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マスコミ批判に関する一考(363) 会話が整理す市内インタビューで印象操作をするTBSという「最低に失礼なテレビ局」による偏向報道

マスコミ批判に関する一考(363) 会話が整理す市内インタビューで印象操作をするTBSという「最低に失礼なテレビ局」による偏向報道
 まあ、ひどいというかなんというか。「呆れて物も言えない」というのはこのことであろう。
  まあ、TBSというところが反日とか、そういうことは後半に思う存分書くこととして、とりあえず、普通の人間として「失礼だろう」と怒りたくなる、それはTBSだからではなく「人間としてどうなのか」というところから書いてみようと思う。
  そもそも「会話」というのは、相手の目を見てその真意を聞き、そして、その会話の流れで相手の意図や言いたいことに沿って質問をするということが最も重要なのである。つまり、会話というのは、その会話に入っている人の間で成立するものであり、他の人の指示で行うものではない。よく目絵の人と話していて、スマホなどを見ていると「お前失礼だろう」といわれる。当然にそれは「相手がわかってもらおうとして話しているのに、その注意が散漫になっているので話している側に失礼である」ということに他ならない。
  もちろん、テレビの場合は、支持が必要な場合もある。その会話が二人だけの会話ならばよいが、その会話を通してテレビの前に様々なことを伝えなければならないからだ。ということは当然に、「時間」や「表現」などのことは、支持が必要な場合がある。しかし、逆に「会話の内容」に関しては、インタビュアーに任せなければ、その場で「会話」として成立しないのである。
  TBSの報道番組に安倍首相が出演し、その時にキャスターのイヤホンが外れて「モリカケ」と聞こえたという。私自身はそのシーンを見ていないので、あくまでも電文であるが、それは「キャスターが会話をしていない」ということにほかならず、まあ、ロボットと話しているのと関係ないし、また、加岩野中本は全く関係なく、そのようなことを切り出すということそのものが「日本人として会話を大事にしていない」つまり「日本語を全く大事にしていない」ということになる。
  他の番組であろうと、インタビューであろうと、TBSは、「ディレクター」かあるいはそのほかの権力者がいて「会話をゆがめて、自分たちの思うように印象操作をする」と意ことである。他の報道番組も情報番組もすべてそうであり、結局、「信用性がない」ということになるのではないか。
安倍首相出演のNEWS23で「モリカケ!」 キャスターのイヤホンから漏れ生放送はバトルに
 「......モリカケ!」――生放送のマイクに、小さいながらも確かにそう聞こえる音声が乗った。星浩キャスターは少し慌てたように、外して肩に垂らしていたイヤホンを付け直す。安倍晋三首相は一向構わない様子で、持論を展開し続ける。
 2017年9月25日、衆院解散を発表した夜、安倍首相は「ニュースウォッチ9」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日系)、「NEWS23」(TBS系)に立て続けに出演した。上記の一場面は、その最後「NEWS23」でのものだ。
   報ステは比較的「平和」だったが
 今回の解散総選挙を「国難突破解散」と位置付ける安倍首相だが、野党などからは批判が続いている。特に、28日召集の臨時国会冒頭での解散には、森友学園問題・加計学園問題(いわゆる「もりかけ」)をめぐる追及からの「逃げ」ではないか、という声が根強い。
 25日夜出演の番組でも、やはりこれらの問題、そして小池百合子都知事が立ち上げた「希望の党」への対応が焦点となり、キャスターからの質問が集中した。ニュースウォッチ9・報道ステーションは比較的スムーズにやり取りが進み、小池新党についての話題では首相が笑みすら浮かべるなど余裕含みだったのに対し、NEWS23は、熱弁をふるおうとする首相と、星浩氏らキャスター陣が「かち合う」展開となった。
 たとえば序盤、「冒頭解散」の是非を問われた首相が1分近くかけて反論、さらに「今回はですね、まさに消費税の使い道において2兆円、これは毎年毎年......」と消費税問題に話を広げようとしたところ、「ちょっとお待ちください、のちほどお伺いいたします」と雨宮塔子キャスターがこれを制して、「個人的に気になっているのは......」と、野党が「弱ってる」タイミングを狙っての解散ではないか、と話題を転換する。首相はしかし、「先ほども申しましたように、野党というのは選挙がなければ政権は取れないわけでありますから......」と、さえぎられる直前の話題を繰り返した上で、再び消費税の話を始めようとする。
   イヤホンからスタッフの声が...?
 その直後、マイクに乗ったのが、冒頭の「モリカケ」という音声だ。映像を確認すると、星氏が冒頭から、右耳のイヤホンを外し、肩に引っ掛けるように垂らしていることがわかる。件の音声はこのイヤホンから漏れ、星氏のピンマイクに拾われたものとみられる。
 この音声を受けてか、再び星氏は、「あとで、お時間あるので」と消費税から話を変えようとするが、首相は「ついでに言わせてください」とストップを無視して、さらに話を続ける。結局はひと段落したところで、映像が入り次の話題に移ったが、そのテーマはやはり「森友・加計」だった。なおこうした「音漏れ」は少なくとも番組内で3回確認され、いずれも直後にキャスターらが次の話題に移ろうとしている。はっきり聞き取れるのは「モリカケ」だけだが、いずれも進行をめぐる指示の可能性が高そうだ。
 その後も、森友問題について一通り話し終え、「それとですね、加計問題について申し上げます」と安倍首相が話題を切り替えようとすると、今度は逆にキャスター側が話を続行する。安倍首相が「(森友問題は)司法の場において明らかになっていくことだろうと思いますし、また......」と言いかけると、駒田健吾アナウンサーが割って入り、昭恵夫人が自ら会見するべきでは、と問う。といった具合に、お互いがお互いの発言を食い合う流れがたびたび見られた。
 一方、安倍首相の側も、国会で加計問題をめぐる野党やメディアの論調などを批判した加戸守行・前愛媛県知事らの名前を挙げ、「どうかそういうところも(テレビ局は)紹介していただきたい」「(加戸氏の証言も)誠意をもって報道していただきたい」と反撃している。
   百田尚樹氏がネット番組で揶揄
 この日のNEWS23には、上記の「モリカケ」音声も含め、大きな反響があった。民進党の小西博之参院議員はツイッターで、
 「NEWS23の安倍総理を見ていると、聞かれたことには一切答えず、支離滅裂に関係ない民主党批判などを繰り返している」
 と、激越な言葉で安倍首相を非難、総選挙不出馬を表明している上西小百合衆院議員も、「TBS『NEWS23』が安倍総理に対して、かなりスリリングな質問をした。その姿勢に全く問題はないし、圧倒的に正しい」と好意的にキャスター陣を論評した。
 一方、作家の百田尚樹氏は26日のネット番組「虎ノ門ニュース」でこの件を紹介し、「キャスターはディレクターの操り人形」などと揶揄した。ただし、百田氏は番組そのものを観たわけでない旨を発言、ネットで拡散された動画で閲覧したとみられ、音声の内容も「そんなこといいから森友のこと聞け」と誇張されている。
2017年09月26日 19時31分 J-CASTニュース
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12144-309549/
 こうした「音漏れ」は少なくとも番組内で3回確認され、いずれも直後にキャスターらが次の話題に移ろうとしている。はっきり聞き取れるのは「モリカケ」だけだが、いずれも進行をめぐる指示の可能性が高そうだ。<上記より抜粋>
  まあ、会話を遮って印象操作をする。はっきり言って報道番組であってはならないことである。つまり「政治家が政治の主張をするのを邪魔する」ということであり、基本的に「公平性」も「中立性」も何もない。ましてや「解散をした日」のインタビューで「解散」について聞かないなどという、政治センスのかけらもないことをしているようでは、TBSというのは、まあ、前からそのように思っていたが、基本的に報道番組をしてよいようなテレビ局ではない。TBSは、オウム真理教の時に、「サブリミナル効果を使った不正放送」を行ったということで話題になっており、その後「不正放送に何らかの自主規制が入る」と思いきや、かえって「サブリミナルが使えないので、表立って偏向報道を行う」というあまりにもひどい状況になってしまっていて、これが放送局のやることであるかというように考えるものである。単純に言って「反自民」というのでも批判が少なくないのに対して「反日」放送を繰り返しているこの番組のあまりにもおかしな状況には、ネットでも話題になっている。
  まあ、政治は本来ある程度の政治センスが必要なのであるが、その政治の報道番組が全くうまく機能しないということは、そのままスキャンダル以外には全く報道できない「センスのない放送局」ということであり、それならば情報番組や報道番組はすべてやめてしまえばよいその方が平和なのである。
  そもそも左翼主義者が「偏向報道」を行い、「自分たちの意見に従わせようとする」放送をしながら「平和」を訴えるということ自体がおかしい。基本的に、「従わせる」というような報道を行うこと自体が「対立」を生む行為で、その対立が大きくなれば、基本的には「平和」が崩れるのである。そのようなことが許されて良いはずがない。その矛盾も感じない時点で、放送局としての資格は全くないということになるのである。
  さて、ついでに言えばなぜほかのテレビ局は怒らないのであろうか。当然に視聴者やネットでこの記事を読んだ人は、「他のテレビ局も同じ」と思ってしまい、報道番組の信ぴょう性やリテラシーを疑うようになる。つまり、自分たちがしっかりとした取材をした除法であっても、そのことに関して斜めから見られてしまい、信用性が薄れるということになるのである。それは「TBS」のような変更した報道局が悪いわけであり、その責任をTBSがほかのテレビ局に賠償を払うような形で、行うべきではないのか。ネットの放送局も同じで、そのような法的手段をとることが最も重要であると思われる。
  まあ、そのようなことをする前に、そもそもTBSのようないい加減な放送局はなくなってもらいたいものである。

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マスコミ批判に関する一考(360) 政治的な事情で国家の緊急事態に対応できない韓国のマスコミ

