日記・コラム・つぶやき

重大なお知らせ

重大なお知らせです

いつも「宇田川敬介のC級ニュース解説と宇田川的ぼやき」をお楽しみいただきありがとうございます

2005年11月に始めて以来、初めのうちは週一を目指していましたが、そのうち毎日更新になったブログです。

まあ、様々なありました。

この度、ブログのリニューアルを含め
また今年春のこのブログのプラットフォームココログの不具合による投稿できなかったことなども踏まえ
また「平成」から「令和」に代わるにあたって
何か新しくしたいと思い立ち、
ブログをアメブロに移し、
「宇田川源流」
としてリニューアルしたいと思います。

新しいブログは

https://udagawa-keisuke.themedia.jp/

になります。

すでにいくつか記事を挙げております

なお、引っ越し作業などがありますので、
「宇田川源流」のスタートは5月7日くらいからを予定しております。
10年間毎日更新でしたので、引っ越しに従って少しお時間をいただこうと思います。

今後もよろしくお願いいたします

そしてありがとうございました

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マスコミ批判に関する一考(436) 新元号「令和」に関する「狂奏曲」を考える

マスコミ批判に関する一考(436) 新元号「令和」に関する「狂奏曲」を考える  4月1日に、5月からの新元号である「令和」が発表された。現行憲法においては国民主権でありなおかつ、今回は今上陛下が在位の途中に退位され、東宮殿下に譲位されるということであり、あらかじめいつ元号が変わるかがわかっているために、事前にマスコミを含めて様々な人が大騒ぎをする。この傾向は昨年の夏くらいから大きな内容になってきていた。最も驚いたのは「平成最後の夏休み」である。夏休みは「平成」であることも関係ないし、また次の年号、当時はわかっていなかったが「令和」になっても普通に夏休みは来るのである。 つまり「平成最後」などと冠をつけているが、「平成最後」ということをつける意味が全くないことすべてに平成最後とつけているということが、あまりにも大騒ぎし過ぎで気持ちが悪いのである。その気持ちの悪さは、たぶん、営利目的のバレンタインデーやクリスマスと同じで、国民をあおって何かを動かそうとするような何かそのようないやらしさを感じる。そのいやらしさが国民に伝わってしまっているということを、本人たちはまったく気にしていないのか、それくらいのマーケティングもできていないというような状態が現在の新聞の病巣なのである。 それでも「次の年号が決まる」ということになれば多めに民なくてはいけないかもしれない。さすがに「決まる」となれば、現在でも「平成」という色紙を掲げた小渕恵三元官房長官(当時)が何回も出てくることを見れば、やはりそのような話は出てくるのではないか。 しかし、ではその年号に関してその裏話までん根掘り葉掘り話を聞き、そのうえその話が「フェイクニュースになっている」というようなことでは、何のための報道かわからないのではないか。 「令和」考案者を報じるメディア続々 ネット「マスコミの権力誇示」の声も 政府が公表しないとした新元号「令和」の考案者などについて、各メディアが次々に報じている。  こうした報道に対し、ネット上では「迷惑がかかる やめれないのか?」といった疑問や反発する声もあがっている。    本人が秘匿を希望している、と菅長官が説明  考案者などを公表しない理由として、菅義偉官房長官は2019年4月1日の会見で、本人が秘匿を希望しているほか、公表すれば特定の個人との結び付きが強調されることを挙げた。  安倍晋三首相も同日、NHKのテレビ番組出演で、令和の選定過程について、前例にならって、30年間は非公開とする考えを示した。公文書管理法施行令の規定に沿ったものらしい。  ところが、大手新聞などでは、元号発表の1日のうちから、考案者についてほぼ断定するようなニュースをサイト上で流した。さらに、政府が発表しないとした元号の候補案やその数、ほかの候補の考案者らも次々に報じた。  また、令和の考案者とされた万葉集研究のある第1人者にも、発表前後に直接取材し、本人は、「私は関係していない」「ノーコメント」などと困惑げに答えたと伝えている。  これに対し、ツイッターやニュースのコメント欄などでは、メディアの報道などに疑問や反発の声が次々に書き込まれている。「何でもかんでも、報道すれば良いのでは無い」「迷惑がかかる やめれないのか?」「マスコミの権力誇示の意図しか感じられません」などだ。  中には、報道の規制まで説く向きもあった。また、漏らしたとされる政府関係者について、責任を問う声も上がっている。    令和考案者が窮屈な立場に?  もっとも、「政府が人選などを事後的に明らかにしてこその国民主権」「公金使って決めてんだから公知の情報に決まってる」とメディアを擁護する声も一部にはある。  令和考案者とされる有識者の名前が報じられたことで、実際に、元号と個人との結び付きを勝手に推測する動きも出ている。  万葉集から名付けた令和は、中国・後漢時代の張衡(ちょうこう)の詩「帰田賦」に由来していると一部で指摘されている。  帰田賦は、当時の政治腐敗に耐え切れずに帰郷したときの心情をうたったともされている。さらに、考案者とされる有識者は、憲法9条を守る運動をしている市民団体のサイト上で賛同者の1人として挙げられている。こうしたことから、令和の元号名は、政府への皮肉を込めたものではないかとの根拠不明の憶測がツイッター上などで流れている。  一方で、メディア側では、たとえば時事通信が3月26日の記事で、「選考過程が不透明になる恐れがある」と指摘したほか、朝日新聞の4月3日付コラム「天声人語」では、政府が明らかにしないため、令和考案者が窮屈な立場に追い込まれているのではないかと疑問を呈している。 (J-CASTニュース編集部 野口博之) 2019年4月3日 20時0分 J-CASTニュース http://news.livedoor.com/article/detail/16262109/  「令和」という年号に関して、少なくとも、その文字が好きであろうと嫌いであろうと、また気に入ろうと気に入らなかろうと、次の年号は「令和」であることは決まっているのである。まずはほかの候補を知りたいという気持ちはわからないではないが、しかし、その他の故王甫を知るということは「令和という今回決まった年号と他の年号を比較するためのものでしかなく、令和という年号を嫌がっているということにしか感じられない」行為であり、本来天皇が決めるという年号のことをマスコミがごたごた言うほどの話ではないのである。 またその「令和」というものの港湾者も非常に大きな問題である。 ツイッターやニュースのコメント欄などでは、メディアの報道などに疑問や反発の声が次々に書き込まれている。「何でもかんでも、報道すれば良いのでは無い」「迷惑がかかる やめれないのか?」「マスコミの権力誇示の意図しか感じられません」など<上記より抜粋> このような意見があるのに対して 「政府が人選などを事後的に明らかにしてこその国民主権」「公金使って決めてんだから公知の情報に決まってる」とメディアを擁護する声も一部にはある。<上記より抜粋> 単純に、年号の決定が国民主権とは何を言っているのかよくわからないし、公金を使って決めているということもなんだかよくわからない。年号と胃伝統や文化を決めることに関して何を言っているのであろうか。また、このような書き込みもあるのだ。 時事通信が3月26日の記事で、「選考過程が不透明になる恐れがある」と指摘<上記より抜粋> そもそも年号の選考過程を明らかにする必要がどこにあるのであろうか。もちろん、それが事前に漏れていて、一部のmのが商標登録などをして特別な権利を得ているということになれば、それは話は別であるが、そのような不正もない状態で「不透明になること」がどのような不利益になるのかを、しっかり明示することが必要であろう。不透明になることの問題点は何なのか、そこの供わからずに「なんでも明らかにすればよい」というようなバカげた「権利意識」を持つこと自体が多きまま違いではないか。 マスコミの歪んだ「知る権利意識」は、まさに、「知らなくてもいいことまで開示する野次馬的な報道」になってしまってきていて、あまりにも見苦しいし、国民の意見と乖離しているのである。そのような国民の考え方すらわからないマスコミが、日本には必要なのであろうか。

