日記・コラム・つぶやき

【夏休みのエロ特別版】芸能人がテレビで言う「夜の営み」の重要性とそのテレビでの表現の自由を求める

【夏休みのエロ特別版】芸能人がテレビで言う「夜の営み」の重要性とそのテレビでの表現の自由を求める
 今日の内容は「記事」としては別に面白くもなんともないが、やはり「夜の営み」が重要であるということを改めてテレビなどで言うということがどれほど重要かということを書きたので、あえてどうでもよい記事を選んだ。
  記事の内容は、マツコ・デラックスがまちのなかを徘徊する番組の中で、新婚の夫婦に会い「夜の営みは大切」といったことを書いたものである。まあ、このマツコ・デラックスという芸能人はなかなか他の人が言いにくい内容をいとも簡単にいえる「奇特なキャラクター」である。昔、私は、このブログや他の記事の中で、その時代に政治に関して何でも言える人、何を言ってもあまり非難されない人を三人あげたことがある。一人は石原慎太郎、当時は都知事で排気ガス規制で、記者にタールを振りかけたことで有名になった。まあ、もともとは小説家であり、そのうえ、過激な発言で有名になっていたので、別に過激な発言に関する非難離れていたしまた小説家らしい言葉で適当に喜捨を煙にくことができた。もう一人が田中真紀子。当時は民主党の議員であったが、やはり歯に衣着せぬ物言いであった。避難などもかなり来たと思うが、やはりもっと強烈であった父田中角栄の影響と、外務大臣をやったときの印象から、逆に何か過激なことを言ってくれるものと多くの人が期待していた。そして北野武、いやビートたけしといった方がよいかもしれない。この人も、政治に関してだけではなく、さまざまないいにくいことを平気で言い、そのうえでうまく笑いでごまかすという技術があった人だ。
  石原慎太郎と、田中真紀子があまりテレビで見なくなって、その中で「おかま」ということをうまく使った「物言い」で人気を博しているのがマツコ・デラックスではないかと思う。基本的に「他人の言いにくいことを、いかに笑いを交えて本音で語ることができるか」ということであり、なかなか面白い。
  さて、「夜の営みが大切」というのは、至極当たり前のことであり、夫婦であれば、何らかの事情がない限り普通のことである。しかし、そのことを夫婦に言う人は少ない。「子は鎹」とか「早く子供を」などということを言う人はいるが、直接的にその行為そのものに言及することはほとんどないのではないか。その意味において「おかまだから」ではなく、「テレビの中でいえる」ということがどれほど大事であるかということを気づかせてくれた瞬間なのではないか。
マツコ、新婚夫婦に「絶やしちゃだめよ!」夜の営みの重要性を説く
 マツコ・デラックスが、毎回あてもなく気ままに夜の街を徘徊し、そこで出会った人々と交流をする『夜の巷を徘徊する』(テレビ朝日系列24:15~ ※一部地域で異なる)。3月30日の放送では、世田谷区の松陰神社前を徘徊。出会った新婚夫婦に、初対面にも関わらず?夜の営みの重要性を説く”一幕があった。
 今回マツコは、いつも?暴言”を吐いている世田谷区の街歩きに対してドキドキしていたらしく、通りかかった「ビストロ サイクル」というお店にふらりと入り、景気付けにビールを一気。その飲みっぷりに店主から「本当に一気なんですね!」とツッコまれていたが、マツコも「なかなかの一気なのよ、私!」と。ネット上では「一杯目のビールを当たり前かのように一気飲みするのがかなり好き!」「美味しそうにビール飲んでる」「マツコの飲みっぷり好き!」というコメントがあがっていた。
 それから徘徊を再開。お肉屋さんの前で、昨年10月に結婚したばかりという新婚夫婦と出会うと「新婚さんよ、おめでとう!」と。話を聞くところ、8年間同棲した後に結婚したようで、マツコは「なかなか結婚にまで辿り着けないカップルが多い中でね……」と言いながら、「やっぱり、夫婦の秘訣は”絶やさないこと”らしいわよ。月1でもいいから、し続ける! 絶やしちゃだめよ」とアドバイス。すかさず、視聴者からは「夫婦の秘訣は絶やさないことw」「マツコ良いこと言うな」「初対面で夜の営みの重要性を説く(笑)」といった反応があり、盛り上がりを見せていた。
 その後、お肉屋オススメの“松陰コロッケ”と“特製めんちかつ”、そしてその新婚夫婦が絶讃していた“唐揚げ”を注文。あまりの美味しさに「美味しい! ここ、全部美味しいかも」と感激しながら、次々と食べまくっていた。その後は、老夫婦が営むYシャツのオーダーメイド店に興味津々で入店。40年以上の歴史があるそのお店で、マツコは生地を選んでマネージャーのYシャツを仕立ててもらうことに。一通り寸法も終わり、マツコは「こんなオーダーで服を頼んだのなんて、人生で初めてかも」と語っていた。
2017年3月31日 5時30分 テレビドガッチ
http://news.livedoor.com/article/detail/12870962/
 視聴者からは「夫婦の秘訣は絶やさないことw」「マツコ良いこと言うな」「初対面で夜の営みの重要性を説く(笑)」といった反応があり、盛り上がりを見せていた。<上記より抜粋>
  まさに、この視聴者の反応は普通のことであり、多くの人がそのことをわかっているのである。しかし、なぜか最近テレビでは「青少年に影響」とか「女性差別」などといってそのことを言わない。そもそも「ヌード」がなぜ「女性差別」なのかよくわからないし、また「青少年」などといっているが、我々が小さいころは禁止されていたものの、町の中ん「エロ本」が氾濫していて、基本的にはどこでも見ることができた。それでも性犯罪などというものは今よりも少なかったかほぼ同じであったはずであるし、また、ゆがんだ大人になったという人は少ない。逆に「青少年保護」などといっているほうが、青少年がかえっておかしくなっている状況であるし、また、免疫がないことがかえってアレルギー反応になり、過剰に反応したり、あるいは猟奇的な状況になってしまったりということが少なくないのではないか。
  何度も同じことを書いているが、「見せたうえでしっかりと教育する」ということが重要なのであり、「見せない」というのは、教育にはなっていない。その意味においてテレビなどで過剰に規制することはおかしいと思のである。
  女性差別に関しても同じで、「女性差別」ではなく「女性と男性は生まれてずっと違うもの」なのである。その魅力があるから「夜の営み」があるわけであるし、また、結婚も恋愛もあるのである。そのことがわかっていない人が少なくない。女性のヌードやそのような営みのシーンに過剰に反応する「女性保護主義者」を見ると「よほど相手にされていないかわいそうな人」なのではないかという気がしてならないのである。まあ、もっと言えば「不細工な女性の男性に相手にされない嫉妬」でしかなく、そのようなことを相手にして、また嫉妬をもとに番組などを作るからつまらなくなるのである。
  さて、そのようなことを考えているとマツコ・デラックスの言葉は、そのような過剰な反応に対するアンチテーゼ的な発想がありなかなか面白いということになるのである。まあ、もっと自由にそのようなよるのいとなみのひょうげんをしてもらいたいものだ。

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【夏休みのエロ特別版】 性産業のお値段ということが話題になる「需要と供給」と社会における「必要性」の議論

