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マスコミ批判に関する一考(354) ワイドショーが精神的に有害であるという科学者の研究結果に見る「テレビを見ているとおかしくなる」という説の検証

マスコミ批判に関する一考(354) ワイドショーが精神的に有害であるという科学者の研究結果に見る「テレビを見ているとおかしくなる」という説の検証
 テレビを見て不快な気持ちになるということがよく言われる。もちろん、映像そのものが、不快にさせるという者もあると思うが、問題はその内容である。そもそも他人のスキャンダル、それも痰飲の不幸を流して喜んでおり、小野復興を、コメンテーターなどが、ほぼ同一の意見で集団で袋叩きにするというう構図が、ワイドショーのお決まりのものであり、そのような不快な番組を行っている状況が「異常」であるということになる。
  そもそも、学校などにおいて「いじめ」を問題にしているのに、その「いじめ」を公共の電波を使ってテレビに出ている大人たちが集団でそれを行っているという状態なのである。これで「社会が良くなる」ということもなければ、「見ている側が楽しむ」ということもあまりないのである。
  よく言われていることに、「NHKのニュースは日本を破壊する」といわれている。朝7時のニュースにおいて、これから出勤するサラリーマンが見るときに、日本が暗くなるようなニュースばかりを流し、社会的な問題を意図的に起こして問題を拡大し、社会全体を暗くしているという説である。もちろん、そのようなニュースしかないということもあるかもしれないが、しかし、「本来は日本を元気にするようなニュースを流してもよいのではないか」という意見は多数存在する。そのような意見が全く通らないところが、「意図的な編集」というような状況になるのではないか。
  同様に、「ワイドショーが同じことばかりをやっている」ということは、そのまま、同じ内容の放送を続けるということになる。「嘘も百回言えば真実になる」は、ナチスドイツのゲッペルス宣伝大臣の「名言」であるが、今の日本のテレビ局の体制は、まさにそのことを実践しているとしか言いようがないのではないか。
  もちろん、政治的な内容も、芸能のネタであっても同じ。何も、悪いことばかりでは名く、何かが流行しているなどお同じで、基本的には「統一的な意思誘導」を行い、その意思誘導のまま視聴者を動かしている。それが精神、社会心理学上問題があるということになるのである。
科学者が警告。あなたの精神を蝕むTVの「ワイドショー」の有害性
 加計学園や森友学園に関する内容が報じられないようになったと思ったら、今度は女性タレントが夫や週刊誌を糾弾する様が放送されはじめたワイドショー。無料メルマガ『アリエナイ科学メルマ』の著者で科学者のくられさんは、このワイドショーで伝えられる内容は、政治的醜聞であれ芸能人のスキャンダルであれ価値のないものであるばかりか、見る側の精神衛生に悪影響をも及ぼすと厳しく批判しています。
   ワイドショーを見るとストレスが増える
 昨今のNHKを含む無料地上波放送の質の低下はよくよく言われているが、自分のような純粋にそういう下世話なメディアを嫌っているのではなく、社会心理学の専門家なども意外とワイドショーの有害性について危惧しているという話が結構あるようです。
 というのもワイドショーというのは、視聴者を不快な気持ちに誘導するような映像がひたすら続き、それに対して、アホみたいなコメンテーターがしたり顔で上から目線でコメントをするという繰り返し。この感覚で行くと、twitterの炎上案件などに、自ら参戦していって、安全圏から何の関係も無い人に石を投げるようなクソになってしまいます。
 基本的にワイドショーで拾える情報は、芸能人という赤の他人のどうでもいいニュース、政治のスキャンダル(本当に大事な話はまずされることはない)、ネットニュースで見れば数分で終わる情報収集を、何時間もかけてダラダラと、本当に価値のないものを垂れ流しているわけです。完全に時間の無駄です。ただの無駄ならともかく、それが精神衛生を悪化させるものなのでたまったモノではありません。
 こうした感情の誘導を日々受け続けていると、人間というのは刷り込みを受けやすい生き物なので、そうした上から目線の価値観が自分のモノのような気がしてきます。そんな状態で社会でトラブルを起こさない方がおかしいわけで、実際に人語が通じないのが世の中に溢れかえっているのは無関係とは言えないと思います。
 刷り込みというのは例えば恋愛においても、まめに連絡を取るとか、一緒に居る時間が長いほど好意を持ちやすいといった人間心理の基本みたいなもので、ワイドショーを毎日見るとか相当警戒していないと、いつの間にやら、彼らの価値観、感性を上書きされてしまいます。
 自分も平均的な人間の一人なので、それがイヤで地上波テレビは見ないようにしています。テレビの線自体、壁のテレビラインと繋がっていません。
 でもスカパーやネットフリックス、アマゾンプライムなど、少しのお金を払えば見られる優良コンテンツは山のようにあるわけで、日々の情勢なんかネットで数分で見れるわけですから、残った時間を、良質なドラマやドキュメンタリー番組、映画、アニメなどをみて、楽しく過ごす方がゼッタイに有意義だと思うわけです。
2017年7月18日 19時5分 まぐまぐニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/13353747/
 さて、社会心理学上「ワイドショーを見るとストレスが増える」問うことである。
  ワイドショーというのは、視聴者を不快な気持ちに誘導するような映像がひたすら続き、それに対して、アホみたいなコメンテーターがしたり顔で上から目線でコメントをするという繰り返し。<上記より抜粋>
  まあ、この記事に関して言えば、あまりにもワイドショーを敵対視しすぎているきらいもあるし、また、その内容に関しても、非常に低俗に抱えている。しかし、この抜粋部分に関して、このように言われても、「対して有効な反論がない」ということになってしまい、表現方法の適不適はあるし単語の選び方はあまりよいものとは思えないかもしれないが、しかし、実態として、このような内容であるといわれて氏合えば、まさにそのようなものである。毎回この連載で書いている良な内容でしかなく、そのことを最も分かりやすい表現で書いているのにすぎないのではないか。
  こうした感情の誘導を日々受け続けていると、人間というのは刷り込みを受けやすい生き物なので、そうした上から目線の価値観が自分のモノのような気がしてきます。そんな状態で社会でトラブルを起こさない方がおかしいわけで、実際に人語が通じないのが世の中に溢れかえっているのは無関係とは言えないと思います。<上記より抜粋>
  まさに、その内容は、「ゲッペルスの言葉」の通りに動き、そして精神生成上の内容があまりよくなくなってしまう。親がそのように影響受けていれば、当然に、その中において、育った子供たちはおかしくなってしまう。子供の成長は当然に、環境によって左右される。そのことは昔から同じであり「生みの親よりも育ての親」というようなことわざにも出ている通りに、環境が悪ければ、そして育つ環境が悪ければ、当然にその悪い環境の中において話が進んでしまうということになってしまう。いじめの話を当然であるというように受け止める会話をしてしまえば、いじめをすることもが出てくる。
  そういえば、テレビのワイドショーで福島原発の補助金のことを言っていたからといって、福島から引っ越してきた子供が恐喝されたというような事件があった。エロやゲームならばすぐに発売禁止になったりしているにもかかわらず「ワイドショーの影響で犯罪やいじめが起きてもワイドショーが放映禁止にならないのはなぜか」ということは、だれも言わないのはなぜなのだろうか。
  その点などに関してもテレビだけ特別扱いを受けているということ、そして意見の多様性が認められていない状況を考ええ「ワイドショーなんかはやめてしまえ」というような「制限論」が出てきてもおかしくはないのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(352) 視聴者同様に俳優女優もドラマ離れしてゆく現在テレビの斜陽産業化

