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政治や経済とは関係がありませんが大河ドラマ韋駄天についてのクドカンの「恨み節」について一言

政治や経済とは関係がありませんが大河ドラマ韋駄天についてのクドカンの「恨み節」について一言  NHK大河ドラマ「いだてん」が絶不調である。まあ、番組内から逮捕者が出てくるし、また、ストーリーの面白みがない、ドタバタ喜劇の連続で、朝ドラのようだなどの様々な声が聞こえるところ、まあ、史上最速で視聴率が一けたになるという、大河ドラマ始まって以来の危機的状態である。 実際に「いだてん」は、2020の東京オリンピックが行われることから、国内にオリンピック機運を高めるということから、ある意味で政策的な配慮も、また政治的な目的もあって作られた大河ドラマである。そのために、大河ドラマにおいて初といっていいほど、戦はないし、人の生死もあまり関係がない状態になっている。そのうえで、オリンピックの日本でのことを出して、その歴史やオリンピックに国運をかけて参加した人々を描くはずであったと聞いているのである。 しかし、やはり大河ドラマといえば、そのようなものではないという概念が強い。これは、一つには大河ドラマに関しては放送時間が日曜日の夜、再放送が土曜日の昼ということで、実際に男性の歴史ファンが多く見ることが少なくないのである。男性の歴史ファンが多いということは、かなり調べたり、あるいは、男性的な目線での歴史解釈というのが必要であり、テレビ画面の中だけのドラマ性を求めるばかりでは人気になれないのである。なんというか、ストーリーの奥の深さや歴史の奥の深さを優先し、ドラマとしてのテンポや、切り回しを優先するのではないというところではなかろうか。その部分が大河ドラマ「いだてん」では足りないのではないか。 一方で宮藤官九郎氏に対する問題が集中している。クドカンに関して言えば、朝の連続テレビドラマ小説「あまちゃん」によって非常に好評を得た。これをもとに、大河ドラマの新たな試み、つまり「戦のない大河ドラマ」を託した形になったのではなかろうか。 ラジオで激白 NHK大河「いだてん」に5年を捧げたクドカンの恨み節  視聴率の低迷が続くNHK大河ドラマ「いだてん?東京オリムピック噺?」は、3月31日放送分で“ストックホルム編”が終了し一区切りついた。  そんな中、8日オンエアのTBSラジオ「ACTION」に「いだてん」の脚本家・クドカンこと宮藤官九郎がパーソナリティーとして出演。ドラマの舞台裏について初めて口を開いた。リスナーによってはNHKに対する“恨み節”にも聞こえたのではないか。  16時に始まったコーナーでクドカンは〈愚痴のコーナーです!〉と前置きすると、〈このドラマは2014年の暮れにNHKから三島弥彦と天狗倶楽部の資料が大量に送られてきたことが始まりでした〉と告白。その後、「シナリオハンティング」と称してストックホルム、ベルリン、さらには開催中のリオ五輪にも連れて行かれたそうだ。そのために長女の学芸会や運動会に行けず、家族旅行も潰れたという。ちなみに、クドカンはスポーツに興味がないという。それなのに、このドラマの構想に5年の歳月を費やし、そのためにさまざまなことが犠牲になったことをほのめかした。  脚本を書き始めてからはさらに過酷な日々だったようだ。クドカンはこう証言した。 〈脚本ができるまでには5段階のプロセスがあるんです。白本→青本→準備稿→内容決定稿→決定稿。こうして脚本は完成するわけです。その間、何度となく時代考証などが行われるのです。“あの時代にこういう言葉はありませんでした”とか、“こういう文化はありませんでした”とか。明治時代の時代考証、スポーツ考証、熊本弁、浜松弁の考証とか、さまざまな考証が入ってくるのです〉  芸能ジャーナリストの芋澤貞雄氏が言う。 「もちろんドラマ制作において時代考証などは大切ですが、クドカンのような一流脚本家にとって、自分の作品に次々と手を入れられることは面白くなかったと思います。彼はラジオの中でドラマ1話当たり4日から1週間を要したと証言していました。それが白本が決定稿になり、脚本が表紙付きの台本となった時にはほぼ原形をとどめない“別の作品”になってしまったと彼は言いたかったのかもしれません。必然的に“クドカンテイスト”も薄まってしまったはずです」  クドカンは〈(NHKには)優秀なスタッフが何人もいて、収拾のつかなくなった私の脚本の情報整理を見事なくらい手際良くやってくれるのです〉と語っていたが、これを文言通りに受け取るのは難しい。自分の作品を“殺した”NHKに対する皮肉ではないか。  クドカンは言わずと知れた一流脚本家である。この5年の間に自分がやりたい舞台や作りたい音楽があっただろう。リスナーには、“失われた5年間を返して欲しい”とNHKに訴えかけるようなクドカンの悲痛な叫びに聞こえたのではないか。 日刊ゲンダイDIGITAL2019年04月13日09時26分 http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/nikkangendai/entertainment/nikkangendai-535410?utm_source=dmg&utm_medium=1  さて、脚本家にはかなりの苦労がある。物語を書くのも同じで、小説を書くときも、時には半分以上書きあがっている内容をすべて消してしまう場合も少なくない。私もそのような経験は少なくなく、何回も書き直しをして本が一冊出来上がる。それだけに「白本→青本→準備稿→内容決定稿→決定稿。こうして脚本は完成するわけです。その間、何度となく時代考証などが行われるのです。」<上記より抜粋>という内容はよくわかるのである。まあ、その間に本当に多くの人の手が入り、そして、その多くの人の手によって、自分の文章が形がなくなってしまう場合が少なくない。あとの似合って読者に「なぜあのような表現にしたのですか」などと聞かれた時に、編集の方で直してしまった内容などでは非常に悲しい気分になる。やはり私の表現の方が正しかったという気分になるのだ。 まあ、ある意味で「自分の傑作を汚された気分」という感じであろうか。クドカンもそのようなところを味わっていると思う。 一方で、「そのために長女の学芸会や運動会に行けず、家族旅行も潰れたという。ちなみに、クドカンはスポーツに興味がないという。それなのに、このドラマの構想に5年の歳月を費やし、そのためにさまざまなことが犠牲になったことをほのめかした。」<上記より抜粋>などというのは、甘え以外の何物でもない。はっきり言ってしまえば、このようん仕事をしている人にとっては当然のことで、いやならばやめればよい。 私などは「いやになったら」「自信のある仕事ができなくなったら」、その仕事から手を引くというのは当然のことであり、いやいや仕事をやれば当然いそのような仕事は、多くの人に受け入れられるはずがないのである。つまり「このようなことが犠牲になった」などという恨み節が出るのは、当然に「驕り」以外の何物でもなく、あまり良いものではないという感じがするのである。 まあ、今回の内容はクドカンという「自分の個性に合わせた内容を各脚本家」と「既成の大河ドラマの観点でしか物事を言えないNHKスタッフ」の二つの内容があり、うまくゆかないような状況になっており、その内容で面白くないといったところで、逮捕者が出るなど、マイナスのイメージになった。心血を注いだクドカンにとってはかわいそうではあるが、しかし、そのようなことは当然にあることであり、またその中で、自分の個性を押し出すことがd系なかったことが大きな問題ではないのだろうか。 来年の「麒麟がくる」では、そのようなことの無いように期待したい。

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マスコミ批判に関する一考(437) コミュニケーションが取れないマスコミ