【夏休みのエロ特別版】 性産業のお値段ということが話題になる「需要と供給」と社会における「必要性」の議論
 性犯罪があるということは、当然に性産業が存在する。一説によれば、世界で最も古くからある職業は「売春」であるという。食欲というものや睡眠欲というものは、だれで行える状況にあるということになるし、年齢や性別に関係なく誰でも出てくる欲である。要するにその欲を満たすということは、「ある一定の集団」においては、重要なことであり、その食料や寝る時間の分配ということは非常に重要な内容になってくるということになる。
  しかし、「性欲」ということに関しては「年齢や性別」によってその内容が異なるものであるし、また、「相手」によって異なるものであるといえる。私のような男性であれば「好みの女性」と「そうではない女性」とでは当然に「性欲の出方」は異なるということになる。一方、だれでもよいというような人もいるであろうし、だれが来ても嫌だというような人もるであろう。同性愛などもあれば小児性愛などもある。要するに「性欲」は「食欲」や「睡眠」と違って「個人差が激しい」ということになるのである。
  そして「犯罪」を行いたいほどに欲求がたまるということは、逆に「金で済むならば犯罪をしない」という選択肢が出てくることになる。
  では「犯罪」になるほどん「欲求」を抑えるための「値段」というのは、いったいどのような値段がかかるのであろうか。
  実際に「性産業」の値段というのは、私の場合どうしても男性目線で書いてしまうのであるが、基本的に「女性」は「恥」もしくは「肉体」を使うということで、その金額が決まってくると同時に「その男性に買われた時間」というものの対価でもある。要するに「精神的」「消費時間」「体力」によるものであり、その「精神的」な部分が非常に大きいということになるのではないだろうか。
  一方、男性側から売れば「払うう金額」というのは「自分の欲望」と「可処分所得」というものに関係があり、その中において「我慢できない欲望」に対して「犯罪をするよりも良い」という選択肢の中で「自分がその欲望にかけてもよい」としている金額をかける問うことになるのである。
  そのように「エロ」とか「性産業」というようなものであっても、このように「可処分」と「付加価値」という観点から考えて冷静に考えるとなかなか興味深い。
“性産業”で働く人々の月収はいくら? 愛人クラブ社員、AVの女性エキストラ…
 光あれば影あり。ちょっとヤバめでリスクも高そうなアンダーグラウンドなお仕事は、さぞや稼げるに違いない。一体、どんな贅沢な生活をしているのやら……と、さまざまな「アングラな職業」を調査してみたところ、まったくもってピンキリな実態が見えてきた。
◆明暗がハッキリ分かれる性産業で働く人々の月収
 性産業にもさまざまな職業があるが、グレーな業界の給与明細とは!? まずはパパ活ブームに沸く、愛人クラブの正社員だ。
「株式会社なので福利厚生は一般企業とほぼ同じ。そこまで厳密にはやっていませんが」
 と苦笑するのは、業界大手A社で働く田代仁さん(仮名・37歳)。
 主な仕事は男女の入会面接、写真撮影、登録作業。手取りは月30万円前後、ボーナスもあるが……。
「男性会員は社長や医者などの金持ちばかり。一回で数十万円入るので、入会申し込みがあれば深夜だろうが駆けつけます。だから明確な残業時間なんてナシ。女性会員がセックスを断れば、激怒する客に『自由恋愛ですから』とクレーム処理に駆け回ります」
 また、グレーな仕事ゆえの心労もつきまとう。
「売春斡旋で捕まる可能性もゼロではないから、日々軽く怯えています。あと、女性会員の入会応募が多すぎて、ちょっと女性不信になりますね(笑)」
 続いてはAV業界の女性エキストラ。主演女優やお相手の男優といった“スター”ではなく、ドラマものに登場するちょい役だ。
「主演女優の添え物なので、人妻ものならばママ友役、ナンパものならばメイン女優の友達役です。出演料は露出度や内容によって変動します。ただのエキストラなら一作で5000~1万円。軽いパンチラやブラチラがあれば2万円、失禁・放尿ならば3万円ほどもらえます」(Bさん・32歳)
 Bさんはプロダクションに所属しないフリー。その身軽さがウケるのか、月30の現場をこなし、月収が30万円を超えることもあるという。
「AVのドラマシーンなんて大体5~6分なので、撮影自体も1時間程度で終わる。一日2~3現場はこなせます。ただ営業活動が大事なので、業界の飲み会に顔を出すのが少々面倒です」
 また、後ろ盾のないフリーゆえ、職場での立場は最下層に近い。
「前に放尿の現場で、なかなかオシッコが出ず『使えねぇな!』と罵られたこともあります。また、監督からの枕営業の誘いも多い。あの人たちが事務所の女のコに手を出せば土下座ものですが、私はフリーなので甘んじて受け入れるしかなくて……」
 給料は悪くないが、肉体を含めた人間関係はキツそうだ。
 また、同じ業種でも大きく給料に差が出るのが乱交パーティの主催。主催歴15年の田邉浩二さん(仮名・45歳)は、主催者にもアマとプロが存在すると話す。
「風俗嬢を雇い、単独の男性客を相手にさせる商業目的の主催者はプロ。素人のカップル・夫婦交換をさせるパーティの主催はアマです」
 田邉さんを含むアマの乱交パーティは身内限定。
紹介でしか入れず、面接アリと厳重だ。
「情報漏えいが怖いので、単独男性客も5~6人が限度。カップル参加料は5000円程度だし、会場のホテルやハプニングバーを借りるのにも20万~30万円かかります。儲けはほぼゼロ」
 一方、プロ側は日当5万円ほどで複数の風俗嬢を集め、男性客からは入場料2万円を徴収する。
「ホテル代など雑費を引いても、一日50万円ほどの売り上げになるそうです。ただ、不特定多数を招き入れるから、それだけ逮捕のリスクも高い。そのため、日当5万円ほどで、ひとまず身代わりとなって逮捕されるバイトの受付係を雇っているそうです」
 シビアな世界だが、それが儲けに直結するのだ。
<愛人クラブ社員>
月収30万円
勤務時間:10時~深夜
平均労働時間:14時間/日
労働日数:24日/月
特記:売春斡旋で逮捕リスクあり
<女性AVエキストラ>
月収30万円程度
勤務時間帯:朝~深夜まで
平均労働時間:1~3時間/日
労働日数:25日/月
特記:脱ぐほどギャラが上がる
<乱交パーティ主催者>
月収10万円程度
勤務時間帯:12~24時
平均労働時間:12時間/日
労働日数:1/月
特記:参加者が少ない場合は儲けナシ
― [アングラ職業]の給与明細 ―
2017年07月02日 15時53分 SPA!
https://news.nifty.com/article/magazine/12193-20170702-1344766/
 さて、「付加価値」ということになれば、もう一つの観点が存在する。まさに「リスク」である。これは、いくつかのリスクが存在する。女性からすれば「性産業に従事している」ということは、ある意味で近所や知り合いなどの間では「社会的評価が落ちる」というようなリスクになるのであり、一方で、俺を事業としている経営者は「売春などの違法行為をすれば逮捕される」というようなリスクが存在することになる。一方で、男性からすれば、「女性が好みではない」とか「顔は好みでも身体の相性が悪い」など、やってみなければわからないというような内容のものも少なくないのであるが、一方で、客として行けば、そのような安行であれば当然に「暴力団」などのアンダーグラウンドの勢力が付きまとうことになり、「ぼられる」などのリスクも存在することになるのではないか。
  要するに「お互いがリスクを持っている」という点において「それなりのリスクを考えた値段相場」になっているのではないかということになるのである。
  これ等の産業は「必要ない」といえばそれまでであるが「欲望に対する対価」という観点になれば、当然に、その考え方になるし、また、欲望であるから「隙間産業的に存在する需要と供給」という社会の「影」の部分に存在するという面白さが存在する。
  何しろ人間の欲望にはきりがないのであり、その欲望をそのまま産業にしているのであるから、なかなか解説もできなければ、取材もできない問うことになる。
  さて、上記には三つの「隙間産業」があるのだが、「愛人クラブ」「AV女優エキストラ」「乱交パーティ主催」とどれをとっても「普段目にする職業」ではない。しかし、これ等の職業が厳然と存在しているということがなかなか面白いところである。世の中には様々な商売があり、その中で生活している人がいる。同時に「業が存在する」ということは、「需要と供給」の原則から「需要」があるということなのである。
  まじめな顔をしながら、このような産業を必要としている人が少なくないということもなかなか社会そのものを示している一つの指標なのではないかと思う。

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【夏休みのエロ特別版】 性犯罪でわかる子組性から見た韓国という国のゆがみ

【夏休みのエロ特別版】 性犯罪でわかる子組性から見た韓国という国のゆがみ
 なぜエロを扱うのか?と聞かれたことがある。まあ、難しいようでそんなに難しくはない質問だ。実際に「エロ」は「必要」である。あえて「必要悪」とは書かない。なぜならば「必ずしも悪」ではないからである。エロがなければ子供は生まれないし、また少子化になって困ってしまう。完全になくなってしまえば、そのまま子孫が途絶え絶滅してしまうのだから、絶対に必要なのである。しかし、一方で、「エロ」は日本の場合は「秘め事」とされており、それを扱ったり話したり書いたりすることがタブー視されることが少なくない。しかし、一方で「人間の本能」に根差した内容であるだけに「本音」で語られる場合が少なくないので、その内容はなかなか面白いということになる。
  そもそも、人間は「社会」で生きている以上「本音と建前」が共存している。本音を抑制してしまえば、当然に社会性は増すものの、欲求不満が募ってくるであろうし、また本絵を出し過ぎれば社会の中で生きてゆけなくなってしまうと言うことになってしまうのである。
  そのために「本音」である「エロ」を中心に書くことは、その内容があまりにも下品にならない程度において、なかなか面白い題材であるし、また人間の本音が浮き彫りになるということになるのである。実際に、各国の「性犯罪」を見ていると、その背景には「民族性」や「男女の考え方」や「文化の違い」、そして何よりも「その国の男女の本音」が現れていてなかなか面白いのである。
  さて、その意味において、数日前には「イギリスで一日に二回レイプされた」という話を書いた。この場合は「あえて男性のレイプ犯目線」で「女性への注意点」を書いたつもりであるが、今度は「韓国の場合」ということを考えてみようと思う。
  イギリスの犯罪の場合は、「あくまでも偶然」であり、なお克「ゆきずり」つまり「一過性」である。これに対して、昨日の「ISのヤジディ教徒に対する性奴隷」は「組織的かつ長期的」であり、なおかつ「商業として人身売買をしている」ということになる。窯業として行うということは「どうしても欲求が溜まって」とか「あまりにも美しくて我を失った」などというのではなく「確信犯的に嬌声売春を業としている」ということであり、より悪質性を感じる。当然に「復讐」として「戦士になる」ということが理解できるのである。
  では、それが「ヌーディストペンションができてしまうような国」である「韓国」ではどうなるのか。その犯罪を見てみよう。
監禁・売春強要されたタイ人女性を救出 /釜山
 今年5月16日午前4時20分ごろ、釜山市釜田洞のスーパーマーケットを外国人女性5人が訪れた。数カ月前から周期的に未明に来店し、即席麺やトイレットペーパーなどを購入するなじみの客だった。この日はうち1人が先にレジに来て、店員に代金を差し出したが、その間に手のひらほどの紙きれが挟まっていた。英語、韓国語、タイ語で書かれており、英語は「私はビルの4階に捕らえられている」という内容だった。韓国語はたどたどしい文体で「警察を呼んでほしい。私は建物の4階に捕まっている。私はだまされた。彼は私を違法に働かせる。私はタイにいた。知らせてほしい。助けを求める」と訴える内容だった。
 店員は女性が監禁されており、助けを求めていることを察知。そのメモに英語で「112(警察)に通報し、あなたを助ける」と書いた。
 しかし、タイ人女性は首を横に振り、すぐに商品を手に一行と店を出ていった。店外では30代とみられる韓国人男性が待っていた。店員は「すぐに通報すれば報復されると思ったのではないか」と感じた。店員は勤務を終え、午前8時半ごろに釜山鎮警察署を訪れ、メモを届け出た。外国人女性が商品購入時にポイントを貯めるために残した携帯電話番号も伝えた。
 警察がその番号を追跡したところ、類似する性風俗店を摘発されたことがある男(38)が浮上した。警察はスーパー周辺の聞き込みを行い、ビルの4階に廃業した占い店を発見した。鉄の扉で施錠されており、出入りする人はいないようだった。
 2日後の5月18日、京畿南部警察庁から連絡があった。京畿道烏山市の外国人支援センターから女性がソーシャルメディアに「釜山でマッサージをしながら売春をしている。4階全体がマッサージ店で、占い店の看板を出している。監視カメラで内外を監視している」と書き込んだとの情報提供があったということだった。
 警察は占い店が違法風俗店だと確信。同日午後9時ごろ、警察官十数人が店内を捜索し、店を摘発した。男は今年3月から店内にタイ人女性5人を閉じ込め、1回9万-16万ウォン(約8900-1万5800円)で売春をあっせんしていた。男はインターネット上に広告を出し、客から連絡があれば、地下鉄駅で出迎えていた。客か私服警官かを見分けるために身分証や給与明細書などの提示を求めていたという。
 警察は男のほか、タイ人女性を紹介したブローカー(40)、風俗店の従業員を検挙した。男はタイで現地人女性に「韓国のタイマッサージ店で働かないか」と持ちかけ、観光ビザで入国させていた。ブローカーはタイ人女性1人を韓国に連れてくる費用として、300万-500万ウォンを受け取っていた。
 男は女性たちの旅券を取り上げ、店の入り口を鉄の扉で封鎖し、監視カメラを取り付けた。メモをスーパー店員に渡したタイ人女性は「逃げようと考えることもできなかった。客から習った韓国語でメモを書いた」と警察に語った。
 釜山地方警察庁国際犯罪捜査隊は、問題の違法風俗店を利用した男性53人も在宅のまま立件した。また、同店を利用した疑いがある約350人も調べる計画だ。
 警察はまた、2007年9月から09年4月にかけ、韓国人男性と偽装結婚させる手口でタイ人女性8人を韓国に入国させ、マッサージ店に紹介し、手数料6600万ウォンを受け取った疑いでブローカーの男(59)を逮捕した。
「朝鮮日報日本語版」 20170705
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/07/05/2017070500914.html
  さて、韓国のこの場合、「韓国のタイマッサージ店で働かないか」と持ちかけ、観光ビザで入国させ、女性たちの旅券を取り上げ、店の入り口を鉄の扉で封鎖し、監視カメラを取り付けた。<上記より抜粋>というような手段である。
  さてよく言われていることであるが、韓国は「売春婦を最も多く輩出している国」であるが、同時に「売春婦を最も買っている国」でもある。基本的に「売春」そのものが、韓国のお家芸ともいえるほど韓国の売春に関する内容は非常に大きな「産業」になっているのであり、その産業が国内のGDPを押し上げるほどの無いようになっているというのであるから驚きである。
  そもそも、韓国は「売春婦」といっては失礼かもしれないが、朝鮮王朝のころは、「接待婦」として「国家公務員」であったのであり、また、最前線にそのような売春を行う人員が言って国境警備の士気を上げるということをしていた国であるから、現代になってそのようなことが突然になくなるはずがないのである。それなのにこの国の場合、2004ねんに「性売買禁止法」という、日本でいうところの売春防止法に当たる法律ができてしまったために、なかなか大きな問題になっている。
  そもそも国民性や道教的な道徳観という国民の感覚から、国際関係とか外圧ということで無理やり外国に合わせて法律をつくてしまったために、その分のゆがみが出てきてしまう。そのために、韓国国内では売春がしにくくなった売春婦たちが、外国に行くようになり、一方で、売春婦が足りなくなった韓国人男性たちが外国から売春婦の代わりを連れてくるという構図になる。
  基本的にこのような性的犯罪に書煮ては、その犯罪の内容に関して「国民性」とか「文化性」ということが大きな問題になってくる。何度も言っているように、エロは「必要」であり、同時に「そのことをもとに女性も金を稼ぐ」ということができる場合がある。もちろん、そのことが良いかどうかという道徳的な問題は別にしても、その内容に関して現実問題として「需要と供給」が成り立っているということは間違いがないのだ。
  当然に日本に限らず、また韓国に限らず、このような事件は存在する。では韓国の特徴は何か。まさに「女性の監禁」であり「旅券を取り上げてしまう」ということが最大の問題である。自由があれば「自由意思による売春」であり、売春のあっせんでしかないということになるが、しかし、監禁して強制的に売春をあせたとなってはかなり暴力的ということになる。この辺も「韓国の国民性」つまり、数日前にやったが、「騎馬民族性」「半島人気質」というところが出てきているのではないか。
  その辺のところが出てくるし、特徴的になるのが、まさに、このような「性犯罪」の累計であるということが言えるのではないだろうか。