マスコミ批判に関する一考(360) 政治的な事情で国家の緊急事態に対応できない韓国のマスコミ
 マスコミの役目とは一体何であろうか。国家にける集団に対するコミュニケーションであるということを考えれば、基本的にあ「国民が知らなければならない情報を、いち早く性悪、中立的、公平に伝えること」ということになる。この連載では、この「中立性」「公平性」ということが課題として挙がってしまうことも少なくないのであるが、実際に、その課題以前の問題として、「国民が知らなければならないこと」を知らせることができるかできないかということが最も重要な内容である。
  基本的に「報せること」ができるかできないか、ということが最も重要である。そのために「取材」ということをしなければならないし、また、そのことの奥を深く考えるために、その周辺の事実をさまざまに考えていなければならないということになる。その知識を普段から得ていなければならないし取材のソースをそれなりに用意していなければならない。
  さてでは「国民が知らなければならないこと」とは一体とのようなことであろうか。単純に「国民に危険が迫っていることを知らせる」ということになる。「危険」の種類がたくさんあって、一つは「生命の危険」つまり「災害」や「戦争」ということ。次に「財産的危険」ということになり、これが「政治情報」や「経済情報」ということになる。そしてそれらの「手段」として「ニュース」「ワイドショー(解説付き報道・情報番組)」「ドラマ(風刺)」「バラエティ」というような形になってくるのである。もちろん、ドラマやバラエティはそれだけではなく、国民的な余暇を入れてみたり、あるいはその内容に関して笑いで国民の緊張感を和らげるというような役割を担い、報道ばかりではないということになるのであるが、その内容をしっかり取り混ぜて、効果的に様々なことを知らせるという事が必要になる問うことになるdのである。
  では、そのマスコミが「国民の危険」を知らせなくなったらどのようなものであろうか。日本では東日本大震災、いわゆる「3・11」の時に、すべてのチャンネルがコマーシャルもなく自身の情報安否情報ばかりを流し、初めのうちは皆にありたがられたが「長すぎ津」というような声も聞かれた。
  では、現在北朝鮮の核実験を行っているとき、もちろん北朝鮮のことなのでその取材には限界があるとは思うものの、その情報を全くな合さないとなれば、どのようなことになるのであろうか。韓国のマスコミはまさにそのような状態なのである。
【北朝鮮核実験】この緊迫時にスト決行の韓国主要放送局 速報テロップのみで「のど自慢」中断せず 元凶は政治のメディア介入
 北朝鮮が6回目の核実験に踏み切るなど常軌を逸した暴挙を続けるなか、公共放送の韓国文化放送(MBC)と韓国放送公社(KBS)の労組が経営陣の辞任を求めるストライキに入った。MBC、KBSの経営側は組合側にニュース現場への復帰を求めたが、組合側は拒否。両社は特集番組を作れないどころかニュース時間も短縮せざるを得ない状況だ。緊迫した状況下でも報道よりストを優先させる姿勢は「視聴者不在」だが、韓国の公共放送のトップ人事にはときの政権の意向が反映されがちで、政治のメディア介入という「積弊」がもたらした産物という側面もある。 
    現職地上波テレビ社長に逮捕状
 MBCの労組から退陣要求を突きつけられているのは、金張謙(キム・ジャンギョム)社長。朴槿恵(パク・クネ)前大統領が罷免される前の今年2月に就任した。
 MBC労組側は、金社長をはじめとする経営陣が「組合活動をした記者やディレクターらを現場から追い出す」など、組合活動への不当な介入があったと主張。6月に雇用労働省(日本の厚労省に相当)に監査を要請した。
 関係者によると、MBCには何も業務を与えない「追い出し部屋」が存在し、これまでも政権の意向に沿った幹部人事に反発した社員らが追いやられたり、懲戒処分を受けたりしたことがあったという。
 監査の結果、雇用労働省は組合側の主張する通りの事実があったとして、金社長の事情聴取を決めた。しかし、金社長が出頭に応じなかったため、検察が逮捕状を請求、裁判所は1日、発布を認めた。
 これに対して、MBC側は、「就任して半年もたたない社長が不当労働行為をしたというのはあり得ない。社長と経営陣を追い出すための現政権の仕業だ」(ハンギョレ新聞)と真っ向から反論した。
 MBCのトップ人事をめぐる混乱は今に始まったことではない。2010年、当時の李明博(イ・ミョンバク)政権がすすめる河川協力事業を批判する報道を行ったMBCに対し、李政権は盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代に選出された同社のトップを解任、自身に近い人物を社長に据えた。
 KBSに関しても同様で、李政権が輸入再開を決定した米国産牛肉の安全性をめぐる報道でKBSの社長を事実上追放した。
 盧政権時代にKBS社長に就任した人物は親北・左派系のハンギョレ新聞の論説幹部、MBC社長は労組委員長出身者だった。
 今回のMBCの金社長をめぐっては、すでに文在寅(ムン・ジェイン)大統領が選挙中から、「大統領になった暁にはMBC問題を解決したい」と宣言しており、政権交代を機に、保守政権下で選ばれた社長のもと、疎外されてきた社員らが逮捕状問題を機に会社に反旗を翻した形だ。
    さらに深い因縁
 MBCに関しては文政権とさらに深い因縁がある。MBCの大株主である韓国放送文化振興会の理事長、高永宙(コ・ヨンジュ)氏の存在だ。
 元公安検事の高氏は2013年1月、「文在寅は姿を変えた共産主義者だ」と発言。文氏は15年9月に高氏を名誉毀損(きそん)で告訴したが、検察は何もしなかった。ところが文氏が大統領に就任した後、高氏への捜査が始まった。
 しかも高氏は1981年に釜山で起きた公安事件、釜林(プリム)事件の捜査を担当、文氏を政治の世界に導いた盧武鉉氏が被告の弁護を担当するという“敵対関係”でもあった。
 保守系の韓国紙、朝鮮日報(日本語電子版)は4日の社説で金社長へ逮捕状が出されたことを「公権力が私的な暴力行為の道具に転落してしまった」と批判。
 さらにニュース現場への復帰を拒否する組合員にも「これが本当に地上波テレビ局の職員がやることだろうか」とバッサリ。「外では敵から危険な武器を突きつけられているが、国内はバラバラ」と深い憂慮を示した。
 さらに5日の朝鮮日報(同)は、北が核実験を行った直後もKBSはテロップで速報しただけで全国のど自慢大会を最後まで放送したと指摘し、「国民から託された国家基幹放送としての責務を放棄する以上の積弊などあるだろうか」と問題提起している。
産経新聞 2017.9.5 16:20
http://www.sankei.com/west/news/170905/wst1709050059-n1.html
 政治家のマスコミに対する介入というのは、それなりに大きなものがあると考えられる。ある意味でマスコミの報道そのものによって、民主主義の基本である民意が変わってくるということがあげられるからにほかならない。では、その介入がどのように行われるかということが、なかなか大きなものではないのか。
 一方。マスコミといえども、そのような社会的な問題ばかりではない。ある意味において労働問題も大きく存在するし、また雇用関係の問題も少なくない。基本てkに人間が行っているものであることを考えれば、人間と人間の感覚の問題になるのであるから、雇用などの問題もあり、その中において、公平性や中立性の考え方の問題が出てくるということになるのである。
  しかし、それ以前に「マスコミの会社内部の人間関係」特に「雇用」つまり労働組合の問題に関して、政治が介入するということが入るのはどのようなことになるのか。
 公共放送の韓国文化放送(MBC)と韓国放送公社(KBS)の労組が経営陣の辞任を求めるストライキに入った。MBC、KBSの経営側は組合側にニュース現場への復帰を求めたが、組合側は拒否。両社は特集番組を作れないどころかニュース時間も短縮せざるを得ない状況だ。<上記より抜粋>
  まさにこのことの問題が、存在するということになる。まあ、労働問題などのことなので、それなり必要ではあるが「社会的存在のマスコミ」が「社会的責任を放棄」したということになるのである。このようなことが許されるのかということが最も大きな問題である。
  MBCの金社長をめぐっては、すでに文在寅(ムン・ジェイン)大統領が選挙中から、「大統領になった暁にはMBC問題を解決したい」と宣言しており、政権交代を機に、保守政権下で選ばれた社長のもと、疎外されてきた社員らが逮捕状問題を機に会社に反旗を翻した形だ。<上記より抜粋>
  このようなことが平気で行われているのである。まあ、なんだかよくわからない。その結果、北が核実験を行った直後もKBSはテロップで速報しただけで全国のど自慢大会を最後まで放送したと指摘し、「国民から託された国家基幹放送としての責務を放棄する以上の積弊などあるだろうか」<上記より抜粋」>
  ということになっているのである。
 まあ、韓国のことだといえばそれまでかもしれないが、日本のマスコミもこのような状況になりかねない。北朝鮮の核実験に関して「北朝鮮が核で挑発するのは日本が悪い」とか「Jアラートで危険を知らせると、日本人が北朝鮮を嫌いになってしまうからやめた方がよい」などというような意見が多く、核やミサイルの実験を肯定・擁護するようなことが非常に大きくなっている。そもそも「国民の危険とは何か」ということを全く意識しない番組が増えてきてしまっていることが「韓国の公共放送とは違う危険」を感じるのである。
  本来のマスコミの社会的な使命を全うしてもらいたいものである。

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マスコミ批判に関する一考(357) 「部下が事件を起こして社長にや罪懐剣を要求する」テレビ局が自分の社員だと謝罪会見どころかろくに報道もしないという二重基準