マスコミ批判に関する一考(352) 視聴者同様に俳優女優もドラマ離れしてゆく現在テレビの斜陽産業化
 テレビドラマの視聴率が徐々に下がってきている。まあ、ある意味で「ドラマそのものがつまらなくなってきている」ということであり、基本的に、ドラマそのものにまったく面白みを感じないということが一つである。
  下記の記事に書いてあるのかもしれないが、基本的にまずは「テレビ離れ」という状況がある。片方で「ユーチューバー」という職業が実際に活躍しており、ユーチューブ出身のタレントや作曲家なども出てきているというのが現状なのではないか。そのような状況において、テレビという存在が、一つの転換点に来ているということになる。
  ある意味において、コンテンツとして、テレビという物が、独占的な情報発信であったのに対して、ネット等別のコンテンツができたことによって、その地位を奪われ、そして、徐々に斜陽産業になってゆく、その過程で、さまざまな「協力者」が抜けてゆくというような感じになってきているのではないか。
  そのような「斜陽産業化」した産業において、まず存在するのが「過激化」「先鋭化」ということになる。単純に、物事がうまくゆかなくなった時に「コアなファン」を取りに行くことが普通なのであるが、その「コアなファン」の好みに合わせ、そしてそのコアなファンの気に入るような内容にするために、斜陽産業は「コアなファンの要望を超えたものを作り出すようになる」という現象が出てくるのである。単純に言えば「左翼」がコアなファンであるとすれば、その「左翼に偏向した内容」をおこない、そのうえで、その偏向報道をより過激化して、報道を行うということになる。これは「左翼」ではなく、「保守」でも同じであり、ネットが斜陽ではなくこれから勃興するというときに「保守」が過激化・先鋭化するということが「ネット右翼」というような状況になったのに対して「斜陽産業化したテレビにすがる斜陽左翼」なるものが出てくるのではないか。これも、テレビを見る世代の高齢化とともに、徐々に「一部の過激思想」の集団になってしまい、「中立性・公平性」などはなく、また一般には受け入れられない先鋭化したことを報道の場で出すために「ヤラセ」なども出てきてしまうということになるのである。
  一方、作り物、といっては失礼かもしれないが、ドラマなども、同様に大きな転換点を迎える。つまり、コンテンツとして面白くなくなったテレビメディアから、完全に若者が離れて行ってしまうということになる。そのことによって「年代が上の方の人間」に受けるようなドラマしか受けなくなってしまい、若者に受ける女優などが「その居場所がなくなる」ということになるのである。
長澤まさみも上野樹里も…視聴者同様に続々とドラマ離れ
 視聴者だけでなく、俳優のドラマ離れがいよいよ深刻になってきているという。
 亀山千広社長の退任が決まったフジテレビでは、長年続いた月9ドラマの枠が消えるかもしれないなどとささやかれているように、ドラマが高視聴率をバンバン記録することはもはや昔話のような状況だ。「今では2桁の視聴率が取れれば上出来。15%超えようものなら万々歳といったところです」(テレビ局関係者)というように、視聴者が離れているのが現状だ。
 キャスティングありきの安易なストーリーなど、作り手側にも問題があるだろうが、この低視聴率が続いていることで、俳優陣のキャスティングそのものが難しくなっている。
 ある芸能プロ関係者は「1桁の視聴率が出れば、やれコケただの、あの女優は終わっただのと叩かれますからね。出る側もドラマには嫌気が差しているんです。特に民放ドラマには二の足を踏みますね。主演クラスやヒロインクラスを任せたいと思うような名のある俳優、女優はこぞって映画とか舞台を優先的に選ぶ傾向にある」と解説する。
 かつて高視聴率男と呼ばれていた木村拓哉、福山雅治などは今年のドラマは予定されていない。
 ある芸能関係者は「キムタクなんかは報じられているように、10月の月9ドラマに当初予定されていましたが、それが1月に伸び、さらに4月へと移り、今ではキムタクに低い視聴率を取らせるわけにはいかないという判断で、キャスティングそのものが消滅という話すらある。福山だって、今年は映画に出演予定はありますが、今のところドラマは入っていません。ここまでのクラスはあえてドラマに入って視聴率でどうこう言われたくないという思惑もありますよ」。
  女優陣も同じだ。昨年、大河ドラマに出演していた長澤まさみや昨年「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS系)でブームを作った新垣結衣なども、ドラマへのキャスティングは困難を極めるという。
 「7月にガッキーは『コード・ブルー‐ドクターヘリ緊急救命‐』に出演しますが、これも出演者全員が仲がいいというのが背景にあってOKしたもので、シリーズもの以外ではなかなか難しいといわれてます。長澤に至ってはもう民放ドラマには出たくないと事務所に訴えていると言われている状態。上野樹里なんかも、今のクールの日テレドラマを断ったって話が一時出回りましたが、数字、数字といわれる今のドラマ界に嫌気が差した一人とも言われてます」(ある民放関係者)
 名のある俳優陣が出演しなければ、新しい人を持ってこなければ成り立たなくなるのだが「視聴率が上がればいいのですが、上がらないとその俳優が、女優がという話になる。これが続くから、余計出なくなるという図式の繰り返しです」(前出の民放関係者)。
「視聴率が低い」=「面白くない」というわけではないのだが、視聴率がモノをいう近年の風潮から、ドラマのあり方が変わっていくのかもしれない。
2017年6月17日 16時30分 東スポWeb
http://news.livedoor.com/article/detail/13215924/
 では「作り物」の代表である「ドラマ」はどのようになっているのであろうか。まあ、よほどのことが会い限り、ドラマに関しては「つくりもの」でしかないので、基本的には、「公平性」などの政治的な思想やイデオロギーなどに関しては、少なくとも報道よりも緩くできているし、また、その内容に関しても、「作り物」であるから、基本的にはフィクションで構わない。そもそも「ドラマ」なのであるから「フィクション」であり、なおかつ「やらせ」であることは間違いがないので、その件に関して問題になることはないのである。
  では、何が面白くないのか。
  「今では2桁の視聴率が取れれば上出来。15%超えようものなら万々歳といったところです」(テレビ局関係者)というように、視聴者が離れているのが現状だ。<上記より抜粋>
  というように、基本的にはドラマそのものから視聴者が離れてしまっている。
  ある芸能プロ関係者は「1桁の視聴率が出れば、やれコケただの、あの女優は終わっただのと叩かれますからね。出る側もドラマには嫌気が差しているんです。特に民放ドラマには二の足を踏みますね。主演クラスやヒロインクラスを任せたいと思うような名のある俳優、女優はこぞって映画とか舞台を優先的に選ぶ傾向にある」と解説する。<上記より抜粋>
  まさに、業界の「制度疲労」というような感じであり、ここにも「テレビの斜陽産業化」が出てきている。ではあなぜ「視聴率が出ないのか」といえば、たんじゅんに「つまらないから」ということに他ならない。ではなぜつまらないのか。これは、佳子に何回か書いているが「アニメや漫画の実写化」が現在の潮流である。単純に「すでにストーリーを知っており、なおかつ視聴者がそのストーリーにおいて様々なイメージを持っているところに、そのイメージを上書きするかのように女優や俳優が演じる」ということを視聴者が拒否しているからに他ならない。基本的に「一次元」つまり「文章による小説」であれば、そこにある映像や実像は、必ずしも一致していないが、その一致できない漫画の主人公などを、女優が演じても、そのイメージとは異なる問うことになる。
  つまり、ドラマなどのつくりっものの場合は、その「原作となる物の情報は少ない方が作りやすいし、共感を得やすい」のであるが、一方で、「人気のあるものをドラマ化する」というときには「活字離れで文章の小説が少ない」という現実になる。
  本来このような場合には、マスコミの人々が自分で「本当の意味でよいものを探す」のであるが、しかし、テレビ局の人々はそのようなことは全くしないので、そのために。「良いもの」を探す映画や舞台に良い女優や俳優が流れてしまう。その宣伝のために、バラエティには出ても、それ以外は出ないというようになるのである。
  まあ、ある意味でドラマの世界にも「テレビメディアの斜陽化」が襲っており、それはテレビの制作者が「努力をしない」ことによるものではないのか。

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マスコミ批判に関する一考(350) 低俗な笑いに物申す桂歌丸の心意気と日本の文化を伝えることができなくなったメディアの堕落

マスコミ批判に関する一考(350) 低俗な笑いに物申す桂歌丸の心意気と日本の文化を伝えることができなくなったメディアの堕落
 マスコミ批判なのにバラエティの話、それも「笑い」についてであって、それが報道やニュースなどではないことを扱うのは、ほとんどこの連載ではないのではないか。ドラマなどに書煮て、特にドキュメント物やノンフィクション物の番組に関しては、その内容に関してさまざまなことをいことはあるが、完全に「笑い」について、書いたことはなかったのではないか。
  そういう思いもあり、まあ、お笑いについて考えてみよう。
  私は、落語が好きである。そもそも落語の笑いというのは「日本の話芸」が詰まっている。そもそも笑わせるということは、どれほど難しいことであろうか。笑いに関しては、ベルクソンという哲学者が、笑いの意味やどのように笑うかなどを研究した哲学書があるくらいで、他人を笑わせるということはかなり難しい。「意外性」「ミス」「類似性(物まね)」などから「優越感」「ごまかし(照れ笑い)」など、笑うときのシチュエーションは、さまざまに笑いの場面がありその笑いの意味がさまざまに違う。当然に、この「話芸」からの笑いは、「面白い」などの笑いであり、その笑いをどのように作るのかということではないだろうか。
  つまり、落語は「かなり上級の話芸的な技術を持った人物による一人がたりとしぐさをもって、その話のストーリーと掛け合いなどの店舗で、観客それぞれがその世界に引き込まれ、そのうえで、頭の中でその話芸をもとに映像を想像し、その世界で滑稽さや剽軽さを感じて笑う」という話芸ではないか。その笑いを蔵せさせるためには、あの手この手でその場面の像を結ばせるように話を行い、また観客を現実世界に戻さないように、話のテンポをよくして、ネタを行う。
  これに対して、今回の記事で行われている「裸芸」は、まさに「裸でいるだけ」という「奇異」に対する「気持ち悪さ」などの笑いである。そのように考えれば、落語の笑いと全く異なる。基本的に、今の日本のコントなどは、「意外性」などの笑いではなく、そのような「暴力」(突っ込みという名で終わっているが)や「奇異」(裸芸など)の笑いが中心になっている。そのような傾向はあまりよろしくないのではないか。
復帰の歌丸、日本のお笑い界に物申す 裸芸に「面白いと思われちゃ困る」
 2日から左肺炎慢性呼吸不全の急性増悪(ぞうあく)のため入院し、14日に退院していた落語家の桂歌丸(80)が17日、都内で行われた日本テレビ系『笑点』(毎週日曜 後5:30)の前番組『もう笑点』(毎週日曜 午後5:25~)の収録に参加。笑点メンバーと囲み取材に応じ、ピン芸人・アキラ100%などの「裸芸」に物申した。
 落語を誰に聞いてほしいかと問われると歌丸の目が変わった。「日本全体、あるいは海外からの人にも聞いてもらいたい」。そこには、体一つで高座に上がり続ける落語家としてのプライドがあった。「日本語っていうのは日本の文化。その文化を1番、使っているのが、我々、噺家だと思いますよ。それも笑いに持っていっている」と思いを語った。
 その上で「失礼ですけど、日本語を使わないで笑いを取っている芸能人の方が大勢いるじゃないですか。これも、言っちゃ失礼ですけど裸でお盆持って出てきて何が芸なんですか。私は違うと思うな」と、アキラ100%のお盆で隠すネタをバッサリ。
 続けて「ああいうのを見て、面白いな、うまいなと思われちゃ困るんです。やっぱり日本の言葉を使って笑いを取るのが芸人であり、我々、噺家だと思いますよね。だから大いに日本人に聞いていただいて、日本語というものを、もっともっと理解していただきたい」と静かに熱く語った。「ちょっと望みは大きいかもしれないですけど、そういう気でいます」と80歳にして抱いている壮大な夢を明かした。
 また、入院中に落語の魅力を改めて感じたという。「病院でじーっと落語を聞いているとね、ホントにいいもんだなと思いましたね」としみじみ。続けて「落語はしゃべるもんじゃなくて聞くもんだ」とぽつり。笑点メンバーを笑わせていた。
 歌丸は4月に細菌性肺炎などの症状で入院し、5月13日に退院。その後今月2日に再び体調を崩し横浜市内の病院に入院、復帰予定だった3日の高座『特撰 匠の噺会』(神奈川・相模原市文化会館)を休演した。14日に退院すると、その足で横浜市の神奈川県民ホールで行われた春風亭小朝(62)との二人会『特選 匠の噺会』に登場した。
6/17(土) 12:19配信 オリコン
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170617-00000306-oric-ent
 この記事の中で歌丸師匠は非常に良いことを言っているので、あえてもう一度ここに繰り返し抜粋する。
  「失礼ですけど、日本語を使わないで笑いを取っている芸能人の方が大勢いるじゃないですか。これも、言っちゃ失礼ですけど裸でお盆持って出てきて何が芸なんですか。私は違うと思うな」と、アキラ100%のお盆で隠すネタをバッサリ。
 続けて「ああいうのを見て、面白いな、うまいなと思われちゃ困るんです。やっぱり日本の言葉を使って笑いを取るのが芸人であり、我々、噺家だと思いますよね。だから大いに日本人に聞いていただいて、日本語というものを、もっともっと理解していただきたい」<上記より抜粋>
  もちろんパントマイムなどを極めている人(あえて言いませんが)などを非難しているのではない。日本のテレビで日本の笑いを造成している人々に対して、その中では「日本の文化を大事にする」ということが必要なのではないか。
  実際に、今の日本の番組は「日本の文化」を正確に伝えられ内容なところが少なくない。文学的なものや歴史的なものも含めて、「日本文化」が正確に、若者にテレビ画面を通じて送られなくなった。「時代劇」が無くなったのもその中の一つかもしれないし、また、アナウンサーの芸能人化、そして劣化は、目を覆うばかりである。
  「笑点」という番組は、そのような中で、珍しい、希少な、日本文化をしっかりと伝えている番組ではないのか。その番組の中で「裸芸」のようなものと比較すること自体がおかしいのであるが、しかし、その中において、「文化」の中には、「歴史のようなシリアスなもの」も「話芸」のような伝統文化的なものでも面白いものも二つとも存在する。貴族文化・武家文化・庶民文化があるように、当然の庶民の娯楽という者があったはずだ。歌舞伎や狂言ばかりが「伝統芸」のようにもてはやされているような機運があるが、しかし、その中において、庶民文化や笑いの文化があってもよいのではないか。その笑いの文化が今劣化してしまっているのではという危惧は、そのまま日本人の日本人としての民度が下がっているということになる。
  そしてそのようなものバカ意を珍重するテレビの「複雑なものを嫌う」というような感覚は、そのまま、「テレビを通じて見ている人を愚民化しているのではないか」というような「陰謀論」まで出てきてしまうような内容になっている。
  テレビなどのメディアが、メディアとして、「文化」を持っていなければならない。日本のテレビ局であれば日本の文化をしっかりと伝えてゆくことが最も重要な仕事であり、そのことができないのは、「バラエティであっても」非難されるレベルに落ちてしまったということではないだろうか。