マスコミ批判に関する一考(437) コミュニケーションが取れないマスコミ  マスコミの語源について考えてみる。諸説あるのだが、その中の一つに「マス=コミュニケーションズ」という語源がある。単純に、集団のコミュニケーションズを行うための中心にあるということである。もっと言えば、「政府と個人」「社会と個人」あるいは「社会と社会」など、様々な場面の「マス=mass」の間のコミュニケーションをつかさどるという意味であるとする。 私はこのマスコミの定義語源の中で、この説が最も素晴らしいと思う。本来マスコミは、マスのためのコミュニケーションツールであって、マスコミそのものが意思を持つものではないし、事実そのものを伝えるものであるというような感覚なのであろう。もちろん、マスコミ従事者もコミュニケーションの主体である人間であることは間違いがない。海外の人もその中に入ると思うが、その中において、社説など、自分の意見を言える場所を必ず作り、そのうえで、コミュニケーションの「道具」として機能を果たすということになる。 もちろん人間であるから、その中に中立のつもりであってもうまくゆかない場合があるが、その辺が行きすぎれば批判の対象となるのである。 しかし、逆に「コミュニケーション」の部分がうまくゆかない問うことはあまりにもお粗末に過ぎるのではないか。 当然に、人々にはプライバシーがあり、報道されない自由も存在する。単純に、その中における、その報道される、報道されない自由は、当然に個人の選択にゆだねられ、同時に、そのことの許可はしっかりとマスコミ側がとらなければならないのではないか。しかし、最近のマスコミの記者はそのような許可をしっかりととれない人も少なくない。マスコミとして、公平などの使命感という問題ではなく、取材の基本として完全に失格なのである。 ドナー男児の移植「無断で放送」両親がTBSと病院提訴  脳死した男児(当時1)の肺が移植される様子を無断でテレビ番組で放送されたとして、男児の両親が4月中旬にも、番組を放送したTBSと移植手術をした岡山大学病院、日本臓器移植ネットワークなどを相手取った損害賠償訴訟を広島地裁に起こす。  両親が5日、東京都内で記者会見を開いた。  両親と代理人弁護士によると、番組は2017年7月に全国放送された。移植医に密着取材する内容で、両親には放送前に連絡はなかったという。肺が画像処理されずにそのまま映っており、番組を見た男児の母親は髪の毛が大量に抜けるなど精神的苦痛を受けたという。母親は「夢で息子に会うことだけが慰めだったのに、夢の中の姿さえ肺になってしまい唯一の安らぎを奪われた」と話した。  また、男児の名前などドナーだと直接わかる情報は含まれていなかったが手術した日などから知人に知られたとし、プライバシーの侵害に当たるとした。  国が定めた臓器移植法の運用指針で、移植医療の関係者は臓器提供者と移植手術を受けた側の個人情報が互いに伝わらないように注意を払うよう求めている。  TBSは「臓器移植法の指針に従って細心の注意を払って制作した。訴状を受け取り次第、内容を精査して対応を検討する」、岡山大学病院は「訴状が届いていないので現時点ではコメントできない」、移植ネットは「具体的な内容が分からないためコメントは差し控える」としている。(姫野直行) 2019年4月5日 17時27分 朝日新聞デジタル http://news.livedoor.com/article/detail/16272248/  さて、今回の事件は、医者に密着する番組で病院に対して配慮をしたものの、患者個人に対しては全く無許可で放送してしまったということになる。 最近のマスコミは、安易な内容で安易なことをしてしまう存在になっている。私は個人的に、マスコミの人員のコミュニケーション不足そしてマス気味の第四権力者としてのおごり、その上にネット社会の「一方的な意思表示と、一方的な正義感で何でもできると思い込んでいる状況」が根底にあるものと思い、そのうえで、その個人の資質がそこに加わって、大きな問題になるというような感じになっているのではないか。 移植医に密着取材する内容で、両親には放送前に連絡はなかったという。肺が画像処理されずにそのまま映っており、番組を見た男児の母親は髪の毛が大量に抜けるなど精神的苦痛を受けたという。<上記より抜粋> まさにこのような状況が生まれてしまう。これは放送側の問題でありもっぱら放送局による確認不足以外の何物でもない。最近、何かを移す時に、他に映っている人全体に大尉してモザイクやぼかしを使っているのはまさにそのようなことに配慮するためであり、その配慮も町の中の風景などで言えば行き過ぎではないかというような感覚を持つことも少なくないが、しかし、ことが移植など人間の生死に関する問題ん場合は、もっと配慮しなければならない状態ではないのか。 政治家の失言や暴言などを必死に放送しているが、そもそも、そのマスコミ自体が個人のプライバシーに配慮していない状況であり、その状況を自ら全く反省しない体質は全くおかしな話になっているのである。 さて、ここに挙げたように、コミュニケーション不足、そして権力者としてのおごりは、まさに、「何をやってもかまわない」などの感覚を生んでおり、その感覚こそ、全く受け入れられない内容であるはずだ。国民の感情から完全に乖離してしまっている現在のマスコミがこのまま存続させるはずがない。単純に、権力意識とおごりは、そのままマスコミそのものの存亡にかかわる問題であろう。なぜほかのマスコミは同じマスコミのこのようなおごりをしっかりと報道してマスコミの反省につなげないのであろうか。マスコミ業界は、このようにみられるように、マスコミ業界全体の自浄作用が完全んかけてしまっており、そのことが若者のマスコミ離れにつながっているのである。 まあ、自業自得ということになるのかもしれない。

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マスコミ批判に関する一考(432) いまだに優越感や特権階級を持っているテレにや既存マスコミの異常さ

マスコミ批判に関する一考(432) いまだに優越感や特権階級を持っているテレにや既存マスコミの異常さ
 YouTuberという職業が確立したのはいかがなものであろうか。私たちの小さかった頃のは存在しなかった職業が、子供のあこがれになっているという。実際に、私自身YouTuberに関してどのような内容になっているのか、どのような内容なのか全くわからない。そもそもあまりYouTuberの動画を見たことが少ないので、何とも言いようがないところである。しかし、私自信も動画に出たことはあるが、その動画の視聴者数はなかなか増えるものではない。今のブームに敏感な若者のトレンドをつまみ、若者が面白いといってなんか意味も見るような、そして、その動画を何回も見せるようにすることは、かなり難しい。もちろん、その報酬が年収何億というようになるというのは、少し多いなと思うが、しかし、実際に考えれば芸能人と同じなのであり、それなりの苦労も何もあるという気がある。
  さて、このことから見えることは、実はネットの動画というのはすでにかなり大きなメディアであり、若者などは既存の地上波などよりもはるかにネットの動画に映ってきているということになる。
  では既存の地上波テレビなどと、ネットとは何が違うのであろうか。
  これは私の個人の考えなので正しいかどうかはわからないが、実際い言えることは、間違いなくネット動画は、だれもが簡単に出すことができるのに対して、地上波はその地上波のディレクターなどがいて、なおかつ芸能事務所などにおいて登録されている人しか出てこないということになる。要するに、ネット動画は「誰でも出せるだけに多くの人が発信できる」ということに関して、地上波は「限定された閉鎖マーケット」であるということである。
  ある意味で「ネットメディアのオープンマーケット」の方が残るのは大変であるという気がする。競争相手が少ないのであるから、一つ当たりの視聴者は少なくないのは当然であるとしまた、商業的であるということが言えるが、しかし、逆にネットの方が自由にできる分、競争は激しいということになる。
  そして若者は自由度が高く競争が激しいネット動画を求める傾向が強いのである。
「馬鹿にする気満々...」テレビ出演断ったYouTuber 「本当にそうだ、と見せたかった」TOMOKINさん取材に語る
   ユーチューバーのTOMOKIN(トモキン)さん(チャンネル登録者数11万人以上)がテレビ番組の出演を辞退したとツイッター上で明かし、ネット上で大きな話題となっている。
   当初の内容から変わっていたという企画テーマに「YouTuber馬鹿にする気満々じゃん」などと問題視。ネット上では賛同の声が相次いだ。
  担当者は打ち合わせに2~3時間も遅刻
   TOMOKINさんは2019年3月7日、J-CASTニュース編集部の電話取材に対し、「とにかく内部でうやむやにされるのがいやで、ツイッターに公開する形で書かしていただきました」と明かした。
   一度、担当者との打ち合わせ機会があったが、2~3時間くらい遅刻してきたという。「『お仕事で長引いています』という連絡がなく、こちらから連絡してもつながらなかった。それから印象が悪い」と振り返る。
   「(ユーチューバーが)全く楽というのはなくて、企画や編集、撮影、何からなにまで自分でやらないといけないし、ビューアーを稼がないといけない」と強調。これまでもテレビに出演したことはあるが、「『ユーチューバーは楽な職業』みたいな前提でインタビューさせてくれと言われたのは初めて」と言う。
   事の発端は、2019年3月5日昼ごろ投稿したツイート。TOMOKINさんはテレビの出演を断ったことを明かしたうえで、「憧れの番組だし、依頼貰った時凄い嬉しかったけどテーマ聞いて失望した」とつづり、
「『楽してお金儲け?!新時代を生きる若者達』仮の題目って言われたけど、YouTuber馬鹿にする気満々じゃん。あと、楽って何?テレビはまだ優越感に浸っているのだろうか」
と疑問を投げかけたのだ。
   このツイートは、7日18時半時点で22000以上リツイートされている。TOMOKINさんは出演辞退を明かした後も、具体的な番組名などは明かしていないものの、ツイッター上で事の経緯を詳細にまとめた文書を公開した。
当初は「TOMOKINさんなりの働き方改革を...」だったのが
   一連の投稿などによると、出演依頼があったのは2月上旬ごろ。当初は「YouTubeで活動してる方にインタビューをしたい。そして、多様な働き方が生まれる中、海外に向けてエンタメを発信するTOMOKINさんなりの働き方改革法を取り上げたい」と番組側から話があった。
   当初は出演を引き受けたTOMOKINさん。ところが企画の内容が変わり、「動画を1本上げれば後は外で遊んでてもお金ゲット!って面白いですよね」と言われたときには猛反発したという。最終的に題目が「楽してお金儲け?新時代を生きる若者達」と伝えられ、出演を辞退する事にした。
   TOMOKINさんはさらに、ツイート後に複数回番組側から連絡があったことをツイッターで告白。7日昼ごろには、「直接、番組サイドと議論をして意見すべきではないのか」「あなたのツイートは、今後の仕事に影響が出るかもしれない」といった番組側からのメール内容やそれに対する回答をまとめた文書もツイッターに投稿している。
   番組側との今後のやり取りについて、TOMOKINさんはJ-CASTニュースの取材に対し、「今回の件はすいませんでしたって謝っていたら済んでいた話だったと思うが、ああいう感じで(返事が)返ってきたので、わからなくなってきた」と気持ちを吐露。そのうえで、
「今回ツイッターに書かせていただいたのは、あくまで『ユーチューバー楽』って認識の人がまだまだいる。そういうのも含めて『違う』と発信したかったし、テレビの人って個人間で『ユーチューバー楽じゃないんです』と説得しても、動いてくれることは一切ない。だからこそツイッターで発信して、本当にそうなんだということを見せたかった」(TOMOKINさん)
   今回の件に対し、お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳さんも7日未明、「ご意見に共感します」と投稿。「僕も何度も何度も理解し難い演出プランを提案されて、そのままやりたくないので、代案を出したり、断ったりしてよくいたたまれない空気になります。でもテレビの演出家を一括りにしないで欲しい...良い演出家に出会って欲しいです!テレビにも良い演出家は沢山いますので」とつづっていた。
J-CAST 2019/3/ 7 21:01
https://www.j-cast.com/2019/03/07352148.html
 さて、現在の地上波の人々にネット動画を馬鹿にできるようなものがあるのだろうか。私からすれば、地上波こそ馬鹿にされるような「スポンサーや会社組織に保護された温室育ち」でしかない。多くの自由がありその代わり、かなり様々な競争にさらされ、自分でトレンドマーケットなどをしっかりと行い、初めのうちはスポンサーもない状態、つまり、金も何もない状態で、自分の知恵とアイデアだけで勝負しているネット動画の人々の方がはるかに立派であり、その立派な内容をいかに考えるかということが最も重要ではないか。
  つまりアイデアも何もなく、単純に誰かの命令で動き、失敗しても給与をもらえるような地上波テレビの無責任体質に対して、寝tt動画はすべて自分でやっているだけに権利も大きいいが責任も大きいのである。
  企画の内容が変わり、「動画を1本上げれば後は外で遊んでてもお金ゲット!って面白いですよね」と言われたときには猛反発したという。最終的に題目が「楽してお金儲け?新時代を生きる若者達」と伝えられ、出演を辞退する事にした。<上記より抜粋>
  つまり、企画内容が突然に変わるということになる。そしてテレビ局側の勝手なイメージで、そのイメージに従ってストーリーを取材もせずに作り、その勝手な妄想をテレビ局で垂れ流す。ということを意味しているのである。つまり、「真実ではない内容を報道をし、そのうえで、勝手にイメージの悪化をさせても責任も取らないということ」なのである。そのような無責任で真実とは全く関係のない報道をすること、そのようなものに公共の電波を使うことがよいのか、はっきり言ってわけがわからない。当然にイメージを落とされる人は、完全に、反発することは間違いがないが、そのことに関してテレビ局は何の責任も負わないのである。
  「今回ツイッターに書かせていただいたのは、あくまで『ユーチューバー楽』って認識の人がまだまだいる。そういうのも含めて『違う』と発信したかったし、テレビの人って個人間で『ユーチューバー楽じゃないんです』と説得しても、動いてくれることは一切ない。だからこそツイッターで発信して、本当にそうなんだということを見せたかった」<上記より抜粋>
  つまり、テレビの人は説明しても、それが現実であっても自分たちの勝手なイメージで膨らんだ内容以外には全く何もしないということになっている。そのために彼はツイッターで「現実にある真実」をそのまま流したのである。
  責任をもって自分の生活をかけてやっている人に、テレビ局のなんと不誠実なことか。俺に対して「あなたの仕事に絵育央が出る」など、脅しをするとはいったい何様のつもりなのであろうか。はっきり言って、テレビ局はいつまでそのような「特権階級意識」を持っているのであろうか。
  この連載をしていて、この地上波やマスコミの肥大しきった権利意識はさすがにおかしいと感じることがある。はっきり言って、「真実をしっかりとそのまま伝えるメディア」が必要である。