マスコミ批判に関する一考(357) 「部下が事件を起こして社長にや罪懐剣を要求する」テレビ局が自分の社員だと謝罪会見どころかろくに報道もしないという二重基準
 誰でもそうであるが、自分のことは美化して書きたいと思っているし他人の非は良く見えるものである。私はつけていないが、私が良くこのようなときに指摘するのが日記だ。日記というのは、本来自分でしか見ないものであるが、しかし、数日前でも昨年のでっもよいので、日記を読み返してみれば、基本的に、日記の文章は誰かに読まれてもよいような文章になっているし、また、日記の文章は、本当の自分ではなく脚色された自分が書かれている。そのために、「本来将来の自分以外には見ない」という前提の文章であっても、その日記の文章であっても、その文章には脚色が入っている者なのである。
  皆さんの日記であってもそうであるが、基本的には「自分は正しい」ということ「自分を美化」することによって、自分の精神的なバランスを保っている部分があり、その自分の精神的なバランスが崩れてしまうと、いわゆる「メンヘラ」といわれる状況になってしまったり、あるいはうつ病になってしまったり、あるいは、社会の人を信用できなくなる極度な人間不信から引きこもりになってしまったりするのである。
  このように、人間には「自己防衛本能」が存在し、その本能に従ってある程度「自分たちの防衛的な話」をするのは仕方がないことと思う。これは法人であっても同じで、自分に責任が及ぶ範囲に関しては、そのような状況が発生するのは当然のことであるといえる。
  しかし、「マスコミはそれは許されない存在」であることは事実だ。
  マスコミの場合は、テレビであっても新聞であっても、また、週刊誌やネット媒体であっても、それがマスコミである問うことから「知る権利」を振りかざし、「謝罪会見」や「説明責任」を追求する立場にある。もちろん、その知る権利の追求が「関係もないのになんだか言っている」という場合も少なくないが、例えば、豊田議員が秘書に暴言を言っても、また、萩生田補佐官(当時)のメモが出てきても、安倍首相に説明を求めてきたマスコミは、自分自身の社員が犯した犯罪に関して、きっちりとトップが出てきて説明責任を果たす「義務」が生じる。そうでなければ「自分のことを棚に上げて権利を振りかざしている」ということになるからである。
  今回TBSの、それも「部長」という肩書を持つ人物が、「犯罪」を犯した。しかし、そのTBSのトップは、その件に関して「説明責任」も「謝罪会見」も全く行わないし、また、その事件に関してワイドショーなどは全く取り上げない状況にある。それどころか、下記の記事を見てもわかる通りに、その実名も公開しない。。
  これが「公共の電波」を使って、「公平平等」に報道している人々のすることなのであろうか。
危険ドラッグを女性に…TBS部長の父親プロデューサーが激白
 不肖の息子に超大物プロデューサーの父親も困惑した様子だった。
 職場や自宅に危険ドラッグを隠し持っていたなどとして、14日、TBSのメディアビジネス局担当部長のA(51)が、医薬品医療機器法違反と傷害の疑いで警視庁に書類送検された。Aは今年4月、東京都中央区のホテルで、都内に住む35歳の女性会社員の顔面に危険ドラッグ「ラッシュ」をかけ、約1週間の炎症を負わせた疑い。
「女性とは出会い系サイトで知り合ったそうです。ホテルで女性に『嗅いでみる?』と言って、無理やり危険ドラッグを鼻に近づけ、顔にかけてケガをさせた。ラッシュは鼻から吸うと動悸が激しくなり、興奮作用をもたらす。この種の薬物を使用する目的のほとんどは“キメセク”です。本人は『快楽のために何回か使った』と話しています」(捜査事情通)
 女性から相談を受けた久松署が6月、渋谷区の自宅とTBS本社を家宅捜索。ロッカーからラッシュが入った小瓶が数本見つかった。
「Aは米国の大学を卒業後、1990年に国内の大手事務機器メーカーに就職。4年後の94年にTBSに中途で入社している。Aは2人兄弟の長男で弟は電通に勤務し、海外に赴任しています。父親は元テレビ制作会社の役員。誰もが知っている名作ドラマを何本も手掛けた名物プロデューサーで、中でもTBSの作品が一番多いですね」(TBS関係者)
 そこで父親を直撃したところ、「そうなんですか。知らなかった。いま初めて聞いた。向こうからも電話もかかってこないし、忙しいんだろうなと思ってこっちからも電話しなかった。連絡がないからおかしいなぁとは思っていた。そういう事件があったんですか。どうもすみません。全然知らなかったものですから、コメントのしようがない。相手の女性にも申し訳ない。バカだなぁ、まったく。いいコメントができればしたいんだけど、予備知識がないので何も言えない。どうもすみません」と、まさに平身低頭だった。
 Aは生まれも育ちも表参道近くの渋谷区で、妻と息子2人の4人家族。仕事で度々、カンヌ映画祭に出席するなど、セレブ暮らしを送っていた。
 TBSによると、Aが所属するメディアビジネス局は、番組DVDの販売などコンテンツ2次利用などの事業を統括する部署。
 Aは取り調べに対し、「過去にも何回か使ったことがあり、出張先のフランスで購入して日本に持ち込んだ」と話し、常習していた疑いがもたれているが、「6月に事件が明るみになったというのにこれまで何の処分も出ておらず、過去の経緯からも社内では『懲戒解雇はない』といわれています」(TBS関係者)。
「厳正に処分する」とコメントしたTBSに、処分内容について聞いたところ、「状況の推移を確認してからなので、今の時点ではお答えできることはございません」(広報部)。
 しかし、父親は「会社もクビになるでしょう。そうしなけりゃ、他の連中に示しがつかないでしょうね」とバッサリ。長年、TBSに貢献してきた大物プロデューサーに忖度しているのかどうか分からないが、父親の方がよっぽどまともな感覚の持ち主だ。
2017年8月16日 10時26分 日刊ゲンダイDIGITAL
http://news.livedoor.com/article/detail/13478811/
 さて、JNN、TBS毎日新聞社グループといえば、
  1989年6月1日、毎日新聞にてグリコ・森永事件の犯人取り調べが行われたという記事が掲載されたが、全くの虚偽であった。「毎日新聞のグリコ・森永事件に関する捏造事件」
  1989年10月から2001年までの12年間に渡って毎日新聞社の英語報道メディア毎日デイリーニューズで、低俗な内容、誇張や虚構にもとづく内容の記事が掲載・配信された。特に日本文化、および日本人に対する異常な記事が多かった。当初から「低俗」との批判が読者から寄せられていたにもかかわらず、2008年に表面化するまで毎日新聞社は全く対応しなかったばかりか、責任者の昇進を行うなど対応が後手にまわって抗議や疑問の声が拡大した。ネット上では「毎日変態新聞」という呼称が広まり、2008年のネット流行語大賞では4位にランクインした。「毎日デイリーニューズWaiWai問題」
  1968年3月10日、TBSのクルーが成田空港建設反対派の農民や活動家をゲバ棒に転用可能なプラカードとともに取材車両で輸送するなどの便宜を図った。その後このことを問題視した自民党から非難・抗議を受け、計8人が処分を受けた。「TBS成田事件」
  1989年10月26日、TBS情報番組スタッフがオウム真理教幹部に坂本堤弁護士のインタビューを放送前に視聴させ、オウム真理教による坂本堤弁護士一家殺害事件の引き金となった。「TBSビデオ問題」
  2003年11月2日、TBSが石原慎太郎都知事の日韓併合に関する発言を捏造した。「石原発言捏造テロップ事件」
  2009年11月12日、市川市福栄における英国人女性殺人・死体遺棄事件の被疑者が行徳署から送検される際、それを撮影しようとしたTBS情報制作局のディレクターの男が規制線を乗り越え、制止した警察官を突き飛ばして怪我を負わせ、移送車両の前方に立ち塞がり車両の窓ガラスを数回叩いたとして、公務執行妨害容疑で現行犯逮捕された。「男は取り押さえられた後も抵抗していた」との証言もある。この時他のカメラマンも車両に駆け寄り大混乱となったほか、日本経済新聞社のカメラマンも後ろから何者かに押され、右手指の骨にひびが入る怪我をしている。男は「いい画像を撮りたかった。お騒がせして大変申し訳ない」と供述し、同日夕方に釈放された「TBS社員公務執行妨害事件」
 
  これだけ存在する。
  まあ、そもそも「モラル」が全く存在し無いのではないかというような「信じられん愛ような報道姿勢」と「取材姿勢」である。そして「毎日デイリーニューズWaiWai問題」でもわかる通りに「その責任を全くとらない」という体質は、あまりにもお梶いものではないか。このような存在が許されるのか。よく考えてもらいたい。
 

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マスコミ批判に関する一考(354) ワイドショーが精神的に有害であるという科学者の研究結果に見る「テレビを見ているとおかしくなる」という説の検証

