日記・コラム・つぶやき

【土曜日のエロ】 弱り目に祟り目という言葉の通りの山尾志桜里議員の激似ラブホ全裸写真騒動という「お笑い」

【土曜日のエロ】 弱り目に祟り目という言葉の通りの山尾志桜里議員の激似ラブホ全裸写真騒動という「お笑い」
 土曜日のエロの日になった。今週は、基本的には解散総選挙の流れの中のニュースばかりであった。結局この「エロ」もその流れの中で物事を「あわせて」ゆかなければならない。もちろん、エロを公約にあげてくれるような人がいれば、当然にそれを取り上げるのであるが、残念ながらそのような奇特な立候補者はい内容である。そのために、悲しく普通の話をしなければならい。と、思っていた。しかし、そうではないかった。
  今回は週刊実話の記事から。あの不倫疑惑の「ラブホ写真」がネットで出回っているというのである。まあ、本当に似ているのか同課などは非常に難しい。まあ、実際に本物であったとしても、上方が寝乱れていたり、あるいは、化粧を落としたりしていて全く分からないときがある。まあ、芸能人などは、基本的に、その時の顔を「作る」のであるから、その作っていないときの顔などはわかるはずがない。実際に、町の中で芸能人を見たとしても、その人のことがわからなかったりする。自分の思い描いているイメージと違う場合もあるし、上方や体の大きさ名付ドがイメージと違ってしまっては、なかなか気づかない場合が少なくない。
  しかし、山尾志桜里の場合もちろん人前に言出る立場ではあるものの、別に芸能人ではないのである。そのうえ、単純に「きれい」であるかどうかは人それぞれの好みであるから言わないまでも、年齢的に特別に若いわけでもなく、また元が芸能人であったという人でもない。そのように考えると、この人の「ラブホ写真」を見たいのか?という単純な疑問になるのである。
  さて、これらの「秘め事」の写真というのは、まあ、単純に、「商売で誰かに写真を撮らせた」という状況でなければ、あとは「本人同士で写真を撮った」かあるいは「盗撮」でしかない。当然い「盗撮」であるということは良くないのであろうが、まあ、「有名人」であればその湯翁な写真を「興味本位」で見たいと思う人もいるのかもしれない。
  まあ、あくまでも趣味の範囲であるが。
山尾志桜里 不倫疑惑が招いた“ラブホ全裸激似写真”流出騒動
 9歳年下の倉持麟太郎弁護士との不倫密会疑惑を報じられ、9月7日に民進党を離党した山尾志桜里衆院議員(43)のものという「ラブホ全裸」疑惑写真が流出し、物議をかもしている。
 「最近、ネットの一部掲示板などに、何者かによって“山尾議員のラブホ写真”としてアップされ拡散している画像です。山尾議員そっくりのショートカットの美熟女が、ラブホの部屋とみられる場所で豊満な胸と茶色の乳首を全開にし、バスタオルで体を拭いているような裸体が写っている。下半身も、パンティーは穿いておらず、ギリギリまで写っている」(ネットライター)
 写真の美女は確かに、山尾議員と同じくらいの年齢に見え、適度に脂がのった“セクシー完熟ボディー”。
 「ネット上ではさっそく、山尾議員と同一人物かどうか検証する動きが加速しています。ショートカットの髪形や横顔、輪郭、体格などは確かに激似。山尾議員もバスト約85センチのDカップといわれますが、写真の女性も、ほぼ同じ大きさ。本人の可能性もゼロとは言い切れないようです」(同)
 山尾議員といえば、その美しい顔立ちのため、小学生時代には芸能活動をしており、'86、'87年には人気ミュージカル『アニー』で初代アニー役を務めたほど。その後、東大法学部を卒業して司法試験に合格。'04年から検察官に就任し、'09年には当時の民主党で愛知7区から衆院選に初当選したため、必然的に芸能界からは遠ざかっていた。
 「山尾議員には会社経営者の夫との間に'11年に第1子をもうけましたが、今回の不倫騒動をうけ、一部で離婚協議中とも報じられました。周囲からは、今回の不倫疑惑を機にきっぱり離婚して議員も辞め、その美貌と知名度を生かして芸能界に復帰するよう勧める声が強まっています。もともと目立ちたがり屋だけに、女優復帰を果たしつつ、タレント弁護士として活動することを考え始めているようです」(政治担当記者)
 今のところ山尾議員は、次期衆院選に地元愛知から無所属で出馬する意向だ。
 「ただ、もし落選した場合、さらに芸能界復帰の動きが強まることは必至。同時に、不倫騒動への“みそぎ”も求められる。すでに一部出版関係者から“初の元美人議員ヌード写真集”話が複数舞い込んでいるといい、離婚のタイミングと合わせてPRすれば、爆発的ヒットは確実です」(同)
 全裸披露すれば、疑惑写真も明らかになる。
2017年10月03日 23時00分 週刊実話
https://news.nifty.com/article/domestic/government/12151-13820/
 まあ、そもそも不倫などをすれば、様々な下半身ネタの温床となる。当然に、ねつ造やコラージュ写真などを含め、そのようなものが出てきてもおかしくはない。もちろん本物である場合も考えられる。基本的には、そのような写真が出るということは、「きれいだ」と思う人も少なくないだろうし、また、「裸を見たい」と思っているような人もいるということに他ならない。そのように考えた場合、まあ、「女性としての魅力」を感じている人がいるのであるから、それはそれでよいことなのであろう。まあ、「不倫をする」ということは「不利ない手がいる」ということであり、そのようなことをする相手がいるということなのである。そう考えれば、まだ魅力があるということであり、それなりの「写真の需要」も存在するのであろう。
  逆に言うと「不倫」ということは、「自分を女性的な魅力があるということを世の中に示している」ということである。そのアピールを「政治的な道具」として使っている露いうことになるのであるから、その分を割り引いて考えねばなるまい。
  「山尾議員には会社経営者の夫との間に'11年に第1子をもうけましたが、今回の不倫騒動をうけ、一部で離婚協議中とも報じられました。周囲からは、今回の不倫疑惑を機にきっぱり離婚して議員も辞め、その美貌と知名度を生かして芸能界に復帰するよう勧める声が強まっています。もともと目立ちたがり屋だけに、女優復帰を果たしつつ、タレント弁護士として活動することを考え始めているようです」(政治担当記者)<上記より抜粋>
  まあ、議員からタレントになったのは、最近では杉村太蔵など何人かいる。しかし、不倫でやめた議員がタレントになるというのはいかがなものであろうか。まあ、その時は、なおさらそのように見られるということになることをかくごすべきであろう、いずれにせよ、まあ、このような話題になること自体、忘れ去られることよりも良いのかもしれない。政治の格言では「悪名は無名に勝る」というのである。

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【土曜日のエロ】 「元女子アナ」では徐々に通用しなくなってきた女性タレントたちのセミヌードに思うこと