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【夏休みのエロ特別版】 「元性奴隷」を怒らせると怖いというISへの「エロの復習を遂げる女戦士」

【夏休みのエロ特別版】 「元性奴隷」を怒らせると怖いというISへの「エロの復習を遂げる女戦士」
 『臥薪嘗胆』という言葉がある。中国の春秋戦国時代の逸話で復讐を成功するために苦労に耐えるという意味を持つ、中国の故事成語である。『史記』によると、紀元前6世紀末、戦に敗れた呉王闔閭の後継者の夫差は「三年以内に必ず恨みを晴らす」として自らは薪の上で寝ることの痛みでその屈辱を思い出した。まもなく夫差は越に攻め込み、越王勾践の軍を破った。勾践は部下の進言に従って降伏した。勾践は許されて越に帰国した後も民衆と共に富国強兵に励み、その一方で苦い胆を嘗めることで屈辱を忘れないようにした。そして呉に敗れて20年後、越王勾践は満を持して呉に攻め込み、夫差の軍を大破した。
  さて、人の恨みとはかくも深いものであるが、それを忘れないで生きるということはなかなか大変なことである。
  これは二本や中国に限ったことではなく、当然に中東においても同じことである。特に「IS」によって、「邪教」とされ、村人の多くを惨殺され、そのうえで、生き残った若い女性はすべて「性奴隷」として屈辱を味合わされた場合はなおさらのことであろう。
  ISの首都とされているラッカ奪還の軍の中に、かつて市奴隷となっていた女性が兵士となって加わっていることが話題になっている。
  さて、私の個人的な感想であるが、恨みというのはどうも女性の方が強いような気がする。実際は「男性の嫉妬」ほど怖いものはないのであるが、どうも幽霊の話、特に、恨みなどの怨霊となっているのは、ほとんど「女性」ではないか。そのように考えてみると、例えば、日本の三大怨霊といえば「平将門」「崇徳上皇」「菅原道真」と男性であるが、民間の中のお化け話の二大巨頭といえば「番町皿屋敷のお菊」と「四谷怪談のお岩」といずれも女性である。円山応挙の書いた幽霊画も女性であれば、「雪女」「山姥」「化け猫」などもすべて女性である。日本だけと思えば、例えば「聊斎志異」の中のお化けをもとにした「牡丹灯籠」何かも女性であるし、「魔女狩りの魔女」も女性なのである。このように考えると「世界的に民間伝承の幽霊」はじょせいのほうがおおい。これは、ある意味で「女性の方が情が深い」というような「男性的感覚及び願望」があり、そのことが語り継がれる社会の中で「女性の方が情念が強い」というような感じになっているのではないかという気がしてならない。
  その意味においては「男性の復讐心」がないわけではないし、上記に挙げた臥薪嘗胆も男性の話であるが、それ以上に怖いのは女性の恨みなのかもしれない。
元IS性奴隷の女性戦闘員、「復讐のため」ラッカ奪還作戦に参加
 【AFP=時事】イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」が「首都」と位置づけるシリア北部ラッカ(Raqa)の奪還作戦に、かつてISの性奴隷として同地に拘束されていたイラクの少数派ヤジディー(Yazidi)教徒の女性が戦闘員として加わっている。自身と数千人の同胞の身に降りかかった恐怖に復讐(ふくしゅう)するため、やっとの思いで逃げ出した場所に戻って来たのだ。
 ラッカでISと戦うことが、トラウマ(心の傷)の解消につながっているとヘザさんは言う。「戦闘に身を投じたとき、心の中の不安がいくらか薄れた」
「でも、すべての女性たちを解放するまでは、あふれんばかりの復讐心が消えることはない」
 ヘザさんは2014年、ISがイラク北部シンジャル(Sinjar)地区を制圧した際、2人の姉妹と共に拉致された。このとき、クルド語を話すヤジディー教徒の女性や少女ら数千人が連れ去られ、ISが「カリフ制国家」と称するシリアとイラクの支配地域で売り買いされた。ヘザさんの姉妹1人を含む約3000人が、今も捕らわれたままとみられる。
 国連(UN)は、ISがシンジャル襲撃時に行ったヤジディー教徒の虐殺を「ジェノサイド(大量虐殺)」と認定している。ISはヤジディーの家族らを男女でえり分け、女性と少女たちだけをラッカに連れ去った。
 ラッカ東部メシュレブ(Al-Meshleb)地区でヤジディー女性部隊の戦友たちに囲まれながらAFPの取材に応じたヘザさんは、同地区の激しく損傷した家々を指さして言った。「奴ら(IS)は、私たちをヒツジのように扱った。まさにこの街で、私たちを追いまわして屈辱を与えた」
 メシュレブ地区は米軍の支援を受けたクルド人とアラブ人の合同部隊「シリア民主軍(SDF)」が、1か月にわたるラッカ奪還作戦で最初に制圧した地区だ。SDFによると6月のラッカ突入後、これまでに10歳の少女を含むヤジディー教徒の女性数人を救出したという。
■ラッカ再訪の「痛みと喜び」
 へザさんはラッカで拘束されていた10か月間に、5人のIS戦闘員に買われた。当時受けた虐待については詳しく話したくないと言う声は緊張していたが、茶色い目の鋭い輝きは変わらず、何度か自殺を試みたことを告白した。
 脱出に成功したのは、2015年5月。またもや市場に売られる直前、へザさんは捕らわれていた家から逃げ出し、そこで出会ったクルド系シリア人一家によってひそかにラッカから連れ出してもらった。それから、戦争で荒廃したシリア北東部を抜け、約400キロの旅をしてイラクに帰り着くと、シンジャルのクルド語名シェンガル(Shengal)を冠したSDF傘下の部隊「シェンガル女性部隊(YPS)」に加わった。
 集中的な訓練を受けたへザさんは、2016年にSDFがラッカ奪還作戦の開始を宣言したときには、仲間の女性たちと共に戦う準備ができていた。「作戦が始まったときに参加しようと思った。ここ(ラッカ)で売買されたヤジディーの女性や少女みんなのために」とへザさんは話した。「私の目的は彼女たちを解放し、奴ら(IS)に復讐すること」
 数か月かけてラッカ包囲網を狭めたSDFは、今年6月に市内に突入した。数週間後、YPSはメシュレブ地区でSDFの先陣を担うことになった。へザさんがラッカに戻ったのは、脱出以来これが初めてだった。
「ラッカ入りしたとき、言葉では言い表せない奇妙な気分になった。たくさんの痛みを抱えながら、喜びを感じていた」とへザさんは語った。
 YPSには、はるばるドイツから参加した女性戦闘員もいる。トルコ系ヤジディー教徒のメルカンさん(20)と姉のアリンさん(24)だ。2014年のISによるシンジャル襲撃のニュースに激怒したアリンさんは同年末に、メルカンさんは翌15年初頭にYPSに加わった。
 メルカンさんはメシュレブ地区でYPSが拠点としている民家の壁に、ISがシンジャルを襲撃した日付を添えてクルド語で次のように記していた。「力と奮闘により、われわれヤジディーの女性戦闘員たちはラッカに来た。8月3日の虐殺に復讐するために」
【翻訳編集】AFPBB News
2017年7月24日 18時32分 AFPBB News
http://news.livedoor.com/article/detail/13380247/
 当然に「女性の恨み」といえば、「死んだあと」「幽霊になってから」だけではなく「生きている間」も同じである。その「女性の恨み」と書いた状況において「生死」「人間か幽霊か」の区別はない。
  さて、ISは、まさに「臥薪嘗胆」のような状況での復讐の対象となっている。特に「邪教」とされたヤジディ教の信者の女性たちは、「性奴隷」として売り買いされているばかりか、戦場の最前線に連れていかれ兵士たちの慰み者にされているのである。上記の記事によれば、「ヘザさんの姉妹1人を含む約3000人が、今も捕らわれたままとみられる」<上記より抜粋>とあるように、その内容は現在進行形であることがわかる。
  そしてその女性たちを中心にしたのが、シンジャルのクルド語名シェンガル(Shengal)を冠したSDF傘下の部隊「シェンガル女性部隊(YPS)」<上記より抜粋>ということになる。
  さて、日本では「戦争反対」とか「攻めて来たら死ねばよい」などといっているバカなことを言う人も少なくないのであるが、本来、このような「女性であっても復讐をする」というのが普通であり、そのように考えるのが通常の人間であろう。ましてや、この記事に書かれている女性は、現在も姉妹が囚われたままになっているのであるから、戦って開放するということを目標にするのは当然のことである。戦わないという選択肢は、彼女たちには存在し無い、そもそもISのようなことがなければあ戦わなくて良いものが、彼女たちをった回に駆り立てるのであり、その気持ちがわからないような「戦争反対」論者は、基本的に彼女たちと話が合うことはない、つまり「性奴隷を肯定するようなことになる」ということになってしまうのだ。単純に「殺される」のではなく「屈辱を与えられる」ということがどれほどつらいことだかわからない日本人が「左翼主義者」になっているのであり、そのような考え方の人々は「YPS」が戦う理由を説明はできないであろう。
  「でも、すべての女性たちを解放するまでは、あふれんばかりの復讐心が消えることはない」
  「作戦が始まったときに参加しようと思った。ここ(ラッカ)で売買されたヤジディーの女性や少女みんなのために」とへザさんは話した。「私の目的は彼女たちを解放し、奴ら(IS)に復讐すること」
  <いずれも上記より抜粋>
  まあ、戦争反対とか言って国会の前で大騒ぎしている人にはわからないだろうな、と思う。エロそのものは「快楽」であると同時に「その快楽を強要された人にとっては屈辱」であり「復讐の対象」となるのである。エロはそれだけ注意しなければならない。欲望はもう一つの欲望を作り出す道具であるのだ。
  しかし、その状況は「ラッカ入りしたとき、言葉では言い表せない奇妙な気分になった。たくさんの痛みを抱えながら、喜びを感じていた」<上記より抜粋>という感覚の源でもある。
  さて、もしも日本が、中国や韓国に占領されたら、これと同じことが起きるのではないか。その時に、「戦争反対」などといって、若い女性を差し出し、自分だけが生き残るような卑劣な大人がどれくらいいるであろうか。そのことを「エロ」の合間に考えてもらいたい。

