日記・コラム・つぶやき

【土曜日のエロ】 アンダーヘアの処理に隠された「万が一みられての恥ずかしくないように」という予防的深層心理の奥の深さ

【土曜日のエロ】 アンダーヘアの処理に隠された「万が一みられての恥ずかしくないように」という予防的深層心理の奥の深さ
 やっと土曜日のエロの日になった。何となくうれしい。このエロの記事を書いているときはなんとなく面白いことが少なくない。まあ、一週間を振り返って、大概この記事を書いているのであるが、その中において、あえて「自分が見てきた今週」「自分が体験した今週の出来事」を、エロということを書くことによって「多角的」に見ることが可能になるのである。
 まあ、何を言っているのか、という声が聞こえてくるようであるから先にあえて書いておく。基本的に我々のような「評論」をしているものは「目先」が変わらないことが最も大きなリスクである。ちなみに、「リスク」と「エマージェンシー」という二つの「危機」と訳される単語があるのだが、「エマージェンシー」というのは、具体的に危機が目の前にあり、なおかつそれを認識しているような状況、つまり、火事であることを認識していて、なおかつこのまま放置して老いたら火事に巻き込まれるということが確実であるという「緊急事態」である。一方「リスク」というのは、「緊急事態」ではなく、「このままこれが継続していたら大変なことになるであろうな」というような、「漠然とした危機」である。要するに「危機管理」といっても、そもそも「危機」を「管理」できるはずがなく、「漠然とした危機に対して、事前に対策を立てる」というのが「リスク・マネージメント」でしかない。
 さて、話がそれたが、単純に、単一性で、なおかつその結論を読者が読む前にわかってしまうということが、「リスク」であり、そのまま「飽きられてしまう」という将来の漠然とした危機があるのだ。その意味では「エロ」という別な切り口で、評論や解説を行い、なおかつ常に視点を変える練習をする(というと大げさだが、実は単に正当化しているだけなのだが)ということが、最も重要なことなのである。
 その意味において「土曜日のエロ」というのは、私にとって非常に重要なのである。もちろん、この内容が社会の役に立つかどうかという話は別にして、まあ、いつものごとく、エロについて大いに語ってみたい。
 さて、先ほど「リスク」ということについて語った。女性にとって「リスク」とは、「女性としても魅力が無くなったとみられる」ことなのではないか。ある意味で「社会進出」しながらも「女性」を捨てきれないのが女性だ。つまり「化粧をする」「スカートをはく」「髪を伸ばす」「ヒールの高い靴を履く」「おしゃれをする」ということ、これらは「女性としての魅力を出す」ためのものであり、当然にそれを無視してよいというものではない。要するに「男女平等」「女性の社会進出」といいながらも、「女性」を捨てきれないで、自ら「平等ではない」という状況を作ってしまっているのである。
  では、そのような「女性」の「リスク」とは一体何であろうか?
ぶっちゃけアンダーヘア、どうしてる? 女性330人がガチ回答
 女性ならだれしも一度は悩んだことがあるであろう、デリケートゾーンの手入れ。「みんなどうしてるんだろう?」なんて思っても、だれかに聞くのも恥ずかしいし...。
 そんな人には聞けない「アンダーヘアの手入れ」について、医療脱毛専門院「リゼクリニック」が女性を対象にアンケート調査を実施、その結果を発表しました。
最も多い悩みは...
 調査は東京都内の20~40代の女性330人を対象に実施したもの。まず、デリケートゾーンのトラブルで経験したことがあるものを回答してもらうと、特に多かったのは以下の3つでした。
1位「衣服からアンダーヘアがはみ出る」(43.9%)
2位「デリケートゾーンの蒸れ」(41.8%)
3位「アンダーヘア周辺のかゆみ・かぶれ」(39.1%)
 デリケートゾーンのトラブルで経験したことがあるもの
 中でも1位の「衣服からアンダーヘアがはみ出る」に関しては、20代の女性は2人に1人が回答しています。
 多くの女性が悩んでいる「はみ出るムダ毛」について手入れの頻度を聞くと、「常に手入れをしている」と答えた回答者は2割に届かず。もっとも多かった回答は「たまに手入れをしている」(40.3%)。アンダーヘアを気にしながらも、日常的に手入れをしているという女性は少ないようです。
 アンダーヘアの手入れの頻度
 では、手入れをしている人はどのような方法で行っているのでしょうか。実際に行っている手入れの方法について聞くと、次のような結果に。
1位「シェーバーで剃毛」(52.9%)
2位「ハサミでカット」(39.2%)
3位「エステサロンでの脱毛」(22.9%)
4位「毛抜きで抜く」(20.4%)
 アンダーヘアの手入れの方法
 自己処理を選択した回答者が多いですが、専門機関で脱毛しているというも一定数いるようです。
 意外と知らない、まわりの女性たちのアンダーヘア事情。悩んでいる人は参考にしてみてくださいね。
東京バーゲンマニア 20171231
http://bg-mania.jp/2017/12/31234371.html
 女性のリスクとは、さまざまあるが、最も大きなものは「女性らしくないと感じられてしまう」ということではないか。つまり、「女性」として常に美しくきれいに見られたい、ということになる。そしてその「綺麗」とか「美しい」という欲求は、「普段見ることができない部分」にまで及ぶ。
  まずは「下着」である。「勝負下着」という言葉は聞いたことがあるが、これは、夜の営みになったときに、好きな男性に見られてもよい下着ということである。つまり、その場合は「勝負」なのであるから、男性に下着の部分まできれいに見られたいということになる。一方で、その「下着」というのは、「勝負の日」でなくても、女性はあまりぼろぼろの下着を身に着けることはない。もちろん、派手であったり、あるいは綺麗ながらデアはないかもしれないが、本来見せることの無い下着であっても、その下着を美しくし、なるべくかわいいものを選ぶのである。
  このことは「日記」と一緒であり、人間というのは男性も女性も関係なく、「見せる」という前提ではない状況であっても、「万が一みられても恥ずかしくない」というようなことを準備して物事に対処する。つまり「日記」も、まったくあからさまに書いたり、あるいは、「敬語」や「ですます調」で書いたりというように、さまざまなことを行うということになってしまう。これは、一つには「将来の自分」ということが「同じ自分であるのに他人化」していることであり、同時に、「それ以外の第三者の目」を意識しているということに他ならない。これが「本当の意識」ではなく「無意識の意識」として存在しているのである。この本来見られることの無い「日記」といっしょで、女性は下着も常に気を使っているということになる。ある意味で「見せたいわけでもなく、万が一みられた場合に、恥ずかしくない」ということを射ているのである。
  では、その内側はどうか。つまり「アンダーヘア」はどうなっているのであろうか。下着ですでにガードしているから、問題ないのか、あるいは「日記」と同じように「見られてもよい」ように対処しているのか。そのことの記事が今日の記事である。
  多くの女性が悩んでいる「はみ出るムダ毛」について手入れの頻度を聞くと、「常に手入れをしている」と答えた回答者は2割に届かず。もっとも多かった回答は「たまに手入れをしている」(40.3%)。アンダーヘアを気にしながらも、日常的に手入れをしているという女性は少ないようです。<上記より抜粋>
  さて、ある意味で女性の二人に一人、つまり約半数が「ムダ毛」を気にしているという。つまり「日記」と同じように、本来見られることがない「アンダーヘア」を見られてもよいように気を使ているということにあんる。そしてその頻度は「常に」という人が20%、つまり五人に一人で、気が付いたときというのは40%ということ、逆に言えば、全体の3割の女性が、最低でもたまに、「見せたいわけでもなく、万が一みられた場合に、恥ずかしくない」ということで、下着の下まで気を使っているということになる。この心理を考えたのが美容整形の「永久脱毛」というものであり、全体の三割がその市場にあるということになる。
  単純にエロといえども、実は日記と同じように「人間の深層心理」に根差したものであり、その中に「恥ずかしいと思うことがないような予防」を考えていることが非常に少なくないのである。そのように「エロ」が商業に結びついているのが、ファッションと美容業界であると思うと、その人間の欲望はなかなか奥が深い
 