マスコミ批判に関する一考(354) ワイドショーが精神的に有害であるという科学者の研究結果に見る「テレビを見ているとおかしくなる」という説の検証
 テレビを見て不快な気持ちになるということがよく言われる。もちろん、映像そのものが、不快にさせるという者もあると思うが、問題はその内容である。そもそも他人のスキャンダル、それも痰飲の不幸を流して喜んでおり、小野復興を、コメンテーターなどが、ほぼ同一の意見で集団で袋叩きにするというう構図が、ワイドショーのお決まりのものであり、そのような不快な番組を行っている状況が「異常」であるということになる。
  そもそも、学校などにおいて「いじめ」を問題にしているのに、その「いじめ」を公共の電波を使ってテレビに出ている大人たちが集団でそれを行っているという状態なのである。これで「社会が良くなる」ということもなければ、「見ている側が楽しむ」ということもあまりないのである。
  よく言われていることに、「NHKのニュースは日本を破壊する」といわれている。朝7時のニュースにおいて、これから出勤するサラリーマンが見るときに、日本が暗くなるようなニュースばかりを流し、社会的な問題を意図的に起こして問題を拡大し、社会全体を暗くしているという説である。もちろん、そのようなニュースしかないということもあるかもしれないが、しかし、「本来は日本を元気にするようなニュースを流してもよいのではないか」という意見は多数存在する。そのような意見が全く通らないところが、「意図的な編集」というような状況になるのではないか。
  同様に、「ワイドショーが同じことばかりをやっている」ということは、そのまま、同じ内容の放送を続けるということになる。「嘘も百回言えば真実になる」は、ナチスドイツのゲッペルス宣伝大臣の「名言」であるが、今の日本のテレビ局の体制は、まさにそのことを実践しているとしか言いようがないのではないか。
  もちろん、政治的な内容も、芸能のネタであっても同じ。何も、悪いことばかりでは名く、何かが流行しているなどお同じで、基本的には「統一的な意思誘導」を行い、その意思誘導のまま視聴者を動かしている。それが精神、社会心理学上問題があるということになるのである。
科学者が警告。あなたの精神を蝕むTVの「ワイドショー」の有害性
 加計学園や森友学園に関する内容が報じられないようになったと思ったら、今度は女性タレントが夫や週刊誌を糾弾する様が放送されはじめたワイドショー。無料メルマガ『アリエナイ科学メルマ』の著者で科学者のくられさんは、このワイドショーで伝えられる内容は、政治的醜聞であれ芸能人のスキャンダルであれ価値のないものであるばかりか、見る側の精神衛生に悪影響をも及ぼすと厳しく批判しています。
   ワイドショーを見るとストレスが増える
 昨今のNHKを含む無料地上波放送の質の低下はよくよく言われているが、自分のような純粋にそういう下世話なメディアを嫌っているのではなく、社会心理学の専門家なども意外とワイドショーの有害性について危惧しているという話が結構あるようです。
 というのもワイドショーというのは、視聴者を不快な気持ちに誘導するような映像がひたすら続き、それに対して、アホみたいなコメンテーターがしたり顔で上から目線でコメントをするという繰り返し。この感覚で行くと、twitterの炎上案件などに、自ら参戦していって、安全圏から何の関係も無い人に石を投げるようなクソになってしまいます。
 基本的にワイドショーで拾える情報は、芸能人という赤の他人のどうでもいいニュース、政治のスキャンダル(本当に大事な話はまずされることはない)、ネットニュースで見れば数分で終わる情報収集を、何時間もかけてダラダラと、本当に価値のないものを垂れ流しているわけです。完全に時間の無駄です。ただの無駄ならともかく、それが精神衛生を悪化させるものなのでたまったモノではありません。
 こうした感情の誘導を日々受け続けていると、人間というのは刷り込みを受けやすい生き物なので、そうした上から目線の価値観が自分のモノのような気がしてきます。そんな状態で社会でトラブルを起こさない方がおかしいわけで、実際に人語が通じないのが世の中に溢れかえっているのは無関係とは言えないと思います。
 刷り込みというのは例えば恋愛においても、まめに連絡を取るとか、一緒に居る時間が長いほど好意を持ちやすいといった人間心理の基本みたいなもので、ワイドショーを毎日見るとか相当警戒していないと、いつの間にやら、彼らの価値観、感性を上書きされてしまいます。
 自分も平均的な人間の一人なので、それがイヤで地上波テレビは見ないようにしています。テレビの線自体、壁のテレビラインと繋がっていません。
 でもスカパーやネットフリックス、アマゾンプライムなど、少しのお金を払えば見られる優良コンテンツは山のようにあるわけで、日々の情勢なんかネットで数分で見れるわけですから、残った時間を、良質なドラマやドキュメンタリー番組、映画、アニメなどをみて、楽しく過ごす方がゼッタイに有意義だと思うわけです。
2017年7月18日 19時5分 まぐまぐニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/13353747/
 さて、社会心理学上「ワイドショーを見るとストレスが増える」問うことである。
  ワイドショーというのは、視聴者を不快な気持ちに誘導するような映像がひたすら続き、それに対して、アホみたいなコメンテーターがしたり顔で上から目線でコメントをするという繰り返し。<上記より抜粋>
  まあ、この記事に関して言えば、あまりにもワイドショーを敵対視しすぎているきらいもあるし、また、その内容に関しても、非常に低俗に抱えている。しかし、この抜粋部分に関して、このように言われても、「対して有効な反論がない」ということになってしまい、表現方法の適不適はあるし単語の選び方はあまりよいものとは思えないかもしれないが、しかし、実態として、このような内容であるといわれて氏合えば、まさにそのようなものである。毎回この連載で書いている良な内容でしかなく、そのことを最も分かりやすい表現で書いているのにすぎないのではないか。
  こうした感情の誘導を日々受け続けていると、人間というのは刷り込みを受けやすい生き物なので、そうした上から目線の価値観が自分のモノのような気がしてきます。そんな状態で社会でトラブルを起こさない方がおかしいわけで、実際に人語が通じないのが世の中に溢れかえっているのは無関係とは言えないと思います。<上記より抜粋>
  まさに、その内容は、「ゲッペルスの言葉」の通りに動き、そして精神生成上の内容があまりよくなくなってしまう。親がそのように影響受けていれば、当然に、その中において、育った子供たちはおかしくなってしまう。子供の成長は当然に、環境によって左右される。そのことは昔から同じであり「生みの親よりも育ての親」というようなことわざにも出ている通りに、環境が悪ければ、そして育つ環境が悪ければ、当然にその悪い環境の中において話が進んでしまうということになってしまう。いじめの話を当然であるというように受け止める会話をしてしまえば、いじめをすることもが出てくる。
  そういえば、テレビのワイドショーで福島原発の補助金のことを言っていたからといって、福島から引っ越してきた子供が恐喝されたというような事件があった。エロやゲームならばすぐに発売禁止になったりしているにもかかわらず「ワイドショーの影響で犯罪やいじめが起きてもワイドショーが放映禁止にならないのはなぜか」ということは、だれも言わないのはなぜなのだろうか。
  その点などに関してもテレビだけ特別扱いを受けているということ、そして意見の多様性が認められていない状況を考ええ「ワイドショーなんかはやめてしまえ」というような「制限論」が出てきてもおかしくはないのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(352) 視聴者同様に俳優女優もドラマ離れしてゆく現在テレビの斜陽産業化

マスコミ批判に関する一考(352) 視聴者同様に俳優女優もドラマ離れしてゆく現在テレビの斜陽産業化
 テレビドラマの視聴率が徐々に下がってきている。まあ、ある意味で「ドラマそのものがつまらなくなってきている」ということであり、基本的に、ドラマそのものにまったく面白みを感じないということが一つである。
  下記の記事に書いてあるのかもしれないが、基本的にまずは「テレビ離れ」という状況がある。片方で「ユーチューバー」という職業が実際に活躍しており、ユーチューブ出身のタレントや作曲家なども出てきているというのが現状なのではないか。そのような状況において、テレビという存在が、一つの転換点に来ているということになる。
  ある意味において、コンテンツとして、テレビという物が、独占的な情報発信であったのに対して、ネット等別のコンテンツができたことによって、その地位を奪われ、そして、徐々に斜陽産業になってゆく、その過程で、さまざまな「協力者」が抜けてゆくというような感じになってきているのではないか。
  そのような「斜陽産業化」した産業において、まず存在するのが「過激化」「先鋭化」ということになる。単純に、物事がうまくゆかなくなった時に「コアなファン」を取りに行くことが普通なのであるが、その「コアなファン」の好みに合わせ、そしてそのコアなファンの気に入るような内容にするために、斜陽産業は「コアなファンの要望を超えたものを作り出すようになる」という現象が出てくるのである。単純に言えば「左翼」がコアなファンであるとすれば、その「左翼に偏向した内容」をおこない、そのうえで、その偏向報道をより過激化して、報道を行うということになる。これは「左翼」ではなく、「保守」でも同じであり、ネットが斜陽ではなくこれから勃興するというときに「保守」が過激化・先鋭化するということが「ネット右翼」というような状況になったのに対して「斜陽産業化したテレビにすがる斜陽左翼」なるものが出てくるのではないか。これも、テレビを見る世代の高齢化とともに、徐々に「一部の過激思想」の集団になってしまい、「中立性・公平性」などはなく、また一般には受け入れられない先鋭化したことを報道の場で出すために「ヤラセ」なども出てきてしまうということになるのである。
  一方、作り物、といっては失礼かもしれないが、ドラマなども、同様に大きな転換点を迎える。つまり、コンテンツとして面白くなくなったテレビメディアから、完全に若者が離れて行ってしまうということになる。そのことによって「年代が上の方の人間」に受けるようなドラマしか受けなくなってしまい、若者に受ける女優などが「その居場所がなくなる」ということになるのである。
長澤まさみも上野樹里も…視聴者同様に続々とドラマ離れ
 視聴者だけでなく、俳優のドラマ離れがいよいよ深刻になってきているという。
 亀山千広社長の退任が決まったフジテレビでは、長年続いた月9ドラマの枠が消えるかもしれないなどとささやかれているように、ドラマが高視聴率をバンバン記録することはもはや昔話のような状況だ。「今では2桁の視聴率が取れれば上出来。15%超えようものなら万々歳といったところです」(テレビ局関係者)というように、視聴者が離れているのが現状だ。
 キャスティングありきの安易なストーリーなど、作り手側にも問題があるだろうが、この低視聴率が続いていることで、俳優陣のキャスティングそのものが難しくなっている。
 ある芸能プロ関係者は「1桁の視聴率が出れば、やれコケただの、あの女優は終わっただのと叩かれますからね。出る側もドラマには嫌気が差しているんです。特に民放ドラマには二の足を踏みますね。主演クラスやヒロインクラスを任せたいと思うような名のある俳優、女優はこぞって映画とか舞台を優先的に選ぶ傾向にある」と解説する。
 かつて高視聴率男と呼ばれていた木村拓哉、福山雅治などは今年のドラマは予定されていない。
 ある芸能関係者は「キムタクなんかは報じられているように、10月の月9ドラマに当初予定されていましたが、それが1月に伸び、さらに4月へと移り、今ではキムタクに低い視聴率を取らせるわけにはいかないという判断で、キャスティングそのものが消滅という話すらある。福山だって、今年は映画に出演予定はありますが、今のところドラマは入っていません。ここまでのクラスはあえてドラマに入って視聴率でどうこう言われたくないという思惑もありますよ」。
  女優陣も同じだ。昨年、大河ドラマに出演していた長澤まさみや昨年「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS系)でブームを作った新垣結衣なども、ドラマへのキャスティングは困難を極めるという。
 「7月にガッキーは『コード・ブルー‐ドクターヘリ緊急救命‐』に出演しますが、これも出演者全員が仲がいいというのが背景にあってOKしたもので、シリーズもの以外ではなかなか難しいといわれてます。長澤に至ってはもう民放ドラマには出たくないと事務所に訴えていると言われている状態。上野樹里なんかも、今のクールの日テレドラマを断ったって話が一時出回りましたが、数字、数字といわれる今のドラマ界に嫌気が差した一人とも言われてます」(ある民放関係者)
 名のある俳優陣が出演しなければ、新しい人を持ってこなければ成り立たなくなるのだが「視聴率が上がればいいのですが、上がらないとその俳優が、女優がという話になる。これが続くから、余計出なくなるという図式の繰り返しです」(前出の民放関係者)。
「視聴率が低い」=「面白くない」というわけではないのだが、視聴率がモノをいう近年の風潮から、ドラマのあり方が変わっていくのかもしれない。
2017年6月17日 16時30分 東スポWeb
http://news.livedoor.com/article/detail/13215924/
 では「作り物」の代表である「ドラマ」はどのようになっているのであろうか。まあ、よほどのことが会い限り、ドラマに関しては「つくりもの」でしかないので、基本的には、「公平性」などの政治的な思想やイデオロギーなどに関しては、少なくとも報道よりも緩くできているし、また、その内容に関しても、「作り物」であるから、基本的にはフィクションで構わない。そもそも「ドラマ」なのであるから「フィクション」であり、なおかつ「やらせ」であることは間違いがないので、その件に関して問題になることはないのである。
  では、何が面白くないのか。
  「今では2桁の視聴率が取れれば上出来。15%超えようものなら万々歳といったところです」(テレビ局関係者)というように、視聴者が離れているのが現状だ。<上記より抜粋>
  というように、基本的にはドラマそのものから視聴者が離れてしまっている。
  ある芸能プロ関係者は「1桁の視聴率が出れば、やれコケただの、あの女優は終わっただのと叩かれますからね。出る側もドラマには嫌気が差しているんです。特に民放ドラマには二の足を踏みますね。主演クラスやヒロインクラスを任せたいと思うような名のある俳優、女優はこぞって映画とか舞台を優先的に選ぶ傾向にある」と解説する。<上記より抜粋>
  まさに、業界の「制度疲労」というような感じであり、ここにも「テレビの斜陽産業化」が出てきている。ではあなぜ「視聴率が出ないのか」といえば、たんじゅんに「つまらないから」ということに他ならない。ではなぜつまらないのか。これは、佳子に何回か書いているが「アニメや漫画の実写化」が現在の潮流である。単純に「すでにストーリーを知っており、なおかつ視聴者がそのストーリーにおいて様々なイメージを持っているところに、そのイメージを上書きするかのように女優や俳優が演じる」ということを視聴者が拒否しているからに他ならない。基本的に「一次元」つまり「文章による小説」であれば、そこにある映像や実像は、必ずしも一致していないが、その一致できない漫画の主人公などを、女優が演じても、そのイメージとは異なる問うことになる。
  つまり、ドラマなどのつくりっものの場合は、その「原作となる物の情報は少ない方が作りやすいし、共感を得やすい」のであるが、一方で、「人気のあるものをドラマ化する」というときには「活字離れで文章の小説が少ない」という現実になる。
  本来このような場合には、マスコミの人々が自分で「本当の意味でよいものを探す」のであるが、しかし、テレビ局の人々はそのようなことは全くしないので、そのために。「良いもの」を探す映画や舞台に良い女優や俳優が流れてしまう。その宣伝のために、バラエティには出ても、それ以外は出ないというようになるのである。
  まあ、ある意味でドラマの世界にも「テレビメディアの斜陽化」が襲っており、それはテレビの制作者が「努力をしない」ことによるものではないのか。