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マスコミ批判に関する一考(431)もう滑稽として苦笑するしかないテレビ朝日報道番組コメンテーターの劣悪さ

マスコミ批判に関する一考(431)もう滑稽として苦笑するしかないテレビ朝日報道番組コメンテーターの劣悪さ
 制服という服装は実に不思議な服装である。もちろん好みもあるが、制服というのは、皆が同じ服装をしているために、本来であれば顔やそのほかの部分で差がつきそうなものなのであるが、なぜか、制服だけはあまり優劣が憑かないという状態になっている。なんというか、制服があることが、逆に他の部分の幽y列をつかないようにしているのではないかという気がしてならない。
  さて制服というとすぐに学生服のことばかり考えてしまうようであるが、実際には、会社における制服などもあるので、特に学生服ばかりを制服という必要はない。そしてその制服の歴史は意外と古い。
  日本の場合、どのような内容であったかはあまりよくわからないが、少なくとも、聖徳太子が冠位十二階を作ったということは、その時点で制服のような制度があったというように解釈するべきであり、少なくとも宮城に入る場合は、その冠位に従った色の「装束」を身に着けて登城することが必要であった。当然に、その装束であっても制服であることは間違いがない。こう考えると、日本の制服は、軍隊が発祥ではなく、朝廷の中の順列や官位を示すことがもとになっていることがよくわかる。
  この征服によって起きた事件で最も有名なのは江戸時代の松の廊下刃傷事件、いわゆる「忠臣蔵」である。吉良上野介の執拗ないじめにあった赤穂藩主浅野内匠頭が、江戸城内でその時の登城の服装を間違って教えられたことから、松の廊下において吉良上野介に切りつけた事件である。この復讐劇が忠臣蔵になることは間違いがないのであるが、このときの家紋を付した裃は、やはり「江戸城登城時の制服」であったと解釈される。
  そして、庶民出身の者が初めて官製といってよいかわからないが、少なくとも事故の経済的負担ではなく、支給される形で制服が配られたのが、「新選組」であることはよく知られている。水色に「誠」の字の入った法被を着ることによって、その人々が新選組である問うこと、つまりは、尊王攘夷運動の活動家ではないということを区別できるようにしていたのである。
  この征服について、なぜか思い付きと誤った情報で、わけのわからないことを言うコメンテーターがテレビ朝日で出現したのである。
詰襟やセーラー服は「みんな軍服、もともと」 玉川徹氏「しっぽを未だに引きずっている」
   テレビ朝日社員でコメンテーターの玉川徹氏が同局系の情報番組「モーニングショー」で、詰襟やセーラー服はもともと軍服だったと批判的に解説したことがネット上で論議になっている。
   玉川氏は、変えるべきものと位置付けたとして、疑問や批判も相次いでいる。
「明治時代の富国強兵を未だに引きずっている」
   2019年3月6日放送のモーニングショーでは、子供のしつけのための親の体罰禁止を盛り込んだ児童虐待防止法改正案の話題を取り上げた。
   最近、親の暴力による子供の死亡事件が社会問題になっているが、出演した家族問題カウンセラーの山脇由貴子氏は、明治時代になって軍国教育が定着する中で、力や恐怖で支配する教育が日本に浸透していると指摘した。これは時代錯誤な法律が残っていたからだとし、「なぜ今までこれが放置されてきたのか」と問題提起した。
   これに対し、玉川徹氏は、こう理由を指摘した。
「だって、明治礼賛じゃないですか、今の政権だって」
   玉川氏は、日本は、明治時代の富国強兵を未だに引きずっているとして、その例に運動会を挙げた。「生徒全員が強制的に1つの場に集まって行進とかさせられる」と述べ、その起源は一般人を対象にした明治政府の軍事教練だとした。
   さらに、制服についても言及し、こう主張した。
「中学になると学生服、あれ詰襟ですよね。それから女子セーラー服。みんな軍服じゃないですか、もともと。そういうふうなしっぽを、ず~っと未だに引きずっているところがあるんですよ」
「制服撤廃は賛成」「世の中軍事由来の物沢山あるぞw」
   玉川徹氏は、親の懲戒権を定めた民法についても同様な考えを述べ、「本当は変えなきゃいけないものが、未だに変わらないで残っている」と指摘した。
   これを受けて、司会の羽鳥慎一氏は、「こういうところを変えていかないと一歩が始まらない、というところはあるんじゃないかと思います」と締め括った。
   番組の放送後には、玉川氏の主張について、ネット掲示板などで様々な意見が書き込まれた。
   「制服撤廃は賛成です。今は安くていい服いっぱいある」と賛同の声もあったが、軍服由来のものは変えるべきとも聞こえるとして疑問や批判も相次いだ。
   「別に軍事由来の全てが悪ってわけでもないだろうに」「世の中軍事由来の物沢山あるぞw」「軍事由来が駄目なら現代の生活は成り立たないですね」といった声だ。一説にはネクタイも、兵士の服装に由来すると言われることから、「じゃあネクタイも悪だわ」との指摘が出て、玉川氏がスーツで固めて発言していることを揶揄する向きもあった。
(J-CASTニュース編集部 野口博之)
J-cast2019/3/ 7 18:00
https://www.j-cast.com/2019/03/07352127.html?p=all
 さて、明治時代に始めに学生服を制定したのは東京帝国大学である。これは、そもそも在学生同士での経済的な格差を感じることがなく、生徒としての意識を高めることを目的に服制が決められたのである。これより前に工学寮などでも制定や子宮の動きがあったとされる。いずれにせよ、テレビ朝日の番組で言っているような「軍服・明治礼賛」ではないことは間違いがない。要するに完全に間違ったことを発言して盛り上がっていると言わざるを得ない。
  ちなみに「家族問題カウンセラーの山脇由貴子氏は、明治時代になって軍国教育が定着する中で、力や恐怖で支配する教育が日本に浸透していると指摘した」という指摘もおかしい。そもそも日本の軍国主義は大正デモクラシー以降その反動で出てくるものであり、富国強兵政策はあったものの、ご国軍国教育は行われていない。そもそも、軍国教育が行われているのであれば「良妻賢母」を言う女子大や、外国のことを学ぶ外語大ができるはずがない。学校の歴史もろくにわからない人が、専門家として出てきていること自体に、あまりにもこっけいさを感じるのである。軍国主義が根付くのは、大正デモクラシーの後に、帝国議会の力が強くなり、衆議院の発言力などで軍の予算が狭められたことによるところが大きい。その流れの中で、ロンドンとワシントンの軍縮条約があり、そして統帥権干犯問題が発生し軍部の独走につながるのである。それくらいの歴史はしっかりと学んでからテレビなど公共の電波に発言を載せてもらいたいものである。
  また「軍隊由来」であることを問題にするのであれば、現在であれば「カーナビゲーションシステム」などは完全に、誘導ミサイルのGPS電波であり、当然にそのようなものを便利に使っていること自体が問題ということになるし、また、工事現場で使っているキャタピラも使ってはいけないことになる。缶詰もペットボトルも、我々が毎日使っているものの多くは軍隊由来の者が少なくない。ちょっとマニアックなところではマーガリンなども、ワイマール憲法下で動物性の油が入らなくなったドイツが開発したものであって、何も健康のために植物油でバター類似品を作ったものではないのである。
  このよう考えると、上記の記事にあるテレビ朝日の番組がいかに「偏見に満ちた内容で放送をしているか」といことがよくわかる。そして「事実とは全く異なったこと」を主張しなおかつ「自分が嫌だと思うことだあげつらって批判する二重基準」があまりにもひどすぎるということになるのではないか。
  これは玉川某だけがおかしいのではなく、それを指摘できないほかのコメンテーターや羽鳥某というMCも、まったくの勉強不足としか言いようがないのではないか。そしてそれくらいのことが見えないこと自体がおかしく、批判するとかではなく滑稽でしかない。よくそれくらいの知識でテレビに出ていて恥ずかしくないなと感心してしまうのである。
  このような物言いに反応し、そのうえそれを信じる人が出てくるということは、それだけ国民がばかになってしまったということ、日本人がばかになっている。これはかなり大きな問題であり、テレビ朝日はそれを気づかせようとしているのかもしれないと、好意的な解釈(もちろん皮肉であるが)もできるほどなのである。
  まずは、事実、そして間違ったことを言わないということをしっかりと考えるべきではないか。