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【夏休みのエロ特別版】 「裸体主義」から「ヌードペンション」を作ってしまう韓国人の「忖度や思いやりが理解できない権利意識の塊」

【夏休みのエロ特別版】 「裸体主義」から「ヌードペンション」を作ってしまう韓国人の「忖度や思いやりが理解できない権利意識の塊」
 良い意味でも悪い意味でも、日本人と中国人や韓国人との間隔は異なる。どちらが優れているとか、そういう問題ではなく、基本的に「大陸人気質」と「半島人気質」と「島国人気質」とは、その気質の中で全く異なる。また「商業民族」と「騎馬民族」と「農耕民族」では全く異なるし、「年中革命をしている国」と「隣国に気を使ってきた国」と「安定して一つの王朝が継続した国」でもその内容は異なるということになる。この辺の「気質」や「民族性」に関しての違いは、そのうち有料メルマガの「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」(http://www.mag2.com/m/0001647155.html)で書くことになると思うし、今までも断片的にではあるが書いてきていたのである。
  さて、今日はその民族性や文化史絵の違いを書く場所ではない。あくまでも「夏休みのエロ特別版」である。そのために、急激にそっちの方に話を持ってゆきたい、というよりは、「エロ」こそ、「民族性」や「気質」によって左右されるというような状況になってくるのである。それはある意味で当然であり、エロということは、ある意味で人類皆同じことを言うが、しかし、それより前の状態、つまりその雰囲気を作り出す内容に関しては、各文化によって左右されることになる。
  たとえば、未開の地の人間で服を着る文化のない人々に関して言えば当然に、「裸である」ということはセックスアピールにはならない。何しろ年中裸なのであるから、それがセックスアピールにつながるという発想自体がないのである。しかし、日本のように「服を着る」特に「服で隠すことに意味がある」という概念があると「見えそうで見えない」というような「チラリズム」であっても、色気を感じるし、また「うなじ」など、普通に見ることができる場所であっても、そこに色気を感じることができるようになるのである。
  ある意味で「しぐさ」や「体の場所」における「象徴性」であって、それが宗教や文化やそのほかの習慣や場合によっては映画や漫画などの影響から、そのようなパーツやしぐさに色気を感じるような状況になる場合もあるのだ。
  逆に、その象徴性を感じないようにするというような状況もあれば、他の目的で裸になる」というような場合もある。
  さて、その中で韓国では「ヌーディスト」が集う「ヌードペンション」ができて話題になっているらしい。
農村にヌードペンション出現、住民猛反発 /堤川
 忠清北道堤川市の山あいの集落に「裸体主義」を掲げる同好会メンバーらが「ヌードペンション」を建て、住民たちが反発している。
 このペンションは集落からわずか100-200メートルしか離れておらず、住民の話では、週末になると同好会メンバーが裸でペンション周辺を歩き回っているという。
 最近になって住民は、集落のあちこちにペンションの撤去を求める横断幕を設置したり集会を申し入れたりするなどの対応に出ている。住民は「ヌードペンション」が農村の雰囲気にそぐわない上、農村のイメージにも悪影響を与えると主張している。
 しかし、同好会のメンバーらは、裸体主義は個人の趣向であるため尊重されるべきで、私有地で生活しているため全く問題がないと反論している。
 警察や地方自治体も、ペンションが個人所有であり違法行為もみられないことから、介入は困難との立場だ。
 一部のネットユーザーらは「自由とわがままは区別すべき」「自由を主張したいなら他人に迷惑をかけるべきではない」「厳然たる風紀の乱れなのに、私有地という理由で何の処罰もできないなんておかしな話だ」などとヌードペンションの同好会を批判している。
 
「朝鮮日報日本語版」 20170730
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/07/27/2017072703356.html
 さてさて、韓国の国民性とはいったい何か。基本的に半島系の人々は長い歴史の中において「騎馬民族性」をもち、なおかつ「長期間にわたる大国への遠慮」と同時に「権利意識が強くなった場合に義務や周囲を気にしないわがまま勝手」という部分がある。もちろん、気質の問題であって、すべての韓国人がそうであるというものでもないし、日本にもそのような人間は少なくない。騎馬民族というのは、基本的に「その場にあるものを力づくで手に入れる」ということから「天高く馬肥える秋」というような、農耕民族からすればせっかく育った工作物を横取りに来るという警戒の「秋」が来るということを言っているのである。また「横の大国に遠慮する」ということは、逆に「大国のお墨付きを得れば何でも好き勝手にする」ということになる。単純に「虎の威を借りる狐」ということであるが、まさに現在の世の中では「権利意識」ということが強くなり「主権在民」で自分たちが主権者と思い、なおかつ「憲法で人権が保障されている」となれば、その範囲内で「わがまま勝手に何でも行う」ということになる。
  一見悪口のように見えるかもしれないが、それが気質ということであり、日本の文化から見れば『悪口』に見えるが、逆にそれが標準形になっている場合はそのままの状況になっているということになるのである。
  さて、上記の記事において「裸体主義は個人の趣向であるため尊重されるべきで、私有地で生活しているため全く問題がない」<上記より抜粋>と「農村の雰囲気にそぐわない上、農村のイメージにも悪影響を与える」<上記より抜粋>という二つの意見対立こそ、まさに、この「騎馬民族性」と「権利意識」の表れである。農村からすれば、まさに「雰囲気」という内容になってくるの出るが、ヌーディストからすれば「個人の人権」であるというわがままけってが出てくる。基本的には「ヌーディストは見えないように囲ってしまえ」ということになるのが日本であろうと思われるが、残念ながら韓国の場合は「権利意識」が強いから「誰がその費用を払うのか」というような対立になるのである。
  さて、もう一つが「農耕民族性」ではないだけではなく「島国性」ではないというところだ。つまり「和を壊す」ということに関して、韓国人の社会の中においても、その傾向が強く表れており、「話し合って歩み寄る」ということができない。まさに、そのことが「新聞のネタ」になるあたりが面白いのである。
  日本の場合は「猥褻物陳列罪」または「強制わいせつ」によって処罰されるが、残念ながらそのようなことができない。なぜならば、それが「民族性」に基づいて「法律」ができていることから「私有地」ということで「他人から見られる」ということに勘案して法律が予定していないということになるからである。まさに、そこに韓国の限界というものがあるのではななかろうか。
  まあ、私個人としては「若いきれいな女性ならば歓迎だが、他は・・・」という感じであるし、見たくなければ見なければよいし、また、どうしてもというならば「蚊」や「蜂」を大量にその近くで花てばよいのではないかと思うが、まあ、権利意識が強い民族で義務や責任、他人を思いやるような習慣のない国々はこのようなことになるのであり、「忖度」や「思いやり」「空気を読む」ことの重要性を改めてこのようなニュースで感じることが日本人には大切なのではないかと思う。

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【夏休みのエロ特別版】 なんと一晩に2回レイプされる少女の不幸を避けるためにこのエロブログは必要だ