【土曜日のエロ】 「元女子アナ」では徐々に通用しなくなってきた女性タレントたちのセミヌードに思うこと
 土曜日のエロに火がやってきた。今週は国連に解散総選挙相変わらず北朝鮮のミサイルや核開発問題となかなか盛沢山な漢字であった。解散総選挙に関しては、なんと不倫議員の多いことか。宮崎某という京都選出の自民党の男性議員が妻の議員が妊娠中にモデルなどを自宅に呼んで浮気をしていたという話から、元芸能人の今井某のダブル不倫、それに民進党のホープといわれ幹事長にまで祭り上げられそうになった山尾某という女性議員の弁護士とのダブル不倫、ついでに言えば、野田総務大臣の夫がどうとか、埼玉の豊田という議員が暴言を吐いたとか、まあ、スキャンダルだらけで、面白いというかなんというか。
  しかし、いずれにせよ「女性議員の男性スキャンダル」が増えたなあと、そのように感じるのは私だけではなかろう。「男女平等」「女性の社会進出」といって「女性のスキャンダル進出」というようになってしまっているのではないか。まあ、どうでもよいのではないかと思うが、女性が社会に進出すれば当然に女性のスキャンダルも増える野であろうが、まああまりにも多いのでちょっと気になる。
  まあ、社会に進出して活躍している女性は、やはり「他人に見られている」ということで実際に女性が美しく見えることも少なくない。もちろん家庭に入っている女性も非常に美しい人も少なくないが、ある意味で「見られている」という意識は「普通の人をより美しくする」とか「細かいところを気を付けるようになる」というような状況になるのではないか。それだけに男性のスキャンダルも少なくない感じであるし、また、スキャンダルがあったとしても「まあそんなもんかなあ」という感じがしないでもない。もちろん、私には何の関係もないことであるし、不倫いていたからといって、政治とはあまり関係ないというのが私の基本的なスタンスなのであるが。
  さて、「見られている」という意味では「芸能人」や「アナウンサー」もその中の一人であろう。まさに、「見られている」ということは、それなりに美しさを保つ秘訣なのであろうか。その「美しさ」というのは「見られている」ということと同時に「見せたい」というよう感覚に代わってくる「ポイント」があるということを聞いたことがある。実際に、そのような「ポイント」を超えた人しか芸能界というのは残らないらしい。
  さて、そのような「タレント」といわれる「元アナウンサー」がセミヌードになるという。
田中みな実のセミヌードに見る、“元女子アナ”サバイバルの時代到来
 フリーアナウンサーの田中みな実(30)が、女性誌『an・an』(マガジンハウス)で、肘で隠した美乳を披露し話題を集めている。
「TBSアナ時代は“ぶりっ子”を売りにしていましたが、3年前のフリー転身後は“ぶっちゃけキャラ”に変身。オリエンタルラジオの藤森慎吾(34)との熱愛や破局を自らネタにして話題を集めました」(芸能デスク)
 局アナ出身の宮根誠司(54)や羽鳥慎一(46)と同じ事務所に所属。
「レギュラーは複数抱えているものの、男に媚びるような言動が女性に嫌われ、週刊文春の『嫌いな女子アナ』ランキングでも2位。30代になり、今の路線では早晩行き詰まる。局アナ時代はサラシで巻いて隠していたという美乳を披露するのに女性誌を選んだのは、その危機感の現れ。女性人気を意識したものでしょう」(同前)
 田中の危機感の背景には、“元局アナ”の飽和状態がある、と放送記者が指摘する。
「一時は雪崩を打ったように女子アナの独立が相次いだが、10年にフジを退社しフリーになった高島彩(38)を境に、その後はパッとしない。NHKのアイドルアナだった神田愛花(37)は12年に退局しましたが、バナナマン日村勇紀(45)との熱愛ネタが唯一の“活躍”の場。7年前に日テレからフリーになった脊山麻理子(37)に至っては、割り切ったように美尻を武器にグラドルとして活路を見出している。皮肉にも、コンドーム騒動が一因で11年に日テレを退社した夏目三久(33)が、朝の情報番組の顔としていちばん活躍している」
 昨年フリーになった大物、元フジの加藤綾子(32)クラスも決して楽観はできない。
「報道・情報番組は安定感のある男性需要が高く、女性は安藤優子(58)を筆頭にベテランが聖域を守り続けていて、元局アナの入る余地はない。バラエティは自前の女子アナを使う傾向が強く、フリーの需要は少ない。独立説が喧伝されていたNHKの有働由美子アナ(48)でも厳しい。それは本人もわかっている。人気者の日テレ・水卜麻美アナ(30)も然り。今は、寿退社以外は局に残るほうが賢明です」(テレビ局関係者)
“元女子アナ”の看板だけでは通用しない、サバイバルの時代が到来している。
(「週刊文春」編集部)
2017年9月16日 7時0分 文春オンライン
http://news.livedoor.com/article/detail/13619828/
 アナウンサーがアナウンサーを続けたいのであれば、そのままテレビやラジオの局に残ればよいことである。なぜ「局」に残らないのか。一つはテレビ局の使い方。30になるとバラエティなどには使いづらくなり、結局はニュース・報道、そして記者や解説員などを兼務することになる。そのような仕事を全くしていない「知識のない、かわいいだけのアナウンサー」は、そこから先は道が無くなってしまうということになる。
  そのたっめに「タレント」として、収入安定よりも収入の良い方に行くのと同時に「知識」ではなく「かわいさ」「見られるということ」に磨きをかけるのである。
  さて、そのような「フリーの女子アナ」というのは。実は少なくない。記事にはこのように書いているが、ここにあるのは氷山の一角でしかないのである。実際に、女性アナといわれる人は非常にきれいな女性が多いのであるが、一方で「アナウンサーだなぁ」と思うことが少なくない。私の知り合いには申し訳ないのであるが、「専門がない」というような気がしてしまう。アナウンサーというのは、どういても「他人のことを話す・伝える」という職業であることから、逆に、本人のことでも「他人事」に聞こえてしまう瞬間があるのである。
  同時に「他人事」に見えてしまうので、「今回のエロ話題」のように「セミヌード」というようになると、急に見る目が変わってしまう。他のグラビアアイドルという種族の人々は「目新しい」という場合は良いが「見飽きた」と思うことも少なくない。正直「またか」という感じが出てしまうが、普段「固い職業」と思っている女性が「ヌード」となると、「ギャップ」に見入ってしまう場合があるのである。同時に「他人事」が急に「自分のこと」というようになるということも十分に見えてくる。
  ちなみに女子アナとは全く関係なく「セミヌード」というのは、なかなか悩ましい。どこまでが「セミ」なのか、なかなか難しいところではないのか。逆に「妄想」が膨らむことから逆に「エロティシズム」を感じることがあるのである。まあ、この田中みな実というアナウンサーの場合は、「どうなのかな」ということはあえて聞かないことにして、女性の魅力というのは、私の個人的なところでは「柔らかさ」と「曲線」であると思っているので、その意味においては、「アナウンサーのギャップ」という「固い仕事」と「柔らかさの演出としてのセミヌード」というコントラストは、特に悩ましい限りなのである。
  まあ、それも「初めのうち」だけなのかもしれない。そのうち「女子アナのヌード」などが見飽きてしまう時期が来るのであろうか。

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「書店が無くなっている」という報道に対しての独り言

「書店が無くなっている」という報道に対しての独り言
 先週の火曜日、8月22日のブログで、『夏休み明けなので政治などの話題よりもまず皆さんに質問です「本を何冊読みましたか」と答えられない高校生』(http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/2017/08/post-74dc.html)というブログを書いた。
  実際に、そのブログの中でも書いたが、電車の中などで本を読んでいる人はほとんど見なくなった。このことは、そのまま「本を買う店で本が売れなくなった」ということを意味している。「書店ゼロの自治体が2割を超えた」というのだる。これは、商業の原則でありなおかつ、資本主義の原則であるとはいえ、非常に残念なことではないか。
  もちろん、一つには流通形態が変わってしまったということがある。単純に言って、再販制度という制度が存在し、そのことによって「本」そのものには中古本以外は自由競争が存在し無い。そのために「本を買う」というのはネットであっても、本屋であっても、あるいはそれ以外の場所でも全く同じになってしまう。それならば「ほしい本」」は、ネットで探せばよいのである。ある意味で、私自身は「価格競争がない」ということは「本屋の独自性がない」ということになってしまい、そのために、どこでどのように買ってもよいということになってしまい、本屋そのものが徐々に衰退してしまうということになる。
  もちろん、自由競争であるからといって生き残れるものではない。特にネット通販などができる場合には、そちらに物販がとられてしまうということに関しては、ある意味仕方がないことになる。「本屋に行く」「本屋で目当てもなく本を見て気に入ったものを手にする」ということが日常化しなければ、そのようなはなしにはならない。本屋に喫茶店が併設荒れていたり、あるいは、本屋が気軽に暑い夏に涼むことができるような休憩所になっていたりすれば、うまくゆくのかもしれないが、ほんの万引き防止などがかなりきつくなってしまったためにかえって客離れが起きてしまったということになるのである。
  そのために、本屋がどんどんと無くなってしまい、本屋そのものがない自治体が増えてしまっている。本屋がないということは、そのまま、「本屋に行く妙に隣の市町村に行かなければならない」ということになってしまうのである。それだけ、多くの人の「本との出会い」が無くなってしまう。
書店ゼロの自治体、2割強に 人口減・ネット書店成長…
 書店が地域に1店舗もない「書店ゼロ自治体」が増えている。出版取り次ぎ大手によると、香川を除く全国46都道府県で420の自治体・行政区にのぼり、全国の自治体・行政区(1896)の2割強を占める。「文化拠点の衰退」と危惧する声も強い。
 トーハン(東京)の7月現在のまとめによると、ゼロ自治体が多いのは北海道(58)、長野(41)、福島(28)、沖縄(20)、奈良(19)、熊本(18)の順。ほとんどは町村だが、北海道赤平市、同歌志内(うたしない)市、茨城県つくばみらい市、徳島県三好市、熊本県合志(こうし)市、宮崎県串間市、鹿児島県垂水(たるみず)市など7市や、堺市美原区、広島市の東・安芸両区の3行政区もゼロだ。
 出版取り次ぎ大手・日本出版販売(東京)の別の統計では「書店ゼロ自治体」は4年前より1割増えた。
 全国の書店数は1万2526店で、2000年の2万1654店から4割強も減った(書店調査会社アルメディア調べ、5月現在)。人口減や活字離れがあるほか、書店の売り上げの6~7割を占める雑誌の市場規模は10年前の6割に縮小。紙の本の市場の1割を握るアマゾンなど、ネット書店にも押される。経営者の高齢化やコンビニの雑誌販売なども影響する。日本出版インフラセンターの調査では、過去10年で299坪以下の中小書店は減少したものの、300坪以上の大型店は868店から1166店に増加。書店の大型化が進む。
 街の書店は、子どもが絵本や児童文学を通じて活字文化の魅力に接する場であり、ネットが苦手な人の情報格差を埋める機能もある。地方都市では地域の人が集い交流する場でもあった。手にとって未知の本を読み、関心の領域を広げる機会も得られる。
 作家で、文字・活字文化推進機構(東京)副会長の阿刀田(あとうだ)高さんは「書店は紙の本との心ときめく出会いの場で、知識や教養を養う文化拠点。IT時代ゆえに減少は避けられないが、何とか残していく必要がある」と話す。
 