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マスコミ批判に関する一考(430) マスコミもAI時代に突入か?問われるテレビ局全体のモラルと中立性

マスコミ批判に関する一考(430) マスコミもAI時代に突入か?問われるテレビ局全体のモラルと中立性
 テレビの番組などの批判をネットの中でよく見かけることがある。ニュース解説を射ている池上某や、MCを務めている宮根某や辛坊某などが挙げられる。もちろん、それ以上に多いのはテレビ朝日系列の報道ステーションと、TBS系列のサンデーモーニングが二大巨頭であるが、それ以外にも様々な人々の様々な内容が挙げられている。しかし、それらの中において、「MCやキャスター個人」の批判というものも少なくない。もちろんそのような批判をしてはいけないというものではないのであるが、実際にどうなのであろうか。
  私の経験から言えば、テレビなどというのは全体の番組構成などから、出演し様々なに様々なことを言わせる。その顔つきや雰囲気などで何かを言わせるようにするというのが普通であり、基本的にはその内容に関しても、基本的にはディレクターと構成作家によって作られているのであり、出演者、例えば池上某や宮根某が自分の言葉ではない場合も少なくないのである。
  そのように考えれば、池上某や宮根某に関して言えば、単に「言わされている芸能人」ということだけである可能性もあり、本来それを操っているテレビ局やテレビ制作会社のディレクターや構成作家などが批判されるべきであるということになる。べつなみかたをすれば、池上某や辛坊某などを批判した場合に、彼らのMCとしての能力以上に「視聴者をだまさせ、なおかつ視聴者を信用させる」というような「演技力」があると評価されてしまう可能性もあるのである。
  ではその内容をどのように判断すればよいのであろうか。簡単にはできるものではないが、いくつかの類似の番組を見て、その番組のエンドロールをよく見ていると、ディレクターや作家などの名前が出てくる。その中で:もちろんアシスタントディレクターなどにはそんなに大きな問題はないがプロデューサーやディレクターなどが同じ場合は、その人々が言わせている可能性がある。
  逆な見方をすれば、批判の的になる番組は減らないし、また、それらMCは高い評価になる。批判がある意味でテレビ番組を応援してくれていると判断されるような状況になりかねないのである。
中国で「女性AIアナウンサー」が爆誕! パッと見、本物の人間と見分けがつかないレベルの完成度
 ニュース番組の “顔” とも言えるアナウンサー。中でも最近、注目を浴びているのが、中国国営放送・新華社が採用した「男性AIアナウンサー」である。2018年11月以降、すでに3400件以上の記事を読み伝えるなど、実際にバリバリ活躍しているところがまたスゴい。
 さらに同局はつい先日、新たに「女性AIアナウンサー」の採用を発表。公開された動画でその姿を確認すると、パッと見たところまるで本物の人間。ついにAIの能力もここまできたか……と思わざるを得ないほどリアルだった。・女性AIアナウンサーの名前は「新小萌」
 女性AIアナウンサーが話す様子は、動画「Xinhua unveils world’s first female AI news anchor」で見ることが可能だ。再生すると……え!? これがAIってマジ? よく観察すると口元の動きが不自然だが、その他は超リアルである。
 中国メディア「新華網」によれば、この人物は世界初の女性AIアナウンサーで名前は「新小萌」というらしい。前述の通り、以前から男性AIアナウンサーが活躍していることを考えると、中国はAIを活用するという点でかなりイケイケと言って良いだろう。・24時間ニュースが見られる
 ちなみに女性AIアナウンサーの映像は、実在するアナウンサーをベースにAIが合成、音声もAIが生成したものとのこと。つまり、本物のアナウンサーがその場にいなくてもOK。女性AIアナウンサーがいつでもニュースを読み上げてくれるというわけである。
 あらゆる電子機器にAIが搭載・活用される時代が到来しているが、ついにアナウンサーにもその波が来たようだ。確かに、24時間ニュースが見られるようになるのは便利である。日本のテレビにAIアナウンサーが登場する日も、そう遠くないかもしれない。
参照元:YouTube、新華網(中国語)
執筆:K.ナガハシ
ロケットニュース24 20190228
https://web.smartnews.com/articles/fFnDmLptn9h
 さて、いきなり何を言っているのかと思った方も少なくないのではないか。もちろん個人の意見として間違ったことを言ってみたり、あるいは台本があっても、その台本通りではなく、アドリブなどを入れてしまう場合もあるので、上記の内容は一概には同行ということが言えない。番組の批判というのは、番組が複数の人、ある意味で「チーム」で出来上がっていることから、そのようなことを注意し、単純に画面の中で出てくるようなイメージで批判しても意味がないことがあるということを言っているのに過ぎない。
  逆いいえば「MC」という職業こそ、人間ではなく、AIで簡単にとってかわられる状態にあるということになる。それが実現したのが中国のAIのアナウンサーであるという。つまり、個人の感情を持たないAIが、ある程度プログラミングされた内容で、アナウンスを行うということになり、そのアナウンス能力は、きほんてきんは、AIのプログラムの通りに行うということになる。
  もちろん、対談などもできるかどうかはわからないが、あらかじめ、台本などがある番組であれば、その内容を正確に演じることができればよいのであり、コンピューターで何らそん色がない番組構成ができる。それどころかAIの方が、時間も正確であるし、また、失敗もないのであるから(電気系統などのトラブルはあるかもしれないが)、基本的には人間が行うよりも面白いし番組は作りやすいということになるのではないか。
  そのうえ、番組制作スタッフがあらかじめ何位おいわせるかなどができることになる。つまり、中国共産党などの場合は、言論を統制しているのであり、その言論の統制のために事前いプログラミングされた台本を検閲することによって、間違ったこと、政権の意に沿わないことを言わせ無くするようなこともできるということになるのである。
  AIアナウンサーというのは、つまり、ある意味で自分の意見や感情的な物言いはしないし、セリフをかむこともない、ある意味で完璧な「テレビ局のコントロール下に置かれたアナウンサー」ということになり、そのアナウンスは、事前にプログラミングということで検閲が可能な状況にあるということになるのではないか。
  別な見方をすれば、個人の意見が強すぎる人もまた、個人の意見が全くない人も、基本的には「人間としてテレビに出る」ということが必要がなくなり、「何か専門を持っていること、または発言に個人の責任をもって発言することによってテレビ局の制作する内容とは異なる見解などを言うことができる人」以外は、テレビに個人として出る必要なはなくなるということを意味しているのである。
  まさにAIが「無能でコントロールされているだけの人間を駆逐する」ということになるのではないかと期待されていることになるのではないか。
  アナウンサーやMCがAIになることによって、ある意味で、テレビ局の制作部による責任が大きくなり、またそのコントロールがしやすくなるということになる。日本はそのようなことまでわかってAIにするのであろうか。

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マスコミ批判に関する一考(426) 自民党に移籍すると激しく批判するが元民主党で変転のない議員がいないことを指摘できない朝日の罪

