大河ドラマ関連で、現在の「いだてん」に出演中のピエール瀧容疑者が、麻薬取締法違反容疑で逮捕された。今年の大河ドラマ「いだてん」は、日本で初めてオリンピックに出た金栗四三氏の話であり、その間に戦争のような大きな時代の節目がないということと、やはり脚本家の個性から少々ドタバタしたドラマ仕立てになっている部分がある。朝のドラマならばよいが、大河ドラマに関してはある程度重厚な内容を求めている人が少なくない部分が多い。なぜならば大河ドラマは、やはり日曜の夜ということもあって男性社会人の視聴者が多いことから、そのような「男性のドラマ」を求めている人が少なくないのではないか。
  その中で重要な役割をしているピエール瀧容疑者の逮捕は、かなり大きな問題になっているような気がする。まあ、ちょうどドラマはストックホルムに行っている場面であり、そのために、瀧容疑者が出ない部分であるが、しかし、今後のことを考えると、なかなか難しい判断をNHKは迫られるのではないかと思う。
  まあ、芸能のことは普段のブログではあまり書かないので、なかなかこのようなことは書かない感じである。
  さて、その麻薬、単純に麻薬で精神的に楽になるというのと、性的な快楽を増すというような効果もあるらしい。まあ、私は使ったことがないのであるが、そのような「背徳の香り」は、麻薬という物理的な薬物を使わなくても、精神的な高揚感を得られるのかもしれない。
人妻になってからモテるの…不倫中の女友達からの「勘違いLINE」
 不倫をしている女友達がいると、びっくりするような言動を目の当たりにすることがあるようです。そうした経験がある女性3人に、お話を伺ってみました。
【みんなの恋テク】
   「人妻になってからモテるんだよね!」
「私と友人は、既婚者同士。2人とも子どもはまだいなくて、割と頻繁に連絡を取り合っていたんです。だけど彼女、早く子どもが欲しいのに夫に取り合ってもらえないと嘆いていたんですね。そんななか、不倫を始めたようで。たまに不倫相手との惚気話がLINEで来ていたんです。うんざりした私は『不倫なんてやめて家族を大切にしようよ』と伝えました。すると『前から思ってたんだけど、結婚してからやたらモテるんだよねー。ユウコはそうでもないの? 私に人妻っていう肩書きができたらちょっと響きがエロいのかも(笑)。モテ期は堪能しなきゃ!』って。人妻になったらモテるって、遊びたいだけの男性になめられているだけじゃ……と正直思いました。勘違い発言も不倫の惚気話もウザいので、最近は既読スルーぎみです」(ユウコ?仮名?/29歳)
   「夜の生活がうまくいってるとハリが出るの」
「ある日、学生時代の友人から突然LINEが来たんです。内容は、既婚者と不倫しているというもの。割と大人しいイメージがあったので、内心びっくりしました。彼女とはそんなに仲が良いわけではなく、噂で結婚したとは聞いていました。要するにW不倫です。不倫している有名人のニュースを見ることもあるので、知り合いに当事者がいてもおかしくないか……とLINEを続けていたんですけど、だんだん気持ち悪くなってしまって。『早くに結婚して子どもを産んだから、後悔してばっかり。子どもはかわいいけど夫がサイテー』『不倫相手は夫と違って私を求めてくれるの。夜の生活がうまくいってると、ずっと気分が良いのよね』『夫はATMよ。彼にも家庭がなければ、私も早く離婚するのになぁ』。そもそも不倫って体目当てなんじゃ……? 求めてくるって、当たり前のような気がします。こんなLINEを他の同級生に送っているみたいで、うざがられていると後に知りました」(シズカ?仮名?/33歳)
   「結婚してても良い出会いはあるのよ」
「趣味のサークルに体験参加してみて、そこでたまたま出会った女性がいるんです。話が合ってLINE含めたSNSを交換したんですが……。SNSを見ると、男性に囲まれた彼女の姿が。若い女性も写っていました。彼女は40代だし既婚だし……こうした写真がたくさんあるので、どうしてこんなに遊びにいけるのか疑問だったんです。でもその疑問も解けました。『リンちゃん、今度みんなで飲みに行かない?』と突然のお誘いLINEが。『男の子も女の子もたくさんいるし、楽しいよ』と。私は『彼氏が嫌がると思うので遠慮させてください』と断ったんですね。すると『えーもったい無いよ! 男はひとりじゃないんだから、楽しまなきゃ。私は結婚してるけど、こういうところで良い出会いを見つけてるの』といったLINEが来ました。家庭をないがしろにして遊びまくっているのか……とドン引きしました。結婚していながら良い出会いを探すって、おかしくないですか?」(リンナ?仮名?/26歳)
 こんな強烈なLINEが来たら、返答に困ってしまいそうです。聞いているだけで、即ブロックしたくなる気持ちになりました。
2019年03月08日 21時00分 ananweb 文・西田彩花
https://news.nifty.com/article/item/neta/12270-213468/
 『前から思ってたんだけど、結婚してからやたらモテるんだよねー。ユウコはそうでもないの? 私に人妻っていう肩書きができたらちょっと響きがエロいのかも(笑)。モテ期は堪能しなきゃ!』って。人妻になったらモテるって、遊びたいだけの男性になめられているだけじゃ……と正直思いました。<上記より抜粋>
  さてさて、男性のエロの話というのは、意外と明るい感じのものが少なくない。まあ、男性重視というのは、ある意味で女性は保護されているということを意味しているのであろうが、しかし、その保護されていることが嫌になってしまう女性も少なくない。現在の女性は「女性の社会進出」という言葉で象徴されているが、女性が男性と同じように社会で活躍することを目指しているということになる。ある意味で「女性の男性社会化」という感じになる。つまり、女性も浮気をしたりあるいは風俗営業店に行ったりというような感じになってくるのではなかろうか。このように考えると、抜粋した部分がよくわかる。「人妻という肩書」という感覚が、まさに肩書という社会人的な発想になっているし、また、「エロい」というような感じにあり、自分の遊びたいという権利を主張してしまい、同時に、家庭を守る(もちろん女性だけの役割でもないのであるが)という責任と義務(というと重たい感じもするのであるが)があまり考えられていないということになる。ある意味で、このような女性の社会感覚や権利意識が、ある意味で家庭を顧みないような風土を作ってしまっているのではないか。
  『早くに結婚して子どもを産んだから、後悔してばっかり。子どもはかわいいけど夫がサイテー』『不倫相手は夫と違って私を求めてくれるの。夜の生活がうまくいってると、ずっと気分が良いのよね』『夫はATMよ。彼にも家庭がなければ、私も早く離婚するのになぁ』<上記より抜粋>
  まさに体の関係を重視し、子供のことはあまり考えていない状況がよくわかる。男性から考えれば、相手も結婚し子供もいるので、「女性側が帰るところがある」わけであり、まああとは引きずっても、突き放して責任がないということになる。つまり男性側も「都合よく遊べる女である」ということになり、お互いの需要と供給がうまくマッチしているということになるのではないか。逆に言えば、そのような状況で家に残される子供が最もかわいそうな犠牲者ではないか。このような女性が「保育園落ちた」などといっていても、実際は道場に値するものではない。まさに、不倫ができないから保育園に入れたいというような状況では本末転倒ではないか。
  家庭をないがしろにして遊びまくっているのか……とドン引きしました。結婚していながら良い出会いを探すって、おかしくないですか?<上記より抜粋>
  まさに、このことがそのものではないか。さて問題はこのような内容が、女性ファッション誌に書かれているということである。ある意味で、女性の方が発展的であると思うし、一方で、女性の方が何かが崩れてしまうと一気に文化や家庭などを変えてしまう力があるのではないか。その感情と欲望のパワーは、ある意味、昔の人が「男尊女卑」といって家庭の中に押し込めようとしたのがなんとなく理解できるような気がするのである。
  そのうち「デリバリー不倫」のような、宅配型不倫サービスのようなものができてくるのではないか。数年な目に韓流ドラマに日本人のおばさんがかなりはまっていたのが、徐々に「実行行為化」した状況に日本人は今後どのように対応するのか、そして女性はどのように変化してゆくのであろうか。
  できればモラルを取り戻し、家庭をしっかりと守ってもらいたいと思っている男性は少なくないと思うのである。

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【土曜日のエロ】 ナンパを教える塾という存在の最終目標は何かということがわかればこの犯罪は防げたのか