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マスコミ批判に関する一考(350) 低俗な笑いに物申す桂歌丸の心意気と日本の文化を伝えることができなくなったメディアの堕落

マスコミ批判に関する一考(350) 低俗な笑いに物申す桂歌丸の心意気と日本の文化を伝えることができなくなったメディアの堕落
 マスコミ批判なのにバラエティの話、それも「笑い」についてであって、それが報道やニュースなどではないことを扱うのは、ほとんどこの連載ではないのではないか。ドラマなどに書煮て、特にドキュメント物やノンフィクション物の番組に関しては、その内容に関してさまざまなことをいことはあるが、完全に「笑い」について、書いたことはなかったのではないか。
  そういう思いもあり、まあ、お笑いについて考えてみよう。
  私は、落語が好きである。そもそも落語の笑いというのは「日本の話芸」が詰まっている。そもそも笑わせるということは、どれほど難しいことであろうか。笑いに関しては、ベルクソンという哲学者が、笑いの意味やどのように笑うかなどを研究した哲学書があるくらいで、他人を笑わせるということはかなり難しい。「意外性」「ミス」「類似性(物まね)」などから「優越感」「ごまかし(照れ笑い)」など、笑うときのシチュエーションは、さまざまに笑いの場面がありその笑いの意味がさまざまに違う。当然に、この「話芸」からの笑いは、「面白い」などの笑いであり、その笑いをどのように作るのかということではないだろうか。
  つまり、落語は「かなり上級の話芸的な技術を持った人物による一人がたりとしぐさをもって、その話のストーリーと掛け合いなどの店舗で、観客それぞれがその世界に引き込まれ、そのうえで、頭の中でその話芸をもとに映像を想像し、その世界で滑稽さや剽軽さを感じて笑う」という話芸ではないか。その笑いを蔵せさせるためには、あの手この手でその場面の像を結ばせるように話を行い、また観客を現実世界に戻さないように、話のテンポをよくして、ネタを行う。
  これに対して、今回の記事で行われている「裸芸」は、まさに「裸でいるだけ」という「奇異」に対する「気持ち悪さ」などの笑いである。そのように考えれば、落語の笑いと全く異なる。基本的に、今の日本のコントなどは、「意外性」などの笑いではなく、そのような「暴力」(突っ込みという名で終わっているが)や「奇異」(裸芸など)の笑いが中心になっている。そのような傾向はあまりよろしくないのではないか。
復帰の歌丸、日本のお笑い界に物申す 裸芸に「面白いと思われちゃ困る」
 2日から左肺炎慢性呼吸不全の急性増悪(ぞうあく)のため入院し、14日に退院していた落語家の桂歌丸(80)が17日、都内で行われた日本テレビ系『笑点』(毎週日曜 後5:30)の前番組『もう笑点』(毎週日曜 午後5:25~)の収録に参加。笑点メンバーと囲み取材に応じ、ピン芸人・アキラ100%などの「裸芸」に物申した。
 落語を誰に聞いてほしいかと問われると歌丸の目が変わった。「日本全体、あるいは海外からの人にも聞いてもらいたい」。そこには、体一つで高座に上がり続ける落語家としてのプライドがあった。「日本語っていうのは日本の文化。その文化を1番、使っているのが、我々、噺家だと思いますよ。それも笑いに持っていっている」と思いを語った。
 その上で「失礼ですけど、日本語を使わないで笑いを取っている芸能人の方が大勢いるじゃないですか。これも、言っちゃ失礼ですけど裸でお盆持って出てきて何が芸なんですか。私は違うと思うな」と、アキラ100%のお盆で隠すネタをバッサリ。
 続けて「ああいうのを見て、面白いな、うまいなと思われちゃ困るんです。やっぱり日本の言葉を使って笑いを取るのが芸人であり、我々、噺家だと思いますよね。だから大いに日本人に聞いていただいて、日本語というものを、もっともっと理解していただきたい」と静かに熱く語った。「ちょっと望みは大きいかもしれないですけど、そういう気でいます」と80歳にして抱いている壮大な夢を明かした。
 また、入院中に落語の魅力を改めて感じたという。「病院でじーっと落語を聞いているとね、ホントにいいもんだなと思いましたね」としみじみ。続けて「落語はしゃべるもんじゃなくて聞くもんだ」とぽつり。笑点メンバーを笑わせていた。
 歌丸は4月に細菌性肺炎などの症状で入院し、5月13日に退院。その後今月2日に再び体調を崩し横浜市内の病院に入院、復帰予定だった3日の高座『特撰 匠の噺会』(神奈川・相模原市文化会館)を休演した。14日に退院すると、その足で横浜市の神奈川県民ホールで行われた春風亭小朝(62)との二人会『特選 匠の噺会』に登場した。
6/17(土) 12:19配信 オリコン
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170617-00000306-oric-ent
 この記事の中で歌丸師匠は非常に良いことを言っているので、あえてもう一度ここに繰り返し抜粋する。
  「失礼ですけど、日本語を使わないで笑いを取っている芸能人の方が大勢いるじゃないですか。これも、言っちゃ失礼ですけど裸でお盆持って出てきて何が芸なんですか。私は違うと思うな」と、アキラ100%のお盆で隠すネタをバッサリ。
 続けて「ああいうのを見て、面白いな、うまいなと思われちゃ困るんです。やっぱり日本の言葉を使って笑いを取るのが芸人であり、我々、噺家だと思いますよね。だから大いに日本人に聞いていただいて、日本語というものを、もっともっと理解していただきたい」<上記より抜粋>
  もちろんパントマイムなどを極めている人(あえて言いませんが)などを非難しているのではない。日本のテレビで日本の笑いを造成している人々に対して、その中では「日本の文化を大事にする」ということが必要なのではないか。
  実際に、今の日本の番組は「日本の文化」を正確に伝えられ内容なところが少なくない。文学的なものや歴史的なものも含めて、「日本文化」が正確に、若者にテレビ画面を通じて送られなくなった。「時代劇」が無くなったのもその中の一つかもしれないし、また、アナウンサーの芸能人化、そして劣化は、目を覆うばかりである。
  「笑点」という番組は、そのような中で、珍しい、希少な、日本文化をしっかりと伝えている番組ではないのか。その番組の中で「裸芸」のようなものと比較すること自体がおかしいのであるが、しかし、その中において、「文化」の中には、「歴史のようなシリアスなもの」も「話芸」のような伝統文化的なものでも面白いものも二つとも存在する。貴族文化・武家文化・庶民文化があるように、当然の庶民の娯楽という者があったはずだ。歌舞伎や狂言ばかりが「伝統芸」のようにもてはやされているような機運があるが、しかし、その中において、庶民文化や笑いの文化があってもよいのではないか。その笑いの文化が今劣化してしまっているのではという危惧は、そのまま日本人の日本人としての民度が下がっているということになる。
  そしてそのようなものバカ意を珍重するテレビの「複雑なものを嫌う」というような感覚は、そのまま、「テレビを通じて見ている人を愚民化しているのではないか」というような「陰謀論」まで出てきてしまうような内容になっている。
  テレビなどのメディアが、メディアとして、「文化」を持っていなければならない。日本のテレビ局であれば日本の文化をしっかりと伝えてゆくことが最も重要な仕事であり、そのことができないのは、「バラエティであっても」非難されるレベルに落ちてしまったということではないだろうか。

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マスコミ批判に関する一考(349) あまりにも適切な誤字をめぐる様々な反応