マスコミ批判に関する一考(426) 自民党に移籍すると激しく批判するが元民主党で変転のない議員がいないことを指摘できない朝日の罪
 先日、テレビ朝日で珍しく感心したことが会った。夕方のJチャンネルで、厚生労働省の統計の問題に関してテレビ朝日の解説の人が「この問題は民主党政権の時にも存在していたことで、立憲民主党はそのことを認識してあまり大きな問題にしない方がよい」ということを主張していた。まあ、ある意味で、「ブーメラン」を警戒してのことであるが、それくらいのことも全く分かっていないのが、現在のマスコミなのである。確か朝日新聞の編集委員を務めた過多であったと思うが、これを書いている時点で名前を全くもい出せない。その点に関しての無礼はお詫び申し上げる。
  さて、基本的に「同様の状況」が起きた場合に、「同様の批判」を加えることはある意味で普通の話である。平等であるということ、公平であるということはまさにそのようなことであり、片方にだけ批判を加え、片方に関しては批判を加えないということは公平性が全くないばかりではなく、中立性もなく、マスコミが情報を流す場合に、非常の大きな問題になる。当然に、マスコミの役目は中立・公平・公正な情報を国民に流す必要性がありそれが本来の職務であるにもかかわらず、当然のことができない問う状況が長く続いているということになるのではないか。
  同じテレビ朝日で、それくらいの当たり前のことができ着ないのが、同じ朝日新聞社グループでテレビ朝日のコメンテーターをしている玉川某という人物である。
  この玉川某の言動に関しては、再三再四ネット上で話題になっているが、本人は全くそのことに関して意に介さないということは、本人が確信犯的に行っているのか、あるいは、本人がよほど頭が悪く、マスコミ本来の使命が全く理解できていないのか、あるいは、どこからかの圧力があって、そのように偏った報道をお子わなければならないというような強迫観念に駆られているかのいずれか、またはその複数の内容があるのではないか。まあ、テレビ朝日に関しては、その近くに某C国の大使館があり、そのロビーではその人物が見えたり駐車場にC国の車が止まっているなど、様々な噂の絶えないところなのでまあ、面白いところではないか。
テレ朝玉川徹氏、自民党二階派へ加入の細野豪志氏に「重みを感じられない」…いいところは「顔」
 30日のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜・前8時)で、民主党政権で環境大臣などを歴任した無所属の細野豪志衆議院議員(47)が無所属のまま自民党二階派に加わることを特集した。
 31日の派閥会合で二階派は、細野氏を特別会員として入会させる方針で将来的に自民党への入党を目指しているとされている。
 細野氏は2年前の衆議院選挙で当時の希望の党から当選後、希望の党が当時の民進党に合流する形で去年5月に結成された国民民主党には参加せず、現在、無所属で活動している。
 こうした行動にコメンテーターで同局の玉川徹氏(56)は「ボクもインタビューも何回かやらせていただいたこともあるし、環境大臣の時は、このスタジオで相対して、原発問題に関してかなり激しい討論したこともあるんですけど」と細野氏との関わりを明かした上で「通じて印象としては、重みの感じられない人だなぁっていうのは印象としてあるんですよね」と話した。
 その上で「こうして追い詰められて自民党に入るっていうのを選ぶのが重みを感じられない」と繰り返し、「でもね、いいところもあるんですよ」と前置きした上で「顔」と断言していた。
スポーツ報知 20190130
https://www.hochi.co.jp/topics/20190130-OHT1T50033.html
 さて今回の報道の内容は細野豪志が自民党に会派に入ったということである。まあ、はっきり言って、細野氏に関して言えばあまりその素行の部分や政治的な主張に関して同意できるところはないので擁護するつもりはない。自民党に入るからといって別段何の感慨もないし、かえって支持層がへるのではないかと危惧しなければならないような人物であることは間違いがない。
  しかし、一方で、その人物が、政党を変えたことに関して、それをことさらに批判するのは、マスコミとしてはいかがであろうか。単純に、有権者の一人が信用できないということは問題がないが、しかし、中立公平を考え、その報道を行う使命のあるマスコミに関して言えば、他にそのような政党変遷をしている議員が「少数」であるならば、それなりの評価があってしかるべきである。しかし、つい6年前まで政権をとっていた民主党という政党はすでになく、その政党で議員になっていた人々はすべて他の政党に行っている。それもその後民進党という政党もあったが、それすらも完全に亡くなっているのである。
  今回の件とは関係がないが小沢一郎など、自民党からいくつ政党が変わったことか。その政党の変遷から言えば細野豪志なふぉは全く足元にも及ばない。
  この玉川某というのは、そのようなことは全く関係がなく、自分の個人の印象をまくしたてる。それも、全く公平性も中立性もない言葉で、単純に印象そうあを行うというような状況であるのだから始末に負えない。まあ、このようなことを言って「炎上商法」をやっているのか、あるいは一部のコアな人物への先鋭的な物言いなのはわからないが、いずれにせよ、マスコミとしてはその使命感を全うできる人物ではなく、一部活動家であるかのごとき印象しかない。
  さて、マスコミ批判である。実際に、この玉川某などという人物そのものはどうでもよく、このようなものが社内で幅を利かせ、なおかつ、その発言が李下らがあるという時点で子のテレビ朝日というテレビ局が全く昨日していないことがわかる。つまり、そのような人物を使っていること自体が、大きな問題であり、また、そのような人物をコメンテーターとして使っていることが、テレビ局の品位、いや、マスコミ報道全体の信頼性を貶める結果になっているということになる。単に個人がおかしいではなく、その編集権や著作権の問題でも明らかなように、テレビ局の責任ということを考えなければならず、その責任において、完全におかしな内容になっているということが言えるのではないか。
  なぜ、マスコミ全体の品位や信頼性が落ちているのにほかのテレビ局が何も言わないのか、まあ、少なからず同質のものを持っているということと解釈されても仕方がない状況である。それはテレビ視聴者の激減やマスコミの信頼性の偉くというような国民の意識によって表れ、そして、マスコミ自体の首を絞めていることになるのである。

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マスコミ批判に関する一考(421) 紅白歌合戦考

マスコミ批判に関する一考(421) 紅白歌合戦考
 マスコミ批判としては、正月になって必ずこの番組について書いている。年末の風物詩としての紅白歌合戦である。さて、紅白歌合戦に関しては、そのコンセプトをなるべくならばNHKのホームページから出したかったので探してみたが、その内容が見当たらない(探し方が悪いのかもしれない)。そこでいつも通りにウィキペディアからの内容に変えてみる。
  <以下ウィキペディア「紅白歌合戦」から抜粋>
  女性アーティストを紅組(あかぐみ)、男性アーティストを白組(しろぐみ)に分け、対抗形式で歌や演奏を披露する。当初は正月のラジオ番組であったが、NHKがテレビ放送を開始した後は大晦日の夜に移動し、「1年の締めくくり」の代名詞となる。放送が延期・中止されたことは1度もない。
日本を代表する人気歌手が大勢出演し、さらに歌手以外のゲストなどもその年人気を博した人物が選出されるため、放送開始当初から高視聴率を記録、深夜に及ぶ時間帯の番組でありながら、年間視聴率の上位に食い込み、多くの年で通年の最高値を弾きだしている。そのため国民の関心は高く、年の瀬から正月にかけて、新聞、雑誌から、商売敵である民放局までが紅白に関する話題を取り上げる。
上述の通り、紅白の両組対抗形をとるが、番組の進行の上ではあくまでショーとして番組を構成する要素の一つであり、決して「対抗」を前面に押し出しているわけではない。ただし、あくまで形式上は「対抗」であるため、その組み合わせの枠の中に入る歌手は、正式には「番組出演」ではなく「紅白歌合戦出場」と呼ばれる。
<中略>
 歌手の選考
基本的には、その1年間にヒット曲を出した歌手を対象として、出場者の選考が行われる。本人や所属レコード会社・所属事務所に対して、選考対象とされることや出場への意思の有無の確認が行われ、例年11月頃に行われる選考会議で最終決定される。
<以上抜粋>
 さて、このように本来であれば、「その年を代表する歌を歌った歌手」ということになているが、いつの間にかそのようなことではなくなり、何度も同じ歌を歌ったり、数年前のヒット曲を歌う歌手が増えてきた。
  そのうえ今年は「特別枠」だそうだ。
NHK紅白歌合戦、特別枠に「要らない」と疑問の声出る
 大晦日に放送されるNHK『第69回紅白歌合戦』。北島三郎、サザンオールスターズが出場することも注目を集めているが、彼らは特別枠での出場となる。この特別枠について異論を唱える声が出ている。
 紅組、白組で出場する42組の歌手のほかに、北島、サザンの出場は追加で発表された。NHKはこの2組以外にも特別枠でサプライズを狙っているという。
 NEWSポストセブンでは20日、「紅白 米津玄師、ドリカム、B’zにギリギリまで交渉か」とのタイトルの記事を配信。ドラマ『アンナチュラル』(TBS系)の主題歌『Lemon』が大ヒットし、一躍時の人となった米津玄師、連続テレビ小説『まんぷく』の主題歌を歌う『DREAMS COME TRUE』、2018年デビュー30周年のB’z側と、交渉を続けているという。
 いずれも出場するなら特別枠ということになりそうだ。
 ネット上では米津、B'zの出場には可能性は低いとする見方が多く、「いやぁ?米津さんは出ないと思うな」「少なくともB'zや米津玄師は出場しないでしょ」との声が。ドリカムについてはこれまで何度も出場していることから、「別にドリカムはサプライズにもならない」との書き込みがあった。
 特別枠についても否定的な意見が目立った。
「特別枠必要? その時間を出演者が一曲フルコーラスで歌える時間に充てて欲しい」
「特別枠ばっかりになるんだから、もうそもそも歌合戦というカタチをやめるべきね」
 さらには、サザンが大トリ後の最終歌唱を務めることについても「普通に選ばれた方々を差し置いて、特別枠が大トリってどうなんだろう?」との主張もあった。
 以前は、特別枠はなかったが、その始まりは2008年。美空ひばりさんの生誕70年にあわせて、小椋佳がひばりさんに提供した『愛燦燦』を歌ったのが最初だった。その後、2009年にスーザン・ボイル、矢沢永吉、2011年にレディー・ガガ、2014年に中森明菜、2017年に安室奈美恵さんらが出場している。
 こうした特別枠を設ける背景とは?
「NHK紅白の“弱体化”と無関係ではないでしょう。年々、影響力が弱くなる紅白は、すでに人気も知名度のあるアーティスト側にとっては、出場するメリットはほとんどないと言っていい。そんななかで、NHKはどうしても出てほしいアーティストに、この特別枠を用意するわけです。“海外からの中継でも”“スタジオからの中継でも”と、出場までのハードルを下げて交渉することもできますからね。また、特別枠は通常の出場歌手を発表してから、本番直前に発表することもできます。サプライズとしてインパクトを与えられますし、ギリギリまで交渉を続けることも可能です。そうした事情を考えると、今後、特別枠で出場する歌手はますます増えていくのではないでしょうか」(芸能関係者)
 いずれ出場歌手のほとんどが特別枠になったりして?
NEWSポストセブン 20181225
https://www.news-postseven.com/archives/20181225_831997.html
 実際に、この年末の紅白歌合戦は評判が良かったようだ。人気歌手の初テレビ出演やギネスに挑戦といったような話まであった。しかし、それらの内容はすべて「今年の歌」ではない。
  歌というのは、将来、その歌を聞けば、その歌の歌われていた時代を思い出し、そしてその時代の自分のことを思い出すための道具である。世相を示し、なおかつ。その世相によってさまざまな時代を映す鏡になっているはずだ。また歌の中から流行語が出てきたりしている。
  紅白とは関係がないが、私の思い出では「24時間働けますか」などというような歌があり、その歌が「頑張るサラリーマン」を象徴していた。しかし、その歌が歌われなくなったかと思えば、いつの間にか「明日がある」という歌になる。20年ほど前、カラオケに行ったら、大の大人が「新しい上司はフランス人~~」などと涙ながらに歌っていてハゲタカファンドの買収話などがあったような気がする。そのフランス人の上司であるカルロス・ゴーン氏の逮捕など、世相としてはさまざまなものがあったはずだ。しかし、なぜか紅白歌合戦はそのような世相を示すような歌がなくなり、その時代を象徴する歌ではなく、一年と関係のない世相を示さない過去の歌を流すようになってしまった。
  過去の歌を流すから「特別枠」になる。「紅白」で勝負が必要なのか、エンターテイメント化する紅白は、純粋に世相とその世相を切る歌を示すものではなくなり、いつの間にか、ヒットした歌手ではなく、事務所の力の強い歌手が並んで、毎年同じ歌を歌うというような「あの時の名曲集」のような感じになってしまっているのである。
  そのような「世相を歴史に残す」というような感覚がなくなった番組では、その番組の権威が落ち、社会的な役割も終わってしまう。そもそも権威があるということが重要であるが、今のにほんの報道機関は権威を嫌い、すべてが「庶民目線」になってしまっているのである。そのような状況では話になるものではなく、まったく番組ができないし、コンセプトも守れない。コンセプトの守れない番組などは意味がないのである。
  毎年、世相を切り、歌を聴きながら一年を振り返るということがよいのであるがNHK自身がその価値を見失っているのではないか。なんでもよいから視聴率を稼ぐというのではなく、人気がなかったとしても、その価値をしっかりと行うことが、本来の「NHK」の役目ではないのか。
  NHKのバラエティ化と、NHKの視聴率主義が、いつの間にか国営放送としての役目を終わらせているのではないか。