【土曜日のエロ】 ナンパを教える塾という存在の最終目標は何かということがわかればこの犯罪は防げたのか
 土曜日のエロの日である。まあ、今週もなかなか様々な動きがあった感じがする。単純に言ってこの土曜日の今秋を振り返るというのはなかなか重要なことなのではないかという気がしてくるのである。
  今週のニュースで、最も話題になったのはカルロス・ゴーン被告の保釈であろう。保釈金10億円というのも話題だし、まあ、そもそもなぜ今頃保釈なのかということも和ぢ亜になった。まあ実際に、フランスのルノーもゴーン被告を解任させ、フランスもゴーン被告を見放したタイミングということになる。
  なぜか日本では話題にならないのであるが、フランスでは「黄色いベストデモ」が今年に入ってからも毎週行われており、その中において、「金持ちゴーン」の保護をするkとはできなくなったということになる。もっと端的に言えばフランスは、国内事情の解消に日産の事件を使おうとしたがかえって逆効果になってしまったということに他ならない。
  このことをうまく考えれば、あとは国内の法律の話であり、「有価証券取引法」「特別背任罪」など様々な罪があるという状態で何処で妥協するのか、あるいは、すべて無罪を勝ち取るのかということを見てゆかなければならないということになるのではないか。まあ、自ずれにせよ「フランスのルノーを含めた組織的な隠ぺい工作」の危険がなくなったということを意味し、そのために、ゴーン被告が保釈されたということになる。
 ゴーン被告はこの事情の変化を知っているのであろうか。まあ、「教える」人がいなければ、そのような状況の変化は気が付かない。「教える」というのは、その教える内容に関して単純な知識というよりは、ある程度の目的をもって、その内容を教えt、そしてある言って奉公の情報をしっかりと身に着ける必要があるということになるのである。
  では、その「ナンパ」を教えるということはいったいどのような目的になるのであろうか。そもそも男性が女性をナンパするときにはどのような目的を持っているのか。単純に、デートだけとか、その場だけ面白ければよいという人もいると思うが、その後のエロを期待している人も少なくないのではないか。
ナンパ教える「塾」講師と受講生逮捕 準強制性交の疑い
 女性に酒を飲ませて性的暴行を加えたとして、大阪府警は、自称会社役員の東海林陽介容疑者(37)=大阪市中央区=と、タクシー運転手の横矢浩一容疑者(37)=同大正区=を準強制性交容疑で逮捕し、4日発表した。府警は2人の認否を明らかにしていない。
 東署によると、逮捕容疑は2017年9月ごろ、府内のマンションなどで20代女性にテキーラなどの酒を飲ませて抵抗できない状態にした後、東海林容疑者の自宅で女性に性的暴行を加えたというもの。
 東海林容疑者はナンパの技術を教える「塾」の講師を務め、横矢容疑者は受講生だった。女性とは飲食店で声をかけて知り合ったといい、署は塾の講習の一環だったとみている。この塾をめぐっては昨年以降、塾長や別の受講生が同容疑などで逮捕されている。
朝日新聞 2019年3月4日17時03分
https://www.asahi.com/articles/ASM3454KJM34PTIL01J.html
 女性に酒を飲ませて、性的暴行を加えるというのは、まあ、基本的には準強制性交、実際に強姦罪に近い。まあ、今では強姦罪とは言わず、「強制性交罪」というそうである。
  さて、そもそも「ナンパ」というのはどうして行うのであろうか。単純に女性にもてたいとか女性を周囲に侍らせたいというような感覚があるかもしれない。しかし、単純にお茶を飲むだけの関係の女性を誘うのに、「塾」まで行くのかということが問題になる。
  以前「性行為を伴わない男女の友人関係は成立するのか」ということが、ネット上で話題になり、様々な人が意見を言っていたのを思い出す。単純に男女の家計がそのままエロに執着するのか、あるいはエロの伴わない男女関係というのは存続するのかということになる。
  実際に私のようにすでに年齢を重ね、そんなに口で言うほどエロに関して「体がすでについてこない」男性においては、エロは口で言うくらいしかできない状態になってきていて、実際にはエロを伴わない男女関係というのは山のように存在するのであるが、確かに二十代、三十代の適齢期で彼女がいない男性、彼氏のいない女性において、異性との付き合いというのは、最終的には、エロの関係がある程度念頭にあるというのが普通なのではないか。
  あとは、それから先があるかどうか、つまり、エロの関係の先に交際や乾坤というところまで想定されているのかあるいは、エロい関係だけで「遊び」で終わるのかということが大きな問題になってくるのではないか。「遊び」というのであれば、金で買えばよいのであるが、そうではない状況において「ナンパ」というのは、なんとなくエロの関係だけを目的にした状況を強く感じるのは、私だけであろうか。
  女性とは飲食店で声をかけて知り合ったといい、署は塾の講習の一環だったとみている。この塾をめぐっては昨年以降、塾長や別の受講生が同容疑などで逮捕されている。<上記より抜粋>
  まあ、講習の一環として、ナンパを行い準強制性交罪を犯してしまうというのは、やはり「エロ」で終わるということが前提であるばかりか「教材」として使われているのであるから、本人の同意がない限りにおいて、そのようなことは許されないのであろうと思う。一方、なぜこのような「塾」ができてくるのであろうか。ある意味でセクハラなどが強く言われすぎてしまい、そのために、自由にエロの話題ができなくなる。そのために男性が委縮してしまい塾などの通わなければ女性と話せないというような人が出てきてしまうのである。まあ、二次元などの影響もあると思うが、単純に男女の関係関係をうまく規定することができなくなってしまっているという現状がお最も問題である。
  もちろん犯罪は犯罪だが、そのような「塾」が生まれる社会的背景を考えるべきではないのか。

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【土曜日のエロ】 「ヌード写真集」ではなく「ヌードもある写真集」を篠山紀信が出したということは、男性のエロ目線の写真集はどこに行ってしまうのであろうか

【土曜日のエロ】 「ヌード写真集」ではなく「ヌードもある写真集」を篠山紀信が出したということは、男性のエロ目線の写真集はどこに行ってしまうのであろうか
 土曜日のエロの日になった。早くも三月である。困ったことに今年も何もしていないのにいつの間にか三月になってしまったという感じがする。なんというか、時間がたつのが早いと感じるのは、年齢が上がったからだということのようであるが、なんとなくそのようなことを気にする年齢になったのかもしれない。
  さて、今週は何があっただろうか。まず何よりも第二回の米朝首脳会談があったということになる。第二回となると、意外と注目度は低くなるものである。まあ、ある意味で当たり前のことで会う。我々は、アポロ11号で人類初の月面に一歩を踏み出した人の名前は憶えている。そう、アームストロング船長である。しかし、二番目、つまりアームストロング氏と一緒に行き、その次に月面を歩行した人の名前を言えというと、なかなか言えない。いや意識している人も少ない。名前はバズ・オルドリンという人なのだが、その名前を憶えている人は少ないのだ。
  つまり「初めて」は多くの人が注目するのであるが、二番目、三番目となると、実は名前も覚えていないことが少なくないのである。米朝会談も同じ。ましてや一回目と同じ金正恩とトランプという顔合わせである。当然に注目度は低い。ましてや、その話した内容に関しても、一回目の会談の後で、その具体化ということが話題になっているのであろうから、その内容はだいたい想像がついてしまうものである。
  人間、特に日本人は、「中を見る前に想像がついてしまうものに関しては、あまり興味を示さない」という性質がある。それは、「二番目」問うのは「一番目」とあまり変わらないということから、基本的には注目をしない。注目というのは「変化」に対してするものであって、その変化が少ない場合などは、当然に、その内容が小さくなってしまうのである。
  これは「本」でも同じだ。有名な評論家が、例えば政治に関して書いている本がある。その本は、著者と表紙にある本の題名だけで、だいたい何が書いてあるかわかってしまう。それでもその本が処女作といえば、「文章になれば何か変わるかもしれない」というような感覚になるのであるが、二作目以降になると、わかっていることを書いているということになる。
  ヌード写真集も同じである
篠山紀信氏 「ヌード写真集」と言われることに不本意…その真意とは
 写真家・篠山紀信氏(78)が24日、都内で行われた「キャンパスクイーン」卒業生で女優の結城モエ(24)、高尾美有(23)、松井りな(25)を撮影した写真集「プルミエール ラ・リューシュの館」の発売記念イベントに出席した。
 篠山氏は「平成最後の作品になった」と話し、「『ヌード写真集』と言われるのは不本意。『ヌードもある写真集』。男目線じゃなく女性に見てもらって『きれいね』と言ってもらえるような作品。男の人の中には不満っていう人もいたかもしれないけど」と新たなコンセプトに自信を見せた。
 松井は「男友達には扇情的というよりは逆にカッコいいと言われました」と照れながら明かし、結城は「ヌードイコール世の中的にいやらしい物だったりするんですけど、そうじゃなく、この空間で撮ったときに、その人が一番美しく見える形は何だろうと考えたとき、裸でいる方が自然で美しいと思って撮っていたので、カッコいいという声を頂くのはありがたい」と話した。
 高尾も「ヌードってちょっと怖いイメージもあったんですけど、ヌードイコール、女性の強さだったり生き様だったり、その人その人で出ると思う」とうなずいていた。
2019年2月24日 20時40分 デイリースポーツ
http://news.livedoor.com/article/detail/16069108/
 篠山紀信氏がヌード写真集といわれることに抵抗を示しているという。
  当然に「ヌード写真」といえば、女性の裸がそこに移されているというような感じになる。もちろん若くて美しい女性の、戦場的な裸の写真となればそれは男性にとっては非常に羨望の写真集ということになろう。当然に、我々男性は、そのような若くて美しい女性の裸などはなかなか見ることなどはできない。まあ、見ようと思えばセクハラか、あるいは盗撮か、あるいは、のぞき見、平安時代源氏物語の単語を使えば「垣間見」などという言葉が出てくるのであるが、いずれにせよ「正当な理由によってみることができない」というような感じになる。
  男性の乗ってみたい「台」が二つあるという。一つはオーケストラの指揮台であるという。音楽をやっている人でも指揮者というのはなかなかできるような話ではない。100人のオーケストラでも、その指揮者は一人しかいない。そしてそのプロを相手に、一人ですべての指揮を行うのであるから、それは、気持ちがいい。
  もう一つの「台」は「風呂屋の番台」である。あまり最近は銭湯が少なくなってしまったので、なかなか風呂屋などを見ることはないし、スーパー銭湯などは「番台」というシステムがない。そのために番台といわれても何のことかわからない人もいるかもしれない。今もそうだが銭湯というのは、男湯と女湯の真ん中のに番台という見張り番と銭湯の料金をもらう場所があり、そこで、料金を払って、お風呂に入るシステムであった。しかし、そこに座っているということは、女湯の脱衣所も、構造によっては湯船も「正当な理由」で見ることができるのである。まあ、「仕事として女性の裸を見ることができる」というのは、何とも良いものである。
  さて、その風呂屋の番台以外は、若い女性の裸などは見ることができない。つまり、風呂屋の番台か、あるいはよほどの金持ちになって、女を買うか、または、若い女性を嫁にもらうか(もちろんその前に独身になっていなければならないが)、そのような困難を越えなければ、女性の裸などは見ることができない。
  しかし、実際に「男性の羨望」というのは、女性からすれば「見られている」というような意識になってしまう。そのために「ヌード写真集」といわれれば、それだけで実は写真集の購買層が男性しかいないということになってしまうのである。
  「『ヌードもある写真集』。男目線じゃなく女性に見てもらって『きれいね』と言ってもらえるような作品。男の人の中には不満っていう人もいたかもしれないけど」<上記より抜粋>
  まさに、ヌード写真集にも、女性目線、中性化の波が襲ってきたということに他ならない。かっこいいというかもしれないが、実は男性目線の「優越感」を感じる「男性の欲望」を満たすものがなくなっていったということになる。
  もちろん、動画やネットの発展によって、写真集があまり売れない時代になっているが、しかし、一方で、そのような「レトロなエロ」もあってよいのではないか。何でもかんでも女性目線を取り入れることは、なんとなく、男性として悲しいものであるし、また、女性は女性らしく・男性は男性らしくというような感覚も少なくなってしまったのかもしれない。LGBTといわれて久しいが、それ以前の「男性の女性化」「女性の男性化」というような感じになり両性別が中性化しているような感じである。その中性化賀「ヌード写真集」にまで来てしまったのか。時代は変わった。しかし、内心「本当にエロを追求したヌード写真集も残してもらいたい」と思うものなのである。

