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<title>KOKKAI PRESS宇田川的ニュースのＣ級解説</title>
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<description>コンサルタント宇田川のちょっと変わったニュースとちょっと変わった解説</description>
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<title>自民党内戦報道</title>
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<description>自民党内戦報道 　7月1日、麻生内閣における閣僚補充人事が発表された。「大山鳴動...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;自民党内戦報道&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　7月1日、麻生内閣における閣僚補充人事が発表された。「大山鳴動鼠一匹」のごとき内容である。結局兼務になっていた経済財政担当大臣と国家公安委員長の補充である。&lt;br /&gt;　それまでに、内閣改造、党役員人事がいわれてきた。一方で、麻生内閣も「党人事は考えていない」といったと思えば翌日に「前から考えていた」という。自民党内では、9月の総裁選前倒しが山本拓議員によって提案される。中川秀直元幹事長のグループは、公然と麻生執行部批判と辞任要求をする。そんな中で、行われた内閣補充である。野党の記事と違い、マスコミ各社が大々的に報道するので、ここで長文で経緯説明する必要はない。&lt;br /&gt;　一方で、民主党鳩山代表はいわゆる「故人献金」事件が発覚した。政治資金の中で70名ほど（7月1日報道）が、鳩山への献金の事実がないのに、収支報告書には名前が記載されている。その中には、すでに鬼籍に入られた方も複数含まれており、明らかに政治資金規制法に違反する内容であることに間違いはない。&lt;br /&gt;　民主党は、明らかに法律に違反する問題でも「微罪だ」といって片づけてしまう。それで捜査があれば、「国策捜査」と大騒ぎをする。小沢のときも何もそうだ。遵法主義ではない政党であるという印象だ。そもそも批判政党の域を脱していない。本来ならば、政権を語ることすらおこがましい。&lt;br /&gt;　しかし、この自民党のドタバタ騒ぎに、民主党政権は近いと感じることがある。今回は、自民党諸先生には耳が痛いかもしれないが、あえて、自民党の批判を展開する。&lt;br /&gt;　民主党の批判に関しては、私の著書「民主党の闇」にしっかりと書いてあるので、7月7日の発売ですので、ぜひお読みいただきたい。少し宣伝すると、「民主党の闇」では、民主党幹部議員のスキャンダルを和えて記載。そしてスキャンダルが民主党の政策に及ぼした影響と、政策の真の目的。その真の目的から見え隠れする、民主党議員の国民を見下した態度が、ナチス・ドイツと酷似しているさまなど。それらを、日本の「批判精神の萌芽」からみてきている。スキャンダルを書きながら政策本にするという感覚で原稿にしてみた。その観点から、ぜひ目を通していただきたい。&lt;br /&gt;　さて、自民党批判に関して、その的を絞ってみたい。いつもの論点と同じだ。&lt;br /&gt;　第一に、麻生総理からすれば、「ぶれる」という批判である。&lt;br /&gt;　第二に、自民党内における麻生執行部批判。これは、たまにテレビに出てきて批判する議員個人から、中川元幹事長のような集団での動き。&lt;br /&gt;　第三に、情報管理。首相側近などといって、マスコミに次々と「構想段階」の憶測が流れる。その情報の管理がまったくされていない。&lt;br /&gt;　最後に、民主党批判の的外れと国民とのコミュニケーションの欠如。アメリカのオバマ大統領がどうしてあそこまで支持を得られたかの研究に合わせて考えたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　まず、一つ目の批判。ぶれる発言である。&lt;br /&gt;　政権政策は、後戻りできない一本道だ。大きな岐路があるときに、人間ならば迷いが生じる。しかし、首相はそれを決断しなければならない。自分の決断が、1億3000万国民の運命を変えることもある。迷って当然だ。しかし、首相は責任者だ。その重責を果たすことが最大の任務であろう。国民は、是非にかかわらず、その決断に興味を寄せ、そして従わなければならない。行政府のトップが決断し、立法府で法制化されたものであれば、法治国家の国民はそれに従う義務を追う。&lt;br /&gt;　当然に、当該決断に際しては、慎重な議論と検討の上にされなければならない。そして、その内情を国民に伝える場合は、わかりやすく、簡潔に伝えなければならない。&lt;br /&gt;　自民党の支持率が下がり始めたのは安倍首相のときからだ。過去の私のブログを見ていただいたらわかるが、安倍首相はコミュニケーション不足と断じている。安倍首相のころから、やっていることは良いが、何をいっているかがわからないという状況が続いている。福田・麻生とその傾向は変わらない。結局完結に、標語的に、自分のやろうとしていることが伝わらない。&lt;br /&gt;　国民はラジオと一緒だ。良い電波を発していても、受信側の周波数に合わなければ、何も聞こえない。聞こえないだけならば良いが、「砂の嵐」状態で、不快な音が流れることがある。途切れ途切れで、重要なことが抜けることがある。政府は、難しい言葉ではなく、多少誤謬があってもわかりやすい電波を流さなければ、広報の意味はない。&lt;br /&gt;　ましてや、発した発言が朝礼暮改で変わっては、信用がなくなるのは必定。&lt;br /&gt;　政治家は本来、自分の持つ将来の国の姿を国民に示す必要がある。国家百年の大計を国民に示し、そのために「今しなければならないこと」に優先順位をつけて、政策を遂行しなければならない。残念ながら、私が接した民主党議員で50年先の日本の姿の理想を答えた人はいない。自民党もそうなりつつある傾向がある。&lt;br /&gt;　政治家に求められていることは信頼性であり、将来性である。当該信頼性を、自分の発言を否定することによって、おとしめてしまう。それが「ぶれる」という表現にほかならない。&lt;br /&gt;　一度ぶれる発言をしてしまえば、後はなし崩し的にすべてが否定されてしまう。日本人は、個別案件に関する評価が苦手だ。結局人格批判になってしまう。そして「人として信用できるか」「政治家としてふさわしいか」というといに発展する。その問いは、明らかに否定を誘う誘導でしかない。戦後から今までの、戦前政治や天皇制に対する批判などは、まさにそのものだ。&lt;br /&gt;　批判勢力は無責任だ。そのことを熟知しながら、しっかりと対応しなければならない責任が政治家にはある。少なくとも首相という人物にはその責任が国民全員に対してある。&lt;br /&gt;　残念ながら、そのことで少なくとも現政権が「信頼性にかける」と判断される結果になっている。&lt;br /&gt;　この問題点の解消は、二つの方法しかない。一つは、一度出た発言は、実行すること。信念を曲げないこと。小泉純一郎首相の人気は、そこにあったといえる。つまり、道路公団民営化も、郵政民営化も、反対が出て、党を割っても実行した。何をしても反対勢力は存在する。それに期を使っていては何もできない。小泉政権は、自分や政党の都合ではなく、政権の目標と理想として断行した。それも、民主主義の原則に則り、多数決で議会を通して行ったのだ。安倍政権以降、今まで、そこまでの実行力は存在しない。&lt;br /&gt;　もう一つの方法は、前言を撤回するときは、その都度国民に謝罪し、また改めた理由を明らかにすること。理由が納得行くものであれば、だれも反対はしない。国民が不信感を抱くのは、まさに「何となく変わる」現象である。&lt;br /&gt;　要するに、国民は麻生首相における行動の基準がわからないということになる。どんな信念で政治をしているのか。どうして前言を撤回したのか。麻生首相にそれら信念がないとはいわない。しかし、国民が理解していないという減少がある。そして、それに対する対処がまったくされていない。麻生首相の国民とのコミュニケーション能力の欠如。それに対する周囲及び本人の対応の不手際。これにより国民の不信感はより高まっていると考えて問題はない。&lt;br /&gt;　第二に、自民党内における麻生執行部批判。これも無責任な行動のオンパレードだ。そもそも、国会で首班指名したときに、麻生太郎に自民党議員は投票した。だから、絶対多数で、麻生太郎が首相に指名されたのだ。それに対して、まず自民党議員は自分の責任として考えなければならない。しかし、自民党議員の多くは、それらを棚に挙げ、自分の選挙のために、自分の所属している政党執行部を批判する。「天に唾をはく」行為でしかなく、非常に格好が悪い。その批判、俗にいう麻生おろしは、自民党議員において、自分の選んだ行為の責任転嫁でしかない。&lt;br /&gt;　歴史的に見て、国、もしくは会社が滅びたり倒産するのは内部分裂である。ローマ帝国もそうであるし、帝政ロシアの崩壊も、日露戦争の敗北でほろんだのではない。ロシア革命によってソビエト連邦ができることによって、崩壊する。フランスルイ16世の死刑も、同じだ。日本では「ベルサイユのバラ」で有名であるが、結局は帝政フランスがフランス革命で滅ぶ様を劇にしている。外敵に攻められ、国が滅んだ例は歴史でも少ない。そのように見える場合でも、結局は裏切りものや売国奴が出てきて、最後の時を迎える。豊臣秀吉に攻められた北条氏がそうだ。長い間降伏か光線かを決めることができないでいた。「小田原評定」の語源となる行為があった。そのうえで北条氏の重臣松田憲秀の裏切りにより、北条氏は滅びる。その前の武田家の滅亡もそうだ。歴史に詳しくない人は、武田信玄の息子勝頼が、無謀に鉄砲隊の前に突撃し、大敗を喫したためにほろんだと思っている。世に言う長篠の合戦がそれだ。しかし、長篠合戦から、武田が甲州天目山で滅びるまでは8年もの歳月がかけられている。その間、武田勝頼は遠江国高天神城（現静岡県掛川市）をめぐり、徳川家康と一進一退の攻防を繰り広げていたのだ。武田信玄の時代「二十四人衆」という絵が残されるくらい、重臣の多くに守られた武田は、流し野の合戦依から８年も戦争を継続する国力に恵まれていたのだ。その武田が滅びるのもやはり内部の裏切りだ。親族穴山梅雪、木曽義昌など、重臣が次々と裏切り織田信長についた。最後も城などではなく山の中腹の小屋で滅びるのは、小山田信茂という重臣に裏切られ、あてにしていた城に入ることができなかったのだ。&lt;br /&gt;　その織田信長も、天下統一を目前にしながら、明智光秀の謀反、本能寺の変でこの世を去るのだ。&lt;br /&gt;　今の自民党は、この歴史の数々の例をみるまでもなく、結局内紛で下野しなければならなくなっている。だれが見ても、民主党がすばらしいのではなく、「自民党がだらしがないから一度民主党にやらせてみれば」という意思が働いている。自民党がしっかりしていればそうはならなかったであろう。&lt;br /&gt;　もちろん、第一の問題点のような麻生首相の言葉のブレなどもあるが、それをフォローすることなく、麻生おろしを行うのは、どうかしている。それならば渡辺喜美のように、離党すれば良い。&lt;br /&gt;　反麻生、反執行部、これらの発言を国民の感覚と勘違いして話している議員こそ、自民党の最大の敵である。自民が下野した場合の最大の戦犯は彼らと決めて間違いはない。麻生でも福田でもないのだ。裏切りものこそ罰せられる最大の敵だ。&lt;br /&gt;　これらを許すことが自由な意思表示と勘違いしているのかもしれない。しかし、あくまでも集団主義、政党政治を行わなければなるまい。執行部も、自身を持って、彼らを処罰するべきであろう。&lt;br /&gt;　第三に、情報管理。今の自民党は情報管理が甘すぎる。これはかなり大きな問題である。3月の小沢公設第一秘書逮捕のとき、漆間氏のオフレコ発言が外に出るという事態が起きた。これは、まさに情報管理の甘さを露呈した事件の一端であろう。官邸周辺、自民党本部周辺から、議員周辺まで、情報の管理徹底がまったくできていない。&lt;br /&gt;　第一の問題点で指摘した発言のブレも、ここに起因することが少なくない。官邸周辺が情報源となっている問題で、麻生首相が打ち消しの発言をするのは、まさにブレに通じる。解散時期や党本部・閣僚人事の問題など、私のように永田町で動いているマスコミにはかなり多くの情報が漏れてくる。もちろん、それで私たちは活躍できるのであるが、一つの情報が、誤解されたり、湾曲して伝わることが少なくない。情報を意識して漏らすのであれば、そもそも誤解されないような出し方をしなければなるまい。&lt;br /&gt;　オフレコ問題が問題になるのは二つのことだ。一つは情報が漏れるということ。もっといえば、漆間氏が悪いとはいわないが、軽率な発言をする人を官邸においておくというリスクを考えなければならない。もう一つは、情報が誤解されて伝わるということだ。それは、すなわち表現方法が悪いということと同時に、マスコミとの関係がよくないということを意味している。相互理解が足りないということだ。&lt;br /&gt;　情報が漏れ、軽率な発言をするということは、検討中や未確定情報が世に出てしまうということだ。検討の結果ではない情報だ。思惑で様々な動きが生まれてしまう。それを修正するのは、かなり困難であるし、一度出てしまった情報の管理をするのは難しい。ましてや、首相本人が決断していない情報を、首相の責任にされるのであれば、不信感が募る原因になる。&lt;br /&gt;　機密漏えいは罪である。決定していない情報や、個人の思想などは、誤解されないように情報が出なければならない。&lt;br /&gt;　一方、その誤解を招かない表現であるが、政治家本人の質にも問題がある。橋下知事の推進する地方首長連合に対し、細田幹事長は「お門違い」という。実際、地方首長が、地方自治という自分んたちの権利を求めて発言することは、お門違いではない。連合を組んで政党の支持を表明するというのは、いささか選挙を意識したプロパガンダだ過ぎると思う面もある。しかし、お門違いという単語で一蹴する話ではない。実際の真意はわからないが、このような発言が東国原宮崎県知事の自民党での出馬でも現れている。&lt;br /&gt;　自民党の議員は、しっかりとした理由を説明する能力にかけているのかと疑うことがある。実際、彼らがいわんとしている状況もわかるが、その価値観や環境を国民が共有しているものではない。にもかかわらず、国民全員にその前提で発言をするのはいかがか。&lt;br /&gt;　要するに、自民党議員は「議員バッチをつけていれば偉い」と勘違いしているのではないだろうか。内心はそれでも良いかもしれない。何万人という人に選ばれ、その意見の代弁者だ。しかし、それを選ぶのは国民であり、代弁者である以上、国民にわかりやすく説明する義務がある。いつの間にか、その義務を忘れてしまっている議員が自民党には多くなってしまっている。私は、別にカップラーメンの値段を知っている必要はないと思う。生活レベルを庶民に合わせる必要もない。しかし、永田町で行われていることや、自分たちが推進する政策を、国民にわかりやすい表現で説明する義務はある。&lt;br /&gt;　その意味で、情報の発信の管理もまったくできていない。何かをいえば反感を買うようになってしまっている。どんどんと、主権者である国民と乖離してしまうのである。&lt;br /&gt;　そして、マスコミの管理。自民党本部内を歩いていると、会議室の扉に耳をつけているマスコミを目にする。昔は国会でも「廊下トンビ」といって、そのような光景があった。自民党内では、いまだにそれが横行している。国会でなくなったのは、マスコミとの間にしっかりとした協定もあり、情報公開のシステムもしっかりしているからだ。これに対して、自民党ではそれがない。マスコミの管理はマスコミのある程度の取材の制限と、一方で情報の公開がセットになる。マスコミの「管理」といえば語弊があるかもしれないが、実際は、良好な関係を気づいていかなければならない。その中には「なれあい」ではなく、しっかりとした意見の調整が必要である。&lt;br /&gt;　自民党が、ここまでマスコミ管理ができないのは、一部議員が自分だけという感覚があること。政党として政策のコンセンサスがなく、情報の開示ができないこと。政局や執行部批判で国民を振り返っていないことの証明である。これでは、政策がないにせよ「政権交代」で統一した意見を持つ民主党に勝てるはずがない。&lt;br /&gt;　情報管理の中で、最後に付け加えなければならないのが情報収集と情報の取捨選択である。自民党は、いつの間にか殿様商売になってしまい、情報の収集も少ない。政局論になるが、政治家のスキャンダルでも自民党の収集力の不足が目立つ。これはひとえに外部スタッフの欠如が最大の原因である。収集に関しては、これ以上はやめておこう。興味のある人はメールをしてほしい。&lt;br /&gt;　いずれにせよ、自民党及び政府・官邸は情報に対する考え方があまりにも甘い。その結果が現在の自民党が示している。&lt;br /&gt;　最後に、民主党批判の的外れと国民とのコミュニケーションの欠如。&lt;br /&gt;　オバマ大統領は、その選挙戦でマケイン候補の個人攻撃をしなかった。共和党とマケイン候補の政策の批判はかなりしていた。しかし、スキャンダルで戦わなかった。ペイリン副大統領候補のスキャンダルは、日本まで聞こえてきたが、そのことと政策を結び付けてもいない。&lt;br /&gt;　自民党が政党である以上、政策で戦うべきであるし、政策を示すべきだ。今の自民党は、政府と立場を混同してしまってはいないか。&lt;br /&gt;　自民党は長年与党で「自民党＝政府」のイメージが強いが、実際は一つの政党に過ぎない。自民党は民主党の政策を批判し、その矛盾を広く国民に伝えることができる。それは政府の仕事ではない。&lt;br /&gt;　将来の政策を示すのも政党の役目だ。政府がいうのは決まったことである。&lt;br /&gt;　政党は、語弊があっても標語的にわかりやすい単語で国民とコミュニケーションをとることが可能だ。しかし、なぜかそのようなことをしない。&lt;br /&gt;　繰り返しになるので、どうかと思うが、わかりやすく説明し、わかりやすく将来を示すのが政党の役目だ。それを立法化するのが国会であり、実行するのが行政府の役目だ。そこを混同している自民党議員は少なくない。&lt;br /&gt;　要するに、自民党議員の中には、自分の立場がわかっていないということがある。もちろん民主党もほかの政党も同じだ。議員は憲法から学び直す必要があるかもしれない。&lt;br /&gt;　今まで、私の文章では民主党の批判を非常に多くしてきた。私自身、政策なき政治家などは不要と思う。小沢一郎のような数の論理で独裁を始めるのは、民主主義を愚弄する行為だ。それを避けるために、選挙前では、選挙の政策の争点をはっきりすべきであり「政権交代」という現象を争点とすべきではない。&lt;br /&gt;　しかし、それをいえる自民党議員も少ない。テレビ番組、殊に土日の討論番組などを見ていると、自民党議員にも失望することは少なくない。私は、自由が売りの「麻布高校」出身であるが、よく麻布の先生から「自由と勝手を間違えるな」といわれたものだ。今の自民党議員の執行部批判や、情報管理の不徹底は、「自由」ではなく「勝手・気まま」である。勝手な行動に責任を伴う意識はない。責任のない政治家に、そんな意識の政治家がいる政党を支持する国民は少ない。&lt;br /&gt;　少し時期遅れかもしれないが、自民党議員の猛省を期待する。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>うだがわ</dc:creator>
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<title>東京都議選と地方自治に関する一考</title>