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【土曜日のエロ変形判】 愛人にしたいタレントの入浴シーン

【土曜日のエロ変形判】 愛人にしたいタレントの入浴シーン
 土曜日のエロだけを読んでいる皆さんがいらっしゃるので、本リアは土曜日にこのブログを出したかったのであるが、残念ながらそのようにならなかったので、うまくゆかないものだと思っている。
  改めまして「エロ」を読んでいる皆さん、平成31年、新年あけましておめでとうございます。本年も「毎週土曜日のエロ」をよろしくお願いいたします。
  さて、今年の正月はいかがであったでしょうか。実際には、本日まで正月休みであるという人は少なくなかったのではないかという気がしてならない。今年のように、カレンダー通りであると、12月28日の仕事納めが金曜日で、めいっぱい仕事をし、30日が休みになってから日曜日、そして、1月4日がなんと金曜日、つまり平日なのである。このようなときは、カレンダー通りといわれる人は最も休みが少ない状態になる。これに対して、少し休みをつけてしまう人は、必ずしもそのような状況ではない。例えば新年4日だけを休みにしてしまうと、29日から6日まで9連休になる。25・26・27・28と1月4日の5日間の有給消化で16連休になるのである。まあ、なかなかそこまで大胆に休みを取るのが苦手なな日本人は、よほど特殊な人でなければそのような状況にはならないのではないか。まあ、私のような貧乏性の人々は、なかなかそのような状況人はならないので、困ったものである。
  私のように休みの使い方がわからない人は、いつの間にかテレビを見たりゲームをしたりというような毎日になってしまう。休みの使い方が下手なのである。そのようなテレビを見ていると、なかなか良い番組も多い。私などはどうしても歴史の番組を見てしまう感じになってしまう。
  さて、昨日、本来であれば1月5日の土曜日のエロの日に起きたテレビ番組はなかなか良かった。私が朝日新聞グループをほめることはめったにないのであるが、今回はあまり好きではなかった古舘伊知郎とともに、なかなか良かったという感じがする。
橋本マナミ、入浴中のおりょうが龍馬に異変を告げるシーンを再現
 フリーアナウンサーの古舘伊知郎が、番組で新たに掘り起こした事実を含め「歴史上の出来事を実況」する『古舘トーキングヒストリー』(テレビ朝日系)。2019年1月5日に、「忠臣蔵」「本能寺の変」に続く第3弾「坂本龍馬暗殺」が放送されるが、その中の「寺田屋襲撃事件」で、入浴中のおりょうが龍馬に異変を告げる名シーンを橋本マナミが体当たりで再現する。
 番組では「寺田屋襲撃事件」「大政奉還」、龍馬が暗殺された「近江屋事件」の3つにポイントを絞り、幕末最大の謎「龍馬暗殺」の真実に迫るが、「寺田屋襲撃事件」では伏見奉行所の捕り方に追われる龍馬(渡辺大)と、その護衛役・三吉慎蔵(濱津隆之)の決死の逃走劇をノーカット1カメ撮影。龍馬の手紙や三吉の日記などの記録をもとに忠実に再現する。
 入浴中に窓から多数の捕り方の姿を見つけたおりょう。湯船から飛び出し、裸に袷(あわせ)を羽織っただけで寺田屋の階段を駆け上がり龍馬に危険を知らせた有名なシーンでは、橋本が体当たりの演技で入浴から階段を駆け上がるまでを再現。幕末の一大ストーリーを盛り上げる。
 慶応2年1月、薩長同盟を成し遂げた龍馬は寺田屋へ帰還。当時、寺田屋で働いていたおりょうと、龍馬は同棲状態だったという。深夜、龍馬は三吉と2階で酒を酌み交わしているが、おりょうは風呂へ。時間にして深夜3時ごろ、なぜそんなに遅い時刻に入浴していたのか? 番組では、これまでの龍馬作品ではあまり触れられてこなかった、そんな「おりょうの謎」も解き明かされる。
 一人湯に浸かっていたおりょうは、窓の外に集結した捕り方を発見。すぐさま湯船を飛び出し、濡れた身体に袷を羽織っただけで裏階段を駆け上がる。部屋に飛び込みギョッとした表情で迎える龍馬と三吉に「槍を持った大勢の敵が来ました!」と急を知らせるおりょう。入浴シーンから両肩も露わに急を告げ、待ち構える捕り方の前を一人堂々と出て行く、“橋本おりょう”の姿をお見逃しなく。
【古舘伊知郎 コメント】
 おりょうがお風呂から駆け出すシーンをもっと近くで実況したいと言ったんですが、それはダメだと言われまして。結局、僕は近づけなかったのですが、スチール写真を撮る時に近くまで行けました。すると橋本さんが「一緒に入りますか?」と冗談を言われたのですが、それが僕にとって一生の思い出です。
 そんな橋本さんのおりょうさんが、本当におりょうだな、という風に見えました。そのおりょうがなぜ事件当日の午前3時にお風呂に入っていたのか、なぜおりょうが敏感に異変を察知して伝令をもって薩摩藩邸に行ったのか。そんな歴史的に断片的にしかわかっていなかったことが全て繋がりますので、ぜひ見ていただきたいです。「水戸黄門」の由美かおるさんを超えるシーンです(笑)。色っぽいシーンになったと思います。
【橋本マナミ(おりょう役) コメント】
 時代劇での入浴シーンは、志村けんさんのコントでしかやってことがなくて(笑)。コントではお湯をはっていないんですが、今回は五右衛門風呂にちゃんとお湯もたまっていました。他の仕事で温泉に入ることが多いので、撮られる時の角度など問題はなかったです。ただ、捕方に気づく、ちょっとした表情の変化などは難しかったですね。ドラマで入浴シーンを撮影するのは初めてかと。今まではバラエティーばかりでしたので。
 古舘さんがお風呂を覗くところを写真に撮っていただいたのですが、のぞきのおじさんみたいで(笑)。アブない人にしか見えませんでした(笑)。絶妙なアングルでしたね。気づかないふりをしていましたが、覗かれるのは嫌いじゃないです(笑)。
 番組の本筋とは少し離れちゃいますが、テレビの前のおじさまたちに「着ているのかな!?着てないのかな!?」と思っていただければ。古舘さんの気分になって見て欲しいです、覗いている感じで(笑)。
(C)テレビ朝日
AbemaTIMES 20181225
https://abematimes.com/posts/5460813
 愛人にしたいナンバーワンといえば、様々な感じがする。そもそも「愛人」という存在が、なんとなくイメージできるものの、そのような存在がいたことがないので、なかなか刺激的な感じになっているのではないか。では愛人とはどのような存在なのであろうか。まさに、女性において家庭的な部分が全くなく、そして、愛想がよく、公私の区別がしっかりでき、二人でいるときには非常に艶っぽく、そしてあまり出しゃばって友人関係などのところには出てこないというような感覚が強い。
  いや、これは私一人のイメージかもしれない。しかし、まあ、女性的な魅力が非常に高い人であるというのはあまり違いはないのではないか。もちろん男性において、その魅力をどこに感じるのかというのはこれがまた十人十色ということが言える。実際には、胸が大きな人がいいとか、逆に胸がない方がよいという人もいる。明るい女性が好きな人もいれば、少し憂いをたたえている女性に魅力を感じる人もいるのだ。しかし「愛人」というと「セクシーな魅力がある」つまり「性的な感覚をあまり制限しない女性」というような感覚委なるのではないか。
  現代の芸能人の中で、まあ、その性格などはあまりわからないのであるが、グラビアなど媒体を通した目で見ると、その愛人にしたい女性のナンバーワンは「橋本マナミ」さんであるという。
  橋本マナミさんとは、何度かテレビや講演のお仕事でご一緒したことがあるが、実際に「女性的な魅力」というよりは「あまりこだわりのない明るい女性」というような感覚が強い。そここだわりの部分に、「肌を隠すというこだわり」もないのではないかと思ってしまうのである。
  さて1月5日のテレビ朝日の番組で、坂本龍馬の妻おりょうを再現ビデオで橋本マナミさんが演じている。「おりょう」といえば、竜馬の危機が迫っているときに風呂に入っていて、裸のまま竜馬にその危険を知らせた女性として有名である。まさに「演じる」とは、おりょうになりきって「裸で坂本龍馬のところに走った」のであろうかということである。
  もちろん、テレビであるので、AVとは異なるから、裸をそのまま映すようなことはしないであろう。しかし、その裸を何処まで映すのか、またどこまで橋本マナミさんが演じるのかということはなかなか良い感じだ。ここでそれを書くわけにもいかないので、上記、12月にその宣伝記事が起きた内容を書いておく。
  古舘伊知郎のコメントから「スチール写真を撮る時に近くまで行けました。すると橋本さんが「一緒に入りますか?」<上記より抜粋>と冗談を言われたのですが、それが僕にとって一生の思い出です。」このコメントは、ある意味でリップサービスであろう。古館氏はテレビマンであるから、このようなリップサービスをすることによって、テレビの視聴率を稼ぐ癖がある。そこで、このような話を単純に信じるわけにはいかない。しかし、純粋なテレビマンではない橋本マナミさんのコメントはどうであろうか。
  「他の仕事で温泉に入ることが多いので、撮られる時の角度など問題はなかったです。<中略>番組の本筋とは少し離れちゃいますが、テレビの前のおじさまたちに「着ているのかな!?着てないのかな!?」と思っていただければ」<上記より抜粋>
  まさに、このようなコメントをすんなりできるところが、橋本マナミさんが「愛人にしたい」と思わせるところではないか。
  日本の世の中において、このような「女性の魅力をよくわかっている女性」が増えると、もう少し平和になるのかもしれないとおもうのである。