【夏休みのエロ特別版】 なんと一晩に2回レイプされる少女の不幸を避けるためにこのエロブログは必要だ
 夏休みのエロである。エロといっても基本的には、性犯罪などに関しても感が手笑みたいと思うが、しかし、単純に「かわいそう」というようなものではなく、もう少し奥を深くえぐった内容の解説を加えてみたいと思っている。基本t根気に、こうは日曜日のはずで、なおかつ夏休みの真ん中であるということを考えれば、その時期に全くそぐわない内容ではないかという気がしてならない。その「全くそぐわない」エロの内容を延々と書いてみるのも、基本的には「面白い」だけではなく「考える」ということの練習になるからである。
  勿論、「考える」練習ならば憲法や経済などでも全く問題はないし、その方が「高級」「インテリ」であるかのように感じられるかもしれない。しかし、実際に「政治」も「経済」も人間が行っていることであることには間違いがないし、また、人間がいなければ成立しないものなのである。ではその「人間が生まれる」ということは何なのか、かなり哲学的であったり宗教的なことを考えるようにしなければならないのではないか。その方は「エロ」ではあるけれども、より「奥の深い」思考になるはずなのである。
  さて、その中で「性犯罪」ということに関して言えば、「女性」に対して「男性」が「合意の無い状態」で「無理やりに性行為をする」ことを言う。基本的には、「レイプ」などはそうであるが、まあ、最近では「女性が男性に対して」とか「同性同士」の場合も少なくない。
  その「性行為」に関して言えば「合意がない」ということが大きな問題である。。上記に書いたように「合意」の形態は「恋愛」などの心因的によるものと「売春」などの金銭的なもの、および、「枕営業」などの権力的なものなどさまざまである。しかし、これ等がない場合は、当然に「レイプ」ということになるのである。
  そのうえで、「レイプ」に関して言えば、「好みの女性」というよりは「ストライクゾーンの女性」であるということと「女性側に弱さ(体力的または酔っているなどの精神的なスキ)」があるということが条件になり、そのうえで、暴力的に性行為に及ぶということになるのである。
15歳少女、一夜に2度レイプされる 別の男に 英国
 イングランド・バーミンガムの警察は29日までに、駅内などで15歳少女が一夜に2度、違う男に性的暴行を受ける悲惨な事件があったと報告した。
 大規模捜査に着手し、容疑者の割り出しや追跡に努めているが、両事件の実行犯はいずれも20代前半のアジア系の男と見ている。
 地元警察などによると、最初の被害は現地時間の25日午後7時と26日午前2時の間、少女が友人1人と共にウイットン駅へ向かって歩いている際に発生。男1人が近寄ってきて少女を駅のひとけのない場所へ連れこみ、暴行したという。
 少女は被害を受けた後、通過する車1台に合図をして停車させ、助けを要請。この車に乗り込んだ後、再度暴行を受けたとみられる。少女は帰宅後、被害を警察に届け出ていた。
 地元警察などは犯行現場や周辺に設置されている全ての監視カメラの画像や映像を分析し容疑者の絞り込みを進めると共に、犯行時に現場にいた住民らが名乗り出て情報を提供するよう呼び掛けている。
CNN.co.jp 20170730
https://www.cnn.co.jp/world/35104989.html
 さて、このイギリスの事件に関して言えば、まあ、この15歳の女の子がかわいそうであるし、レイプ犯罪は絶対に許せないというのは、普通のコメントであろう。基本的に犯罪というのは犯罪者が悪いのであって、それ以外のことではない。それは大前提であって私は「レイプ犯肯定」ではないということを先に表明しておく。このように書いておかないと「宇田川はレイプを推奨している」などといって炎上しかねないからである。まあ、ネットというのはその辺のこともわからない人が多いので、まずは一応書き込まなければなるまい。
  そのうえで、この「レイプ」に関して言えば、上記のように「犯罪者目線」で見てみた場合「好みの女性である」ということと同時に「女性側にレイプしやすい要素」があるということになる。男性というのは、基本的に「社会性がある」と私は信じているが、一方で、昔からん御格言で「下半身に人格無し」といわれている輔とであり、基本的に「性欲」が勝った場合には社会性も規範性もすべて失ってその欲望の達成のために猛進する場合がある。もちろん、このような性質があることから、戦争などにおいて危険を顧みない英雄が生まれるのであるが、その「英雄性」がそのママ方向性を間違えてしまうと「レイプ犯罪」になってしまう。
  例えば、「最強の武闘家」を相手にレイプをしようとするだろうか。もちろん、それだけではなく、常にきりっとしている女性に対してその隙も見せない相手に仕掛けるであろうか。
  さて上記の記事の場合、「女性が一人しかいないでやるかやらないかの選択し」であった場合は、男性側の欲求の問題であると考えるが、この事件の場合、崔遺書のレイプの時には「最初の被害は現地時間の25日午後7時と26日午前2時の間、少女が友人1人と共にウイットン駅へ向かって歩いている際に発生」<上記より抜粋>とあり、基本的には女性が二人いたということになる。なぜこの被害女性だけがレイプされたのか、そして、もう一人の女性はなぜすぐに通報しなかったのかということが気になるところである。もちろん、その犯罪現場の内容から逃げた女性を非難することはできないと思う。しかし、同時に男性はなぜ二人のうちこの女性を狙ったのかということに興味が出てくる。
  そしてもう一つは「被害を受けた後、通過する車1台に合図をして停車させ、助けを要請。この車に乗り込んだ後、再度暴行を受けたとみられる。」とある。基本的に、この時女性は「助けを求めた」とあるが、実際に「その時になぜ通報してもらわなかったのか」ということも考えられる。逆に言えば「無防備に、敗れた服で自動車の中に乗り込んできた女性」が「魅力的で無防備」に見えたということになるのではないか。
  まあ、さまざまな妄想が膨らむ内容であることは間違いがない。
  いずれにせよ、何度も言うがレイプ犯罪は良くないし非難されるべきものである。しかし、同時に、このレイプ犯罪から「女性側がもう少し気を付けることができなかったのか」もっと言えば「女性はもう少し男性の欲望に漢詩て学んでいた方がよいのではないか」ということも考えられるものである。
  まあ、その意味においても、エロのブログは必要なのではないかと自画自賛をするのである。

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日本人のマナーとそのマナー向上を促す行動という「日本人らしい暗黙の了解」

日本人のマナーとそのマナー向上を促す行動という「日本人らしい暗黙の了解」
 最近のニュースを見ていると、いつから日本人はこんなになってしまったのか、と、がっかりすることが多い。もちろん、その猟奇的犯罪や、あるいは親子や人のつながりを無視した犯罪などが多い。何かというと他人を攻撃し、そのうえ、自分が何かできるかというとそうでもない。ネットで騒ぐことなどはまさにそのもので、自分は安全な場所で匿名で大騒ぎしているだけであり、当事者のことなどは全く関係ない。適当に理想論を自分勝手に並べて他人を批判することによって、モラルも何もなくなってしまっている
  何よりも「他人を思いやる」という気持ちが無くなってしまっているのではないか。
  ネットの中では「日本人ではない」などというような書き込みの内容も少なくないが、私からすれば「そのように書き込むこと」もそもそも日本人らしくないのではないかと考える部分もある。
  さて、そのような状況の中において「マナー」に関して、一ついい記事があったので、そのことを書いてみようと思う。
  先日日本産大花火祭りの一つといわれている新潟県長岡市の花火大会において、その花火大会の会場に、終わった後ゴミがほとんどなかったというニュースがあった。いやいや、日本もまだまだ捨てたものではないなあと、そのように感じるものである。
  さて、このニュースの中において「若者のマナーが」などということがあるが、一方で「マナーが良くてもそのマナーを守れない環境がある」ということも事実なのかもしれない。そのことを考えさせられることが、このニュースの中に書かれている。
  さて、今日は「山の日」ということであるので、政治的な問題とか経済的な問題ではなく、少しマナーとか文化の話をしてみたい。
「ごみがほとんど落ちてない!」 長岡花火大会「マナー」に大反響
 終わった後に会場にごみがほとんど落ちてなかった――。日本三大花火大会の1つとして知られる「長岡まつり大花火大会」は、ツイッターでこんな状況を示す写真が次々に投稿され、反響を呼んでいる。
 「ごみは持って帰ってくんねろか」。アニメの戦隊シリーズにあやかったようなヒーローが看板に描かれ、ヒーローがごみの持ち帰りをこう呼びかけている。
 2日間で約103万人の人出があったが...
 これは、新潟大学附属長岡中学校の生徒らが作って、花火大会の会場内に設置したものだ。
 長岡まつり大花火大会は、2017年8月2、3両日に新潟県長岡市内の信濃川河川敷で開かれた。好天の中で計2万発が打ち上げられ、主催者の長岡花火財団によると、約103万人の人出があった。
 この花火大会は、1879年に始まったが、戦争中に中断され、1947年に復活した。長岡空襲犠牲者の慰霊などを込めて打ち上げられており、今回は、復活70年を記念した特別なスターマインなどが夜空を彩った。
 その壮麗な花火の数々がツイッター上などにアップされる一方、会場に残されるごみの少なさにも注目が集まった。長岡中学校の生徒らが作った看板も、そんな中で紹介された。
 投稿写真を見ると、写っている範囲の鑑賞場所には、ごみがほとんど見当たらない。ツイッター上では、この状況に驚きの声が上がっている。
 長岡まつり大花火大会会場、ゴミ一つ無い美しい撤収。 pic.twitter.com/mmkQgVCNPP
- Fire丸山 (@fireroadster) 2017年8月2日
 長岡花火の終了後の様子。周りを見渡しても、ゴミを置いて帰る人は見当たらず、みんなきれいにして指定のゴミ捨て場に捨ててました。マナーも日本一の花火大会です。#長岡花火 pic.twitter.com/bTQp1ZXKDV
- くろはす@NGT垢 (@NekoGT48) 2017年8月3日
 花火はもちろん最高だったけど、終わったあとのゴミひとつ落ちていない会場に感動した。日本一の花火。日本一のマナー目指すだけあるわ。 #長岡花火 pic.twitter.com/NJy2im5oCC
- 綾瀬 (@ayaseyuta805) 2017年8月2日
   「ごみを捨てやすいところに置き場」
 ただ、やはりごみが所々にはあったとの報告がツイッター上であり、「その他のごみ」と書かれた置き場にごみが山盛りになっているとの指摘もあった。
 一方で、花火大会後には、長岡市内の小中学生や地元企業の社員らが参加して「早朝清掃ボランティア活動」が行われていることも写真付きで紹介されていた。その中には、プロバスケットボールチーム「新潟アルビレックスBB」の選手らの姿もあった。
 長岡花火財団の担当者は8月4日、Jタウンネットの取材に対し、ごみが観賞場所に捨てられていないことはないとしながらも、ほかの花火大会よりも少ないのではないかとの見方を示した。
 「まず、ごみを捨てやすいところに置き場を作っています。堤防の上まで持ってきてほしいと呼びかけ、誰もが必ず通るゲートを出たところに設置してあります。また、ごみ置き場は、『瓶缶ペットボトル』と2つしか分別していないのですが、これは分別を細かくすればするほどメチャクチャになるからです。新潟大学附属長岡中学校の生徒たちが作った看板を見て、ごみをポイ捨てする人も躊躇しているようで、昨年よりも観賞場所のごみは少なくなっていますね」
 早朝清掃ボランティアには、2日間で4000人以上が参加したというが、「ごみがなさ過ぎて、拾うものがないと苦情が入るほどです」と笑う。新潟アルビレックスの選手らは、ボランティアの一体感を高めるのに役立っているといい、「憧れの選手が来ると、子供たちも喜んで参加します。選手らにも、ファンの存在は励みになっているようですね」。
2017年08月04日 20時00分 Jタウンネット
https://news.nifty.com/article/item/neta/12150-247148/
 テレビでは忖度をすることを攻めているようなニュースが多い。森友とか加計とか、すべて「忖度が悪い」というような話になっており、何となく疑問を感じる。実際に日本の場合は「会議の場」ではうまく回るように「根回し」というように、事前にそのプロジェクトなどを説明し、また、その内容を熟知してもらってゆっくり時間をかけて説明する習慣がある。それでも「鶴の一声」でおかしくなることがあるが、まあそれは例外的な内容になる。
  何となく違和感があっても「空気を読む」ということができることによって「その場は丸く収める」ことによって表面的な敵対関係を作らないというような文化関係が存在し、そのことにyって対立を避けるような状況になっているのである。
  その一連の流れの中に「相手を思いやる」ということができることが必要であるにもかかわらず「忖度」となると、突然ダメになる。「思いやり」と「忖度」の違いをしっかりと説明できる日本人がどれくらいいるのかということが、まったくわからない状態であるのに、そのことなどはお構いなしになってしまうのである。
  結局「モリ・カケ」というような報道から破壊された「思いやりの心」が、今の日本の象徴的な文化破壊になっている。
  さて、それに対して上記の記事は何であろうか。「まず、ごみを捨てやすいところに置き場を作っています。堤防の上まで持ってきてほしいと呼びかけ、誰もが必ず通るゲートを出たところに設置してあります。」<上記より抜粋>
  人の心というのは、「綺麗なものを一番初めに汚す」ことはできないような心のカギができる。日本人の中には「権利」よりも「みんなで公共ものを守る」というような考え方がある。民放の中には「誰が使ってもよいが独り占めしてはダメ」という意味で「入会権」という権利が明記されており、日本人の心の美しさを示しているのではないかという気がしてならない。実際に、中国人に「入会権」などという権利は全く理解されないし、そのようなことをすればその入会地は完全に破壊され、なおかつ五味為になってしまう。公共や社会に対して「自分は何をやってもよい」という「権利」で近づけばそのようになってしまうし「みんなで守る」というような「義務」や「責任」で物事を考えれば、当然に「綺麗になる」ということになる。
  日本人は、というよりはマスコミ報道と野党の主張は「義務」よりも「権利」を強調するために「公共の場で何をしてもかまわない」というような状況になる。責任や義務を感じる人をお意向という汚い心にしてしまうのである。
  はっきり言って、そのような日本にしたのは「権利意識」であり、「公共や社会に対する責任」を全く追求しない状況ではないか。
  今回の長岡市のやり方は「綺麗にしましょう」ではなく「綺麗にすることが当たり前」というよりは「ごみを捨てることが恥ずかしい」というような状況にうまく持って行った。逆に言えば「その場の管理者がそのように持っていけば日本人の心はまだまだなんとかなる」というものである。
  さて皆さんはこの記事を読んでどのように思うのであろうか。「権利」ばかりを主張する人々を恥ずかしく、そして心の貧しい人と思いはしないだろうか。