朝日新聞デジタル 20170824
http://www.asahi.com/articles/ASK8R5FDVK8RUCLV00Q.html
 全国の書店数は1万2526店で、2000年の2万1654店から4割強も減った(書店調査会社アルメディア調べ、5月現在)。<上記より抜粋>まさにこの数字がすべてである。
 先週の火曜日のブログでも書いたが「なぜ活字離れが起きるのか」といことをしっかりと考えなければならない。私は、学校教育に非常につらく当たっているとことがあるが、実際に「漫画」は大人から子供まで読んでいながら、活字は読まなくなってしまっている。これは、「活字を勉強として『義務』として強制してる」から、多くの人が嫌ってしまうのであり、「活字の面白さ」を教えいていないことが問題なのではないかと考えている。「書店は紙の本との心ときめく出会いの場で、知識や教養を養う文化拠点。IT時代ゆえに減少は避けられないが、何とか残していく必要がある」<上記より抜粋>とある、実際にペンクラブの中で阿刀田先生には、何度かお目にかかっているので、直接様々な話を聞かなければならないのであるが、IT時代とはいえ「漫画」が面白いと思う人は少なくないわけであり、漫画雑誌である「少年ジャンプ」などは、多くの人が駅の売店やコンビニで購入している状況にある。同じに並んでいるコンビニや駅の売店に文庫本などはほとんどなく、このこと一つでも「魅力がない」ということになってしまっている。「文化の拠点」などということを言うのは簡単d根あるが、「そこに文化がある」という楽しさを教えなければならない。ハジメカラ「プロの意見」「好きな人の思い」だけではなく「あまり活字と関係のない人が魅力を感じるプロセスの中で物事に興味を持たせる」ということが必要なのである。
  では、ここでいう活字の面白さは何か。
  私がよく言うのであるが「黒髪のきれいな女」といったとき、この文字列を呼んだ人のほとんどは「女性の容姿」は違う女性を想像している。基本的に黒髪のきれいな芸能人を考えている人もいれば、近くの美人や飲み屋の看板娘などを思い浮かべる人もいる。当然に、「黒髪のきれいな女」のその後書かれる行動などは、自分の頭の中で映像ができ、そして、その頭の中の女性が自然と映像ができ個性を帯びて勝手に動き出す。しかし、漫画であれば、先に映像があるので、その映像(絵)が動くのであり、その絵から想像できる内容というように「自分の空想の幅が少なくなる」ということにある。
  「自分の妄想」は無限であり、その妄想の幅が多いほど、文字に書かれていなかったり、小説や漫画が終わった後の物語を想定できる。その「自分の中の妄想」を楽しめるのは「妄想の余裕」が多い方が楽しいのではないか。漫画以上に、というか「二次元」以上に「文字だけの一次元」の方が、さまざまな空想が出来上がり、その空想を共有することによって新たなものが生まれてくる。作家の者を読みながら自分の頭の中で新たなキャラクターやその物語を作ることができるということが、最も面白いはずなのである。
  その「楽しみ」の「出会いの場」をもっと大事にしてはいかがであろうか。

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夏休み明けなので政治などの話題よりもまず皆さんに質問です「本を何冊読みましたか」と答えられない高校生

夏休み明けなので政治などの話題よりもまず皆さんに質問です「本を何冊読みましたか」と答えられない高校生
 夏休みは「夏休みのエロ」でなんと一週間もエロばかりをやっていたので、何とも政治や経済の話題から遠ざかってしまったような気がする。そのために、なかなか感覚が戻らないという難しいところが出てくるのである。そこで感覚を取り戻すために、今日はあえて「社会」からスタートしようと思う。
  さて、ところで皆さんに伺いますが、「この夏休みに本は何冊読みましたか?」という質問に、皆さんは何と答えるだろうか。
  実際に、海外に行ったとか、スポーツを楽しんだというような話は十分に聞くし、また、家族サービスなどで何もできなかった人も少なくないとは思う。しかし、最近、電車の中などで、それは夏休みに限ったことではなく、長距離であっても普段の通勤電車の中でも、カバンの中から文庫本を取り出して読んでいる人をほとんど見なくなった。最も多いのはスマホを取り出して、SNSなどをやっているかあるいはゲームをしている姿。その次に多いのは漫画を読んでいる人である。中には、ノートを広げて勉強をしている人もいれば、テキストを読んでいる人もいるが「趣味で本を読んでいる人」がほとんどいなくなってしまったのではないかというような気がしてならない。
  もちろん、ゲームをしてはいけないというのではないし、また、ほかのことをしてはいけないというものでもない。漫画では知識が入らないというのでもない。しかし、実際に本を読まなくなった人が多くなったと思う。もちろんそれだけ「多様性」が出てきたということであるが、一方で、「本を読むという習慣」ができなくなってきてるのではないかという気がしてならないのである。
  もちろん、私のように「作家業」を営んでいる人にとっては死活問題であるが、一方で、「本を読まなくなった人」の不利益というものが存在するのではないか。同時に、その本を読まなくなったのはなぜなのか。何となくそんなことを感が手見ることにした。
高校生の不読率57%、きっかけや読書習慣を…有識者会議
 半数以上の高校生が、1か月間に本を1冊も読んでいないことが、文部科学省の「子供の読書活動推進に関する有識者会議」より明らかになった。高校生が本を読まない理由は、「ほかの活動などで時間がなかったから」がもっとも多かった。
 調査は、全国学校図書館協議会と毎日新聞社が実施した「学校読書調査」、文部科学省委託調査「子供の読書活動の推進等に関する調査研究」など。8月1日開催の第1回子供の読書活動推進に関する有識者会議において、「子供の読書活動に関する現状と論点」として紹介された。
 これによると、1か月間に本を1冊も読まない児童・生徒の割合を示す「不読率」は、平成28年度が高校生57.1%、中学生15.4%、小学生4.0%。学校段階が進むにつれて、子どもが読書をしなくなる傾向がみられた。
 平成25年策定の第3次「子どもの読書活動の推進に関する基本的な計画」では、不読率の目標値を平成29年度(おおむね5年後)に高校生40%以下、中学生12%以下、小学生3%以下、平成34年度(10年後)に高校生26%以下、中学生8%以下、小学生2%以下と定めているが、現状では目標達成にいたっておらず、特に高校生の不読率が高い状況にある。
 高校生が本を読まない理由は、「ほかの活動などで時間がなかったから」がもっとも多く、64.5%にのぼった。このほか、「ほかにしたいことがあったから」47.3%、「普段から本を読まないから」32.8%などの回答も多かった。
 高校生が本を読まない理由と中学生までの読書量を比較して分析したところ、「ほかの活動などで時間がなかったから」という高校生は中学生までの読書量が多く、本好きである一方、「普段から本を読まないから」という高校生は中学生までの読書量も少なく、本好きではない傾向にあった。
 「子供の読書活動推進に関する有識者会議」では、「時間がない」「ほかにしたいことがある」などの理由で本を読まなくなる高校生については、「限られた時間の中で読書し、読書の優先順位が上がるようなきっかけづくりを行う必要がある」と指摘。中学から高校にかけてずっと本を読まない子どもには「高校生になるまでに読書習慣を形成する必要がある」と分析している。
 会議の論点(案)には「子どもが本を読み、本を好きになるためには、発達段階に応じてどのような取組みが有効か」「書評、メディア、SNSなどほかの活動と結び付けて行う読書をどのように評価し、どのように推進するか」などを論点にあげ、会議内で読書習慣の形成や読書のきっかけづくり、地方公共団体における推進体制などを検討する予定。
2017年08月16日 16時45分 リセマム
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12185-39844/
 「本を読むこと」に対して「義務」が存在するということである。実際に、押し付けられてしまうと人間はそのことに反発してしまう。同時に「いつでもできる」と思うと「今はやらない」となってしまうところも大きな問題である。そのように考えれば、「本を読む」というのが「義務」で「いつでもできること」になってしまっているような気がする。
  例えばスマホのゲームなどは「期間限定のイベント」などがあり、そのイベントでしか手に入らないというようなモティベーションが存在するが、本はそのようなものはない。そのために、本そのもの「今やらなければならない義務感」ということは全くないということになる。
  そのうえ、しばらく掘っておけば、「漫画」そして「ドラマ」または「映画」になってしまい、本を読むまでの必要性が存在し無いということになるのである。これではどんどんと本は読まなくなってしまう。
 逆に、「本を自由に読めない国」に行ってみると話は変わる。例えば、中華人民共和国のように情報が統制されており、そのうえ、その情報が入らない国である。信じられるかどうかは別にして中国の国内では「天安門事件」も「劉暁波」もhとんどの人は知らないという状況である。徐々に本もなくなってきており、そのような人々は逆に「情報に飢えている」ということになる。
  このように考えると「いつでもある」「なんでもできる」だけではなく「飢餓感」のようなものがないとなかなかうまくゆかないということになる。それだけ情報があふれてしまっており、そのうえで、学校が「面白くもない本」(学生にとって)を無理やり読ませるということが本を読まなくなる不人気に拍車をかけているという現状があり、そのうえで、会議の論点(案)には「子どもが本を読み、本を好きになるためには、発達段階に応じてどのような取組みが有効か」「書評、メディア、SNSなどほかの活動と結び付けて行う読書をどのように評価し、どのように推進するか」などを論点<上記より抜粋>というような感じで、やってしまうために、読書離れができてしまう。
  まずは「本」つまり「文字」問う一次元から物事を想定するということ、画像が頭の中で結べるということを楽しみ、そのうえで、読書の習慣を見る。あとは「人間性の発展」によって、本は読めるようになるものであり、「人間性」(本を読まない人が人間性がないというのではなく本を読む人間性という意味で)の形成ができなければ、それは苦痛でしかないということになるのである。当然に安易に情報が入る方に物事は進んでしまうということになるのだ。
  それらのことがわかっていない人が多いのではないか。実際にそのように思うのである。まあ、作家の独り言という感じである。

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【夏休みのエロ特別版】 レイプ防止のために「薬に反応するストロー」を開発するという「レイプに薬を使われるという前提」で女性を守るアメリカ