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【土曜日のエロ】 性教育の手引きというものの存在とその中身が現実の子供たちの知識よりも劣っているということについて

【土曜日のエロ】 性教育の手引きというものの存在とその中身が現実の子供たちの知識よりも劣っているということについて


 土曜日のエロの日になった。様々個人的なことなどで事件があると、やはりこの文章を書いていることが最も気分が楽になる状態である。今週はさまざまなことがあった。、まあ、四月第一週でどこに行っても入社しいなど新しいことが始まるような状況になっているのであるが、その中で、なんとなく取り残されているような状況が存在しているのである。
さて、今週のニュースで私が扱わなかったのは、ゴーン氏再逮捕とピエール瀧氏の保釈である、両方「容疑者」ということになろうか。ゴーン氏のことに関しては、基本的には「法の範囲内で法律に従って行っている」といことであり、それ以上のことではない。法律の条文を行うということになれば、別段何の問題もない。しかし、わざわざそれを「陰謀論」に仕立てる人物たちがいるということがなかなか面白い。まあ、何か国家権力などに抵抗することが、何らかのステータスであるように感じている人がいて、そのステータスを感じる人々が、なんとなくゴーン氏の肩を持っているような感じになっている。明らかな法律違反を国家権力がしているんであれば問題であるが、そもそも、ゴーン氏が、法律に違反する行為をしているということが最大の問題であるということを忘れてはならない。容疑がなければ逮捕されることもないのである。
一方ピエール瀧氏に関しては、まあ、様々あるが本人も認めている状態である。問題はそこからどれくらい広がってゆくのかということが大きな問題になる。その広がりによっては大きなスキャンダルになるし、また個人の犯罪で済まされるのかということになる。
双方ともに、「国家」と「犯罪容疑者」との間の関係であり、なかなか興味深い。
では、国家と「エロ」の関係はどうなのか。当然に、「何も知らない子供」は何も知らないままなのであるが、それをしっかりと教えなければならないということになるのでhな愛か。それをどのように誰が教えるのか。そこが大きな問題になるのだ。


都教委「性教育の手引き」改定、「行き過ぎ」指導受け

 東京都教育委員会は都内の公立学校での性教育の指針となる『性教育の手引き』を改定しました。学習指導要領を超える内容の授業を行う際の具体的な事例などが初めて盛り込まれています。
 およそ15年ぶりに改定された『性教育の手引き』では、都内の公立の小・中学校と高校で学習指導要領を超える内容の授業を行う際、事前に保護者全員に説明し、了解を得られた生徒を対象にするなどの方針が示されました。
 性教育をめぐっては、去年3月、足立区の区立中学校で「避妊」や「人工妊娠中絶」といった学習指導要領にない内容を指導し、自民党の都議が「行き過ぎ」として都議会で取り上げた経緯があります。
 これを受けて、都の教育委員会は去年、都立の中学校で産婦人科医ら専門家によるモデル授業を実施し、今後も各学校で広げていきたいとしています。
 また、LGBTの児童や生徒に対する性教育のあり方についても、今回、新たに明記され、「自己の性を肯定的に受容できるようにする」、「性には多様性があり、互いに尊重し合うことが大切」といった内容が盛り込まれました。(28日19:04)

2019年03月28日 20時56分 TBS
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12198-232282/


 性教育の手引き、というものがあるらしい。残念ながら私は見たことはない。もちろん、保健体育の教科書ならば見たことがあるのだが、残念ながら、その手引書というのは見たことがないのである。
都市伝説的に、小学校高学年くらいになると、小学校で女子だけが呼ばれて何かやっているというようなことは聞いたことがあるが、残念ながら、男性だけが呼ばれて性教育を行うというようなことは全くない。当然に、そのような経験はないのである。
その経験がないということは、実体として、私は保健体育の授業以外のところで、性教育を受けたことはないということになる。私と同じように、性教育を受けたことがないまたは、保健体育以上の知識は正確に習ったことはない。
しかしである。少なくとも興味本位の「性教育」というか、まあ、そのようなことは友人や先輩から習った。まあ、習ったというよりは、一緒に学んできたというべきであろうか。教科書はもちろん、あの時代は「エロ本」である。まあ、単純に言えば、そのような本を見て、実質的に性教育を受けたような気がするのである。それが良いことかどうかは別にして、少なくともそのような本に書かれているような状況の伊津部が犯罪を構成することもそのような仲間に教えてもらったのである。
さて「都の教育委員会は去年、都立の中学校で産婦人科医ら専門家によるモデル授業を実施し、今後も各学校で広げていきたい」<上記より抜粋>
まあ、科学的にどうなるのかということを語ることは十分にありうるが、実際に、性教育は、子供たちが自主的に学んでしまう。だからなくてよい問うのではなく、もちろん産婦人科などによって様々なことを教えるのは良いが、そもそも、そのような行為を教えることよりも「道徳心」を植え付ける方が先であり、その道徳心がないのであれば、話にならない。
性教育の内容は「なければ子孫ができない」が、しかし、「社会性を無視して行えば強姦罪などの罪に問われる」問題である。つまり、性行為自体をなくすというような話や危険性を知らせるということではなく、本来は「適切に性行為を行い子孫繁栄を企画する」ということが最も重要であり、その「道徳心をつける」という教育がなされなければならない。つまりは、「産婦人科の科学的生物学的な講義」も必要であるが、そもそも道徳心や社会性を身に着けないことが最も大きな問題ではないか。日本の教育は完全に片手落ちであり、何が問題なのかがわかっていない状況であるからこのような教育が成り立ってしまうのである。
もちろん、「道徳教育は戦前と同じ」などといっているバカな教員がいることが根本的な問題であり、そのために猟奇的な事件が起きてしまっている。私は何度も主張しているが、異常性犯罪が起きた場合、その子供を育てた学校の教員の顔をさらすべきではないか。どのような教育をすれば、いやどのような教育がなかったから、そのような「性格上何かが欠落した」犯罪を犯してしまうのか、そして今後どのような教育が必要なのかをしっかりと考えるべきである。「失敗から学ぶ」ということは性犯罪でも何でも同じ。もちろん自分で失敗して取り返しがつかないことをするのではなく、失敗した経験談から自分の将来を学ぶことは重要なのではないか。