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【土曜日のエロ】 平成29年の参内不倫事件の主役斉藤由貴、藤吉久美子、山尾志桜里の「不倫街道」

【土曜日のエロ】 平成29年の参内不倫事件の主役斉藤由貴、藤吉久美子、山尾志桜里の「不倫街道」
 今年も松が明ける前から「土曜日のエロ」は欠かさずにやってゆきたいと思う。まあ、ちょうど昨日で「年初放談」のネタも尽きたことであるし、何よりも、土曜日はやはりエロでなければ、なかなか話にならないのである。こちらも様々な文章を書いているが、根がまじめな性格ではないので、どうしてもまじめな文章ばかりを書いていると疲れてしまうのである。そのために、頭の中を一度リセットしなければならず、そのためには、エロをのことを書いたほうがよさそうなものである。何しろ何度も書いているように、エロは人間の本能が出てくるものであって、そのために、その本能をいかに隠すか、または本能をいかに正当化するのか、ということが最も重要な内容ということになるのである。そこに人間の甘さや、人間の本能としての内容が出てくることになるのではなかろうか。その本能の部分があるから人間は面白いのであり、Aiやコンピューターではできないことがさまざまに出てくるということになるのである。
  さて、とはいえ、一応このブログも「ニュース解説」となっているために、そのニュース解説の内容からはみ出すわけにはいかない。そこで、まあ、今回は昨年の「エロ」のまとめでも書いてみようかということになるのである。
  ところで昨年、いや、一昨年からであろうか、「文春砲」なる言葉が流行り、そこに様々な人の不倫が出てくることになる。初めは「ゲスの極み乙女」というバンドの誰かとベッキーであった。まあ、はっきり言って、ベッキーはいい年だし、独身だし、別に誰と恋をしてもよいような気がするのであるが、相手が子持ちであったために、なかなか大変な感じになったのだろう。そのまま、また謝罪会見をしたのちに、LINEが流出したというのも話題になった。まあ、音声で通話していれば何の問題もなかったのであろうが、その辺「脇があまい」としか言いようがない。
  そこから始まり、さまざまな「文春砲」がある中、昨年、不倫で世の中を騒がせたのが斉藤由貴、藤吉久美子、山尾志桜里の三人であった。まあ、ニュース解説であるから、今年の一発目のエロは、この辺からやるか!!!と思っている。
【甘口辛口】斉藤由貴、藤吉久美子、山尾志桜里議員…不倫騒動の3人の共通点は
 ■12月30日 今年後半を振り返ると、有名人熟女の不倫騒動が目立った。女優の斉藤由貴(51)や藤吉久美子(56)のほか、政界では山尾志桜里衆院議員(43)。山尾議員は男女の仲を真っ向否定したが、夫も子供もいる3人の共通点は、身近な話し相手と親しくなったということだ。
 斉藤はダイエットも相談できた主治医、藤吉は不慣れな歌手活動を応援してくれたテレビ局プロデューサー、山尾議員は政策の方向性が一致する弁護士…。一般社会でも共働きが多い咋今、亭主より親身になってくれる男性がいれば、つい“よろめいて”しまうのは分かる気もする。
 ちなみに、依頼者の悩みに合わせて探偵を紹介するサイト「探偵さがしのタントくん」の相談員によると、「浮気調査では以前、9対1の割合で女性からの依頼が男性より多かった。でも、今は6対4ぐらい」という。疑心暗鬼にかられる男性が増えたというわけだ。そのきっかけは「3年前の連続ドラマ『昼顔』の影響もあるのでは」と指摘する。
 夫のいない平日昼間に不倫する主婦の姿を描いたこのドラマ。それに触発される女性がいただけでなく、「ひょっとして女房も不倫しているのでは…」と疑い、探偵に依頼する男性が増えたのだという。加えて数々の有名人の不倫報道も、依頼するきっかけになっているようだ。
 ただ、「スリルや高揚感もあってか、不倫は昔から男女を問わず後を絶たない」とタントくん相談員。「女性の社会進出が当たり前になった今、私どもに依頼する男女比は近い将来、五分五分になるのでは」と予測する。探偵料は1件あたり、最低でも15万円。その必要のない方がいいのは、言うまでもない。 (森岡真一郎)
サンスポ sanspo.com
SANSPO.COM 20171230
http://www.sanspo.com/etc/news/20171230/amk17123005000001-n1.html
 さて、そもそもなぜ不倫は悪いのか。単純に、日本の場合「一夫一婦制」でできる過程というものを一単位にしており、その一単位の中において、子供を育てるということになっている。それが、高度経済成長、男女雇用機会均等法から、女性の社会進出が言われるようになり、いつの間にか家庭よりも仕事を優先する家庭が増えてきてしまっているのではないか。女性は、当然に社会に出ていれば、「他人に見られる」ということを意識しており、その他人に見られることの意識こそ、女性をきれいにしているのであるが一方で、それだけ男性の目を引く結果になり、そして不倫になるのである。
  男性が古いタイプであれば、女性には、なるべく家庭に入ってもらい、なおかつ子育てなどもしてもらいたいということになり、当然に、そこに感情の齟齬が出てくる。すれ違いが多くなると、夫婦間のもめごとが多くなるのである。夫婦であったがために、お互いが我慢してしまうから、なおさらその齟齬が大きくなり修正が不能になるのである。しかし、社会的な問題や、子供の教育のことがあり、そのために、お互いが我慢して「家庭」に収まり続ける。しかし、精神上はそれがうまくゆかなくなり、誰かに相談するという格循環が行われることになる。
  まさに、上記の記事であるように「夫も子供もいる3人の共通点は、身近な話し相手と親しくなったということだ。」<上記より抜粋>ということになるのである。
  「斉藤はダイエットも相談できた主治医、藤吉は不慣れな歌手活動を応援してくれたテレビ局プロデューサー、山尾議員は政策の方向性が一致する弁護士…。一般社会でも共働きが多い咋今、亭主より親身になってくれる男性がいれば、つい“よろめいて”しまうのは分かる気もする。」<上記より抜粋>まさに、家庭内ですれ違いがあり、一方で家庭に収まてちない方が親身になって相談に乗ってくれるとなれば、不倫関係になるんはある意味当然なのかもしれない。ある意味で「女性は家庭を守る」というような感覚が無くなってしまえば、それは、かなりの負担である。実際にそのために不倫が増えているのでは本末転倒である。子育てのために、女性が社会に出るというのもいかがなものかとも思う。そもそも、子育て・家庭・社会進出というような中で、バランスを書いている場合に、そのバランスを肯定してくれる人に傾くということになるのではないか。
  これが、「男女」であるから面倒である。まあ、男性も女性も、性行為が好きであること、また相手に魅力を感じていることからそのようになるのであり、性行為が「信頼の証」のようになってしまっていることがある。すでに結婚し、家庭も子供もいてしまう女性にとって「他に証になるものを渡せない」ということがるのかもしれない。
  まあ、このような状態であるので、いつまでたっても不倫はなくならないのではないか。今の女性の社会進出が続く限り、またその心のバランスが崩れた状態が続く限り、不倫は残るし、また、文春砲はなくならないのである。そしてその生地を紹介する「土曜日のエロ」も不滅なのである。

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あけましておめでとうございます

平成30年

新年あけましておめでとうございます。
本来「書初め」は二日から
本日は四方の神々に今年の安泰を祈りながら
一日を過ごします。
皇室も、本日は四方拝
最も重要な儀式の日です。
皆様も初詣などで、自分の心と、自分の中の魂と
先祖や神々に、
今年の目標などをお願いしながら、
新しい年の幕開けを祝いましょう。
本年もよろしくお願いいたします。