【夏休みのエロ特別版】 レイプ防止のために「薬に反応するストロー」を開発するという「レイプに薬を使われるという前提」で女性を守るアメリカ
 この「夏休みのエロ特別版」も今日が最終日。基本的に土曜日であるということは、普段のエロと同じようにエロを書いているのだが、しかし、そのエロに関してこれだけ長々と書いていると、これはこれでよいのかという気がしてならない。まあ、来週からはいつものブログに戻してニュース解説を行おうと思っているのだが、しかし、まあ、感覚的に、このような漢字の内容もなかなか面白いのではないかという気がしてならない。
  しかし、数か月分ためてあるとはいえ、よくまあ一週間以上エロネタが続くものと思う。それだけ、エロに関するニュースが多いということに他ならない。それだけ「エロ」に関する犯罪も多ければ、それだけエロに関するニュースを読む人も多いということなのである。
  そもそも「エロ」とか「下ネタ」というものは、基本的には、「下品」なのである。しかし、「下品」であるということをはじめに全面に出して話をした場合、その扱っているネタが下品なだけに「うまく話せば面白い」ということになる。それは「下品になる」という認識が先にあることから、逆に「普通に話すだけで上品に感じる」ということになり、そして思った以上に「下品」にならなかったということから「面白み」も出てくるということになるのである。また「ネタが下品」であるということは「それ以上下に下がることがない」ということになるのであり、そのために「タブーが無くなる」ということも言える。つまり、「タブーがなく少々上品にするということで最も面白い」話になる。同時に「エロ」は多くの人がわかっているし、また共通の話題として存在するのであるから、そのためにエロに関する説明もそれほどいらない。核や政治の話とは違って前提条件なども何もいらないのである。
  そのように考えると「エロのネタ」というのは、そのエロが性風俗問うことを通して社会を映す最もよい鑑になっているだけではなく、その話題を扱っている人のセンスを見ることもでき、そして、その話題を読む人のセンスも見ることができるのである。
  そのような感じで「エロ」のネタを見てみる夏の特集である。
米女子高生、ドラッグ混入によるレイプ被害防止のため「薬に反応するストロー」開発
 欧米で問題となっている「デートレイプドラッグ」での被害を減らすため、3人の女子高生があるモノを開発した。
「デートレイプドラッグ」が問題に 海外では、性的暴行などを目的にお酒などに混ぜられる、通称「デートレイプドラッグ」という薬が問題になっている。「デートレイプドラッグ」のほとんどは、味もにおいも色の変化も起こさないため混入に気付くことが難しく、飲んでしまうと正常な判断が困難になり、意識を失うことも。それを使って、暴行を働く事件が発生している。
 そんな「デートレイプドラッグ」による被害を減らすために、マイアミの高校に通う女子高生3人が画期的な「ストロー」を開発した。
ドラッグに反応して色が変わるストローを開発 ヴィクトリア・ロサ、スサーナ・カペッロ、キャロライナ・バイゴリの3人が開発したのは、「デートレイプドラッグ」に反応して色が変わるストロー。開発者の一人であるヴィクトリアは、その使い方をウェブメディアInside Editionにこう説明している。
 「飲み物に入れると、ドラッグが入れられているかどうか判定してくれるんです。もしドラッグが入れられていたら、ストローの一部がネイビーに変わります」。
 飲みものの中に、ルーフィー(ロヒプノール)、GHB(ガンマヒドロキシ酪酸)、ケタミンといった、一般的に使用されている「デートレイプドラッグ」が混入されていた場合、ストローの色が変化。一目で安全な飲み物かどうかが判断できるという。
 開発者の女子高生キャロライナは、統計によると「5人に1人の女性」が「デートレイプドラッグ」による被害にあっていると報告。
 そして、「私たちはこれが解決策ではないことを分かっています。このストローによってレイプを終わらせることは出来ませんから。でも、レイプや、ドラッグによって危険な状況に巻き込まれる件数を減らすことが出来ることを望んでいます」と、コメントした。
 3人の女子高生たちは、全米の大学生にもこのストローを使用してもらい、レイプ被害の件数を減らしたいと考えている。
 最近では、今年の1月にドラマ『The OC』の女優ミーシャ・バートンが「デートレイプドラッグ」の被害に。薬の影響でふらふらと歩きまわるなど奇妙な行動をとっていたため、病院に搬送されるという事件が起こっていた。
フロントロウ 20170529
http://front-row.jp/_ct/17080532
 さて、今日扱っているのは、アメリカのレイプ事件防止のためのものである。
  さて「犯罪防止」ということに関して、さまざまなことがあげられる。そもそも「犯罪行為」そのものがなければよいのであるが、残念ながら、その犯罪行為を未然に防ぐということはかなり難しい。これが「性犯罪」であれば、殺人などと違って、まったく同じ行為が「プレイ」または「通常の夜の営み」として見えることであり、この犯罪かどうかの基準が主観によって異なるということから考えれば、そのことは「なかなか未然に防ぐことはできない」ということになる。
  イスラム教のサウジアラビアのように、夫婦または家族以外の男女が同じ個室内にいることが宗教の戒律によって禁止されているのであれば、まだ何とか未然に防ぐこともできる。もちろん、そのことは婚前交渉も自由恋愛もなくなるということに等しいのであるが、それを行えば、ある程度防ぐことは可能になる。当然に女性がヒジャブのような服装で女性としての魅力を見せることをしないというのであればなおさらであろう。
  しかし、残念ながら日本もアメリカもそのような状況ではない。それどころか、女性の社会進出がありなおかつ女性といえども夜に遊びまた残業をして社会のトップクラスになるチャンスがある。そのことは逆に「他人の目に触れる」機会がありなおかつ「その人の魅力を感じる人」も多くなる。また一人でいるということも少なくないということになることから、当然に「危険」も増えるということになる。
  つまりは「自由」ということと同時に「リスク」が増えるということになる。それが殺人のような犯罪であれば、だれが見て求めてくれるし助けてくれるが、しかし、性行為となれば、それが自由恋愛となった場合には、「助ける」つもりで「覗き」「痴漢」に間違われる危険があり、なかなか相手にされないということになる。女性側の主観によって異なるということはそれだけ、違う形になるということを意味しているのである。第三者的視点から事由れないであるかどうかはわからない。そのことがより一層リスクを増やしているということになるのである。
  その場合、「性行為」そのものを禁じるのではなく「最悪の状態を防ぐ」ということになる。日本では「レイプを是認する」というようなことになるのであまりやられないが、外国などでは「レイプ被害を少なくする」ということから「最悪を考えて妊娠させない」ということになり、コンドームを配るというような手段が講じられることもあるのだ。
  さて、今日のニュースでは、同様に「リスクがある」ということは当然のこととして、その中で「ドラッグ」を使われてしまう可能性を指摘、そのうえで、「ドラッグに反応するストロー」を開発したという。これによって「ドラッグを使われる可能性」を少なくしたということに他ならない。日本の場合は「ドラック自体を禁止する」としているが、そうはいっても、ドラッグが違法に輸入されたり、または違法に売買されていることをすべて検挙することはできない。そのためにある程度自衛しなければならないし、そのような薬を是認するのではなく、そのような薬がある程度は出回ってしまっているという現実を踏まえて「最悪の事態に備える」ということを考えるのである。これでも日本の婦人団体などは反対を表明偉、より一層、被害を深刻化させてしまうので面白いと思ってしまう。本当に守ろうとしているのか、それとも、危険を放置しようとしているのか全く分からない。
  、「私たちはこれが解決策ではないことを分かっています。このストローによってレイプを終わらせることは出来ませんから。でも、レイプや、ドラッグによって危険な状況に巻き込まれる件数を減らすことが出来ることを望んでいます」<上記より抜粋>
  この考え方が理解できるようになれば、日本の社会はもう少し変わるのではないか。なんにでも反対する人々は、その行為がレイプや犯罪を助長しているということに他ならないのではないか?そのように考えてしまうのである。

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【夏休みのエロ特別版】芸能人がテレビで言う「夜の営み」の重要性とそのテレビでの表現の自由を求める