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<description>東京都議選と地方自治に関する一考 　今年、平成２１年７月１２日に東京都議選が行わ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;東京都議選と地方自治に関する一考&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今年、平成２１年７月１２日に東京都議選が行われる。報道では、千葉市長選挙と、静岡知事選挙、そしてこの都議選が次にくる総選挙の前哨戦として注目されている。&lt;br /&gt;　しかし、不思議なのは、「地方分権」を言いながら、地方選挙が国政の前哨戦とはどういうことなのか。観念的に、選挙は民意と言うことがある。一方で、都政と国政は別という観点がある。自民党・民主党を含め、多くの人がそれを誤解しているのではないだろうか。今回は、その辺を少し検証してみたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　６月２３日朝の報道で、大阪府の橋下知事が民主党に対して「政権担当能力がない」とした。産経新聞（２２日インターネット版）より。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「民主に政権担当能力なし」道州制めぐり橋下知事が酷評&lt;br /&gt;6月22日21時22分配信 産経新聞&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　大阪府の橋下徹知事と民主党との間で、地方分権のあり方をめぐり認識の違いが際立ってきた。国直轄事業負担金制度の廃止を掲げる民主党を高く評価してきた橋下知事だが、先週からは一転し、党が描く“道州抜きの国家像”を繰り返し批判。２２日には報道陣に向け「政権担当能力がないと言われても仕方ない」とまで酷評したのだ。&lt;br /&gt;　橋下知事は次期衆院選で特定の政党を支持すると宣言しているが、道州制に関する見解の違いが今後の判断に影響する可能性も出てきた。&lt;br /&gt;　大阪市内で１７日に開かれた民主党府連主催のシンポジウム。橋下知事は党の分権構想を「官僚主導の国の形を変えるものだ」といったん持ち上げた後、続けてこう批判を繰り広げた。「ただし、基礎自治体の次が（道州ではなく）国だというなら、それはとてつもない中央集権の国だ」。&lt;br /&gt;　府連代表の平野博文衆院議員は「基礎自治体が広域連合を組めば対応できる。（知事と）認識が異なっているとは思わない」などと応じたが、やり取りは最後まで平行線をたどった。&lt;br /&gt;　民主党は、全国約３００の基礎自治体と国からなる「２層構造」の国家像を提唱しており、次期衆院選の政権公約（マニフェスト）にも盛り込む見通し。これに対し橋下知事は、自らの立場を「道州制論者」と明言し、国、道州、市町村の「３層構造」に向けた自治体再編を主張している。&lt;br /&gt;　知事は、２０日に大阪市内であった民主党国会議員らとの会合で「他の自治体の長と連絡を取り合ったが、僕の仲間ではだれ一人賛成しなかった」と訴え、道州制の導入を検討するよう提案。さらに「民主党の責任者と広域行政について討論したい」と公開討論の場を設けることも求めた。&lt;br /&gt;　これに応じ党側は、原口一博衆院議員らが党の方針を説明すると府へ連絡。橋下知事が７月の上京の際に党本部に出向くなどし、公開の場で意見を交わすことが決まった。&lt;br /&gt;　民主党の分権構想を絶賛し、自民党の国会議員に対して「このまま選挙になれば自民、公明は必ず負ける」とまで言い切った橋下知事。その“豹変（ひょうへん）”ぶりに民主府議の一人は「道州制に関する認識の違いは前から分かっていたはずだ。どうして突然批判を始めたのか」と首をかしげる。&lt;br /&gt;　２２日、一連の民主党批判の意図を記者に問われた橋下知事は「まあ、そのへんはね、いろいろと…」とかわし、続く言葉でこう述べた。「２層構造が最終ゴールだというなら日本は滅びます。なぜ民主党がみんなで議論してオッケーしたのか、てんで分からない。自民、公明からは２層構造なんていうものは絶対に出てきませんから」。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　以上が産経新聞の記事だ。&lt;br /&gt;　この中で、政策の違いに関してとやかく言うつもりはない。政局論としてもっとも注目するのは、中段の記事。＜民主府議の一人は「道州制に関する認識の違いは前から分かっていたはずだ。どうして突然批判を始めたのか」と首をかしげる。＞である。民主党は、政局論として適当なところで合意し、最終の詰めまで行わない。そのほころびがでると、突然、政局とか、「突然」などと言って、根本的に政策が違うことを一切棚上げした議論を行う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　道州制や地方自治に関しても同じだ。「何となく与党批判」が、最終にくるとひっくり返る。他の政策も同じであるが、今回は地方自治に関して考えてみよう。&lt;br /&gt;　民主党の目指している政策は、完全なる中央集権国家だ。その「中央」も、官僚組織を破壊して、政治家を１００人以上霞ヶ関に送り込むということを言っている。これは、ただ単に、民主党の国会議員が行政府も選挙するということを示す。日本国憲法の三権分立の理念を壊し、「民主党独裁」の道を開くものだ。今回の地方分権に関しても、民主党独裁にじゃまな者は排除すると言うことを意味する。「全国約３００の基礎自治体と国からなる「２層構造」の国家像」は、橋下知事の指摘通り、「基礎自治体の次が（道州ではなく）国だというなら、それはとてつもない中央集権の国だ」となる。このことに関しては、７月に公開討論が行われるらしいので、討論の行方を見守ろう。&lt;br /&gt;　官僚組織の腐敗、官僚の行き過ぎや犯罪があることは明確である。昨今の「積立金疑惑」は、地方自治体の官僚にも腐敗が広がっていることを示す。しかし、腐敗の根底は「官僚」ではなく、「組織の硬直化」である。絶対的な権力と、その権力構造の「仕組みの改革」なく、組織を破壊して、他がその組織には行れば、次の組織が腐敗をするだけだ。その腐敗が明るみにでる前に、巨大な不正と、国民の損失が発生する。&lt;br /&gt;　組織の腐敗は、もう一つ、「権力の集中」によって発生する。兼職のない者に腐敗は発生しない。なぜならば、権力の不正確な運用こそ腐敗の姿だからだ。不正確に運用し、私腹を肥やしたり、恣意的は判断をしたりすることが腐敗の姿だ。その腐敗がカビのように広がり、組織を蝕む。これが組織腐敗の姿である。官僚は、官僚組織に日本の行政権力が集中した。この行政権力を不正確に運用することが、最大の問題だ。この解決方法は、本来、チェック機能を高めることと、権力を分散し集中させないことによって行われる。しかし、民主党の政策は。中央集権化し、その権力をより集中させて、自分の党で制御するという。橋下知事の道州制は、チェック昨日と国・地方の橋渡しを道州が行うという者である。権力と腐敗に関する考え方が全く異なる。橋下知事に批判されてもおかしくない政策だ。&lt;br /&gt;　民主党は、地方選挙を国政の政局の道具としか思っていないようだ。そもそも、都議選挙は、都政に関しての選挙だが、何故国政の政権交代が論点になるのか。鳩山代表も、岡田幹事長も、何故都政について議論をしないのか。演説ができないのか。簡単である。現在の都議会は民主党も自民党も与党だ。同じと制で同じ与党の議員が、選挙で対決することはできない。逆に、都議で与党でありながら国政で対決しなければならないということ自体が、地方行政無視ではないのか。橋下知事は、政策を通して、民主党のそれらの態度を批判しているのだ。彼らは、口で言っていることとやっていることが異なる。理念としていっていることが、政策に繁栄されない。強いて言えば、口で言っていることを信用できない。それで政治を語ることは妥当か、と言うことだ。&lt;br /&gt;　都議選、そのほかの地方選挙について今後も投票が行われる。しかし、それらの論点が、との地方自治体の行政になっていることは少ない。国会の中継ばかりで、地方行政に関しては国政の対立構造が援用される。しかし、実際の地方行政はそういうものではない。そのこともわからずに、ただ単に国政の延長戦に地方選挙を見るのはどうか。地方行政の中にまで、今まで無かった無用の対立を作り、政権交代を叫ぶ姿は、違和感を感じる。また、それに対応している国民やマスコミも、地方行政をしっかりと理解しなければなるまい。地方行政を、麻生や鳩山がやるのではないのだ。&lt;br /&gt;　地方自治に関しては、地方自治に関する議論が必要だ。その議論は、国と地方の関係、地方行政のあり方、具体的な業務の分担や経費の分担、財源、安全保障や災害時の関係など。理念ではなく、具体的な議論がされなければならない。そのときに二階層ということも、道州制も、あるいはすべて国政の直接統治という意見もあっておかしくない。そこは議論を行わなければならないであろう。その議論を「まやかし」ですませてはならない。そして、それらは、すべて財源を含める政策論によって議論される。理念やスローガンではない。ましてや、国政の政権交代でもない。&lt;br /&gt;　間違った地方自治体へのアプローチは、それを指摘し、批判しなければならない。ごまかす態度は政治家にもっとも無用なものだ。それらを考えながら、地方行政を考えなければならないであろう。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>うだがわ</dc:creator>
<dc:date>2009-06-25T23:44:59+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/2009/06/post-b716.html">
<title>北朝鮮のミサイル騒動とその後継者問題</title>
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<description>北朝鮮のミサイル騒動とその後継者問題 　今、北朝鮮が熱い。というと、何かのキャン...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;北朝鮮のミサイル騒動とその後継者問題&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今、北朝鮮が熱い。というと、何かのキャンペーンかイベントのキャッチコピーのようである。しかし、そのようなプラスの作用が働くものではなく、単純に危険という意味である。でも、ただ危険と言うだけでなく世界の人々の耳目を引きつけている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私は、ここしばらく本の原稿を書いていたために、少し籠もったり、意識して人とあわなかった。それにより、あまり情報を入れていない。ちなみに、政策の争点を書いた「今の論点ハンドブック」（成甲書房）が７月１日に発売される。この文書の焼き直しのようなところもある。ただ、一応オリジナルなので、かって読んでもらうとうれしいです。その後、７月７日に「民主党の闇」と言う本を出します。政局の本ではなく、影響団体に左右される民主党政策を、事件の視線で見てみる本です。これも、是非選挙の前に目を通していただきたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さて、個人的な宣伝はここで辞める。&lt;br /&gt;　そんな本を書いていたので、すっかり浦島太郎になってしまった。そんな中で、６月１４日に、国連安保理で北朝鮮制裁決議が出されたという。中国の関係でいくらか譲歩したものの、北朝鮮行きの貨物船の臨検を各国に要請するなどが記載された。その内容は、前回の人工衛星発射の議長声明とちがい、内容はかなりきつくなっている。&lt;br /&gt;　実際に、大陸間弾道弾に転用可能なロケットの発射、地下核実験の実施、プルトニウムの取り出し、短距離スカッドミサイルの発射と、ここのところ北朝鮮は核兵器による威圧行為を継続しておこなっている。&lt;br /&gt;　この件に関して今回は考えてみたい。考える手法として、まずは北朝鮮の内部の政治状況。北朝鮮のない部分析に関しては、多分に推測の域を出ない可能性があることをあらかじめ了解願いたい。次に、国際社会の反応。国連安保理だけでなく、世界情勢から見たこの威嚇行為をどう受け止めるかということ。そして、最後に日本政府の対応。選挙が近いので、与野党のこの事件に関する雑感を交えて書いてみたい。&lt;br /&gt;　まず北朝鮮内部の状況だ。&lt;br /&gt;　北朝鮮の内部は、現在混乱期にあると言ってよい。１５日に国連安保理の決議に反対するデモがピョンヤンで起きた。約１０万人賭参加が伝えられるが、そこに金正日国家主席の姿はなかった。金永南首相の参加が伝えられている。金正日国家主席の病状の悪化は、かなり深刻であると伝えられる。数年前から重度の糖尿病が伝えられ、昨年糖尿病からは征する脳梗塞が言われている。復帰や無事という報道が多く北朝鮮からは流される。しかし、実際、それらを見れば見るほど、金正日の病状の悪化を疑う結果になる。&lt;br /&gt;　多くの日本人のイメージでは、北朝鮮は金正日主席の個人独裁であるというイメージがある。北朝鮮人口が約２０００万人と伝えられるが、小さな国でもさすがに個人で独裁は難しい。聞くところによれば、金正日主席を頂点とする少数集団統治体制であることのこと。結局金正日主席が重病であっても国家の統治には大きな影響がない。たとえば彼が突然死んだとしても、急に自由主義国家になることはないのだ。北朝鮮は、社会主義の共和国である。その内情は共産党という一政党の独裁と、人民解放軍の統制によって成り立っている。この政治と統制がなくならない限り、現状の国の形が急に変わることはない。&lt;br /&gt;　では、何が「混乱」しているのか。非常に単純で、二つの主導権争いが全面に出てしまっている。一つは、共産党と人民解放軍の主導権争い。そしてもう一つが、その二つの集団のトップの主導権争いである。そして、これらの中にはそれぞれ傀儡となるヘッドを擁立している。それが金正日の三人の息子達だ。金正男、金正哲、金正雲の三人が、後継者として名前が挙げられている。このうち、北京・マカオを往復している金正男に関しては、日本のマスコミなどにも露出が多い。最近の消息なども注目されている。しかし、他の二人に関しては、その素顔があまり知られていない。正雲に関していえば、子供の頃以外の写真すらない。この正確もわからない三人が、主導権争いのトップに祭り上げられ、死闘を繰り返している、と報道される。&lt;br /&gt;　これら報道は、テレビの「昼メロ」のごとく、おもしろおかしく報道されている。実際はそんなものではないのであろう。ただ、北朝鮮が対外的に強攻策を採る場合は一定の法則があるということだ。すなわち、北朝鮮内部の政治体制が、安定していないときである。今手元に資料がないので、正確な年代は別にして、９０年代後半のノドン三陸沖着水のと気がはじめとする。安倍幹事長時代のテポドン７連発、今年の人工衛星と地下核実験、いずれも金正日の健康不安または国外旅行時であるのがわかる。安倍幹事長の時は、金正日は中国の南部にいたし、その前の時はロシアに滞在中であった。そもそも今回の元となる六カ国協議離脱は、金主席の脳梗塞が伝えられていた。今回は、後継者問題で国内が荒れているのである。&lt;br /&gt;　北朝鮮は、基本的に国内の矛盾を抱えている。国民が権利意識に目覚めたとき、その矛盾は顕在化する。もちろん、「権利意識」という単語には様々な意味が含まれる。日本で言うところの様々な「基本的人権」がある。しかし、その中において、彼らにおける最低限の「権利意識」は生きる権利であろう。言論の自由や、資本主義という話は、二の次三の次である。生きるために、または子供など家族を生存させるために、何をしなければならないか。ここで、金正日指導者の下、人民政府に従うという選択肢がある。しかし、その基本姿勢が揺らぐときがある。この内容は二つ。一つは、指導に従っているのに生きていけないとき。もう一つは、金正日ではない指導者が出てきたときである。この場合、国内は動揺する。そして、人民政府は、その国内の動揺を解消するために、外国にその責任を転嫁する。その悪い外国の中心が「米帝」ようするにアメリカである。日本や韓国は、「米帝」の属国または同盟国であり、国連という悪の組織を作って北朝鮮に害をなす。人民政府は、人民を守るのに手一杯で、一人一人の生活を守るまでは、うまく行かない。と言ういいわけをする。これこそ、「排外主義外交」の典型であるといえる。そして、「このままでは米帝に占領され、もっと大きな害悪を押しつけられる」として、国民の団結を呼びかけるのだ。&lt;br /&gt;　これらは、徹底した情報の封殺と、高等教育の禁止、そして日々の洗脳によって行われる。情報の封殺と高等教育の禁止は、国民に考えるという行為を禁止させる高等教育がなければ、現状に疑問を持つことはない。それにより、考える習慣がなくなる。一方で、情報の封殺は、考える材料を与えなくする。考える材料がなければ、当然に思考を停止せざるを得ない。情報があって、その情報と時分のおかれた環境を比較することによって、人は施行を開始する。しかし、考える習慣と、考える材料が化ければ、思考は停止したままとなる。要するに社会を小さくする。国民一人が考える「世界観」を彼の見える範囲に限定すれば、当然に比較は小さな社会で行われ、不満が少なくなる。米帝が的であるという洗脳は、一つは排外主義もあるが、一つは、外界を遮断する材料となる。海外の情報がすべて米帝に支配されているとなれば、海外の情報を信じる人もいなくなる。洗脳は、この家庭で毎日刷り込みを行うためにされるものだ。これにより、北朝鮮人民は、排外主義を信じ、指導者の下で団結を行うのだ。&lt;br /&gt;　この、排外主義外交の象徴として、ミサイルが存在する。そして核実験が存在する。要するに、一つは北朝鮮の要求を通すための外交手段としている。しかしそれだけではなく、国内の矛盾の解消にも軍事力を使っているのだ。そして、それは金正日の抑えが効かなくなったときに、共産党、または人民解放軍によって行われるのである。&lt;br /&gt;　同時に、北朝鮮の内部における勢力争いも繰り広げられている。後継者が正雲と言われているが、当然にその素顔は国内でも知られていない。共和国で後継者というのも変な話ではあるが、独裁政治にはそのような話はつきものだ。この正雲に取り入ろうという勢力が、過激な行動に出ることもある。注目を集めるために、非行にはしる子供と一緒だ。上記のように、高等教育の禁止と、情報の封殺が行われているのである。そのような精神的に幼い行動に出てもおかしくない。北朝鮮の内部の事情はこのようなところである。&lt;br /&gt;　さて、次の論点に移る前に、高等教育をしていないということについて一つのエピソードがある。朝鮮高校の生徒に聞いた話である。倫理の講義の時間という。ラジオが壊れた。そのラジオからは金正日の声が聞こえてきていたモノだった。では、ラジオを壊した者は不敬罪にあたるか、と言うものである。もちろん、ラジオが壊れたのは事例であり、実際の事件ではない。しかし、そもそもテーマの設定が興味深い。もっと興味深いのは、その問いを出された生徒の反応だ。&lt;br /&gt;　一部の生徒は、金正日の声が聞こえるということは、中に金正日主席の魂が含まれているので、それを破壊したのだから不敬罪だと主張する。一方、別な集団は、米帝の悪の誘いもラジオから聞こえるので、魂が入っているはずはないという。先の集団は、金正日主席の魂は、米帝とラジオの中で戦っているという。一方で、化学的に、これは道具にすぎないという人もいる。この議論を延々数日間続けるというのだ。感想などに関しては、個人で考えていただきたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　次に、国際社会の反応。&lt;br /&gt;　国際社会と言うが、国連加盟国の中でも、対応は異なる。日本の報道ではさも全世界が北朝鮮と敵対し、北朝鮮が孤立しているかのごとく報道されている。しかし、実体は、積極的な敵対。消極的な敵対。無関心または自国の環境で他国のことまで考える余裕がない。北朝鮮を保護。のという四種類の対応が混在している。&lt;br /&gt;　日本や韓国は積極的敵対に属している。アメリカもそうだ。日本は当然にその報道を中心に行う。拉致、核という二つのアレルギーを北朝鮮に持っているのだ。その上日本人には集団主義的なところがあるのだから、当然に時分と同じ意見のところが多いように報道する。&lt;br /&gt;　しかし、世界の情勢は必ずしもそうではない。常々、私が主張しているが、日本のマスコミは「水戸黄門現象」に侵されている。日本人視聴者がそれを望んでいるのかもしれない。しかし、大衆に迎合し、望まれる報道ばかりをしてはならない。ある意味で偏向報道・イエロージャーナリズムである。事実は、視聴者が望む望まないに関わらず、しっかりと伝えなければならない。　&lt;br /&gt;　消極的に北朝鮮に反対しているのが、多くの国々である。核兵器が拡散することは、あまり望ましいことではない。しかし、北朝鮮のミサイルが自国に被害を与えることはない。よって消極的な制裁参加になる。&lt;br /&gt;　北朝鮮への制裁に消極的に反対している代表は中国である。日本では中国が指示しているかの報道が大きい。しかし、たとえば・イラン・パキスタンなど、核の技術やウラン功績の販売を行う国は、制裁に反対だ。そもそも、核不拡散条約は、すでに核の保有を認められた国の優位性を確保する条約と言われる。その側面から世界を見れば「なぜ他の国だけ核をもってよいのか」という議論になる。そうなれば、北朝鮮の行為は、その特権の国に対する挑戦と言うことになる。「挑戦」がおかしければ、「疑問を投げかけた」としてもかまわない。積極的に北朝鮮の行動に対して支持はしないまでも、核不拡散条約に対する疑問をこのような形で出す国は少なくない。とくに、経済的な利害がある場合はなおさらだ。技術・資源、施設の売買などから、兵器売買まで、北朝鮮と国交を持っている国は少なくない。