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新元号「令和」決定について

新元号「令和」決定について  4月1日、つまり昨日の11時30分を予定といいながらも10分遅れて40分に、安倍内閣は、5月1日からの元号「令和」を発表した。 新元号の出典は、日本最古の歌集「万葉集」の「梅花(うめのはな)の歌三十二首」。日本の古典に由来する元号は初めてである。 「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す」  基本的には和歌ではなく「序文」である。これは大伴旅人が、私邸で開いた宴席においてその席で梅の歌を詠んだものである。この「梅花の歌」三十二首は三十二人が八人ずつ四群に別れて詠んだもの。 「わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」  これが、その梅の宴の時に主人である大友旅人が詠んだ歌である。その中の序文であるので上記令和の含まれる文章の中に和歌の雰囲気はない。  当時、「梅の宴」というのは、現在の花見のようなものであるといえる。奈良の当時はさくらではなく梅がはあの代表であったといえ、その内容をいかに見てゆくかということが最も重要なのである。そのような文化の違いから考えてみなければ、そのもとの文章の内容を見ることはできないであろう。その辺の細やかな内容が伝わらないのではないか。そのようなことが最も重要なはずなのである。 さて、公式には今回の内容は有識者会議というものが発足しその人々が推薦し、その後三権の長が推薦をしたうえで内閣総理大臣が決めたという。最終的には天皇が決めるのが元号である。しかし、実質的には内閣が決めて、天皇が認証するという感じで、大臣などを決めるときと同じ手続きになっているという。まあ、公式でそうなっているのであるから、それ以上のことを言う必要はないのかもしれない。 「令和」発表で『万葉集』書籍が売り切れ&緊急重版 出版業界に早くも“特需”  4月1日、平成に代わる新たな元号として「令和(れいわ)」が発表された。これにより、出典となった日本最古の歌集『万葉集』に急きょ注目が集まっている。ネット通販では『万葉集』の関連書籍が相次いで在庫切れ、緊急重版を決定した出版社もあり、早くも出版業界が“特需”に沸いているようだ。  「令和」の出典について菅義偉官房長官は、『万葉集』より梅の花の歌、三十二首の序文「初春の令月にして気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」によるものであると解説。元号の典拠はこれまでほとんどが中国の古典によるものだったが、今回初めて日本の古典から引用されたとも説明した。  ネット通販のamazonでは午後5時半現在、角川書店編『万葉集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』(角川ソフィア文庫)、『万葉集 全訳注原文付(一) 』(中西進/講談社)、『万葉の秀歌』(中西進/ちくま学芸文庫)など、関連の書籍が軒並み在庫切れの状態となっている。  KADOKAWAは同日、上記の『万葉集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』および、新元号の典拠となる巻五梅花の歌32首「序」が掲載されている伊藤博 訳注『万葉集 一 現代語訳付』第一巻の2作、計1万6000部を緊急重版すると発表。「新元号の発表直後から両書籍ともに書店注文が相次ぎ、 ネット書店でも売り切れが続出。これに対応するため、各8000部の重版を決定し、追加の重版も検討中です」とコメントしている。 2019年4月1日 17時47分 オリコン http://news.livedoor.com/article/detail/16250882/ 新元号、各国メディア一斉に速報 中国やロシアなど高い関心  日本政府が1日、「平成」に代わる新元号「令和」を公表したことを受け、中国やロシアなどのメディアは一斉に速報した。韓国や台湾では発表に先立ち、元号の歴史や選定方法も詳しく報じられ、関心の高さをうかがわせた。  中国共産党機関紙、人民日報は、菅義偉官房長官が発表したと紹介すると同時に「5月1日から『令和』を新しい元号として使い始める」と伝えた。  韓国の聯合ニュースも即座に報じ、日本では「日常生活での年の数え方を表すときに西暦と共に広範囲で使われる」と紹介。主要紙、朝鮮日報は発表に先立ち、元号がどのように選定されるのかを詳細に報道した。(共同) 2019年4月1日 12時51分 共同通信 http://news.livedoor.com/article/detail/16249422/  さて、日本の天皇というのは、神話の世界では暦を決める神とされている。ご存知のように日本は「八百万の神」を信奉する「多神教」によるもので、その中で天皇自身が神の中の一人であるというような感じになっているのだ。神々には、すべての神々にその役割が決まっており、その神々の役割の中に様々な話が存在するのである。アマテラスオオミカミは太陽の神であり、ニニギノミコトは稲の神であった。そして神武天皇以来天皇は暦の神であるとされており、その暦を自由に変えることができるので、「新しい時代」として元号を作るのである。 さて本日元号が発表された時にたまたま永田町にいた。多くの警察官があり、その警察官の中に元号に反対するという不思議な人間が数名いたのが印象的である。天皇や皇室に反対するという日本人はほとんどいない。その天皇を象徴する新たな元号が存在し、その元号が新たな時代を表すとされている。 さて、今回「令」の字が評判が悪いようだ。 しかし、そもそも「律令」というものが大宝年間に、藤原不比等によって作られた。それから約1300年今もその基本法ということは憲法に引き継がれているのである。では、その「律令」とはどのような意味なのであろうか。 律令という言葉をひけば「律」つまり「法律」というような規則を「令」つまり「詔」もっと言えば天皇による命令を守るというような意味になる。しかし、実際の忌は「令」とは、「良いこと」ということであり「令月」とは「何をするにもよい月」「ないかを始める月」という意味になる。これは上記に書いたように「天皇は神であり、神に従い紙の言う通りに動くことは最も良いこと」というような意味であると考えられている。基本的に神の考え方があり、その神の支持、神の示唆する方向に関して、どのように考えるかということになる。 このへんの価値観が全く見えてこない。これは現在の教育が全くできていないことを意味する。その教育や教養に関しても新しい字ぢ兄は変わってほしいものである。

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【土曜日のエロ】 自分の裸をフリーマーケットで売る時代の教育はどうなっているのか

【土曜日のエロ】 自分の裸をフリーマーケットで売る時代の教育はどうなっているのか  土曜日のエロの日になった。いやなんとなく今週は個人的にはいろいろあったのだが、世の中的にはあまりなかったような気がする。 なんとなく今週はあまり面白いネタはなかったなと思っている、もちろん、イギリスのブレグジットの話や、あるいは、国会の来年度予算の話など、様々なものがあったのではあるが、残念ながらその内容に関しては今までの続きというような感じでしかない。 このような週は本当に様々苦労することが少なくない。 まあ、実態としては、習近平がヨーロッパに行ったり、様々なことがあったのであるが、どれもこれといって何かがあったというような話ではなく、あまり私個人として魅力を感じるものがないというような感じであっただけかもしれない。 実はこのような時に、目を皿のようにしてみなければならないことが少なくない。このような時に裏では様々なことが動いているのであり、その動いていることに注目していると、次のことがわかるような仕組みになっている。たとえばトルコのリラが大暴落していることや、ブレグジットで、イギリスの議会が対立していること、ブログにも書いたが、イタリアとフランスドイツが違う判断を中国に関してしていることなど、様々な問題が出てきている。これらの動きがどのように考えるのか、それをどのように見るのかということが大きな問題になるのではないか。 さて、では今起きている現象を見るには、少し前の流行を見ればよい。 例えば「ネットのフリマーケット」つまり「フリマアプリ」が流行った。その内容に関しては、例えばZOZOTOWNなど、時代の寵児になって月旅行を計画するようなところもあれば、また、芸能人と付き合ったり分かれたり、まさに、時代の寵児になったネットの人々というような感じになる。 当然ん位、新しいシステムができれば、新たな犯罪が出る。 そして「新しい技術」は必ず「新しいエロ」につながるのである。 フリマアプリ悪用、女子中高生3人自画撮り販売  代金を受け取る方法として「フリーマーケットアプリ」を悪用し、自分の裸の画像を売ったとして、福岡県警は20日、児童買春・児童ポルノ禁止法違反(不特定多数への提供)などの容疑で、女子中高生3人を福岡地検飯塚支部に書類送検したと発表した。フリマアプリの使用は個人情報を知られないためとみられ、3人は「洋服やアイドルグッズを買いたかった」などと容疑を認めているという。  発表によると、愛知県と埼玉県の高校生(ともに17歳)、東京都の中学生(15)。2017年6月~18年9月、それぞれツイッター上でわいせつな画像の購入者を募集し、不特定多数に提供した疑い。  3人はSNS上で「売り子」と称し、「自画撮り」した写真や動画を1000~4000円程度で販売。イヤホンなどを、“ダミー商品”として購入者にわかるよう目印を付けてフリマアプリに出品、商品は送らずに入金を確認したうえで画像を送信していたという。3人は約2年間で26万~150万円程度を稼ぎ、「インターネットで知り合った人に稼ぎ方を教わった」と供述しているという。  県警は「自画撮り」画像の購入を募る記述をネット上で見つけ、捜査していた。3人は、購入者に銀行口座などの個人情報を知られずに代金を受け取れるフリマアプリの決済方法に目を付け、悪用したとみている。  また、県警は、画像を購入、所持したとして、愛知、神奈川両県の男5人(27~55歳)を同法違反(自己性的目的所持)の疑いで書類送検したと発表した。 2019年03月20日 22時18分 読売新聞 https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-20190320-50273/  これらの犯罪も徐々に巧妙になっている。なかなか面白いとしか言いようがない。 3人はSNS上で「売り子」と称し、「自画撮り」した写真や動画を1000~4000円程度で販売。イヤホンなどを、“ダミー商品”として購入者にわかるよう目印を付けてフリマアプリに出品、商品は送らずに入金を確認したうえで画像を送信していたという。<上記より抜粋> まさに、このようにダミー商品があり、それを買ったら画像を送るという方法はなかなかすごい話だ。 さて、私の幼いころなどはデジタルカメラというシステムがなかったので、なかなか大変であった。しっかりと写真で撮って現像しなければならず、あまり変な写真をもってゆけば、自分で現像する以外写真店で削除されたり、あるいは警察に通報されたりする。しかし、デジタルカメラができたのちに、その場で自分たちの撮った写真を見ることができるようになった。また印画紙に出さなくてもできるようになったのである。そしてネットの普及。このことによって、われわれが幼いころに「あこがれ」た。大人の象徴である「ビニボン」や「ポルノ映画」は姿を消してしまい、子供でも手軽に入るようになってしまったと考えているのである。 ある意味で、「エロの年齢ボーダレス化」がデジタル革命とネット革命によって起きてしまったということになる。 そしてそのボーダレス化を起こした後SNSやアプリの発展によって「参加型」になってしまったのである。はっきり言うが、これはほかの社会の流れもすべて同じであるがエロが最も顕著に表れる。ネットという匿名性の環境が、何でもできると誤解するようで、子供たちが背伸びをしてそのまま様々なことを行うということになる。これは、今年出てきたバイトテロというような現象も同じだ。 さて「参加型」とは、エロの場合「自分の裸を売って金にする」ということ、つまり、今までのエロはこちらが金を払って買う客側であったのに対して、参加型とは「売る側」に代わってきたということを意味しているのである。 さて、これを防止する方法は、何か。単純に、この女性たちに「恥」を教えなければならないということになる。東郷平八郎は自宅の近所にできた大妻大学の行動に「恥を知れ」という色紙を送った。「恥は知らないから恥ずかしいことをしても平気でいられる。恥ずかしいということを知ることが、恥ずかしいことをしないことにつながる」ということを開所式の講演で言ったというのである。 まさに、「勉強」ばかりで、なおかつ道徳教育がなくなった現在の学校教育、そして、男女共働きによって家庭教育ができていない現在の世の中において、子供たちん「恥の教育」をするのは誰なのか。 はっきり言うが、このような犯罪に関しては、その教育に携わった人をすべて公表すべきではないか。この人々は「恥」を教えなかったということを明らかにすべきであると考えるのである。そのような道徳教育がなければ、このような犯罪は継続するし、また、この犯罪に関して新たな技術ができれば、次々と新たな犯罪が生まれることになる。