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年末のご挨拶

今年も「大晦日」になりました。

平成29年もいろいろありました。

これを読んでいただいている人は、あと今年も数時間りますが、
まあ年末のご挨拶をしたいと思います。
本年、皆さまにはさまざまな場面でお世話になり、
私を支えていただきありがとうございました。
世界のニュースを見ていると本日は大みそかですが
中国や韓国などの「春節」を祝う国
イスラムのようにラマダンなどで違う習慣を持つ国々の人々は
本日も明日も平日のように働いています。
こうしている間にも様々なことが動いているのです。
来年、どのようになるのでしょうか。
それは今の流れをしっかりと見て、その動き之原因と結果を見ることで
次が見えるのではないでしょうか。
さあ、今年のことをさまざまに分析し
来年に生かしてゆきましょう。
では、皆さま良いお年をお迎えください。

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【土曜日のエロ】 まじめに「おっぱい」の語源を探るという週刊誌の記事に対する賛辞

【土曜日のエロ】 まじめに「おっぱい」の語源を探るという週刊誌の記事に対する賛辞
 土曜日のエロである。このエロに関しては「もっとエロくドロドロしたものを書いてほしい」という話もあれば、「これはエロを題材にした文化論だ」というような声も聞かれる。まあ、どれdもよいのであるが、私自身は「好きで書いている」ものであって、まあ、楽しんでいるというのが本音である。もちろん、「エロ」は「人間の本質」であり、そのために、人間の本音が出てくるということになる。エロを語るときには、当然に、人間は動物に戻るときであり、そのことは、エロそのものの力によって、人間が無力になる。もちろん無力というと語弊があるが、酒に酔ったときと同じで秘密が無くなってしまう。そこは男女間の「同族意識」が働くことによって「エロにおける無防備」が実現される。ハニートラップというものは、その状況を利用するものであり、その間に「暗殺」や「秘密の入手」をするというものになる。
  さてではその女性の魅力というのはいったい何であろうか。
  もちろん現在は多様性の時代であり、同性愛なども是認されている状況なので案ともいえないが、しかし、一般論及び中世における感覚から言えば「女性」の魅力は「曲線と柔らかさ」であるといえる。世の男性の多くが女性に「癒し」を求めるということは、そのまま、「柔らかさの実現」であり、なかなか固くとがっているもので「癒し」を感じる人は少ないのかもしれない。まあ、その辺も好みの問題なので何とも言えないが、一応「多数派」という感じで考えていただければよい。
  その「女性の柔らかさの象徴」といえば「胸」「尻」ということになる。いずれも曲線で、なおかつ骨がない部分であり、そして柔らかさの象徴的な存在であり、その柔らかさを感じることが、男性にとっての一つの癒しになることは間違いがないs、それが「癒し」だけではなく「エロ」「扇情」につながるということになるのではないか。
  女性の描写の中で、やはり水着写真が多いとか、ミスコンにおいて水着審査があるということは、その女性の「強さ」と「柔らかさ」であり、また、扇情的にそれを扱う場合は胸の谷間などを強調することと、その揺れを表現することによって大きさと柔らかさを表現することになる。逆に、女性もそのことは十分に意識しており、下着メーカーの宣伝など「よせてあげる」などと宣伝をしており、その宣伝の中において、「大きさと柔らかさを表現する下着」を作ろうとしているということに苦労している。
  では、その胸のふくらみを「おっぱい」というのは?
  これを記事にしているものが出てきたので、今回はそれを見てみたい。
あの美しくやさしい膨らみを「おっぱい」と名付けたのは誰か
 ふと考え込んでしまう瞬間は誰にでも訪れるものである。2017年師走、コラムニスト・石原壮一郎氏の場合──。
 * * *
 こんなにお世話になっているのに、こんなに大好きなのに、なぜそういう名前なのか気にしたことはありませんでした。たいへん失礼で、たいへん情けない話です。我々男性の憧れをかき立ててやまないおっぱいは、なぜ「おっぱい」と言うのか。あの美しくやさしい膨らみは、どのぐらい昔に、誰が何を思って「おっぱい」と名付けたのか。
 人間も土地も食べ物も芸術作品も、そしておっぱいも、深く知れば知るほど、さらに好きになれるし、さらにその魅力を味わえます。今さらで本当に申し訳ない限りですが、あらためて敬意と感謝を込めつつ、おっぱいの語源を探る旅に出発するとしましょう。
 あらゆる言葉の意味・語源・由来が載っているwebサイト「語源由来辞典」では、「諸説ある」と前置きしつつ、次の4つの説が紹介されています。
1.「ををうまい(おおうまい)」が約まったとする説。
2.「お腹一杯」の「いっぱい」が転じたとする説。
3.中国春秋時代の学者王牌(おうぱい)が転じたとする説。
4.古代朝鮮語で「吸うもの」を意味する「パイ」からとする説。
 もっとも有力とされているのは1で、幕末の1859~60年に書かれた『於路加於比(おろかおい)』という文献に、おっぱいの意味が書かれているとか。さらに調べてみると、この本は笠亭仙果こと柳亭種秀によって書かれた随筆で、「乳汁をおつぱいとは、ををうまいの約(つづま)りたる語なるべく」という記述があるそうです。うっかりしていましたが、おっぱいはあのふくらみのことだけでなく、母乳を指すこともありますね。
 ここで「ををうまい」と言っているのは、乳児なのか、あるいは大人なのか、乳児がおいしそうに飲んでいる様子を大人が代弁しているのか。謎は残ります。そこはまあいいとして、仮に1が正しいとすると、おっぱいの歴史は意外に新しいものでした。文明開化によってもたらされた日本の夜明けは、おっぱいの夜明けでもあったわけです。
 2以下の説の可能性もありますけど、いずれにせよ、おっぱいという言葉の響きと字面は、あの膨らみの本質をあまりにも的確に表現していると言えるでしょう。男女問わず、たとえ大勢の人の前でも、さほど抵抗なく口にできるところも(いや、そういう意味じゃなくて)、おっぱいという言葉の素晴らしさであり偉大さです。
 ここで話を終えたいところですが、語源を探る旅はそんなに簡単なものではありません。まだまだほかにも、ネット上にはたくさんの説がふわふわと存在してくれています。
「形が『杯(はい)』に似ていることから、それに丁寧語の『お』をつけた」
「乳児が乳房を吸う音が『おっぱい』と聞こえるから」
「乳児の喃語(なんご。言葉を獲得する以前に発する声)の『おー』『うー』『ぱー』が合体した」
「すっぱいと言ったときの口の形が、おっぱいを吸うときの形に似ているから」
「おっと ぱふっと いい気持ち」
 などなど。ま、最後のふたつは完全にネタでしょうけど、これはこれで夢とロマンを感じさせてくれる味わい深い説です。男性はいくつになっても、おっぱいに振り回されてしまう生き物。その正体にせよ語源にせよ、謎を解き明かすことは永遠にできない運命なのかもしれません。
 はっきりわかっているのは、おっぱいという言葉を呟くだけで、おっぱいを思い浮かべるだけで、たちまち幸せになれるということ。本当にありがたいことです。もし目の当たりにする機会があったら、心の中で「ををうまい! ををうまい!」と叫べば、時空を超えた深淵に触れた気持ちになって、魅力をさらにとことん堪能できるはず。実際に口に出したとしても、それはそれできっと喜んでもらえるでしょう。
2017年12月02日 16時00分 NEWSポストセブン
https://news.nifty.com/article/item/neta/12180-634371/
 まず、手放しで賛辞を送るが、この「コラムニスト・石原壮一郎氏」はなかなか素晴らしい。はっきり言って、疑問の持ち方から調べ方など、なかなか興味深い。
  さて、正直に言うが、このような護憲ということに関しては、様々な説があり、その説に関して、正解が一つである必要はないということになる。文化などというものはそういうものであり、例えば「鶴の恩返し」という童話に関しても、その期限がどこにあるのかなどは、さすがにわからなくなってしまっている。もちろん、その期限よりは、その話やその内容がさまざまな形で様々に、広がっているという「伝承と分布」の方が重要なのであるし、またその「変化」がその土地の文化性を考えるうえでお最も面白いということになるので、必ずしも起源を探る必要はない。実際に、何か一つのヒントがあり、ほぼ同時に違う場所で思いつくということもあってもおかしくはない。偶然というものがある以上は、その辺のところも考えてみればよいのではないか。
1.「ををうまい(おおうまい)」が約まったとする説。
2.「お腹一杯」の「いっぱい」が転じたとする説。
3.中国春秋時代の学者王牌(おうぱい)が転じたとする説。
4.古代朝鮮語で「吸うもの」を意味する「パイ」からとする説。
<上記より抜粋>
 というような分析はなかなか面白いし、また、さまざまな形で調べたものであろう、実際に、「おっぱい」が「胸」ではなく「母乳」が語源であり、「母乳を出す旨の部分」も指すということになった場合は、これらの中で「2」「4」が語源というような形になる。その場合、男性の胸の部分は古代から中世に関しては「おっぱい」と呼ばなかったということになるのではないか。この件に関して石井氏は,
  その正体にせよ語源にせよ、謎を解き明かすことは永遠にできない運命なのかもしれません。はっきりわかっているのは、おっぱいという言葉を呟くだけで、おっぱいを思い浮かべるだけで、たちまち幸せになれるということ。本当にありがたいことです。<上記より抜粋・改行加工>まさに、このコラムのキモはここであろう。永遠にできないといううえで、現在「おっぱいと聞くだけで幸せになれる」ということになる。
  数年前、女優の長澤まさみさんがカルピスの宣伝で「おっぱい」といっているだけで、ニュースになったことがあった。もちろんその内容は「母乳」の意味であり、乳酸菌を強調するカルピスの宣伝の工夫なのであるが、男性の多くは、他のことを想起してしまい、勝手に興奮しているということになる。また、そのような「誤解で興奮できる幸せな生き物」が男性なのであると思うと、「エロ」が世界平和に役立つということも、おおむね嘘ではないのかもしれない。
  まあ、「おっぱい」というだけで、まだまだ語り足りないくらいであるが、その辺のところはまた次の機会に。