特にイスラム諸国に多いのは、アメリカを中心とするキリスト教文化との対立も掲げられているのかもしれない。&lt;br /&gt;　しかし、それより多いのが、無関心であろう。内戦を行っている国や、そこまで経済が発達していない国は、遠いアジアの核問題などに興味はない。自国の発展と、国民の生活の方が大事だ。日本の報道においては、これらの国々について何も報道されないが、たとえばソマリアというか遺族で話題になった国などは、この問題に何ら関係がない。まずは、自国の治安が大事で、その次に海賊に頼る生活形態の解消が大事だ。「国際問題」といいながらも、これらの国々に関する配慮が、日本のマスコミには欠けているのである。&lt;br /&gt;　さて、そのような世界各国の状況から、「安全保障理事会」でしかなく、国連加盟国全体の決議にならないのである。&lt;br /&gt;　古い話だが、ブッシュ前大統領は、演説でイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸国」と言ったが、これは「国連の敵」と言う意味になる。国連は、いかにも一つの国際的な機関のように思うが、実際は「ユナイテッド・ネイションズ」要するに「連合国」の略称だ。要するに国連とは、日独伊三国同盟の枢軸国に対抗した連合国である。枢軸国に対する軍事同盟連合体の日本語誤訳でしかない。その国連の決議に自衛隊をゆだねるという民主党前代表のご意見は、これらのことをわかっているのであろうか。イメージで物事を判断するのは恐ろしい。ブッシュ演説に戻ろう。ブッシュは、悪の枢軸国と演説した。これは明確に「連合国の攻撃対象」と言うことを示したものだ。日本は、第二次世界大戦当時は枢軸国であったが、今は連合国の中枢だ。ブッシュ演説をまともに踏襲すれば、北朝鮮の敵は連合国となる。攻撃対象には、当然に日本が含まれる結果になる。それは「平和憲法」「戦争放棄」などという言論の世界ではなく、実際にミサイルが飛び、飛行機が押し寄せる行為として行われることになる。そのときに、上記の世界情勢の認識は必要だ。世界各国が日本の味方ではない。自国の内部で手一杯、極東の紛争に手を貸せない国はたくさんあるのだ。&lt;br /&gt;　そのことをしっかりと認識すべきではないだろうか。そして、そのことを国民にしらせる義務が、マスコミにはあるのではないだろうか。&lt;br /&gt;　現在、日米安保条約が徐々に形骸化しつつある。「第七艦隊しかいらない」という発言を政治家がする時代だ。そのようなときに、日本が「攻められたとき」国連や国際社会は何をしてくれるのか。&lt;br /&gt;　最後に日本政府、及び与野党の対応に関して考えてみたい。&lt;br /&gt;　国際社会がこういう状態であると言うことは、自分で自分の国を守らなければならないということだ。現在、各国、特に北朝鮮周辺の五カ国が軍事費をあげている中、日本だけが軍事費（防衛費）を削減している。もちろん、国全体の税収と言うこともあるが、「第七艦隊しかいらない」「軍事費は削減する」というのは、安全保障という意味で矛盾している。&lt;br /&gt;　日本政府は、国民を守るために、常に最悪の事態を想定して物事を考えるべきである。突然隕石が降ってくるとか、ＵＦＯとかと言うことは、想定されても余り対処はしなくてよい。しかし、現実にミサイルが日本の頭上を通り越して発射された事実を見ると、戦争または戦闘行為に発展する可能性は考えられる想定である。当然に「防衛のための戦争」は、考えなければならない。また、そのときに日米安保がうまく機能しない、または遅れると言うことも想定しなければならない。アメリカは民主党の小沢の対応に対して、あまり快く思っていない。民主党優勢の状況が続けば、安保条約の事実上の解約と言うことも視野に入れる可能性がある。その場合は、完全に日本が独自に自国国民を守らなければならない。「日本は日本人のためだけのものではない」などと言っている場合ではないのだ。&lt;br /&gt;　政府は、何よりも緊迫した北朝鮮情勢を分析しなければならない。そして、それに対してしっかりと対処する必要があるのではないだろうか。具体的には、少なくとも自衛隊の軍備の整備、資材や食糧の備蓄、国民の避難の経路確認などだ。&lt;br /&gt;　実際、日本は本土が戦場となることは想定していない。しかし、科学技術が進歩し、ミサイルで攻撃ができる時代だ。空中でも、至近距離で核ミサイルが爆発すれば被害がでる。Ｂー２９が空襲にくるのとは違う。その科学の進歩にあわせた防衛が必要である。&lt;br /&gt;　それだけではない。情報の入手も必要だ。当然に、現在も諜報活動はしていると思うが、日本の報道機関の報道では、必ず「聯合ニュース」「アメリカ軍」というところが出所となる。日本の機関は出てこないのだ。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 報道しないからといって、政府が何もしていないわけではない。国会やマスコミの批判のように、政府は無能ではない。しかし、その情報がアメリカや韓国に遅れているようではどうしようもないのだ。商社や、その他の情報を組織的に得る工夫などが必要ではないか。今一度、世界各国につながる日本人のネットワークを考えるべきである。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 今は、政局を考えるべき時ではない。何かにつけて選挙という話ではなく、しっかりとした安全保障と外交に関して話をすべきである。党首討論などで、しっかりとその政策を見極めなければならない。政権を取ってから考えるなどという猶予は、今の日本にはないのだ。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 国民もそのことを肝に銘じて政治を見てほしい。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>うだがわ</dc:creator>
<dc:date>2009-06-21T22:59:24+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/2009/06/post-80dc.html">
<title>世界最大の自動車会社の倒産</title>
<link>http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/2009/06/post-80dc.html</link>
<description>世界最大の自動車会社の倒産 　６月１日にアメリカで世界最大の自動車会社が倒産する...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;世界最大の自動車会社の倒産&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　６月１日にアメリカで世界最大の自動車会社が倒産する。アメリカのビッグスリーと言われる基幹産業の一社、ゼネラルモータース（ＧＭＦが倒産するのだ。倒産を予告するのも変な話であるが、再建計画の提出期限が６がつ１日であり、取引先に対する債権放棄の合意が取り付けられない状況では、法的な整理にならざるを得ない。アメリカの破産法、日本では会社更生法に類似した倒産手続きが申請される見通しだ。アメリカのオバマ大統領は、昨年から明るみになったリーマンショックの処理を進めた。その上で金融機関の引き締めをした結果、ビッグスリーが予想以上の経営悪化が明るみになった。アメリカ政府が資本を注入し、実質的に国営銀行になった金融機関各社は、ＧＭに対して経営再建計画の提出を求めた。この場合の再建計画は、それができなければ金融支援を行わないというものである。金融機関が金融支援をしないというのは、新たな借り入れができないというものではなく、それまでの預金の差し押さえなどを意味する。当然に債務超過を引き起こすか、決済手段の不渡りが発生する。銀行取引停止処分となり、結局のところ会社が倒産すると言うことだ。&lt;br /&gt;　ＧＭは、当然のごとくまず経費の削減を行った。不採算部門の閉鎖や経費削減。過剰生産の調整と工場の閉鎖。工場閉鎖にあわせた人件費削減、要するに従業員の解雇や退職者恩給（年金）のカット。不採算販売店・ディーラーの閉鎖。そして、取引債権をはじめとする債権の猶予またはカットである。しかし、それらもなかなか計画通りにうまく行かない。アメリカ最大、ビッグスリーという看板がこう言うときになるとじゃまになる。従業員は、それらの内容に関して全く関知せず、当たり前のことであるが会社の正否よりも自分の生活を先に主張する。組合などが力を発揮し、会社の経営よりは労働者の権利を主張する。債権者やディーラーに関しても同じだ。また資産の売却も進まない。当然に工場などは閉鎖してもすぐに売却できるものではない。結局再建策そのものが頓挫するに至ったのだ。ホワイトハウスの報道官は、５月２７日の段階で、６月１日にオバマ大統領が重大な決断をするという意味の会見を行い、ＧＭの破産法申請が決定的になったという観測が強まった。&lt;br /&gt;　倒産の理由は様々ある。もっとも単純なのは債務超過に陥ったことである。しかし、中小企業ならばいざ知らず、世界での新車販売台数一位を続け、世界最大の企業規模を誇るＧＭが、そんなに簡単に倒産するはずがない。このニュースでは、よくリーマンショックが引き合いに出される。しかし、リーマンショックで、世界最大の自動車会社が倒産するのであれば、それより小さな規模の会社は壊滅状態になっているはずだ。そのようにならないのは何故か。その原因を探る努力をしてみよう。&lt;br /&gt;　まず、会社が倒産するのは債務超過である。債務超過は、出て行く資金が多く、入ってくるカネが少ない状態の時に発生する。あえて「出て行く資金」「入ってくるカネ」と記載したのは、通常会社の経営の場合、売り上げばかりではない。借り入れや出資なども経営の数字の中には入ってくる。日本語のバランスシートでは「貸方」「借方」というが、ここの中で重要な項目になるのだ。金融支援が得られないとは、この中での借入金が新たに得られなくなるばかりでなく、資金の引き上げなど、今まで融資してもらった金を返さなければならなくなる。&lt;br /&gt;　昔、ダイエーの中内功社長が、小売業の大会の後の懇親会で、「金を借りるというのは、数パーセントの現金で億・兆のカネを買うようなものだ」と発言していた。金利さえ払っていれば銀行はいくらでも金を貸してくれる。中内社長は、バブル期の金融機関の態度をそのように言っていたのだ。ダイエー絶頂期、ちょうど南海ホークスを買収し、福岡にホークスタウンを作った時期だ。当然に、皮肉や嫌みの発言ではない。本気でと言えば語弊はあるが、中内社長でもそのように思う程度の風潮であったことは間違いがない。その後バブルがはじけて、その勢いで借り続けた有利子負債の弁済を求められるようになる。当然に採算事業ばかりではない。そもそも景気が後退しているのに、ダイエーだけ右肩上がりに売り上げや業績を伸ばせるはずはない。その結果は、ここで語らずとも現状が表している。&lt;br /&gt;　ＧＭも同じである。リーマンショックを引き起こしたサブプライムローン問題。これはなにもないところで問題だけが発生したわけではないのだ。あまり詳しく解説はしないが、要するにアメリカ版バブル崩壊である。当然に、詳細は違うかもしれないが「問題」「ショック」の前にバブルがあった。その利益が続かなくなって、ある日突然問題が顕在化するのだ。ＧＭにとっても同じで、ダイエーのように業績に関わらず金融機関から資金を調達できた時期があるはずだ。そのとき調達した資金がうまく回らなくなった、具体的には返せなくなったのだ。また、つなぎ資金程度ではだダメな規模で、なおかつ、根本的な問題が混在しているといえる。ダイエーでは語弊があるので、私が勤めていたマイカルでは、当然に小売り不況というものが売れない状況の中で、拡大戦略を継続し、その拡大戦略が全てとは言わないまでも、全体をカバーできるほどの業績を残すことができなかった。それを、不動産証券化（信託証券化）によって、一時期のキャッシュフローは切り抜けたものの、後が続かなくなった、ということである。そのような状況にならなければ、会社が倒産するはずはない。資金が回らなくなったから、会社が倒産するのだ。&lt;br /&gt;　では、何故資金が回らなくなるのか。当然に、売り上げが伸びないからである。もっと言えば、他の事業の投資または経費分を、売り上げで補うことができなかった。また、それが将来に対する期待も薄いことから、金融機関が融資しなくなったということになる。売り上げは、既存の売り上げと、その売り上げの実績の積み重ねによる将来への期待が、一つの基準になる。将来事業が縮小するところを相手に、多額の融資をする金融機関は皆無に等しい。そのようなところに融資をすれば、逆に会衆の期待可能性がないところへの融資となり、実質的な利益供与として代表訴訟事由になる。金融機関はそこまで覚悟して融資をすることはない。相手が、世界一の売り上げを誇るＧＭ出会っても、斜陽企業に対する金融機関の反応は冷たい。バブル期に借りてもらうときと態度は一変する。アメリカのように訴訟が多額化する場合はなおさらだ。&lt;br /&gt;　では、何故世界一の販売数を誇るＧＭは凋落下のであろうか。私が経験したＭ＆Ａの中で、マイカル時代に京都にある１８店舗を持つ京都厚生会というスーパーマーケットがあった。ここは、本業である小売業はそれほど悪化していなかった。もちろん、現在のような大型スーパーマーケットのような店構えではなく、地元商店街の中にある小型食品スーパーマーケットである。大型化・多角化の展開は難しく、発展性は少なかったが、逆に、地元の顧客から毎日の食材や総菜を徒歩や自転車で買いにゆく店舗として、堅実な数字をあげていた。しかし、本業と違うところで、この会社は京都府久美浜にコンドミニアムを建設し、リゾート事業に手を出した。しかし、これが失敗し、結局会社更生法を申請したのだ。倒産の形態には、この京都厚生会のように本業の不信ではなく、身の丈に合わない新規事業への出資が原因となるケースがある。これは、単純にその新規事業分を切り離して本業のみとして再生することが可能だ。バブル期には、リゾートブームでこのようなケースでの倒産も数多くあった。&lt;br /&gt;　しかし、ＧＭの場合は違う。キャデラック・シボレー・ハマーといった日本でも有名なブランドを保有し、同時にサタンなど小型車事業にも手を出していた。１９３１年に世界の新車販売台数が１位になり２００８年にトヨタにその座を明け渡すまでずっと１位にあり続けた。逆に２００８年に一位の座をトヨタに明け渡さなければならないほど、売り上げが落ちていたということになる。要するに本業での不調がそのまま倒産に結びついたということである。同時に売り上げが落ちていても、その状態における経費のカットが思うように進まなかった。直接雇用２４万人と言われる労働組合は、その数のメリットから強大な力を持ち続け、万全の福利厚生を要求した。賃金も現在の日本の製造業に比べれば雲泥の差であり、その故ｙ学な給与を元に算定した退職者年金は、経営を圧迫したのである。&lt;br /&gt;　マイカルの時も同じであるが、労働組合とはなかなかその要求が難しいものである。何よりも従業員の福利厚生や人件費のアップを要求すると言うことは、経営者側から見れば経営における経費を多く掛けさせると言うことだ。経費が多額にかかれば、それだけ、事業拡大などの原資が無くなると言うことを意味する。リストラという名の解雇を反対するが、それを、経営危機状態で強く要求すれば会社そのものが倒産し、他の健全な労働者の権利もすべてを失ってしまう。会社経営を圧迫するほどの要求は、かえって労働者全体の権利の喪失につながるのだ。言い換えれば、労働組合が、周り回って労働者を失業の憂き目にさらす結果になりうると言うことだ。とはいえ、そのことを配慮して経営者と妥協して会社の存続をはかり、経営者側の提案に従えば、そのまま弱腰交渉、御用組合と揶揄される。特に、組合の長が変わったときは、何らかの結果や成果を遺さなければならない。組合は、組合の長のプライドと会社の存続と言うことの狭間におかれる。マイカルの場合、小林会長がリストラ（解雇）は市内と言ったが、２０００年に宇都宮社長は、経営建て直しのために人件費削減に着手する。この内容は、子会社１２０社の経営者の解雇（取締役であるため辞任要求）と、希望退職制度の採用である。労働組合は、これに反対するが、宇都宮社長はこれをしなければ会社が無くなるとして断行。その後リストラを行った責任をとると言うよりは、組合の要求に従い、会社の危機をもっとも知っていた宇都宮氏は兼務していた１会社の役員すべてを辞任する。労働組合は自らの面目を保つために、宇都宮氏を辞任に追い込んだが、一方でその後の経営に関しては無頓着に「責任をとらせた」と宣伝した。しかし、その結果は、ここの文書でも何度もご披露したように、マイカルが倒産する憂き目にあう。マイカルの倒産は、時代に則さない経営とか、山下幸三氏による無計画な不動産証券化、会社従業員のモラルの低下と様々ある。モラルの低下を止めることができず、経営者との対決姿勢だけで会社の存続を考慮できなかった、労働組合幹部の無知も一つの原因である。結局当時の従業員の多くは、イオングループに吸収されるが、人事評価や給与などはかなり低くなり、イオングループ退職後生活苦での自殺者を出す結果になる。&lt;br /&gt;　ＧＭという世界最大の製造業が、マイカルと同じようになるとは思えないが、労働組合による弊害と、人件費や福利厚生費による経営の圧迫を、会社存続のために協力して事態の解決を図る姿勢が無かったのは事実だ。今後どのようになるかは予想の域をでないが、バブル期の経営の理論と同じで、会社存続時に権利を謳歌した者は、会社倒産後にそのツケを払わされることになる。労働組合は、一部でそれに対する対策を行うかもしれないが、基本的には倒産の事態を招いた経営者と政府を批判し、経営を省みずに権利の主張のみを行った反省と、その間の蓄えをすべて放出しての従業員救済を、組合の構成員全員が満足する程度に行うことはない。そして、その内容に関して「労働貴族」と言われる人々は、その既得権を維持しながら政府に責任を転嫁するようになる。&lt;br /&gt;　労働組合に関することが多くなったが、話を元に戻そう。&lt;br /&gt;　ＧＭの車は何故売れなくなったのか。経費の節減の話ではなく、今度は売り上げ、収入の減少の方の話である。これは、非常に簡単で、史上のニーズに応えることができなくなったからである。マイカルも同じ。なぜイトーヨーカドーが残ってマイカルが倒産したのか。様々な経営の差異はあるが、結局客商売は顧客ニーズに応えられるかの一点である。顧客のほしくない商品をいくらもっていても、それは資産ではなく不良在庫なのだ。小売業の場合、それらは商品部、要するにバイヤーのメーカーに対する力と、店の情報収集力、そしてその二者、要するに商品の入り口である仕入れ担当部門と、出口である販売担当現場の情報の連携の緊密化しかない。イトーヨーカドーの場合、ＰＯＳシステムによって、それを機械的に、システム的に行った。これに対してマイカルの場合、どちらかというとほしくない商品も仕入れ割戻金目当てで仕入れてしまい不良在庫になるケースが少なくなかった。商品部の評価が、仕入れ商品の販売点数ではなく、仕入れ割り戻し金を含む金額で評価し、店に配布した後の責任が明確でなかったところが問題の一点となる。責任を伴わない仕事によいことはない。普段政治において野党やマスコミの無責任な批判を指摘しているが、これらも放置すれば日本国そのものがマイカルやＧＭと同じになってしまう危機をはらんでいる。&lt;br /&gt;　ＧＭも、結局は顧客のニーズには応えることができなかった。ＧＭは、日本でよく言われる「アメリカ車」の代表だ。大きく、頑強で、スタイルもデザインもよいが、燃費が悪く小回りが利かなかった。日本車は小型車を中心に、車内装備の充実を図ったが、軍需産業のように大型化、頑強さを生活空間の快適さを犠牲にしても追求した。軍人や外見にこだわる人はよいが、結局多くの消費者は日本車を選ぶに至った。では、なぜそのようにニーズに応えられなかったのであろうか。これも簡単である。労働組合の強さに現れているように、歴史と、それに基づ成功体験が会社を支配していたからに他なら無い。成功体験ほど始末に負えないものはない。後進の者は、一応彼らの成功の上になり経っているのだから、彼らの意見を尊重しなければならない。しかし、以前の成功体験が現代の成功につながるとは限らない。時代も、環境も、顧客のニーズも、すべてが変わっているのだから、方法と経験を過去から踏襲するだけでは逆に失敗に終わることが少なくない。事業の成功は、彼らの努力もあるが、社会的な環境や顧客のニーズ、ブーム、政治的環境や国際関係、為替など様々な要素が複合的に連鎖して行われるものだ。しかし、人は時間が経つと、成功は自分の努力と苦労話ばかりが先に立つようになる。苦労話と懐古主義は、時間が戻らないか切り解決しない問題だが、言っている本人はそれに気づかない。もっと言えば、時代に即応して、過去の成功体験を自己否定できる者しか生き残れないのだ。　&lt;br /&gt;　マイカルなど小売業も同じ。マイカルの場合、高度経済成長時代の成功体験がじゃまになった。彼ら成功体験者は、「昔は商品を億だけで飛ぶように売れた。品切れになってお客様に怒られた」と懐古主義を発揮した。その上で「今の奴は営業努力がないからモノが売れない」と批判する。しかし、高度経済成長時代に、三種の神器がステータスシンボルで、それを競って買った時代と、モノがあふれており、今必要な商品がないところでモノを売らなければならない状況とは社会環境が違いすぎる。前提条件が違うのに、それを比較し、営業に責任転嫁しながら、売れない商品を大量に仕入れれば、結局会社は倒産する。&lt;br /&gt;　ＧＭも同じだ。大型車がよいという時代と、小型で低燃費が尊ばれる状況とは全く異なる。それを並列に考えて、昔の価値観で自動車を生産しても、それは販売力の低下以外の結果を招くことはない。&lt;br /&gt;　こうして、ＧＭは１６長４０００億円と言う負債を抱え、直接雇用２４万人、影響雇用者１３０万人と言われる人々に府の遺産を遺しながら倒産する。日本でも１３３社がその影響を受けるとされている。&lt;br /&gt;　これに対して、アメリカ政府は資本を入れながら、実質国営会社のようにして再建策をも策する。オバマ大統領は経営する意志はないといっているが、世界は金融機関以外に国が直接投資、支援を行い、経営再建に取り組むと言うことに注目する。金融機関の支援の場合、基本的に大勝会社の顧客は企業がほとんどだ。顧客数という意味では個人化もしれないが、貸付、預金残高比で言えば企業が圧倒的に大きなことになる。国営であっても、再建は企業相手に行えばよく、顧客のニーズなどを考えずに再建を行うことができた。金融機関が扱う「商品」は、顧客ニーズなどを調査しなくてよいのだ。一方、製造業や小売業は、その商品や新商品の開発の方向を、顧客のニーズに合わせて行わなければならず、なかなか難しい。政府が主導で自動車のマーケティングを行うわけにも行かないのだ。政府は、それらマーケティングを含めた顧客動向を見定めながら、その生産調整や販売戦略を行わなければならない。大がかりなリストラ策や、経費節減はできても、販売戦略やマーケティングは難しい。オバマ大統領はエコ事業の展開を大統領就任時に公約を掲げているが、それ紙を結ぶまでの当分の間、どのように経営を維持するのか、かなり難しい。&lt;br /&gt;　それだけでない。世界最大の製造業が倒産したという、史上のマインドの冷え込みをどのように回復するのか。政府が行う景気対策と言うだけでなく、ＧＭの再建という結果を遺さなければ、消費マインドや史上マインドの冷え込みは解消しない。しばらくは「悪い材料が出尽くした」と言う観測で値を上げるかもしれないが、その後、ＧＭの再建が不調に終わったとき、または再倒産と言うことになれば、今度はアメリカ経済そのものがおかしくなる。そうなれば、何らかの緊急手段しかなくなると言うことになる。その「緊急手段が何か」ということに関しては、また別な問題になる。いずれにせよ一企業に何度も税金を投入することは許されない。オバマ政権の公私混同しない内容が試される。&lt;br /&gt;　いずれにせよ、世界が注目する内容だ。&lt;br /&gt;　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>うだがわ</dc:creator>