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【土曜日のエロ】 女性ファッション誌に書かれた「人妻になってから持てる」という不倫の告白の解釈論

【土曜日のエロ】 女性ファッション誌に書かれた「人妻になってから持てる」という不倫の告白の解釈論
 土曜日のエロの日になった。今週は本や元寇に追われてしまい、なかなか落ち着いた内容にならない状態である。そのために、なんとなく大きな問題があっても見過ごしていたという感じがある。まあ、正直に言って自分の個人のことがかなり忙しくて、大変であったということなのである。
  まずはNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」(2020年1月放送開始)の人気にあやかって、というか京都の亀岡市の皆さんとともに、大河ドラマを盛り上げるということで書いた「時を継ぐ者伝 光秀京へ」(振学出版)ができた。正式な発売は13日だそうだが、まあ、本屋に並びつつある状態である。この本の発売に合わせて、様々なことをしなければならず、そのために様々な調整をするなどがあって大変であったということになる。まあ、正直に言って疲れたという感じであろうか。
  一方、その大河ドラマ関連で、現在の「いだてん」に出演中のピエール瀧容疑者が、麻薬取締法違反容疑で逮捕された。今年の大河ドラマ「いだてん」は、日本で初めてオリンピックに出た金栗四三氏の話であり、その間に戦争のような大きな時代の節目がないということと、やはり脚本家の個性から少々ドタバタしたドラマ仕立てになっている部分がある。朝のドラマならばよいが、大河ドラマに関してはある程度重厚な内容を求めている人が少なくない部分が多い。なぜならば大河ドラマは、やはり日曜の夜ということもあって男性社会人の視聴者が多いことから、そのような「男性のドラマ」を求めている人が少なくないのではないか。
  その中で重要な役割をしているピエール瀧容疑者の逮捕は、かなり大きな問題になっているような気がする。まあ、ちょうどドラマはストックホルムに行っている場面であり、そのために、瀧容疑者が出ない部分であるが、しかし、今後のことを考えると、なかなか難しい判断をNHKは迫られるのではないかと思う。
  まあ、芸能のことは普段のブログではあまり書かないので、なかなかこのようなことは書かない感じである。
  さて、その麻薬、単純に麻薬で精神的に楽になるというのと、性的な快楽を増すというような効果もあるらしい。まあ、私は使ったことがないのであるが、そのような「背徳の香り」は、麻薬という物理的な薬物を使わなくても、精神的な高揚感を得られるのかもしれない。
人妻になってからモテるの…不倫中の女友達からの「勘違いLINE」
 不倫をしている女友達がいると、びっくりするような言動を目の当たりにすることがあるようです。そうした経験がある女性3人に、お話を伺ってみました。
【みんなの恋テク】
   「人妻になってからモテるんだよね!」
「私と友人は、既婚者同士。2人とも子どもはまだいなくて、割と頻繁に連絡を取り合っていたんです。だけど彼女、早く子どもが欲しいのに夫に取り合ってもらえないと嘆いていたんですね。そんななか、不倫を始めたようで。たまに不倫相手との惚気話がLINEで来ていたんです。うんざりした私は『不倫なんてやめて家族を大切にしようよ』と伝えました。すると『前から思ってたんだけど、結婚してからやたらモテるんだよねー。ユウコはそうでもないの? 私に人妻っていう肩書きができたらちょっと響きがエロいのかも(笑)。モテ期は堪能しなきゃ!』って。人妻になったらモテるって、遊びたいだけの男性になめられているだけじゃ……と正直思いました。勘違い発言も不倫の惚気話もウザいので、最近は既読スルーぎみです」(ユウコ?仮名?/29歳)
   「夜の生活がうまくいってるとハリが出るの」
「ある日、学生時代の友人から突然LINEが来たんです。内容は、既婚者と不倫しているというもの。割と大人しいイメージがあったので、内心びっくりしました。彼女とはそんなに仲が良いわけではなく、噂で結婚したとは聞いていました。要するにW不倫です。不倫している有名人のニュースを見ることもあるので、知り合いに当事者がいてもおかしくないか……とLINEを続けていたんですけど、だんだん気持ち悪くなってしまって。『早くに結婚して子どもを産んだから、後悔してばっかり。子どもはかわいいけど夫がサイテー』『不倫相手は夫と違って私を求めてくれるの。夜の生活がうまくいってると、ずっと気分が良いのよね』『夫はATMよ。彼にも家庭がなければ、私も早く離婚するのになぁ』。そもそも不倫って体目当てなんじゃ……? 求めてくるって、当たり前のような気がします。こんなLINEを他の同級生に送っているみたいで、うざがられていると後に知りました」(シズカ?仮名?/33歳)
   「結婚してても良い出会いはあるのよ」
「趣味のサークルに体験参加してみて、そこでたまたま出会った女性がいるんです。話が合ってLINE含めたSNSを交換したんですが……。SNSを見ると、男性に囲まれた彼女の姿が。若い女性も写っていました。彼女は40代だし既婚だし……こうした写真がたくさんあるので、どうしてこんなに遊びにいけるのか疑問だったんです。でもその疑問も解けました。『リンちゃん、今度みんなで飲みに行かない?』と突然のお誘いLINEが。『男の子も女の子もたくさんいるし、楽しいよ』と。私は『彼氏が嫌がると思うので遠慮させてください』と断ったんですね。すると『えーもったい無いよ! 男はひとりじゃないんだから、楽しまなきゃ。私は結婚してるけど、こういうところで良い出会いを見つけてるの』といったLINEが来ました。家庭をないがしろにして遊びまくっているのか……とドン引きしました。結婚していながら良い出会いを探すって、おかしくないですか?」(リンナ?仮名?/26歳)
 こんな強烈なLINEが来たら、返答に困ってしまいそうです。聞いているだけで、即ブロックしたくなる気持ちになりました。
2019年03月08日 21時00分 ananweb 文・西田彩花
https://news.nifty.com/article/item/neta/12270-213468/
 『前から思ってたんだけど、結婚してからやたらモテるんだよねー。ユウコはそうでもないの? 私に人妻っていう肩書きができたらちょっと響きがエロいのかも(笑)。モテ期は堪能しなきゃ!』って。人妻になったらモテるって、遊びたいだけの男性になめられているだけじゃ……と正直思いました。<上記より抜粋>
  さてさて、男性のエロの話というのは、意外と明るい感じのものが少なくない。まあ、男性重視というのは、ある意味で女性は保護されているということを意味しているのであろうが、しかし、その保護されていることが嫌になってしまう女性も少なくない。現在の女性は「女性の社会進出」という言葉で象徴されているが、女性が男性と同じように社会で活躍することを目指しているということになる。ある意味で「女性の男性社会化」という感じになる。つまり、女性も浮気をしたりあるいは風俗営業店に行ったりというような感じになってくるのではなかろうか。このように考えると、抜粋した部分がよくわかる。「人妻という肩書」という感覚が、まさに肩書という社会人的な発想になっているし、また、「エロい」というような感じにあり、自分の遊びたいという権利を主張してしまい、同時に、家庭を守る(もちろん女性だけの役割でもないのであるが)という責任と義務(というと重たい感じもするのであるが)があまり考えられていないということになる。ある意味で、このような女性の社会感覚や権利意識が、ある意味で家庭を顧みないような風土を作ってしまっているのではないか。
  『早くに結婚して子どもを産んだから、後悔してばっかり。子どもはかわいいけど夫がサイテー』『不倫相手は夫と違って私を求めてくれるの。夜の生活がうまくいってると、ずっと気分が良いのよね』『夫はATMよ。彼にも家庭がなければ、私も早く離婚するのになぁ』<上記より抜粋>