【夏休みのエロ特別版】芸能人がテレビで言う「夜の営み」の重要性とそのテレビでの表現の自由を求める
 今日の内容は「記事」としては別に面白くもなんともないが、やはり「夜の営み」が重要であるということを改めてテレビなどで言うということがどれほど重要かということを書きたので、あえてどうでもよい記事を選んだ。
  記事の内容は、マツコ・デラックスがまちのなかを徘徊する番組の中で、新婚の夫婦に会い「夜の営みは大切」といったことを書いたものである。まあ、このマツコ・デラックスという芸能人はなかなか他の人が言いにくい内容をいとも簡単にいえる「奇特なキャラクター」である。昔、私は、このブログや他の記事の中で、その時代に政治に関して何でも言える人、何を言ってもあまり非難されない人を三人あげたことがある。一人は石原慎太郎、当時は都知事で排気ガス規制で、記者にタールを振りかけたことで有名になった。まあ、もともとは小説家であり、そのうえ、過激な発言で有名になっていたので、別に過激な発言に関する非難離れていたしまた小説家らしい言葉で適当に喜捨を煙にくことができた。もう一人が田中真紀子。当時は民主党の議員であったが、やはり歯に衣着せぬ物言いであった。避難などもかなり来たと思うが、やはりもっと強烈であった父田中角栄の影響と、外務大臣をやったときの印象から、逆に何か過激なことを言ってくれるものと多くの人が期待していた。そして北野武、いやビートたけしといった方がよいかもしれない。この人も、政治に関してだけではなく、さまざまないいにくいことを平気で言い、そのうえでうまく笑いでごまかすという技術があった人だ。
  石原慎太郎と、田中真紀子があまりテレビで見なくなって、その中で「おかま」ということをうまく使った「物言い」で人気を博しているのがマツコ・デラックスではないかと思う。基本的に「他人の言いにくいことを、いかに笑いを交えて本音で語ることができるか」ということであり、なかなか面白い。
  さて、「夜の営みが大切」というのは、至極当たり前のことであり、夫婦であれば、何らかの事情がない限り普通のことである。しかし、そのことを夫婦に言う人は少ない。「子は鎹」とか「早く子供を」などということを言う人はいるが、直接的にその行為そのものに言及することはほとんどないのではないか。その意味において「おかまだから」ではなく、「テレビの中でいえる」ということがどれほど大事であるかということを気づかせてくれた瞬間なのではないか。
マツコ、新婚夫婦に「絶やしちゃだめよ!」夜の営みの重要性を説く
 マツコ・デラックスが、毎回あてもなく気ままに夜の街を徘徊し、そこで出会った人々と交流をする『夜の巷を徘徊する』(テレビ朝日系列24:15~ ※一部地域で異なる)。3月30日の放送では、世田谷区の松陰神社前を徘徊。出会った新婚夫婦に、初対面にも関わらず?夜の営みの重要性を説く”一幕があった。
 今回マツコは、いつも?暴言”を吐いている世田谷区の街歩きに対してドキドキしていたらしく、通りかかった「ビストロ サイクル」というお店にふらりと入り、景気付けにビールを一気。その飲みっぷりに店主から「本当に一気なんですね!」とツッコまれていたが、マツコも「なかなかの一気なのよ、私!」と。ネット上では「一杯目のビールを当たり前かのように一気飲みするのがかなり好き!」「美味しそうにビール飲んでる」「マツコの飲みっぷり好き!」というコメントがあがっていた。
 それから徘徊を再開。お肉屋さんの前で、昨年10月に結婚したばかりという新婚夫婦と出会うと「新婚さんよ、おめでとう!」と。話を聞くところ、8年間同棲した後に結婚したようで、マツコは「なかなか結婚にまで辿り着けないカップルが多い中でね……」と言いながら、「やっぱり、夫婦の秘訣は”絶やさないこと”らしいわよ。月1でもいいから、し続ける! 絶やしちゃだめよ」とアドバイス。すかさず、視聴者からは「夫婦の秘訣は絶やさないことw」「マツコ良いこと言うな」「初対面で夜の営みの重要性を説く(笑)」といった反応があり、盛り上がりを見せていた。
 その後、お肉屋オススメの“松陰コロッケ”と“特製めんちかつ”、そしてその新婚夫婦が絶讃していた“唐揚げ”を注文。あまりの美味しさに「美味しい! ここ、全部美味しいかも」と感激しながら、次々と食べまくっていた。その後は、老夫婦が営むYシャツのオーダーメイド店に興味津々で入店。40年以上の歴史があるそのお店で、マツコは生地を選んでマネージャーのYシャツを仕立ててもらうことに。一通り寸法も終わり、マツコは「こんなオーダーで服を頼んだのなんて、人生で初めてかも」と語っていた。
2017年3月31日 5時30分 テレビドガッチ
http://news.livedoor.com/article/detail/12870962/
 視聴者からは「夫婦の秘訣は絶やさないことw」「マツコ良いこと言うな」「初対面で夜の営みの重要性を説く(笑)」といった反応があり、盛り上がりを見せていた。<上記より抜粋>
  まさに、この視聴者の反応は普通のことであり、多くの人がそのことをわかっているのである。しかし、なぜか最近テレビでは「青少年に影響」とか「女性差別」などといってそのことを言わない。そもそも「ヌード」がなぜ「女性差別」なのかよくわからないし、また「青少年」などといっているが、我々が小さいころは禁止されていたものの、町の中ん「エロ本」が氾濫していて、基本的にはどこでも見ることができた。それでも性犯罪などというものは今よりも少なかったかほぼ同じであったはずであるし、また、ゆがんだ大人になったという人は少ない。逆に「青少年保護」などといっているほうが、青少年がかえっておかしくなっている状況であるし、また、免疫がないことがかえってアレルギー反応になり、過剰に反応したり、あるいは猟奇的な状況になってしまったりということが少なくないのではないか。
  何度も同じことを書いているが、「見せたうえでしっかりと教育する」ということが重要なのであり、「見せない」というのは、教育にはなっていない。その意味においてテレビなどで過剰に規制することはおかしいと思のである。
  女性差別に関しても同じで、「女性差別」ではなく「女性と男性は生まれてずっと違うもの」なのである。その魅力があるから「夜の営み」があるわけであるし、また、結婚も恋愛もあるのである。そのことがわかっていない人が少なくない。女性のヌードやそのような営みのシーンに過剰に反応する「女性保護主義者」を見ると「よほど相手にされていないかわいそうな人」なのではないかという気がしてならないのである。まあ、もっと言えば「不細工な女性の男性に相手にされない嫉妬」でしかなく、そのようなことを相手にして、また嫉妬をもとに番組などを作るからつまらなくなるのである。
  さて、そのようなことを考えているとマツコ・デラックスの言葉は、そのような過剰な反応に対するアンチテーゼ的な発想がありなかなか面白いということになるのである。まあ、もっと自由にそのようなよるのいとなみのひょうげんをしてもらいたいものだ。

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【夏休みのエロ特別版】 性産業のお値段ということが話題になる「需要と供給」と社会における「必要性」の議論

【夏休みのエロ特別版】 性産業のお値段ということが話題になる「需要と供給」と社会における「必要性」の議論
 性犯罪があるということは、当然に性産業が存在する。一説によれば、世界で最も古くからある職業は「売春」であるという。食欲というものや睡眠欲というものは、だれで行える状況にあるということになるし、年齢や性別に関係なく誰でも出てくる欲である。要するにその欲を満たすということは、「ある一定の集団」においては、重要なことであり、その食料や寝る時間の分配ということは非常に重要な内容になってくるということになる。
  しかし、「性欲」ということに関しては「年齢や性別」によってその内容が異なるものであるし、また、「相手」によって異なるものであるといえる。私のような男性であれば「好みの女性」と「そうではない女性」とでは当然に「性欲の出方」は異なるということになる。一方、だれでもよいというような人もいるであろうし、だれが来ても嫌だというような人もるであろう。同性愛などもあれば小児性愛などもある。要するに「性欲」は「食欲」や「睡眠」と違って「個人差が激しい」ということになるのである。
  そして「犯罪」を行いたいほどに欲求がたまるということは、逆に「金で済むならば犯罪をしない」という選択肢が出てくることになる。
  では「犯罪」になるほどん「欲求」を抑えるための「値段」というのは、いったいどのような値段がかかるのであろうか。
  実際に「性産業」の値段というのは、私の場合どうしても男性目線で書いてしまうのであるが、基本的に「女性」は「恥」もしくは「肉体」を使うということで、その金額が決まってくると同時に「その男性に買われた時間」というものの対価でもある。要するに「精神的」「消費時間」「体力」によるものであり、その「精神的」な部分が非常に大きいということになるのではないだろうか。
  一方、男性側から売れば「払うう金額」というのは「自分の欲望」と「可処分所得」というものに関係があり、その中において「我慢できない欲望」に対して「犯罪をするよりも良い」という選択肢の中で「自分がその欲望にかけてもよい」としている金額をかける問うことになるのである。
  そのように「エロ」とか「性産業」というようなものであっても、このように「可処分」と「付加価値」という観点から考えて冷静に考えるとなかなか興味深い。
“性産業”で働く人々の月収はいくら? 愛人クラブ社員、AVの女性エキストラ…
 光あれば影あり。ちょっとヤバめでリスクも高そうなアンダーグラウンドなお仕事は、さぞや稼げるに違いない。一体、どんな贅沢な生活をしているのやら……と、さまざまな「アングラな職業」を調査してみたところ、まったくもってピンキリな実態が見えてきた。
◆明暗がハッキリ分かれる性産業で働く人々の月収
 性産業にもさまざまな職業があるが、グレーな業界の給与明細とは!? まずはパパ活ブームに沸く、愛人クラブの正社員だ。
「株式会社なので福利厚生は一般企業とほぼ同じ。そこまで厳密にはやっていませんが」
 と苦笑するのは、業界大手A社で働く田代仁さん(仮名・37歳)。
 主な仕事は男女の入会面接、写真撮影、登録作業。手取りは月30万円前後、ボーナスもあるが……。
「男性会員は社長や医者などの金持ちばかり。一回で数十万円入るので、入会申し込みがあれば深夜だろうが駆けつけます。だから明確な残業時間なんてナシ。女性会員がセックスを断れば、激怒する客に『自由恋愛ですから』とクレーム処理に駆け回ります」
 また、グレーな仕事ゆえの心労もつきまとう。
「売春斡旋で捕まる可能性もゼロではないから、日々軽く怯えています。あと、女性会員の入会応募が多すぎて、ちょっと女性不信になりますね(笑)」
 続いてはAV業界の女性エキストラ。主演女優やお相手の男優といった“スター”ではなく、ドラマものに登場するちょい役だ。
「主演女優の添え物なので、人妻ものならばママ友役、ナンパものならばメイン女優の友達役です。出演料は露出度や内容によって変動します。ただのエキストラなら一作で5000~1万円。軽いパンチラやブラチラがあれば2万円、失禁・放尿ならば3万円ほどもらえます」(Bさん・32歳)
 Bさんはプロダクションに所属しないフリー。その身軽さがウケるのか、月30の現場をこなし、月収が30万円を超えることもあるという。
「AVのドラマシーンなんて大体5~6分なので、撮影自体も1時間程度で終わる。一日2~3現場はこなせます。ただ営業活動が大事なので、業界の飲み会に顔を出すのが少々面倒です」
 また、後ろ盾のないフリーゆえ、職場での立場は最下層に近い。
「前に放尿の現場で、なかなかオシッコが出ず『使えねぇな!』と罵られたこともあります。また、監督からの枕営業の誘いも多い。あの人たちが事務所の女のコに手を出せば土下座ものですが、私はフリーなので甘んじて受け入れるしかなくて……」
 給料は悪くないが、肉体を含めた人間関係はキツそうだ。
 また、同じ業種でも大きく給料に差が出るのが乱交パーティの主催。主催歴15年の田邉浩二さん(仮名・45歳)は、主催者にもアマとプロが存在すると話す。
「風俗嬢を雇い、単独の男性客を相手にさせる商業目的の主催者はプロ。素人のカップル・夫婦交換をさせるパーティの主催はアマです」
 田邉さんを含むアマの乱交パーティは身内限定。
紹介でしか入れず、面接アリと厳重だ。
「情報漏えいが怖いので、単独男性客も5~6人が限度。カップル参加料は5000円程度だし、会場のホテルやハプニングバーを借りるのにも20万~30万円かかります。儲けはほぼゼロ」
 一方、プロ側は日当5万円ほどで複数の風俗嬢を集め、男性客からは入場料2万円を徴収する。
「ホテル代など雑費を引いても、一日50万円ほどの売り上げになるそうです。ただ、不特定多数を招き入れるから、それだけ逮捕のリスクも高い。そのため、日当5万円ほどで、ひとまず身代わりとなって逮捕されるバイトの受付係を雇っているそうです」
 シビアな世界だが、それが儲けに直結するのだ。
<愛人クラブ社員>
月収30万円
勤務時間:10時~深夜
平均労働時間:14時間/日
労働日数:24日/月
特記:売春斡旋で逮捕リスクあり
<女性AVエキストラ>
月収30万円程度
勤務時間帯:朝~深夜まで
平均労働時間:1~3時間/日
労働日数:25日/月
特記:脱ぐほどギャラが上がる
<乱交パーティ主催者>
月収10万円程度
勤務時間帯:12~24時
平均労働時間:12時間/日
労働日数:1/月
特記:参加者が少ない場合は儲けナシ
― [アングラ職業]の給与明細 ―
2017年07月02日 15時53分 SPA!
https://news.nifty.com/article/magazine/12193-20170702-1344766/
 さて、「付加価値」ということになれば、もう一つの観点が存在する。まさに「リスク」である。これは、いくつかのリスクが存在する。女性からすれば「性産業に従事している」ということは、ある意味で近所や知り合いなどの間では「社会的評価が落ちる」というようなリスクになるのであり、一方で、俺を事業としている経営者は「売春などの違法行為をすれば逮捕される」というようなリスクが存在することになる。一方で、男性からすれば、「女性が好みではない」とか「顔は好みでも身体の相性が悪い」など、やってみなければわからないというような内容のものも少なくないのであるが、一方で、客として行けば、そのような安行であれば当然に「暴力団」などのアンダーグラウンドの勢力が付きまとうことになり、「ぼられる」などのリスクも存在することになるのではないか。
  要するに「お互いがリスクを持っている」という点において「それなりのリスクを考えた値段相場」になっているのではないかということになるのである。
  これ等の産業は「必要ない」といえばそれまでであるが「欲望に対する対価」という観点になれば、当然に、その考え方になるし、また、欲望であるから「隙間産業的に存在する需要と供給」という社会の「影」の部分に存在するという面白さが存在する。
  何しろ人間の欲望にはきりがないのであり、その欲望をそのまま産業にしているのであるから、なかなか解説もできなければ、取材もできない問うことになる。
  さて、上記には三つの「隙間産業」があるのだが、「愛人クラブ」「AV女優エキストラ」「乱交パーティ主催」とどれをとっても「普段目にする職業」ではない。しかし、これ等の職業が厳然と存在しているということがなかなか面白いところである。世の中には様々な商売があり、その中で生活している人がいる。同時に「業が存在する」ということは、「需要と供給」の原則から「需要」があるということなのである。
  まじめな顔をしながら、このような産業を必要としている人が少なくないということもなかなか社会そのものを示している一つの指標なのではないかと思う。