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マスコミ批判に関する一考(349) あまりにも適切な誤字をめぐる様々な反応

マスコミ批判に関する一考(349) あまりにも適切な誤字をめぐる様々な反応
 マスコミ批判といっても、常に何かを批判しなければならないというものではないはずだ。そのように考えて、今日は「面白い」という現象を考えてみたいと思う。
  さて、人間誰にでも「誤り」はある。もちろん、その「誤り」などはない方がよいに決まっている。しかし、人間が人間である以上、過失ということは絶対にあるということを前提に物事を考えていなければならない。これは、これ等文章の「タイピング」に関しても同じで、「誤字」は必ず存在するということがあっておかしくはない。私の場合、その「誤字」は非常に多いので、今回の記事に関しても、マスコミ、今回はNHKなのであるが、そのNHKの誤字に関して、避難できたり批判できたりするような立場ではないことは重々承知している。まあ、たぶん誤字は私の方が多いに決まっているのであるから、そんなことを心配する必要もない。このブログに関して言えば、何しろ「誤字」があることが私のオリジナリティの象徴のようになっているのであるから、始末に負えない。たまに誤字が少なかったりすると「誰が書いてくれたのですか」などということを聞かれるのであるから、まあ、そこまで「誤字が市民権をとってくれる」状態になると、ありがたいものである。
  問題は、その「誤字」が、あまりにも「適切な誤字」である場合や、誤字の内容が「シャレになっている」場合は、「本当に誤字」なのか、あるいは「何かを象徴して当て字にしたのか」ということが話題になってしまうこともある。私などは小説を書いている状況になってくると、いつも思うのであるが、この「当て字」というのもなかなか良いもので、そのように考えると、「誤字」なのか「当て字」なのかわからないことが少なくないのである。基本的にはそのようなときは鍵かっこで括ったりするのであるが、そのようなことをしても、わかってくれない編集者もいたりして、なかなか困ったものなのである。
  さて、今回は「テロ等準備罪」をNHKが「テロ党準備罪」に「誤字」を行ったということに関してである。
NHKが「テロ『党』準備罪」 誤字幕めぐり「意図」の深読み合戦
 テロ等準備罪の新設をめぐり国会が紛糾した2017年6月14日、NHKのニュース番組である「ハプニング」があった。
 発端となったのは、夜21時台の「ニュースウォッチ9」だ。
   一文字違うだけで意味が大違い
 自民党が行った「中間報告」作戦について紹介する場面で、画面下のテロップで、「テロ等準備罪」とあるべき箇所が、
「テロ党準備罪」
と誤植されていたのだ。「テロ党」という語感の面白さもあり、画面写真はたちまちネットで拡散された。
 ユニークなのは、これに対する反応だ。まず与党支持層は、
「ブラックユーモアです、間違ってない!テロ党は共産党のことです」
「テロ党準備罪とは日本共産党の他、民進党 社民党をさしているのでしょうね(苦笑)」
「テロ党って共産党とか民進党とか野党のこと?w」
と、「テロ党」=法改正に反対する野党を示す言葉として受け取り、盛り上がる。
   番組内で「字幕に誤りがありました」
ところが逆に、野党支持者は、
「NHKも自民公明維新が民主主義に対するテロ党だと理解してたんだな」
「テロ党準備罪 自民党のことかw」
「テロ党とは、自民、公明、ついでに維新ですね。共謀罪を強行して、人権に対するテロを計画してますからね。NHK、たまにはいいこと言うな」
と、法改正を推進する与党こそが「テロ党」だとして、こちらもこちらで盛り上がった。中には、「NHKの小さな抵抗を見たり!!!」と、政権への密かな「抗議」であると受け取り、NHKを持ち上げる人も。
 なお番組では誤植の直後に、桑子真帆アナウンサーが、「テロ等準備罪をめぐるニュースの中で、字幕に誤りがありました」と謝罪している。
 そんなから騒ぎなどはそしらぬように、翌15日朝、組織犯罪処罰法改正案は参院本会議で可決され、成立した。
2017年06月15日 19時18分 J-CASTニュース
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12144-300750/
 報道番組それもNHKの報道番組が文字やテロップに使う内容を正確に書くというのは、ある意味においてあたりまえのことであるといってよい。そのように考えた場合、もちろん「テロ等準備罪」という内容は正確に書かなければならないであろう。もちろん、何らかの配慮において、まあ、いうなれば、小説やドラマなどにおいて、またはバラエティ番組などにおいて「パロディ」などをする場合はわざとそれを間違えて笑いをとる場合もある。逆に、そのようにわざと間違えて、その内容の本質を示す場合もあるのだ。そのように考えた場合、今回の「テロ『党』準備罪」は、どうなのかということになる。
  このように言われてしまう、というか、このように深読みをされてしまうというのは、実は、すでに亡くなった方であるが、マスコミの重鎮という方がいて、その方に「マスコミというのは三行で世の中を変える」ということをよく聞いたものである。マスコミというんは、かなりの飛ばし記事などを書いてしまっていても、その「飛ばし」に対して「三行だけ、新聞や雑誌の紙面の目立たないところに謝罪広告を出せば何を書いてもよい」ということになっているという意味である。それだけ「言論の無責任」が存在するということが言われていたのである。そのうえ「謝罪広告を三行出せば、かえってその前の飛ばし記事が目立つし、またその内容が注目されることによって効果が増幅する」ということを言っていたのである。
  つまり、NHKの中にも、そのような考え方の人間がいて、最終的にその内容を「謝罪さえすれば、何を報道してもかまわない」ということになり、特に「誤字」くらいのパロディであれば何でもやって構わないということになるのである。
  つまり「テロ党」が、実はNHKの本音であり、その本音をわざわざ報道し、そのうえで、その本音を謝罪放送をすることによって、より一層強調することができるのである。そのような「マスコミの手法」を知っていれば、今回の「テロ党」も、実はその手法にのっとった内容ではないかというような勘繰りをしてしまう。
  逆に「勘繰り」をされてしまうほどNHKというのは、「正確ではない偏向報道をしている放送局」ということで、かなり不名誉な内容なのであるが、そのことが全く分かっていないのかもしれない。ある意味「公共放送」が、そのような勘繰りをされるようなことであるということ自体が、本来は恥ずかしいのであるが、まあ、その辺は、私自身も誤字が多いことから辞めておくことにしよう。
  たぶん、「党」という言葉を何回も使っていて、その上の変換ミスであることは十分にわかる。そのうえで、今回のようになってしまうということがNHKそのものの性質であろう。しかし、ある意味で「テロ党」が何を指すのか、ということは何となく気になるところでもある。

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マスコミ批判に関する一考(348) 誤報・謝罪が相次ぐフジテレビのバラエティであるからといって間違いを発表報道てよいのかという取材力の欠如