  まさに体の関係を重視し、子供のことはあまり考えていない状況がよくわかる。男性から考えれば、相手も結婚し子供もいるので、「女性側が帰るところがある」わけであり、まああとは引きずっても、突き放して責任がないということになる。つまり男性側も「都合よく遊べる女である」ということになり、お互いの需要と供給がうまくマッチしているということになるのではないか。逆に言えば、そのような状況で家に残される子供が最もかわいそうな犠牲者ではないか。このような女性が「保育園落ちた」などといっていても、実際は道場に値するものではない。まさに、不倫ができないから保育園に入れたいというような状況では本末転倒ではないか。
  家庭をないがしろにして遊びまくっているのか……とドン引きしました。結婚していながら良い出会いを探すって、おかしくないですか?<上記より抜粋>
  まさに、このことがそのものではないか。さて問題はこのような内容が、女性ファッション誌に書かれているということである。ある意味で、女性の方が発展的であると思うし、一方で、女性の方が何かが崩れてしまうと一気に文化や家庭などを変えてしまう力があるのではないか。その感情と欲望のパワーは、ある意味、昔の人が「男尊女卑」といって家庭の中に押し込めようとしたのがなんとなく理解できるような気がするのである。
  そのうち「デリバリー不倫」のような、宅配型不倫サービスのようなものができてくるのではないか。数年な目に韓流ドラマに日本人のおばさんがかなりはまっていたのが、徐々に「実行行為化」した状況に日本人は今後どのように対応するのか、そして女性はどのように変化してゆくのであろうか。
  できればモラルを取り戻し、家庭をしっかりと守ってもらいたいと思っている男性は少なくないと思うのである。

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【土曜日のエロ】 ナンパを教える塾という存在の最終目標は何かということがわかればこの犯罪は防げたのか

【土曜日のエロ】 ナンパを教える塾という存在の最終目標は何かということがわかればこの犯罪は防げたのか
 土曜日のエロの日である。まあ、今週もなかなか様々な動きがあった感じがする。単純に言ってこの土曜日の今秋を振り返るというのはなかなか重要なことなのではないかという気がしてくるのである。
  今週のニュースで、最も話題になったのはカルロス・ゴーン被告の保釈であろう。保釈金10億円というのも話題だし、まあ、そもそもなぜ今頃保釈なのかということも和ぢ亜になった。まあ実際に、フランスのルノーもゴーン被告を解任させ、フランスもゴーン被告を見放したタイミングということになる。
  なぜか日本では話題にならないのであるが、フランスでは「黄色いベストデモ」が今年に入ってからも毎週行われており、その中において、「金持ちゴーン」の保護をするkとはできなくなったということになる。もっと端的に言えばフランスは、国内事情の解消に日産の事件を使おうとしたがかえって逆効果になってしまったということに他ならない。
  このことをうまく考えれば、あとは国内の法律の話であり、「有価証券取引法」「特別背任罪」など様々な罪があるという状態で何処で妥協するのか、あるいは、すべて無罪を勝ち取るのかということを見てゆかなければならないということになるのではないか。まあ、自ずれにせよ「フランスのルノーを含めた組織的な隠ぺい工作」の危険がなくなったということを意味し、そのために、ゴーン被告が保釈されたということになる。
 ゴーン被告はこの事情の変化を知っているのであろうか。まあ、「教える」人がいなければ、そのような状況の変化は気が付かない。「教える」というのは、その教える内容に関して単純な知識というよりは、ある程度の目的をもって、その内容を教えt、そしてある言って奉公の情報をしっかりと身に着ける必要があるということになるのである。
  では、その「ナンパ」を教えるということはいったいどのような目的になるのであろうか。そもそも男性が女性をナンパするときにはどのような目的を持っているのか。単純に、デートだけとか、その場だけ面白ければよいという人もいると思うが、その後のエロを期待している人も少なくないのではないか。
ナンパ教える「塾」講師と受講生逮捕 準強制性交の疑い
 女性に酒を飲ませて性的暴行を加えたとして、大阪府警は、自称会社役員の東海林陽介容疑者(37)=大阪市中央区=と、タクシー運転手の横矢浩一容疑者(37)=同大正区=を準強制性交容疑で逮捕し、4日発表した。府警は2人の認否を明らかにしていない。
 東署によると、逮捕容疑は2017年9月ごろ、府内のマンションなどで20代女性にテキーラなどの酒を飲ませて抵抗できない状態にした後、東海林容疑者の自宅で女性に性的暴行を加えたというもの。
 東海林容疑者はナンパの技術を教える「塾」の講師を務め、横矢容疑者は受講生だった。女性とは飲食店で声をかけて知り合ったといい、署は塾の講習の一環だったとみている。この塾をめぐっては昨年以降、塾長や別の受講生が同容疑などで逮捕されている。
朝日新聞 2019年3月4日17時03分
https://www.asahi.com/articles/ASM3454KJM34PTIL01J.html
 女性に酒を飲ませて、性的暴行を加えるというのは、まあ、基本的には準強制性交、実際に強姦罪に近い。まあ、今では強姦罪とは言わず、「強制性交罪」というそうである。
  さて、そもそも「ナンパ」というのはどうして行うのであろうか。単純に女性にもてたいとか女性を周囲に侍らせたいというような感覚があるかもしれない。しかし、単純にお茶を飲むだけの関係の女性を誘うのに、「塾」まで行くのかということが問題になる。
  以前「性行為を伴わない男女の友人関係は成立するのか」ということが、ネット上で話題になり、様々な人が意見を言っていたのを思い出す。単純に男女の家計がそのままエロに執着するのか、あるいはエロの伴わない男女関係というのは存続するのかということになる。
  実際に私のようにすでに年齢を重ね、そんなに口で言うほどエロに関して「体がすでについてこない」男性においては、エロは口で言うくらいしかできない状態になってきていて、実際にはエロを伴わない男女関係というのは山のように存在するのであるが、確かに二十代、三十代の適齢期で彼女がいない男性、彼氏のいない女性において、異性との付き合いというのは、最終的には、エロの関係がある程度念頭にあるというのが普通なのではないか。
  あとは、それから先があるかどうか、つまり、エロの関係の先に交際や乾坤というところまで想定されているのかあるいは、エロい関係だけで「遊び」で終わるのかということが大きな問題になってくるのではないか。「遊び」というのであれば、金で買えばよいのであるが、そうではない状況において「ナンパ」というのは、なんとなくエロの関係だけを目的にした状況を強く感じるのは、私だけであろうか。
  女性とは飲食店で声をかけて知り合ったといい、署は塾の講習の一環だったとみている。この塾をめぐっては昨年以降、塾長や別の受講生が同容疑などで逮捕されている。<上記より抜粋>
  まあ、講習の一環として、ナンパを行い準強制性交罪を犯してしまうというのは、やはり「エロ」で終わるということが前提であるばかりか「教材」として使われているのであるから、本人の同意がない限りにおいて、そのようなことは許されないのであろうと思う。一方、なぜこのような「塾」ができてくるのであろうか。ある意味でセクハラなどが強く言われすぎてしまい、そのために、自由にエロの話題ができなくなる。そのために男性が委縮してしまい塾などの通わなければ女性と話せないというような人が出てきてしまうのである。まあ、二次元などの影響もあると思うが、単純に男女の関係関係をうまく規定することができなくなってしまっているという現状がお最も問題である。
  もちろん犯罪は犯罪だが、そのような「塾」が生まれる社会的背景を考えるべきではないのか。