<dc:date>2009-06-03T01:01:08+09:00</dc:date>
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<title>民主党鳩山由紀夫代表選出と小沢傀儡政権との批判について</title>
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<description>民主党鳩山由紀夫代表選出と小沢傀儡政権との批判について 　５月１１日に、小沢代表...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;民主党鳩山由紀夫代表選出と小沢傀儡政権との批判について&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　５月１１日に、小沢代表が突然の辞任をした。この件に関しては、すでに、文書で書いているとおりである。この辞任を受けて、５月１６日に、民主党は代表選挙を議員総会で行い、議員投票により鳩山由紀夫前幹事長が岡田克也前副代表を破って代表に選出された。&lt;br /&gt;　民主党の代表選挙は唐突に行われる。１２日の役員総会で決定し、１６日の午前中に立候補の受付、午後に立候補者による演説会を行い、告示期間もなく議員総会で選出する。マスコミ諸兄の努力により、早くから鳩山幹事長と岡田副代表で争われるということが明らかになっており、同時に、前日には、各紙夕刊でその投票同行で鳩山氏が選出されるであろうことまで、見出しを踊らせていた。そのときは１１５対１０５票という具体的な数字まで出す新聞まであった。実際は、有権者数２２１票（民主党の集散両議院総数）。欠席１票。無効１票。有効投票者数２１９票。鳩山氏１２４票。岡田氏９５票。と言う結果で鳩山新代表が選出されたのである。&lt;br /&gt;　残念なことに、新型インフルエンザの国内感染が拡大中で、翌１７日の朝刊各紙の１面トップは鳩山氏が飾ることはなかったが、その辺の運のなさも鳩山新代表らしいエピソードかもしれない。この新聞見出しに関しては、いまから２５年くらい前、西武ライオンズ優勝をかき消した芸能事件があり、西武ファンがかなり落胆していたのを思い出す。ちょうど当時横綱であった貴乃花関と人気絶頂のアイドル宮沢りえさんが婚約したというきじであった。数ヶ月後に婚約が解消されて、西武ライオンズファンの怒りが再燃したのを、巨人ファンの私はヤジウマ的におもしろおかしく見ていた。何となく、鳩山新代表就任の新聞記事に関しては、このエピソードを思い出してならない。&lt;br /&gt;　個人的な思い出はさておき、鳩山代表が決まった。民主党には、よほど人材がいないのか、常に出てくる人が変わらない。結党当初、菅直人氏と鳩山氏の二党体制、その後相互が一回ずつ行い、岡田氏、もう一度菅直人氏で自由党と合併、そして前原氏、小沢氏、そして鳩山氏が今回就任する。立候補者を見ても、これ以外に河村氏や松沢氏がでるくらいで、いずれも地方自治体の首長に転出している。&lt;br /&gt;　鳩山新執行部と言っても、結局上記の代表経験者のオンパレードで、前原氏が無くなり、参議院会長の輿石氏が入っているにすぎない。結局、この人たち以外に名前を聞かない政党になってしまっている。今回の代表選挙に関しても、民主党内には第三の候補擁立の動きがあった。しかし、第三の候補擁立に動いたある民主党代議士は「選挙期間の短さと、小沢の多数派工作で２５人の推薦人を集めることができない」という。そればかりか、「この動きをしていることがばれれば、小沢に干される。公認も危ないかもしれない」というのだ。&lt;br /&gt;　この小沢恐怖政治は民主党の中で鳩山代表の中でも続いている。結局選挙という身分補償制度の中で、その全権を持ったのが小沢である間は、結局全ての民主党議員が小沢の言うままに動かなければならないのだ。それが嫌ならば党を割ればよいのだが、これは二つの理由でできない。一つの理由は、政権交代という大義だ。自民政権を終焉させると言うことを大義に抱えている以上、党を割って別な政党を作っても小沢連立の中に入ってしまう公算が大きい。また政治家である以上は、政権という物に魅力があるのだ。その誘惑に勝てる政治家は非常に少ない。そもそも政治家は権力欲がある人の集団と言って過言ではない。その権力の象徴が政権である。政権は彼らにとってそれだけの魅力がある物なのである。ちなみに、私はあまり魅力を感じはしない。&lt;br /&gt;　もう一つは、小選挙区制である。小選挙区制は、選挙区での選出議員を一人とする選挙制度だ。これでは結局「与党」「野党」というくくりでしか選挙民がついてゆけず、中道派などの意見が選挙で反映されないという状況になる。結局二大政党制がしかれることになる。この状況では民主党を割って小生党で生き残る道は少ない。社会民主党も、国民新党も、大同小異を乗り越えて与党と野党か旗色を示さなければならない。それでなければ存在意義がうまく行かず、同時に、選挙では個人の人気に頼る以外に生き残る道はないのだ。ましてや、民主党の議員で自民党の公認をとれる人は少ない。過去、小沢が１９９３年に自民党をでて、細川内閣をたてたときのメンバーで、自民党に戻れる人は戻っている。鳩山邦夫現総務大臣は、民主党結党の発起人の一人だし、小池百合子元防衛大臣は一回目の当選を日本新党で果たしている。&lt;br /&gt;　このように考えると、民主党議員は好む好まざるに関わらず、民主党で居続けなければならないという選択肢がもっとも強くなってしまう。それどころか、主張や政策が違う社会民主党や共産党も民主党と同調するか、自民党と同調するか、あるいは独自路線を苦しくても続けるのか。その様な選択肢になってしまう。&lt;br /&gt;　これらを見ていると、実際の政策が小沢傀儡であるか否かは別にして、来る総選挙で、小沢一郎が選挙担当の代表代行として選挙の全権を今まで通りに持ち続けると言うことは、鳩山由紀夫新代表には、いくつかの乗り越えなければならない問題があることが明らかになる。&lt;br /&gt;　一つ目は、小沢傀儡という批判をいかに払拭し独自性を出すか。どのような政策を国民にアピールするのか。&lt;br /&gt;　二つ目は、小沢一郎が辞任した経緯の説明責任と、その節明に対する事件や疑惑の処理をどのようにつけるかということだ。&lt;br /&gt;　三つ目は、党内融和。または党を越えた野党連合の可否と国民への説明である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　一つ目の問題点は、鳩山由紀夫の独自性だ。小沢一郎はかなり特異な個性の持ち主だ。その個性の持ち主に常に幹事長という立場で同調してきた。政策に関しても同じで、ずっと同調を続けてきている。問題はその政策が見づらいし、政策に一貫性がないと言うことだ。特に安全保障制度や国防、外交に関して小沢を引き継ぐのかが焦点となる。安全保障に関して小沢は「ＩＳＡＦへの参加」「第七艦隊以外はいらない」という発言を行っている。要するに、国連重視アメリカ軽視と言うものだ。と言うことは日米安全保障条約の取り扱いが焦点となる。日米安保に関しては安保騒動であったように日本でも賛否両論存在する。しかし、北朝鮮がミサイルをとばし、中国が軍備、ことに空軍力を強化する中において、日本画に本独自の防衛力を、現在の日本の国力及び国民感情や世論でできるかという問題である。私が取材したところ、民主党にそこまでの明確なヴィジョンは存在しない。第七艦隊発言のときやですら、民主党の党意ではないというのが精一杯であった。民主党は政党の政策として、どのように国民の安全を守るのかを、わかりやすく言わなければならない。まさかとは思うが、侵略されている最中に国連の決議などというかったるい話をするのか。北朝鮮のミサイルの非難の議長声明をとるのも１週間かかっているのだ。同時に、国連重視であるならば、国連の安全保障理事会常任委員の国から侵略された場合どうするのか。たとえば中国から侵略された場合どうするのか、民主党は答えるべきである。安全保障委員会において、拒否権を示されれば、結局決議もなにもとれないまま、日本は侵略群に蹂躙されることになる。その状況の場合「国連重視」はどこまで役に立つのか。具体的には尖挌諸島や東シナ海ガス田開発において、どのように対処するのか国民に示すべきである。その話し合いがこじれて、軍事自体になった場合、為すすべもなく日本を差し出すのか。都合のいいときだけ日米安保を取り出すのか。基本政策をきっちり示すべきだ。&lt;br /&gt;　鳩山代表は、この件に関して示唆めいた話をしている。小沢代表が辞任する直前に、ニコニコ動画のなかで在日外国人の参政権を巡り「日本は日本だけの領土ではない」と発言している。今時、無政府主義者もそのようなことを言わないが、国家の根本を揺るがす発言について、どのように考えているのか。しっかりとした釈明を求めたい。&lt;br /&gt;　政策については、安全保障だけで、これだけの問題点を持っている。政策こそ政治の本分であるのだから、しっかりとして欲しい。&lt;br /&gt;　第二の課題は小沢事件の総括である。&lt;br /&gt;　小沢一郎の政治団体である西松建設からの政治献金規制法違反事件は、まだ終結していない。小沢一郎の公設第一秘書は逮捕拘留され、３月２４日に起訴されたままである。小沢西松事件に関して言えば、事件当事者である小沢一郎から説明もされていないし、鳩山代表自身が説明責任を果たしていないと認めているところである。&lt;br /&gt;　しかし、問題はそれにとどまらない。西松建設は５月１３日に、今回の事件そのものが、政治資金規制法に違反した迂回献金であることと、小沢に献金をしていた政治団体二つがダミーであったことを認める決算報告書を発表し、その事件に直接関わりのなかった現社長以下取締役の多くが次の株主総会での辞任を発表している。また再発防止に関して、第三者委員会を発足し、元最高裁判所の判事を招いて法的な評価を加え、それを公開している。事件そのものはほめられたことではないが、実際に事件を起こした片方の当事者として、非常によい対応であると思う。今後の営業への影響や業績に関しては不明であるし、業界でのイメージもわからないが、反省の色も見えるし、好感が持てるものである。&lt;br /&gt;　一方の当事者である小沢一郎に関しては、政治団体として大久保被告が逮捕されたが、辞任会見でも「やましいところはない」といって責任を果たすつもりが全くない状況である。３月２４日の涙の会見はあったが、実際説明もなければ問題となった献金もそのままである。報道によれば３億を越える政治資金が不正に「陸山会」に流れており、それが政治資金規制法に違反していると指摘されているのだ。それに関わらず、現在小沢一郎も陸山会も一切その政治資金を返金していない。当然に、その政治資金は「選挙担当代表代行」の職責で使用されることになる。要するに、民主党議員は次の選挙で多かれ少なかれ西松の違法献金の世話になって当選することになるのだ。マルチ事件でも同じ。山岡賢次国対委員長はマルチ企業からの献金を２００８年度分のみ返金するとして、全てを返金しない中途半端な対応しかしていない。それと同じで、民主党に関しては違法なことをして記されたり、疑惑をもたれたりしても、その金額を否定しない体質がある。誤解がないように、それが民主党の議員の全てではない。しかし、これらの態度は、結局金銭的な観点から見れば、「犯罪したもん勝ち」みたいな感じで、国民の理解を得られる物ではない。&lt;br /&gt;　それでは、鳩山代表はどうしたらよいのか。この事件に関しても、それ以外の事件に関してもまず、政党の代表として政党の所属議員の疑惑に関してしっかりと説明をしなければならない。説明をさせるという方法でもかまわないが、大久保被告からの聴取ができなければ、その分は管理者・監督責任者が変わって説明すべきだ。&lt;br /&gt;　その上で、「ヤリドク」とならないように、それら不正資金に関してはしっかりと返金しなければならない。小沢一郎は政治団体が存在しないので、返金できないといういいわけをするが、それ以外の方法をしっかりと考えて金銭的にもけじめを付けなければならない。当然、鳩山代表は、代表としてそれを推進し、小沢一郎に命令して実現しなければならない。そうでなければ、民主党議員は結局不正資金で当選したということになるであろう。&lt;br /&gt;　なお、事件はこればかりではない。障害者優勢制度不正事件なども、しっかりと対応が望まれる。普段、議員会館に呼びつけて官僚から資料請求している議員が、「説明を気きに行きました」という説明がまかり通るとは思えない。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　第三の論点として、党内融和、野党連合の融和があげられる。&lt;br /&gt;　小沢一郎の主催する連立政権は、それが与党であれ、野党であれ、なかなかうまく行かない。細川内閣も羽田内閣も短命で一年持たなかったどころか、羽田内閣は６４日と、戦後二番目に短い就任期間であった。一番はポツダム宣言受託の為に、皇族が総理大臣になった東久爾宮内閣であることを考えれば、実質的にもっとも短いと言っても過言ではない。この羽田内閣は、小沢一郎が連立内閣を行うに当たり、当時の日本社会党をはずして統一会派を作ったことに端を発している。小沢はあまり周囲の相談すること無く、独断で物事を進める習性がある。２００７年の自民民主大連立に関しても、民主党側で調整した形跡はない。当然の結果、民主党の役員会で否決され、辞任騒ぎを起こすに至った。先に挙げたＩＳＡＦの件も、第七艦隊の件も民主党の政策ではない。小沢の個人的な考えである。私はこの文書の中で、以前田母神元航空幕僚長の論文についてでも書いたが、立場や肩書きで意って良いことと悪いことがある。代表という立場では、いくら個人的と言っても、国交や条約に関わる問題を言ってはいけないのではないだろうか。このような態度が、上記にあるように戦後二番目の短命内閣を作ってしまうのである。&lt;br /&gt;　鳩山代表といえど同じ。日本の領土のことなど、国家の根幹に関することを勝手に言っては問題が多い。彼の発言は、彼の信奉する「友愛」から生まれるもので、在日外国人参政権に関しての発言である。しかし、いくら在日外国人に配慮しようとしても、一つの政党の代表（発言時点では幹事長）が、その国の国家の根幹に関することを否定してはならない。当然に、そのような人に政権を執らせてはならないということになる。それどころか、一つの政策で、他の政策や国家の存亡にかかる発言をすると言うことは、全ての政策が一方向からしか検討されていない状況で、それを実現すれば多方面に影響がでると言うことを意味する。「一事が万事」とはよく言ったものだ。一つを否定しても、その対案がまともにできなければ何の意味もない。民主党の弱点とされる財源問題も全く同じ構造である。&lt;br /&gt;　では、その状態でどのように、党内外での融和をはかるのであろうか。&lt;br /&gt;　本来政党は政党毎に綱領があり、その綱領に応じて政策ができている。政策が一致していれば、上記小沢や鳩山のような「個人的な意見」がでるはずはないのだ。それがこのように出てくるということは、逆に政党としてなにも決まっていないということを意味している。現に、民主党には綱領がない。何でもその場しのぎのいいわけと付け焼き刃政策と言われても、綱領という基本姿勢がないと言う時点で否定ができない。&lt;br /&gt;　綱領がないと言うことは、基本がしっかりしていないということ。逆に言えば、誰の話にも会わせることができるというメリットもあるが、政治家としては致命的な、信念がないというデメリットにつながる。信念がないということは、それ一つだけで、十分に政治家としての資質が問題視される。民主党関係者に聞けば、政権交代が基本だと言うが、ここでも何でも言っているし、奇しくも麻生首相も同じことを言っているが、「政権交代は政策実行のための手段であって目的ではない」ということだ。なにをしたいから、どのような日本にしたいから、政権が必要というのが普通であるが、民主党は完全に本末転倒である。&lt;br /&gt;　さて、本末転倒ではあるが、そのことが党内融和や野党連合には一役買っている。要するに、反自民、判事抗せ意見というのが旗印だ。しかしそれは、政権を執ってから崩壊すると言うことを意味しているのだ。なぜならば政策で同意していなければ、「日本丸」は「先導多くして船山に登る」の例。結局国民にその政治的な空白でつけが回ることになる。一方で、政策で強行すれば、羽田内閣と同じになる。　&lt;br /&gt;　結局、鳩山代表は、政策で一致を見なければならない。そうでなければ真の融和は成り立たないのだ。しかし、そのためには、小沢一郎・岡田克也といった政策通を自負しｔ下いる人や、その集団と社民党、国民新党、場合によっては日本共産党と政策の一致を見なければならない。&lt;br /&gt;　現在民主党は臭い物には蓋で、問題点を見て見ぬ振りをしているにすぎない。しかし、それでは政府批判はできても政権運営はできない。真の融和を目指して、政策の一致を見ることができるか。これは、小沢一人に言うことを聞かせるのではなく、多くの政策の一致を具体的な部分を見なければならない。かなり難しい状況になる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　いずれにせよ、鳩山代表には大きな問題点となる。しかしこの問題点をクリアしなければ、仮に選挙に勝てたとしても、国民に不信を与えて終わってしまう。それこそ、小沢の傀儡である。自民党への復習を小沢の名前でなくした、その自己満足のために政権をもてあそんではななら無い。そうならないように、かなり難しい問題点を解決する指導力を発揮しなければならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それらを示す２７日の党首討論で明らかになるのではないか。注目である。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>うだがわ</dc:creator>
<dc:date>2009-05-25T21:06:16+09:00</dc:date>
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<title>新型インフルエンザ猛威をふるう</title>