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奉祝 天皇陛下在位30年

奉祝 天皇陛下在位30年
 2月24日、天皇陛下が在位30年を迎えられ、記念式典が行われた。
  「象徴天皇」として即位された初めての天皇陛下である。今上陛下の皇室における様々な改革をしてきた方だと思う。そのキーワードは「開かれた皇室」と「国民とともに」という二つではないか。これほど国民に寄り添っていただいた天皇陛下は今までいない。今までは、国民が皇室に頼り、そして忖度をしていた。しかし、今上陛下からは「皇室は国民のために開かれ、そして国民に親しまれる皇室」を行っていた。
  その「開かれた」という意味をはき違えて、皇室をアイドル化してしまったり、あるいはスキャンダルを起こすような内容を欠くこともあった。また、一方で国民の側も、皇室を崇敬するのではなく、「開かれた」「親しみのある」という言葉から、いつの間にか、「皇室を利用する」というようなことになっていったのではないか。本来、そのようなことはあってはならないし「開かれた皇室」ということの意味をしっかりと考えなければならないのに、独りよがりで、自分たちん勝手な解釈を行い、そのうえで、皇室について様残なあことを言っているのはいかがなものであったのだろうか。
  もう一つは、「国民とともに」という言葉である。
  そのことについは、記事の後ろに書いてみたい。
陛下お言葉、国民に「誇りと喜び」…深い謝意
 天皇陛下はお言葉で、象徴として寄り添ってきた国民を「誇りと喜びを持つことのできる存在」と表現し、深い謝意を示された。
 この30年は、平和を希求する国民の強い意志に支えられ、「近現代で初めて戦争を経験せぬ時代」となったが、平坦へいたんな時代ではなかったと振り返られた。自然災害を耐え抜く人々、その悲しみに心を寄せる人々の姿を「忘れがたい記憶の一つ」に挙げられた。
 グローバル化する世界で、叡智えいちを持って日本の立場を確立し、誠意をもって他国との関係を構築すべきだとの思いを伝えられた。「象徴天皇像を模索する道は果てしなく遠く」、平成の象徴像を補い続けてほしいとの願いも語られた。
2019年02月24日 18時35分 読売新聞
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-20190224-50126/
象徴に「誇りと喜び」=感謝の言葉、何度も-天皇陛下、在位30年式典
 「天皇としての務めを、人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした」。24日に行われた天皇陛下の在位30年記念式典。退位を約2カ月後に控えた陛下は、国民統合の象徴としての「誇りと喜び」を持って務めを果たしてきたと述べ、時折声を震わせ、国内外に何度も感謝の言葉を口にされた。
 式典は東京・国立劇場で午後2時に始まった。即位以来、象徴像を模索し続けた日々を振り返り、天皇の務めを果たしてこられたのは、象徴として「誇りと喜び」を持てる国民の存在と、日本が過去の歴史の中でつくり上げてきた「民度」のおかげだったと述べた。
 陛下は、日本で戦争がなかった平成時代を「国民の平和を希求する強い意志」に支えられたと述べた。被災地で多くの悲しみに遭遇し、けなげに耐える人々や、それに寄り添う全国の人々の姿も思い返し、自身も困難な人々に寄り添い続けた。しかし、象徴像を模索する道は果てしなく遠かったと心情を吐露。陛下が追い求めた象徴像を皇太子さまら次世代が補うことを願った。
 「ともどもに平(たひ)らけき代(よ)を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ」。平成が始まって間もなく皇后さまが詠んだ和歌も紹介し、昭和天皇逝去により深い悲しみの中で即位した直後の心情も明かした。この頃全国各地から「私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく」との言葉が寄せられたことを明かし、「静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています」と声を震わせながら語った。
 陛下は「お言葉」の後半で、最初に戻って読み上げる場面があったが、皇后さまのサポートで正しく読み直した。
(2019/02/24-16:41)時事通信社
https://web.smartnews.com/articles/fEAAunxgsAX
 自然災害を耐え抜く人々、その悲しみに心を寄せる人々の姿を「忘れがたい記憶の一つ」に挙げられた。<上記より抜粋>
  今でも忘れられないのは、阪神大震災での西宮体育館のことである。ちょうど体育館にいた私たちの前で、自衛隊のヘリコプターで降り立ったのが天皇陛下と皇后陛下であった。お出迎えをする西宮市長や市の役員に「ご苦労様」と言ったあと、その横にいた自衛官(のちのことであるが、これが救出できた自衛隊の指揮官であった)に「ここは良いから、一人でも多くの人を助けてあげてください」といったのである。自分の護衛はいらない、お出迎えもいらない。まだがれきで埋まって助けを待っている国民を助けよという。
  そのうえ、体育館の中にはスリッパも何も履くことはなく、靴下だけで、冷たい冬の体育館の板の間の上を歩いていた。そして一人一人の手を握り、目の前で膝をついてあいさつをしたのである。
  「よく頑張ってこられましたね」
  これは3・11の時にも天皇陛下と皇后陛下が被災者にかけた言葉である。被災者は「頑張ってください」というと、これからもっとひどいことがあるのか、まだ頂上は長いのか、と思って、かえって絶望するという。両陛下がそのことを知ってか知らずか、「これから」ではなく「災害から今まで」を讃えるという声をかけ、そのうえで、希望を持たせるということになる。
  3・11の後の千葉県旭町のことである。取材に行ったとき、その中の一人である。さすがにそこの人皆が言ったわけではない。しかしその一人のおじいさんの言葉が印象的であった。「家が流されてよかった。天皇が目の前に来て、膝ついて手を握ってくれたんだよ。こんなことはない。死んだ親父や爺さんに見せたかった」
  もちろん、このおじいさんの「親父」や「爺さん」は、津波で亡くなったわけではない。逆にそれほどすごいことであるということだ。
  天皇陛下がいるということが、国際的に活躍する日本人にとってどれほどすごいことか、そして、海外からどれほど崇敬の念を得ていることであろうか。そのことがわからない人は、本当に海外を全くわかっていないし、グローバル社会の中の日本をわかっていない人のことである。
 天皇陛下の在位30年を、謹んでお祝い申し上げます。