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【土曜日のエロ】 「ヌード写真集」ではなく「ヌードもある写真集」を篠山紀信が出したということは、男性のエロ目線の写真集はどこに行ってしまうのであろうか

【土曜日のエロ】 「ヌード写真集」ではなく「ヌードもある写真集」を篠山紀信が出したということは、男性のエロ目線の写真集はどこに行ってしまうのであろうか
 土曜日のエロの日になった。早くも三月である。困ったことに今年も何もしていないのにいつの間にか三月になってしまったという感じがする。なんというか、時間がたつのが早いと感じるのは、年齢が上がったからだということのようであるが、なんとなくそのようなことを気にする年齢になったのかもしれない。
  さて、今週は何があっただろうか。まず何よりも第二回の米朝首脳会談があったということになる。第二回となると、意外と注目度は低くなるものである。まあ、ある意味で当たり前のことで会う。我々は、アポロ11号で人類初の月面に一歩を踏み出した人の名前は憶えている。そう、アームストロング船長である。しかし、二番目、つまりアームストロング氏と一緒に行き、その次に月面を歩行した人の名前を言えというと、なかなか言えない。いや意識している人も少ない。名前はバズ・オルドリンという人なのだが、その名前を憶えている人は少ないのだ。
  つまり「初めて」は多くの人が注目するのであるが、二番目、三番目となると、実は名前も覚えていないことが少なくないのである。米朝会談も同じ。ましてや一回目と同じ金正恩とトランプという顔合わせである。当然に注目度は低い。ましてや、その話した内容に関しても、一回目の会談の後で、その具体化ということが話題になっているのであろうから、その内容はだいたい想像がついてしまうものである。
  人間、特に日本人は、「中を見る前に想像がついてしまうものに関しては、あまり興味を示さない」という性質がある。それは、「二番目」問うのは「一番目」とあまり変わらないということから、基本的には注目をしない。注目というのは「変化」に対してするものであって、その変化が少ない場合などは、当然に、その内容が小さくなってしまうのである。
  これは「本」でも同じだ。有名な評論家が、例えば政治に関して書いている本がある。その本は、著者と表紙にある本の題名だけで、だいたい何が書いてあるかわかってしまう。それでもその本が処女作といえば、「文章になれば何か変わるかもしれない」というような感覚になるのであるが、二作目以降になると、わかっていることを書いているということになる。
  ヌード写真集も同じである
篠山紀信氏 「ヌード写真集」と言われることに不本意…その真意とは
 写真家・篠山紀信氏(78)が24日、都内で行われた「キャンパスクイーン」卒業生で女優の結城モエ(24)、高尾美有(23)、松井りな(25)を撮影した写真集「プルミエール ラ・リューシュの館」の発売記念イベントに出席した。
 篠山氏は「平成最後の作品になった」と話し、「『ヌード写真集』と言われるのは不本意。『ヌードもある写真集』。男目線じゃなく女性に見てもらって『きれいね』と言ってもらえるような作品。男の人の中には不満っていう人もいたかもしれないけど」と新たなコンセプトに自信を見せた。
 松井は「男友達には扇情的というよりは逆にカッコいいと言われました」と照れながら明かし、結城は「ヌードイコール世の中的にいやらしい物だったりするんですけど、そうじゃなく、この空間で撮ったときに、その人が一番美しく見える形は何だろうと考えたとき、裸でいる方が自然で美しいと思って撮っていたので、カッコいいという声を頂くのはありがたい」と話した。
 高尾も「ヌードってちょっと怖いイメージもあったんですけど、ヌードイコール、女性の強さだったり生き様だったり、その人その人で出ると思う」とうなずいていた。
2019年2月24日 20時40分 デイリースポーツ
http://news.livedoor.com/article/detail/16069108/
 篠山紀信氏がヌード写真集といわれることに抵抗を示しているという。
  当然に「ヌード写真」といえば、女性の裸がそこに移されているというような感じになる。もちろん若くて美しい女性の、戦場的な裸の写真となればそれは男性にとっては非常に羨望の写真集ということになろう。当然に、我々男性は、そのような若くて美しい女性の裸などはなかなか見ることなどはできない。まあ、見ようと思えばセクハラか、あるいは盗撮か、あるいは、のぞき見、平安時代源氏物語の単語を使えば「垣間見」などという言葉が出てくるのであるが、いずれにせよ「正当な理由によってみることができない」というような感じになる。
  男性の乗ってみたい「台」が二つあるという。一つはオーケストラの指揮台であるという。音楽をやっている人でも指揮者というのはなかなかできるような話ではない。100人のオーケストラでも、その指揮者は一人しかいない。そしてそのプロを相手に、一人ですべての指揮を行うのであるから、それは、気持ちがいい。
  もう一つの「台」は「風呂屋の番台」である。あまり最近は銭湯が少なくなってしまったので、なかなか風呂屋などを見ることはないし、スーパー銭湯などは「番台」というシステムがない。そのために番台といわれても何のことかわからない人もいるかもしれない。今もそうだが銭湯というのは、男湯と女湯の真ん中のに番台という見張り番と銭湯の料金をもらう場所があり、そこで、料金を払って、お風呂に入るシステムであった。しかし、そこに座っているということは、女湯の脱衣所も、構造によっては湯船も「正当な理由」で見ることができるのである。まあ、「仕事として女性の裸を見ることができる」というのは、何とも良いものである。
  さて、その風呂屋の番台以外は、若い女性の裸などは見ることができない。つまり、風呂屋の番台か、あるいはよほどの金持ちになって、女を買うか、または、若い女性を嫁にもらうか(もちろんその前に独身になっていなければならないが)、そのような困難を越えなければ、女性の裸などは見ることができない。
  しかし、実際に「男性の羨望」というのは、女性からすれば「見られている」というような意識になってしまう。そのために「ヌード写真集」といわれれば、それだけで実は写真集の購買層が男性しかいないということになってしまうのである。
  「『ヌードもある写真集』。男目線じゃなく女性に見てもらって『きれいね』と言ってもらえるような作品。男の人の中には不満っていう人もいたかもしれないけど」<上記より抜粋>
  まさに、ヌード写真集にも、女性目線、中性化の波が襲ってきたということに他ならない。かっこいいというかもしれないが、実は男性目線の「優越感」を感じる「男性の欲望」を満たすものがなくなっていったということになる。
  もちろん、動画やネットの発展によって、写真集があまり売れない時代になっているが、しかし、一方で、そのような「レトロなエロ」もあってよいのではないか。何でもかんでも女性目線を取り入れることは、なんとなく、男性として悲しいものであるし、また、女性は女性らしく・男性は男性らしくというような感覚も少なくなってしまったのかもしれない。LGBTといわれて久しいが、それ以前の「男性の女性化」「女性の男性化」というような感じになり両性別が中性化しているような感じである。その中性化賀「ヌード写真集」にまで来てしまったのか。時代は変わった。しかし、内心「本当にエロを追求したヌード写真集も残してもらいたい」と思うものなのである。