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<description>　新型インフルエンザ猛威をふるう 　「招かざる客」いよいよ日本にも上陸 　３月に...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　新型インフルエンザ猛威をふるう&lt;br /&gt;　「招かざる客」いよいよ日本にも上陸&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　３月に、メキシコで発生した豚インフルエンザが、新型インフルエンザとして瞬く間に、世界中に広まった。５月現在で世界で一万人以上の感染者が出ており、インフルエンザの犠牲になった人も百人に届く勢いである。ＷＨＯ世界保健機構は、当初「フェーズ３」といって地域的流行となっていたが、瞬く間に「フェーズ５」となる。「フェーズ５」とは世界各地において人から人に感染が広がっている世界的大流行を指す。この次の段階は、俗に「フェーズ６」ようするに「パンデミック」といわれる状況になる。５月１２日から始まる世界保健機構での総会では、、危険レベルをこの「フェーズ６」に引き上げるかということを議論された。&lt;br /&gt;　この状況において、５月の連休前から、日本では「水際対策」として、成田空港や関西空港などの、国際空港でアメリカ・メキシコ・カナダからの街頭きでの機内検疫を徹底するという「水際対策」を徹底した。これはあくまでも「発症している患者の国内流入を防ぐ」というもので会って、発症前（潜伏期間）のウイルスまで予防できるものではない。しかし、それでも国内の体制が整うまでの当分の期間、時間稼ぎを行うことができた。この水際対策により、５月８日にカナダに短期留学をしていた大阪の高校生４名と教員１名が初めて感染が確認された。成田赤十字病院には毎日マスコミが押しかけて、その回復状況などを確認したと同時に、同じ機内に乗っていた「濃厚感染のある疑いの乗客」は７日間成田空港のホテルで隔離され、その経過を見られた。&lt;br /&gt;　この間に、国内では、海外渡航経験があり、発熱、せきなどの症状がある場合は、病院に行くのではなく、保健所などでの「発熱相談」に電話をしたのちに「発熱外専門来」の設置のある病院への通院また入院が指示された。国内における体制はこの「水際対策」によって、うまく回るようになっていた。&lt;br /&gt;　そのような中、５月１３日に、海外渡航経験のない兵庫の高校生から、新型インフルエンザのウイルスが検出された。その後、瞬く間に関西地区をウイルスが席巻し、５月２０日の談内で日本での感染者が２００名を超え、東京でも感染者が出てくる状況になってきた。&lt;br /&gt;　兵庫、大阪では、政府の策定した「鳥インフルエンザ対策」にしたがって、学校の７日間の休校、外出の自粛要請、マスクなどの着用などが要請されている。これにより、大阪での経済は停滞を起こし、また、京セラドーム（旧大阪ドーム）などで予定されていたエイベックスとラックスのアーティストのコンサートは中止されるにいたった。また、阪神甲子園球場名物のジェット風船も「唾液の飛散を防ぐため」という理由で中止が要請された。&lt;br /&gt;　しかし、この新型インフルエンザが、弱毒性ということもあり、国の定めたタイs買うにたいして「やりすぎである」という批判を行うようになる。大阪の橋下知事は、桝添厚生労働大臣にたいして、対策の柔軟な対応などを要請するにいたっている。&lt;br /&gt;　さて、ここまでは、インフルエンザの発生から今日までの経過と対応である。&lt;br /&gt;　新型インフルエンザに関しては、政局の問題とは一切関係がない。少なくともこのインフルエンザウィルスを「疫学的テロ」などという不思議な批判をする人もいないであろう。また、弱毒性で致死率が０．４％であるということも、わかってきている。しかし、これらの感染に関して、政府は二つの価値観に挟まれながら、その内容を考えていかなければならないのである。桝添厚生労働大臣は、「まず情報の把握、それから対策」ということを記者会見などですべて対応で話を行い、風評被害や情報の齟齬を少なくする効果は非常に大きかったと考えられる。個人的な思惑を安易に語らないこれらの姿勢は、国民にたいして信頼感を与えうるものと考えられる。&lt;br /&gt;　これら、政府は、二つの価値観に挟まれる。&lt;br /&gt;　一つの価値観は、「感染防止」「国民の健康を守る」というものである。「感染防止」といえば、現段階で違和感を感じるかもしれないが、実際に、これ以上の感染拡大を防ぐということは非常に重要である。同時に、現在感染している人々の重篤を防ぐということも重要であろう。これらの内容は当然に、国民の生命と安全を守るという意味で非常に重要である。&lt;br /&gt;　一方で、経済活動やそのほかの通常生活者の負担を最小限に済ませるということが必要である。今回の措置でわかったことは、学校の休校というよりは託児施設などの閉鎖、休園などによって、夫婦共働き世帯などは経済活動がうまくいかなくなるということがあげられる。&lt;br /&gt;　インフルエンザなどの感染拡大を避ける方法の最も良いものは、「隔離政策」である。数年前、中国で新型感染症ＳＲＡＳが発生したとき、中国政府は、感染者だけでなく、感染の疑いのある人、そして、診察に当たった看護師や医師まですべてを隔離した。要するに、一か所に集めて、その建物のある敷地ごとすべてを閉鎖隔離したのである。人民の人権を認めない、というよりは、じんみん個人の権利よりも社会の正常を重要視する社会主義国家中国ならでは、という感じである。しかし、この隔離政策のおかげで、中国は感染者が北京にいたにかかわらず、北京市内は通常の市民活動をしていた。&lt;br /&gt;　日本では、そのような隔離政策は不可能である。このことから、当然に、「感染拡大」と「通常生活」の調整という要素が入ってくる。&lt;br /&gt;　国民生活の安全ということを全く考えずに、厚生労働省にかみついたのが横浜の中田市長である。この異常事態に対して「桝添大臣に振り回された」「まず大臣が冷静になったほうがよい」という。&lt;br /&gt;　まず、本件に関して言えば、横浜市長の考え方は異常である。実際に、新型インフルエンザの感染力やその脅威なども不明な状況であるにかかわらず、その感染に関し何も考えないで、国内の大臣を批判しているのは異常である。実際に感染が確認されていないから言えるものであり、逆に感染していたのであれば、もっと大きな話になっていたのであろう。また、致死率などもたかければ、国中がパニックになる。その内容に関して、早くに危険情報を流しておいたほうがよい。危険情報で一部が混乱し、その後に、何ともなかったとするほうが、国民の動揺も少なくなる。為政者、地方自治体としても、その為政者の一部が動揺をしたとしても、それ以上の横浜市民がパニックをおこさなかったこと考えるべきである。&lt;br /&gt;　厚生労働省は、今回の新型インフルエンザに関して、基本的な指針を示しながら、地方自治体に判断をゆだねている。地方自治体は、それを、国の指針に合わせた行動をとったのである。&lt;br /&gt;　現在関西地区、一部で関東でも発症者が出たとしてが、いずれにせよ、日本全体に発症者が蔓延しているわけではない。要するに、二本という国の政府が何を決めてお、たとえば、関西の兵庫県と北海道や沖縄とが同じ基準でものを動くことは、ありえない。神戸で７日間の休校、学校閉鎖をしているとしても、沖縄や札幌で学校閉鎖をする必要はない。&lt;br /&gt;　結局、「感染拡大の防止」と「生活者の保護」という二つの釣り合いをとることは、地方自治体の個別の事情によって判断せざるを得ないという結論になる。日本の中央政府の指針に従って、各地方自治体が判断しなければならない。感染は、全国一律に起こるわけではないので、地方自治体によって、その判断は異なるし、感染の時期に関しても変わってくるものである。&lt;br /&gt;　要するに、今回のインフルエンザを機会に「地方自治体は、自分の自治体の構成員を独自の判断で守ることができるのか」ということになるのである。&lt;br /&gt;　国家に関しては、当然に世界保健機構など外交上の交渉に関する内容を公開し、国際的な情報、世界的な治療や感染の方法、ウイルスやワクチンの情報を出すことと、国としての指針を出すことが必要である。一方で、地方自治体は、それら指針や政府の情報をもとに、独自に判断し地域の生活と感染拡大防止に努めなければならない。&lt;br /&gt;　兵庫県は、感染者の拡大と感染を疑う人の多さ、そして、医療機関のパニックとウイルスの致死率の低さから、通常の医療機関でも新型インフルエンザの診療を行うようにした。自治体独自の判断ができた例だ。&lt;br /&gt;　一方、先にあげた横浜の中田市長は、独自の判断ができないで国に振り回された例。そればかりか、その部分を大臣や、厚生労働省の批判として責任転嫁しているにすぎない。二つの例を期せずして見ることができたわけだ。実際、関東での感染者が出た今日、横浜の中田市長はどのように考えているのであろうか。国がどうにかしてくれると、考えて責任転嫁しているのであろうか。&lt;br /&gt;　地方自治体に関しては、結局今回の新型インフルエンザによって、期せずして踏み絵を踏まされることになる。&lt;br /&gt;　橋下知事の行動も、一部では政府に直談判をしたと言われているが、逆な見方をすれば、兵庫の井戸知事と違い、独自の判断で物事を決めることができなかったという評価もありうるのである。それで良かったのであろうか。地方自治体は、地方分権で独自に行うというのであれば、当然に、独自に自分で方法を策定しなければならない。そして、最も重要なことは、その決断にたいして、責任をとるということであろう。責任を転嫁したり、はじめから逃げ道を作るようでは、地方分権を言う資格はない。橋下知事に関して言えば、そのような逃げ道や責任転嫁のための直談判でなかったということを明言してもらいたいものだ。そうでなければ、地方分権を偉そうに語ったり、「霞が関」を批判するのはやめるべきだ。いざという時に、対等の立場で力をかり、大阪府民の生活の安全と感染拡大防止を自分の判断でできないのであれば、意味がない。その「いざという時」が「今」であることは間違いがないのである。&lt;br /&gt;　インフルエンザの話から、地方自治体と地方分権の話になった。地方自治体は、今こそ国に頼らずに地方自治体の生活の安全を自分の手で守ることができるということを示さなければならないであろう。&lt;br /&gt;　この新型インフルエンザを政局に使う向きもある。民主党は、このインフルエンザで解散総選挙が長引いたなどといって政府を批判する。お門違いもよいところだ。そもそも民主党のいう生活者第一というのは、このようなときにどのようなことをいうのであろうか。政策論で戦ったゆくのであれば、橋下知事の今回のような調整依頼にたいして、「感染拡大防止」と「生活者の経済活動」についてどのような調整をするのであろうか。まさか、感染拡大防止をしながら経済損失を「すべて」補助金で賄うというのであろうか。すべてでないならば、その基準やその財源はどのようにするのであろうか。しっかりとした政策を示すべきではないだろうか。感染が拡大すれば生活者も何もなくなる。一方で、感染していないのに自粛要請や隔離を乱発すれば、すぐに経済は停滞する。この状況を民主党はどのように打破する政策を示すのであろうか。具体的に財源も示しながら、行うべきであろう。政局よりも政策ということをいうのであれば、それがいま最も重要なことである。もちろん、私は個人的に「政策なき政局論の民主党」としか考えていないのであまり期待はしていない。鳩山信代表の「友愛社会」で解決できる問題でないことは明らかである。&lt;br /&gt;　今回のインフルエンザは、今のところ弱毒性で、致死率も低いとされている。しかし、後遺症などのことは、全くまだ分かっていない状況である。その状況で、経済重視とすることは、非常に危険ではないだろうか。もう少しインフルエンザウイルスの全容がつかめてから、しっかりとした経済対策を立てるべきである。&lt;br /&gt;　実際に東南アジアなど、強毒性の鳥インフルエンザの地域にも今回のインフルエンザが蔓延している。強毒性で、今回のインフルエンザのような感染力の強いインフルエンザが来ないとも限らない。その時に「悪しき前例」を残さないようにしなければならないであろう。&lt;br /&gt;　経済も重要であるが、それこそ地域経済同士、地方自治体同士での助け合いを考えるべき。まずは感染拡大防止をするべきではないだろうか。人が健康で、押して生きているからこその生活社製s買うであり経済であることを忘れてはならない。難しい調整を政府が迫られているということだけは、国民が理解をし、一人一人のエゴを抑えるように心掛けたい。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>うだがわ</dc:creator>
<dc:date>2009-05-21T01:18:00+09:00</dc:date>
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<title>小沢一郎民主党代表辞任と今後の政局</title>
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<description>小沢一郎民主党代表辞任と今後の政局 　小沢一郎氏にはいつも驚かされる。基本的に、...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;小沢一郎民主党代表辞任と今後の政局&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　小沢一郎氏にはいつも驚かされる。基本的に、どのように行動するかという、その方向性はわかる。また、その理由も想像がつく。しかし、そのタイミングがいつも唐突である。基本的に独裁者の習性であるが、完全に独善的になってしまい、誰に相談することなく、勝手に一人で決める。そのときに、自分とその側近のことしか考えずに、周りの影響を考えない。&lt;br /&gt;　これが高じて権力を握れば、「独裁者」となる可能性が非常に高いと言うことになる。今回の民主党代表の辞任もそうであるが、彼にはその性質があるのか、たとえば、大連立も、ＩＳＡＦや米軍第七艦隊発言も、全てそれであろう。そもそも、自民党を離党するときも、その後の連立政権の作りかたも、いずれも唐突で、周囲の人は知らなかったということになる。結局のところ、彼は独りであったと言うことか。組織にとけ込めなかったという意味では、そのような人がいるのはわかる。初めのうちは「でる杭は打たれる」となるが、有る程度権力を持つようになると、シンパとアンチがはっきりするようになる。調整型ではないし、周りの影響を考えないので、シンパは狂信的になり、反対派を人格否定まであわせて言うようになり、アンチはアレルギーがでるほどの反対派になる。まさに、ナチスドイツのヒトラーのような狂信性とユダヤ人迫害のようなアンチ勢力への攻撃性が生まれてくるのである。&lt;br /&gt;　小沢代表に関しては、まさにそんな感じが有るような気がする。別にヒトラー総統のように歴史的な悪人というのではないが、独裁とシンパ・アンチの出来方などなぜかきょうつうてんがあるようだ。また、唐突な事件の発生や出処進退の発表などは、ベルリン陥落の直前まで大丈夫と言いながら、最後に自殺する、有る意味での潔さと唐突性を感じる。&lt;br /&gt;　そのようなことを考えながら、小沢一郎の辞任会見のニュースにふれた。しかし、様々な評価があるが、結局政治献金事件居着いてなにも語らず、都合の悪いことは隠していなくなった感じがする。&lt;br /&gt;　ことの発端は、当然に大久保隆規被告の逮捕。小沢の公設第一秘書であった彼が、政治資金規制法に違反する企業献金を受けていたと言うことだ。しかし、その件に関して小沢の口からでることはなかった。事件の説明や秘書の管理責任など、なにも語っていない。それは、１１日の辞任の記者会見でも同じことである。&lt;br /&gt;　この文書では珍しいが、小沢辞任会見の二十分程度の内容を全てここに記載してみよう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　【小沢氏】それでは私から申し上げます。メモにしてきましたので、後で諸君にも配りますけれども、メモを読み上げさせてもらいます。挙党一致をより強固にするために、ということで、来る衆議院総選挙での必勝と、政権交代の実現に向け、挙党一致の態勢をより強固にするために、あえてこの身を投げうち、民主党代表の職を辞することを決意いたしました。&lt;br /&gt;　国民の皆様、支持者の皆様にご心配をおかけしてまいりましたことをおわび申し上げますとともに、特にこの３年間、至らぬ私を支えてくださいました同僚議員の方々、党員・サポーターの皆様に、心より御礼を申し上げます。&lt;br /&gt;　もとより今度の総選挙は、国民自身が政権を選択して、自らこの国と国民生活を救う、またとない機会であります。民主党にとっては悲願の政権交代を実現する、最大のチャンスであります。&lt;br /&gt;　民主党を中心とする新しい政権を作り、国民の生活が第一の政治を実現して、日本の経済社会を根本から立て直すこと、そして政権交代によって、日本に議会制民主主義を定着させること、この二つが民主党に課せられた歴史的使命であり、私自身の政治家としての最終目標にほかなりません。&lt;br /&gt;　日本のために、また国民にとって、民主党にとって、そして私自身にとっても、何が何でもここで勝たなければならないのであります。それを達成するためには、党内の結束、団結が絶対不可欠の条件であります。党内が乱れていたのでは、総選挙に勝利することはできません。逆に挙党一致で、臨みさえすれば、必ず勝利することができると確信しております。&lt;br /&gt;　私が代表の職にとどまることにより、挙党一致の態勢を強固にする上で、少しでも差し障りがあるとするならば、それは決して私の本意ではありません。政権交代という大目標を達成するために、自ら身を引くことで民主党の団結を強め、挙党一致をより強固なものにしたいと判断した次第であります。まさに身を捨て必ず勝利する。私の覚悟、私の決断はその一点にあります。&lt;br /&gt;　連休中、熟慮を重ねまして、その結論に達し、決断した以上、党内の混乱を回避するためにも、ただちに連休明けの本日、辞意を表明することにいたしました。ただし、国民生活への影響を最小限に抑えるために、平成２１年度補正予算案の衆議院での審議が終わるのを待った上で、速やかに代表選挙を実施していただきたいと考えております。&lt;br /&gt;　重ねて申し上げます。新代表のもとで挙党態勢を確立して、総選挙に臨むことが、何よりも重要であります。もちろん、私もその挙党態勢の一員として、新代表を支え、総選挙必勝のために最前線で戦い続けたいと思います。&lt;br /&gt;　国民の皆様、引き続き民主党をご支持くださいますよう、心よりお願いを申し上げます。ありがとうございました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　――挙党態勢に不安を考える面があったのか。なぜこの時期に辞めるという決断したのか。離党、議員辞職の心配も党内にあるが、今後の政治活動は。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　【小沢氏】一点はみなさん自身がよくおわかりだと思います。連日、みなさんの報道にありますから、それによって結果として党内が不安定になったり、みんなが不安になったりしてはいけないと、私が、批判の矛先の相手である私自身が去ることによって、それがかわされ、そしてみんなが安心して、安定して、総選挙へ向けて挙党一致で戦うそういう態勢を是非作り上げてもらいたいし、私も一員として協力していきたいと、そう思っております。それから、今日辞意表明をしたからといって別に、政治家を辞めるわけではありません。もうあと、わずかの総選挙までの期間でございます。代表を退いても全力で政権交代のために頑張りたいと思います。&lt;br /&gt;　――辞意決断に至った経緯、特に決断したのはいつか。今後、総選挙対策として具体的にどのような活動をしていくのか。&lt;br /&gt;　【小沢氏】私が民主党の代表を辞するという決断を致しましたのは、最終的に連休で、ゆっくり考える時間ができた時点でございます。それから選挙のやり方については質問者ももう長年見ておられるはずであります。選挙必勝の私自身のやり方で、今後も全力で頑張ります。&lt;br /&gt;　――後継を選ぶ代表選挙はどのような結果が望ましいか。意中の方はいるのか。次期衆院選には立候補するのか。&lt;br /&gt;　【小沢氏】辞めていく者が、次の人について論ずべきではないだろうと思っております。ましてや、まだ誰が立候補するかもわからない段階ですから、質問にはお答え致しかねます。それから、さっき言ったように、別に私これで辞めるわけではありません。