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【土曜日のエロ】 バストの大きさの分布と地域差の研究結果から

【土曜日のエロ】 バストの大きさの分布と地域差の研究結果から
 世の中は本日から三連休である。私は実は出張で海外にいる予定になっているので、この文章は事前に書いている。もちろん「エロ」なので、事前に書いたからといって何かタイムリーな話題を全く失うというようなものではない。事前に書いているといっても数日前に書いているものであるから、まあそんなに離れてはいないということになる。
  さて今週は、といっても事前に書いているので、その辺はむずかしいのであるが、最も話題になっていたのは、小学校四年生の女の子の虐待死ではないか。テレビなどは連日その内容をやっていた。私は今秋ちょっと体調が悪くて家にいる機会が多かったために、テレビをよく見たが、ほぼ毎日、虐待のニュースばかりである。
  まあ、しかし、野田市の教育委員会や教育関係者の行動はあまりにもひどいものではないか。社会的非難が殺到していることは間違いがない。ネットなどの声では、責任を取って辞任ではなく刑事罰を求める声が高まっている。まあ、実際「保護を求めてきている児童」を「見殺し」にしたのであるから、少々構成要件は違うものの「保護責任者遺棄」というような感じになるのかもしれない。そのような人々が、「野田市の税金」で飯を食っていたということになると、本当に大きな問題ではないか。
  いじめの問題や虐待の問題で、子供が寄る場所は学校の先生や児童相談所などしかない。その中において、その人々が全く役に立たないで、「事なかれ主義」「先送り主義」「責任転嫁」などを行っていては役に立たない。当然にそのようなところに税金を落としていても何の意味もない問うことになるのではないか。
  もちろん、そのような非難も「地域差がある」と思われる。もちろん、教員の組織に関して不満が多いが、それでもしっかりやっているところも少なくないし、また、野田市よりもいい加減で、たまたま事件になっていないようなところもあるかもしれない。
  いずれにせよ「地域差」というのは「環境」や「水」などのインフラ、そして、その風土が様々な形で影響をするものではないかと考えているのである。
  当然に「女性のバストのサイズ」にも地域差がある。
都道府県平均バストサイズ格差 最大のEカップが多い4県は
 生まれ故郷や育った環境によってバストサイズに“地域格差”は存在するのか。セクシャルヘルスメーカーの「LCラブコスメ」は2012年から都道府県別で女性のバストサイズの調査をつづけ、「都道府県みんなのバストサイズ」として結果を発表している。地図に示した通り、県によってそのサイズには差が見られる。LCラブコスメの広報が言う。
「各県49人、18~60歳の女性を対象に調査しました。2012年は埼玉県がAカップでそれ以外はBが18県、Cが17県、Eが2県でしたが、最新版では埼玉県がDカップになり、全国的にDカップ県が急増した。
 これは近年の女性のバストケアや、バストアップさせるブラジャー選びへの意識向上が大きく関係していると思われます。最大のEカップが多い4県(千葉、神奈川、大阪、福岡)は大都市圏だったのも、その辺りが理由かもしれません」
 地域性は少なからずあるようだが、どのような理由が考えられるのか。乳腺外科専門医の渡海由貴子氏が解説する。
「実は最近、東大の研究チームが1万1348人の女性を対象に調査した結果、胸の大きな女性と小さな女性では、ある染色体上に異なる遺伝子の組み合わせが存在することが判明しました。地域性があることが真実ならば、胸の大きい県にはこの遺伝子の組み合わせを持つ女性が多い可能性があるかもしれません」
 まだ科学的な解明には至っていないが、平均がEカップの福岡県出身でグラドルの古川真奈美(Fカップ)はこう話す。
「福岡出身の2人の祖母ともに巨乳でしたし、福岡は巨乳が多いかもしれません。私の胸が柔らかめなのは、豚骨ラーメンを『バリカタ』じゃなくて普通の硬さで食べてたのが良かったのかな、なんて(笑い)」
 前回調査からの変化も大きく、地域格差については謎が多い。
「2012年から6年間でかなり結果が変わりました。最近はバストアップに関する情報も充実していますし、今後も調査を続けていきたいと思います」(前出・広報)
取材・文■河合桃子 撮影■井上たろう
※週刊ポスト2019年2月8日号
NEWSポストセブン / 2019年2月3日 16時0分
https://news.infoseek.co.jp/article/postseven_857302/
 ある意味で、「住所」をもとに女性のバストの地域差をいってもあまり意味がないかもしれない。というのも、当然に、仕事や学校の都合で一人暮らしをしているような女性もいるわけであり、出身地に住んで売りとは限らない。もっと言えば、九州や北海道の出身の人が、東京や大阪などの大都市圏に住んでいるということは十分にありうる話である。そのうえで、バストの話を語るのである。
  女性のバストということに関しては、男性にとってはあこがれの的であるといって過言ではない。もちろん一般的にまたはマスコミ的には「大きい」「巨乳」というのは、一つの単語になっているが、実際に男性の会話の中では必ずしも大きいものがよいというようには考えられていない。マスコミの情報というのは時に、まったく違う一部の人の思い込みを伝える「偏向報道」が見受けられるが、「男性がすべて巨乳好き」ということに関しても偏向報道ではないかというような気がする。
  それでも大きいということは少なくとも「目立つ」ということであり、また、その柔らかそうな存在は「触ってみたい」というような感覚になるのは間違いがない。人間はだれしも、自分の体にないものに対しては非常に強く興味を惹かれるものであり、「エロ」だけではなく「好奇心」や「探求心」ということからも、男性には存在しないバストの柔らかさなどに羨望と欲望の眼差しを送ってしまうことになるのである。
  その意味において「女性のバスト」というのは、基本的に男性のあこがれの的であるといってよい。その大きさなどに分布と地域差があるというのは七かな大きな問題である。つまり巨乳好きの人は巨乳の多い場所に行けばよいということになるのである。
  「実は最近、東大の研究チームが1万1348人の女性を対象に調査した結果、胸の大きな女性と小さな女性では、ある染色体上に異なる遺伝子の組み合わせが存在することが判明しました。地域性があることが真実ならば、胸の大きい県にはこの遺伝子の組み合わせを持つ女性が多い可能性があるかもしれません」<上記より抜粋>
  さて、「研究チーム」というのは非常に良いと思う。そもそも東大の研究チームは「研究」という名目で1万1348人の女性のバストを調べたということになる。もちろんエロい調査などをしているとは思えないが、しかし、当然に面接や聞き取りなどを行っているときもそちらに目が行ってしまうし、また、研究といえばそこに目が行ってもおかしくはない。遠慮せずに見ることができるのであるからうらやましい限りだ。社会学なのか医学なのかはわからないが、研究者になればよかったと思う瞬間である。
  そのうえで、「染色体の異なる遺伝子の組み合わせ」だそうだ。まあ、染色体の地域差というのも面白いが、ある意味で、その染色体によって「大きさ」だけではなく「形」や「色」など様々なことが変わってくるに違いない。その分布が細かくあれば、実に最高なのではないか。
  さて、このような研究は本当に「エロ」を書いている人間にしてみれば最高である。解明されることを望むが研究が永久に続き、常にそのニュースが出てくるような環境であってほしいと願っている。

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【土曜日のエロ】 初体験が早すぎたと後悔する若者と性教育の関係