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奉祝 天皇陛下在位30年

奉祝 天皇陛下在位30年
 2月24日、天皇陛下が在位30年を迎えられ、記念式典が行われた。
  「象徴天皇」として即位された初めての天皇陛下である。今上陛下の皇室における様々な改革をしてきた方だと思う。そのキーワードは「開かれた皇室」と「国民とともに」という二つではないか。これほど国民に寄り添っていただいた天皇陛下は今までいない。今までは、国民が皇室に頼り、そして忖度をしていた。しかし、今上陛下からは「皇室は国民のために開かれ、そして国民に親しまれる皇室」を行っていた。
  その「開かれた」という意味をはき違えて、皇室をアイドル化してしまったり、あるいはスキャンダルを起こすような内容を欠くこともあった。また、一方で国民の側も、皇室を崇敬するのではなく、「開かれた」「親しみのある」という言葉から、いつの間にか、「皇室を利用する」というようなことになっていったのではないか。本来、そのようなことはあってはならないし「開かれた皇室」ということの意味をしっかりと考えなければならないのに、独りよがりで、自分たちん勝手な解釈を行い、そのうえで、皇室について様残なあことを言っているのはいかがなものであったのだろうか。
  もう一つは、「国民とともに」という言葉である。
  そのことについは、記事の後ろに書いてみたい。
陛下お言葉、国民に「誇りと喜び」…深い謝意
 天皇陛下はお言葉で、象徴として寄り添ってきた国民を「誇りと喜びを持つことのできる存在」と表現し、深い謝意を示された。
 この30年は、平和を希求する国民の強い意志に支えられ、「近現代で初めて戦争を経験せぬ時代」となったが、平坦へいたんな時代ではなかったと振り返られた。自然災害を耐え抜く人々、その悲しみに心を寄せる人々の姿を「忘れがたい記憶の一つ」に挙げられた。
 グローバル化する世界で、叡智えいちを持って日本の立場を確立し、誠意をもって他国との関係を構築すべきだとの思いを伝えられた。「象徴天皇像を模索する道は果てしなく遠く」、平成の象徴像を補い続けてほしいとの願いも語られた。
2019年02月24日 18時35分 読売新聞
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-20190224-50126/
象徴に「誇りと喜び」=感謝の言葉、何度も-天皇陛下、在位30年式典
 「天皇としての務めを、人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした」。24日に行われた天皇陛下の在位30年記念式典。退位を約2カ月後に控えた陛下は、国民統合の象徴としての「誇りと喜び」を持って務めを果たしてきたと述べ、時折声を震わせ、国内外に何度も感謝の言葉を口にされた。
 式典は東京・国立劇場で午後2時に始まった。即位以来、象徴像を模索し続けた日々を振り返り、天皇の務めを果たしてこられたのは、象徴として「誇りと喜び」を持てる国民の存在と、日本が過去の歴史の中でつくり上げてきた「民度」のおかげだったと述べた。
 陛下は、日本で戦争がなかった平成時代を「国民の平和を希求する強い意志」に支えられたと述べた。被災地で多くの悲しみに遭遇し、けなげに耐える人々や、それに寄り添う全国の人々の姿も思い返し、自身も困難な人々に寄り添い続けた。しかし、象徴像を模索する道は果てしなく遠かったと心情を吐露。陛下が追い求めた象徴像を皇太子さまら次世代が補うことを願った。
 「ともどもに平(たひ)らけき代(よ)を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ」。平成が始まって間もなく皇后さまが詠んだ和歌も紹介し、昭和天皇逝去により深い悲しみの中で即位した直後の心情も明かした。この頃全国各地から「私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく」との言葉が寄せられたことを明かし、「静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています」と声を震わせながら語った。
 陛下は「お言葉」の後半で、最初に戻って読み上げる場面があったが、皇后さまのサポートで正しく読み直した。
(2019/02/24-16:41)時事通信社
https://web.smartnews.com/articles/fEAAunxgsAX
 自然災害を耐え抜く人々、その悲しみに心を寄せる人々の姿を「忘れがたい記憶の一つ」に挙げられた。<上記より抜粋>
  今でも忘れられないのは、阪神大震災での西宮体育館のことである。ちょうど体育館にいた私たちの前で、自衛隊のヘリコプターで降り立ったのが天皇陛下と皇后陛下であった。お出迎えをする西宮市長や市の役員に「ご苦労様」と言ったあと、その横にいた自衛官(のちのことであるが、これが救出できた自衛隊の指揮官であった)に「ここは良いから、一人でも多くの人を助けてあげてください」といったのである。自分の護衛はいらない、お出迎えもいらない。まだがれきで埋まって助けを待っている国民を助けよという。
  そのうえ、体育館の中にはスリッパも何も履くことはなく、靴下だけで、冷たい冬の体育館の板の間の上を歩いていた。そして一人一人の手を握り、目の前で膝をついてあいさつをしたのである。
  「よく頑張ってこられましたね」
  これは3・11の時にも天皇陛下と皇后陛下が被災者にかけた言葉である。被災者は「頑張ってください」というと、これからもっとひどいことがあるのか、まだ頂上は長いのか、と思って、かえって絶望するという。両陛下がそのことを知ってか知らずか、「これから」ではなく「災害から今まで」を讃えるという声をかけ、そのうえで、希望を持たせるということになる。
  3・11の後の千葉県旭町のことである。取材に行ったとき、その中の一人である。さすがにそこの人皆が言ったわけではない。しかしその一人のおじいさんの言葉が印象的であった。「家が流されてよかった。天皇が目の前に来て、膝ついて手を握ってくれたんだよ。こんなことはない。死んだ親父や爺さんに見せたかった」
  もちろん、このおじいさんの「親父」や「爺さん」は、津波で亡くなったわけではない。逆にそれほどすごいことであるということだ。
  天皇陛下がいるということが、国際的に活躍する日本人にとってどれほどすごいことか、そして、海外からどれほど崇敬の念を得ていることであろうか。そのことがわからない人は、本当に海外を全くわかっていないし、グローバル社会の中の日本をわかっていない人のことである。
 天皇陛下の在位30年を、謹んでお祝い申し上げます。