マスコミ批判に関する一考(349) あまりにも適切な誤字をめぐる様々な反応
 マスコミ批判といっても、常に何かを批判しなければならないというものではないはずだ。そのように考えて、今日は「面白い」という現象を考えてみたいと思う。
  さて、人間誰にでも「誤り」はある。もちろん、その「誤り」などはない方がよいに決まっている。しかし、人間が人間である以上、過失ということは絶対にあるということを前提に物事を考えていなければならない。これは、これ等文章の「タイピング」に関しても同じで、「誤字」は必ず存在するということがあっておかしくはない。私の場合、その「誤字」は非常に多いので、今回の記事に関しても、マスコミ、今回はNHKなのであるが、そのNHKの誤字に関して、避難できたり批判できたりするような立場ではないことは重々承知している。まあ、たぶん誤字は私の方が多いに決まっているのであるから、そんなことを心配する必要もない。このブログに関して言えば、何しろ「誤字」があることが私のオリジナリティの象徴のようになっているのであるから、始末に負えない。たまに誤字が少なかったりすると「誰が書いてくれたのですか」などということを聞かれるのであるから、まあ、そこまで「誤字が市民権をとってくれる」状態になると、ありがたいものである。
  問題は、その「誤字」が、あまりにも「適切な誤字」である場合や、誤字の内容が「シャレになっている」場合は、「本当に誤字」なのか、あるいは「何かを象徴して当て字にしたのか」ということが話題になってしまうこともある。私などは小説を書いている状況になってくると、いつも思うのであるが、この「当て字」というのもなかなか良いもので、そのように考えると、「誤字」なのか「当て字」なのかわからないことが少なくないのである。基本的にはそのようなときは鍵かっこで括ったりするのであるが、そのようなことをしても、わかってくれない編集者もいたりして、なかなか困ったものなのである。
  さて、今回は「テロ等準備罪」をNHKが「テロ党準備罪」に「誤字」を行ったということに関してである。
NHKが「テロ『党』準備罪」 誤字幕めぐり「意図」の深読み合戦
 テロ等準備罪の新設をめぐり国会が紛糾した2017年6月14日、NHKのニュース番組である「ハプニング」があった。
 発端となったのは、夜21時台の「ニュースウォッチ9」だ。
   一文字違うだけで意味が大違い
 自民党が行った「中間報告」作戦について紹介する場面で、画面下のテロップで、「テロ等準備罪」とあるべき箇所が、
「テロ党準備罪」
と誤植されていたのだ。「テロ党」という語感の面白さもあり、画面写真はたちまちネットで拡散された。
 ユニークなのは、これに対する反応だ。まず与党支持層は、
「ブラックユーモアです、間違ってない!テロ党は共産党のことです」
「テロ党準備罪とは日本共産党の他、民進党 社民党をさしているのでしょうね(苦笑)」
「テロ党って共産党とか民進党とか野党のこと?w」
と、「テロ党」=法改正に反対する野党を示す言葉として受け取り、盛り上がる。
   番組内で「字幕に誤りがありました」
ところが逆に、野党支持者は、
「NHKも自民公明維新が民主主義に対するテロ党だと理解してたんだな」
「テロ党準備罪 自民党のことかw」
「テロ党とは、自民、公明、ついでに維新ですね。共謀罪を強行して、人権に対するテロを計画してますからね。NHK、たまにはいいこと言うな」
と、法改正を推進する与党こそが「テロ党」だとして、こちらもこちらで盛り上がった。中には、「NHKの小さな抵抗を見たり!!!」と、政権への密かな「抗議」であると受け取り、NHKを持ち上げる人も。
 なお番組では誤植の直後に、桑子真帆アナウンサーが、「テロ等準備罪をめぐるニュースの中で、字幕に誤りがありました」と謝罪している。
 そんなから騒ぎなどはそしらぬように、翌15日朝、組織犯罪処罰法改正案は参院本会議で可決され、成立した。
2017年06月15日 19時18分 J-CASTニュース
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12144-300750/
 報道番組それもNHKの報道番組が文字やテロップに使う内容を正確に書くというのは、ある意味においてあたりまえのことであるといってよい。そのように考えた場合、もちろん「テロ等準備罪」という内容は正確に書かなければならないであろう。もちろん、何らかの配慮において、まあ、いうなれば、小説やドラマなどにおいて、またはバラエティ番組などにおいて「パロディ」などをする場合はわざとそれを間違えて笑いをとる場合もある。逆に、そのようにわざと間違えて、その内容の本質を示す場合もあるのだ。そのように考えた場合、今回の「テロ『党』準備罪」は、どうなのかということになる。
  このように言われてしまう、というか、このように深読みをされてしまうというのは、実は、すでに亡くなった方であるが、マスコミの重鎮という方がいて、その方に「マスコミというのは三行で世の中を変える」ということをよく聞いたものである。マスコミというんは、かなりの飛ばし記事などを書いてしまっていても、その「飛ばし」に対して「三行だけ、新聞や雑誌の紙面の目立たないところに謝罪広告を出せば何を書いてもよい」ということになっているという意味である。それだけ「言論の無責任」が存在するということが言われていたのである。そのうえ「謝罪広告を三行出せば、かえってその前の飛ばし記事が目立つし、またその内容が注目されることによって効果が増幅する」ということを言っていたのである。
  つまり、NHKの中にも、そのような考え方の人間がいて、最終的にその内容を「謝罪さえすれば、何を報道してもかまわない」ということになり、特に「誤字」くらいのパロディであれば何でもやって構わないということになるのである。
  つまり「テロ党」が、実はNHKの本音であり、その本音をわざわざ報道し、そのうえで、その本音を謝罪放送をすることによって、より一層強調することができるのである。そのような「マスコミの手法」を知っていれば、今回の「テロ党」も、実はその手法にのっとった内容ではないかというような勘繰りをしてしまう。
  逆に「勘繰り」をされてしまうほどNHKというのは、「正確ではない偏向報道をしている放送局」ということで、かなり不名誉な内容なのであるが、そのことが全く分かっていないのかもしれない。ある意味「公共放送」が、そのような勘繰りをされるようなことであるということ自体が、本来は恥ずかしいのであるが、まあ、その辺は、私自身も誤字が多いことから辞めておくことにしよう。
  たぶん、「党」という言葉を何回も使っていて、その上の変換ミスであることは十分にわかる。そのうえで、今回のようになってしまうということがNHKそのものの性質であろう。しかし、ある意味で「テロ党」が何を指すのか、ということは何となく気になるところでもある。

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マスコミ批判に関する一考(348) 誤報・謝罪が相次ぐフジテレビのバラエティであるからといって間違いを発表報道てよいのかという取材力の欠如