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マスコミ批判に関する一考(356) 海外にも呆れられっる「くだらないニュースを延々と垂れ流す」日本のマスコミの中心的病巣

マスコミ批判に関する一考(356) 海外にも呆れられっる「くだらないニュースを延々と垂れ流す」日本のマスコミの中心的病巣
 マスコミというと、しっかりと「社会の役に立つ情報」を流し、なおかつ「報道」するものと考えられてる。何も報道ばかりではない。バラエティであっても「社会の緊張感の緩和」などの目的を「こじつける」ことができるし、また「ドラマ」であっても、そのすとーろーでフィクションを書いていることは間違いがない者の、その内容を見ながら、「社会を風刺・描写する」ことができ、そのことから、描写の内容から、さまざまなことを学ぶということがある。単純に「娯楽」と言えども、何らかの緊張感の緩和や、趣味の広さによる人間の教養または生活の豊かさの実現ということが言えるのである。
  さて、これに対して、長年行われている「ワイドショー」というのは、いったい、どのような社会的な役割を持っているのであろうか。もちろん、社会的役割などはなくてもよいというような考え方もある。民放各社は民間企業であるから「そのような社会的役割などは考えなくても営利目的でよい」というようなことも考えられる。しかし、一方で「公共の電波を使っているのであるから、当然に公共性の高いものを報道すべき」ということも言える。これは新聞や雑誌でも同じで、「公共の売店」などを使っているのであるから、社会的な内容を考えるべきというような感じ担うのであるが、テレビなどに比べれば、はるかに公共性の縛りや要求は少ないのではないか。
  少なくとも「社会的な害悪」や「多くの人が不快な思いしか残らない」内容に関しては、放送は控えるべきであるし、「くだらないだけで何の関係もない」ような内容はなおさら考えなければならないのではないか。
  さて、このようになった場合に「芸能人のスキャンダル」や「政治家のスキャンダル」ばかりを行っている「ワイドショー」というカテゴリーは「いったい社会の何の役に立っているのか?」問うような感覚になってしまう。個人のスキャンダルは「のぞき見的興味」はあるにせよ、そのことによって社会的に何かが得するわけでもないし、また、そのことによって社会が円滑に動き物でもない。まあ営利目的といわれればわからないではないし、他の何かがあった場合に、その陽動作戦的に世間の目をそらすためというような裏の目的があればよいが、それ以外は「スキャンダル」というのが「本来行わなければならないこととは全く異なる」内容であり「社会的害悪でしかない」問う結論になる。
上西小百合議員のツイートに海外メディア幹部が驚いた2つのこと 「日本ではこんな話題がまかり通っているのか…」
 上西小百合議員のツイートが、炎上商法ではないかと疑念を向けられ、世間から大きなひんしゅくを買っている。サッカーJ1リーグ、浦和レッズのサポーターと激しい火花を散らし合ったわけだが、海外メディアの幹部はこの事態をどのように見ているのか。 [臼北信行,ITmedia]
 浪速のエリカ様の暴走が“炎上商法”と疑念を向けられ、世間から大きなひんしゅくを買っている。自身のTwitterを通じてサッカーJ1リーグ・浦和レッズのサポーターと激しい火花を散らし合った上西小百合衆院議員のことだ。
 事の発端は7月15日。浦和レッズが埼玉スタジアムで行われたドイツ・ブンデスリーガのボルシア・ドルトムントとの親善試合で2ー3と逆転負けを喫した後に「浦和酷い負けかた。親善試合は遊びなのかな」と突然ツイート。だがこれが浦和レッズのサポーターを筆頭としたサッカーファンたちの怒りを買い、ネット上で猛烈なバッシングを受けた。 ところが上西議員は謝罪するどころか、その直後に「何かブーブー言ってる」「(浦和の次の試合は)調べたら次はヤンマースタジアムだった。埼玉スタジアムならゴール裏行くのに」などと逆に浦和サポーターを挑発するような行動に出た。
 さらには「サッカーの応援しているだけのくせに、なんかやった気になってるのムカつく。他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ」と議員らしからぬ荒々しい暴言をまじえ、サポーターを小バカにするようなツイートまで展開。これに怒りを募らせた浦和サポーターと見られる人物から殺害予告が届き、19日には上西議員側が警視庁麹町署に被害届を提出する騒ぎにまで発展した。
 そして22日には自称、浦和ファンの人物が大阪府吹田市にある上西議員の事務所に乱入。その後、上西議員が激怒して「くたばれレッズ」と再びツイートで挑発を重ねて大炎上し、今日に至っている。
 ちなみにこの騒動の最中、上西議員の事務所側は騒動の鎮静化を図ろうと浦和のクラブ側に面会を申し入れていたが、先方からやんわりと断られている。これに対しても上西議員はTwitterで「日本を代表するビッグクラブの対応だとすれば、お粗末と思います」「話をしないというのは怠慢です」「百年構想が五十年で実現するかもしれないビッグクラブなのに、フロントがそれなら百年かかりますね」などと批判のオンパレードを並べていた。
          海外メディアはどう報じたのか
 複数の報道によれば、上西議員の事務所側は今後のスタジアム突撃などの行為は見送り、騒動の幕引きを図る方針だという。今後は浦和レッズ関連の新たなTwitter投稿も控えていくつもりのようだ。だが、この騒動撤退が明らかになった24日の翌日にも上西議員は公設第二秘書を引き連れ、TBSテレビの『ビビット』に生出演。あくまでも一連の騒動は炎上商法ではなかったことを改めて強調し、大ひんしゅくを買って世間を騒がせたことに謝罪の言葉もなく自身のツイートの正当性を延々と訴えていた。
 個人的なことを言わせてもらうと、この騒動は本当に腹立たしくばかばかしい。上西議員のような立場のある人間は、いい意味でも悪い意味でも発信力がある。それを分かっていなかったとしたら、上西議員は政治家として失格だ。しかもこれだけ政治家の失言に対して世の中が神経をとがらせている時期に、このような暴言を口にするなど言語道断。しかも「ムカつく」「人生乗っけてんじゃねえよ」「くたばれ」などと、とても公人とは思えぬような下品極まりない言葉を連発させていた。いますぐバッジを外していただきたい。
 さて、このばかばかしい騒動は海の向こうでも驚きを持って受け止められている。中でも米スポーツ専門局『ESPN』の幹部に上西議員の暴言騒動を伝えると「日本では、こんなクレージーな話題がまかり通っているのか」と目を白黒させ、こう続けた。
 「この騒動には2つの驚きがある。1つは言うまでもなく、議員という選ばれし立場にある人間が公然とスポーツチームの批判を繰り返していた点だ。一般のファンがファンとして批判的なことをツイートすることは程度にもよるが、別に問題はないだろう。だが、それが議員となれば許されるべきことではない。
 米国では国民がスポーツに対してリスペクトする向きが強い。その流れに逆らえば、どういう末路を進むことになるか。米国の上院議員がNFLのスーパーボウルで負けたチームや、MLBのワールドシリーズ制覇を逃した球団に突然暴言を吐いたら大変なことになるのは、まともな思考力の持ち主ならば誰だって想像がつく。
 そして、そのチームのファンとバトルを繰り広げれば、有権者への裏切り行為にもつながりかねない。もう議員としてファイヤー(クビ)だろうね」
        もう1つの驚きとは
 では「2つの驚き」のうち、もう1つは何だろう。
 「日本のメディアの姿勢だ。これだけチープな話題を何度も繰り返すことは報道全体の品位を大きく低下させることにつながる。この議員がサッカーのクラブチームに暴言を浴びせ、ファンの反感を買ったところまでは現象面として報道してもいい。だが、この議員がツイートで注目を集めようとしている疑惑が出た時点で、各メディアは一斉に無視するべきだろう。
 この議員を中心にスポットライトを当てて報じ続けていけば彼女にのみ主張の場を与えることになり、反感を覚えるファンの意見はほとんど反映されないので、完全な偏向報道になってしまう。この騒動に関する日本のメディアの報道姿勢は非常に不可解だ」
 筆者も同感だ。今回の騒動によって浦和レッズのサポーターの方々はとても嫌な気持ちになったはず。いや、それ以外のスポーツをこよなく愛する人々もプレー以外の部分において何も生まれることのないバトルを見せ付けられたことできっと虚無感にさいなまれたと思う。
 日本の大手メディアも、ただ面白おかしいからと先々を考えずやみくもに何でも話題を取り上げるのではなく、『ESPN』の幹部が指摘したように、有益な結論に結びつくかどうかを常に念頭に置きながら取捨選択することが必要だ(今後、筆者もこの問題については触れない)。そして、立場のある人間は炎上商法にスポーツを利用してはいけない。利用されて傷つくのはファンであり、当事者の選手たちだからだ。
2017.7.29 19:26 産経新聞
http://www.sankei.com/politics/print/170729/plt1707290040-c.html
 さて、まさに害悪である・
  「日本のメディアの姿勢だ。これだけチープな話題を何度も繰り返すことは報道全体の品位を大きく低下させることにつながる。この議員がサッカーのクラブチームに暴言を浴びせ、ファンの反感を買ったところまでは現象面として報道してもいい。だが、この議員がツイートで注目を集めようとしている疑惑が出た時点で、各メディアは一斉に無視するべきだろう。
 この議員を中心にスポットライトを当てて報じ続けていけば彼女にのみ主張の場を与えることになり、反感を覚えるファンの意見はほとんど反映されないので、完全な偏向報道になってしまう。この騒動に関する日本のメディアの報道姿勢は非常に不可解だ」<上記より抜粋>
  さて、いつもいつも「産経新聞」といえば「保守系」とかなんとか言われているが、はっきり言って、この産経新聞が上西小百合議員を擁護する必要性は全くない。これが安倍内閣とかであれば、そのようなうがった見方ができるので、あえて私もここに記事はしなかったと思うが、基本的に上西議員はどうでもよいという感じでしかないであろう。。
  その産経新聞の取材の中で、外国人のメディアが「チープな話題」としていることは、なかなか興味深い。上西議員を擁護する必要がない状態で、このような批判があるということは、まさに「日本のメディアの腐敗」というような感じがしないでもないのである。
  特に「彼女にのみ主張の場を与えることになり、反感を覚えるファンの意見はほとんど反映されない」という部分は異常に重要であり、日本のメディアが「浩平通率のつもりで、片方の主張ばかりを報道している」ということになり、日本の偏向報道そのものの潜在的な内容がここに指摘されている問うことになるのである。そのような内容が海外から指摘されながら、多くの国民がこれを見て大喜びをしているというのは、あまりにもおかしい。
  それでも、この事件から数週間たって何らかの「結果が出ている」ならばよいが、単に印象の悪い不快感があるだけで、何も社会的に影響があったり、あるいは何か役に立つことがない、まさに公共の電波の「無駄遣い」でしかない。
  「公平性がない」「潜在的な偏向報道」であり、なおかつ「社会的な役に立たない」では、日本のマスコミの問題点が完全夷浮き彫りん位されてしまっているような気がする。まさにそのことが今の「病巣」の中心部であり、なおかつ、日本のマスコミに対イて、多くの視聴者が「くだらない」「信用できない」といっている中心的な原因であるという気がしてならない。
  マスコミは根本的に何か考え直さなければならないのではないか。