マスコミ批判に関する一考(348) 誤報・謝罪が相次ぐフジテレビのバラエティであるからといって間違いを発表報道てよいのかという取材力の欠如
 バラエティ番組なのか報道番組なのかわからあくなっている者が少なくない。マスコミに詳しい人に聞いたところ「情報番組」というカテゴリーになるということである。基本的に、政治や経済など生活やイデオロギーなどに直結するものばかりではなく、そのほかの内容において、例えば店舗儒法やお買い得情報などを流す番組のことを言う。そのほかにも芸能情報やゴシップなども流すので、その辺のところがどのような解釈になるのかということもいろいろあるが、ニュースから、生活情報まで、さまざまなことを「ごった煮」のごとく、なんでも取り扱うという番組である。
  もちろん、情報番組であろうと、報道に関することに関しては「中立性・公平性」ということが重要になることは間違がない。もちろん、はっきり言えば、報道番組でなくても公平性中立性は当然のことであり、そのことは公共の電波を使っている以上、当然のことであるのと同時に、政治などに関して言えば、そのことによって民主主義の原則が崩され、政権や特定の政党に悪い印象がつくことなどを行ってはいけないということになるのである。
  しかし、一方で「店の宣伝」や「商品の宣伝」ということ、または地域の旅行情報などに関しては、必ずしも公平性が要件ということにはならないという状況になる。もちろん、競合関係にある場合、片方ばかりが宣伝されるということに関して、公平性の原則から考えておかしいのではないかというような感覚はあるが、しかし、一方で、民放各局がスポンサーによるコマーシャルで成立していることを考えれば、そのようなことは言っていられらにという経済状況が存在する。要するに「人気の番組」を作らなければならないし、同時に「スポンサー関連に関して都合のよい報道を行わなければスポンサー契約を切られてしまう」ということも考えられる。そのようなことを考えれば「テレビ局こそ忖度のたまり場」であり、何も政治や官僚ばかりではない。またある程度視聴者の側もそのことを認識いてみているのであって、その内容に関して「あるべき理想論」と「経済的現実論」との間で議論が分かれる部分である。
  しかし、その内容に関して考えてみれば、当然に「公平性」などは問題視されなく手も「情報番組である以上正確性は重要視される」ということは変わりがないのではないか。
松本人志「次に起きたら降りる」…「ワイドナショー」宮崎駿監督の引退発言“誤報”問題
 「ダウンタウン」の松本人志(53)が4日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」(日曜・前10時)で、28日に放送された同番組でスタジオジブリ・宮崎駿監督(76)が過去に発言したとされる「引退宣言」をまとめたフリップを誤用した問題で、次に同じ問題が起きた場合、番組を降板することを宣言した。
 番組冒頭で秋元優里アナウンサー(33)が今回の問題を謝罪。これを受けて松本は「スタッフの責任に丸投げするのは嫌なんですよ。信じてしゃべるしかないんですよ。知らんわっていうのは嫌いなので、今度、こういうことがあった時はワイドナショーを降りようと思っています。マジです」と断言した。MCの東野幸治(49)は「申し訳ありません」と謝罪していた。
 28日放送の番組では宮崎監督が新作を公開するたびに「引退のチャンス」などと発言していたと紹介。この内容は、かつてツイッターで「ネタツイート」として拡散されていたもので、放送直後からインターネット上で誤用が指摘されていた。
 同局は番組ホームページで「真偽を確認しないまま放送に至り、宮崎駿氏並びに関係者の皆様、視聴者の皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」と謝罪していた。
6/4(日) 10:11配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170604-00000081-sph-ent
フジテレビがまた謝罪、「ガリガリ君」の実在していない味を紹介「ノンストップ!」
 6日放送のフジテレビ系「ノンストップ!」(月~金曜・前9時50分)で赤城乳業(埼玉県深谷市)が発売する人気の氷菓「ガリガリ君」で実在していない味を番組内で紹介していたことが分かった。フジテレビは7日放送の同番組内で謝罪した。
 実在しない「ガリガリ君」を放送したのは、6日の同番組での「コレ知らないNO!」のコーナーで「ガリガリ君」の食感の秘密を追跡した場面だった。番組では今年で発売36年目を迎えた人気アイスで季節限定味が発売され品切れが続出していることを紹介。限定味を紹介する際の商品パッケージの画像で「スイカ」「九州みかん」に続き「火星ヤシ」が放送された。
 「火星ヤシ」は実在していない商品で、これを受けて7日の同番組内のニュースコーナーの最後に同局の渡辺和洋アナウンサー(41)が「ここでお詫びと訂正があります」と切り出し、「昨日の企画コーナー『コレ知らないNO!』のガリガリ君を特集したVTRの中で『ガリガリ君 火星ヤシ味』というアイスの画像を紹介しましたが、これは実在しないアイスの画像でした。こちらの確認不足でした。お詫びして訂正致します」と謝罪した。
 発売する赤城乳業はこの日、スポーツ報知の取材に6日の放送後にフジテレビから謝罪の連絡があったことを明らかにし「申し訳ございませんでした。すぐに謝罪して訂正します、とお話がありました」と同社。間違った放送をした経緯についての説明はなかったという。
 同社によると「ガリガリ君」はファンが架空の味を描いたパッケージをインターネット上にアップすることは、これまでもたびたび見られるという。今回の放送も、こうしたネットの画像を本物だと勘違いした可能性があるという。その上で同社は「こちらから、経緯をお聞きすることもいたしませんし、抗議することもありません」と話した。
 フジテレビでは5月28日に放送した「ワイドナショー」(日曜・前10時)でアニメ監督・宮崎駿氏(76)の引退をめぐる話題を取り上げた際、宮崎氏の過去の引退に関わる発言を、真偽を確認しないまま誤った内容を放送したとして謝罪している。
6/7(水) 11:47配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170607-00000102-sph-ent
 さて、今回挙げた記事は、「フジテレビ」における「情報番組」における「誤報」の記事二つである。
  あえて言わせていただけると、これは、ディレクターの完全なる「手抜き」でしかない。ある意味で「情報番組であって情動番組ではないから、手抜きの取材で構わない」というような甘えというか、基本駅には「いい加減な取材」の代償ということができる。
  基本的に、このような取材は、この記事の抜粋からその原因が明らかになる。
  同社によると「ガリガリ君」はファンが架空の味を描いたパッケージをインターネット上にアップすることは、これまでもたびたび見られるという。今回の放送も、こうしたネットの画像を本物だと勘違いした可能性があるという。<上記より抜粋>
  要するに、「適当にネットで情報を上げて。それを、確認もしないで掲載報道する」ということであり、「確認作業」などが全く行われていないということになるのではないか。その「確認もしないで掲載する」ということ「ネットで手軽に情報を収集する」という二つの行動が「マスコミ」つまり「公共の電波という国民の重要資産を使用いている」というような「重大な感覚ン欠如」が存在するのではないか。
  まさに、「ネット時代」であるから、起きることであるとは思うものの、同時に、「そのような簡単な確認もできない」という、現在の情報番組のスタッフの確認作業ができないくらいの「企業との関係性」があるということになるのではないか。
  さて、これが「これだけ」なのか、あるいは「氷山の一角」なのかということが最も大きな問題ではないか。実際に、宮崎駿の引退のところだけならば、まだわかるが、その後、ガリガリ君が出てきて「氷山の一角」ではないかというような、つまり、フジテレビの情報番組はすべて「正確性が薄い」「ネットが情報源であり、その確認作業もしていないような内容を報道している」ということになるのではないかという「疑い」が、視聴者の間に出てきてしまうのではないか。そのような「疑い」つまり「信用棄損」が出てきてしまえば、そのことによって、「マスコミ情報そのものの信用がなくなる」ということになるのではないかと考えらるのである。
  そして「いまだに自覚なく、そのような状況を繰り返している」ということが最大の問題なのではないかという気がしないでもならないのである。
  なお、今回は「フジテレビ」であるが、当然に視聴者は「他のテレビ局も」というような感覚になる。業界全体が情報があてにならないのではないかということが出てきてしまうし、また、ネットが情報源ならば、テレビなどに加工されたものではなく、ネットから直接見ればよいということになってしまう。つまり「テレビそのもの、マスコミそのものの存在意義をテレビ制作者が自ら壊してしまっている」ということに他ならないということになる。
  まあ、それだけマスコミは末期症状ということになるのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(343) 差別ラーメン店を情報番組で扱っていることに感売る「公平性の原則」の違反と検証の不足