【土曜日のエロ】 初体験が早すぎたと後悔する若者と性教育の関係
 土曜日のエロの日である。このエロに関しては意外と多くの人が読んでいるというとを聞くことが少なくない。まあ、単純に言って、「エロ」ということを書くのが私としては楽しいだけなのであるが、一方で、このブログのテイストからすれば「エロ」はおかしいし、また、歴史小説とか作家というような考え方に見てみれば、私の作風の中にはエロどころか、女性が出てこないような歴史小説もあるくらいであるから、その中でエロということを考えるのはなかなか難しいのではないか。
  そのように「普段は全くしないと思われていること」に対して「本当はできる」ということを「ギャップ」というのであるが、そのギャップの中に「土曜日のエロ」が入っている問うことになるのである。
  さて、その前に今週のニュースを見てみると、なんといっても国会の開会であろう。まあ、平成最後の国会といって過言ではないのであるが、基本的に平成が終わったからといって、日本の政治が終わるわけではないのであり、また平成が終わったからといって、その政治のシステムや法律などが急に変わるわけではない。つまり「平成最後の国会」というのは記録上は意味があるものの、まったく意味がないということになる。まあ、日本人は「アニバーサリー」が好きなので、何でも記念日にしてみたり、あるいは、イベントににしてみたり、「○○最後」とか「最初の」というような冠をつけたがったりするのである。まあ、別にそれがいいとか悪いではなく、日本人がそのような性質であるというのは、逆にに日本人の日常が常に「同じサイクル」で出来上がっていて安定し、なおかつその安定の中において何とか「変化を求める気質」があるということ、しかし、その変化の作り方が下手なので、日常の中の「アニバーサリー」を求めるということになってくるのである。
  さて、人間においても「アニバーサリー」を気にするのは、主に女性の方が多い。まあ、最近は男性の女性化が進んでいるので、男性の中にも「アニバーサリー男」が増えているが、やはり記念日は女性の方が圧倒的に多い。それはなんといっても「女性の初体験」の意味で「男性の初体験」の意味が違うからではないか。
初体験が早すぎたと後悔する若者たち=英研究
 性慣習にまつわるイギリスの調査で、若者が最も後悔しているのは、初めての性交渉が早すぎたことだという結果が明らかになった。
 調査に参加した10代後半~20代前半の女性の3分の1以上、男性の4分の1以上が、初体験が「適切なタイミング」ではなかったと回答した。
 イギリスでは、性交渉の法的同意年齢は16歳以上。
 最新の「性に対する態度とライフスタイルに関する全国調査」では、16歳になっても性行為に対する準備ができていない若者は大勢いると指摘している。
 この調査は約10年おきに行われており、イギリスにおける性慣習の詳細が明らかになる。
 今回の最新調査は、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院の研究員がまとめ、イギリスの医療専門誌BMJの性と出産の健康部門で発表された。2010~2012年に調査を受けた3000人近くの若者の回答を基にしている。この調査で分かったこと
 それによると、若い女性の40%近くと若い男性の26%が、最初の性体験は「適切なタイミング」ではなかったと答えた。
 こう答えた人の大半が、初体験はもっと遅い方が良かったと答え、もっと早い方が良かったと答えたのはごく少数だった。
 初めてセックスをした年齢は、回答者の大半が18歳までと答えた。うち半数が17歳になる前、3分の1近くが16歳になる前と解答した。
 調査ではまた、性に関する同意能力や準備、つまり、初めて性行為におよぶ際に事前に情報を得て適切な決定ができるかどうかについても質問した。
 例えば、アルコールを摂取していない状態で同意すること、あるいは同調圧力を受けていないことなどだ。
 この質問では、回答した女性の約半数、男性では4割が、この水準に達していなかったと答えた。
 自分と相手が同等に性交渉を持ちたいとは考えていなかったと答えた人は女性では5人に1人、男性では10人に1人だった。これは、セックスに対して何らかの圧力があったことを示唆している。
  性教育が重要な鍵
 この調査の創設者、ケイ・ウェリングス教授は、人が性的に活発になる準備ができているかどうかと、性的同意年齢は関係ないと説明する。
 「若者ひとりひとりが違う。15歳で大丈夫という人もいれば、18歳でまだという人もいる」
 ウェリングス教授の共同研究者、メリッサ・パーマー博士は、「セックスに応じるようパートナーから圧力を受けやすいのは、若い男性よりも若い女性の方だという認識が、今回の調査で裏づけられた」と話した。
 「10人中9人の若者が、最初のセックスで適切な避妊法を用いているという前向きな結果も出ている。しかし、若者が性的に活発になる時期に、若者の健康全般を確実に守るための方策が必要だ」
 パーマー博士は、若者が安全で前向きな初体験を迎えられるよう、パートナーと正しく話し合う交渉技術を、学校が性教育の一環として教えるべきだと提案する。
 性の健康にまつわる慈善団体Brookのイザベル・インマン氏は、「私たちは、年齢とその人の状況に適切な人間関係と性に関する教育を早い時期からスタートすべきだと確信している。それが、若者が正しい決定を前向きに行う手助けになる」と話した。
 「こうした教育が義務化されることで、機会が増えることを願っている」「正しいタイミング」とは?
誰かとセックスをするかもと思ったら、自分自身に聞くべきこと:
 * 大丈夫だと思えるか
 * パートナーを愛しているか
 * 同じように、パートナーも自分を愛しているか
 * パートナーと、性感染症やエイズを阻止するためにコンドームを使うことを話したか。その会話はうまくいったか
 * 避妊の方法を準備したか
 * どこかのタイミングで考えを変えたときに「ノー」と言えると思うか。自分もパートナーも、それについて同意しているか
もし全ての質問に「はい」と答えたら、正しいタイミングだといえる。
一方、次の質問に1つでも「はい」と答えたら、まだ適切な時期ではないだろう:
 * パートナーや友人から圧力をかけられていると感じている
 * 後で後悔するかもしれないと思っている
 * 友人に追いつくためだけにセックスしようと思っている
 * パートナーをつなぎとめるためだけにセックスしようと思っている
出典:国民保健制度(英語)
(英語記事 Is there a right age to lose your virginity?)
BBC News 2019年1月17日
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-46890032
 国会の「平成最後」からアニバーサリーで、初体験にうまく持って行ったのである。まあ、実際のところ毎回土曜日のエロの前半は「どのようにして導入を図るか」ということを考え、昔の民主党の「コンクリートから人へ」ならぬ「ニュースからエロへ」ということを心掛けているのである。
  さて、そのように多少苦労して考えた「初体験」なのであるが、イギリスの研究によれば初体験が早すぎるということに後悔しているということが少なくないようである。
  調査に参加した10代後半~20代前半の女性の3分の1以上、男性の4分の1以上が、初体験が「適切なタイミング」ではなかったと回答した。<上記より抜粋>
  まあ、実際にこのアンケートであれば、「その初体験の相手と継続的に付き合っている」という前提ではないので「なんとなく遊ばれた」とか「大事なものを喪うのに、もっと考えればよかった」というような考え方になる人が少なくない。それも、若者に関してそのような考え方があるというのである。もちろん、年齢が言った人も同じような考え方を持っている人は少なくないかもしれないが、中年以上になってくると経験人数もまた性行為以外の行為も様々に経験してしまうので、「初体験」の重要性が薄れてくるだけではなく、そのような「後悔の念」も「思い出」に代わる瞬間が出てくるのではないか。
  自分と相手が同等に性交渉を持ちたいとは考えていなかったと答えた人は女性では5人に1人、男性では10人に1人だった。これは、セックスに対して何らかの圧力があったことを示唆している。<上記より抜粋>
  まさに、「圧力」なのであるがその圧力は、必ずしも「暴力」ではなく「友人も経験しているから」などの精神的な圧力も少なくないのではないか。基本的ん「レイプ」であれば、公開するのは当然であると思うが、そうではなく「そこまで焦らなくてよかったのに」というような考え方は、「周囲との同調圧力」が大きな内容になってしまう。
  そして、その回避方法としてこの記事が提唱しているのは「交渉力」なのである。
  パーマー博士は、若者が安全で前向きな初体験を迎えられるよう、パートナーと正しく話し合う交渉技術を、学校が性教育の一環として教えるべきだと提案する。<上記より抜粋>
  いやいや、なかなか面白い考え方だ。性行為の事前交渉を性教育の中で行うというのであるから、これはなかなか大変である。ある意味、日本ではこれを教えるはずの教員に、しっかりと先に教えておかなければ、女に貢いだり、あるいは男に騙されてしまっている教員も少なくない。それどころから淫行罪や盗撮など様々な犯罪に手を染めている教員もいるのだから、なかなか大変なのである。しかし、一方でそのような定昇がされることはそれなりに正しいことであり、その内容をしっかりと見ることは重要なのではないだろうか。
  「性教育」というのは「肉体的」なことばかりではなく「精神的な部分」「交渉術」「シチュエーション・環境」「社会」などを総合的に学ぶべきであるという考え方はおかしなものではない。それを教育できる社会を作るべきなのではないか。

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【土曜日のエロ】 「やれる女子大生」といわれて笑い飛ばすことのできない女性たちの「マジ」となぜ「パパ活」はよくて「やれる女子大生」はだめなのかという女尊男卑