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【土曜日のエロ】 入店客数が少なくなったと奉じられる「ラブホ」の中で行われていること

【土曜日のエロ】 入店客数が少なくなったと奉じられる「ラブホ」の中で行われていること
 ラブホテルといえば、まあ、やることは一つである。土曜日のエロは、基本的には「そのやること」を中心に物事を進めているのであるが、とうぜんにホテルの中というのは「やること」があるために、基本的には秘密が保持され、その秘密保持の上で成り立っているものである。
  これは、実は他のホテルでも同じでるが、普通のホテルの場合、当然に例えばハウスキーピングのように、従業員が中に入りその時に点検することができるようになっているし、また、何か怪しいと思えば、廊下などのパブリックスペースを使って中の様子を怪しまれずに伺うこともできる。これはビジネスホテルでシティホテルでも一緒である。なおその中でもホテルでの犯罪や自殺が多いのは、結局は部屋数に対比して従業員数が少なかったり、あるいは、部屋数に対応しただけの監視体制ができていないということになる。それでもパブリックスペースに防犯カメラなどが設置されていることも少なくないために、何とかカバーできるような状態になっているのである。
  同時に通常のホテルの場合は宿泊が基本的には目的であって、「やること」は、副次的なものになってくる。もちろん、そのことをしない人も少なくないのである。その状況において、宿泊が目的であるということは、当然に、「宿泊者名簿」に名前を書くことになる。勿論、日本のホテルにおて日本人が宿泊する場合は偽名などもできるので、そのことが必ずしも抑止力にはならないものの、ラブホテルのように、ホテルマンが介在せず、また、名前などを登録することもなく、そのまま宿泊することができるというようなところは少ない。もちろん、本来は名前の記入は行わなければならないが、そのようなラブホテルは見たことがない。
  さて、要するに「目的が決まっていて」そのために「個人を特定できない」状況で「長時間密室で男女がいても怪しまれない」という施設になるのである。
  当然にさまざまなことが行われることになる。
ドラッグに援交、違法な売買「ラブホで本当にあった怖い話」3つ
 みなさんがいつも何気なく使っているラブホテル。予約いらずで、身分証明書も不要。ふらっと“そんな気分”の時に入れるラブホテル。しかしそこは、誰でも気軽に入れるだけあって事件が絶えない場所。薬の売買なんかもホテルの室内で行われたり、かつてそこは殺人現場だったなんてことも......。ラブホで働くスタッフに聞いた!本当に怖い話をご紹介しましょう。
1:ベッドの下に無修正DVD!?
 ラブホのスタッフによるとお客様が帰り清掃に入った際、ベットの下から大量の無修正DVDが見つかったそう。
販売目的の所持は犯罪
無修正DVDの販売は日本では禁止されていますね。おそらく販売目的でDVDを大量生産し、そこで売買が内密に行われたか、処理に困ったために置いていったか。
 どちらにしろ犯罪の現場に使われたようなニオイがしますね。
2:ドラッグ使用の跡
 これは間違いないですね。お客様の使用後、ドラッグ使用の跡が見つかるなんてよくある話だそうです。
 誰にも見られない場所?
 なんといっても、ラブホテルでドラッグを使用しても見つかりにくいですからね。泊まる際に身分を証明する必要もなければ部屋にカメラもありません。
 普通のカップルに扮して犯罪者が紛れていると思うとホテルのスタッフも怖いですよね。いつ自分が犯罪に巻き込まれるかもわかりません。
3:頻繁に起こる火事
 3つめ、ラブホ街ってじつは頻繁に火事が起こるらしいのです。狭い路地に入ってくる消防車や救急車、ホテルのスタッフは頻繁に目撃しているのだとか……。
 建物が古いから?
 ラブホテルって古い建物が多いんですよね。たまに新しい建物もあるけれど田舎なんて特に自分が小さいころかずっとあるラブホテルなんてありませんか?
 そのため、火災に関する設備が整っていないこともあるし、他にもタバコの火やSMプレイの蝋燭(!?)が原因なんてことも。
 ホテルに泊まっている際に火事に巻き込まれそうになったら、まず最初にパンツを履きましょう!
4:援交現場
 また、明らかに援助交際であろう若い女性とかなり年上の男性、不釣り合いなカップルが頻繁に訪れるそう。
 アンケートに「助けて」メッセージ!?
 ホテルのスタッフは警察ではありません、一般人なので明らかにおかしいカップルが来店しても個人のプライベートには一切立ち入ることはできないのです。
 今回話を聞いたホテルのスタッフの1人は、明らかに不釣り合いなカップルが訪れた際に、違和感を抱くも何も言うことができずに彼らに部屋の鍵を渡したそう。
 しかし、やはり拭えぬ違和感にそのスタッフは、たまたま部屋の番号を控えておいたのだとか。
 彼らが部屋に滞在している間、特に変わったことはなかったそうです、……ところが。
 彼らが帰って清掃に入った際、部屋に置いてあるアンケートに「助けてください。私は脅されて連れてこられました」というメッセージが。
 このメッセージには自分の身分と男性の特徴が事細かく書いてあったそう。その後スタッフは警察に通報し、その事件は無事に解決。
 解決したけれど、ここでいろんな事件が起きているのかと思うと、改めて本当に怖いと語ってくれました。
 どうでしたか? 普段何気なく利用しているラブホテル。まさにあなたが泊まっこの部屋でさっきまで何かの事件の現場となっていたかもしれませんよ。
2017年07月23日 22時00分 Menjoy!
https://news.nifty.com/article/item/neta/12157-311250/
 さて、「やること」をしやすいように「個人が特定されず」なおかつ「秘密性が高い」ということは、その中で何をしてもおかしくはないということになる。そのことは当然い「犯罪」に関しても同じであり、「時間」を区切ってそのような行為を行える状態の場合は当然に、「できる」ということになる。
  上記の記事にある通りに、まさに「犯罪の温床」であるともいえるが、しかし、そもそも「目的の行為」というか、そのことを目的にすること自体が、社会的に恥ずかしいこととか秘め事というように思われていることになるし、一方で、その欲望は基本的には、抑えることができない人も少なくない。そのように考えられて存在している施設であり、入店客数が減っていても、その中において、その存在意義に必要性があれば、まさに、存在が継続売る「必要産業」といううことになる。
  さて、その中で、そもそも「不倫」の現場になることが多く、そのために様々なことが行われるのであり、それ以外にも、上記のような犯罪行為の温床となる問うことにある。しかしよく考えてみれば「男女の行為」そのものが、「秘め事」とされていることから、このような場所が必要であり、そのほかの「秘密の行為」も同様に行われる環境があるということにほかならない。しかし、逆に「秘め事」を「オープンな行為」にしてしまえば、当然に、女性団体とかがばかなことを言い始める。あれも男性に相手にされない女性の妬みでしかないような気がしてならないのであるが、そのことは、今回の内容とは異なるので、辞めておこう。しかし、それがオープンな行為になると、なぜか「犯罪に結びつく」とされてしまう。しかし、秘め事としてこのような状況になっていることの方が犯罪になる可能性があるのだ。
  まさに、「エロ」に対する社会的な認識が、そのまま「犯罪を行う人間の心理」に合致するということになってしまい、エロを疑似犯罪であるかのような扱いをしながら、エロの必要性を認めてしまっていることから、このような犯罪が亡くならないというような状況になってしまうのである。
  以上のことから、エロをもっと公然的なものにすべきではないのか。もちろん、所かまわず行為をするというのではないが、エロを行うことに関してもう少し寛容な社会と、その分別がわかる教育をしっかりと行うべきであると考える。