次の総選挙で勝つことが私の最大の願いであり、それが日本の国にとって、国民にとって、必要な政治の転換だという風に思っておりますので、どこの選挙区であれ、全力で戦い、必ず勝ち抜いて参りたいと思ってます。&lt;br /&gt;　――代表辞任後の新執行部から、新たに執行部に入って党幹部として職を続けてほしいというような要請があれば受けるのか。&lt;br /&gt;　【小沢氏】まだ私が今日辞意表明して、選挙の日取りをはじめとする選挙の手続きもまだ決めておりません。それは明日からです。そして、顔ぶれもどのような方が立つかさえもわかりません。ですから、新しい代表になってから、なったら、どうこうするかという仮定の質問に今答えるべきではないと思います。ただ、一般論として、党員である以上、みんなで決めたことは守らなければなりません。それが民主主義です。自分は意見が反対だったから、守らないでは、国会もすべて成り立ちません。反対した法律でも、多数で成立すれば、それは法律です。みんなで話し合いのうえ、まとまれば一番いいことですが、話し合いがつかなかった場合は、多数決、選挙ということで決するというのが先人の知恵であり、民主主義の基本であります。ですから、それによって、選ばれたリーダーの命については、私ばかりでなくして、全員が守っていかなければならないと思っております。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　――（公設秘書が逮捕された）事件から２か月がたつ。進退について、国民の理解を得られるという判断も示されたが、今日の内容は乖離がある。どう判断が変わったのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　【小沢氏】私の話を聞いていただき、配ったメモを読んでいただけば、何の乖離も、何の矛盾もありません。民主党にとって、挙党一致、団結して、力を合わせて、国民に訴えるという態勢さえできておれば、必ず国民の信頼を得られると思っております。その意味において、私は今日でも、民主党は国民の理解を得られると思っておりますけれども、そのことをさらに万全なものにするために、少しでもマイナスの部分はこの際、自分自身が身を引くことによって取り除いていきたい。そして、なんとしても政権交代を実現したい。それが国民のためであり、我々民主党の使命であると、そう考えているということであります。&lt;br /&gt;　――党内と有権者自身からも辞任が遅すぎ、党にダメージを与えたという声もある。政権交代に貢献するために、離党や議員辞職も考えるのか。&lt;br /&gt;　【小沢氏】なぜ離党、議員辞職をしなきゃいけないんですか。&lt;br /&gt;　――献金事件のイメージを民主党から離すために離党すべきではないか。&lt;br /&gt;　小沢氏　私は政治資金の問題についても、一点のやましいとこもありません。法律に従って、きちんと処理し、報告しております。また、今回は政治的な責任で身を引くわけでもありません。皆さんのお力添えのおかげで、私が３年前に代表職を引き継いだ時には、本当に１けたの支持の、１けた台だったと思いますが、今、皆さんの懇切丁寧な報道ぶりにもかかわらず、２０％以上の支持を持って、自民党とほぼ拮抗しております。私はそういう意味において、本当に国民皆さんの理解が、我が党に対する理解、そしてやはり政治は変えなくてはいけないという理解が進んでおる証左だと思っておりまして、私も微力ながら、そのことに多少なりとも貢献してきたのではないかと思っております。あんたどこだっけ、会社？&lt;br /&gt;　――日本テレビです。&lt;br /&gt;　【小沢氏】日本テレビでもよく国民の皆さんの調査をしてみてください。&lt;br /&gt;　――バッシングと同時に、小沢首相を求める声も多数あった。無念はあるか。&lt;br /&gt;　【小沢氏】個人的に私を強く支持してくださる方は、私が民主党代表として総選挙に勝ち、総理大臣になることを願っていてくれたことと思います。しかし、私は、私自身が何になる、ならないということは、まったく自分にとっては問題ではありません。民主党中心にして、とにかくこの長期政権、腐りきった政権を変えなくちゃいけないと。政権交代、それが果たされれば、私自身にとりましては、まったく本懐でありまして、それ以上の期待をしてくれた支持者の方がおりましたとしたら、それは申し訳ないことではありますが、私の政治家としては、全くこの政権交代、国民生活第一の政治、国民サイドに立った政治、そして日本における議会制民主主義の確立、これが樹立されれば、少なくともそのスタートを切れるということを自分の目で確かめることができるとしたならば、それがまさに政治家の本懐、男子の本懐、そう考えております。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この会見で「挙党一致」が七回、「政権交代」が八回も出てきている。逆に、政策に関してやその継続性に関しては、全くふれられていない。&lt;br /&gt;　テレビでは自民党も公明党も、それ以外の野党も、説明責任が尽くされていないと言っているが、実際説明するのが嫌だから辞めた人の会見で「説明責任」をいうのはどうかと思う。もちろん、政局的に説明責任を言うことは意味がある。法律の世界では「禁反言のの法則」と言うのがあるが、政治の世界でも同じでしょう。結局、他人のころを批判するには自分が、少なくとも批判している事実に該当しないということが必要でしょう。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 民主党びいきの人が「二階」とか言っていますが、結局スピード違反で一人だけ捕まって「みんなやってるじゃないか」といっているのとおなじ見苦しいだけである。民主党は過去何度「説明責任が付くさえていない」といったのであろうか。故松岡元農相や赤城農相のとき、彼らがあれだけ言っていながら、小沢一郎にたいしては民主党の身内の党首に説明させることができなかった。&lt;br /&gt;　それにしても、日本テレビの七尾アナは、なかなか鋭い質問をしていました。できれば「やましいところがないのにどうして辞任するのですか」と聞いてほしかったですね。また「やましいところがないのにどうして辞任の声が上がるのか」とも。結局「やましいところがあるがそれを認めたくないから、求心力が低下し挙党一致ができなくなった」ということでしょう。「やましいところがない」と「挙党一致」そして「差し障りがある」のは何なのか。民主党は、小沢一郎は結局政策でも何でも「なぜそうなるのか」という説明がないまま、幕を閉じた。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 小沢政治は3年間結局自民党批判をしただけで、何も生まなかった。政策も何もない。「壊し屋」は「壊した先の姿」を国民に見せることができなかった。壊すだけで天地を創造することのできないのは意味がない。現状批判は勝手にすればよいが「では、どうする&lt;br /&gt;」を示せない人は船長にはなれない。特に危機を乗り切る能力には欠ける。小沢はそれを属でんてき独裁で切り抜けようとした。そのために、それだけの資金力を必要とし、そのために政治資金規正法を違反してまで資金を集めなければならなかった。それは政策うがないために、「壊すこと」「現状批判をすること（自民党を非難すること）」「金を集めること」が彼の求心力の象徴であったということだ。今の時代金権政治は流行らない。&lt;br /&gt;　さて、では今後の政局を占うことにする。わたしがここの文書で政局を語るのは珍しいかもしれない。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 政局の争点は、&lt;br /&gt;&amp;nbsp; １　民主党は小沢路線を継承するのか&lt;br /&gt;&amp;nbsp; ２　どのような政策論を展開するのか&lt;br /&gt;&amp;nbsp; ３　過去のマイナスをいかに清算するのか&lt;br /&gt;であろう&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 民主党は小沢路線を継承するのか。では「小沢路線」とは何か。政権奪取を狙うのはよい。正当である以上政権を狙うのはある意味通常である。共産党のように「確かな野党」といっているほうが異常である。政権を取らず批判だけするのは、反権力のジャーナリストだけで良い。政治家にそのような人はいらない。では、小沢路線の政策とは何だったのか。上記のように、結局彼のいうことは、独善てき独裁的である。そもそも民主党の清s買うは場当たり的で、政府の反目を張っているだけであるから、基本的に政党としての統一の政策が存在しない。基本のない「砂上の楼閣」を素晴らしいと自己満足しているにすぎない。国民に「隣の芝は青い」と見せ「こっちの水は甘いぞ」とホタルのように呼んでいるだけである。小沢のような「剛腕」だからできたことで、余人には難しいであろう。結局「小沢路線」が見えない以上、その継承は難しい。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 次の論点として、どのような政策論を出すのか。代表の候補者は現時点でいろいろといわれているが、結局どの政策を選択するのかである。そもそも、社会党左派と自民党タカ派の連合体で、安全保障をどのような政策にするのかをはっきりさせるべきであろう。自衛隊は「違憲なのか」。集団的自衛権は認めるのか。「面接の達人」のようなマニュアル本的な政策で国民をだますのはいい加減にやめるべき。とはいえ、左派と右派の調整を付けて統一の政策を出すことができるのか。それが次の代表に課せられた大きな十字架であろう。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 官僚支配に関しても同じだ。官僚支配といっても、自治労と調整をつけながら官僚支配を終えることができるのか。要するに、自治労の指示を受けながら自治労を解体することができるのか。それともその支持を切ることができるのか。自治労の指示を切って政権奪取ができるのか。選挙対策と公約の調整もしっかりと行わなければならない。次の選挙では民主党にはそこが弱点となるし、その時点で党首討論やマスコミとの質疑でぼろが出てくれば、それで終わりであろう。その意味では、結局核心をいわない今回の小沢の辞任会見は、ある意味「よい手本」なのかもしれない。それどころか、「自分が身を引くことにより挙党一致」などすべて他人に責任を転嫁した小沢の辞任会見に納得して「政権奪取」と無邪気にはしゃげる民主党の議員たちは、どうなんだろう。結局小沢は、民主党の中で反対勢力が出てきたから、マスコミが騒ぐから私が身を引いてあげるというものだ。そんなに恩着せがましく辞任して、その小沢を指示できたり「会見聞いて涙が出てきちゃう」と買いいているようでは、国民に何を訴えるのか。最も悪いのは誰だ。「総選挙前の国策捜査」と言いながら「総選挙前に敵前逃亡した」のは誰だ。前にも述べたが、政策がしっかりしていれば、党首が変わっても何も変わらないが、政局論で言っている場合は困る。政局の作り方はその人の個性が出るから、結局小沢と同じようにはならない。不変の政策を出せるかがカギになる。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; もう一つは贖罪。小沢の事件も結局謝罪も説明もない。それは、故永田議員のガセネタメール、前田雄吉の離党、山岡賢次の真岡市長の秘書給与疑惑、岡田克也の公務員兼職禁止違反。民主党はそのつどいろいろと起こしているが十分な説明をしていない。一応の説明はしているのかもしれないが、自分たちが自民党に求めているのと、自分たちで行っている内容を比較すれば、いかがなものか。赤城元農相の時は「すべての領収書を出せ」と要求していた民主党は、今回の小沢の事件に証拠を出した説明ができたのか。小沢は「倭つぃはやましいところは一つもない」といっているが、それで二階を批判しているのは、どういうことか。自分でしていることと口から出ている攻撃の言葉が全く会っていない。年金未納「未納三兄弟」とおなじ、結局「ブーメラン政党」といわれる所以だ。完全な贖罪が行えないし、新しい代表が小沢に事件のけじめをつけさせることができるかが、最大の問題であろう。たぶんできないと思う。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 小沢は、田中角栄のような「キングメーカー」を狙っているという。それで良いのか。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; いずれにせよ、16日に新たな民主党の代表が選出される。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 今回は、緊急に論点だけをまとめてみました。新たな民主党の代表が、いかに政策を発表するのか。その所信表明と小沢へのけじめのつけさせ方が、最も注目の集まるところである。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>うだがわ</dc:creator>
<dc:date>2009-05-13T02:27:06+09:00</dc:date>
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<title>国会議員の「世襲」の是非。新たな選挙の論点か</title>
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<description>国会議員の「世襲」の是非。新たな選挙の論点か。 　ゴールデンウィークに突入し、様...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;国会議員の「世襲」の是非。新たな選挙の論点か。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ゴールデンウィークに突入し、様々な内容の話が出てきている。国民は定額給付金と休祝日高速道路が上限１０００円で利用できるということで、渋滞以外にあまり大きな傷害がないかのようになった。昨年と違い、ガソリンの価格も落ち着いており、自動車による外出の増加が多く見込まれる。この時期になると、毎年「安・近・短」と言われる。やすくて近くで短い期間の旅行という意味である。しかし、実際のところ、毎年言われていても言われなくても、レジャーは各家庭にあった内容で行われるものである。特に帰省なども含めて、多くのパターンでレジャーが行われる。&lt;br /&gt;　今年は、百年に一度の不景気と言われるが、それでも各地で渋滞し、混雑が見込まれる。日本は不景気と言われるほど不景気ではない。特に、不景気であるが故に、製造業などは休みを多く出すので、最大で１６連休という休みは、なかなかよいのではないだろうか。アサヒビール・毎週アンケートの&lt;br /&gt;　「今年の連休はどうすごす」によると&lt;br /&gt;　・全国20歳以上男女、有効回答1947人&lt;br /&gt;　・インターネット調査&lt;br /&gt;　・09年4月15～21日&lt;br /&gt;☆どの位のお休みを取れる&lt;br /&gt;・休日なし 男性5.5％、女性10.4％&lt;br /&gt;・5日　　　　28.5％&lt;br /&gt;・6日　　　　12.1％&lt;br /&gt;・7～9日　　 15.3％&lt;br /&gt;・10日以上　 13.0％&lt;br /&gt;☆今回のGWをレジャーで過ごすか、休養するか&lt;br /&gt;・すべてのんびりと休養をとる　45.8％&lt;br /&gt;・すべてレジャーを楽しむ　　　10.1％&lt;br /&gt;・前半レジャー、後半休養　　　34.0％&lt;br /&gt;・前半休養、後半レジャー　　　 9.1％&lt;br /&gt;☆この連休の過ごし方&lt;br /&gt;1 家の片づけ・掃除・洗濯　　　　　　 45.5%&lt;br /&gt;2 とにかく寝る(睡眠)・ゴロゴロする　 34.7%&lt;br /&gt;3 ショッピング　　　　　　　　　　　 26.3%&lt;br /&gt;4 家族団らん・子供と遊ぶ　　　　　　 24.7%&lt;br /&gt;5 TV・ビデオ(DVD)鑑賞　　　　　　　　21.3%&lt;br /&gt;6 日帰り旅行(温泉、観光地巡り)　　　 20.7%&lt;br /&gt;7 街散策・食べ歩き　　　　　　　　　 17.0%&lt;br /&gt;8 国内旅行(宿泊あり)　　　　　　　　 15.5%&lt;br /&gt;9 ドライブ　　　　　　　　　　　　　 13.6%&lt;br /&gt;9 家庭菜園・ガーデニング　　　　　　 13.6%&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;とある。アンケートであるから、その数字を尊重するとして、休みの過ごし方は様々である。最近毎年言われているのが「安・近・短」というレジャー方法、やすくて近くですませて、それでいて短い期間という楽しみ方。この楽しみ方が、「前後半分かれた過ごし方」と言う方法に現れている。いずれにせよ、連休は心身ともにリフレッシュして、これから暑くなる夏場を乗り切れるようにしなければならない。&lt;br /&gt;　そんな連休で、本来ならば明るい話題ばかりで埋めたいが、必ずしもそうではない。もっとも気がかりは、メキシコで発生した豚インフルエンザである。昨今では発表を見る度に被害者・感染者が増えている。ＷＨＯ世界保健機構も緊急の会合を開き、何度も対策を行うに至っている。今まで鳥インフルエンザばかりで、あまり他の動物に関しては考えなかったが、まさか南米発で、豚インフルエンザがでるとは思わなかった。旅行会社各社は、豚インフルエンザの影響を考慮し、連休中のメキシコツアーを中止した。またメキシコからの飛行機便の乗客全てに検疫を行い、水際でくい止めるという、過去の感染症、SARSなどと同じ対応を行うことになった。こればかりは、病気やワクチンなどの問題なので、あまり政治的なこととは関係ないが、日本政府としては、日本国内に新型感染症が入らないように、入ったとしてもすぐに治療ができるように、対処をしてもらいたいものだ。このようなときに、経済とか国交とかのことを考えるのではなく、まず日本国国民を守る話をしてもらいたい。&lt;br /&gt;　その、政治の世界では、昨今では「世襲禁止」が言われている。今回はそのことについて少し考えてみたい。豚インフルエンザについても考えたいのであるが、私の場合理数系の話が極端に苦手なので、病気や理数系の話は、ここで書いていても、途中で訳が分からなくなる。そこで、やはり政治の話に戻したいのである。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　さて、自民党内ことに若手の間で、にわかに選挙公約として議員の「世襲禁止」を公約にすべきという話がでている。自民党菅義偉選挙対策副委員長が中心になって話をしているが、自民党内に百人を越える「世襲議員」がいるために、議論百出している。一方、民主党では、全議員のうち１６名しか「世襲議員」がいないということもあって、岡田克也政治改革本部長を元に、いち早く民主党の政権公約に入れる方向にしている。しかし、小沢代表も、鳩山幹事長も「世襲議員」であることに変わりはない。いずれにせよ、議論が出てきていることには代わりはないのである。&lt;br /&gt;　さて、もうお気づきと思うが、私はこの中で世襲議員を全てカギカッコをつけて表記している。（ここから後ろは、便宜的に世襲という単語を使うが、カギカッコは省略させていただきます）。そもそも、日本では国会議員を含む全ての議員が選挙で選ばれるようになっており、解散のない参議院でも６年で選挙を行わなければならない。要するに現在の代議員制度において、世襲というのは当てはまらない。実際、昔の自民党の大物代議士の子息で、選挙に落選した人も少なくない。では、なぜ世襲と騒ぐのか。&lt;br /&gt;　ここでいう世襲は、実質的な世襲であるということを指しているようである。現在の選挙では、まず選挙立候補において供託金が必要である。同時に、選挙活動が必要で、それらには自由になる時間とその間の活動と生活を支えるだけの金銭的な余裕が必要になる。また、あくまでも投票によって代議員は当選しなければならないことから、組織的な支援を受けなければならない。要するに、「資金」「時間」「地盤」があると有利に選挙を戦えるわけである。これは、民主主義が多数決で行われる以上、そして日本が資本主義経済で有る以上どうにも成らない。結局、親が政治家で暇で時間があって、そして秘書などの役職にいながら、顔を売っていた方が有利であるという。&lt;br /&gt;　しかし、これは代議員選挙に限ったことではない。団体の職員や、大企業の取締役でもいえることだ。最近不正が話題になった公益法人の漢字検定協会も、理事長の息子が理事に入っていたではないか。これらも、国民の選挙ではないにせよ、理事会や株主総会の多数決で就任を決議するのだ。実際に取締役就任などの総会で、長時間にわたると議論や選挙戦などはあまり見たことはない。最近、慶応義塾大学の学長選挙が週刊誌に取りざたされたが、実際選挙になればいろいろ有るであろう。