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【土曜日もエロ】 AI時代になくならない「エロ」ビジネスについての考察

【土曜日もエロ】 AI時代になくならない「エロ」ビジネスについての考察
 明日は、総選挙の投票日である。はっきり言うが、ちゃんと国政に対して意思表示をして、なおかつ、自分の意見をちゃんと投票に込めてもらいたい。棄権でもいいから、投票に行きましょう。革新系の映画監督が「勉強してない人選挙に行くな」といったとか言わないとか。しかし、よくよく考えてもらいたい。国政に、直接国民が意思を出すことができるのは、選挙の時だけである。残りは「陳情」はできても「影響力の行使」はできないのである。はっきり言うが、エロの土曜日に様々、政治のことを言うつもりもないが、皆さんの意見を政治に反映したい場合は、しっかりと自分の意思を候補者に託すべきであると思う。
  まあ、明日は台風が接近して、うまく選挙の投票所まで行けないという話もあるが、万難を排してちゃんと言ってもらいたい。で、普段あらなば、つまり、昨日までであれば、政治的なことを言うのであるが、本日は「土曜日のエロ」であるから、今日ア「エロに寛容性のある候補者に投票をしてほしい」と思う。
  そのうえで、ある意味で「エロ」に関して寛容な候補が多くなっていただいて、そのうえでもう少し自由な状況を作り出してくれる人々に、政権をゆだねたいと思う。まあ、すでに感じているとは思うが、私がどの政党を支持しているかということなどは基本的には書かない。どこがダメ、とかこの政策はダメということはしっかりと書こうと思うが、残念ながら、「批判しかしていない」人々を政治家と認める気はしないのである。
  さて、まあ、明日選挙だからこのようになるが、やはり明日が選挙でも「土曜日はエロ」である。
  さて今回の選挙でも、「働き方」というのが非常に問題になっている。では今後AIの時代になって、「働き方」は変わるのか?もっと言えば、AIに仕事を取られてしまうのではないか?ということが考えられる。しかし、私から考えれば「AI」という機械と、人間というものとは根本的に違う。人間には「気まぐれ」があり、また「直観」が存在する。その直感、に関してどのように考えるのか。その「感情面」までAIはカバーできるのかもしれないが、ではその感情面を作り出す「エロ」にはどの辺まで対応できるのであろうか。
AI時代もなくならない?ポルノや殺人動画見続ける仕事
 世界中からネット上に投稿される残忍な動画やポルノ写真などを、一つずつ手作業で取り除く下請けの仕事が世界で広がっている。市民の目に触れないようにするためだが、投稿量は増える一方で、残忍な画像を大量に見るうちに病気になる例も出ている。
 毎朝8時過ぎ、米カリフォルニア州ロサンゼルス近郊の家の書斎で、ロシェエル・ラプランテさん(35)はパソコンを開く。小学生の2人の子どもを学校に送り出し、家にはだれもいない時間帯だ。
 パソコン画面には、下着姿の女性がポーズを取っている写真や、裸の男性の写真などが次々と現れる。
   「適切」「不適切」
 写真のそばには、適否を判断するボタンが付いている。ラプランテさんは手慣れた様子で素早くボタンを押していく。1枚の写真にかけるのは1、2秒だ。
 戦場らしき映像が現れた。砂漠のような場所で、戦闘服を着た人がナイフを持って男性を押さえつけている。「中東かな。もしかしたら」。少し目をそらす。視界の隅で男性の首から鮮血が見えた瞬間、「不適切」のボタンをクリックした。
 「斬首映像はよく出てくる。今朝も一つ見た。同じ動画が繰り返し投稿される例もある。血が見えた時点で判断して、すぐ次の画像にいくようにしています」
 ラプランテさんがこの仕事を始めたのは10年ほど前。米流通大手アマゾンがネット上で提供するサービスに登録した。すると世界中の動画投稿サイトやソーシャルメディアから、規定に合わない動画や画像をチェックする下請けの仕事が入ってくる。子どもが幼いラプランテさんにとっては、いつでも好きなだけ働けるアルバイトだ。
 「児童ポルノから動物の虐待映像、戦場の斬首まで、あらゆる映像や画像を見てきた。子どもたちの目に触れさせたくないので、作業は、子どもが家にいない時間や寝た後に限っています」
 ラプランテさんの側には、どのサイトに投稿されたものかはわからない。ただ、動画や画像に会社名が書かれていることもあり、多くがソーシャルメディアやデートサイト、動画投稿サイトなどの発注だとわかるという。画面には「ヌード」「暴力」「薬物」など会社ごとに禁止項目が書かれており、規定に合うかを素早く判断していく。
 「裸の赤ちゃんの写真でも家族がお風呂に入れているなら児童ポルノとは言えない。魚釣りや狩猟の写真なら動物虐待とは言えない。文脈の中で写真を判断する必要があります」
 支払いは、1枚の写真につき、通常1~3セント(約1~3円)。動画の場合には1件10セントくらいが平均だという。時間があるときに、1日2~3時間、作業しているという。
 しかし、いくら削除しても残虐な映像やポルノ動画はなくならない。バイトとはいえ、徒労感はないのか。ラプランテさんはいう。「複雑な気分なのは確か。でも、こうした画像を他の人が目にしないですむように、私は自分にできることをやっているんだと思っています」(ロサンゼルス=宮地ゆう)
■世界中で10万人超、AIでは判断不可
 こうした仕事は「コンテンツモデレーター」と呼ばれ、フィリピンやインドなどに下請けに出されることが多い。「その数は世界中で10万人をゆうに超える」と話すのは、ネットセキュリティー会社を運営するヒマンシュ・ニガムさんだ。
 「広告収入で支えられているソーシャルメディアなどにとって、暴力映像やポルノがあふれれば、ブランドイメージにかかわる。なくそうと必死だ」
 人工知能(AI)による初期的なチェックも導入されているが、「AIは文脈や複雑な表現などを判断できない。この分野で人間の作業がなくなることはない」とニガムさんはみる。
 