【土曜日のエロ】 「やれる女子大生」といわれて笑い飛ばすことのできない女性たちの「マジ」となぜ「パパ活」はよくて「やれる女子大生」はだめなのかという女尊男卑
 土曜日のエロの日である。今週は、なんとなくインフルエンザから復帰した感じの状況で、その内容が出てきているという感じになるのであるが、まあ、まだ本調子ではないという感じであった。それでも様々な会合に出席したりしていると、昔と違って、病気の病み上がりというのは体力が少なくなった感じがするものである。
  さて、今週はというと、日ロ首脳会談があり、その中で北方領土が話し合われたということになっている。しかし、私は個人的な感想として北方領土は帰ってこない気がする。少なくとも、現在の外務省の交渉力においては、北方領土の返還をロシアに促すような交渉ができるとは思えない。あまり日本政府を批判する気はないのであるが、どうも日本の外務省というのは、「国際的な問題を二か国間の交渉で終わらせてしまうような安直な考え方」しかできないし「国際法などに遵守した交渉・条約を意識した交渉」ができていないのである。その辺のところはそのうち何かしっかりとまとめようと思うが、残念ながら日本の外務省の交渉を行っている以上、日本の場合は外交はできないというような形になっているのではないか。
  まあ、残念ながら、日本という国は外務省に限らず「その場の雰囲気で、交渉を行ってしまう」というような悪い癖があり「その場だけを適当に収めれば、あとはなんとかなる」というような考え方が蔓延している。その内容が広い意味で「事なかれ主義」というのであるが、その事なかれ主義が、日本国内の村社会であれば通用するものの、海外相手には全く通用しないということが、日本の外務省や商社などは全くわかっていない。そのことがわかっていないということが、そのまま日本の弱点になっているのではないか。
  さて、そんな難しい話ではなくて「その場でうまく収める」ということに関して言えば、まさに「男女関係」もそのような状況になってしまっているのではないかという気がしている。実際に、「やれる」とは、女性が尻が軽いというだけの話ではないのではないか。
「ヤレる女子大学生」企画で「お詫びしたい」 週刊SPA!「扇情的な表現」など反省
 「性交渉をしやすい」大学をランキング化し、記事で紹介したとして、雑誌『週刊SPA!』(扶桑社)が2019年1月7日、J-CASTニュースの取材に「扇情的な表現を行ってしまった」ことなどを「お詫びしたい」とのコメントを出した。
 ランキングをめぐっては、インターネット上で批判が相次いでいた。
     署名サイトで謝罪要求
 『週刊SPA!』18年12月25日号では、「ヤレる『ギャラ飲み』実況中継」と題した特集を組んだ。男性が女性の飲食代を負担し小遣いも渡す「ギャラ飲み」が流行っているとして、実態を紹介。物議を醸しているのは、ギャラ飲み後に性交渉に発展しやすい大学を「ヤレる女子大学生RANKING」として順位づけしたランキングだ。
 男女のマッチングサービスを運営する「ハイパーエイト」(東京都渋谷区)の社長の意見をもとに作成し、都内の大学を1~5位まで選んだ。それぞれの理由も記載されており、「男ウケの良さを磨いている」「横浜方面に住んでいて終電が早い」などとある。
 ランキングにはネット上で批判が寄せられ、署名サイト「change.org」で立ち上がった「女性を軽視した出版を取り下げて謝って下さい」との呼びかけには、1月7日現在で2万4000筆集まっている。
 編集部「気分を害する可能性のある特集になってしまった」
『週刊SPA!』編集部の担当者は1月7日、J-CASTニュースの取材に「ギャラ飲みの現場で何がおき、どういったやりとりが行われているのかを一般大衆誌の視点で報じております」と特集の趣旨を説明。
 しかし、「『より親密になれる』『親密になりやすい』と表記すべき点を読者に訴求したいがために扇情的な表現を行ってしまったこと、(マッチングサービス)運営者の体感に基づくデータを実名でランキング化したこと、購読してくださった読者の皆様の気分を害する可能性のある特集になってしまったことはお詫びしたいと思います」。
 今後は、「セックスや性にまつわる議論については、多種多様なご意見を頂戴しながら、雑誌として我々にできることを行ってまいりたいと思っております」としている。
(J-CASTニュース編集部 谷本陵)
2019年01月07日 14時07分 J-CASTニュース
https://news.nifty.com/article/entame/etc/12144-160361/
 さて「やれる女子大生」というのは、問題があるのであろうか。もちろん表現的にどうかとは思うが、一方で、そのような内容に関して言えば実際に若い男性の間では当然に話題になっているのである。つまり「そのような女子大生がいる」ということは事実として存在し、その事実を報じることは何ら問題がないはずなのである。
  つまり「性行為」に対して、その行為が「好きな男性」がいるのと同時に「好きな女性」がおおく、その中でそのようなイメージが存在するということは間違いがない。またそのことをうまく使って「パパ活」などを行っているのであるから、「女性が男性を利用する単語」は何も問題がなく、「男性が女性と遊ぶ単語」だけは駄目であるとか気分を害するというような話になっていることが最大問題なのである。
  つまり「実際にやれる女」または「性行為が好きな女」がいるという現実があり、その内奥でありながら女性が主体の「パパ活」という言葉は不快ではなく「やれる」という男性主体の言葉だと不快になるというような話のようだ。
  要するに「女尊男卑」の最たるものであり、実際に大きな問題である。
  そもそも「やれる」と書いたところで、実際にその行為を行うのは男女の「合意」であり、レイプなどの犯罪とは全く異なるものである。そのように考えた場合は、この苦情自体がおかしなものなのである。
  「『より親密になれる』『親密になりやすい』と表記すべき点を読者に訴求したいがために扇情的な表現を行ってしまったこと、(マッチングサービス)運営者の体感に基づくデータを実名でランキング化したこと、購読してくださった読者の皆様の気分を害する可能性のある特集になってしまったことはお詫びしたいと思います」<上記より抜粋>
  まあ、この内容も「そのような女がいる」ということそのものを否定しているものではない。まあ、表現がよくなかったね程度なのである。またこの程度の謝罪で落ち着いてしまうほど、「女性の表現の問題でしかない」ということで「実態としてそのような女が多い」ということが否定できない状態になっているということなのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(423) 取材が全くできなくなった若手の記者たち