余りよく知らないが、選挙戦になることが週刊誌の話題になるということでありながら、世襲を批判するのはいかがであろうか。&lt;br /&gt;　逆に、世襲であってもすばらしい経営をしている経営者も少なくない。事件になったり報道されていない状態で、具体的な名前を出すのはよくないかもしれないので、あえて名前は伏せるが、世襲的に会社経営を引き継いだために、会社の経営に関し幼い頃から熟知し、その問題点も内部的な視点から精査し、経営に活かして会社を発展させた経営者は少なくないのだ。逆に、私の場合、マイカルという会社に過去在籍していたが、有名なクーデターの時、要するに会社倒産において民事再生と会社更生で四方修派と山下幸三派で分かれたときがあった。このときは確かに対立し動議があり、そして多数決で会社の方針を決め、そして世襲や指名でない新社長を任命したが、その後の混乱と体たらくは、マスコミだけでなく様々な書籍ででもドキュメント的にかかれたのである。&lt;br /&gt;　私がいいたいのは、マイカルの凋落ではない。世襲でもしっかりした経営者はいるし、世襲でなく、多数決で決めてもまるっきり使い物に成らず、会社を倒産させてしまう経営者もいるという事実。つまり、世襲であることと、その人の能力の評価は全く関係がないということだ。&lt;br /&gt;　敢えて経営者という枠組みで書いてみたが、結局政治家も同じではないだろうか。&lt;br /&gt;　そもそも「資金」「時間」「地盤」という枠組みで言えば、世襲議員とかではなく、現職議員がもっとも有利である。マスコミの報道で、よくあるタイプでは「自民党大物議員直奏選挙落選リスト」などと銘打った見出しを見ることがある。現職大物議員でも、政策や政治運用が下手であれば、または国民の期待に応えられないと判断されれば、落選してしまう。世襲議員であるからと言って、簡単に当選するものではない。そもそも不公平というのであれば、現職議員が毎回選挙区を変えなければならないとか、以前の参議院のように、全員「全国区」で選挙をすると言うこ案もある。別にこれから立候補する世襲議員だけを不公平としてやり玉に挙げる必要はない。&lt;br /&gt;　世襲という行為が悪いのか、といえば必ずしもそうではない。歴史から見れば、足利将軍家も徳川将軍家も、三代目の義満・家光がもっとも幕政において隆盛を極めていた。軍事政権である幕政で隆盛を極めると言うことは、平和で国民の生活が安定し、豊かになっていたことを指す。江戸時代では、元禄でもっろも栄えていた時代に当たるし、室町の時代でも金閣寺がそのときの繁栄を遺している。&lt;br /&gt;　問題は、世襲議員のように有利に進んでしまうと、能力のない者も当選する可能性が高くなってしまうと言うことである。それは、世襲が悪いのではなく、世襲で当選した議員個人の能力の問題である。&lt;br /&gt;　以上の事情から、世襲議員禁止には賛否両論有る。&lt;br /&gt;　禁止論者の意見は、まず、不公平ということ。一般からの参入が非常に困難と言われている。また、世襲をすることによって、意見の硬直化や地元への利益誘導という癒着、不正の温床という意見もでる。あとは、世襲議員の多い自民党似たいする問題であろうか。&lt;br /&gt;　一方、世襲容認に関しては、まず、憲法における職業選択の自由に違反するとのこと。これは親が特定の職業に就いていると言うだけで、子供がその職業になれないのは職業の選択肢を少なくした行為に他なら無いということ。第二に、世襲といえども選挙があるので世襲には当たらないという意見。実質は実力社会だと言うものだ。そして、開き直りに近いが世襲でどうして悪いのかという議論である。&lt;br /&gt;　両者の意見は完全に食い違っている。禁止派は道義的な問題や不公平感という、どちらかというと感情論である。癒着不正の温床と言えばそうかもしれないが、逆に世襲であると言うことがその条件になっているわけではない。一方、世襲容認派の意見も、なかなか難しいもので、憲法をここで持ち出すのもどうかと思うし、選挙があるという話も、その選挙に世襲の方が有利だと説いているのであるから、正面からの意見には成らないような気がする。&lt;br /&gt;　微妙な問題なので自分の意見を言うのははばかられることもあるが、私はどちらかというと世襲容認である。私の姿勢として、感情論や道義的な議論は極力避けるべきであると考えている。あとは不正癒着の温床と言うことであるが、政治家以外の不正や贈収賄をどのように考えるのか。直近の事件として、小沢一郎議員公設第一秘書の政治資金規制法違反事件を例に挙げてみよう。小沢は世襲議員であるが、西松建設は世襲議員であるから小沢に献金していたわけではない。そもそも小沢一郎の先代からつきあいがあると言うものではないのだ。また、小沢は公設秘書の大久保被告の責任にしているが、大久保被告は、小沢氏よりも世襲や西松建設とは、事件の原因行為まで無縁である。世襲であるから政治資金規制法に違反するとか、世襲であることが事件の温床であるということには成らない。不正は、先に挙げたようにあくまでも個人の問題である。個人として政治家としての資質があるか、または、社会人として法律を守る意識、遵法主義が貫かれているかと言う問題である。この論点で言えば、あたかも世襲であることが、遺伝子的に犯罪や不正、癒着の温床となっているかのごときであるが、それは差別と言うものであろう。&lt;br /&gt;　また、不公平という内容もあまり当たる批判とは思えない。基本的に、労働組合出身者のように、労働組合のことをその推薦で政治家になる人がいる。宗教団体などもそうかもしれないが、すぐに宗教の話になるので、あえて労働組合の話にしてみた。読者の方はすでにお気づきと思うが、政策のない政治家はいらないと思っている私にとって、具体的な政策もなく後援団体の推薦だけで政治家になる方がずっと不公平に感じる。&lt;br /&gt;　自民党の元衆議院議員で現在も落選している方と話をしたことがある。敢えて名前は伏せるが、元江藤・亀井派に属していた議員だ。彼は選挙に先立って「公認と団体の推薦さえあればよいのだ。あとは政策も何もいらない。団体の推薦状だけガリ版刷りかなにかでもらえないでしょうか」と相談に来たのだ。私は当然のことながらお断りさせていただいた。自民党と言うだけでこられても困るし、団体の推薦状をそんな簡単に言われても、なにか勘違いしているとしか言いようがない。そもそも、政治家は政策があって、その政策に共感して、各団体や国民一人一人が支持をすると言うものである。推薦状などはまさにその証である。政策もなくただ選挙のために推薦状が欲しいと言ってくるなど、言語道断であるといえる。そもそも「主権在民」とその意見の代弁者たる代議員とが本末転倒しているとしか言いようがない。当然に、彼は自民党の公認を受けることもできず、その後国会で名前を聞くことはない。&lt;br /&gt;　政治家を、国会議員をこの「元議員氏」の様に勘違いしている人は、「不公平」と思うかもしれない。しかし、それは政策がない、政策を国民に受け入れてもらう自信がないという現れではないだろうか。それだけではなく、選挙さえ通れば誰でも政治家として活躍できると、選挙と政治家の位置づけを本末転倒して理解している様に思えて成らない。国会議員をタレントか、人気投票の一つ年か考えていないのではないかと疑いたくなる。　&lt;br /&gt;　また、民主党の公約では、現職は除き、世襲議員の場合同一選挙区で公認はしないという。要するに比例ではよいと言うことだ。民主党の小沢党首の選挙は、ここで何度も言っているとおりに、人気取りの政局論の延長線上に思えて成らない。民主党の公認でも、女性やタレントなど、政策と関係なく地域を割り振りしている姿は、やはり、選挙と国民主権を本末転倒しているとしか見えないのである。先ほど例に挙げた「元議員氏」と同じ、選挙さえ通れば何でもよいという感覚が根底に流れているように見えて成らない。&lt;br /&gt;　また、民主党は世襲の禁止について「現職は除く」としている。そもそも、不公平を理由にしているのであれば当選回数に制限がないことや、現職だけ除かれるという不公平は何故許されるのであろうか。民主党は、そのような公約をするならば、小沢代表、鳩山幹事長を初め世襲議員は次の選挙に出なければよいのではないだろうか。これは、世襲禁止と国民受けをねらっているように見えるが、その実、自分たちだけは例外的に認められた特権階級と言うことを世に示し、不公平な存在として在職し続けるということを、高らかに国民に対して宣言したにすぎない。「泣いて馬謖を切る」という故事が有名であるが、民主党はその意気込みのある政治家はいないらしい。とても平成の孔明になれる人がいないのだ。もちろん与党側もあまり変わらないのかもしれないが・・・。&lt;br /&gt;　国会議員の選挙が人気取りと金の問題というのであれば、世襲は不公平かもしれない。しかし、議員が政治家として政策を中心にすると言うのであれば、必ずしも不公平ではない。逆に政治や政策について多くのことを学んだ人に政治を、国民の主権を預けた方がよいのではないか。&lt;br /&gt;　ただ、私がこの稿で「微妙な問題」と言っているのは、ここのにも上記の通り、容認派から政策に関する議論がでていないのである。本来であれば世襲だから資質がないと言うよりは、政策を出せない政治家やそれを検討する能力のない政治家が「資質がない」のであり、選挙が弱いのは政治家の資質とは関係がない。そのような真っ当な反論が容認派から出てこないのは、与野党含めて、やはり選挙が先で政策が後と言うことを認めていることなのだろうか。&lt;br /&gt;　政治というと政局と思っている人が少なくない。そもそもマスコミの政治部は、与野党の政局を書けばよく、国会で審議され、可決された法律がいくつ有るか、どのような法律が新たにできたのか全く報道されない。また、そのような報道をしても「読者が喜ばない」と思っている。読者側はそのような情報がないから、政治と言えば政局としか思わない。結局与野党の有名人のスキャンダルを垂れ流すマスコミになってしまうし、それが国会の予算委員会で平然と出される。また。マスコミはそれらのネタを各社が共同でネタ合わせを行い、殿新聞を見ても政治面でスクープもなく、また、新しい事実もない。まさに政治面の金太郎飴状態担っている。読者は水戸黄門などの時代劇を見るように、一方を悪人に、一方を前任に祭り上げて、勧善懲悪の物語を楽しんでいるかのごとき感覚だ。それが現在の政治記事である。またマスコミの影響が大きいために、予算委員会などテレビ中継がなされるところでわざとスキャンダルを出して、政策論をしない風潮が許されている。故人になるが、永田議員のガセネタメール事件などは、そのような風潮の犠牲ととれるかもしれない。このような状態だから、日本の政治には魅力が無く、国民の政治離れが激しいし、国民が政局について語ることはあっても政策について語ることはほとんどなくなった。アメリカの大統領選挙の時に、選挙権がない高校生などがしっかりと政治に関して意思を表明し、そして、自分の意見を述べている姿を見た。実にすばらしい。これに対して、日本では選挙権がある大人が政治に対して、マスコミの鸚鵡返し以外出てくる意見がないというのも情けない。日本の有権者の大人たちは、考えること、自分で政治に関して意見を言うことを捨ててしまったかのようだ。アメリカの高校生以下の有権者しかいないのであろうか。日本の将来は、少子化や景気回復よりももっと深刻な危機を抱えているのかもしれない。&lt;br /&gt;　はっきり言って、世襲禁止を議論する前に、日本国のために議論しなければならないことはまだまだあるはずだ。与野党ともに、選挙風に吹かれて浮ついたことをせず、今こそ景気回復を含めた国難を政治の力で何とかしてもらいたい。そして、世襲禁止などと言うことを言うのではなく、政策で政治の信頼を取り戻してもらいたい。そのためには、もっと国民の場に政治家が来て、国民の意見に耳を傾けるべきではないのか。　&lt;br /&gt;　世襲禁止の議論は、そのこと自体、今の政治の空しさを映し出しているようだ。寂しい限りである。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>うだがわ</dc:creator>
<dc:date>2009-05-10T21:37:37+09:00</dc:date>
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<title>ヒ素カレー事件最高裁判決でる。裁判員制度と死刑判決について。</title>
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<description>ヒ素カレー事件最高裁判決でる。裁判員制度と死刑判決について。 　４月２１日。午後...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒ素カレー事件最高裁判決でる。裁判員制度と死刑判決について。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　４月２１日。午後３時からの最高裁で、今から１１年前の８月に起きたヒ素カレー無差別殺人・殺人未遂事件に関する判決がでた。被告人林真須美に対して二審の死刑判決に対する上告が棄却され、死刑が確定した。&lt;br /&gt;　ヒ素カレー事件とはどんな事件だったか。&lt;br /&gt;　１１年前和歌山県の夏祭りにおいて、地域住民が皆で当番制で作っていた無料で出されるカレーに、林被告が砒素を混入し、その砒素中毒により、小学生・高校生を含む４人が死亡、１７名が砒素中毒で入院加療となった事件である。その後の捜査で、林被告の自宅から発見された砒素と、混入された砒素の化学的な特徴が類似していること、林被告がカレーの鍋に一人で近づき鍋のふたを開けたと言う目撃証言があることなどがあがった。しかし、捜査から昨日の判決まで、状況証拠しかあげられず、客観的な証拠がなかったこと、そして、林被告が一貫して無罪を主張し、自供が得られなかったこと。それにより動機が不明であることなどが争点となり、また死刑という量刑が妥当であるのかということが注目された。特に、来月から始まる裁判員制度との関係で、様々なことが言われている。&lt;br /&gt;　さて、ニュースや新聞を見ていると、様々な論点が整理せずに出されている。十数分の尺で様々なことを言わなければならないし、なにもわからないコメンテーターが目立ちたいばかりに新視点かのようにいろいろというので、まとまりがないのも仕方がないのかもしれないが、結局視聴者にわかりにくい報道になってしまっている。&lt;br /&gt;　そんなことで、論点を整理しよう。&lt;br /&gt;　まず、個別事件の死刑判決について、状況証拠と動機の解明なしでの有罪確定は妥当かと言うことである。&lt;br /&gt;　第二に、状況証拠と動機の解明内情強での死刑という量刑は妥当かということであろう。&lt;br /&gt;　二つの論点は似通っているかもしれないが、一つ目は罪刑論・刑法各論であるのに対して、二つ目は量刑論である。二つ目の論点には死刑廃止論という論点もあるのかもしれない。&lt;br /&gt;　最後に、裁判員制度についての是非。すでに決まったことに関して、是非を問う必要はないが、運用と、そして裁判員として国民一人一人が考えなければならないことを、そして、その裁判員に影響を与える報道の公平性や責任と言うことも言及しなければ成るまい。&lt;br /&gt;　恒例により、といっても最近ではあまりしていなかったが、私の個人的な意見から。まず、罪刑論に関しても量刑論に関しても妥当と思う。理由は後に記載する。裁判員制度に関しては、いろいろと言っているが、実際皆心の中で「無責任な」裁判の批評は行っている。法律の根拠などが無くても、マスコミの報道を元に様々な批評をしている。今、求められているのは無責任な発言の可否であろう。裁判員として、資料を見、捜査の報告を受けながら、責任ある自分の意見を言うことができるかということであろう。と言うことで、裁判員制度に関しても、影響のあるものではないと考える。&lt;br /&gt;　一つ一つ論点を考えてみよう。&lt;br /&gt;　まず罪刑論。つまりは死刑という刑が妥当かということである。&lt;br /&gt;　日本は法治国家である。過去にも何度か書いてきたが、日本国民が刑に服さなければならないときには、それなりの手続きが必要だ。刑法上、その罪刑言い渡しが認められるのは、「罪刑法定主義」「違法性」「責任」が全て被告人において認められる場合でなければならない。&lt;br /&gt;　「罪刑法定主義」とは、予告なしに逮捕されて有罪が決まることはないということだ。逆説的に言えば、法律としてあらかじめ、どのような行為をしたら罪になるのかと言うことが決められている。刑法ばかりではない。商法や有価証券に関する法規にも刑罰規定は存在するし、麻薬取締法・道路交通法など、刑法のように思われていても、そうでない法律も存在する。これら法律は、国会で審議され、少なくとも官報で公開されている。関係省庁に行けば、説明を受けることも可能だ。基本的に公開された情報であるということができる。公開された情報を「知らなかった」と言うことは許されない。要するに、法律で罪刑に値するという行為をすれば、罪刑が問われる。&lt;br /&gt;　「違法性」とは、その行為が違法に行われたことかどうかと言うことである。同じ行為をしても、罪が問われない場合があるのだ。たとえばスピード違反。通常スピード違反をすれば免許取消などの処分を受けることになる。しかし、警察や消防・救急車・ガス水道電気の緊急車両は、緊急時に限って、赤色灯を点灯しサイレンを鳴らすことによって違反でなくなる。当然にスピード違反をしても、それが違法ではないからだ。電気・ガスなどの民間会社にも認められている。このほかにも、正当防衛も違法性がないと判断される。人を殴れば暴行・または傷害罪になる。しかし、相手がナイフなどをもってきていて抵抗しなければ自分が殺されるという時には、有る程度の抵抗権は認められる。同じ、人を殴ると言う行為をしても、違法性がないとして、罪にならない。このように公共の利益または、その行為を行わなければならない緊迫制の事由が存在する場合は、違法性がないと判断される。&lt;br /&gt;　最後に「責任」である。その人に責任のない行為は、罰せられない。心神喪失状態で行った場合、精神病患者などは犯罪を犯しても責任能力がないとされる。ニュースなどでよく見るのは、重大犯罪などの報道の時に、精神鑑定を求めるのはこのことである。この場合、その犯罪者には責任がないということになり、刑法上は無罪となる。当然に、次に精神上の問題で、また犯罪になっては困るので、精神病院において加療され、その後も観察が付くようになるのであるが、前科が付かないなど犯罪者としては扱われなくなる。&lt;br /&gt;　さて、今回のヒ素カレー事件に関して、検証してみれば、まず罪刑法定主義における財形に当たる。「砒素をカレーに混ぜて不特定多数に食べさせれば、人が死ぬかもしれない」という故意が存在する。ヒ素は間違いなくカレーの調理において過失ではいるものではない。ということは何らかの故意が働いたことは間違いがない。要するに「人が死ぬかもしれない」と思いながら「故意にヒ素を混入した」ということになる。これは、「殺意を持って人を殺した」ということで、殺人罪が適用される。&lt;br /&gt;　なお、このときに、「故意を立証するために動機の解明が必要である」という考え方もある。動機がない場合は、過失である可能性もあるからだ。今回の訴訟においては「人を殺す意思」または「人が死ぬかもしれない」という認識が存在することを持って、そのための動機の解明がないことは殺人罪と断定するのに妨げにならないという判断を下した。通常、人を殺すという重大犯罪を行うには、それなりの動機があるものと考えられている。しかし、今回の裁判では、それだけの動機でなく、認識の身で足りるとしたのである。&lt;br /&gt;　動機とは、当然に犯罪者（被告人）の個人の主観である。犯罪当時の主観の解明がなければ殺人罪を適用できないのでは、殺人罪などなくなってしまう。一つは、砒素を混入したという原因行為があり、もうひとつで、砒素を入れれば人が死ぬ可能性があるという認識があれば殺人罪を適用できるという判断である。私の個人的な考え方では、動機は、殺人罪における減刑事由に当たるが、逆に構成要件に含まれないと解釈している。要するに、動機がはっきりしていて、その動機に情状酌量の余地があり、同時に、第三者に殺人の被害者を出す可能性がない場合、殺人における量刑が減刑される場合があるという考えである。今回の場合、動機がはっきりしないということは、逆にいえば、林被告の場合、同一の環境になれば動機がなくても第三者を殺してしまう可能性があるという考え方も成立するのである。&lt;br /&gt;　違法性については、申し分ない。少なくとも違法性阻却事由はどこにもないのである。また、責任能力に関しては、複数回の判断で能力があるとされている氏、また、第一審では黙秘を、第二審以降は無罪を主張できるだけの、能力が存在すれば、責任能力も当然に存在する。&lt;br /&gt;　最後に、物的証拠がなく、状況証拠のみしか存在しないという論点が存在する。しかし、まず、カレーの中にまんべんなく、砒素を混入できるのは、カレーを製造した人の中にしか存在しない。