マスコミ批判に関する一考(343) 差別ラーメン店を情報番組で扱っていることに感売る「公平性の原則」の違反と検証の不足
 連休中にネットで話題になったのが、京都のラーメン店の話である。まあ、韓国人と祝えている人物が、京都市内のラーメン店に入ろうとして「居酒屋ですか」と尋ねると、店内から「コリアンゴーアウト」などの発言が出るというものである。
  さて、このような内容に関して日本の情報番組等いうところは、こぞって大騒ぎをする。まあ、はっきり言って、このようなことは、害子k儒、特に中国や韓国に行けば、日本人が会う仕打ちの中では初歩的なものであり、まあ基本的なものであろう。
  さて、あえて言うが、なぜ日本のマスコミは、海外、特に中国や韓国において、日本人が差別的な扱いを受けていることを全く報道しないのであろうか。
  公平性の原則から考えれば、基本的に「日本の韓国人や中国人に対する差別」を報道するのであれば、当然に、韓国や中国における日本人に対するバッシングはしっかりと報道うべきである。なぜか日本のマスコミの多くは、海外における日本人へのバッシングや評判などは全く報道せず、日本人が日本国内で沖田海外へのバッシングばかりを報道する。これが「公平」な法幢姿勢といえるであろうか。
  このようにマスコミの人々に質問すると、ほとんどのマスコミは「自分たちはバッシングにあったことがない」という。これははっきり言って「取材不足」であり、また「取材力の低下」でしかない。そもそも、ネットの中には、そのような「対日本ヘイトスピーチ」や「抗日運動」の数々は山ほど記録されているし、また街を歩けば「日本人お断り」「日本人は店に入るな」というような書き込みや看板は山ほど存在するのである。それらを「全く見たこともがない」などという日本のマスコミは、あまりにも取材力が低下しているか、あるいは、「見て見ぬふりをする卑怯者」ということになる。
  当然に、このような報道姿勢に、日本人の多くは非常に危機感を覚え、なおかつ日本の多くはマスコミを信用しなくなってしまっているのである。
  まさに、このマスコミを信用しないということは、何も「極端な愛国をしろ」というのではなく、「公平平等に報道する」という中立性を大きく逸脱したことが最大の問題ではないのか。
  まさに、今回の内容を見て、「これくらいのバッシングで何を言っているのか」という感じがするのは、韓国や中国で仕事をしてバッシングを受けたことのある人ならば共通の認識であるに違いない。
ネット上で問題となっている京都市内のラーメン店を情報番組が相次いで報道
 4日放送の日本テレビ系「スッキリ!!」(月~金曜・前8時)とテレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜・前8時)で京都市内のラーメン店で韓国人俳優へ差別的な発言を行った動画が日韓両国で問題となっているニュースを報じた。
 番組によると、問題となっている動画は韓国の俳優ユ・ミンソン氏(37)が4月末に投稿したもので、ミンソンが京都市内のラーメン店を入ろうとした時に「居酒屋ですか?」と訪ねると店内から差別的な発言が返ってきて「ゴーアウト」と言われた。これにミンソンが苦笑いを浮かべると「ハハちゃうねん、アホ!」と店内から聞こえてきた。
 「スッキリ!!」ではミンソン氏は4月27日から5月1日まで日本を観光。動画はネット上で生放送されたと紹介。これまでもミンソンは日本を観光しその行く先々の観光地での様子を生配信してきたという。この差別的な発言について韓国の主要紙も報じ問題となっているという。
 同番組は京都市内のラーメン店を取材。それによると、動画が投稿されてから同店は休業中で店主は気落ちしているという。また、差別的発言を行ったのは当時店内にいた客だったという。SNS上では店への批判が集まり同店は公式ツイッターで謝罪。ただ、この謝罪がお客に責任を転嫁しているとの批判が再び集中し再度、謝罪する文書をツイッターに掲載した。こうした事態にMCの加藤浩次(48)は「差別的なことを吐いた人間は許せないんだけれど、かたやネットの方で同じようなことを言ってしまうと同じ立場になってしまう気がするんですよ」とネット上で店を批判している人々へ警鐘を鳴らしていた。
 一方「モーニングショー」は、韓国ソウルでミンソン氏を取材。番組ではネット上で動画がねつ造ではとの疑惑の声もあると紹介しミンソン氏に尋ねると「私は日本で演歌歌手としてデビューする夢を見ているのでねつ造動画を作って得るものは少しもありません」と否定した。今回の問題を受けミンソン氏は、日本の観光地を訪問し生放送している番組を「日韓関係が良くなって欲しいと願って進めている番組なのです」とした上で今回の問題について「この映像一つで万が一、お互いの感情が悪化し日本のことをよく知らない韓国人が誤解するのではないか心配です」と案じていた。
 同番組はラーメン店のオーナーも取材しお客が差別的な発言を行ったことに「店として止められなかったことに責任を感じています。会えるなら会って直接、謝罪したい」とのコメントを紹介。発言をしたとされる客にも取材し当時のことを「自撮り棒で勝手に入ってきてカメラを向けられたことに腹を立てて、イントネーションを聞いて韓国人だと思った」とし「お酒が入っていてイラッとした。嫌な思いをさせたことは謝ります。心の底から韓国人が入ってくるなという気持ちはまったくありません」などの謝罪コメントを報じていた。
 一連の問題に羽鳥慎一キャスター(46)は「お店は被害者だと思います」との見解を示していた。
 
スポーツ報知  20170504
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170504-OHT1T50068.html
 さて、この事件におけるもう一つの検証不足というのは、この動画の違和感である。
  動画は韓国の俳優ユ・ミンソン氏(37)が4月末に投稿したもので、ミンソンが京都市内のラーメン店を入ろうとした時に「居酒屋ですか?」と訪ねると店内から差別的な発言が返ってきて「ゴーアウト」と言われた。これにミンソンが苦笑いを浮かべると「ハハちゃうねん、アホ!」と店内から聞こえてきた。<上記より抜粋>
 同番組はラーメン店のオーナーも取材しお客が差別的な発言を行ったことに「店として止められなかったことに責任を感じています。会えるなら会って直接、謝罪したい」とのコメントを紹介。発言をしたとされる客にも取材し当時のことを「自撮り棒で勝手に入ってきてカメラを向けられたことに腹を立てて、イントネーションを聞いて韓国人だと思った」とし「お酒が入っていてイラッとした。嫌な思いをさせたことは謝ります。心の底から韓国人が入ってくるなという気持ちはまったくありません」などの謝罪コメントを報じていた。<上記より抜粋>
 さて、この二つの「抜粋」を見て違和感を感じないであろうか。
  そもそも、この動画を見たが、実際に、「居酒屋ですか」と聞く韓国人を見て「すぐに韓国人」と判断できたであろうか。これが白人や黒人で「外国人出ていけ」というならば、何となく見た目で判断できるのであるが、残念ながら、韓国人と日本人は外見上は瞬間には見分けがつかない。当然に、その内容を瞬間にそのように、韓国人だと判断できる」ということは、基本的に、彼が韓国人であるということを知っているか、あるいは、誰彼構わず韓国人といっているかのどちらかであろう。そのように考えたばあい、「なぜ居酒屋ですかという言葉だけで韓国人と判断できたのか」ということが大きな焦点になる。
  「イントネーションを聞いて韓国人だと思った」というが、さて、これは本当だろうか。はっきり言って「後付け」の理由にしかならないような気がしてならない。つまり、このどうがじたいが「やらせ」であり、この韓国人の俳優の「売名行為」である可能性が少なくないということになる。日本のマスコミは、っまあ、マスコミに同情的に考えれば「だまされた」可能性があり、また、悪意を込めて日本のマスコミを見れば、「一緒になって日本国民をだました」可能性があるのだ。
  まあ、ある意味で「公平性」や「中立性」をおおっく逸脱した報道をしている日本のマスコミは、「日本人をだました」というような判断をされても仕方がないということになるが、まあ、そのような疑いをもたれること自体が、日本のマスコミは恥であると考えてもらいたいものである。
  さて、この報道「違和感」があるというだけにとどまるのか、それともその後どのように発展するのか。ネットの中では日本のマスコミのやらせが大きく言われている。このことをマスコミは真摯に受け止めることができるのであろうか
 

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マスコミ批判に関する一考(339) 「森友学園一色」となったマスコミが、国民から見放される理由

マスコミ批判に関する一考(339) 「森友学園一色」となったマスコミが、国民から見放される理由
 「森友学園」の報道ばかりで面白くない。
  私自身、実は森友学園の記事は基本的にブログでは書いていない。この森友学園に関しては、さまざまな裏があり、国会答弁などで首相などが反せないことも少なくないのが現状なのである。それを民進党がしつこく行っているということでしかない。
  はっきり言うが「森友学園よりも重要なことがある」とも思うし、また、安倍首相の政治において森友額絵ではないことで追及しなければならないこともすくから図存在するというのが本物の話であろう。しかし、民進党とマスコミのあまりにも「異常なバカ騒ぎ」は、さすがに見るに堪えない。
  私の周辺の話でしかないので、基本的に、正式なアンケートではないが、今回の森友学園の報道で、マスコミ離れがより一層進んだのではないか。正直なところ「飽きた」という声が大きく「何か他にやることはないのか」というような人がほとんどである。
  さて、なぜこのようになっているのか。
  単純に、安倍昭恵夫人の行った行為に違法性は全くない。しかし、国会答弁の中で安倍首相が「関係性があったら退陣」というようなことを発言したために、そのことによって野党が「政策でも何でもなく退陣させようとして必死になっている」という状態である。そもそも、「政治家を政策以外で退陣させる」という行為そのものがナンセンスであるにもかかわらず、そのことで、国会を空転させるだけでなく、重要な法案のア真意も行わない野党に対して、国民の判断は非常に厳しく、安倍内閣の支持率はほとんど変わらないのに対して、野党の支持率は急激に下がっているということになる。
  今日は野党を批判する場ではないので、この辺にするが、実際にその野党と同じうタンスで、単純に「違法でもない状況の内容を、論点をずらしてまで報道を行っているマスコミの多くの論調」に国民・視聴者は飽き飽きしているのである。
  このことが全く分かっていないのが現在のマスコミである。単純に「安倍首相の首を取れたら功績」かのような状況である。そもそも、その価値観がおかしい。本来マスコミも政治家も行わなければならないことは、「安倍首相がどうこういうこと」や「スキャンダルを追うこと」ではなく、「日本をよくすること」であり、そのために「重要な法案の審議を進め、なおかつ、政治や外交を前に進めなければならない」にもかかわらず、まったくそのことに関心がないかのような法幢しかないのである。
  はっきり言ってばかばかしい。読売新聞が、やっとそのことに気づいたようである。
17年度予算成立 「森友」一色の議論で良いのか
 過去最高の一般会計総額97・5兆円の2017年度予算が成立した。
 デフレ脱却が足踏みする中、予算には、5兆円余の防衛費、保育士や介護職員の待遇改善、民間企業の活力向上の政策などが含まれる。「成長と分配の好循環」の実現へ、着実に執行したい。
 前半国会では当初、トランプ米新政権との外交や働き方改革が論点になった。その後、文部科学省の天下り、陸上自衛隊の日報、テロ等準備罪などに焦点が移り、野党は松野文科相、稲田防衛相、金田法相らを追及した。
 2月中旬以降は、学校法人「森友学園」への国有地払い下げ問題に質疑が集中した。売却価格が評価額から約8億円減額されたことを巡り、政治家の関与と行政側の 忖度(そんたく) の有無が焦点となった。
 学園の籠池泰典氏が国会で、安倍昭恵首相夫人から100万円の寄付を受け、国有地に関して夫人付の政府職員が財務省に照会したと証言し、騒ぎが拡大した。
 政府や昭恵氏側は引き続き説明すべきだが、与野党も、この問題の本質がどこにあるのか、熟考して質疑に臨むべきではないか。
 見過ごせないのは、国会審議がこの問題でほぼ一色になったことだ。経済再生と財政再建の両立、新たな段階に入った北朝鮮の核・ミサイルの脅威などの議論が 疎(おろそ) かになったのは残念である。
 自民党の「1強」が続く中、野党は、安倍政権に打撃を与える格好の材料と考えたのだろう。だが、他の様々な重要課題の論戦にも積極的に取り組む必要がある。
 後半国会では、多くの重要法案の審議が控えている。
 テロ等準備罪を創設する組織犯罪処罰法改正案は、2020年東京五輪に向けた国際的な捜査共助の強化に欠かせない。7月の東京都議選を前に、公明党には改正案の審議への慎重論もあるが、今国会で成立させねばなるまい。
 野党は、「1億総監視社会になりかねない」「一般市民も処罰される」といった極論で国民の不安を 煽(あお) るのでなく、もっと冷静な議論を仕掛けることが大切だ。
 天皇陛下の退位に関して、与野党が歩み寄り、退位を認める特例法の制定に合意したことは評価できよう。政府は5月に法案を国会に提出する予定だ。より多くの政党の賛成で成立させたい。
 衆院憲法審査会は16日、4か月ぶりに討議を再開した。優先すべきは改正項目の絞り込みだ。各党は、それを念頭に、建設的な議論を行うことが求められる。
 