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【夏休みのエロ特別版】 性犯罪でわかる子組性から見た韓国という国のゆがみ

【夏休みのエロ特別版】 性犯罪でわかる子組性から見た韓国という国のゆがみ
 なぜエロを扱うのか?と聞かれたことがある。まあ、難しいようでそんなに難しくはない質問だ。実際に「エロ」は「必要」である。あえて「必要悪」とは書かない。なぜならば「必ずしも悪」ではないからである。エロがなければ子供は生まれないし、また少子化になって困ってしまう。完全になくなってしまえば、そのまま子孫が途絶え絶滅してしまうのだから、絶対に必要なのである。しかし、一方で、「エロ」は日本の場合は「秘め事」とされており、それを扱ったり話したり書いたりすることがタブー視されることが少なくない。しかし、一方で「人間の本能」に根差した内容であるだけに「本音」で語られる場合が少なくないので、その内容はなかなか面白いということになる。
  そもそも、人間は「社会」で生きている以上「本音と建前」が共存している。本音を抑制してしまえば、当然に社会性は増すものの、欲求不満が募ってくるであろうし、また本絵を出し過ぎれば社会の中で生きてゆけなくなってしまうと言うことになってしまうのである。
  そのために「本音」である「エロ」を中心に書くことは、その内容があまりにも下品にならない程度において、なかなか面白い題材であるし、また人間の本音が浮き彫りになるということになるのである。実際に、各国の「性犯罪」を見ていると、その背景には「民族性」や「男女の考え方」や「文化の違い」、そして何よりも「その国の男女の本音」が現れていてなかなか面白いのである。
  さて、その意味において、数日前には「イギリスで一日に二回レイプされた」という話を書いた。この場合は「あえて男性のレイプ犯目線」で「女性への注意点」を書いたつもりであるが、今度は「韓国の場合」ということを考えてみようと思う。
  イギリスの犯罪の場合は、「あくまでも偶然」であり、なお克「ゆきずり」つまり「一過性」である。これに対して、昨日の「ISのヤジディ教徒に対する性奴隷」は「組織的かつ長期的」であり、なおかつ「商業として人身売買をしている」ということになる。窯業として行うということは「どうしても欲求が溜まって」とか「あまりにも美しくて我を失った」などというのではなく「確信犯的に嬌声売春を業としている」ということであり、より悪質性を感じる。当然に「復讐」として「戦士になる」ということが理解できるのである。
  では、それが「ヌーディストペンションができてしまうような国」である「韓国」ではどうなるのか。その犯罪を見てみよう。
監禁・売春強要されたタイ人女性を救出 /釜山
 今年5月16日午前4時20分ごろ、釜山市釜田洞のスーパーマーケットを外国人女性5人が訪れた。数カ月前から周期的に未明に来店し、即席麺やトイレットペーパーなどを購入するなじみの客だった。この日はうち1人が先にレジに来て、店員に代金を差し出したが、その間に手のひらほどの紙きれが挟まっていた。英語、韓国語、タイ語で書かれており、英語は「私はビルの4階に捕らえられている」という内容だった。韓国語はたどたどしい文体で「警察を呼んでほしい。私は建物の4階に捕まっている。私はだまされた。彼は私を違法に働かせる。私はタイにいた。知らせてほしい。助けを求める」と訴える内容だった。
 店員は女性が監禁されており、助けを求めていることを察知。そのメモに英語で「112(警察)に通報し、あなたを助ける」と書いた。
 しかし、タイ人女性は首を横に振り、すぐに商品を手に一行と店を出ていった。店外では30代とみられる韓国人男性が待っていた。店員は「すぐに通報すれば報復されると思ったのではないか」と感じた。店員は勤務を終え、午前8時半ごろに釜山鎮警察署を訪れ、メモを届け出た。外国人女性が商品購入時にポイントを貯めるために残した携帯電話番号も伝えた。
 警察がその番号を追跡したところ、類似する性風俗店を摘発されたことがある男(38)が浮上した。警察はスーパー周辺の聞き込みを行い、ビルの4階に廃業した占い店を発見した。鉄の扉で施錠されており、出入りする人はいないようだった。
 2日後の5月18日、京畿南部警察庁から連絡があった。京畿道烏山市の外国人支援センターから女性がソーシャルメディアに「釜山でマッサージをしながら売春をしている。4階全体がマッサージ店で、占い店の看板を出している。監視カメラで内外を監視している」と書き込んだとの情報提供があったということだった。
 警察は占い店が違法風俗店だと確信。同日午後9時ごろ、警察官十数人が店内を捜索し、店を摘発した。男は今年3月から店内にタイ人女性5人を閉じ込め、1回9万-16万ウォン(約8900-1万5800円)で売春をあっせんしていた。男はインターネット上に広告を出し、客から連絡があれば、地下鉄駅で出迎えていた。客か私服警官かを見分けるために身分証や給与明細書などの提示を求めていたという。
 警察は男のほか、タイ人女性を紹介したブローカー(40)、風俗店の従業員を検挙した。男はタイで現地人女性に「韓国のタイマッサージ店で働かないか」と持ちかけ、観光ビザで入国させていた。ブローカーはタイ人女性1人を韓国に連れてくる費用として、300万-500万ウォンを受け取っていた。
 男は女性たちの旅券を取り上げ、店の入り口を鉄の扉で封鎖し、監視カメラを取り付けた。メモをスーパー店員に渡したタイ人女性は「逃げようと考えることもできなかった。客から習った韓国語でメモを書いた」と警察に語った。
 釜山地方警察庁国際犯罪捜査隊は、問題の違法風俗店を利用した男性53人も在宅のまま立件した。また、同店を利用した疑いがある約350人も調べる計画だ。
 警察はまた、2007年9月から09年4月にかけ、韓国人男性と偽装結婚させる手口でタイ人女性8人を韓国に入国させ、マッサージ店に紹介し、手数料6600万ウォンを受け取った疑いでブローカーの男(59)を逮捕した。
「朝鮮日報日本語版」 20170705
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/07/05/2017070500914.html
  さて、韓国のこの場合、「韓国のタイマッサージ店で働かないか」と持ちかけ、観光ビザで入国させ、女性たちの旅券を取り上げ、店の入り口を鉄の扉で封鎖し、監視カメラを取り付けた。<上記より抜粋>というような手段である。
  さてよく言われていることであるが、韓国は「売春婦を最も多く輩出している国」であるが、同時に「売春婦を最も買っている国」でもある。基本的に「売春」そのものが、韓国のお家芸ともいえるほど韓国の売春に関する内容は非常に大きな「産業」になっているのであり、その産業が国内のGDPを押し上げるほどの無いようになっているというのであるから驚きである。
  そもそも、韓国は「売春婦」といっては失礼かもしれないが、朝鮮王朝のころは、「接待婦」として「国家公務員」であったのであり、また、最前線にそのような売春を行う人員が言って国境警備の士気を上げるということをしていた国であるから、現代になってそのようなことが突然になくなるはずがないのである。それなのにこの国の場合、2004ねんに「性売買禁止法」という、日本でいうところの売春防止法に当たる法律ができてしまったために、なかなか大きな問題になっている。
  そもそも国民性や道教的な道徳観という国民の感覚から、国際関係とか外圧ということで無理やり外国に合わせて法律をつくてしまったために、その分のゆがみが出てきてしまう。そのために、韓国国内では売春がしにくくなった売春婦たちが、外国に行くようになり、一方で、売春婦が足りなくなった韓国人男性たちが外国から売春婦の代わりを連れてくるという構図になる。
  基本的にこのような性的犯罪に書煮ては、その犯罪の内容に関して「国民性」とか「文化性」ということが大きな問題になってくる。何度も言っているように、エロは「必要」であり、同時に「そのことをもとに女性も金を稼ぐ」ということができる場合がある。もちろん、そのことが良いかどうかという道徳的な問題は別にしても、その内容に関して現実問題として「需要と供給」が成り立っているということは間違いがないのだ。
  当然に日本に限らず、また韓国に限らず、このような事件は存在する。では韓国の特徴は何か。まさに「女性の監禁」であり「旅券を取り上げてしまう」ということが最大の問題である。自由があれば「自由意思による売春」であり、売春のあっせんでしかないということになるが、しかし、監禁して強制的に売春をあせたとなってはかなり暴力的ということになる。この辺も「韓国の国民性」つまり、数日前にやったが、「騎馬民族性」「半島人気質」というところが出てきているのではないか。
  その辺のところが出てくるし、特徴的になるのが、まさに、このような「性犯罪」の累計であるということが言えるのではないだろうか。