その中において、一人で鍋の前にいた、また、目撃証言において林被告が鍋の前にいた時に湯気が立ったということは、ふたを開けたということを示す。物証に近いものとして、自宅から混入されたものと同じ化学成分のヒ素が発見されている。この犯罪の場合、混入できる人は限られている。その限られた中において、ほかの可能性を排除し、また、砒素の特性などの状況が特定できれば、犯罪被告人として問題がないという判断を行った。これは、通り魔殺人のように、不特定多数の人が犯罪を犯した可能性がある事件とは異なる。ある程度特定された犯罪可能性卸数の中における状況証拠は、当然に一般の状況とは異なり、その証拠性にも重要性を増すことになる。そして、それは、被告人を犯罪者とするに断定するだけの証拠性を有すると判断したものである。刑法の裁判の場合「疑わしきは犯罪者の利益」という原則がある。しかし、この犯罪の場合、千以上の状況証拠は、「疑わしき」ではなく、断定するに足る証拠であったと解するとのことである。&lt;br /&gt;　すべての事件において、「状況証拠だけで犯罪が成立する」というものではない。今回の事件の特性がそのようにさせたのであろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さて、次の論点で量刑論である。これは無期懲役ではなく死刑で良かったのかということである。&lt;br /&gt;　日本の裁判の場合、殺人罪での死刑は、「複数人の殺人」「無差別殺人」「猟奇殺人」の場合に限られる。他の犯罪、たとえば強盗殺人など、ほかの要素と一緒になっていない殺人の場合は、そのような要件になっている。今回の事件の場合、林被告において殺人罪が適用されることが明らかである場合、当然に「複数人（四名）殺人及び複数人（二十一名）殺人未遂」ということ。地域の祭りに来た人にふるまわれるカレーであるということから「無差別殺人」であること。そして、釈放した場合に今後も同様の犯罪を犯す可能性が消えていないこと（謝罪の有無）（動機の未解明）。以上の状況から、死刑という量刑は、過去の殺人事件の裁判判例からみても妥当といえるのであろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さて、最後に、この事件から裁判員制度を考えるということになる。&lt;br /&gt;　裁判員制度とは、一般から選ばれた裁判員が、罪刑論及び量刑論の判断に関与するものである。今回の事件の場合であれば、その裁判員は死刑を宣告しなければならない。&lt;br /&gt;　しかし、だれもが、いままでの裁判の判例に関して「打倒」とか「不当」といった意見を持っていた。テレビのコメンテーターなどは、裁判所をさばくかのごとく、自信を持って行っていたはずだ。&lt;br /&gt;　そもそも、裁判になる前に、犯罪者扱いをして、社会的にさばくようなことも少なくない。松本サリン事件などはその最たる例である。そのような悲惨な事件があったにもかかわらず、いまだに無責任な論評を、刑事事件において垂れ流していし、それを受けて新聞の投稿欄などに、無責任に意見を投じている国民も少なくない。&lt;br /&gt;　裁判員制度で最も考えなければならないことは、マスコミや国民一人一人の意見が「無責任であ会ってはならない」ということ。そして「責任を持って判断した人を、周囲が無責任に批判してはならない」という二つの原則ではないだろうか。&lt;br /&gt;　マスコミそのほかの報道や国民の声、最近では、インターネット掲示板の意見など、無責任な論評が少なくない。それにたいして、左右された、判断をしてよいのか。また左右されないで法律に従った裁判を批判してよいのか。そもそも、そのような判断をした人を無責任に批評して良いのか。それまでに、判断を左右するような恣意的な報道を行ってよいのか。&lt;br /&gt;　そもそも、刑事事件をワイドショー的に煽ることそのものが不謹慎でなはないのか。そこにおける無責任な発言を許してきた国民にたいして、裁判員という立場を充てることは、自分の意見ということに関して考えなければならない状況を作ったのではないだろうか。&lt;br /&gt;　同時に、この文書でも過去に何度も言ってきたように、常識と法律を食い違っている人が少なくない。日本は法治国家であるのに、法律を無視した「常識論」が少なくない。正論が虐げられるようじゃ世の中では困るのである。憲法を無視して野党の党首が解散を軽々しく口にし、それを煽るマスコミに乗せられて、野党への政権交代を望むようでは、困るものである。&lt;br /&gt;　そのような状況において、常に法律的にhんだんし、責任のある発言を求めるということは重要である。裁判員制度そのものに関しては、まだ初回であるし、国民やマスコミにそれだけの、インフラ、要するに法律に対する意識が全くかけている状態であるために、さまざまな試行錯誤も加えなけえばならないし、うまくいくとは限らない。しかし、そのような内容において、無責任な発言を許さない国民的な風潮が形成されるのはよいことではないだろうか。問題は、その国民的なインフラや法律に関する認識が形成される前に裁かれる犯罪者にえん罪が出ないようにしなければならない。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>うだがわ</dc:creator>
<dc:date>2009-04-27T01:11:42+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/2009/04/post-7e9d.html">
<title>謹賀、天皇陛下・皇后陛下ご成婚５０年</title>
<link>http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/2009/04/post-7e9d.html</link>
<description>謹賀、天皇陛下・皇后陛下ご成婚５０年 　1959年４月１０日、今上天皇陛下（当時...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;謹賀、天皇陛下・皇后陛下ご成婚５０年&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　1959年４月１０日、今上天皇陛下（当時皇太子殿下）が御成婚された。午前10時から皇太子殿下と美智子妃殿下の結婚の儀がとりおこなわれ、午後2時30分からのパレードには沿道を埋め尽くした観衆、なんと53万人という。このパレードの模様はラジオ・テレビで実況中継され、沿道で祝った観衆以外でも、日本の全国民がこれを祝った。&lt;br /&gt;　1959年といえば、ちょうど60年安保騒動のあったときで、有名な安保反対デモが国会執念を埋め尽くした年と同じである。当時の岸信介首相の「声なき声」という演説が行われたときである。このデモの最中、デモ参加していた樺美智子さんが警察隊との衝突で亡くなったことと、美智子妃殿下のご成婚により、「安保騒動は二人の美智子で終わった」とされる。&lt;br /&gt;　おめでたい日に恐縮であるが、敢えて安保騒動の話をさせてもらった。私自身は体験していないが、あの国会を取り囲んだ人の波は、かなりインパクトがある。当時国会に勤務していた人に話を聞けば、衆議院議員面会所にはデモ隊・警察隊双方のけが人が多数運び込まれ、その手当に追われていたという。さながら戦争は・大災害の被災地の仮設病院のようであったという。話を聞いた人は、昭和一桁生まれで、戦争も東京代空襲も体験しているので、そのような表現になったのであろうと思われる。当日の国会職員に対しては「安全の保証ができないので、帰宅は許可しない」と事務局から通知があったという。その日は、皆がけが人の手当をしながら、国会の建物の中に泊まり込みであった。国会の外からの映像などはよく見るが、国会、取り囲まれた籠城側の話を聞くことは滅多にないので、少々興味深い話であると思う。&lt;br /&gt;　かなり話はそれたが、それほどの大事件、安保騒動という大きな動きですらなくしてしまい、平和な日本を取り戻すほど、当時の皇太子殿下と美智子妃殿下のご成婚はインパクトがあったといえる。残念と言えばかなり不謹慎であるが、秋篠宮殿下と紀子妃殿下、浩宮皇太子殿下と雅子妃殿下のご成婚の時は、そのような大きな事件もなかったために、それだけ、インパクトが小さく感じられる。もちろん、社会や国民の雰囲気も異なるのであろう。&lt;br /&gt;　それほどのご成婚から50年が経過する。現在の東京マラソンと同じように、東京都内のほとんどを通行止めにして、馬車でパレードをした映像は有名であるが、それから50年である。&lt;br /&gt;　それまで、天皇家は後続または旧宮家華族との婚儀が非常に多かった。昭和天皇の皇后陛下は宮家である久爾家のご出身である。これに対して当時の美智子妃殿下（皇后陛下）は正田家という、由緒正しく家柄のよいが、宮家ではない平民（臣下）からの皇太子妃殿下誕生と言うことで、「開かれた皇室」という感じをもたれた。当然に、このことによって、国民の多くは皇室に親近感を持ち、また、美智子妃殿下に対するあこがれをもったものである。&lt;br /&gt;　まず、少し遅れましたが、謹んで祝賀申し上げるとともに、天皇陛下・皇后陛下の末永いご多幸とご健康を祈念いたします。&lt;br /&gt;　さて、昨今は、安保騒動ほどではないにしても大きな事件が新聞紙上をにぎわしている。まず至近では北朝鮮のミサイル問題。これに関しては4月10日現在（ご成婚の記念日）においてミサイルは発射されても、国連安保理の決議などは行われていない。このことに関しては、前回かなりしっかり書いたつもりであるが、ニュースは生き物であり、数日すれば状況が変わる。&lt;br /&gt;　状況が変わると言えば、現在の政局も「猫の目」状態である。数ヶ月前までは、自民党の不甲斐なさが目立っていたが、3月3日に小沢一郎民主党代表の第一公設秘書が違法献金事件で逮捕されると、完全に政局も混乱の様相を呈してきた。このことに関しても、本来であれば、政策で政党を判断すべきであるのに関わらず、個人のスキャンダルで支持率が変わるというのもどうかと思う。「政策無きアンチ政府集団」「烏合の衆」と揶揄されてきた政党であり、その状態から脱皮できるかどうかが最大の問題である。逆に政策が主で有る政党であれば、代表のスキャンダルで、代表を交代しているであろうし、また政策で勝負することができるであろう。今日の、公設秘書の起訴を受けながら、任命責任も管理責任も問えない民主党という政党は、小沢個人の独裁政党に成りかねない状況を包含し、それを広く国民に示してしまった形になっている。同時に、それを受けながら指示を回復できない自民党も、相変わらず不甲斐ない。「政治家」といわれる集団が与野党関係なく、政局などに明け暮れて、全体や国の将来を見据えた政策を打ち出すことがない現状が、今日の政局の混乱を招いている。そもそも、総選挙は人気投票ではない。&lt;br /&gt;　今回は、そのような中での祝賀である。実際にこれら「下々の民衆の諸問題」ではなく、やはり皇室の慶事としてとらえなければならない。今回は、今山積している問題全てについて、書かず、この慶事についてのみ記載したい。&lt;br /&gt;　天皇家は、4月9日の会見でも天皇陛下ご自身が申されたとおり、「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」（憲法第１条より）である。そして、「国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」（憲法第４条より）とある。&lt;br /&gt;　天皇家は国事に関することを行う日本国民統合の象徴である。そして、政治に関することは一切行わない存在である。そこで、天皇家を通して、「日本国」と「日本国民の統合」ということを考えてみたい。&lt;br /&gt;　日本国は、右翼的なものの考え方をすれば、神武天皇が統治した日本国から数えて皇紀２６６７年目に当たる。有名な「ゼロセン」、零式艦上戦闘機は１９４１年、皇紀２６００年に開発されたことから、その後ろ二桁をとって零式といっているのである。この「皇紀」という年の数え方が妥当かどうかは別にして、少なくとも、文献ではそれくらいの歴史を持つ国である。現在の日本の形がいつからできたのか、という話は別にしても、少なくとも１５００年に近い「大和朝廷」の歴史は存在するのである。&lt;br /&gt;　「継続は力なり」という諺があるが、基本的に１０００年を越える王家（天皇家）が続いているのは世界ひろしといえども日本だけである。歴史があるということはそれだけで強い。この件だけではアメリカに比べて完全に優位に立っているし、歴史は有っても、中国には皇帝はいない。ヨーロッパも同じ王朝がローマ帝国の昔から継続しているのではないのだ。当然に、日本が島国であり、単一民族でありといった条件が整っているものの、それでもこれだけの歴史の変遷を維持してきたのは歴史上奇跡に近い。&lt;br /&gt;　一つの王政が継続すると言うことは、支配関係や統治機構が安定しており、同時にそれを受け入れる日本人の国民性が安定しているということになる。これこそ「日本国民の統合の象徴」と言ってよい。日本司を紐解けば、天皇親政賭言う期間はあまりないかもしれない。平安時代でも、藤原摂関家が政務を執っていたり、平清盛が専横していた。その後鎌倉幕府・室町幕府・戦国時代を経て江戸幕府になる。その間後醍醐天皇による建武の親政が有ったが、それ以外に親政はない。しかし、摂関家も、幕府としての地位を確立する征夷大将軍も、全て天皇が任命しているのである。その意味では、天皇家そのものの制度に基づき、政治が行われているのである。弓削道鏡や、一部の説では織田信長など、天皇になり変わろうとした人もいるが、いずれも成功した事例はない。もちろん、南北朝のように血筋が分かれたことがあっても、基本的に天皇家が継続していることには代わりはない。&lt;br /&gt;　現代の政治もそうである。天皇は「国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」とあるが、逆に国事は天皇が行うのだ。国事とは、内閣総理大臣の任命や国務大臣の認証。法律の公布や国会召集・衆議院の解散・各国の大使公使などの接受などがこれに当たる。歴史上の征夷大将軍の任命と同じように、行政府の長の任命は天皇が行う。実際国政には関与しないとは言っても、かなり重要な仕事をしているのだ。まさに日本国の象徴である。&lt;br /&gt;　国政に関与しないながらも国事を行うとは、どれほどの重労働であろうか。肉体的にもさることながら、精神的な気苦労は計り知れない。象徴としてそれら国事を行うに関わらず、国政では意見も言うことはできないのである。また、国民の象徴として、気分が優れなくても何でも、感情を表に出すことなく、象徴としてあり続けることは、言い方は不謹慎であるが、並大抵の人物でできることではない。&lt;br /&gt;　さて、歴史があると言うことは、それだけ成功も失敗もあったと言わざるを得ない。上記のように、全て「大和朝廷依頼の天皇制下の統治機構」で有る以上、直接的な責任はなくても、やはり何らかの責任はあるのかもしれない。任命責任とか道義的とか、適当なことを言う人は少なくない。また、外国の人がそれを言うのは、何となくわからないでもない。団体に対する批判は、その団体の長に集中する。会社であれば社長がそうなる。しかし、日本人がそれをするのはどうか。天皇家は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」とあるとおり、国民の総意で有る存在だ。天皇を批判する日本人は、「国民の総意」を無視すると言うことであろう。そもそも、まず自分で、国民として批判に対する回答、たとえば食材の行動を起こさなければならない。自分はなにもせず、天皇や国家に責任を転嫁して、自分は批判側に回ることで責任はないかのような顔をしている。&lt;br /&gt;　日の丸君が代問題も同じ。日本が伝統と歴史のある国であればこそ、国旗・国歌にはよい歴史も悪い歴史も存在する。戦争という一事をもって、全体を否定することのナンセンスを考えるべきである。自分たちの歴史に誇りと責任を持ち、その上で現在の自分のあり方、将来の国の姿を考えるべきであり、自分たちの歴史を否定することはできない。ましてや、国歌や国旗を否定しても何の解決にも成らない。今年の民主党党大会には国旗掲揚がなかったが、彼ら民主党は憲法も歴史も否定するつもりであろうか。本当に反省の意を考えるのであれば、国歌斉唱・国旗掲揚を行い、その上で日本の歴史上の様々な失敗を思い起こし、反省を促すべきである。彼らには責任転嫁の意識はあっても、真に歴史と向き合い成功したことをほめたたえ、悪かったことを反省する態度が掛けていると意わざるを得ない。現在の民主党の政治そのものが、それら考え方の通りになっているのは、私の考え違いであろうか。&lt;br /&gt;　話はそれたが、長い歴史であれば、当然に他者他国から批判を受けることはある。天皇陛下ご自身にもそのことを考え、何らかのご意見があると思うが、国民の象徴として個人の意見を控え、ずっと耐えられている。&lt;br /&gt;　国民は無責任だ。そのような歴史のことならばまだしも、昨今では天皇家の家庭内のスキャンダルまで取りざたしている。報道はいろいろあるが、真相は分からない。報道以外でも話を聞くことはあっても、確かめようがない。しかし、特に女性誌であるが、有名人のスキャンダルを昼のメロドラマ的に脚色し大騒ぎする。自分のことは人に見せたくないが、他人の内側には遠慮会釈無く入り込んでくる、日本人のもっとも嫌らしい部分がここに入ってくる。天皇陛下ご自身、これにはかなりご心痛とのことで、昨年１２月のお誕生日の会見を体調不良で中止されたくらいである。このことに関しても、どうにか成らないものかと思う。歴史の件もスキャンダルの件も、何故日本人は自分で自分の国の象徴を汚すのか。理解不能である。&lt;br /&gt;　ひとえに、憲法での記載とか、上下関係とか、そういった学歴とは関係のない、礼儀と言った部分が決定的に掛けてしまったのではないだろうか。&lt;br /&gt;　天皇陛下ご成婚５０周年。これは、間違いなく祝うべきことで有ろ、喜ばしいことだ。そして、それを素直にお祝いするという雰囲気を日本人は持たなければならない。しかし、そのようになっていない。これは、教育やマスコミ報道に大きな誤りがあったからではないか。そして、憲法というと９条しかないかのごとく大騒ぎをする頭の悪い政治家が少なくないからではないだろうか。歴史に関する考え方も同じ。伝統を持つことの重要性をまず認識すべき。当然に長い歴史の中にはいろいろと有り、その歴史をふまえ伝統を守り、またよいことを尊重し、悪しきことを反省して将来よい国にするために今なにをすべきか考え行動することが重要である。その意味で、世界でもっともな外報にはいるにほんの天皇家とその歴史・伝統を尊重すべき教育をすべきであろう。&lt;br /&gt;　日本人は、なにか負の方向に行くと、それを否定し、それをさげすみ、責任を転嫁し、自分は関係ないかのような逃げを行う。私が世界各国に出張しいろいろな人と話をすると、そのような日本の行動そのものに疑問を持つ人が少なくない。もっと言えば、そのような行動、たとえば国歌国旗を尊重しない人々や、南京大虐殺・従軍慰安婦の報道（事実だけでなく感想などを混ぜた変更報道を指す）、天皇家のスキャンダルの報道など、それら、自分の国を尊重し自分の国の歴史に誇りと反省をもてない国民性が、もっとも信用を失う原因となっている。先の戦争での行為よりも、それら現代の報道などがもっとも信用できない行動となっている。特に、国歌国旗を尊重しない行為は、教員が行っているという事実をもって、「日本人は一人一人が反省することを教えず、他人（天皇）に責任転嫁して、臭いものに蓋をしておしまいにする汚い国民であり、その態度や精神を教えている。」と批判を受ける。彼ら教員は、これら批判に対してどのように答えるつもりだろうか。&lt;br /&gt;　天皇家と日本の歴史について、本来であれば祝賀の意を示すだけであまり様々なことを書く必要は無いのかもしれない。このように歴史にふれることそのものが、祝賀に関する記事において不謹慎であるならば、謝罪をしたい。しかし、現在の天皇陛下は、それらの批判を一身に浴び、それに対処されながら家庭を守り、暖かい一家の繁栄を守る。その姿の中で、皇后陛下とともに、決して平坦ではない５０年を一緒に支え合い、歩まれてきたお姿は、普通の金婚式と違う大きな意味合いがあるのではないだろうか。&lt;br /&gt;　記者会見で両陛下がお互いに感謝状を出したという。ほほえましく、また、祝賀の意を示すとともに、伝統と歴史を守り、そして、その上にしっかりと立脚して、将来の日本国と国民の統合を、我々国民一人一人が認識し。世界に恥じぬ行動を心がけなければならない。また、いかなる時も、感謝の心を忘れては成らない。そのように身が引き締まる思いがする。&lt;br /&gt;　改めて、天皇家のご発展を祈りながら、ご成婚５０年をお祝いしたい。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>うだがわ</dc:creator>
<dc:date>2009-04-16T00:03:34+09:00</dc:date>
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