朝日新聞デジタル 20171016
http://www.asahi.com/articles/ASKB64RRRKB6UHBI01L.html
 さて、AIではできない仕事というのが、まさに「コンテンツモデレーター」という仕事らしい。まあ、日本で言えば、「映倫」とか「ビデ倫」のような仕事であるが、ネットでそれらが手軽に見ること、広めること、またはアップすることができてしまうために、それらを膨大なネット上で見なければならないというような感じになっているのではないか。
  「AIは文脈や複雑な表現などを判断できない。この分野で人間の作業がなくなることはない」<上記より抜粋>
  つまり、「人間のことは人間にしかわからない」ということであり、実は「エロ」は現在嫌われているが、最も人間らしい仕事なのかもしれないと思う。確かにAIを搭載したロボットの「売春」が話題になったが、しかし、やはりAI搭載のエロビジネスはあまり面白くない。そもそも潜在的に「相手が機械である」と認識してしまうと、基本的には「自分がコントロールされている」というような感じになってしまい、興奮できないのである。
  同様に「文脈や仮表現、擬人化」など様々な表現がある人間の文化に、その中における人間の妄想力ということが必要であり、その妄想力をどのように考えるのかということが最も大きな問題になる。要するに「一定の環境下において同じ感覚を持っている人間でなければ、官能表現は甘受できない」ということになり、そのことがAIでもできるのか、ということが最も大きな内容になるのではないか。
  さて、そもそもなぜ「エロ」が仕事としていやらしく感じるのか。単純に、「人間が理性を失う」ということであり、その状況が「制御不能となる」ということになるのである。その内容から考えれば、「人間がエロによって制御不能になる」、これは何お誰彼構わず強姦するというようなことではなく、エロの行為をしているときに、理性が働かないということである。その意味において「人間が動物に戻る瞬間」であり、そのことを演出する「本能ビジネス」は、汚いものとして忌み嫌われる。しかし、実はAIにできない仕事とは「人間が動物になったときの行動」でしかないということになる。つまり「エロ」は、AIの範囲外ということになるのだ。
  ある意味で「AIにとられない職業」として、エロを見直してみてはいかがであろうか

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【土曜日のエロ】 弱り目に祟り目という言葉の通りの山尾志桜里議員の激似ラブホ全裸写真騒動という「お笑い」

【土曜日のエロ】 弱り目に祟り目という言葉の通りの山尾志桜里議員の激似ラブホ全裸写真騒動という「お笑い」
 土曜日のエロの日になった。今週は、基本的には解散総選挙の流れの中のニュースばかりであった。結局この「エロ」もその流れの中で物事を「あわせて」ゆかなければならない。もちろん、エロを公約にあげてくれるような人がいれば、当然にそれを取り上げるのであるが、残念ながらそのような奇特な立候補者はい内容である。そのために、悲しく普通の話をしなければならい。と、思っていた。しかし、そうではないかった。
  今回は週刊実話の記事から。あの不倫疑惑の「ラブホ写真」がネットで出回っているというのである。まあ、本当に似ているのか同課などは非常に難しい。まあ、実際に本物であったとしても、上方が寝乱れていたり、あるいは、化粧を落としたりしていて全く分からないときがある。まあ、芸能人などは、基本的に、その時の顔を「作る」のであるから、その作っていないときの顔などはわかるはずがない。実際に、町の中で芸能人を見たとしても、その人のことがわからなかったりする。自分の思い描いているイメージと違う場合もあるし、上方や体の大きさ名付ドがイメージと違ってしまっては、なかなか気づかない場合が少なくない。
  しかし、山尾志桜里の場合もちろん人前に言出る立場ではあるものの、別に芸能人ではないのである。そのうえ、単純に「きれい」であるかどうかは人それぞれの好みであるから言わないまでも、年齢的に特別に若いわけでもなく、また元が芸能人であったという人でもない。そのように考えると、この人の「ラブホ写真」を見たいのか?という単純な疑問になるのである。
  さて、これらの「秘め事」の写真というのは、まあ、単純に、「商売で誰かに写真を撮らせた」という状況でなければ、あとは「本人同士で写真を撮った」かあるいは「盗撮」でしかない。当然い「盗撮」であるということは良くないのであろうが、まあ、「有名人」であればその湯翁な写真を「興味本位」で見たいと思う人もいるのかもしれない。
  まあ、あくまでも趣味の範囲であるが。
山尾志桜里 不倫疑惑が招いた“ラブホ全裸激似写真”流出騒動
 9歳年下の倉持麟太郎弁護士との不倫密会疑惑を報じられ、9月7日に民進党を離党した山尾志桜里衆院議員(43)のものという「ラブホ全裸」疑惑写真が流出し、物議をかもしている。
 「最近、ネットの一部掲示板などに、何者かによって“山尾議員のラブホ写真”としてアップされ拡散している画像です。山尾議員そっくりのショートカットの美熟女が、ラブホの部屋とみられる場所で豊満な胸と茶色の乳首を全開にし、バスタオルで体を拭いているような裸体が写っている。下半身も、パンティーは穿いておらず、ギリギリまで写っている」(ネットライター)
 写真の美女は確かに、山尾議員と同じくらいの年齢に見え、適度に脂がのった“セクシー完熟ボディー”。
 「ネット上ではさっそく、山尾議員と同一人物かどうか検証する動きが加速しています。ショートカットの髪形や横顔、輪郭、体格などは確かに激似。山尾議員もバスト約85センチのDカップといわれますが、写真の女性も、ほぼ同じ大きさ。本人の可能性もゼロとは言い切れないようです」(同)
 山尾議員といえば、その美しい顔立ちのため、小学生時代には芸能活動をしており、'86、'87年には人気ミュージカル『アニー』で初代アニー役を務めたほど。その後、東大法学部を卒業して司法試験に合格。'04年から検察官に就任し、'09年には当時の民主党で愛知7区から衆院選に初当選したため、必然的に芸能界からは遠ざかっていた。
 「山尾議員には会社経営者の夫との間に'11年に第1子をもうけましたが、今回の不倫騒動をうけ、一部で離婚協議中とも報じられました。周囲からは、今回の不倫疑惑を機にきっぱり離婚して議員も辞め、その美貌と知名度を生かして芸能界に復帰するよう勧める声が強まっています。もともと目立ちたがり屋だけに、女優復帰を果たしつつ、タレント弁護士として活動することを考え始めているようです」(政治担当記者)
 今のところ山尾議員は、次期衆院選に地元愛知から無所属で出馬する意向だ。
 「ただ、もし落選した場合、さらに芸能界復帰の動きが強まることは必至。同時に、不倫騒動への“みそぎ”も求められる。すでに一部出版関係者から“初の元美人議員ヌード写真集”話が複数舞い込んでいるといい、離婚のタイミングと合わせてPRすれば、爆発的ヒットは確実です」(同)
 全裸披露すれば、疑惑写真も明らかになる。
2017年10月03日 23時00分 週刊実話
https://news.nifty.com/article/domestic/government/12151-13820/
 まあ、そもそも不倫などをすれば、様々な下半身ネタの温床となる。当然に、ねつ造やコラージュ写真などを含め、そのようなものが出てきてもおかしくはない。もちろん本物である場合も考えられる。基本的には、そのような写真が出るということは、「きれいだ」と思う人も少なくないだろうし、また、「裸を見たい」と思っているような人もいるということに他ならない。そのように考えた場合、まあ、「女性としての魅力」を感じている人がいるのであるから、それはそれでよいことなのであろう。まあ、「不倫をする」ということは「不利ない手がいる」ということであり、そのようなことをする相手がいるということなのである。そう考えれば、まだ魅力があるということであり、それなりの「写真の需要」も存在するのであろう。
  逆に言うと「不倫」ということは、「自分を女性的な魅力があるということを世の中に示している」ということである。そのアピールを「政治的な道具」として使っている露いうことになるのであるから、その分を割り引いて考えねばなるまい。
  「山尾議員には会社経営者の夫との間に'11年に第1子をもうけましたが、今回の不倫騒動をうけ、一部で離婚協議中とも報じられました。周囲からは、今回の不倫疑惑を機にきっぱり離婚して議員も辞め、その美貌と知名度を生かして芸能界に復帰するよう勧める声が強まっています。もともと目立ちたがり屋だけに、女優復帰を果たしつつ、タレント弁護士として活動することを考え始めているようです」(政治担当記者)<上記より抜粋>
  まあ、議員からタレントになったのは、最近では杉村太蔵など何人かいる。しかし、不倫でやめた議員がタレントになるというのはいかがなものであろうか。まあ、その時は、なおさらそのように見られるということになることをかくごすべきであろう、いずれにせよ、まあ、このような話題になること自体、忘れ去られることよりも良いのかもしれない。政治の格言では「悪名は無名に勝る」というのである。