読売新聞20170327
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20170327-OYT1T50177.html
 まあ、はっきり言って、遅すぎるが、まだ気づかない朝日新聞や毎日新聞、東京新聞などよりは「マシ」ではないかと考える。
  見過ごせないのは、国会審議がこの問題でほぼ一色になったことだ。経済再生と財政再建の両立、新たな段階に入った北朝鮮の核・ミサイルの脅威などの議論が 疎(おろそ) かになったのは残念である。<上記より抜粋>
  さて、この間に北朝鮮のミサイルは、新たなエンジンの開発に着手し、その実験段階になっている。要するに、いつ北朝鮮がミサイルを発射してもおかしくないという状態になっているのである。日本は隣に、「何を考えているかわからない」なおかつ「その情報が全く公開されない」という「地域」が存在し、なおかつ、その地域のいて「大量破壊兵器」が存在するのである。そのうえ、マスコミの報道が「正」であるならば「VXガス」などの化学兵器も存在しており、そのために、日本はいつ「テロ」や「ミサイル」の恐怖に脅かされることになるかわからない状態になっている。
  バカな左翼は、「襲ってくるはずがない」などといっているが、実際に「襲ってくるはずがないという情報すら存在し無い」のであり、その情報がないということ、公開がされていないということが最大の問題なのである。逆ン「はずがない」というほど自信があるならば、「それだけの情報の公開」があったのか、あるいは「機密の情報を知りうる立場にある」ということになり「北朝鮮と何らかの形でつながっている」ということになる。要するに、「国交のない地域とつながっている」ということであり、まさに「何を考えているかわからない」状態なのである。
  そのような状況に関して、何をしなければならないのか、ということが最も重要であり、マスコミは、本来「最も重要なことを行うべきであり、森友の事件などは早く切り上げろ」というべき立場ではないか。同じ政府や国会を批判するのであれば、そのような批判をすべきであり、まともな有権者や視聴者の心を全く分かっていないということになるのである。
  衆院憲法審査会は16日、4か月ぶりに討議を再開した。優先すべきは改正項目の絞り込みだ。各党は、それを念頭に、建設的な議論を行うことが求められる。<上記より抜粋>
  まさにこのような批判が、森友事件の初期に行われるべきではなかったか。マスコミの皆さんは「今何が大事なのか」ということもわからなくなってしまったということに他ならないのである。

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マスコミ批判に関する一考(337) がんばれもこみちという感じの「オリーブオイル使い過ぎ」問題のくだらなさ

マスコミ批判に関する一考(337) がんばれもこみちという感じの「オリーブオイル使い過ぎ」問題のくだらなさ
 いつもまじめにマスコミ批判を行っているので、たまには用語をしてあげようと思って、今日の記事は、「楽しい記事」を見つけてみた。まあ、本人や当事者からすれば、基本的に「楽しい」という言い方をすること自体が非常に大きな問題なのかもしれないが、しかし、まあ、はっきり言って、いつものような政治とか偏向報道というような内容ではなく、違う内容を考えてみたい。
  さて、私がいつも朝見ている番組に「ZIP」とう伴ぐっみがある。はっきり言って朝から偏向報道などは見たくもないし、また、不景気な面とか、他人を陥れているような番組などは見たくもない。それでも政治記者をやっていた時代は、しっかりとNHKなどをチェックしていたのであるが、やめてからこの方、どうも安易な方に流れてしまってどうしようもない。その中で、まあ芸能人が出ていることや、朝からゲームをやって明るいことなどから、まあ、深刻な番組よりもはるかにこの方が「快適な朝」を迎えられるのである。もちろん、そのような深刻なものではなく、「前日の深夜見たままのチャンネルになっている」場合が多く、他万位はBSなどになっていることもある。何となく確率的に「ZIP」になっていることが多いという程度である。
  その中で、最後にあるのは俳優の速水もこみちさんが料理を行う『MOCO'Sキッチン』である。
  まあ、このもこみち氏のオリーブオイルの使い方がすごい。まあ「湯水のように」というような言い方をするが、まさにその表現が最も当てはまる使い方をする。まあ、高価なりーぶオイルをあれだけ使うのは「ありえない」と思いながらも、租俺がまた朝から面白い。ちなみに私は好きなのである。「豪快さ」と「勘違い」。いや、まあ、そして「あんなに使ったら油っこくって食べられないだろうな」という感じ。まあ私自身があまりオリーブオイルを使わないので、よくわからないのであるが、その「浮世離れ感」が面白いのである。
  しかし、どうもこの内容を「BPO」に苦情を出したやつがいるらしい。
  さて、この対応に関して、考えてみたいと思う。
『MOCO'Sキッチン』に苦情、BPOが公開 「オリーブオイル使いすぎ」
 日本テレビ系情報番組「ZIP!」の人気料理コーナー『MOCO'Sキッチン』に対し、「オリーブオイルの量が多すぎる」と問題視する意見が放送倫理・番組向上機構(BPO)に寄せられた。
 俳優の速水もこみちさん(32)が担当する同コーナーは、大量のオリーブオイルを惜しげもなく使う「もこみち流」の調理法が人気を呼んでいる。実際、過去の放送では、1品の料理を作るためにオリーブオイルを「まるまる一瓶」使い切る場面もあった。
 「視聴者の健康や家計などに配慮するべき」BPOは2017年3月8日、17年2月に視聴者から寄せられた意見の概要を公式サイト上で公表した。その中では、BPOに先月届いた全1713件の視聴者意見のうち20件を抜粋して紹介している。そこで取り上げられたのが、
 「朝の情報番組に、人気俳優の出ている料理コーナーがある。そこで使われているオリーブオイルの量は、料理一品に対して多すぎるのではないか」という苦情だ。この意見では、さらに「オリーブオイルは体に良いものであっても、使い過ぎるとどうなのか」との疑問を呈しており、
 「そもそも、(オリーブオイルが)安価で簡単に手に入るものなのか疑問だ。視聴者の健康や家計などに配慮するべきではないか」とも訴えている。具体的な番組名は公表されていないが、内容からして『MOCO'Sキッチン』を指したものと見て間違いないとみられる。
 2011年4月にスタートした『MOCO'Sキッチン』は、料理を担当する速水さんがオリーブオイルを「これでもか!」と多用する姿がSNSで大人気に。番組では、完成した料理にも仕上げにオリーブオイルをかけるのが「定番」となっていて、これを称して「追いオリーブ」なる造語まで誕生した。
 こうした人気にあやかり、13年2月には速水さんがプロデュースするオリーブオイルが発売された。これは1本450グラム入りで税込5250円と高額だったが、すでに限定発売された15000本が完売している。
 BPO「事実かどうかは確認した上で掲載しています」なかでもファンの間で「神回」と呼ばれているのが、一瓶のオリーブオイルを丸々使い切った16年3月8日の放送だ。このときのメニューはオイルを多用する「アヒージョ」だったものの、速水さんは「たっぷり使っちゃいましょう」と笑みを浮かべて一言。その直後、瓶を高々と掲げて豪快にオイルを鍋へ投入していた。
 そんな速水さんのオリーブオイルの使い方は、BPOに苦情が届いた17年2月の放送でも「ド派手」だった。
 とくに17年2月27日放送の「もこみち流 イベリコサラミとシュリンプのベジタブルピラフ」というレシピでは、具材を炒めるためにオリーブオイルをフライパンにたっぷりと。その量はすさまじく、焼くというよりも「揚げる」という表現が近いほどだった。
 ただ、こうした『MOCO'Sキッチン』のスタイルはファンに愛されていることもあり、今回BPOが取り上げた苦情に対しては、
  「オリーブオイルが主役だから」
 「もこみちがオリーブオイルたっぷりかけるところが見たいんだよ」
 「オリーブオイルで揚げた事すらあっただろ?いまさらかよ」といった声がツイッターやネット掲示板に出ている。
 なお、BPOの広報担当者は3月9日のJ-CASTニュースの取材に対し、「どの意見を抜粋して紹介するかの基準は公表していません」と説明。ただ、
 「ですが、寄せられた意見の内容が事実かどうかは確認した上で掲載しています」とも話していた。
 一方、日本テレビは取材に対し「広報部の担当者が不在」とだけ回答した。
J-CAST ニュース 20170315
http://www.j-cast.com/2017/03/10292738.html
 「朝の情報番組に、人気俳優の出ている料理コーナーがある。そこで使われているオリーブオイルの量は、料理一品に対して多すぎるのではないか」という苦情だ。この意見では、さらに「オリーブオイルは体に良いものであっても、使い過ぎるとどうなのか」との疑問を呈しており、「そもそも、(オリーブオイルが)安価で簡単に手に入るものなのか疑問だ。視聴者の健康や家計などに配慮するべきではないか」とも訴えている。<上記より抜粋>
 さて、これの記事をマスコミ批判に入れたのは「どうしてそこまで健康や家計に配慮しなければならないのか」ということである。もっと単純に言えば「庶民目線」という「低値安定」を演出しなければならないというような「義務」が、テレビ番組に存在したのかということは非常に大きな問題なのだ。
  はっきり言って、昔はトヨタの自動車のコマーシャルで「いつかはクラウン」というのがあった。要するに「いつかはあの自動車に乗ってみたい」というような「今ではない将来の発展」を見込むようなこまーっ写るが平気で流され、そのような標語が書かれていたのである。まず家計などに問題があるとか言っていても、「そもそも「将来オリーブオイルをもこみちのように使えるような身分になりたい」というような話があってもおかしくっはないのであり、そのことに苦情を言うようなものではない。はっきり言って「このような苦情を問題にしなければならないマスコミの体質」つまり「庶民目線というくだらない低値安定に媚びる姿」が最大の問題である。
  「別にいいではないか」「いやならばマネしなければよい」それだけで十分であり、そのような味方ができず「不快」などといっている人々を切り捨てればよいことなのである。
  昔、マイカルが大連に出店した時、当時の小林敏峯会長が中国において「共産主義平等の中国人民」に向かって「私どもは、金を持っている5%の中国の肩を相手に商売をする。そのうち皆さんが金を持ち、マイカルで買い物をしようというあこがれの店を作ります」ということを宣言する。当時、大連市内においてはかなりこの発言は話題になった。もちろん、本人はそのようなことが話題になるとは思っていなかったと思うが、しかし、「95%を的にするのか」というような、一部共産主義者(といっても中国は共産主義の国なのであるが)からクレームが来た。我々は、そのクレームに対して「いつか買い物できるように頑張ってください」と返してきた。結局「多くの人のあこがれの店」になったのである。
  さて、このくれーっむをまともに受ければ「オリーブオイルをたくさん使えるような金持ちには一生なる気もないし希望もない」ということであろう。そのような苦情、つまり、我々を見下したことを言っている人の方が失礼なのである。それくらいの対応がなぜテレビにはできないのであろうか。
  まあ、これくらいの対応ができないことが、今のテレビをつまらなくしているのである。