マスコミ批判に関する一考(348) 誤報・謝罪が相次ぐフジテレビのバラエティであるからといって間違いを発表報道てよいのかという取材力の欠如
 バラエティ番組なのか報道番組なのかわからあくなっている者が少なくない。マスコミに詳しい人に聞いたところ「情報番組」というカテゴリーになるということである。基本的に、政治や経済など生活やイデオロギーなどに直結するものばかりではなく、そのほかの内容において、例えば店舗儒法やお買い得情報などを流す番組のことを言う。そのほかにも芸能情報やゴシップなども流すので、その辺のところがどのような解釈になるのかということもいろいろあるが、ニュースから、生活情報まで、さまざまなことを「ごった煮」のごとく、なんでも取り扱うという番組である。
  もちろん、情報番組であろうと、報道に関することに関しては「中立性・公平性」ということが重要になることは間違がない。もちろん、はっきり言えば、報道番組でなくても公平性中立性は当然のことであり、そのことは公共の電波を使っている以上、当然のことであるのと同時に、政治などに関して言えば、そのことによって民主主義の原則が崩され、政権や特定の政党に悪い印象がつくことなどを行ってはいけないということになるのである。
  しかし、一方で「店の宣伝」や「商品の宣伝」ということ、または地域の旅行情報などに関しては、必ずしも公平性が要件ということにはならないという状況になる。もちろん、競合関係にある場合、片方ばかりが宣伝されるということに関して、公平性の原則から考えておかしいのではないかというような感覚はあるが、しかし、一方で、民放各局がスポンサーによるコマーシャルで成立していることを考えれば、そのようなことは言っていられらにという経済状況が存在する。要するに「人気の番組」を作らなければならないし、同時に「スポンサー関連に関して都合のよい報道を行わなければスポンサー契約を切られてしまう」ということも考えられる。そのようなことを考えれば「テレビ局こそ忖度のたまり場」であり、何も政治や官僚ばかりではない。またある程度視聴者の側もそのことを認識いてみているのであって、その内容に関して「あるべき理想論」と「経済的現実論」との間で議論が分かれる部分である。
  しかし、その内容に関して考えてみれば、当然に「公平性」などは問題視されなく手も「情報番組である以上正確性は重要視される」ということは変わりがないのではないか。
松本人志「次に起きたら降りる」…「ワイドナショー」宮崎駿監督の引退発言“誤報”問題
 「ダウンタウン」の松本人志(53)が4日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」(日曜・前10時)で、28日に放送された同番組でスタジオジブリ・宮崎駿監督(76)が過去に発言したとされる「引退宣言」をまとめたフリップを誤用した問題で、次に同じ問題が起きた場合、番組を降板することを宣言した。
 番組冒頭で秋元優里アナウンサー(33)が今回の問題を謝罪。これを受けて松本は「スタッフの責任に丸投げするのは嫌なんですよ。信じてしゃべるしかないんですよ。知らんわっていうのは嫌いなので、今度、こういうことがあった時はワイドナショーを降りようと思っています。マジです」と断言した。MCの東野幸治(49)は「申し訳ありません」と謝罪していた。
 28日放送の番組では宮崎監督が新作を公開するたびに「引退のチャンス」などと発言していたと紹介。この内容は、かつてツイッターで「ネタツイート」として拡散されていたもので、放送直後からインターネット上で誤用が指摘されていた。
 同局は番組ホームページで「真偽を確認しないまま放送に至り、宮崎駿氏並びに関係者の皆様、視聴者の皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」と謝罪していた。
6/4(日) 10:11配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170604-00000081-sph-ent
フジテレビがまた謝罪、「ガリガリ君」の実在していない味を紹介「ノンストップ!」
 6日放送のフジテレビ系「ノンストップ!」(月~金曜・前9時50分)で赤城乳業(埼玉県深谷市)が発売する人気の氷菓「ガリガリ君」で実在していない味を番組内で紹介していたことが分かった。フジテレビは7日放送の同番組内で謝罪した。
 実在しない「ガリガリ君」を放送したのは、6日の同番組での「コレ知らないNO!」のコーナーで「ガリガリ君」の食感の秘密を追跡した場面だった。番組では今年で発売36年目を迎えた人気アイスで季節限定味が発売され品切れが続出していることを紹介。限定味を紹介する際の商品パッケージの画像で「スイカ」「九州みかん」に続き「火星ヤシ」が放送された。
 「火星ヤシ」は実在していない商品で、これを受けて7日の同番組内のニュースコーナーの最後に同局の渡辺和洋アナウンサー(41)が「ここでお詫びと訂正があります」と切り出し、「昨日の企画コーナー『コレ知らないNO!』のガリガリ君を特集したVTRの中で『ガリガリ君 火星ヤシ味』というアイスの画像を紹介しましたが、これは実在しないアイスの画像でした。こちらの確認不足でした。お詫びして訂正致します」と謝罪した。
 発売する赤城乳業はこの日、スポーツ報知の取材に6日の放送後にフジテレビから謝罪の連絡があったことを明らかにし「申し訳ございませんでした。すぐに謝罪して訂正します、とお話がありました」と同社。間違った放送をした経緯についての説明はなかったという。
 同社によると「ガリガリ君」はファンが架空の味を描いたパッケージをインターネット上にアップすることは、これまでもたびたび見られるという。今回の放送も、こうしたネットの画像を本物だと勘違いした可能性があるという。その上で同社は「こちらから、経緯をお聞きすることもいたしませんし、抗議することもありません」と話した。
 フジテレビでは5月28日に放送した「ワイドナショー」(日曜・前10時)でアニメ監督・宮崎駿氏(76)の引退をめぐる話題を取り上げた際、宮崎氏の過去の引退に関わる発言を、真偽を確認しないまま誤った内容を放送したとして謝罪している。
6/7(水) 11:47配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170607-00000102-sph-ent
 さて、今回挙げた記事は、「フジテレビ」における「情報番組」における「誤報」の記事二つである。
  あえて言わせていただけると、これは、ディレクターの完全なる「手抜き」でしかない。ある意味で「情報番組であって情動番組ではないから、手抜きの取材で構わない」というような甘えというか、基本駅には「いい加減な取材」の代償ということができる。
  基本的に、このような取材は、この記事の抜粋からその原因が明らかになる。
  同社によると「ガリガリ君」はファンが架空の味を描いたパッケージをインターネット上にアップすることは、これまでもたびたび見られるという。今回の放送も、こうしたネットの画像を本物だと勘違いした可能性があるという。<上記より抜粋>
  要するに、「適当にネットで情報を上げて。それを、確認もしないで掲載報道する」ということであり、「確認作業」などが全く行われていないということになるのではないか。その「確認もしないで掲載する」ということ「ネットで手軽に情報を収集する」という二つの行動が「マスコミ」つまり「公共の電波という国民の重要資産を使用いている」というような「重大な感覚ン欠如」が存在するのではないか。
  まさに、「ネット時代」であるから、起きることであるとは思うものの、同時に、「そのような簡単な確認もできない」という、現在の情報番組のスタッフの確認作業ができないくらいの「企業との関係性」があるということになるのではないか。
  さて、これが「これだけ」なのか、あるいは「氷山の一角」なのかということが最も大きな問題ではないか。実際に、宮崎駿の引退のところだけならば、まだわかるが、その後、ガリガリ君が出てきて「氷山の一角」ではないかというような、つまり、フジテレビの情報番組はすべて「正確性が薄い」「ネットが情報源であり、その確認作業もしていないような内容を報道している」ということになるのではないかという「疑い」が、視聴者の間に出てきてしまうのではないか。そのような「疑い」つまり「信用棄損」が出てきてしまえば、そのことによって、「マスコミ情報そのものの信用がなくなる」ということになるのではないかと考えらるのである。
  そして「いまだに自覚なく、そのような状況を繰り返している」ということが最大の問題なのではないかという気がしないでもならないのである。
  なお、今回は「フジテレビ」であるが、当然に視聴者は「他のテレビ局も」というような感覚になる。業界全体が情報があてにならないのではないかということが出てきてしまうし、また、ネットが情報源ならば、テレビなどに加工されたものではなく、ネットから直接見ればよいということになってしまう。つまり「テレビそのもの、マスコミそのものの存在意義をテレビ制作者が自ら壊してしまっている」ということに他ならないということになる。
  まあ、それだけマスコミは末期症状ということになるのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(343) 差別ラーメン店を情報番組で扱っていることに感売る「公平性の原則」の違反と検証の不足

マスコミ批判に関する一考(343) 差別ラーメン店を情報番組で扱っていることに感売る「公平性の原則」の違反と検証の不足
 連休中にネットで話題になったのが、京都のラーメン店の話である。まあ、韓国人と祝えている人物が、京都市内のラーメン店に入ろうとして「居酒屋ですか」と尋ねると、店内から「コリアンゴーアウト」などの発言が出るというものである。
  さて、このような内容に関して日本の情報番組等いうところは、こぞって大騒ぎをする。まあ、はっきり言って、このようなことは、害子k儒、特に中国や韓国に行けば、日本人が会う仕打ちの中では初歩的なものであり、まあ基本的なものであろう。
  さて、あえて言うが、なぜ日本のマスコミは、海外、特に中国や韓国において、日本人が差別的な扱いを受けていることを全く報道しないのであろうか。
  公平性の原則から考えれば、基本的に「日本の韓国人や中国人に対する差別」を報道するのであれば、当然に、韓国や中国における日本人に対するバッシングはしっかりと報道うべきである。なぜか日本のマスコミの多くは、海外における日本人へのバッシングや評判などは全く報道せず、日本人が日本国内で沖田海外へのバッシングばかりを報道する。これが「公平」な法幢姿勢といえるであろうか。
  このようにマスコミの人々に質問すると、ほとんどのマスコミは「自分たちはバッシングにあったことがない」という。これははっきり言って「取材不足」であり、また「取材力の低下」でしかない。そもそも、ネットの中には、そのような「対日本ヘイトスピーチ」や「抗日運動」の数々は山ほど記録されているし、また街を歩けば「日本人お断り」「日本人は店に入るな」というような書き込みや看板は山ほど存在するのである。それらを「全く見たこともがない」などという日本のマスコミは、あまりにも取材力が低下しているか、あるいは、「見て見ぬふりをする卑怯者」ということになる。
  当然に、このような報道姿勢に、日本人の多くは非常に危機感を覚え、なおかつ日本の多くはマスコミを信用しなくなってしまっているのである。
  まさに、このマスコミを信用しないということは、何も「極端な愛国をしろ」というのではなく、「公平平等に報道する」という中立性を大きく逸脱したことが最大の問題ではないのか。
  まさに、今回の内容を見て、「これくらいのバッシングで何を言っているのか」という感じがするのは、韓国や中国で仕事をしてバッシングを受けたことのある人ならば共通の認識であるに違いない。
ネット上で問題となっている京都市内のラーメン店を情報番組が相次いで報道
 4日放送の日本テレビ系「スッキリ!!」(月~金曜・前8時)とテレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜・前8時)で京都市内のラーメン店で韓国人俳優へ差別的な発言を行った動画が日韓両国で問題となっているニュースを報じた。
 番組によると、問題となっている動画は韓国の俳優ユ・ミンソン氏(37)が4月末に投稿したもので、ミンソンが京都市内のラーメン店を入ろうとした時に「居酒屋ですか?」と訪ねると店内から差別的な発言が返ってきて「ゴーアウト」と言われた。これにミンソンが苦笑いを浮かべると「ハハちゃうねん、アホ!」と店内から聞こえてきた。
 「スッキリ!!」ではミンソン氏は4月27日から5月1日まで日本を観光。動画はネット上で生放送されたと紹介。これまでもミンソンは日本を観光しその行く先々の観光地での様子を生配信してきたという。この差別的な発言について韓国の主要紙も報じ問題となっているという。
 同番組は京都市内のラーメン店を取材。それによると、動画が投稿されてから同店は休業中で店主は気落ちしているという。また、差別的発言を行ったのは当時店内にいた客だったという。SNS上では店への批判が集まり同店は公式ツイッターで謝罪。ただ、この謝罪がお客に責任を転嫁しているとの批判が再び集中し再度、謝罪する文書をツイッターに掲載した。こうした事態にMCの加藤浩次(48)は「差別的なことを吐いた人間は許せないんだけれど、かたやネットの方で同じようなことを言ってしまうと同じ立場になってしまう気がするんですよ」とネット上で店を批判している人々へ警鐘を鳴らしていた。
 一方「モーニングショー」は、韓国ソウルでミンソン氏を取材。番組ではネット上で動画がねつ造ではとの疑惑の声もあると紹介しミンソン氏に尋ねると「私は日本で演歌歌手としてデビューする夢を見ているのでねつ造動画を作って得るものは少しもありません」と否定した。今回の問題を受けミンソン氏は、日本の観光地を訪問し生放送している番組を「日韓関係が良くなって欲しいと願って進めている番組なのです」とした上で今回の問題について「この映像一つで万が一、お互いの感情が悪化し日本のことをよく知らない韓国人が誤解するのではないか心配です」と案じていた。
 同番組はラーメン店のオーナーも取材しお客が差別的な発言を行ったことに「店として止められなかったことに責任を感じています。会えるなら会って直接、謝罪したい」とのコメントを紹介。発言をしたとされる客にも取材し当時のことを「自撮り棒で勝手に入ってきてカメラを向けられたことに腹を立てて、イントネーションを聞いて韓国人だと思った」とし「お酒が入っていてイラッとした。嫌な思いをさせたことは謝ります。心の底から韓国人が入ってくるなという気持ちはまったくありません」などの謝罪コメントを報じていた。
 一連の問題に羽鳥慎一キャスター(46)は「お店は被害者だと思います」との見解を示していた。
 