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【夏休みのエロ特別版】 「元性奴隷」を怒らせると怖いというISへの「エロの復習を遂げる女戦士」

【夏休みのエロ特別版】 「元性奴隷」を怒らせると怖いというISへの「エロの復習を遂げる女戦士」
 『臥薪嘗胆』という言葉がある。中国の春秋戦国時代の逸話で復讐を成功するために苦労に耐えるという意味を持つ、中国の故事成語である。『史記』によると、紀元前6世紀末、戦に敗れた呉王闔閭の後継者の夫差は「三年以内に必ず恨みを晴らす」として自らは薪の上で寝ることの痛みでその屈辱を思い出した。まもなく夫差は越に攻め込み、越王勾践の軍を破った。勾践は部下の進言に従って降伏した。勾践は許されて越に帰国した後も民衆と共に富国強兵に励み、その一方で苦い胆を嘗めることで屈辱を忘れないようにした。そして呉に敗れて20年後、越王勾践は満を持して呉に攻め込み、夫差の軍を大破した。
  さて、人の恨みとはかくも深いものであるが、それを忘れないで生きるということはなかなか大変なことである。
  これは二本や中国に限ったことではなく、当然に中東においても同じことである。特に「IS」によって、「邪教」とされ、村人の多くを惨殺され、そのうえで、生き残った若い女性はすべて「性奴隷」として屈辱を味合わされた場合はなおさらのことであろう。
  ISの首都とされているラッカ奪還の軍の中に、かつて市奴隷となっていた女性が兵士となって加わっていることが話題になっている。
  さて、私の個人的な感想であるが、恨みというのはどうも女性の方が強いような気がする。実際は「男性の嫉妬」ほど怖いものはないのであるが、どうも幽霊の話、特に、恨みなどの怨霊となっているのは、ほとんど「女性」ではないか。そのように考えてみると、例えば、日本の三大怨霊といえば「平将門」「崇徳上皇」「菅原道真」と男性であるが、民間の中のお化け話の二大巨頭といえば「番町皿屋敷のお菊」と「四谷怪談のお岩」といずれも女性である。円山応挙の書いた幽霊画も女性であれば、「雪女」「山姥」「化け猫」などもすべて女性である。日本だけと思えば、例えば「聊斎志異」の中のお化けをもとにした「牡丹灯籠」何かも女性であるし、「魔女狩りの魔女」も女性なのである。このように考えると「世界的に民間伝承の幽霊」はじょせいのほうがおおい。これは、ある意味で「女性の方が情が深い」というような「男性的感覚及び願望」があり、そのことが語り継がれる社会の中で「女性の方が情念が強い」というような感じになっているのではないかという気がしてならない。
  その意味においては「男性の復讐心」がないわけではないし、上記に挙げた臥薪嘗胆も男性の話であるが、それ以上に怖いのは女性の恨みなのかもしれない。
元IS性奴隷の女性戦闘員、「復讐のため」ラッカ奪還作戦に参加
 【AFP=時事】イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」が「首都」と位置づけるシリア北部ラッカ(Raqa)の奪還作戦に、かつてISの性奴隷として同地に拘束されていたイラクの少数派ヤジディー(Yazidi)教徒の女性が戦闘員として加わっている。自身と数千人の同胞の身に降りかかった恐怖に復讐(ふくしゅう)するため、やっとの思いで逃げ出した場所に戻って来たのだ。
 ラッカでISと戦うことが、トラウマ(心の傷)の解消につながっているとヘザさんは言う。「戦闘に身を投じたとき、心の中の不安がいくらか薄れた」
「でも、すべての女性たちを解放するまでは、あふれんばかりの復讐心が消えることはない」
 ヘザさんは2014年、ISがイラク北部シンジャル(Sinjar)地区を制圧した際、2人の姉妹と共に拉致された。このとき、クルド語を話すヤジディー教徒の女性や少女ら数千人が連れ去られ、ISが「カリフ制国家」と称するシリアとイラクの支配地域で売り買いされた。ヘザさんの姉妹1人を含む約3000人が、今も捕らわれたままとみられる。
 国連(UN)は、ISがシンジャル襲撃時に行ったヤジディー教徒の虐殺を「ジェノサイド(大量虐殺)」と認定している。ISはヤジディーの家族らを男女でえり分け、女性と少女たちだけをラッカに連れ去った。
 ラッカ東部メシュレブ(Al-Meshleb)地区でヤジディー女性部隊の戦友たちに囲まれながらAFPの取材に応じたヘザさんは、同地区の激しく損傷した家々を指さして言った。「奴ら(IS)は、私たちをヒツジのように扱った。まさにこの街で、私たちを追いまわして屈辱を与えた」
 メシュレブ地区は米軍の支援を受けたクルド人とアラブ人の合同部隊「シリア民主軍(SDF)」が、1か月にわたるラッカ奪還作戦で最初に制圧した地区だ。SDFによると6月のラッカ突入後、これまでに10歳の少女を含むヤジディー教徒の女性数人を救出したという。
■ラッカ再訪の「痛みと喜び」
 へザさんはラッカで拘束されていた10か月間に、5人のIS戦闘員に買われた。当時受けた虐待については詳しく話したくないと言う声は緊張していたが、茶色い目の鋭い輝きは変わらず、何度か自殺を試みたことを告白した。
 脱出に成功したのは、2015年5月。またもや市場に売られる直前、へザさんは捕らわれていた家から逃げ出し、そこで出会ったクルド系シリア人一家によってひそかにラッカから連れ出してもらった。それから、戦争で荒廃したシリア北東部を抜け、約400キロの旅をしてイラクに帰り着くと、シンジャルのクルド語名シェンガル(Shengal)を冠したSDF傘下の部隊「シェンガル女性部隊(YPS)」に加わった。
 集中的な訓練を受けたへザさんは、2016年にSDFがラッカ奪還作戦の開始を宣言したときには、仲間の女性たちと共に戦う準備ができていた。「作戦が始まったときに参加しようと思った。ここ(ラッカ)で売買されたヤジディーの女性や少女みんなのために」とへザさんは話した。「私の目的は彼女たちを解放し、奴ら(IS)に復讐すること」
 数か月かけてラッカ包囲網を狭めたSDFは、今年6月に市内に突入した。数週間後、YPSはメシュレブ地区でSDFの先陣を担うことになった。へザさんがラッカに戻ったのは、脱出以来これが初めてだった。
「ラッカ入りしたとき、言葉では言い表せない奇妙な気分になった。たくさんの痛みを抱えながら、喜びを感じていた」とへザさんは語った。
 YPSには、はるばるドイツから参加した女性戦闘員もいる。トルコ系ヤジディー教徒のメルカンさん(20)と姉のアリンさん(24)だ。2014年のISによるシンジャル襲撃のニュースに激怒したアリンさんは同年末に、メルカンさんは翌15年初頭にYPSに加わった。
 メルカンさんはメシュレブ地区でYPSが拠点としている民家の壁に、ISがシンジャルを襲撃した日付を添えてクルド語で次のように記していた。「力と奮闘により、われわれヤジディーの女性戦闘員たちはラッカに来た。8月3日の虐殺に復讐するために」
【翻訳編集】AFPBB News
2017年7月24日 18時32分 AFPBB News
http://news.livedoor.com/article/detail/13380247/
 当然に「女性の恨み」といえば、「死んだあと」「幽霊になってから」だけではなく「生きている間」も同じである。その「女性の恨み」と書いた状況において「生死」「人間か幽霊か」の区別はない。
  さて、ISは、まさに「臥薪嘗胆」のような状況での復讐の対象となっている。特に「邪教」とされたヤジディ教の信者の女性たちは、「性奴隷」として売り買いされているばかりか、戦場の最前線に連れていかれ兵士たちの慰み者にされているのである。上記の記事によれば、「ヘザさんの姉妹1人を含む約3000人が、今も捕らわれたままとみられる」<上記より抜粋>とあるように、その内容は現在進行形であることがわかる。
  そしてその女性たちを中心にしたのが、シンジャルのクルド語名シェンガル(Shengal)を冠したSDF傘下の部隊「シェンガル女性部隊(YPS)」<上記より抜粋>ということになる。
  さて、日本では「戦争反対」とか「攻めて来たら死ねばよい」などといっているバカなことを言う人も少なくないのであるが、本来、このような「女性であっても復讐をする」というのが普通であり、そのように考えるのが通常の人間であろう。ましてや、この記事に書かれている女性は、現在も姉妹が囚われたままになっているのであるから、戦って開放するということを目標にするのは当然のことである。戦わないという選択肢は、彼女たちには存在し無い、そもそもISのようなことがなければあ戦わなくて良いものが、彼女たちをった回に駆り立てるのであり、その気持ちがわからないような「戦争反対」論者は、基本的に彼女たちと話が合うことはない、つまり「性奴隷を肯定するようなことになる」ということになってしまうのだ。単純に「殺される」のではなく「屈辱を与えられる」ということがどれほどつらいことだかわからない日本人が「左翼主義者」になっているのであり、そのような考え方の人々は「YPS」が戦う理由を説明はできないであろう。
  「でも、すべての女性たちを解放するまでは、あふれんばかりの復讐心が消えることはない」
  「作戦が始まったときに参加しようと思った。ここ(ラッカ)で売買されたヤジディーの女性や少女みんなのために」とへザさんは話した。「私の目的は彼女たちを解放し、奴ら(IS)に復讐すること」
  <いずれも上記より抜粋>
  まあ、戦争反対とか言って国会の前で大騒ぎしている人にはわからないだろうな、と思う。エロそのものは「快楽」であると同時に「その快楽を強要された人にとっては屈辱」であり「復讐の対象」となるのである。エロはそれだけ注意しなければならない。欲望はもう一つの欲望を作り出す道具であるのだ。
  しかし、その状況は「ラッカ入りしたとき、言葉では言い表せない奇妙な気分になった。たくさんの痛みを抱えながら、喜びを感じていた」<上記より抜粋>という感覚の源でもある。
  さて、もしも日本が、中国や韓国に占領されたら、これと同じことが起きるのではないか。その時に、「戦争反対」などといって、若い女性を差し出し、自分だけが生き残るような卑劣な大人がどれくらいいるであろうか。そのことを「エロ」の合間に考えてもらいたい。