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マスコミ批判に関する一考(418)「どこの国の放送局か」といわれている報道ステーションのいう「奴隷の平和」

マスコミ批判に関する一考(418)「どこの国の放送局か」といわれている報道ステーションのいう「奴隷の平和」
 日本の安全保障ということに関して言えば、これはなかなか大きな問題である。中世の封建国家であれば、「強い軍隊」と「最新の軍備」と「有能な指揮官」ということで何とかなった。つまり、戦争が強いということはそのまま軍隊が強いということでしかなく、そのためにあまり大きく安全保障に関することを考えなかった。強くなるために合従連衡を繰り返すようになり、そのために、連合国構想などが大きくなってゆくのである。
  日本でその考え方が少なくなるというのは、そのような合従連衡がなくても、同じ日本の民俗でしかなかったことと、そのうえに常に天皇という権威があり、その権威を利用して日本国民は、常に支配に服していた。鎌倉時代の征夷大将軍もそのほかの役職も、戦国時代も、官位と官職、そして幕府の役職というように三種類の権威をもって他の国民や武士たちを支配してきている。そのために日本は、安全保障ということがあまりうまく考えられていないところがあるのだ。
  特に天皇の権威というのは、ヨーロッパにおけるキリスト教の権威よりも大きく、関ケ原の合戦の時は京都田辺城の細川幽斎を攻める小野木公郷の軍隊は、和歌や茶の湯の才能のある細川幽斎を殺してしまうのは惜しいという正親町天皇の意向によって、停戦の申し入れがあり、小野木公郷は実際に停戦に応じている。南北朝以来、天皇が自主的に停戦の申し入れをして停戦が実現した戦いであり、天皇の権威が戦をやめさせるだけの権威があったということがなかなか興味深い。
  そのような状況の時は、基本的には天皇をどのように味方につけるか、どのように天皇の権威を利用するかということが一つの安全保障であった。そのために現在も黒煙など権威のあるものに安全保障を頼るような感覚を捨てきれていない。
  「頼る」「依存心」というのは、いつのまにか「自分で何とかする」という感覚を忘れてしまう場合がある。ましてや、相手、つまり敵の善意に期待するなどということは、安全保障の世界ではナンセンスの極みである。
報ステ富川アナ、「中国を刺激することになる」と発言し炎上 “どこの国のアナウンサー?”の声も
 5日放送の『報道ステーション』(テレビ朝日系)で、MCの富川悠太アナウンサーが尖閣諸島で領海侵犯を続ける中国を擁護するような発言を行い、炎上している。
 番組では政府が防衛計画の大綱を見直す意向を示し、その中で「護衛艦『いずも』の甲板を改修し、多用途運用護衛艦とする方針であることを紹介。番組は「事実上の空母化」と何度も繰り返し、「(空母化に伴い)垂直に着陸できる戦闘機F35BとF35Aを計100機購入する」と報道する。
 そして、小野寺五典前防衛相に「事実上の空母化ではないか」と女性記者が質問。同氏は「多用途で使える護衛艦という議論なので空母という範疇にはあたらない」とコメント。続けて女性記者は自民党の中谷元(げん)元防衛相には「専守防衛に反する」などと質問をぶつける。
 これに対し、中谷元防衛相は、「南西の島が不当に上力された場合に、奪回したり阻止する意味においては、その作戦が可能な態勢というのは取っておかねばならない」と至極当然と思える回答を行った。
 しかし、『報道ステーション』は野党の声として、国民民主党玉木雄一郎代表が「他国を攻撃できる能力を持つことになれば専守防衛という防衛の基本的な考え方を逸脱する可能性がある。説明を求めたい」と話す様子を放送。そして、小野寺前防衛相が「空母化ではない」と否定しているにもかかわらず、「事実上の空母化」と決めつけ、議論を進める。
 スタジオではテレビ朝日の解説員を登場させ、「北の脅威を理由にこれ(防衛力)を整備したかったのではないか」と問題視。さらに、機密情報に近い「いずも」の能力やステルス戦闘機F35Bの能力を大々的に紹介。そして、解説員は「空母という定義はないが、周辺国は空母と思うだろう」として、「空母化である」と断言した。
 次に富川アナは尖閣諸島周辺の地図が書かれたフリップを見ながら、「じつは昨日ですね、中国海警局の船4隻が尖閣諸島の近くを航行していたそうなんですね。例えばこういうことがあったとき、那覇からだと尖閣諸島まで単純計算すると20分くらいかかるんですって」
 と状況を説明。そして、
 「これを空母化した『いずも』を尖閣諸島の近くに置いておけば、20分と言わずすぐに対応できるんじゃないかと。ただ僕思うんですけども、尖閣諸島のすぐ近くにに空母がずっと待機していると中国を刺激することになりませんか?」
 と、意味不明な発言を行う。これにはテレビ朝日の記者が「日本は尖閣諸島を守る側の立場ですので、刺激することにはならないと思います」と一瞬で完全論破。左寄りの記者も富川アナの発言は、「中国側の物の見方」と感じた様子。
 その後、徳永有美キャスターが「なぜ事実上の空母にたどり着かなきゃいけないのか」と政府批判に話を軌道修正。そして、「空母という言葉を使わないのはおかしい」と政府批判を繰り返した。そこに「尖閣諸島を防衛しなければならない」という視点は、全く入っていなかった。
 富川アナの「尖閣諸島に事実上の空母を置くと中国を刺激する」発言に、ネットユーザーは大激怒。「どこの国のアナウンサーなんだ」「尖閣諸島は日本の領土だと思っていない」「日本人とは思えない発言」と非難轟々。さらに、「中国が日本を刺激している」「中国に対する対抗措置」「そもそも中国の船が尖閣諸島に来ることが問題。なぜそこを問題視しないのか」などと、冷静にツッコミを入れるユーザーも多かった。
 尖閣諸島は日本の固有の領土であり、中国が領海や領空侵犯を続けている現状で、防衛力を強化することは当然のことだろう。それについて「中国を刺激する」と中国政府を慮るような発言を行うことについては、日本国民から怒りの声が出るのは当然だ。
 専守防衛を逸脱するのではないかという声も1つの意見ではあり尊重されるべきだが、「尖閣諸島に中国の船が侵入している」という事実をひた隠しにして議論を進めるのは、放送法に定められた「放送の中立性」を逸脱していると言わざるを得ない。
 富川アナと『報道ステーション』スタッフは、ネット上に溢れる「批判の声」に耳を傾けるべきだろう。
 