マスコミ批判に関する一考(423) 取材が全くできなくなった若手の記者たち
 最近の記者たちの取材があまりにも雑なので本当に腹が立つ。
  ある政治家が私に対して言ったことがある。まあ、まだ私が新聞記者をやっていた時代だから数年前の話ではなかったか。まあ、あの時代から新聞記者の思い上がりとか、取材ができないというような状況があまりにも目に付くようになってきた。しかし、それでもそのような言葉撫でてくる間は良いもので、まだきたされえているから、そのような言葉が出てくるのであって、さいきん、ここ数年になってくると基本的には誰もそのような話すらしなくなってしまうという状態になっているのである。
  つまり、政治家の間では取材がしっかりしているとか、事前に勉強してきているとか、そのようなことをすえに期待し案くなってきてしまっているということに他ならない。まあ、今の取材記者たちはまさにそうで、基本的に直接話す機会があっても、週刊誌やテレビで話題になてちるようなくだらないスキャンダルしか聞かない。政治家の方も、だれもが同じ質問しかしないから、結局、そのような質問は聞かないという状態になっている。そのうえ、自分戴tの質問力が全くないのことを棚に上げ、「答えてくれない」とか「知る権利が尽くされていない」とか「説明責任」などということを言う。はっきり言ってバカではないかと思う。
  私のように、取材の現場にいる人間とすれば、「いかに話したくない現実は話させるか」ということは、取材記者の腕でありそれが彼らの仕事である。政治家は政治を粉うことが仕事であって、」スキャンダルを説明するのは仕事でも何でもない。つまり、質問することに最低限答えれば、それで義務は果たしているわけであるし、また。そのことを話すことを拒否もできる。警察相手の取り調べではないのだから、何も話さなければならない義務はないのである。
  つまり「取材して思い通りの答えが出ない」ということは、「取材している記者側の取材力や質問力がない」ということに他ならない。
“最後の叩き上げ政治家”森山裕が、若い記者に頭を悩ませる理由
 自民党の二階俊博幹事長が昨年末に入院した際、後継のダークホースとして密かに名前が挙がった一人が森山裕国会対策委員長(73)だ。
 出身地は鹿児島県鹿屋市。中選挙区時代には、田中角栄元首相の側近だった二階堂進元副総裁、税調のドンと呼ばれた山中貞則元通産相を輩出した土地柄だ。中学卒業後、働きながら県立鶴丸高校の夜間課程に通った後、23歳で中古車販売業を立ち上げ、30歳で鹿児島市議に。政治部記者は「党内では今や絶滅危惧種となった、典型的な叩き上げ政治家」と語る。
 37歳で市議会議長に就任。その後5期、通算7年にわたって議長を続けたことは、党人政治家としての力量を物語る。国対委員長として立憲民主党の辻元清美国対委員長らと対峙する森山氏の口癖は「市議時代に比べると、野党との駆け引きなんて楽なもんですよ」。
 1998年、53歳で参院議員になると、当時参院幹事長だった青木幹雄氏に認められ順調に出世。だが2004年、山中氏の死去による衆院鹿児島5区補選で、地元から請われ衆院議員に転じた。この時、参院のドンになっていた青木氏が「私の後継者にしようと思っていたのに」と烈火のごとく怒ったのは今でも語りぐさだ。
若い番記者に頭を悩ませる理由
 転機は翌05年の郵政選挙。小泉純一郎首相の郵政民営化に反対し、党公認を得られないまま選挙に臨んだが、「刺客」候補にダブルスコアで勝利する。面倒見の良さから、野田聖子氏ら造反組で勝ち抜いた議員のリーダーに。06年、第一次安倍政権では野田氏らとともに復党した。
 昨年の総裁選では所属する石原派の事実上のオーナーである山崎拓元副総裁が石破茂支持で派をまとめようとする中、森山氏が旗を振って安倍晋三首相支持の流れを作った。「復党させてくれた首相への恩義が森山氏の根底にある」と政治部デスクは語る。
 その森山氏が最近、頭を悩ませるのが若い番記者たち。長年、平日昼は毎日、秘書を務める森山氏の長女の手料理を食べながら記者たちとランチ懇談をしてきたが、昨年末から中止に。番記者がほとんどしゃべらず、気遣いの森山氏が自ら盛り上げ役を買うばかり。「労多くして功少なし」と思ったか、ついに匙を投げたのだ。ベテラン記者たちは「政治の裏も表も知る森山氏と意見交換する貴重な場なのに、最近の記者は……」と囁きあっているという。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年1月24日号)
20190117文春オンライン
http://bunshun.jp/articles/-/10414
 週刊文春記事である、週刊文春には「新聞不信」というコーナーがあり、現在もそれは楽しみに読んでいる。実際の特集やそのほかの内容などもたくさんあるのだが、基本的に行き過ぎの部分もあるし、またそのスキャンダルを書くことが何の意味があるのかわからない漢字もある。文春という雑誌は「人ののぞき見に趣味」をうまく喚起させる「商業主義」としては成功しているが、社会的存在のジャーナリズムとしてはいかがかと思う。その中で「新聞不信」のコーナーは高く評価できる部分であると思う、
  さて、今回の記事もそんな文春であるから出た記事ではないか。
  さて、この記事は全体として「政治家の中には、様々あり、単純に最近のムードやマスコミの寵児として出てきたような軽い感じの、中身のない政治家と森山氏は違う」ということである。もちろん、この記事は森山氏をほめているわけでもけなしているわけでもなく、政治家の中に、様々な政治家があって、その中では「たたきあげ」は非常に最近では珍しいということを言っているのに過ぎない。ある意味で、政治家を分類し、その分るしいた政治家の一つの種別を説明しているのに過ぎない。
  そのうえで「マスコミの寵児」「二世」などとは異なり「たたき上げ」にはたたき上げに対する取材の仕方があるし、その経験やいままでのないようなどきくことはたくさんあるはずだ。自民党は、そのたたき上げの議員を国対委員長に使うということをした。つまり、野党との調整や駆け引きが巧みであって、その駆け引きをどのようにしてきたかなどのことをしっかりと書けばよいのである。
  しかし、たたき上げの政治家は、それなりにキャリアもあれば経験値もあるので、当然に、その中で話せないことはなかなかは口を割らないし、また、知らない相手には何も話さないというようになる。マスコミの寵児は、マスコミを利用することでしか自分のアイデンティティを示すことができないので、結局何も話さなくても話をしてくれる。逆に言えばマスコミが報道しなければ自分の議席すら危ないくらい、地元とも希薄であるし、政治家としてお成熟度も少ない。若手の記者はそのようなものばかりを相手にしているので、しっかりとしたあたたき上げの政治家に対してそれなりの話ができない状態にあるのである。
  長年、平日昼は毎日、秘書を務める森山氏の長女の手料理を食べながら記者たちとランチ懇談をしてきたが、昨年末から中止に。番記者がほとんどしゃべらず、気遣いの森山氏が自ら盛り上げ役を買うばかり。「労多くして功少なし」と思ったか、ついに匙を投げたのだ。ベテラン記者たちは「政治の裏も表も知る森山氏と意見交換する貴重な場なのに、最近の記者は……」と囁きあっているという。<上記より抜粋>
  はっきり言って、もったいないというか、取材というのは「何もないときに何かあった時の話を聞いておく」ことであり、聞いたことを統べて書いてしまうものではない。しれ位のこともわからないのが、現在の若い記者で、何の力もなければ経験もない。下調べも何もない。政局とスキャンダルしかできないような気者ばかりでは、「裏も表も知ることができる機会を失った」ということになる。これが現在のマスコミなのである。このような記者しかいないマスコミの取材結果を、我々読者・視聴者は見せられているのである。はっきり言ってマスコミの報道が信用性が欠けてくるのはなんとなくわかるような気がする。

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【土曜日のエロ】 「土曜日のエロでネタに困ったときには韓国を覗け」の法則ですぐに出てくるエロ事件

【土曜日のエロ】 「土曜日のエロでネタに困ったときには韓国を覗け」の法則ですぐに出てくるエロ事件
 土曜日のエロである。まあはっきり言って今週はインフルエンザウィークという感じであり、なかなか大変なものである。とにかく何度も書いたが体を起こしている気力がない。それにやる気がない。まあ、実はそれが普通の仕事であったからではないかと思っていたのであるが、実はそうではなかった。つまり、「土曜日のエロ」の原稿を書いているときも全くやる気が出ない。本当は少し休めばよかったのであるが、まあ、毎日書くということと体の状態でどれくらい変わるのかはなかなか興味深い記録が取れた。さすがに、治ってくればなんと中るのであるが、まあ、一週間はかかるという感じであろうか。
  さて、そんなことを言っていないで、いつも通り、今週のことを見てみよう。今週も様々あったが、やはり最も大きなものは、「稀勢の里引退」ではないか。世の中男性の「シックスパック」なるものが流行っている時代に、「完全な太鼓腹」でそれでも強い男たちが裸で戦う。まあ、裸というのは武器や防具を隠し持っていないということに他ならない。その完全に自分の力だけで、体重別などのハンデキャップもない状態で、戦う中での「トップ」が横綱である。その日本の国技の中で、日本人がトップにいるのは当たり前のように思いながら、今や空手も柔道も剣道も、すべてで日本がトップをとれなくなってしまっている状態。その中で唯一の日本人横綱として頑張っていた稀勢の里が、最も日本人らしい「声援にこたえられない」という理由で引退するという。なんということであろうか。まだできるのに。という気がしないでもない。
  ところで、ここはエロである。そう考えて「相撲」と「エロ」というと、学生時代、男子校であったために、合宿などで裸の男女が絡んでいるビデオなどが通常の民宿などに宿泊するためにみんなで見ていた。突然、顧問の先生が来た時に、先輩が、気を利かせてチャンネルを一つ回した。当時はボタン式ではなくダイヤル式のテレビ。果たして、やはり裸の二人が立って抱き合っていた。「お前らエロビデオ見てたな」顧問の先生がテレビをよく見ると、そこでは相撲がやっていたという落ちである。まあ、瞬間、それも肌色しか見ていないと、そのような間違いが出てくるのである。
  さて、ところでスポーツでエロというと、やはり韓国である。
繰り返される指導者の性的暴行、韓国スポーツ界のトップが謝罪
【1月15日 AFP】大韓体育会(KSOC)のイ・ギフン(Kee-Heung Lee)会長は15日、若手女性アスリートとコーチとの間で性的暴行が繰り返されていたことを謝罪し、加害者には永久追放処分を科す決意を示した。
 韓国スポーツ界では先日、五輪のショートトラック女子で合計2個の金メダルを獲得した韓国の沈錫希(Suk-Hee Shim、シム・ソクヒ)が、元コーチから何度も性的暴行やセクシュアルハラスメント(性的嫌がらせ)被害を受けていたと告白したことにより、即座に別の被害者が名乗り出る事態に発展した。
 イ会長は、「組織的な欠陥」によって繰り返される不正行為を阻止できなかったことを謝罪した上で、「わが国のアスリートたちの将来を操り、自分の地位を利用して不正行為に走った指導者たちを根絶やしにする」「性的暴行の加害者に永久追放処分を科し、国内及び海外へのリクルートも完全に阻止する」と述べた。
 韓国はアジアのスポーツ大国で、夏季と冬季の五輪のメダル順位で常にトップ10に入っている。しかし、激しい競争社会である同国のスポーツ界では勝つことが全てとなっており、アスリートのキャリアに巨大な支配力を保持している指導者からの暴力や暴言が横行している。それに加えて韓国社会は現在も保守的であり、性犯罪の被害に遭った女性は世間から侮辱的な目を向けられることもある。
 