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【土曜日のエロ】 「元女子アナ」では徐々に通用しなくなってきた女性タレントたちのセミヌードに思うこと

【土曜日のエロ】 「元女子アナ」では徐々に通用しなくなってきた女性タレントたちのセミヌードに思うこと
 土曜日のエロに火がやってきた。今週は国連に解散総選挙相変わらず北朝鮮のミサイルや核開発問題となかなか盛沢山な漢字であった。解散総選挙に関しては、なんと不倫議員の多いことか。宮崎某という京都選出の自民党の男性議員が妻の議員が妊娠中にモデルなどを自宅に呼んで浮気をしていたという話から、元芸能人の今井某のダブル不倫、それに民進党のホープといわれ幹事長にまで祭り上げられそうになった山尾某という女性議員の弁護士とのダブル不倫、ついでに言えば、野田総務大臣の夫がどうとか、埼玉の豊田という議員が暴言を吐いたとか、まあ、スキャンダルだらけで、面白いというかなんというか。
  しかし、いずれにせよ「女性議員の男性スキャンダル」が増えたなあと、そのように感じるのは私だけではなかろう。「男女平等」「女性の社会進出」といって「女性のスキャンダル進出」というようになってしまっているのではないか。まあ、どうでもよいのではないかと思うが、女性が社会に進出すれば当然に女性のスキャンダルも増える野であろうが、まああまりにも多いのでちょっと気になる。
  まあ、社会に進出して活躍している女性は、やはり「他人に見られている」ということで実際に女性が美しく見えることも少なくない。もちろん家庭に入っている女性も非常に美しい人も少なくないが、ある意味で「見られている」という意識は「普通の人をより美しくする」とか「細かいところを気を付けるようになる」というような状況になるのではないか。それだけに男性のスキャンダルも少なくない感じであるし、また、スキャンダルがあったとしても「まあそんなもんかなあ」という感じがしないでもない。もちろん、私には何の関係もないことであるし、不倫いていたからといって、政治とはあまり関係ないというのが私の基本的なスタンスなのであるが。
  さて、「見られている」という意味では「芸能人」や「アナウンサー」もその中の一人であろう。まさに、「見られている」ということは、それなりに美しさを保つ秘訣なのであろうか。その「美しさ」というのは「見られている」ということと同時に「見せたい」というよう感覚に代わってくる「ポイント」があるということを聞いたことがある。実際に、そのような「ポイント」を超えた人しか芸能界というのは残らないらしい。
  さて、そのような「タレント」といわれる「元アナウンサー」がセミヌードになるという。
田中みな実のセミヌードに見る、“元女子アナ”サバイバルの時代到来
 フリーアナウンサーの田中みな実(30)が、女性誌『an・an』(マガジンハウス)で、肘で隠した美乳を披露し話題を集めている。
「TBSアナ時代は“ぶりっ子”を売りにしていましたが、3年前のフリー転身後は“ぶっちゃけキャラ”に変身。オリエンタルラジオの藤森慎吾(34)との熱愛や破局を自らネタにして話題を集めました」(芸能デスク)
 局アナ出身の宮根誠司(54)や羽鳥慎一(46)と同じ事務所に所属。
「レギュラーは複数抱えているものの、男に媚びるような言動が女性に嫌われ、週刊文春の『嫌いな女子アナ』ランキングでも2位。30代になり、今の路線では早晩行き詰まる。局アナ時代はサラシで巻いて隠していたという美乳を披露するのに女性誌を選んだのは、その危機感の現れ。女性人気を意識したものでしょう」(同前)
 田中の危機感の背景には、“元局アナ”の飽和状態がある、と放送記者が指摘する。
「一時は雪崩を打ったように女子アナの独立が相次いだが、10年にフジを退社しフリーになった高島彩(38)を境に、その後はパッとしない。NHKのアイドルアナだった神田愛花(37)は12年に退局しましたが、バナナマン日村勇紀(45)との熱愛ネタが唯一の“活躍”の場。7年前に日テレからフリーになった脊山麻理子(37)に至っては、割り切ったように美尻を武器にグラドルとして活路を見出している。皮肉にも、コンドーム騒動が一因で11年に日テレを退社した夏目三久(33)が、朝の情報番組の顔としていちばん活躍している」
 昨年フリーになった大物、元フジの加藤綾子(32)クラスも決して楽観はできない。
「報道・情報番組は安定感のある男性需要が高く、女性は安藤優子(58)を筆頭にベテランが聖域を守り続けていて、元局アナの入る余地はない。バラエティは自前の女子アナを使う傾向が強く、フリーの需要は少ない。独立説が喧伝されていたNHKの有働由美子アナ(48)でも厳しい。それは本人もわかっている。人気者の日テレ・水卜麻美アナ(30)も然り。今は、寿退社以外は局に残るほうが賢明です」(テレビ局関係者)
“元女子アナ”の看板だけでは通用しない、サバイバルの時代が到来している。
(「週刊文春」編集部)
2017年9月16日 7時0分 文春オンライン
http://news.livedoor.com/article/detail/13619828/
 アナウンサーがアナウンサーを続けたいのであれば、そのままテレビやラジオの局に残ればよいことである。なぜ「局」に残らないのか。一つはテレビ局の使い方。30になるとバラエティなどには使いづらくなり、結局はニュース・報道、そして記者や解説員などを兼務することになる。そのような仕事を全くしていない「知識のない、かわいいだけのアナウンサー」は、そこから先は道が無くなってしまうということになる。
  そのたっめに「タレント」として、収入安定よりも収入の良い方に行くのと同時に「知識」ではなく「かわいさ」「見られるということ」に磨きをかけるのである。
  さて、そのような「フリーの女子アナ」というのは。実は少なくない。記事にはこのように書いているが、ここにあるのは氷山の一角でしかないのである。実際に、女性アナといわれる人は非常にきれいな女性が多いのであるが、一方で「アナウンサーだなぁ」と思うことが少なくない。私の知り合いには申し訳ないのであるが、「専門がない」というような気がしてしまう。アナウンサーというのは、どういても「他人のことを話す・伝える」という職業であることから、逆に、本人のことでも「他人事」に聞こえてしまう瞬間があるのである。
  同時に「他人事」に見えてしまうので、「今回のエロ話題」のように「セミヌード」というようになると、急に見る目が変わってしまう。他のグラビアアイドルという種族の人々は「目新しい」という場合は良いが「見飽きた」と思うことも少なくない。正直「またか」という感じが出てしまうが、普段「固い職業」と思っている女性が「ヌード」となると、「ギャップ」に見入ってしまう場合があるのである。同時に「他人事」が急に「自分のこと」というようになるということも十分に見えてくる。
  ちなみに女子アナとは全く関係なく「セミヌード」というのは、なかなか悩ましい。どこまでが「セミ」なのか、なかなか難しいところではないのか。逆に「妄想」が膨らむことから逆に「エロティシズム」を感じることがあるのである。まあ、この田中みな実というアナウンサーの場合は、「どうなのかな」ということはあえて聞かないことにして、女性の魅力というのは、私の個人的なところでは「柔らかさ」と「曲線」であると思っているので、その意味においては、「アナウンサーのギャップ」という「固い仕事」と「柔らかさの演出としてのセミヌード」というコントラストは、特に悩ましい限りなのである。
  まあ、それも「初めのうち」だけなのかもしれない。そのうち「女子アナのヌード」などが見飽きてしまう時期が来るのであろうか。