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BBCが放送した「日本の若者のセックスレス」に関して日本文化と若者に思うこと

BBCが放送した「日本の若者のセックスレス」に関して日本文化と若者に思うこと
 政治や経済のことばかりを書いているが、たまには、そうではないことを書きたくなるものである。ちなみに私は本質がスケベにできているので、どうしてもそのような内容になってしまう。もちろん、それ以外にも「女優」とかのこともあるが、単純に女性関係の記事になってしまうのである。まあ、これは人間の本質であるからある意味で仕方がないことなのかもしれない。そのために毎週土曜日には「土曜日のエロ」を書いているのであるが、その土曜日だけではストレスが溜まってしまったり、あるいは、書きたい記事が二つ以上あったり、というようなことになってしまうこともあるので、その場合は、ちゃんと「書く」ということをしてゆこうとオム。
  さて、今週はそのように考えると、かなり難しい記事が少なくなかった。
  「全人代に向けての中国の権力闘争の話」「文在寅大統領が日米を無視し北朝鮮と話し合いをするという左翼平和主義者の妄想の話」「北朝鮮のミサイルが飛んできた場合に、左翼主義者が妨害して防衛ができなかったことに対して補償を求めることができるのか」ということなど、さまざまに、書いてきている。はっきり言って、疲れた。
  そのために今日は、海外の日本の「セックスレス」に関して考えてみようと思う。
  そもそも、片方で「青少年保護」といい、青少年のうちに、男女関係などを過度に見せなくしている。そのことによって、犯罪なども抑制されているかもしれないが、逆に、大人にのあり損ねてしまっている人も少なくない。同時に、「除菌」などを強調することによって、若者の間に「潔癖症」が増え、また、「二次元」のおかげで「自分の都合で自分の理想を相手に押し付ける」というような癖のある若者(当然に例外ではあるが)ができてきてしまっているのである。
  そのように考えた場合、日本のセックスレスは、ある意味において「日本の文化的な問題」であり、同時に「日本の教育」の問題ではないかという気がしてならないのである。その日本の「文化的」「教育的」問題を、海外から見たらどのように映るのであろうか。そのことは、ある意味で個人的にはさまざまなアンケートや話し合いを行っているのであるが、しかし、それをさすがに組織手に行ったことはない。そこで、そのようなアンケートや番組がないのかということが気になっていたのであるが、そのようなニュースが出てきたので、そのことを今日は扱ってみようと思う。
BBCが日本の若者のセックスレスを特集 海外視聴者からは「社畜にとって愛は価値がない」「アニメの見過ぎ」という声
 英BBCが7月、日本の若者のセックス離れをテーマにした「Sexless in Japan」という動画を公開した。アニメの影響で異性に興味がない若者が増えている、という内容で、フェイスブック上などで300万回以上も再生され、海外ネットユーザーから多数の反響が寄せられている。
 動画では、18~34歳のうち43%の人が性経験がなく、64%は交際相手がいないという調査結果を紹介し、「なぜ日本人はセックスすることをやめたのか」と問いかけた。
 24歳女性「セックスは自分にとって必要なものだと思わない」
BBCの取材を受けたお笑い芸人、あの松井さん(26)は「傷つきたくない」と話す。
 「ずっと昔から女の子にモテなくて、女の子に告白とかはしたんですけど、振られちゃって自信がなくなった」 「僕みたいな人は結構いますね。女性を怖い存在だと思っているんです。傷つきたくないんです。それで趣味やアニメ・漫画に逃げてしまうのが僕らみたいな人種」
 アーティストのろくでなし子さんは、「人間関係というのは一から築いていかないといけない。女の子をデートに誘うとか気を遣うじゃないですか。そういうのが面倒くさい」とコメントした。
 動画に登場した24歳女性も「性欲より食欲、睡眠欲の方が大きい。自分にとって(セックスは)必要なものだと思わない」と語る。全体的に、他人との深い関係性を拒絶する日本の若者たち、という構成になっている。
 「いずれ世界の他の地域もこの問題に直面するだろう」という声も
 海外の視聴者の中には、アニメやポルノがセックスレスを引き起こしているというBBCの結論について、「(日本人の男性は)きわどいアニメや漫画の見過ぎだ」と書き込む人もいた。
 また、日本人は会社に滅私奉公しているというイメージが強いのか、「会社への隷属に基づいた日本では、愛は追及する価値のあるものではないんだ」という書き込みも寄せられていた。
 あの松井さんが「傷つきたくない」と語ったことに対して、女性からは「拒絶されることを怖がっているなんて、13歳の子どもなの?誰でも拒否されることはある」といった厳しい声もあった。日本の若者は繊細すぎる、と感じた人もいるようだ。
 しかし、BBCの報道には不正確な点もある。動画を日本語で紹介したBBC NEWS JAPANの記事によると、日本の若者の4割は性経験がない、というデータは国立社会保障・人口問題研究所が2015年に実施した「第15回出生動向基本調査」が出典になっている。
 同調査によると、性経験がないと答えたのは18~34歳の未婚男性の42%、未婚女性の44.2%に上る。また異性と交際したことがないと答えた18~34歳の未婚男性は69.8%、未婚女性では59.1%だった。あくまでも未婚の男女に限った話であり、BBCの紹介の仕方は誤解を招きかねない。
 ただ、動画を見た人からは「日本人は賢いのだ」と評価する声も出ていた。
 「セックスと生殖は原始的な動物の本能によるもの。人間はそこから進化すべきだ」
 セックスレスは今後、他の国にも広がるのではないかという意見もあった。
 「いずれ世界の他の地域もこの問題に直面するだろう。セックスレスは日本の文化よりも、インターネット文化と関係がある。若者は現実から切り離されて、現実の関係を築けなくなっているんだ」
 また「いずれ男性は性欲から自由になれる。インターネットが男性を自由にする。女性も男性がいなくても生きていけるようになり、男性から好かれなくてもよくなった」とセックスレスの風潮を評価する人もいた。
2017年07月16日 09時00分 キャリコネ
https://news.nifty.com/article/economy/business/12117-6697/
 18~34歳のうち43%の人が性経験がなく、64%は交際相手がいないという調査結果<上記より抜粋>24歳女性も「性欲より食欲、睡眠欲の方が大きい。自分にとって(セックスは)必要なものだと思わない」<上記より抜粋>「僕みたいな人は結構いますね。女性を怖い存在だと思っているんです。傷つきたくないんです。それで趣味やアニメ・漫画に逃げてしまうのが僕らみたいな人種」<上記より抜粋。
  さて、この言葉を見て、皆さんはどのように感じるであろうか。一つには「傷ちいたことがないから傷つくことに過度に恐れている」ということになる。このことこそ、今の日本を完全に出てきているのではないか。子供に対するか保護は「モンスターペアレンツ」などという現象でわかる通りに、「権利の主張」ばかりで「集団や公に対する義務または責任」を完全に放棄してしまう。その義務と責任の感覚がない。そのことが最も大きな問題である。
  私自身は、現在の日本社会の内容は、「左翼右翼」とか「革新保守」というような対立の構図ではなく「公に対する責任と義務」を重視する立場と、「公や社会から何かを搾取する権利主張者」の対立であると考えている。その対立の内容が「義務と責任」という人が「保守」であり「国を守る」といい、「権利主張者」は政府に対してあれもやってくれないなどといい、権利の主張をする。実際に、そのようにして不満がたまれば、そのまま「政府が悪い」といい、そのことが左翼主義者の「不満の分子」ということになるのである。そのうえで、「批判票の受け皿」となる。単純に、左翼主義者といわれる権利主張者が「義務も責任もなく」単純に「不満の醸成」をしているのはそのことであり、彼らにとっては政策を作ることではないのである。
  「いずれ世界の他の地域もこの問題に直面するだろう。セックスレスは日本の文化よりも、インターネット文化と関係がある。若者は現実から切り離されて、現実の関係を築けなくなっているんだ」<上記より抜粋>
  まさに、イギリスにおいても同じような状況であり、そのことが「過保護に育てられた少子化世代の若者」において、同様の問題が存在する。同時に、「一人っ子政策」を行っていた中国などは「国家を上げて責任転嫁をする」というような状況になってしまうのであり、その内容をいかに排除するのかということが最も大きな内容になるのである。
  そのように考えれば、基本的に、この「セックスレス」「少子化」の問題は社会や文化の問題になりうるのである。
  さて、今日はかなりまじめに書いてしまったので、明日の「土曜日のエロ」はもっとはじけたことがかけそうだ。

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