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マスコミ批判に関する一考(331) 「マスコミ不況」と同じ論理によって「不公平感」を演出し「復興全体を遅らせる」マスコミと野党の「から騒ぎ」になぜ国民は怒りを感じないのか

マスコミ批判に関する一考(331) 「マスコミ不況」と同じ論理によって「不公平感」を演出し「復興全体を遅らせる」マスコミと野党の「から騒ぎ」になぜ国民は怒りを感じないのか
 3・11及び福島の復興ということに関して、日本人はあまりにも神経質になりすぎてはいないだろうか。
  さて、今回問題になっているのは「DASH村復興」である。そもそも「DASH村」とは、アイドルグループ「TOKIO」のメンバーが人の住まなくなった古民家を修築し、田畑を耕したり、炭をおこしたりして、自給自足の田舎暮らしを実践して人気を集めた日本テレビ系バラエティ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」の舞台になった山里<下記記事より抜粋>である。
  私などから見れば、一視聴者として、「田舎暮らしの素晴らしさ」や「先人の知恵」などがあり、また農業や自然暮らしの良さを伝える良い番組であったし、やはり日本の原風景がそこにあるような気がする。そもそも、そのような内容が番組として成立するくらい、私たちは「田舎暮らし」ということがなくなってしまっているのではないか。宮崎駿監督のアニメの風景が、どことなく、我々の心の中に「郷愁」を感じさせるものの、私たちはそのようなところに住んでいたことは全くない。私などは生まれも育ちも東京の23区内であるから、そもそも否かというのは存在しない。しかし、たぶんではあるが、日本人の中には誰にでも「日本の田舎暮らし」ということが頭や魂の中に残っていて、その中にあるものを、そのような暮らしの映像が刺激するようになっている。私にとっては都会が故郷でありながらも、どこか田舎暮らし、それも日本の原風景に憧れを持つものになってしまっているのである。
  さて、そのような「郷愁」に誘われて「DASH村復興」ということが言われても何らおかしくはない。しかし、そのことを行政の人が言うと、なぜか問題視してしまう。マスコミは必要以上に騒ぎ立ててしまう。結局、マスコミが騒ぎ過ぎてしまうために、「一歩ずつ」でも復興が始まるということが、いつのまにか「遠のいてしまう」のである。特に「DASH村復興」のようにテレビで全国的に人気のある番組であり、そして、アイドルグループだけではなく、その番組やその番組で行っている活動の共感者矢ファンが多かったということは、すでに3・11から6年が経過しようとして、その記憶が徐々に薄れつつある状況であるのにかかわらず、「多くの日本人が関心を持ってもらうチャンス」を自ら失ってしまうということは、復興そのものの芽を摘んでしまうのではないか。その意味において「マスコミの騒ぎ杉」ということは、本来控えなければならないのであるが、日本のマスコミはそのようなことが全く分かっていないのである。
TOKIOも「寝耳に水」? 「DASH村復興」論が歓迎一色でない理由
  「DASH(ダッシュ)村の復興を後押ししたい」
 政府高官の唐突な発言が福島県の自治体に波紋を広げている。
D ASH村とは、アイドルグループ「TOKIO」のメンバーが人の住まなくなった古民家を修築し、田畑を耕したり、炭をおこしたりして、自給自足の田舎暮らしを実践して人気を集めた日本テレビ系バラエティ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」の舞台になった山里。場所は福島県浪江町の山間部・津島地区の外れにある。「あった」という方が正しいかもしれない。
  副大臣が「個人的な考え」として表明
 この場所は2011年3月の東京電力・福島第1原発事故で大量の放射性物質が降り注ぎ、今も住民が原則立ち入れない「帰還困難区域」にある。事故当日もTOKIOのメンバーが滞在して番組収録の準備をしていたが、津島地区全域が立ち入り禁止になったのに伴い、「村」での撮影は中断。その後は無人の離島や各地の農村などに舞台を移して番組が続いている。
政府は帰還困難区域がある浪江町や大熊、双葉、富岡などの町村ごとに1か所の「特定復興拠点」を設け、集中的に除染を進めて5年後に避難指示解除を目指す方針。だが、津島地区は海岸に近い浪江町の中心部から25キロ以上離れた孤立集落で、住民自身が「『復興拠点』に選ばれる可能性はほぼゼロ。地域は消滅するしかない」として、多くの住民は「ふるさと喪失」の慰謝料などを求め、集団訴訟を求め争っている場所なのだ。
 発言の主は、原子力災害現地対策本部長を務める高木陽介・副経済産業大臣。事故で避難を強いられた自治体の避難指示を解除するかどうかを最終判断する政府の実質的な責任者だ。
 地元紙などによると、高木氏は17年1月11日に新年のあいさつ回りで地元新聞社2社を訪れた時に、帰還困難区域をめぐる政府と自治体の協議は「簡単に進まない」と説明。その一方、「個人的な考え」と前置きして「DASH村の復興に向けた手立てがあるのではないか。近く県や町と協議を始めたい」と語ったという。
  住民のさらなる「分断」を招くことに?
 今は原生林に囲まれた廃虚になっているDASH村が、帰還困難区域の「復興のシンボル」として本当に再生できるのか。地元紙の報道の翌日にこの問題を報じた毎日新聞福島版によると、浪江町の馬場有町長は地元紙の報道当日に高木氏と東京都内で会談して同様の説明を受け「津島の住民の希望になる」と歓迎したという。
 だが、事はそう簡単ではない。番組の当事者である日本テレビの番組プロデューサーである島田総一郎氏は「知らぬ存ぜぬとは、まさにこのニュースの事。そもそもDASH村は、誰かのものでは無いですし」とツイッターで発言。一時は番組のホームページで原発事故による村の「汚染度調査」などを公表し、将来の撮影再開に含みを残していた同社も、「(高木氏の発言は)まったくの寝耳に水。(将来的に)DASH村を舞台に番組を再開することはまったく考えていない」(広報部)とコメントしている。
 浪江町は町の面積の8割を帰還困難区域が占めており、合併前は独立した村だった津島、大堀、苅野の3地域のそれぞれに「復興拠点」を設定するよう求めているが、仮にDASH村がある津島地域だけに復興拠点を置くことになれば、住民のさらなる「分断」を招くことになりかねない。
 政府関係者は高木氏の発言について「あくまで個人の考えとして発言したと聞いているが、ここまで報道されれば撤回はできないのではないか」と困惑している。政府は1月下旬から、町と合同で住民説明会を開く予定で、高木氏が出席するかどうかも調整中といい、その場でも発言の真意を問う声が出そうだ。
2017年01月29日 16時00分 J-CASTニュース
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12144-288716/
 「マスコミ不況」という単語がある。
  実際に、「法律に違反しているわけでもない」のに、「不公平」とか「道義的におかしい」とか、不毛な議論をマスコミが行い、その「不毛な議論」をもとになぜか、スキャンダルがでっち上げられ、そのうえで、全体が停滞してしまうというような現象である。この最も典型的な事例が「居酒屋タクシー」といわれるものである。
  さて、「居酒屋タクシー」について知らない人もいるかもしれないので、一応ウィキペディアから抜粋しておこう。「居酒屋タクシー(いざかやたくしー)とは、乗客に酒と肴を提供するタクシー事業におけるサービス、ないしそのサービスを行うタクシーのことである。主に、上得意客を獲得するための利益供与として行われる。2008年に日本の中央省庁に勤務する公務員が利用していたことをマスコミや野党などが取り上げ、公務員の倫理に照らして不適切なものであるとする批判がなされ、最終的に悪質な事案について33人の職員に懲戒処分が下されたほか、タクシー事業者にも道路運送法違反で行政処分が下された。」
  さて、タクシーが自分の料金で「遅くまでお疲れ様です」といって、缶酎ハイを一本差し出し、そのタクシーに乗った客が、それをもらって飲んだところで、別におかしなことではない。そもそも、タクシーの場合は客が運転するわけでもないので、飲酒運転には当たらないし、また、タクシーなどは列に並んでいるのだから、何も「利益供与」などという必要は全くない。それにもかかわらず、「懲戒処分」や「道路運送法違反」などというのは行きすぎであるし、そのことを報道したマスコミそのものが、なぜそんなに騒いだのかは全く不明である。
  マスコミが「不公平」「道義的」などといって騒ぐときは「嫉妬」からくることがほとんどである。しかし、そもそも論として、例えば居酒屋タクシーであっても、ほかの会社でも深夜にタクシーを使う客に対してそのようなことがあったかもしれないし、そもそも関西のタクシーなどは飴玉やポケットティッシュのサービスは普通に行われている。寒中杯だけが悪いというのも何の根拠もないのだ。しかし、このことによってタクシーそのものの利用客が減ってしまったし、また、官庁も深夜までの残業がなくなってしまう。まあ、目立ったほどではないにしても、缶酎ハイの売り上げも下がったであろう。そのようにして「マスコミが違法でもないのに騒いだことによって、結局経済が低迷する」という事態が発生するのである。
  今回の「DASH村復興」に関しても全く同じであり、そもそも、「DASH村復興」ということがきっかけになって全体がうまくゆけばよい。そもそも、行政が行うにしても、どこかに拠点を作らなければならないし、また、同時に多数の場所で始めることは、物理的に不可能であるのだから、そこは順番が出てくることになる。その時に、たまたま、「DASH村復興」などと、日本全国的にテレビで有名であった場所を「象徴的な場所」として選ぶことは何ら問題がないはずである。
  そもそも、そのことに問題を感じるのであれば日本テレビのバラエティ番組が、その場所を選んで放送をしたことそのものが「不公平」であり、その不公平を完全に棚にあげてしまって、そのうえで、行政だけを攻めるというマスコミのやり方はあまりにもおかしいのではないか。
  はっきり言って。「二重基準(ダブルスタンダード)」の見本のような感じであり、あまりにもおかしなものになってしまう。
  それどころか、今回のこのことをもって、「では全体ができるまで福島の浪江町に関しては復興の事業は行わない」ということ菜決定がなされたらどのようになるのか。できるところから始めるのが本来の内容ではないかと思うが、そこに不公平感を感じるようであれば、それは「では全体を行わない」という結論になってしまうのではないか。そのような決定がなされて、福島の人は全くおかしいとは思わないのであろうか。
  行き過ぎた嫉妬の報道は、「できるところから復興する」という当たり前のことができなくしてしまっている。それも、「当事者ではないおせっかいなマスコミ」によって、そのようなことが行われてしまうのである。本来、国民はそのことをマスコミに対して怒らなければならないのではないか。まさに、この事案に関していえば、「マスコミが復興を遅らせようとしている」ということである。それに怒りを感じない人はいないのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(324) 一部の学者の自分たちに都合のよい学説を取り上げて大多数の意見を無視する「世論づくり」の見本