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「書店が無くなっている」という報道に対しての独り言

「書店が無くなっている」という報道に対しての独り言
 先週の火曜日、8月22日のブログで、『夏休み明けなので政治などの話題よりもまず皆さんに質問です「本を何冊読みましたか」と答えられない高校生』(http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/2017/08/post-74dc.html)というブログを書いた。
  実際に、そのブログの中でも書いたが、電車の中などで本を読んでいる人はほとんど見なくなった。このことは、そのまま「本を買う店で本が売れなくなった」ということを意味している。「書店ゼロの自治体が2割を超えた」というのだる。これは、商業の原則でありなおかつ、資本主義の原則であるとはいえ、非常に残念なことではないか。
  もちろん、一つには流通形態が変わってしまったということがある。単純に言って、再販制度という制度が存在し、そのことによって「本」そのものには中古本以外は自由競争が存在し無い。そのために「本を買う」というのはネットであっても、本屋であっても、あるいはそれ以外の場所でも全く同じになってしまう。それならば「ほしい本」」は、ネットで探せばよいのである。ある意味で、私自身は「価格競争がない」ということは「本屋の独自性がない」ということになってしまい、そのために、どこでどのように買ってもよいということになってしまい、本屋そのものが徐々に衰退してしまうということになる。
  もちろん、自由競争であるからといって生き残れるものではない。特にネット通販などができる場合には、そちらに物販がとられてしまうということに関しては、ある意味仕方がないことになる。「本屋に行く」「本屋で目当てもなく本を見て気に入ったものを手にする」ということが日常化しなければ、そのようなはなしにはならない。本屋に喫茶店が併設荒れていたり、あるいは、本屋が気軽に暑い夏に涼むことができるような休憩所になっていたりすれば、うまくゆくのかもしれないが、ほんの万引き防止などがかなりきつくなってしまったためにかえって客離れが起きてしまったということになるのである。
  そのために、本屋がどんどんと無くなってしまい、本屋そのものがない自治体が増えてしまっている。本屋がないということは、そのまま、「本屋に行く妙に隣の市町村に行かなければならない」ということになってしまうのである。それだけ、多くの人の「本との出会い」が無くなってしまう。
書店ゼロの自治体、2割強に 人口減・ネット書店成長…
 書店が地域に1店舗もない「書店ゼロ自治体」が増えている。出版取り次ぎ大手によると、香川を除く全国46都道府県で420の自治体・行政区にのぼり、全国の自治体・行政区(1896)の2割強を占める。「文化拠点の衰退」と危惧する声も強い。
 トーハン(東京)の7月現在のまとめによると、ゼロ自治体が多いのは北海道(58)、長野(41)、福島(28)、沖縄(20)、奈良(19)、熊本(18)の順。ほとんどは町村だが、北海道赤平市、同歌志内(うたしない)市、茨城県つくばみらい市、徳島県三好市、熊本県合志(こうし)市、宮崎県串間市、鹿児島県垂水(たるみず)市など7市や、堺市美原区、広島市の東・安芸両区の3行政区もゼロだ。
 出版取り次ぎ大手・日本出版販売(東京)の別の統計では「書店ゼロ自治体」は4年前より1割増えた。
 全国の書店数は1万2526店で、2000年の2万1654店から4割強も減った(書店調査会社アルメディア調べ、5月現在)。人口減や活字離れがあるほか、書店の売り上げの6~7割を占める雑誌の市場規模は10年前の6割に縮小。紙の本の市場の1割を握るアマゾンなど、ネット書店にも押される。経営者の高齢化やコンビニの雑誌販売なども影響する。日本出版インフラセンターの調査では、過去10年で299坪以下の中小書店は減少したものの、300坪以上の大型店は868店から1166店に増加。書店の大型化が進む。
 街の書店は、子どもが絵本や児童文学を通じて活字文化の魅力に接する場であり、ネットが苦手な人の情報格差を埋める機能もある。地方都市では地域の人が集い交流する場でもあった。手にとって未知の本を読み、関心の領域を広げる機会も得られる。
 作家で、文字・活字文化推進機構(東京)副会長の阿刀田(あとうだ)高さんは「書店は紙の本との心ときめく出会いの場で、知識や教養を養う文化拠点。IT時代ゆえに減少は避けられないが、何とか残していく必要がある」と話す。
 
朝日新聞デジタル 20170824
http://www.asahi.com/articles/ASK8R5FDVK8RUCLV00Q.html
 全国の書店数は1万2526店で、2000年の2万1654店から4割強も減った(書店調査会社アルメディア調べ、5月現在)。<上記より抜粋>まさにこの数字がすべてである。
 先週の火曜日のブログでも書いたが「なぜ活字離れが起きるのか」といことをしっかりと考えなければならない。私は、学校教育に非常につらく当たっているとことがあるが、実際に「漫画」は大人から子供まで読んでいながら、活字は読まなくなってしまっている。これは、「活字を勉強として『義務』として強制してる」から、多くの人が嫌ってしまうのであり、「活字の面白さ」を教えいていないことが問題なのではないかと考えている。「書店は紙の本との心ときめく出会いの場で、知識や教養を養う文化拠点。IT時代ゆえに減少は避けられないが、何とか残していく必要がある」<上記より抜粋>とある、実際にペンクラブの中で阿刀田先生には、何度かお目にかかっているので、直接様々な話を聞かなければならないのであるが、IT時代とはいえ「漫画」が面白いと思う人は少なくないわけであり、漫画雑誌である「少年ジャンプ」などは、多くの人が駅の売店やコンビニで購入している状況にある。同じに並んでいるコンビニや駅の売店に文庫本などはほとんどなく、このこと一つでも「魅力がない」ということになってしまっている。「文化の拠点」などということを言うのは簡単d根あるが、「そこに文化がある」という楽しさを教えなければならない。ハジメカラ「プロの意見」「好きな人の思い」だけではなく「あまり活字と関係のない人が魅力を感じるプロセスの中で物事に興味を持たせる」ということが必要なのである。
  では、ここでいう活字の面白さは何か。
  私がよく言うのであるが「黒髪のきれいな女」といったとき、この文字列を呼んだ人のほとんどは「女性の容姿」は違う女性を想像している。基本的に黒髪のきれいな芸能人を考えている人もいれば、近くの美人や飲み屋の看板娘などを思い浮かべる人もいる。当然に、「黒髪のきれいな女」のその後書かれる行動などは、自分の頭の中で映像ができ、そして、その頭の中の女性が自然と映像ができ個性を帯びて勝手に動き出す。しかし、漫画であれば、先に映像があるので、その映像(絵)が動くのであり、その絵から想像できる内容というように「自分の空想の幅が少なくなる」ということにある。
  「自分の妄想」は無限であり、その妄想の幅が多いほど、文字に書かれていなかったり、小説や漫画が終わった後の物語を想定できる。その「自分の中の妄想」を楽しめるのは「妄想の余裕」が多い方が楽しいのではないか。漫画以上に、というか「二次元」以上に「文字だけの一次元」の方が、さまざまな空想が出来上がり、その空想を共有することによって新たなものが生まれてくる。作家の者を読みながら自分の頭の中で新たなキャラクターやその物語を作ることができるということが、最も面白いはずなのである。
  その「楽しみ」の「出会いの場」をもっと大事にしてはいかがであろうか。