スポーツ報知  20170504
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170504-OHT1T50068.html
 さて、この事件におけるもう一つの検証不足というのは、この動画の違和感である。
  動画は韓国の俳優ユ・ミンソン氏(37)が4月末に投稿したもので、ミンソンが京都市内のラーメン店を入ろうとした時に「居酒屋ですか?」と訪ねると店内から差別的な発言が返ってきて「ゴーアウト」と言われた。これにミンソンが苦笑いを浮かべると「ハハちゃうねん、アホ!」と店内から聞こえてきた。<上記より抜粋>
 同番組はラーメン店のオーナーも取材しお客が差別的な発言を行ったことに「店として止められなかったことに責任を感じています。会えるなら会って直接、謝罪したい」とのコメントを紹介。発言をしたとされる客にも取材し当時のことを「自撮り棒で勝手に入ってきてカメラを向けられたことに腹を立てて、イントネーションを聞いて韓国人だと思った」とし「お酒が入っていてイラッとした。嫌な思いをさせたことは謝ります。心の底から韓国人が入ってくるなという気持ちはまったくありません」などの謝罪コメントを報じていた。<上記より抜粋>
 さて、この二つの「抜粋」を見て違和感を感じないであろうか。
  そもそも、この動画を見たが、実際に、「居酒屋ですか」と聞く韓国人を見て「すぐに韓国人」と判断できたであろうか。これが白人や黒人で「外国人出ていけ」というならば、何となく見た目で判断できるのであるが、残念ながら、韓国人と日本人は外見上は瞬間には見分けがつかない。当然に、その内容を瞬間にそのように、韓国人だと判断できる」ということは、基本的に、彼が韓国人であるということを知っているか、あるいは、誰彼構わず韓国人といっているかのどちらかであろう。そのように考えたばあい、「なぜ居酒屋ですかという言葉だけで韓国人と判断できたのか」ということが大きな焦点になる。
  「イントネーションを聞いて韓国人だと思った」というが、さて、これは本当だろうか。はっきり言って「後付け」の理由にしかならないような気がしてならない。つまり、このどうがじたいが「やらせ」であり、この韓国人の俳優の「売名行為」である可能性が少なくないということになる。日本のマスコミは、っまあ、マスコミに同情的に考えれば「だまされた」可能性があり、また、悪意を込めて日本のマスコミを見れば、「一緒になって日本国民をだました」可能性があるのだ。
  まあ、ある意味で「公平性」や「中立性」をおおっく逸脱した報道をしている日本のマスコミは、「日本人をだました」というような判断をされても仕方がないということになるが、まあ、そのような疑いをもたれること自体が、日本のマスコミは恥であると考えてもらいたいものである。
  さて、この報道「違和感」があるというだけにとどまるのか、それともその後どのように発展するのか。ネットの中では日本のマスコミのやらせが大きく言われている。このことをマスコミは真摯に受け止めることができるのであろうか
 

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マスコミ批判に関する一考(339) 「森友学園一色」となったマスコミが、国民から見放される理由

マスコミ批判に関する一考(339) 「森友学園一色」となったマスコミが、国民から見放される理由
 「森友学園」の報道ばかりで面白くない。
  私自身、実は森友学園の記事は基本的にブログでは書いていない。この森友学園に関しては、さまざまな裏があり、国会答弁などで首相などが反せないことも少なくないのが現状なのである。それを民進党がしつこく行っているということでしかない。
  はっきり言うが「森友学園よりも重要なことがある」とも思うし、また、安倍首相の政治において森友額絵ではないことで追及しなければならないこともすくから図存在するというのが本物の話であろう。しかし、民進党とマスコミのあまりにも「異常なバカ騒ぎ」は、さすがに見るに堪えない。
  私の周辺の話でしかないので、基本的に、正式なアンケートではないが、今回の森友学園の報道で、マスコミ離れがより一層進んだのではないか。正直なところ「飽きた」という声が大きく「何か他にやることはないのか」というような人がほとんどである。
  さて、なぜこのようになっているのか。
  単純に、安倍昭恵夫人の行った行為に違法性は全くない。しかし、国会答弁の中で安倍首相が「関係性があったら退陣」というようなことを発言したために、そのことによって野党が「政策でも何でもなく退陣させようとして必死になっている」という状態である。そもそも、「政治家を政策以外で退陣させる」という行為そのものがナンセンスであるにもかかわらず、そのことで、国会を空転させるだけでなく、重要な法案のア真意も行わない野党に対して、国民の判断は非常に厳しく、安倍内閣の支持率はほとんど変わらないのに対して、野党の支持率は急激に下がっているということになる。
  今日は野党を批判する場ではないので、この辺にするが、実際にその野党と同じうタンスで、単純に「違法でもない状況の内容を、論点をずらしてまで報道を行っているマスコミの多くの論調」に国民・視聴者は飽き飽きしているのである。
  このことが全く分かっていないのが現在のマスコミである。単純に「安倍首相の首を取れたら功績」かのような状況である。そもそも、その価値観がおかしい。本来マスコミも政治家も行わなければならないことは、「安倍首相がどうこういうこと」や「スキャンダルを追うこと」ではなく、「日本をよくすること」であり、そのために「重要な法案の審議を進め、なおかつ、政治や外交を前に進めなければならない」にもかかわらず、まったくそのことに関心がないかのような法幢しかないのである。
  はっきり言ってばかばかしい。読売新聞が、やっとそのことに気づいたようである。
17年度予算成立 「森友」一色の議論で良いのか
 過去最高の一般会計総額97・5兆円の2017年度予算が成立した。
 デフレ脱却が足踏みする中、予算には、5兆円余の防衛費、保育士や介護職員の待遇改善、民間企業の活力向上の政策などが含まれる。「成長と分配の好循環」の実現へ、着実に執行したい。
 前半国会では当初、トランプ米新政権との外交や働き方改革が論点になった。その後、文部科学省の天下り、陸上自衛隊の日報、テロ等準備罪などに焦点が移り、野党は松野文科相、稲田防衛相、金田法相らを追及した。
 2月中旬以降は、学校法人「森友学園」への国有地払い下げ問題に質疑が集中した。売却価格が評価額から約8億円減額されたことを巡り、政治家の関与と行政側の 忖度(そんたく) の有無が焦点となった。
 学園の籠池泰典氏が国会で、安倍昭恵首相夫人から100万円の寄付を受け、国有地に関して夫人付の政府職員が財務省に照会したと証言し、騒ぎが拡大した。
 政府や昭恵氏側は引き続き説明すべきだが、与野党も、この問題の本質がどこにあるのか、熟考して質疑に臨むべきではないか。
 見過ごせないのは、国会審議がこの問題でほぼ一色になったことだ。経済再生と財政再建の両立、新たな段階に入った北朝鮮の核・ミサイルの脅威などの議論が 疎(おろそ) かになったのは残念である。
 自民党の「1強」が続く中、野党は、安倍政権に打撃を与える格好の材料と考えたのだろう。だが、他の様々な重要課題の論戦にも積極的に取り組む必要がある。
 後半国会では、多くの重要法案の審議が控えている。
 テロ等準備罪を創設する組織犯罪処罰法改正案は、2020年東京五輪に向けた国際的な捜査共助の強化に欠かせない。7月の東京都議選を前に、公明党には改正案の審議への慎重論もあるが、今国会で成立させねばなるまい。
 野党は、「1億総監視社会になりかねない」「一般市民も処罰される」といった極論で国民の不安を 煽(あお) るのでなく、もっと冷静な議論を仕掛けることが大切だ。
 天皇陛下の退位に関して、与野党が歩み寄り、退位を認める特例法の制定に合意したことは評価できよう。政府は5月に法案を国会に提出する予定だ。より多くの政党の賛成で成立させたい。
 衆院憲法審査会は16日、4か月ぶりに討議を再開した。優先すべきは改正項目の絞り込みだ。各党は、それを念頭に、建設的な議論を行うことが求められる。
 
読売新聞20170327
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20170327-OYT1T50177.html
 まあ、はっきり言って、遅すぎるが、まだ気づかない朝日新聞や毎日新聞、東京新聞などよりは「マシ」ではないかと考える。
  見過ごせないのは、国会審議がこの問題でほぼ一色になったことだ。経済再生と財政再建の両立、新たな段階に入った北朝鮮の核・ミサイルの脅威などの議論が 疎(おろそ) かになったのは残念である。<上記より抜粋>
  さて、この間に北朝鮮のミサイルは、新たなエンジンの開発に着手し、その実験段階になっている。要するに、いつ北朝鮮がミサイルを発射してもおかしくないという状態になっているのである。日本は隣に、「何を考えているかわからない」なおかつ「その情報が全く公開されない」という「地域」が存在し、なおかつ、その地域のいて「大量破壊兵器」が存在するのである。そのうえ、マスコミの報道が「正」であるならば「VXガス」などの化学兵器も存在しており、そのために、日本はいつ「テロ」や「ミサイル」の恐怖に脅かされることになるかわからない状態になっている。
  バカな左翼は、「襲ってくるはずがない」などといっているが、実際に「襲ってくるはずがないという情報すら存在し無い」のであり、その情報がないということ、公開がされていないということが最大の問題なのである。逆ン「はずがない」というほど自信があるならば、「それだけの情報の公開」があったのか、あるいは「機密の情報を知りうる立場にある」ということになり「北朝鮮と何らかの形でつながっている」ということになる。要するに、「国交のない地域とつながっている」ということであり、まさに「何を考えているかわからない」状態なのである。
  そのような状況に関して、何をしなければならないのか、ということが最も重要であり、マスコミは、本来「最も重要なことを行うべきであり、森友の事件などは早く切り上げろ」というべき立場ではないか。同じ政府や国会を批判するのであれば、そのような批判をすべきであり、まともな有権者や視聴者の心を全く分かっていないということになるのである。
  衆院憲法審査会は16日、4か月ぶりに討議を再開した。優先すべきは改正項目の絞り込みだ。各党は、それを念頭に、建設的な議論を行うことが求められる。<上記より抜粋>
  まさにこのような批判が、森友事件の初期に行われるべきではなかったか。マスコミの皆さんは「今何が大事なのか」ということもわからなくなってしまったということに他ならないのである。

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