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【土曜日のエロ】 バストの大きさの分布と地域差の研究結果から

【土曜日のエロ】 バストの大きさの分布と地域差の研究結果から
 世の中は本日から三連休である。私は実は出張で海外にいる予定になっているので、この文章は事前に書いている。もちろん「エロ」なので、事前に書いたからといって何かタイムリーな話題を全く失うというようなものではない。事前に書いているといっても数日前に書いているものであるから、まあそんなに離れてはいないということになる。
  さて今週は、といっても事前に書いているので、その辺はむずかしいのであるが、最も話題になっていたのは、小学校四年生の女の子の虐待死ではないか。テレビなどは連日その内容をやっていた。私は今秋ちょっと体調が悪くて家にいる機会が多かったために、テレビをよく見たが、ほぼ毎日、虐待のニュースばかりである。
  まあ、しかし、野田市の教育委員会や教育関係者の行動はあまりにもひどいものではないか。社会的非難が殺到していることは間違いがない。ネットなどの声では、責任を取って辞任ではなく刑事罰を求める声が高まっている。まあ、実際「保護を求めてきている児童」を「見殺し」にしたのであるから、少々構成要件は違うものの「保護責任者遺棄」というような感じになるのかもしれない。そのような人々が、「野田市の税金」で飯を食っていたということになると、本当に大きな問題ではないか。
  いじめの問題や虐待の問題で、子供が寄る場所は学校の先生や児童相談所などしかない。その中において、その人々が全く役に立たないで、「事なかれ主義」「先送り主義」「責任転嫁」などを行っていては役に立たない。当然にそのようなところに税金を落としていても何の意味もない問うことになるのではないか。
  もちろん、そのような非難も「地域差がある」と思われる。もちろん、教員の組織に関して不満が多いが、それでもしっかりやっているところも少なくないし、また、野田市よりもいい加減で、たまたま事件になっていないようなところもあるかもしれない。
  いずれにせよ「地域差」というのは「環境」や「水」などのインフラ、そして、その風土が様々な形で影響をするものではないかと考えているのである。
  当然に「女性のバストのサイズ」にも地域差がある。
都道府県平均バストサイズ格差 最大のEカップが多い4県は
 生まれ故郷や育った環境によってバストサイズに“地域格差”は存在するのか。セクシャルヘルスメーカーの「LCラブコスメ」は2012年から都道府県別で女性のバストサイズの調査をつづけ、「都道府県みんなのバストサイズ」として結果を発表している。地図に示した通り、県によってそのサイズには差が見られる。LCラブコスメの広報が言う。
「各県49人、18~60歳の女性を対象に調査しました。2012年は埼玉県がAカップでそれ以外はBが18県、Cが17県、Eが2県でしたが、最新版では埼玉県がDカップになり、全国的にDカップ県が急増した。
 これは近年の女性のバストケアや、バストアップさせるブラジャー選びへの意識向上が大きく関係していると思われます。最大のEカップが多い4県(千葉、神奈川、大阪、福岡)は大都市圏だったのも、その辺りが理由かもしれません」
 地域性は少なからずあるようだが、どのような理由が考えられるのか。乳腺外科専門医の渡海由貴子氏が解説する。
「実は最近、東大の研究チームが1万1348人の女性を対象に調査した結果、胸の大きな女性と小さな女性では、ある染色体上に異なる遺伝子の組み合わせが存在することが判明しました。地域性があることが真実ならば、胸の大きい県にはこの遺伝子の組み合わせを持つ女性が多い可能性があるかもしれません」
 まだ科学的な解明には至っていないが、平均がEカップの福岡県出身でグラドルの古川真奈美(Fカップ)はこう話す。
「福岡出身の2人の祖母ともに巨乳でしたし、福岡は巨乳が多いかもしれません。私の胸が柔らかめなのは、豚骨ラーメンを『バリカタ』じゃなくて普通の硬さで食べてたのが良かったのかな、なんて(笑い)」
 前回調査からの変化も大きく、地域格差については謎が多い。
「2012年から6年間でかなり結果が変わりました。最近はバストアップに関する情報も充実していますし、今後も調査を続けていきたいと思います」(前出・広報)
取材・文■河合桃子 撮影■井上たろう
※週刊ポスト2019年2月8日号
NEWSポストセブン / 2019年2月3日 16時0分
https://news.infoseek.co.jp/article/postseven_857302/
 ある意味で、「住所」をもとに女性のバストの地域差をいってもあまり意味がないかもしれない。というのも、当然に、仕事や学校の都合で一人暮らしをしているような女性もいるわけであり、出身地に住んで売りとは限らない。もっと言えば、九州や北海道の出身の人が、東京や大阪などの大都市圏に住んでいるということは十分にありうる話である。そのうえで、バストの話を語るのである。
  女性のバストということに関しては、男性にとってはあこがれの的であるといって過言ではない。もちろん一般的にまたはマスコミ的には「大きい」「巨乳」というのは、一つの単語になっているが、実際に男性の会話の中では必ずしも大きいものがよいというようには考えられていない。マスコミの情報というのは時に、まったく違う一部の人の思い込みを伝える「偏向報道」が見受けられるが、「男性がすべて巨乳好き」ということに関しても偏向報道ではないかというような気がする。
  それでも大きいということは少なくとも「目立つ」ということであり、また、その柔らかそうな存在は「触ってみたい」というような感覚になるのは間違いがない。人間はだれしも、自分の体にないものに対しては非常に強く興味を惹かれるものであり、「エロ」だけではなく「好奇心」や「探求心」ということからも、男性には存在しないバストの柔らかさなどに羨望と欲望の眼差しを送ってしまうことになるのである。
  その意味において「女性のバスト」というのは、基本的に男性のあこがれの的であるといってよい。その大きさなどに分布と地域差があるというのは七かな大きな問題である。つまり巨乳好きの人は巨乳の多い場所に行けばよいということになるのである。
  「実は最近、東大の研究チームが1万1348人の女性を対象に調査した結果、胸の大きな女性と小さな女性では、ある染色体上に異なる遺伝子の組み合わせが存在することが判明しました。地域性があることが真実ならば、胸の大きい県にはこの遺伝子の組み合わせを持つ女性が多い可能性があるかもしれません」<上記より抜粋>
  さて、「研究チーム」というのは非常に良いと思う。そもそも東大の研究チームは「研究」という名目で1万1348人の女性のバストを調べたということになる。もちろんエロい調査などをしているとは思えないが、しかし、当然に面接や聞き取りなどを行っているときもそちらに目が行ってしまうし、また、研究といえばそこに目が行ってもおかしくはない。遠慮せずに見ることができるのであるからうらやましい限りだ。社会学なのか医学なのかはわからないが、研究者になればよかったと思う瞬間である。
  そのうえで、「染色体の異なる遺伝子の組み合わせ」だそうだ。まあ、染色体の地域差というのも面白いが、ある意味で、その染色体によって「大きさ」だけではなく「形」や「色」など様々なことが変わってくるに違いない。その分布が細かくあれば、実に最高なのではないか。
  さて、このような研究は本当に「エロ」を書いている人間にしてみれば最高である。解明されることを望むが研究が永久に続き、常にそのニュースが出てくるような環境であってほしいと願っている。

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