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夏休み明けなので政治などの話題よりもまず皆さんに質問です「本を何冊読みましたか」と答えられない高校生

夏休み明けなので政治などの話題よりもまず皆さんに質問です「本を何冊読みましたか」と答えられない高校生
 夏休みは「夏休みのエロ」でなんと一週間もエロばかりをやっていたので、何とも政治や経済の話題から遠ざかってしまったような気がする。そのために、なかなか感覚が戻らないという難しいところが出てくるのである。そこで感覚を取り戻すために、今日はあえて「社会」からスタートしようと思う。
  さて、ところで皆さんに伺いますが、「この夏休みに本は何冊読みましたか?」という質問に、皆さんは何と答えるだろうか。
  実際に、海外に行ったとか、スポーツを楽しんだというような話は十分に聞くし、また、家族サービスなどで何もできなかった人も少なくないとは思う。しかし、最近、電車の中などで、それは夏休みに限ったことではなく、長距離であっても普段の通勤電車の中でも、カバンの中から文庫本を取り出して読んでいる人をほとんど見なくなった。最も多いのはスマホを取り出して、SNSなどをやっているかあるいはゲームをしている姿。その次に多いのは漫画を読んでいる人である。中には、ノートを広げて勉強をしている人もいれば、テキストを読んでいる人もいるが「趣味で本を読んでいる人」がほとんどいなくなってしまったのではないかというような気がしてならない。
  もちろん、ゲームをしてはいけないというのではないし、また、ほかのことをしてはいけないというものでもない。漫画では知識が入らないというのでもない。しかし、実際に本を読まなくなった人が多くなったと思う。もちろんそれだけ「多様性」が出てきたということであるが、一方で、「本を読むという習慣」ができなくなってきてるのではないかという気がしてならないのである。
  もちろん、私のように「作家業」を営んでいる人にとっては死活問題であるが、一方で、「本を読まなくなった人」の不利益というものが存在するのではないか。同時に、その本を読まなくなったのはなぜなのか。何となくそんなことを感が手見ることにした。
高校生の不読率57%、きっかけや読書習慣を…有識者会議
 半数以上の高校生が、1か月間に本を1冊も読んでいないことが、文部科学省の「子供の読書活動推進に関する有識者会議」より明らかになった。高校生が本を読まない理由は、「ほかの活動などで時間がなかったから」がもっとも多かった。
 調査は、全国学校図書館協議会と毎日新聞社が実施した「学校読書調査」、文部科学省委託調査「子供の読書活動の推進等に関する調査研究」など。8月1日開催の第1回子供の読書活動推進に関する有識者会議において、「子供の読書活動に関する現状と論点」として紹介された。
 これによると、1か月間に本を1冊も読まない児童・生徒の割合を示す「不読率」は、平成28年度が高校生57.1%、中学生15.4%、小学生4.0%。学校段階が進むにつれて、子どもが読書をしなくなる傾向がみられた。
 平成25年策定の第3次「子どもの読書活動の推進に関する基本的な計画」では、不読率の目標値を平成29年度(おおむね5年後)に高校生40%以下、中学生12%以下、小学生3%以下、平成34年度(10年後)に高校生26%以下、中学生8%以下、小学生2%以下と定めているが、現状では目標達成にいたっておらず、特に高校生の不読率が高い状況にある。
 高校生が本を読まない理由は、「ほかの活動などで時間がなかったから」がもっとも多く、64.5%にのぼった。このほか、「ほかにしたいことがあったから」47.3%、「普段から本を読まないから」32.8%などの回答も多かった。
 高校生が本を読まない理由と中学生までの読書量を比較して分析したところ、「ほかの活動などで時間がなかったから」という高校生は中学生までの読書量が多く、本好きである一方、「普段から本を読まないから」という高校生は中学生までの読書量も少なく、本好きではない傾向にあった。
 「子供の読書活動推進に関する有識者会議」では、「時間がない」「ほかにしたいことがある」などの理由で本を読まなくなる高校生については、「限られた時間の中で読書し、読書の優先順位が上がるようなきっかけづくりを行う必要がある」と指摘。中学から高校にかけてずっと本を読まない子どもには「高校生になるまでに読書習慣を形成する必要がある」と分析している。
 会議の論点(案)には「子どもが本を読み、本を好きになるためには、発達段階に応じてどのような取組みが有効か」「書評、メディア、SNSなどほかの活動と結び付けて行う読書をどのように評価し、どのように推進するか」などを論点にあげ、会議内で読書習慣の形成や読書のきっかけづくり、地方公共団体における推進体制などを検討する予定。
2017年08月16日 16時45分 リセマム
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12185-39844/
 「本を読むこと」に対して「義務」が存在するということである。実際に、押し付けられてしまうと人間はそのことに反発してしまう。同時に「いつでもできる」と思うと「今はやらない」となってしまうところも大きな問題である。そのように考えれば、「本を読む」というのが「義務」で「いつでもできること」になってしまっているような気がする。
  例えばスマホのゲームなどは「期間限定のイベント」などがあり、そのイベントでしか手に入らないというようなモティベーションが存在するが、本はそのようなものはない。そのために、本そのもの「今やらなければならない義務感」ということは全くないということになる。
  そのうえ、しばらく掘っておけば、「漫画」そして「ドラマ」または「映画」になってしまい、本を読むまでの必要性が存在し無いということになるのである。これではどんどんと本は読まなくなってしまう。
 逆に、「本を自由に読めない国」に行ってみると話は変わる。例えば、中華人民共和国のように情報が統制されており、そのうえ、その情報が入らない国である。信じられるかどうかは別にして中国の国内では「天安門事件」も「劉暁波」もhとんどの人は知らないという状況である。徐々に本もなくなってきており、そのような人々は逆に「情報に飢えている」ということになる。
  このように考えると「いつでもある」「なんでもできる」だけではなく「飢餓感」のようなものがないとなかなかうまくゆかないということになる。それだけ情報があふれてしまっており、そのうえで、学校が「面白くもない本」(学生にとって)を無理やり読ませるということが本を読まなくなる不人気に拍車をかけているという現状があり、そのうえで、会議の論点(案)には「子どもが本を読み、本を好きになるためには、発達段階に応じてどのような取組みが有効か」「書評、メディア、SNSなどほかの活動と結び付けて行う読書をどのように評価し、どのように推進するか」などを論点<上記より抜粋>というような感じで、やってしまうために、読書離れができてしまう。
  まずは「本」つまり「文字」問う一次元から物事を想定するということ、画像が頭の中で結べるということを楽しみ、そのうえで、読書の習慣を見る。あとは「人間性の発展」によって、本は読めるようになるものであり、「人間性」(本を読まない人が人間性がないというのではなく本を読む人間性という意味で)の形成ができなければ、それは苦痛でしかないということになるのである。当然に安易に情報が入る方に物事は進んでしまうということになるのだ。
  それらのことがわかっていない人が多いのではないか。実際にそのように思うのである。まあ、作家の独り言という感じである。

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