  (c)AFP  2019年1月15日
http://www.afpbb.com/articles/-/3206438
 日本でも宮澤佐江選手の指導方針をめぐって「パワハラ」があったのだが、韓国では、そうではなく「セクハラ」につながるらしい。まあ、韓国の場合「身分がしたの女性」に関してはそもそも人間と思われていないらしい。
  私の経験上、どことは言わないが韓国南部でまだ大連にいた時代、ゴルフをしたことがある。前日に打ちっぱなしに行くのであるが、そのボールを一つ一つ召使と思われる女性が置くのである。そしてうまくショットができなかったり、声をかけないと、孫場で蹴飛ばされる始末。翌日のグリーンはもっとひどく、キャディーが何かミスをすると服を一枚ずつ脱がせてゆくという趣向。それもわざとミスするようにするというのだ。キャディのミスといっても、例えばOBやラフに入ったボールを見つけられないなど、まあ、本来ならばショットを打つ我々が悪いのであるが、それがすべてキャディが悪いことになる。最もかわいそうなのは、グリーンの上でカップまでの芝目を読ませて、その通りにならないと脱いでゆくことになる。ハーフが終わったところで半裸、後半の途中でほとんどのキャディが全裸である。
  韓国における権力者と女性の関係というのは、こんなものかと思ったことがある。もちろん私を含め、ゲストがそのようなことを望むはずもなく、韓国人の悪乗りにすぎない。韓国人観光客がきらわれるのは、そのようなことを観光地でも求めるからであり、まあ、常識がないというかひどいものでしかない。
  このオリンピックのセクハラに関しても、取り調べに関して「面倒を見る以上、体を隅々まで点検する必要がある」とうそぶき、さも正当な仕事であるかのような話をしているという。まあ、なんというか恥とか、そういうことの感覚がない。スポーツなどは応援とスポンサーによって成り立っている世界であることから、どうしても弱い立場になる。セクハラを受けやすい。そのことを知っている、私のような人物は、すぐにセクハラ事件を韓国で探すのである。
  激しい競争社会である同国のスポーツ界では勝つことが全てとなっており、アスリートのキャリアに巨大な支配力を保持している指導者からの暴力や暴言が横行している。それに加えて韓国社会は現在も保守的であり、性犯罪の被害に遭った女性は世間から侮辱的な目を向けられることもある。<上記より抜粋>
  まさに、この社会的背景こそ、韓国が「性犯罪大国」となっている理由ではないか。そのうえ自己都合の解釈など、完全におかしな話ばかりである。まあ、そのためにこのネタはあまり困らなくて済むので、できればこのまま「エロ大国」でいてほしいものである。

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【土曜日のエロ】 ネットにあふれる「有害サイト」を子供が見ることに驚くな!

【土曜日のエロ】 ネットにあふれる「有害サイト」を子供が見ることに驚くな!
 土曜日のエロである。今週からやっと正常に戻ったような気がする。しかし、年末年始の疲れがそのまま残っているので、なんとなくまだエンジンがかかっていないような感じがする。
  さて、それでも国際的にはさまざまなニュースがある。まあまずは日韓関係であろう。なんというか韓国に付き合うのもいい加減疲れてきたというのが、本音のところではないか。今回の件は、国際的な世論もすべて韓国側が悪いといっているが、なぜかそのような国際世論を日本のマスコミはほとんど入れないのである。まあ、なんというか、日本の韓国と中国に対する忖度はあまりにもひどすぎる。日本人が日本人のための報道を行わないということに、日本人が信用できなくなっている社会現象を、日本のマスコミはいったいどのように考えているのであろうか。必要以上に好きというのも困るが、必要以上に日本を悪くするというのは、まったく話にならないのである。
  さて、もう一つのニュースといえば、日本ではあまりまだ世の中が動いていないのであるが、世界ではトランプ大統領のメキシコとの壁の話であろうか。これは、今のところブログで行う予定はないのであるが、そのうち気分が乗ったら書くかもしれない。しかし、まあ、書かないつもりでいるとしても、まあ、国が陸上の国境に本当に壁を作るというのはなかなか面白い。ある意味中国などの古代にあった「城郭都市」の国家版がここに出来上がるような話ではないかという気がしている。物理的に存在したのは、ベルリンの壁クリアではないのか。旧東欧と西欧の間も、イギリスの故・サッチャー首相の言葉を借りれば「鉄のカーテン」があるように言っていたが実際に、そのような壁はなかった。実際に国境に壁を作った場合、どのようになるのか。ある意味で面白みがあるところだ。
  ところで、その壁の発言はトランプ大統領のツイッターの言葉で出てくるのであるが、そのネットの内容に関してさまざまな話がある。
  ではネットというのは、様々な情報を「人間」を介在することなく、入れることができる。私のブログのように、政治問題や国債の問題も、そこにエロも混在するのである。
小6息子が過激な有害サイト、言葉失う親「怖さ知った」
 親の知らない間に、小学生の我が子がスマホで過激な性的描写のあるサイトを見ていた――。
 そんなトラブルが増えている。法外な料金を請求するケースもあり、国民生活センターは注意を呼びかける。
 神奈川県の会社員女性(47)は、小学6年生の息子の携帯を何げなく見ていて言葉を失った。閲覧履歴に、アダルトサイトと思われる言葉がいくつも並んでいた。
 塾に通う時のために持たせ、主に家族間の連絡用に使っていた。どんなサイトを見ているのか気になってのぞいてみたが、まさか子どもがアダルトサイトを見ているとは、予想も覚悟もしていなかった。「まさか、まだ小学生なのに」。ショックのあまり、翌日は会社を休んだ。
 自分で見る勇気がなく、夫に確認してもらうと、過激な性描写が続くアニメ系のサイトだという。1人で過ごすことが多い放課後、音楽の動画を見ていた拍子に表示されたらしい。「もしかすると、友達から『そういうものが見られるらしいぞ』と聞いてきたのかもしれない」。振り返ってみると、データ通信量が異常に早く上限に達していた。
 女性は、動画サイトに関連作品が自動的に表示できる機能を知らず、フィルタリングもかけていなかった。「性に関する正しい知識のない子が、簡単にゆがんだ情報に触れられてしまう怖さを知った。興味があるのは自然なことだが、創作上の表現と現実は全然違うことや、必要な情報にどう触れるかは、家族でよく考えたい」と話す。
 実際に、アダルトサイトを閲覧して高額の料金を請求された事例もある。
 今年5月、中国地方の10代の男の子が親のスマホを使っていて、誤ってアダルトサイトに入ってしまった。突然画面に「登録完了」と表示され、利用料金45万円を請求された。慌てた母親から「料金を支払わなければならないのか」という相談が国民生活センターに寄せられた。
 同センターによると、2017年度、インターネットのアダルトサイトの契約トラブルは2万5365件のうち、20歳未満の未成年の被害は2096件。同センター相談情報部の井上竜一さん(26)は「スマホやPCがこれほど身近にある今、小学生でも被害に遭うことは珍しくない」と話す。子どもが親のスマホを勝手に使い、トラブルに巻き込まれることも多いという。(栗田優美、小若理恵)
2018年12月17日 20時14分 朝日新聞デジタル
http://news.livedoor.com/article/detail/15753757/
 さて、小学生がエロのホームページを見ていたからといって、何か驚くことがあったのであろうか。実際に、子供の間は、さまざまなものに関して興味を持つことが当然のk十なのである。
 私たちの幼少の時とっても、小学生や中学生の時であるが、当然のように「エロ本」(当時はビニールで覆われていて立ち読みなどができないように「ビニ本」と呼ばれていたが)などは見ていた。昔は、なぜか銀色の板でおおわれていたような自動販売機があり、その販売機で何人かで小遣いを出し合って呼んでいた記憶がある。実際に、現代の子供たちがそのようなものに興味がなかったといえば、それはおかしいことであり、大人でも楽しい(あるいは喜ぶ)ものを子供が喜ばないはずがないのである。同時にそのことを規制したところで、隠れてやるだけのことである。
 ベッドの下などのに隠しておいて親に見つかったなどという経験は、結構多くの人にあるものであり、それを見ているからといって不良になるとか、あるいはおかしな青年になるというのではなく、本来、そのようなことを見ることそのものが、実は非常に「正常」であって、そのようなものから隔離することがかえっておかしいと感じるべきではないか。
 このようなエロからの隔離は、時代を追うごとに、そして西欧化するごとに、そして、人権派とか、なんだかわからない婦人勢力が多くなるたびに、徐々に規制が厳しくなって行くのであるが、一方で、そのような行為がなければ子供は生まれない。「青少年の教育」などとほざいている人ほど「少子化が社会問題」などといっており、「介護」とか「年金」とか「外国人問題」を言っているという現状は、あまりにも矛盾しており、そのようなことを主張している人権派とか教育者の方が、自分たちの存在や主張が一貫性がなく矛盾しているということに全く気付かないのである。
 そしてそのような「矛盾した主張をしている人の子供」であるから、親と同じように、論理性の欠如と一貫性のない主張、矛盾のある主張になれてしまい、それで問題がないと思うことによって「不良化」してしまうのである。もちろん、ここでいう「不良化」は、何もぐれてしまうというだけではないが、しかし、一貫性のない主張が普通になってしまう大人に育ってしまい、筋の通った主張に触れて何かがおかしくなってしますのである。
 いい加減、これらの内容に関して、「エロがあっても問題がない精神を育てる」というような感覚を育てるべきであるし、また、「作り物とリアルを区別ができる子供」を育てるべきであり、そのような媒体に規制をしたり、あるいは子供が見ていることに関して驚かないということをすべきではないのか。自分たちが子供のころ、小さいころにどうであったかわからない状態がおかしいのである。そして、そのように心配ならば、もっと子育ての現場に親が直接関与すべきではないのか。
 そのように社会の構造そのものを考える、自分の生活を考えるということがなければこの門d内は解決しないのである。

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