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【夏休みのエロ特別版】 「裸体主義」から「ヌードペンション」を作ってしまう韓国人の「忖度や思いやりが理解できない権利意識の塊」

【夏休みのエロ特別版】 「裸体主義」から「ヌードペンション」を作ってしまう韓国人の「忖度や思いやりが理解できない権利意識の塊」
 良い意味でも悪い意味でも、日本人と中国人や韓国人との間隔は異なる。どちらが優れているとか、そういう問題ではなく、基本的に「大陸人気質」と「半島人気質」と「島国人気質」とは、その気質の中で全く異なる。また「商業民族」と「騎馬民族」と「農耕民族」では全く異なるし、「年中革命をしている国」と「隣国に気を使ってきた国」と「安定して一つの王朝が継続した国」でもその内容は異なるということになる。この辺の「気質」や「民族性」に関しての違いは、そのうち有料メルマガの「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」(http://www.mag2.com/m/0001647155.html)で書くことになると思うし、今までも断片的にではあるが書いてきていたのである。
  さて、今日はその民族性や文化史絵の違いを書く場所ではない。あくまでも「夏休みのエロ特別版」である。そのために、急激にそっちの方に話を持ってゆきたい、というよりは、「エロ」こそ、「民族性」や「気質」によって左右されるというような状況になってくるのである。それはある意味で当然であり、エロということは、ある意味で人類皆同じことを言うが、しかし、それより前の状態、つまりその雰囲気を作り出す内容に関しては、各文化によって左右されることになる。
  たとえば、未開の地の人間で服を着る文化のない人々に関して言えば当然に、「裸である」ということはセックスアピールにはならない。何しろ年中裸なのであるから、それがセックスアピールにつながるという発想自体がないのである。しかし、日本のように「服を着る」特に「服で隠すことに意味がある」という概念があると「見えそうで見えない」というような「チラリズム」であっても、色気を感じるし、また「うなじ」など、普通に見ることができる場所であっても、そこに色気を感じることができるようになるのである。
  ある意味で「しぐさ」や「体の場所」における「象徴性」であって、それが宗教や文化やそのほかの習慣や場合によっては映画や漫画などの影響から、そのようなパーツやしぐさに色気を感じるような状況になる場合もあるのだ。
  逆に、その象徴性を感じないようにするというような状況もあれば、他の目的で裸になる」というような場合もある。
  さて、その中で韓国では「ヌーディスト」が集う「ヌードペンション」ができて話題になっているらしい。
農村にヌードペンション出現、住民猛反発 /堤川
 忠清北道堤川市の山あいの集落に「裸体主義」を掲げる同好会メンバーらが「ヌードペンション」を建て、住民たちが反発している。
 このペンションは集落からわずか100-200メートルしか離れておらず、住民の話では、週末になると同好会メンバーが裸でペンション周辺を歩き回っているという。
 最近になって住民は、集落のあちこちにペンションの撤去を求める横断幕を設置したり集会を申し入れたりするなどの対応に出ている。住民は「ヌードペンション」が農村の雰囲気にそぐわない上、農村のイメージにも悪影響を与えると主張している。
 しかし、同好会のメンバーらは、裸体主義は個人の趣向であるため尊重されるべきで、私有地で生活しているため全く問題がないと反論している。
 警察や地方自治体も、ペンションが個人所有であり違法行為もみられないことから、介入は困難との立場だ。
 一部のネットユーザーらは「自由とわがままは区別すべき」「自由を主張したいなら他人に迷惑をかけるべきではない」「厳然たる風紀の乱れなのに、私有地という理由で何の処罰もできないなんておかしな話だ」などとヌードペンションの同好会を批判している。
 
「朝鮮日報日本語版」 20170730
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/07/27/2017072703356.html
 さてさて、韓国の国民性とはいったい何か。基本的に半島系の人々は長い歴史の中において「騎馬民族性」をもち、なおかつ「長期間にわたる大国への遠慮」と同時に「権利意識が強くなった場合に義務や周囲を気にしないわがまま勝手」という部分がある。もちろん、気質の問題であって、すべての韓国人がそうであるというものでもないし、日本にもそのような人間は少なくない。騎馬民族というのは、基本的に「その場にあるものを力づくで手に入れる」ということから「天高く馬肥える秋」というような、農耕民族からすればせっかく育った工作物を横取りに来るという警戒の「秋」が来るということを言っているのである。また「横の大国に遠慮する」ということは、逆に「大国のお墨付きを得れば何でも好き勝手にする」ということになる。単純に「虎の威を借りる狐」ということであるが、まさに現在の世の中では「権利意識」ということが強くなり「主権在民」で自分たちが主権者と思い、なおかつ「憲法で人権が保障されている」となれば、その範囲内で「わがまま勝手に何でも行う」ということになる。
  一見悪口のように見えるかもしれないが、それが気質ということであり、日本の文化から見れば『悪口』に見えるが、逆にそれが標準形になっている場合はそのままの状況になっているということになるのである。
  さて、上記の記事において「裸体主義は個人の趣向であるため尊重されるべきで、私有地で生活しているため全く問題がない」<上記より抜粋>と「農村の雰囲気にそぐわない上、農村のイメージにも悪影響を与える」<上記より抜粋>という二つの意見対立こそ、まさに、この「騎馬民族性」と「権利意識」の表れである。農村からすれば、まさに「雰囲気」という内容になってくるの出るが、ヌーディストからすれば「個人の人権」であるというわがままけってが出てくる。基本的には「ヌーディストは見えないように囲ってしまえ」ということになるのが日本であろうと思われるが、残念ながら韓国の場合は「権利意識」が強いから「誰がその費用を払うのか」というような対立になるのである。
  さて、もう一つが「農耕民族性」ではないだけではなく「島国性」ではないというところだ。つまり「和を壊す」ということに関して、韓国人の社会の中においても、その傾向が強く表れており、「話し合って歩み寄る」ということができない。まさに、そのことが「新聞のネタ」になるあたりが面白いのである。
  日本の場合は「猥褻物陳列罪」または「強制わいせつ」によって処罰されるが、残念ながらそのようなことができない。なぜならば、それが「民族性」に基づいて「法律」ができていることから「私有地」ということで「他人から見られる」ということに勘案して法律が予定していないということになるからである。まさに、そこに韓国の限界というものがあるのではななかろうか。
  まあ、私個人としては「若いきれいな女性ならば歓迎だが、他は・・・」という感じであるし、見たくなければ見なければよいし、また、どうしてもというならば「蚊」や「蜂」を大量にその近くで花てばよいのではないかと思うが、まあ、権利意識が強い民族で義務や責任、他人を思いやるような習慣のない国々はこのようなことになるのであり、「忖度」や「思いやり」「空気を読む」ことの重要性を改めてこのようなニュースで感じることが日本人には大切なのではないかと思う。

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