マスコミ批判に関する一考(324) 一部の学者の自分たちに都合のよい学説を取り上げて大多数の意見を無視する「世論づくり」の見本
 先日ある勉強会において、「若者に国防を学ばせるためにはどうしたらよいか」ということを真剣に議論した。そもそも「若者」といわれる人の中に20代30代社会人ということが入っていたが、その定義が正しいかどうかは別にする。まあ、議論していたのが60代が中心であったことを考えれば、私自身であっても若手で通っているのであるから、その定義で「相対的」な観点からすればおかしくないのかもしれない。
  そのうえで、「若者は最近は向学心があるので、興味を持たせればよい」という意見があった。しかし、一方で「そもそも学問の基礎となる部分が異なる場合があるので、その部分を考慮し仲ればならない」という意見も存在する。
  さてでは何が異なるのであろうか。まず若者は三つの点で国防などの「国家観」を必要とする議論ができないという。その三つとは「1、行き過ぎたリベラリズムの教育により国家観的な観点や集団主義的な観点が存在しない」「2、個人主義教育と権利教育が強く残ってしまい義務や責任意識が希薄なために自分が我慢して社会のためにコミュニケーションをとることを苦手とする」「3、戦後教育により、軍、宗教、イデオロギーに関してはタブー視してしまい、それらをしっかりと教育されていないことによって、話す前提が存在しない」ということである。
  これらを解消するためには、まずは教育を正さなければならないが、それは「国家百年の計」ではないものの即効性はない。そのことから考えると、「現在の若者に興味がある方法で訴える」ということが必要であるということになる。そこでいくつかの方法論が検討される。
  「1、物語・小説・アニメ・映画などによって訴える」
  「2、陰謀論・オカルトなど空想世界を交えた話として興味を持たせる」
  「3、お笑いや至近な例を挙げてたとえ話を中心にしながら重要性を説く」
  そののちに「若者の向学心に合わせて、情報を提供する」ということが重要であるということが検討されることになる。
  さて、その際に重要なのが「若者が何に関心があるか」ということである。その情報はネットまたはマスコミに頼らざるを得ない。少なくとも議論をしている60代コミュニティにおいて、その感性は「通常の会話の中からは知ることができない」のであるから、その部分を外部からいれなければならないのである。
  しかし、現在のマスコミの意見をそのまま入れてしまうと「逆効果」がありうるということなのかもしれない。
  今回は「逆効果」の事例を見てみようと思う。
AKB48のせいで若者が恋愛しない!?「クローズアップ現代」の珍説にファンが憤慨
 若者が恋愛しない理由の一つは「AKB48の握手会」だった?
 そんな珍説が11月24日放送の「クローズアップ現代+」(NHK)で紹介され、ファンの怒りを買っている。同番組では“婚活”の名付け親で知られる社会学者の山田昌弘・中央大学教授が、現代の若者が恋愛を避けている理由を解説。そこで登場したパネルに、恋愛にブレーキを掛ける要因として握手会が載っていたのである。アイドル誌のライターが憤慨しながら話す。
「そもそも芸能人を疑似恋愛の対象にするのは昭和の時代から当たり前の行為であり、現代に限った話ではありません。それにアイドルのファンは生身の女性を興味の対象にしている時点で、恋愛に興味がない層とは決定的に異なります。カップルや家族連れで握手会に参加する人も珍しくないですし、女オタクを巡って男性ファン同士が揉める痴話ゲンカも日常茶飯事。そういう実情を知らないでアイドルを語るのは実に迷惑ですね」
 番組では山田教授が「恋愛が憧れからコストとかリスクになる時代になってきました」としたり顔で解説。しかしコストが理由で恋愛を避けるのであれば、握手会に10万円超をつぎ込むファンの存在は明らかな矛盾となるはずだ。その点について前出のアイドル誌ライターが解説する。
「山田教授の著書によると、恋愛を面倒くさいと考える若者たちは、1000円出すだけで握手できるAKB48を選ぶとのこと。しかし現実の握手会は待ち時間が異様に長く、数々の規制やルールに縛られるなど相当な忍耐を強いられるため、絶対に握手するという強烈な意思が必要です。ただ山田教授にとってそんな現実はどうでもよく、現代の若者をステレオタイプにハメるための題材として、握手会が格好のネタなのかもしれません」
 社会学では自分の目で現場を見て回る「フィールドワーク」が必須のはず。ぜひ山田教授も一度、AKB48握手会の列に並んで、ファンが発する熱気を実感してみるべきではないだろうか。
(金田麻有)
2016年12月05日 05時59分 アサ芸プラス
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12104-71333/
 さてさて、またNHKである。
  まあ、今回は「偏向報道」ではあるものの「政治的な偏向」ではなく、まあアイドルの内容であるから、少々気が楽な書き方になるのかもしれない。
  NHKのクローズアップ現代は、国谷某というキャスターがやっているころから、平気で「社会の片隅の意見を、さも、社会全体の意見であるかのような扱いで報道し、国民視聴者を誤った方向に誘導するポピュリズム番組」として名高く、その「射会の片隅の例外的な事象」が、最終的には「ヤラセ」「捏造」という形になったので国谷某が罷免された内容である。
  まあ、「片隅のことをクローズアップ」するという意味では当たっているのかもしれないが、それならばクローズアップ現代ではなく「クローズアップ異端児」とか「クローズアップ極論」というような題名にすればどこからもお叱りを受けるものではあるまい。
  さて、今回あったのは「同番組では“婚活”の名付け親で知られる社会学者の山田昌弘・中央大学教授が、現代の若者が恋愛を避けている理由を解説。そこで登場したパネルに、恋愛にブレーキを掛ける要因として握手会が載っていた」<上記より抜粋>ということである。当然に握手会を楽しみにしている「疑似恋愛を楽しんでいるアイドルファン」は、このようなことを言われれば怒り狂うに違いない。
  「実情を知らないでアイドルを語るのは実に迷惑ですね」<上記より抜粋>という意見が出るのは当然である。まあ、アイドルそのものは生身の人間であり、その名魔ミニの人間に対して疑似恋愛をするのは、当然に吉永小百合のファンを「サユリスト」と呼んでいた時代から全く変わらない内容である。それをことさら現代のアイドルばかりにしてしまうというのは、あまりにもおかしな話であり、「頭の中の妄想で勝手にイメージを固めて、レッテル貼りで決めつける」手法は、政治的な解説を行っているときと全く変わらないNHKのお家芸である。
  「山田教授の著書によると、恋愛を面倒くさいと考える若者たちは、1000円出すだけで握手できるAKB48を選ぶとのこと。しかし現実の握手会は待ち時間が異様に長く、数々の規制やルールに縛られるなど相当な忍耐を強いられるため、絶対に握手するという強烈な意思が必要です。ただ山田教授にとってそんな現実はどうでもよく、現代の若者をステレオタイプにハメるための題材として、握手会が格好のネタなのかもしれません」<上記より抜粋>
  さて、山田教授に関していえば、それは「山田教授の研究不足」で終わる話である。問題NHKのディレクターなどがAKBの握手会などに参加し、その内容を取材しながら、この山田教授の意見を取り入れて「クローズアップ現代」として放送したことではないか。つまり、現場でフィールドワークをしているはずの記者やディレクターが、そのことを知りながら「あえてレッテル貼りをし若者をステレオタイプ化」すること、そのうえで「アイドルビジネスを悪役にしてしまい、若者の婚期遅れの責任転嫁に使用とする誤ったポピュリズム誘導を行った」ということになりかねない。いや、今までのNHKの報道からすれば「NHKはそのような偏向報道を行うというステレオタイプにはめる良い道具を提供してくれた」ということに過ぎないのである。
  まあ、政治的な部分などを含め、「偏向報道の権化」ともなってしまっているNHKからすればAKBのファンくらいから何を言われても怖くはないのかもしれないが、しかし、そのような報道を行うことそのものが、NHKの信用や、放送内容のリテラシーの問題から非常に大きく「全体の信用を棄損している」としか言いようがないのではないか。そのようなことで日本の放送メディアは良いのであろうか。
  単純に、この放送はNHKということは、外国でも「衛星放送」で見られているということである。そのことを考えて、「しっかりとしたフィールドワークに裏付けされた内容を放送すべきではないのか」という疑問、そして、そのようないい加減な番組に受信料を払わなければならないのかというような疑問が浮かぶのである。

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