2018年12月06日 12時20分 リアルライブ
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12184-44494/
 防衛大綱において、現在のヘリコプター搭載型護衛艦の「いずも」を航空母艦型の多用途護衛艦にするということになった。もちろんこれは近年の中国による日本国領海への不法親友を繰り返す内容に対する対抗策として、海の安全保障を考えるにあたり、東シナ海に攻撃のできる航空機軍を置くということになった。
  アメリカからF-35Aを100機購入し、その離着陸を可能とする護衛艦を作るということである。
  さてこの多用途目的護衛艦に関しては、「南西の島が不当に上力された場合に、奪回したり阻止する意味においては、その作戦が可能な態勢というのは取っておかねばならない」<上記より抜粋>というう王な状況である。
  さて、上記の記事を読んでいただいてわかるように、得れば左飛報道ステーションの内容はおかしなものである。
「空母と決めつける」
「空母という言葉を使わないのはおかしい」
「北の脅威を理由にこれ(防衛力)を整備したかったのではないか」と問題視
「中国を刺激する」と中国政府を慮るような発言
「尖閣諸島に中国の船が侵入している」という事実をひた隠しにして議論
 これらのことは、単純に今の日本の国内の政局論を語るとかそういうことではなく、日本の国を守るということをどのように考えるのかということの問題であり、政治の問題以前の問題である。実際に、現在のような「すべての国力の総合力による戦争」が行われる場合、このような報道で日本そのものの総合力を下げることは、そのまま戦争への敗北を意味する。朝日新聞社グループトータルのいう「軍備反対」は、そのまま日本の総合力を失うことを意味し、今回のニュースの内容であれば中国に支配されることを意味する。つまり「日本人としてのアイデンティティを捨て、中国の支配の下に奴隷の平和を味わえ」ということを意味しているということになるのである。
  はっきり言うが、国会議員のように多くの人の付託があるわけでもなく、また選挙で選ばれたわけでもない。何か資格があって報道関係者になったわけでもない彼らの個人的な意見で、なぜ国家の国力をそがれなければならないのであろうか。上記の記事は偏向報道というような内容になっているがそれどころではない。報道ステーションのやり方は単純に亡国の方向を示し、国民をどれにしようとしているのである。このような番組を放映していてよいのであろうか。

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マスコミ批判に関する一考(417) なぜか捏造報道をして韓国人グループの方を持つ日本の民放の「報道の無責任」

マスコミ批判に関する一考(417) なぜか捏造報道をして韓国人グループの方を持つ日本の民放の「報道の無責任」
 日本のマスコミというのは、そもそも「中立」「公平」「公正」「真実」が存在しない。報道番組でさえも捏造し、そのうえで真実を捻じ曲げて報道してしまうということが多き黄な問題である。このように報道に真実性が全くないことから、日本のテレビに簡易て徐々に若者のテレビ離れが起きているのである。
  それでも、居間のテレビはなぜかそのようなことを気にせずにいまだに捏造報道を行い、なおかつ、そのことに関して何の責任を持たないのである。相変わらず「言論の無責任」はそのまま残っている。映像を伴った報道機関の報道において、その内容が「捏造」であった場合に、その報道に対する国民の怒りは非常に大きくなる。それでも、その捏造や報道しない内容に関して国民の同意または理解があれば許される場合がある。そのためには非常に大きな目的がありなおかつ国民の多くの利益に結び付く場合である。最も顕著な例が、誘拐事件の報道規制であろう。誘拐事件の内容を事細かに報道してしまって、犯人が逆上し、そのために、人質になった人がころされてしまう危険がある場合、当然に犯人逮捕と人質の生命を優先するのであって、報道をしないことに関して国民的な理解ができる。つまり、報道することよりも重要な内容を出す場合がある。
  これら報道規制や、ある葉「おとり捜査的な報道の捏造協力」などは刑事事件の捜査などにおいて、特別に許される場合がある。しかし、その内容を無視して、テレビ局の独りよがりで、「中立」「公平」「公正」「真実」の報道が担保されなければどうなるか。より一層国民の怒りは大きくなり、その怒りに対して、テレビ全体の信用が無くなってしまうということになる。つまりこのような報道をすると、テレビ業界全体が大きな問題になるはずなのであるが、残念ながら他のテレビ局も大なり小なり行っているので、なかなかそのことを報道できないし、また、その内容を批判できないのである。
  つまり、今の日本の報道機関に、TBSを批判する能力がないということになるのだ。これでは大きな問題になるのではないか。
BTS「本当にごめんなさい」発言なかった TBS、放送内容を一部訂正しお詫び
 韓国の人気グループ・防弾少年団(BTS)のメンバーが公演中に、「本当にごめんなさい、日本の皆さん」と原爆Tシャツ問題を謝罪した、と伝えていたTBSが、2018年11月23日放送の「Nスタ」で報道内容を訂正、お詫びするとのコメントを発表した。
 「本当にごめんなさい」発言はNスタのほか、「新・情報7daysニュースキャスター(Nキャス)」「アッコにおまかせ」などのTBS番組でも取り上げられ、ネット上では発言のニュアンスが異なるのでは、といった指摘が出ていた。正しくは「本当に胸が痛いですね」
 「さて、一つ訂正です」――23日のNスタ終盤で井上貴博アナウンサーは、神妙な面持ちで切り出した。「先週14日のこの時間帯に、韓国の人気グループBTSの原爆Tシャツ問題について取り上げました。所属事務所が謝罪コメントを出すとともに、メンバーが東京ドームでの公演の中で、『本当にごめんなさい、日本の皆さん』と話した、とお伝えしたんです。ですが、正しくは『本当に胸が痛いですね』でした。訂正してお詫びいたします」
 14日放送の「Nスタ」では、「『原爆Tシャツ』韓国グループ謝罪」とのコーナータイトルで、13日の東京ドーム公演の模様を伝えていた。その中で問題となったTシャツを着用したジミンさんが「ファンの前で口にした」言葉として、ナレーションとテロップで、以下のように紹介した。「日本の皆さんだけでなく 全世界の多くの皆さんが驚かれご心配されたと思います 本当にごめんなさい 日本の皆さん」
 この「本当にごめんなさい」発言は、同じTBSの「Nキャス」(17日)、「アッコにおまかせ」(18日)でも紹介された。このうち「Nキャス」では、「『防弾少年団』日本公演で原爆Tシャツ着用を謝罪」とのテロップを表示し、メンバーが「謝罪」したということを強く打ち出していた。J-CASTの取材に「回答はございません」
 ところが、同じ公演を取材した他のメディアの記事では、「本当にごめんなさい、日本の皆さん」といった、明確な謝罪発言は確認できず。J-CASTニュースも会場で録音された音声を聞いたものの、「アーミーの皆さんだけでなく、全世界の多くの皆さんが驚かれ、ご心配されたと思います。本当にお騒がせしました」といった発言はあったものの、TBSが伝えたような「謝罪」は見つけることができなかった。
 こうしたことから、一部ネット上では実際に会場にいたというファンも含め、実際の発言とニュアンスが異なるのでは、との指摘が出ていた。
 なお、TBSの広報担当は20日、J-CASTニュースの取材に対し、「回答はございません」とコメントしている。
J-CAST ニュース 20181126
https://www.j-cast.com/2018/11/24344461.html
 さて今回の問題は「防弾少年団」という、韓国のあまり頭の良くない人々が、世界的に批判を浴びている原子力兵器を肯定する行為を行った。いわゆる「原爆Tシャツ」である。
  さてこの問題に関して日本国は「唯一の被爆国」として大きな問題提起をした。
  さて本来であれば、この問題に関して「原水爆禁止」などを主張しエチル今の日本のマスコミはこれらの勧告の芸能人及び韓国の芸能界や韓国人に対して抗議をしなければならないし、再発防止のためにその原因を追究し、その原因に対してしっかりとした謝罪をしなければならないはずである。しかし、日本のマスコミであるTBSは、なぜかそのようなこうせず「謝罪の捏造」を行ったのである。単純に言えば、このことによって「反省していない韓国の芸能人を擁護した」ことになり、同時に、「原水爆を肯定した」ことになる。
  「さて、一つ訂正です」――23日のNスタ終盤で井上貴博アナウンサーは、神妙な面持ちで切り出した。「先週14日のこの時間帯に、韓国の人気グループBTSの原爆Tシャツ問題について取り上げました。所属事務所が謝罪コメントを出すとともに、メンバーが東京ドームでの公演の中で、『本当にごめんなさい、日本の皆さん』と話した、とお伝えしたんです。ですが、正しくは『本当に胸が痛いですね』でした。訂正してお詫びいたします」<上記より抜粋>
  つまり、日本に対する謝罪がないものをそのまま謝罪があったようにしたという「捏造」であり、真実がないものを報道したのである。
  TBSに関してはこのような「反日的な捏造」と「二重基準による報道」があまりにも顕著である。
  その内容に関してはウィキペディアから出すが、あまりにも多すぎてどうにもならない。
  ウィキペディアによると
  1989年に発生した坂本堤弁護士一家殺害事件の発端になったとされる「TBSビデオ問題」後、TBSでは、報道被害や偏向報道、虚偽報道などを防ぐために、役員・従業員が守るべき行動基準として「TBSグループ行動憲章」を定め、TBS自身も番組制作と放送のルールを定めている。
  <以上抜粋>
  とあるが、その後もあまりにも多すぎる偏向報道や演出、捏造報道はさすがに問題があるのではないか。その上、そのような報道を行っているものに対して「誰も責任を取っていない」ということが非常に大きな問題なのである。今回の問題もこのようなことをしたプロデューサーやディレクターがしっかりと謝罪したわけではないし、また、そのようになった経緯が説召されたわけではない。そのような「報道の無責任」がそのまま流されていることが非常に大きな問題ではないのではなかろうか。
  日本のマスコミは国民に完全に見放されるまでわからないのかもしれない。

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